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シミュレーションゲーム
シミュレーションゲーム(simulation game)とはその名の通り現実の事象・体験を仮想的に行うコンピュータゲームのジャンルの一つ。日本では(特にコンピュータゲーム関連で)SLGと略されるのが一般的。英語圏では、昔はSIM(シム)というもう1つの略称の方がよく使われる傾向にあった。模擬実験ゲームともいう。 単にシミュレーションゲームと呼ぶ場合、意味合いが広範に及ぶため多くはさらに細分化されたジャンルによって分類される。以下、一般的にシミュレーションゲームとして扱われる、あるいはシミュレーションゲームとしての要素を抱合しているジャンルを列記する。 戦争を題材に扱ったウォー・シミュレーションゲーム(シミュレーション・ウォーゲームもしくは単にウォーゲームと呼ばれることもある)。このタイプのゲームは軍隊の戦術研究に用いられていた机上作戦演習に端を発し、ボードゲーム又はコンピューターゲームとして発表・発売されており、再現規模によって戦略級・作戦級・戦術級に区分することもある(さらに個人の動作まで意識する戦闘級や、2つに跨った再現レベルの場合は作戦戦略級のようにいう場合もある)。中世以前の戦争やスペースオペラ等の宇宙戦争を扱ったゲームもこのジャンルに該当する。 国内では1980年代頃に海外メーカー製のこのジャンルのボードゲームを玩具メーカーなどが国内で販売したことに端を発して、このジャンル(非リアルタイムで戦闘を再現するゲーム)についてシミュレーションゲームという呼称が一般的になった。 後にパソコンゲーム、コンシューマーゲームとしてコンピュータ上で再現、および対戦相手をコンピュータが行うようにしたものが発売されて今に至っている。 ファミコンウォーズ(発売元:任天堂)、大戦略シリーズ(発売元:システムソフト)、ハイブリッド・フロント(発売元:セガ・エンタープライゼス)がこれにあたる。 会社や組織などの収入・支出や、人的資源、物的資源、不動産などをゲームの要素として、会社の初期状態から目的に沿って事象を発展あるいは進展させるゲームを経営シミュレーションゲームと呼ぶ。 ボードゲームでは複数の組織をそれぞれ各プレイヤーが担当し、自分以外の組織の利益を奪って自分のものにする(ゼロサムゲームに近い)構造のものが多い。逆にコンピュータゲームでは一人でのプレイが主になる。
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シミュレーションゲーム
会社や組織などの収入・支出や、人的資源、物的資源、不動産などをゲームの要素として、会社の初期状態から目的に沿って事象を発展あるいは進展させるゲームを経営シミュレーションゲームと呼ぶ。 ボードゲームでは複数の組織をそれぞれ各プレイヤーが担当し、自分以外の組織の利益を奪って自分のものにする(ゼロサムゲームに近い)構造のものが多い。逆にコンピュータゲームでは一人でのプレイが主になる。 特にプロスポーツチームなどの登場人物、あるいはペットや競走馬などの能力を向上することがゲーム上重要なものは「育成シミュレーションゲーム」と呼ばれることがある。 また最近では、『Sim(シム)』シリーズや『Tycoon(タイクーン)』シリーズ、『A列車で行こう』などの、自宅周辺 - 都市レベルの開発を扱った経営・育成シミューションゲームのうちリアルタイムで進行するものがミニスケープあるいは箱庭ゲームと呼ばれるようになっている。 役割(Role)を演じる(Play)という意味合いから、ロールプレイングゲームもゲームの構成によってはシミュレーションゲームとしての要素を含んでいる。特にテーブルトークRPGでは、初期のころはシンプルな「戦闘の再現」の一形態であったものが、社会階級や性格、国家の設定など、詳細な要素が加わえられてきた。これは複雑なファンタジー世界や登場人物の人間関係のシミュレーションゲームと言うことも出来る。 コンピュータゲームでも『ウィザードリィ』や『ダンジョンマスター』などの「ダンジョン(洞窟、迷宮)をいかに攻略するか」といったものはある種の戦闘シミュレーションゲームともいえる。
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シミュレーションゲーム
コンピュータゲームでも『ウィザードリィ』や『ダンジョンマスター』などの「ダンジョン(洞窟、迷宮)をいかに攻略するか」といったものはある種の戦闘シミュレーションゲームともいえる。 また、近年コンピュータゲームでは「シミュレーションRPG」と呼ばれるジャンルが人気を博している。これは上述したようなロールプレイのもつシミュレート性からそう呼ばれるのではなく、登場人物をコマとして動かす戦闘シミュレーションゲームを模したシステムを採用していることが多いためである。複数の登場人物を戦闘経験により能力向上させていくという「育成シミュレーションゲーム」としての要素を併せ持っている。なおシミュレーションRPGの原点とも言える作品はファミリーコンピュータの『未来戦史ライオス』などが該当する。また、シミュレーションRPGを日本国内において広く知らしめたのは任天堂の『ファイアーエムブレム』シリーズだと言える。 実在する乗り物(広義の意味では実在しないフィクション上の兵器、あるいは開発途中で実機の存在しない乗り物なども含まれる)の操縦・運転を再現する。電車など鉄道車両を運転する鉄道シミュレーションゲーム、各種航空機を操縦するフライトシミュレーションゲーム等がこれに該当する。実機になるべく近づけるため専用コントローラーが用意されることも多い。これらのうちゲーム性よりも再現性を重視するものは特にシミュレーターと呼ばれることがある。 本来は実機では失敗したときの損失が大きいためコンピュータ上で航空機や電車の操縦方法を習得するために製造されていたものであるが、現在では家庭用コンピュータ向けにゲーム性を加味して販売されている。 フライトシミュレーションでは武器を搭載した軍用機の操縦をテーマにしたものと、民間機の操縦をテーマにしたものに大別される。前者はミッションと呼ばれるあらかじめ決められた目標(敵機を撃墜する、特定地点を爆撃するなど)を達成したり、ネットワークで接続されたコンピュータでドッグファイトを行って互いに撃墜を狙うスタイルが多い。後者は基本的にゲームの舞台上を自由に飛行することも出来るが、現実の旅客機のフライトプランをゲーム中で再現することでその旅客機から見える風景を楽しむといった利用方法もある。
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シミュレーションゲーム
アーケードゲームでの旅客機シミュレーションゲームでは、いろいろな環境(各種空港や夜間など)での着陸をスムーズに行うことを課題にしたものもあった。 またレースゲームでも現実の物理法則を適用、および車両のコクピットなどを詳細に再現することで緻密な世界でのレースが体験できる傾向のゲームが「ドライビングシミュレータ」「レーシングシミュレータ」として販売されることもある。 現在の欧米コンピュータゲーム市場にて人気のあるジャンルに「リアルタイムストラテジー」略してRTSが存在する。ゲームのテーマ自体はウォー・シミュレーションゲームと同じく戦闘を再現することにあるが、ゲーム中はリアルタイムで進行し、各ユニット(大小さまざまな部隊、登場人物の単位)などに命令を与えて行動させる。そのため、緻密な操作をすばやく行うアクションゲームとしての性質も持ち合わせていることが多い。 昔からシミュレーションゲームを実時間で展開させる試みはいくつかあったが、現在のリアルタイムストラテジーはゲームの舞台にマス目を描かずにより柔軟な動作を行わせる、マウス操作によって複数ユニットを的確に扱うことが要求される、戦闘だけでなく建築物の建設や資源の確保(ひいてはそのためのユニットの存在も必要となる)などの要素も取り入れる、などにより現在ではネットゲームの主要な一ジャンルとなっている。 日本でウォー・シミュレーションゲームというジャンルに属するゲームについては、欧米では「ストラテジーゲーム」と呼ばれることが多い。欧米圏で「シミュレーションゲーム」という言葉はウォー・シミュレーションゲームの範疇に入らないゲーム(実機シミュレーションゲーム、経営育成シミュレーションゲーム、生態系シミュレーションゲーム等)で使用される傾向にある。日本では欧米や他のアジアの国々と違い、リアルタイムストラテジーが普及していないため、実質的にターン制ストラテジー(Turn-Based Strategy : TBS)のみを指す言葉となっている。 主に以下のように分類されるが、厳密に区別できるわけではない。評価する人により、あるいは文脈により同じゲームが異なるジャンルとして扱われることもある。
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ラズウェル細木
ラズウェル 細木(ラズウェル ほそき、1956年 - )は、日本の漫画家。本名 窪田京一。旧ペンネームはくぼたケーガ。山形県米沢市出身。山形県立米沢興譲館高等学校卒業。早稲田大学教育学部国語国文科卒業。 代表作に『酒のほそ道』『パパのココロ』など。 早稲田大学在学中は漫画研究会に所属していたが、本人は漫画を描く先輩の姿を見て漫画家にはなりたくなかったという。卒業後にカットやイラストの仕事をこなしているうちに、くぼたケーガ名義で麻雀漫画でデビュー(1983年)。大のジャズファンであり、レコードコレクターでもある。ジャズ業界の知識を援用して音楽方面に取材した作品を複数発表している。しかしその後の雑誌連載による『酒のほそ道』の方がよく知られるようになった。好物は日本酒とウナギの蒲焼きなど。 ペンネームの由来は、ジャズ・トロンボーン奏者ラズウェル・ラッドと、大学卒業後にアルバイトしていた出版社でお世話になった「細木さん」から。当初は漫画の主人公の名前だったが、後にペンネームもそれへと改める。
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竜崎遼児
竜崎 遼児(りゅうざき りょうじ、1953年9月14日 - )は、日本の漫画家。長崎県五島市出身。血液型はB型。 中学生のころ横山光輝の『伊賀の影丸』、さいとう・たかをの劇画を読み、影響を受ける。その後、手塚治虫、ちばてつやの漫画にも感動して漫画家を目指す。高橋わたる、新岡勲、荘司としおのアシスタントを経て、1972年、『漫画ホット』(秋田書店)に掲載の「番格流れ者」でデビュー。『炎の巨人』『どぐされ球団』と野球漫画を続けてヒットさせる。その後も『ウォー・クライ』(ラグビー)、『ばっくれ一平! 』(野球)などのスポーツ漫画や『闘翔ボーイ』(総合格闘技)、『雷電王』(相撲)などの格闘技漫画を発表した。 初期は少年誌で活動していたが、後に青年誌でも執筆するようになった。絵柄から熱血スポーツ漫画のイメージが強いが、丁寧な取材や資料集めでジャンルの最新トレンドを掘り下げることから、『闘翔ボーイ』は史実より先に立ち技最強トーナメントや円形リングでのファイトを描き、『ばっくれ一平! 』はメジャーリーグの日本市場進出を描いていた。 落語家の柳家喬太郎のファン。
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六田登
六田 登(ろくだ のぼる、1952年〈昭和27年〉7月23日 - )は、日本の男性漫画家、同人作家、京都精華大学特任教授。大阪府八尾市出身。 高校時代はアストロ作画会や作画グループで同人活動を行っていた。 1971年、19歳で漫画家を目指し、ヒッチハイクで上京。初めはルポイラストや単行本の企画・構成をする。その後、ろくだのぼ〜る名義で、御厨さと美と共に『小学六年生』(小学館)の読者ページ『ハロー6ワイドショー』にて活躍。 1978年、『最終テスト』が第1回小学館新人コミック大賞佳作となり、漫画家としてデビューした。その後は『週刊少年サンデー』などで『ダッシュ勝平』や『その名もあがろう』などの少年向けギャグ漫画を発表。 1985年にはサスペンスものの『風炎』を『ビッグコミックスピリッツ』に発表し、これ以降は青年誌に活動の場を移して本格ストーリー漫画を描くようになった。 代表作は、『ダッシュ勝平』、『F―エフ―』、『ICHIGO 二都物語』、『歌麿』など。40年のキャリアを持つベテラン漫画家であるが、現在も精力的に活動を行っている。作品は、これでもかこれでもかと不幸に見舞われ、追い詰められていく主人公の必死の心を描くことを主眼とするものが多い。なお、漫画以外に絵本も執筆したことがある。 1991年に『F―エフ―』で第36回小学館漫画賞を受賞。
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若尾はるか
若尾 はるか(わかお はるか、12月21日 - )は愛知県出身の漫画家。名古屋造形芸術短期大学(現名古屋造形大学)を卒業後、OL経験を経て、週刊ヤングジャンプ(集英社)にて漫画家デビュー。「ねことも」(秋水社)にて「ねこまりょく」と、「ヤングアニマル」(白泉社)にて「美女♂menぱらだいす」を連載中の漫画家である。若尾コアラ・霊感漫画家としても紹介される。タロット占いが得意で、読者からもよく依頼されて占いを行う。代表作は『あずみマンマ・ミーア』、「もののふレボリューション」。ケータイ★まんが王国で『あずみマンマ・ミーア』と『トクした気分』を配信。
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渡瀬悠宇
渡瀬 悠宇(わたせ ゆう、1970年(昭和45年)3月5日 - )は、日本の漫画家。代表作に『ふしぎ遊戯』・『妖しのセレス』・『絶対彼氏。』など。Xジェンダー。 大阪府岸和田市出身。堺女子高等学校(現・香ヶ丘リベルテ高等学校)卒業。大阪総合デザイン専門学校卒業後、1988年、第23回小学館新人コミック大賞少女・女性部門入賞。翌年、小学館『少女コミック』に掲載された「パジャマでおじゃま」でデビュー。以後、『少女コミック』を中心に作品を掲載。 代表作に『ふしぎ遊戯』『妖しのセレス』『絶対彼氏。』など。2006年(平成18年)以降、小学館の青年誌『ビッグコミックスピリッツ』や少年誌『週刊少年サンデー』にも作品を掲載し、活躍の場を広げている。 血液型はB型。5歳から漫画を描き始め、17歳でプロ漫画家を志した。小学生から高校生くらいまでは自殺未遂を起こすほどのいじめを受けており、その体験は『アラタカンガタリ〜革神語〜』の革がいじめられてるシーンでも流用された。宗教を信仰することで回復したという。創価学会の会員で、たびたび機関紙にイラストを提供しているほか、『妖しのセレス』の最終巻では尊敬している池田大作名誉会長へ同作品を捧げるという趣旨の手書きコメントを寄せている。
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わたなべまさこ
わたなべ まさこ(本名:渡邊 雅子、1929年(昭和4年)5月16日 - )は、日本の漫画家。東京府出身。1947年、上野学園短期大学中退。日本の少女漫画草創期から活躍し、現在も執筆を続ける巨匠の一人。1971年、『ガラスの城』で第16回小学館漫画賞を受賞。2002年、第31回日本漫画家協会賞として全作品に対する文部科学大臣賞を受賞。2006年の旭日小綬章は、女性の漫画家としては初の受勲。日本漫画家協会理事。2013年に閉校した創造学園大学の創造芸術学部教授であった。夫は2012年8月に永眠した陶芸家・渡辺六郎。 1952年(昭和27年)、挿絵画家を経て貸本漫画出版社の中村書店で『小公子』(原作フランシス・ホジソン・バーネット)を執筆後、若木書房より単行本『すあまちゃん』『涙の賛美歌』で少女漫画家としてデビュー。1957年(昭和32年)から『山びこ少女』を発端に少女漫画雑誌での連載を開始、1960年代初期には、母娘や姉妹の絆をテーマにした『白馬の少女』『おかあさま』等が人気を博した。1960年代中頃からは欧米を舞台にした作品群で少女達に夢とロマンを与え、1970年代には少女の内面にある善悪双方に共感を呼んだ『ガラスの城』に続く代表作『聖ロザリンド』でサスペンスホラーの新境地を開拓。同時期にはウィリアム・アイリッシュ原作『幻の女』等、海外ミステリの漫画化も手がけている。 レディースコミック誌に活動の場を移した1980年代には、日本を舞台にした作品が中心となり、単行本18冊にわたる短編連作『悪女シリーズ』、後年にテレビドラマ化された長編『独りまつり』等の愛憎物語を経て、『ねんね...しな』等の怪談の長編短編も描き始めている。昭和初期の日本的情緒の中で女の魔性を描く『小間使い』等の短編は、1990年代に入ってから泉鏡花原作『夜叉ヶ池』等の近代文学の漫画化にもつながり、同時期には長編『かおるの最後の顔』短編『華燭』メアリ・H・クラーク原作『永遠の闇に眠れ』等、現代を舞台にしたミステリの佳作も多い。画面全体から醸し出される詩情の深さは、2000年代に入ってからの江戸時代物『ライオンの城』等にも受け継がれている。1993年(平成5年)にスタートし、中国四大奇書を原典とした『金瓶梅』は2011年までおよそ18年に渡り連載し、作者にとって最長編作品となった。
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わたなべまさこ
1991年(平成3年)から2003年(平成15年)にかけて、ホーム社発行・集英社発売で刊行された選集『わたなべまさこ名作集』では、画業50年を越える各時代の多彩な作品群が100冊に収録されている。デビュー以降のわたなべまさこの単行本は様々な出版社から刊行されてきたが、この名作集で初めて単行本化された作品も少なくない。 2008年(平成20年)には、双葉社から『まんがと生きて』(ISBN 4575300888)を刊行した。 2017年(平成29年)に、宝島社の「このマンガがすごい!comics」から44年ぶりになる描き下ろしの完全新作第0話を収録した『聖[セイント]ロザリンド』が再版された。 2020年(令和2年)には齢91にして、集英社女性向け漫画アプリ「マンガMee」にて初の電子配信による完全新作『秘密 -ひめごと-』を短期集中連載した。 収録単行本の詳細、および貸本漫画出版社の作品群は、わたなべまさこ名作集 名作集の詳細は、わたなべまさこ名作集を参照 レディースコミック誌 掲載作品(青年漫画誌を含む)
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わたべ淳
わたべ 淳(わたべ じゅん、本名:渡部 淳、6月17日 - )は、日本の漫画家。東京都新宿区西落合出身。血液型はAB型。代表作に『レモンエンジェル』などがある。 妻は漫画家の高見まこで、堀田あきお、石坂啓らとともに手塚治虫のアシスタントの同期である。 手塚治虫のアシスタントを務め、1978年『リリカ』落葉の号(サンリオ)にて、手塚の代原として手塚プロの先輩4人と4ページずつ描いた『手塚プロ騒動記 今日の勝負はこれまでじゃ〜!』でデビュー(わたべじゅん名義)。 1980年、『海へ・・・』でヤングジャンプ月例賞佳作受賞、同誌18号に掲載される。 現在、『オートバイ』(モーターマガジン社)にて、『ホウキとオートバイ』を連載中。
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LMTO
LMTO法(Linear Muffin-Tin Orbital Method: 線形化されたマフィンティン軌道による方法)は、比較的計算が高速な第一原理バンド計算手法。精度がLAPWより若干劣る。線形化されたバンド計算手法では、ゴーストバンドの問題が生じることがある。平面波を利用するのと違い、原子軌道を直接扱っているため、Hubbardモデルなどへのマップなどが比較的容易にできる。局所的クーロン相互作用による局在性を取り入れたLDA+U法、LDA+DMFT法が最初に適用された手法である。 FP-LMTO(Full-potential LMTO, FLMTO)は、フルポテンシャル化されたLMTO法のこと。 TB-LMTO(Tight-binding LMTO)は、強結合近似を基にしたLMTO法のこと。通常のLMTO法やFP-LMTO法より高速だが、精度は劣る場合がある。
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フルポテンシャル
フルポテンシャル(英: full potential)とは、バンド計算において、一般の形状のポテンシャルにバンド計算手法を対応させることである。 APW法、LAPW法、LMTO法、KKR法の各バンド計算手法では、球対称なマフィンティンポテンシャルを使用している。しかし、現実のポテンシャルの形状は球対称とみなせない場合があり、この場合精度上、計算上の制約は大きい。この球対称であるという制約を受けずに一般の形状のポテンシャルに、これらバンド計算手法を対応させることがフルポテンシャル化である。 フルポテンシャル化によりそれぞれの計算手法の略称表記は次のようになる。
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シュレーディンガー方程式
シュレーディンガー方程式(シュレーディンガーほうていしき、英: Schrödinger equation)とは、物理学の量子力学における基礎方程式である。 シュレーディンガー方程式という名前は、提案者であるオーストリアの物理学者エルヴィン・シュレーディンガーにちなむ。1926年にシュレーディンガーは量子力学の基礎理論に関する一連の論文を提出した。 シュレーディンガー方程式の解は一般的に波動関数と呼ばれる。波動関数はまた状態関数とも呼ばれ、量子系(電子など量子力学で取り扱う対象)の状態を表す。シュレーディンガー方程式は、ある状況の下で量子系が取り得る量子状態を決定し、また系の量子状態が時間的に変化していくかを記述する。あるいは、波動関数を量子系の状態を表すベクトルの成分と見た場合、シュレーディンガー方程式は状態ベクトルの時間発展方程式に置き換えられる。状態ベクトルによる記述は波動関数を用いた場合と異なり物理量の表現によらないため、より一般的である。シュレーディンガー方程式では、波動関数や状態ベクトルによって表される量子系の状態が時間とともに変化するという見方をする。状態が時間変化するという考え方はシュレーディンガー描像と呼ばれる。 シュレーディンガー方程式はその形式によっていくつかの種類に分類される。 ひとつの分類は時間依存性で、時間に依存するシュレーディンガー方程式と時間に依存しないシュレーディンガー方程式がある。時間に依存するシュレーディンガー方程式(英: time-dependent Schrödinger equation; TDSE)は、波動関数の時間的変化を記述する方程式であり、波動関数の変化の仕方は波動関数にかかるハミルトニアンによって決定される。解析力学におけるハミルトニアンは系のエネルギーに対応する関数だったが、量子力学においてはエネルギー固有状態を決定する作用素である。 時間に依存しないシュレーディンガー方程式(英: time-independent Schrödinger equation; TISE)はハミルトニアンの固有値方程式である。時間に依存しないシュレーディンガー方程式は、系のエネルギーが一定に保たれる閉じた系に対する波動関数を決定する。
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シュレーディンガー方程式
シュレーディンガー方程式のもう1つの分類として、方程式の線型性がある。通常、線型なシュレーディンガー方程式は単にシュレーディンガー方程式と呼ばれる。線型なシュレーディンガー方程式は斉次方程式であるため、方程式の解となる波動関数の線型結合もまた方程式の解となる。 非線型シュレーディンガー方程式(英: non-linear Schrödinger equation; NLS)は、通常のシュレーディンガー方程式におけるハミルトニアンにあたる部分が波動関数自身に依存する形の方程式である。シュレーディンガー方程式に非線型性が現れるのは例えば、複数の粒子が相互作用する系について、相互作用ポテンシャルを平均場近似することにより一粒子に対するポテンシャルに置き換えることによる。相互作用ポテンシャルが求めるべき波動関数自身に依存する一体ポテンシャルとなる場合、方程式は非線型となる(詳細は例えばハートリー=フォック方程式、グロス=ピタエフスキー方程式などを参照)。本項では主に線型なシュレーディンガー方程式について述べる。 シュレーディンガー描像では、量子系の時間的変化はその量子系の状態ベクトルや波動関数がその情報を持っていると考える。量子系の状態ベクトルおよび波動関数の時間的変化は、時間に依存するシュレーディンガー方程式によって記述される。状態ベクトル |ψ(t)⟩に関するシュレーディンガー方程式は一般に以下のように表される。 i ħ d d t | ψ ( t ) ⟩ = H ^ | ψ ( t ) ⟩ . {\displaystyle i\hbar {\frac {d}{dt}}|\psi (t)\rangle ={\hat {H}}|\psi (t)\rangle \,.} ここで i は虚数単位、d/dt は時間に関する微分、 ħ = h / 2 π {\displaystyle \hbar =h/2\pi } はディラック定数である。状態ベクトルの時間微分はヒルベルト空間の元を値に持つ実変数関数の(強)微分として導入される。状態ベクトルの微分とは、以下に示すように、すべての時刻 t において状態ベクトル |ψ(t)⟩ の差分商との差のノルムが 0 に収束するような導関数 d/dt|ψ(t)⟩ のことである。
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シュレーディンガー方程式
lim h → 0 ‖ | ψ ( t + h ) ⟩ − | ψ ( t ) ⟩ h − d d t | ψ ( t ) ⟩ ‖ = 0 f o r a l l t ∈ R . {\displaystyle \lim _{h\to 0}\left\|{\frac {|\psi (t+h)\rangle -|\psi (t)\rangle }{h}}-{\frac {d}{dt}}|\psi (t)\rangle \right\|=0\qquad \mathrm {for~all~~} t\in \mathbb {R} .} ˆH は系全体の力学的エネルギーを表す演算子で、ハミルトニアンと呼ばれる。ハミルトニアンの具体的な中身は考える系に応じて異なり、対応する古典系のハミルトニアンを正準量子化して求めることが多い。 ハミルトニアンは自己共役な演算子であることが要請されるが、ハミルトニアンを自己共役とは限らない一般の線型演算子 ˆL に置き換えた方程式 i ħ d d t | ψ ( t ) ⟩ = L ^ | ψ ( t ) ⟩ {\displaystyle i\hbar {\frac {d}{dt}}|\psi (t)\rangle ={\hat {L}}|\psi (t)\rangle } もまたシュレーディンガー方程式と呼ばれる。 シュレーディンガー方程式は非相対論的な方程式であり、相対論的領域に対してそのまま適用することはできない。しかし、ディラック方程式を変形することで相対論的なハミルトニアンを得ることができ、形式的にシュレーディンガー方程式と同様の形に表すことができる。 時間に依存するシュレーディンガー方程式は時間発展演算子を用いて形式的に解を求めることができる。初期条件を | ψ ( t 0 ) ⟩ = | ψ 0 ⟩ {\displaystyle |\psi (t_{0})\rangle =|\psi _{0}\rangle } として、各時刻の状態ベクトルを時間発展演算子 ˆU(t − t0) を用いて | ψ ( t ) ⟩ = U ^ ( t − t 0 ) | ψ 0 ⟩ {\displaystyle |\psi (t)\rangle ={\hat {U}}(t-t_{0})|\psi _{0}\rangle }
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シュレーディンガー方程式
として、各時刻の状態ベクトルを時間発展演算子 ˆU(t − t0) を用いて | ψ ( t ) ⟩ = U ^ ( t − t 0 ) | ψ 0 ⟩ {\displaystyle |\psi (t)\rangle ={\hat {U}}(t-t_{0})|\psi _{0}\rangle } と書き換える。初期条件を満たすためには時間発展演算子は初期時刻において恒等演算子に等しくなければならない:ˆU(0) = I。 時間発展演算子による置き換えをすることにより、シュレーディンガー方程式は時間発展演算子に関する微分方程式となる。 d d t U ^ ( t − t 0 ) = 1 i ħ H ^ ( t ) U ^ ( t − t 0 ) . {\displaystyle {\frac {d}{dt}}{\hat {U}}(t-t_{0})={\frac {1}{i\hbar }}{\hat {H}}(t){\hat {U}}(t-t_{0})\,.} この方程式は以下の積分方程式に置き換えることができる。 U ^ ( t − t 0 ) = I + 1 i ħ ∫ t 0 t H ^ ( t 1 ) U ^ ( t 1 − t 0 ) d t 1 . {\displaystyle {\hat {U}}(t-t_{0})=I+{\frac {1}{i\hbar }}\int _{t_{0}}^{t}{\hat {H}}(t_{1}){\hat {U}}(t_{1}-t_{0})dt_{1}\,.} 積分方程式の右辺を再帰的に展開することにより無限級数として解が求まる。
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シュレーディンガー方程式
積分方程式の右辺を再帰的に展開することにより無限級数として解が求まる。 U ^ ( t − t 0 ) = I + 1 i ħ ∫ t 0 t H ^ ( t 1 ) d t 1 + ⋯ + ( 1 i ħ ) n ∫ t 0 t ⋯ ∫ t 0 t n − 1 H ^ ( t 1 ) ⋯ H ^ ( t n ) d t 1 ⋯ d t n + ⋯ . {\displaystyle {\begin{aligned}{\hat {U}}(t-t_{0})&=I+{\frac {1}{i\hbar }}\int _{t_{0}}^{t}{\hat {H}}(t_{1})dt_{1}+\cdots \\&+\left({\frac {1}{i\hbar }}\right)^{n}\int _{t_{0}}^{t}\cdots \int _{t_{0}}^{t_{n-1}}{\hat {H}}(t_{1})\cdots {\hat {H}}(t_{n})dt_{1}\cdots dt_{n}+\cdots \,.\end{aligned}}} 積分中のハミルトニアンに時間順序演算子 T を作用させ、ハミルトニアンの積を時間順序積に置き換えれば、積分の順序を時間順序演算子に担わせることができる。ハミルトニアンの積の置換は n! 通りあるため、上記の級数は
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シュレーディンガー方程式
積分中のハミルトニアンに時間順序演算子 T を作用させ、ハミルトニアンの積を時間順序積に置き換えれば、積分の順序を時間順序演算子に担わせることができる。ハミルトニアンの積の置換は n! 通りあるため、上記の級数は U ^ ( t − t 0 ) = I + 1 i ħ ∫ t 0 t H ^ ( t 1 ) d t 1 + ⋯ + ( 1 i ħ ) n 1 n ! ∫ t 0 t ⋯ ∫ t 0 t T { H ^ ( t 1 ) ⋯ H ^ ( t n ) } d t 1 ⋯ d t n + ⋯ . {\displaystyle {\begin{aligned}{\hat {U}}(t-t_{0})&=I+{\frac {1}{i\hbar }}\int _{t_{0}}^{t}{\hat {H}}(t_{1})dt_{1}+\cdots \\&+\left({\frac {1}{i\hbar }}\right)^{n}{\frac {1}{n!}}\int _{t_{0}}^{t}\cdots \int _{t_{0}}^{t}\operatorname {T} \left\{{\hat {H}}(t_{1})\cdots {\hat {H}}(t_{n})\right\}dt_{1}\cdots dt_{n}+\cdots \,.\end{aligned}}} と書き換えられる。指数関数の級数展開からのアナロジーにより、記述の煩雑さを避けるため時間発展演算子は以下のように略記される。 U ^ ( t − t 0 ) = T exp ( 1 i ħ ∫ t 0 t H ^ ( t ′ ) d t ′ ) . {\displaystyle {\hat {U}}(t-t_{0})=\operatorname {T} \exp \left({\frac {1}{i\hbar }}\int _{t_{0}}^{t}{\hat {H}}(t')dt'\right).} 特にハミルトニアンが時間に依存しない場合、時間発展演算子は単に演算子の指数関数となる。
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シュレーディンガー方程式
特にハミルトニアンが時間に依存しない場合、時間発展演算子は単に演算子の指数関数となる。 U ^ ( t − t 0 ) = exp ( ( t − t 0 ) i ħ H ^ ) . {\displaystyle {\hat {U}}(t-t_{0})=\exp \left({\frac {(t-t_{0})}{i\hbar }}{\hat {H}}\right).} ハミルトニアンが時間に依存しない例として、ポテンシャル V が時間に依存しない一般の多体系のハミルトニアン H ^ = ∑ k = 1 N p ^ k 2 2 m k + V ( x ^ 1 , ... , x ^ N ) {\displaystyle {\hat {H}}=\sum _{k=1}^{N}{\frac {{\hat {p}}_{k}^{2}}{2m_{k}}}+V({\hat {x}}_{1},\ldots ,{\hat {x}}_{N})} が挙げられる。p は粒子の運動量、x は粒子の位置を表す演算子である。m は粒子の質量であり、それぞれの定数や演算子の添字 k は観測された各粒子を番号付けるものである。また N は系の粒子数を表す。 ハミルトニアンが時間に依存する例としては、量子系が外界と相互作用する場合が挙げられ、特に有名なものとして古典的な電磁場と相互作用する電子のハミルトニアンがある。 H ^ = 1 2 m ( p ^ + e A ( x ^ , t ) ) 2 − e Φ ( x ^ , t ) . {\displaystyle {\hat {H}}={\frac {1}{2m}}\left({\hat {\boldsymbol {p}}}+e{\boldsymbol {A}}({\hat {\boldsymbol {x}}},t)\right)^{2}-e\Phi ({\hat {\boldsymbol {x}}},t)\,.} ここで A, Φ は電磁ポテンシャルであり、e は電気素量である。 ハミルトニアン ˆH の自己共役性と時間発展演算子 ˆU の初期条件から、時間発展演算子がユニタリ演算子であることが分かる。時間発展演算子の微分方程式 およびその共役演算子に関する微分方程式(ここでハミルトニアンの自己共役性を利用する) より時間発展演算子とその共役の積は
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シュレーディンガー方程式
ここで A, Φ は電磁ポテンシャルであり、e は電気素量である。 ハミルトニアン ˆH の自己共役性と時間発展演算子 ˆU の初期条件から、時間発展演算子がユニタリ演算子であることが分かる。時間発展演算子の微分方程式 およびその共役演算子に関する微分方程式(ここでハミルトニアンの自己共役性を利用する) より時間発展演算子とその共役の積は を満たす。初期条件 より任意の時刻について時間発展演算子はユニタリ性を持つ。 時間発展演算子がユニタリ演算子である場合、状態ベクトルの内積は保存される(つまり、状態ベクトルの内積は時間によらず一定である)。 後述するように状態ベクトルの内積が保存することは、物理的には測定に関する確率の保存則として理解できる。 量子力学において、物理量の固有状態を表す状態ベクトルは完全正規直交系をなすため、任意の状態ベクトルはある物理量の固有状態の線型結合に展開することができる。状態ベクトルを展開した際に各々の固有ベクトルにかかる展開係数を波動関数と呼ぶ。状態ベクトル | ψ ( t ) ⟩ {\displaystyle |\psi (t)\rangle } を位置演算子 ˆx の固有ベクトル | x ⟩ {\displaystyle |x\rangle } によって展開すれば、形式的に以下のように表すことができる。 | ψ ( t ) ⟩ = ∫ ψ ( x ′ , t ) | x ′ ⟩ d x ′ . {\displaystyle |\psi (t)\rangle =\int \psi (x',t)|x'\rangle dx'\,.} 特定の固有ベクトルに対する波動関数は、その双対ベクトル ⟨ x | {\displaystyle \langle x|} を状態ベクトル | ψ ( t ) ⟩ {\displaystyle |\psi (t)\rangle } にかけることで取り出すことができる。 ψ ( x , t ) = ⟨ x | ψ ( t ) ⟩ . {\displaystyle \psi (x,t)=\langle x|\psi (t)\rangle \,.} このことは固有ベクトルの正規性および直交性によっている。
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ψ ( x , t ) = ⟨ x | ψ ( t ) ⟩ . {\displaystyle \psi (x,t)=\langle x|\psi (t)\rangle \,.} このことは固有ベクトルの正規性および直交性によっている。 位置演算子の固有ベクトルにかかる波動関数を特に座標表示の波動関数と呼ぶ。シュレーディンガー方程式を座標表示の波動関数によって書き換えれば、 i ħ ∂ ψ ( x , t ) ∂ t = H ^ x ψ ( x , t ) {\displaystyle i\hbar {\frac {\partial \psi (x,t)}{\partial t}}={\hat {H}}_{x}\psi (x,t)} となる。波動関数は位置 x を変数に持つため、時間微分は偏微分に置き換えられる。ここでのハミルトニアンは H ^ x ψ ( x , t ) = ⟨ x | H ^ | ψ ( t ) ⟩ {\displaystyle {\hat {H}}_{x}\psi (x,t)=\langle x|{\hat {H}}|\psi (t)\rangle } として座標表示した波動関数に作用する演算子に置き換えられている。同様に運動量表示の波動関数のシュレーディンガー方程式を考えることもできる。座標表示や運動量表示の波動関数に対するシュレーディンガー方程式は単純な代数方程式ではなく、線型偏微分方程式となる。 波動関数に物理的な意味が与えられるには、波動関数の空間部分について二乗可積分である必要がある。 可積分性の条件は、波動関数に対して適切な境界条件を課すことで満足される。通常は更に波動関数の規格化条件 を満たすものが非物理的でない解として採用される。
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波動関数に物理的な意味が与えられるには、波動関数の空間部分について二乗可積分である必要がある。 可積分性の条件は、波動関数に対して適切な境界条件を課すことで満足される。通常は更に波動関数の規格化条件 を満たすものが非物理的でない解として採用される。 よく知られるように、波動関数の規格化条件は閉じた量子系での大域的な確率保存則と解釈される。確率解釈に基づく通常の量子論では時間発展しても確率が保存されなければならない。つまりどんな場合でもすべての事象の確率の合計は 100% (= 1) にならなければならない。この事とボルンの規則による確率の求め方(状態ベクトルとその双対ベクトルの積から求まる)より、状態ベクトルの時間発展はユニタリ変換でなければならないことが分かる。シュレーディンガー方程式を解くことで、「状態ベクトルの時間発展はユニタリ変換である」ということが導かれる。よって量子系の時間発展についての基本的な要請(原理)は、シュレーディンガー描像で記述する場合は、このシュレーディンガー方程式を採用して出発することが多い。しかし他にも「時間発展演算子が満たすべき条件」を基本的な要請として出発することもある。 シュレーディンガー方程式を解くと、その系の波動関数がどのように時間発展するかがわかる。 しかしシュレーディンガー方程式は、直接的に波動関数が正確に「何であるか」を語るわけではない。量子力学の解釈は全く別問題であり、「波動関数の根底にある現実と実験結果の間にある関係とは何か」というような問題を扱う。 コペンハーゲン解釈では、波動関数は物理系の完全な情報を与える。 重要な側面は、シュレーディンガー方程式と波動関数の収縮の関係である。 最初期のコペンハーゲン解釈では、粒子は波動関数の収縮の間を「除いて」シュレーディンガー方程式に従い、波動関数の収縮の間は全く異なる動きをする。 量子デコヒーレンスの出現は、別のアプローチ(エヴェレットの多世界解釈のような)を可能にした。それらではシュレーディンガー方程式が常に満たされ、波動関数の収縮はシュレーディンガー方程式から説明される。 後述する時間に依存しないシュレーディンガー方程式を満たす状態ベクトル |ψ⟩ として、 というものがある。これは時間依存するシュレーディンガー方程式も満たしている。
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後述する時間に依存しないシュレーディンガー方程式を満たす状態ベクトル |ψ⟩ として、 というものがある。これは時間依存するシュレーディンガー方程式も満たしている。 シュレーディンガー方程式の具体的な形は、適当なポテンシャルを決定することで得られる。ポテンシャルは粒子に付随する基本的な変数の関数として与えられる。ただし一般にはポテンシャルの変数は物理量の演算子であり、通常の意味での関数とは異なる。ポテンシャルの変数となる物理量はたとえば粒子の位置であり、スピンである。ポテンシャルは、外界から及ぼされる相互作用と対象とする量子系の粒子間に働く相互作用の二つがある。古典論と同じく一体のポテンシャルは、多体間ポテンシャルを何らかの意味で平均化したものと考えることができる。例えば原子核および内殻電子から外殻電子に及ぼされるクーロン相互作用は、原子核や内殻電子の運動が外殻電子の運動にほとんど影響を受けないならば、原子核と内殻電子に関係するポテンシャルの変数は固定され、二体間ポテンシャルを一体のポテンシャルに置き換えることができる。多体間ポテンシャルの例として最も基本的なものは粒子間のクーロン相互作用およびスピン相互作用である。応用上では有限の井戸型ポテンシャルやレナード-ジョーンズ・ポテンシャルなども利用される。 粒子系のハミルトニアンは前述のポテンシャルの他に、一般には粒子の運動エネルギーが加えられたものになる。具体的なハミルトニアンから波動関数を得るには、物理量の交換関係に従い物理量演算子の表現を決め、得られたハミルトニアンをシュレーディンガー方程式に適用し、その解を求める。 例えば以下の方程式は、位置演算子を掛け算演算子とした場合の一体のポテンシャルに対する一粒子の運動を表す。 m は物体の質量、V(x, t) はポテンシャルエネルギー、∇ はラプラシアン、ψ(x, t) は位置表示の波動関数である。 ハミルトニアンの中に微分演算子が含まれているため、これは線型偏微分方程式である。これは拡散方程式でもあるが、熱伝導方程式とは違って、時間微分の部分に虚数単位があることによって、波動方程式とも言える。
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m は物体の質量、V(x, t) はポテンシャルエネルギー、∇ はラプラシアン、ψ(x, t) は位置表示の波動関数である。 ハミルトニアンの中に微分演算子が含まれているため、これは線型偏微分方程式である。これは拡散方程式でもあるが、熱伝導方程式とは違って、時間微分の部分に虚数単位があることによって、波動方程式とも言える。 ハミルトニアンが時間に陽に依存しないものとして、時間に依存するシュレーディンガー方程式を時間と空間について変数分離すると、波動関数の空間部分に関する方程式としてハミルトニアンの固有値方程式が得られる。この固有値方程式を時間に依存しないシュレーディンガー方程式と呼ぶ。 ここで Ψ は波動関数の空間部分、E はエネルギー固有値である。時間に依存しないシュレーディンガー方程式の解はエネルギー固有状態と呼ばれる。 ハミルトニアンのエルミート性から、エネルギー固有状態は互いに直交する。互いに直交する状態間では遷移が起こらないため、固有状態は安定な状態として存在できる。空間部分がハミルトニアンの固有状態であるような波動関数は量子系の定常状態に対応し、定常状態の波動関数とか、単に定常状態とか呼ばれる。あるいは原子や分子に束縛された電子の波動関数に対しては、原子軌道や分子軌道といったように、古典模型の言葉を借用して軌道(英: orbital)と呼ぶこともある。 定常状態の波動関数の時間依存部分は以下のような指数関数で表される。 シュレーディンガー方程式の変数分離解は特別な定常状態の波動関数となるが、解の線型性から一般の波動関数をいくつかの定常状態の線型結合として表すことができる。 ここで Ek は k でラベル付けされたエネルギー固有値、ΨEk は対応する固有状態、cEk はそれぞれの定常状態の確率的な重みを表す複素数である。 時間に依存しないシュレーディンガー方程式に対して、磁場のない一粒子系のハミルトニアン を与えると以下のようになる。 上記のハミルトニアンはポテンシャル V(x) を具体的に決めていないが、実際の取り扱いでは、ポテンシャルを具体的な関数として定めたり、何らかの意味で素性の良い関数であることを要求する必要がある。
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時間に依存しないシュレーディンガー方程式に対して、磁場のない一粒子系のハミルトニアン を与えると以下のようになる。 上記のハミルトニアンはポテンシャル V(x) を具体的に決めていないが、実際の取り扱いでは、ポテンシャルを具体的な関数として定めたり、何らかの意味で素性の良い関数であることを要求する必要がある。 何ら相互作用を受けていないような粒子を自由粒子という。自由粒子に対するハミルトニアンにはポテンシャル項がないため (V(x) = 0)、一次元系のシュレーディンガー方程式は以下のようになる。 自由粒子のエネルギー固有値 E は、ハミルトニアンが運動エネルギー演算子に対応するため、粒子が持つ運動エネルギーに対応する。エネルギー固有値の正負によってシュレーディンガー方程式の解の振る舞いは大きく異なる。 エネルギー固有値が正の場合 (E > 0)、自由粒子のシュレーディンガー方程式の解は振動解となる(C1, C2 は任意定数)。 一方、エネルギー固有値が負の場合 (E < 0)、自由粒子のシュレーディンガー方程式の解は指数解となる。 指数解は無限遠での発散などにより、物理的な要請を満たさないため、非物理的な解として扱われる。ただし、トンネル効果のように、部分的に波動関数が指数的な振る舞いをすることは許されている。 自由粒子のシュレーディンガー方程式は、例えば金属中の伝導電子の運動や、無限遠で平坦なポテンシャルを持つ系におけるポテンシャルの束縛を逃れた粒子の振る舞いを調べることなどに応用される。 ポテンシャルが一定V = V 0 の場合、シュレーディンガー方程式の解はエネルギーが古典的に許されるかどうかによって異なり、E > V 0 のときは振動解、E < V 0 のとき指数解になる。振動解では粒子は古典的に許されたエネルギーを持ち、解は実際の古典的な運動に対応する。一方で指数解では粒子は古典的に許されないエネルギーを持ち、トンネル効果のため、古典的に許されない領域へも波動関数が滲むことを記述する。ポテンシャルV 0 が無限に大きい場合、運動は古典的な有限の領域に制限される。つまり、全ての解は充分遠方で指数的になる。減少的な指数解によりエネルギー準位は、allowed energies (許容準位)と呼ばれる離散集合に制限する。 調和振動子のシュレーディンガー方程式は
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調和振動子のシュレーディンガー方程式は 注目すべきこととして、この量子系は解が厳密に求まり(しかしエルミート多項式のために複雑)、また、振動する原子や分子やまた格子上の原子やイオン、あるいは平衡点近傍で近似したポテンシャルを持つ系など、他の幅広い系を記述し、あるいは近似することができる。このことはまた量子力学における摂動論の基礎を成している。 調和振動子のシュレーディンガー方程式の解は、一般にエルミート多項式を用いて表される。位置表示の波動関数については以下のように与えられる。 ここでn = 0,1,2,... であり、関数Hn はエルミート多項式である。 シュレーディンガー方程式の形式は、水素原子に応用ができる。 e は電気素量で、r は電子の位置(r = |r | は位置ベクトルの大きさで、原点からの距離を表す)、ハミルトニアンのポテンシャル項はクーロンの法則を表し、ε0 は真空の誘電率で は、質量mp の水素原子核(プロトン)と質量me の電子の二体換算質量である。陽子と電子は逆の電荷を持つから、ポテンシャルの項に負符号が現れる。電子質量の代わりに換算質量が使われるのは、電子と陽子が互いに共通の質量中心の周りを運動しているためであり、解くべき問題は二体問題になる。ここでは主に電子の運動に興味があるので、等価な一体問題として、換算質量を使った電子の運動を解くことになる。 水素に対する波動関数は電子の座標の関数で、実際にはそれぞれの座標の関数に分離できる。普通はこれは球面座標系でなされる: R ( r ) {\displaystyle \scriptstyle R(r)} は動径関数で、 Y l m ( θ , φ ) {\displaystyle \scriptstyle Y_{\ell }^{m}(\theta ,\phi )\,} は次数 l と位数m の球面調和関数である。水素原子はシュレーディンガー方程式が厳密に解かれる唯一の原子である。多電子原子は近似方法を必要とする。解の仲間は ここで 中性のヘリウム原子(He, Z = 2)や、陰性の水素イオン(H, Z = 1)、陽性のリチウムイオン(Li, Z = 3)のような、いかなる二電子系に対する方程式は、
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ここで 中性のヘリウム原子(He, Z = 2)や、陰性の水素イオン(H, Z = 1)、陽性のリチウムイオン(Li, Z = 3)のような、いかなる二電子系に対する方程式は、 r 1 はひとつの電子の位置(r 1 = |r 1| はその大きさ)で、r 2 はもうひとつの電子の位置(r2 = |r 2| はその大きさ)である。r 12 = |r 12| はそれらの間の距離の大きさであり、r 12 は以下で与えられる。 μ は再び質量M の原子核に対応した電子の二体換算質量であり、ここでは そして、Z は元素に対する原子番号である(量子数ではない)。 2 つのラプラシアンの交差項 は、mass polarization term として知られ、原子核の運動が原因で現れる。波動関数は 2 つの電子の位置の関数である。 この方程式に対する閉形式解はない。 シュレーディンガー方程式とその解は物理学を飛躍的に進歩させた。シュレーディンガー方程式の解からは当時は予想できなかった結論が得られた。 シュレーディンガー方程式は、物理量は量子化される(離散的な値だけが現れる)事があると予測する。例としてエネルギーの量子化があり、原子中の電子のエネルギーは常に離散的になる。これを表したのがエネルギー準位であり、これは原子分光分析で確認されている。また他の例として角運動量の量子化がある。これは初期のボーアの原子模型の時には仮定であったが、シュレーディンガー方程式から導出されるものである。 ただしすべての測定値が量子化されるわけではなく、例えば、位置や運動量、時間やエネルギーは、連続した範囲の値を取り得る。
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ただしすべての測定値が量子化されるわけではなく、例えば、位置や運動量、時間やエネルギーは、連続した範囲の値を取り得る。 古典力学では、粒子は常に定まった位置と運動量の組を持つ。これらの値はニュートン力学や一般相対論に従って、決定論的に変化する。しかし量子力学では、粒子は定まった物理量を持たず、観測するたびにある確率分布に従ってランダムに測定結果が決まる。シュレーディンガー方程式はその確率分布を予測するが、本質的に個々の観測の正確な結果を予想することは出来ない。不確定性原理は量子力学が本来的に持つ不確実性の有名な例である。それは、より正確に粒子の位置を確認すると運動量が曖昧になり、その逆も同様となることを主張している。シュレーディンガー方程式は、粒子の波動関数の決定論的な時間発展を説明する。しかし波動関数が厳密に分かったとしても、その波動関数に対して行われる具体的な観測の結果を決める事はできない。 古典物理学では、ボールをゆっくりと山の頂上に向けて転がすと、やがてボールは止まり、転がって戻ってくる。これはボールが山の頂上に辿り着き反対側へ行くのに必要なエネルギーを持っていないためである。しかしシュレーディンガー方程式は、ボールが頂上へたどり着くのに十分なエネルギーを持っていなくても、山の反対側へ到達する小さな可能性が存在することを予想している。これがトンネル効果と呼ばれている。これは不確定性原理に関係している。ボールが山のこちら側にいるように見えても、その位置は不確実であり、反対側で確認される可能性がある。 非相対論的なシュレーディンガー方程式は波動方程式とも呼ばれる偏微分方程式の一種である。そのためよく粒子は波として振る舞うのだと言われる。現代の多くの解釈ではこの逆に、量子状態(つまり波)が純粋な物理的実在であり、ある適切な条件の下では粒子としての性質を示すのだとされる。 二重スリット実験は、通常は波が示す、直感的には粒子と関連しない奇妙な振る舞いの例として有名である。ある場所では二つのスリットから来た波同士が打ち消し合い、別の場所では強め合うことで、複雑な干渉縞が現れる。直感的には1個の粒子のみを打ち出した時には、どちらかのスリットのみを通り両方のスリットからの寄与の重ね合わせにならないため、干渉縞は現れないように感じられる。
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二重スリット実験は、通常は波が示す、直感的には粒子と関連しない奇妙な振る舞いの例として有名である。ある場所では二つのスリットから来た波同士が打ち消し合い、別の場所では強め合うことで、複雑な干渉縞が現れる。直感的には1個の粒子のみを打ち出した時には、どちらかのスリットのみを通り両方のスリットからの寄与の重ね合わせにならないため、干渉縞は現れないように感じられる。 ところが、シュレーディンガー方程式は波動方程式であるから、一粒子のみを二重スリットに打ち出した時にも同じ干渉縞が「現れる」(左図)。なお、干渉縞が現れるためには実験を繰り返し何度も行う必要がある。このように干渉縞が現れるという事は個々の電子が「両方」のスリットを同時に通る事を示している。直感と反する事ではあるが、この予言は正しく、この考えで電子回折や中性子回折をよく理解でき、科学や工学で広く使われている。 回折の他に、粒子は重ね合わせや干渉の性質を示す。重ね合わせの性質によって、粒子は古典的には異なる 2 つ以上の状態を同時にとる事ができる。例えば、粒子は同時に複数のエネルギーを持つことや、異なる場所に同時にいる事ができる。二重スリットの実験の例では 2 つのスリットを同時に通ることができるのである。古典的なイメージに反する事ではあるがこの重ね合わせ状態は一つの量子状態のままである。 最も単純な波動関数は平面波である: ここでA は平面波の振幅、k は波数ベクトル、ω は角振動数を表す。一般には、純粋な平面波だけで物理系を記述することはできないが、一般に重ね合わせの原理が成り立つため、すべての波は正弦の平面波の重ね合わせによって作られる。シュレーディンガー方程式が線型なら、平面波の線型結合も解として許される。従って、重ね合わせの原理が成り立つならば、シュレーディンガー方程式は線形微分方程式になる必要がある。 波数k が離散的な場合には、平面波の重ねあわせは単純に複数の波数をもつ平面波の和で表現される: 波数k が連続的な場合には和ではなく積分で表され、波動関数 Ψ(r , t ) は波数空間の波動関数のフーリエ変換となる。
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波数k が離散的な場合には、平面波の重ねあわせは単純に複数の波数をもつ平面波の和で表現される: 波数k が連続的な場合には和ではなく積分で表され、波動関数 Ψ(r , t ) は波数空間の波動関数のフーリエ変換となる。 ここでd k = dkx dky dkz は波数空間での微小体積であり、積分は波数空間の全体にわたって行われる。運動量波動関数 Φ(k ) が被積分関数として現れているが、これは、位置の波動関数と運動量の波動関数が互いのフーリエ変換であることから生じる。 粒子の全エネルギーE は、運動エネルギーT と位置エネルギーV の和である。この和は古典力学では、ハミルトニアンH を表すためにもよく使われる。 明示的に、一次元の粒子について、位置をx 、質量をm 、運動量をp 、位置と時刻t によって変化するポテンシャルエネルギーをV (x , t ) とすると 三次元では、位置ベクトルr と運動量ベクトルp が使われる。 この形式は任意の一定数の粒子の集まりにまで拡大できる。つまり、系の全エネルギーは全ての粒子の運動エネルギーと、系のポテンシャルエネルギーを足しあわせたものであり、またハミルトニアンでもある。しかし、粒子間には相互作用(多体問題)がある可能性があるため、系のポテンシャルエネルギーV は全粒子の空間的な配置の変化と、あるいは時間によって変化する。一般的には系のポテンシャルエネルギーは、それぞれの粒子の持つ位置エネルギーの合計ではなく、粒子のすべての空間位置の関数である。明示的に書くと、 シュレーディンガー方程式は、その解が波のような動きを表現する関数であるので、数学的には波動方程式と言える。 普通、物理学での波動方程式は他の物理的法則から導かれる。例えば弦や物体の自然振動の波動方程式はニュートンの法則から求められ、そこでは波動関数は物質の変位を表す。電磁波はマクスウェルの方程式から導かれ、そこでは波動関数は電場と磁場を表す。 その一方で、シュレーディンガー方程式の基礎は粒子のエネルギーと、量子力学の仮定である。すなわち、波動関数は系の記述である。シュレーディンガー方程式はそれゆえ、ファインマンが言うように、それ自身の新しい概念である。
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シュレーディンガー方程式
その一方で、シュレーディンガー方程式の基礎は粒子のエネルギーと、量子力学の仮定である。すなわち、波動関数は系の記述である。シュレーディンガー方程式はそれゆえ、ファインマンが言うように、それ自身の新しい概念である。 この方程式は、古典的なエネルギー保存則に立脚する線型微分方程式という構造を持ち、ド・ブロイの関係と整合的である。その解は波動関数 Ψ であり、それは系について知りうる全ての情報を含んでいる。コペンハーゲン解釈では、Ψ の絶対値 |Ψ| は、粒子がある瞬間にある空間配置にいる確率に関係する。方程式を解いて波動関数 Ψ を得れば、具体的なポテンシャルの影響下で粒子が互いに影響し合いながらどのように振る舞うかが予測できる。 シュレーディンガー方程式は原理的には、波動方程式が粒子を記述し得るという、ド・ブロイの仮説を基に成り立ち、後述する方法で構成される。より厳密なシュレーディンガー方程式の数学的導出については例えば を参照。 アインシュタインの光電効果仮説(1905年)によれば、光子のエネルギーE は、光の対応する光量子波束の周波数 ν(もしくは角周波数 ω = 2πν)に比例する。 同様に、ド・ブロイの仮説(1924年)によれば、どのような粒子も波と関連付けることができ、その粒子の運動量p は、波数ベクトルk に比例する: 特に、1 次元の運動では波数ベクトルk の絶対値は波長 λ に反比例する (k = 2π/λ)。従って、1 次元の運動に限定すれば、上の式は波長 λ を使って以下のように書くこともできる: プランク-アインシュタインの関係とド・ブロイの関係 は、運動量と空間、時間とエネルギーの間の深い関係を照らしており、波動性と粒子性の二重性を表している。ħ = 1 となるような自然単位系を用いて、方程式 を以下の恒等式 にするとより明白となる。 このような単位系の下では、エネルギーと角振動数は時間の逆数として同じ次元を持ち、運動量と波数は長さの逆数の次元を持つ。したがって、エネルギーと角振動数、運動量と波数は互いに同じものとして入れ替えて使うことができる。自然単位系を用いることによって文字の重複を防ぎ、現れる物理量の次元を減らすことができる。しかしながら自然単位系は馴染みがないため、本稿では以降も国際単位系を用いる。
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このような単位系の下では、エネルギーと角振動数は時間の逆数として同じ次元を持ち、運動量と波数は長さの逆数の次元を持つ。したがって、エネルギーと角振動数、運動量と波数は互いに同じものとして入れ替えて使うことができる。自然単位系を用いることによって文字の重複を防ぎ、現れる物理量の次元を減らすことができる。しかしながら自然単位系は馴染みがないため、本稿では以降も国際単位系を用いる。 1925年の終わり、シュレーディンガーの見識は、平面波の位相は以下の関係を使って複素数の力率として表した。 そして空間に対する一次偏微分を そして時間に対して 導関数を示す もう一つの量子力学の仮定は、すべてのオブザーバブルは波動関数に作用する自己共役な線型演算子で表され、その演算子の固有値はオブザーバブルの取り得る値になる。前の導関数は、時間微分に対応するエネルギー演算子と 空間微分(ナブラ)に対応する運動量演算子を導く。 ハット (^) は、観測量が演算子であることを示す。演算子は通常の数では表されず、運動量やエネルギーの演算子は微分演算子で表されるが、位置やポテンシャルエネルギーの演算子に関してはただの掛け算演算子になる。面白い点は、エネルギーは時間に関して対称性で、運動量は空間に関して対称性であり、そしてそれらの対称性はエネルギーと運動量の保存則が成り立つ理由である。ネーターの定理を参照。 エネルギー方程式に Ψ を掛け、エネルギー・運動量演算子を置換する。 すぐにシュレーディンガーに彼の方程式を導く。 これらの方程式から、粒子と波の二重性について次のような評価が与えられる。運動エネルギーT は運動量p の二乗に関係する。粒子の運動量が増えれば、運動エネルギーはより早く増加する。しかし波数k が増加するため、波長 λ が減少する。 そして運動エネルギーは二次空間微分に比例するから、波の曲率の強さにも比例する。 曲率が増えるごとに、波の振幅はより速く交互に正負を動き、波長を短くする。運動量と波長の逆比例の関係は粒子の持つエネルギーに整合し、すべての数式で、粒子のエネルギーは波と結び付けられる。
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そして運動エネルギーは二次空間微分に比例するから、波の曲率の強さにも比例する。 曲率が増えるごとに、波の振幅はより速く交互に正負を動き、波長を短くする。運動量と波長の逆比例の関係は粒子の持つエネルギーに整合し、すべての数式で、粒子のエネルギーは波と結び付けられる。 シュレーディンガーが要求したのは以下のようなことである: 位置がr の近くであり, 波数ベクトルがk の近くであるような波束を表す解は, k (従って速度)の広がりがr の広がりを顕著に増やすようなことがないくらいに十分に短い時間内で, 古典力学で決定される曲線を描く。 与えられたk の広がりに対して、速度の広がりはプランク定数に比例するから、プランク定数をゼロに近似したとき、古典力学での方程式は量子力学から導出されると言われる。その極限がどのように取られるか、またどんな状況でかという点で細心の注意が払われる必要がある。 短波長極限はプランク定数をゼロに近似することと等価である。なぜならこれは、波束の局在性を極限まで強め, 粒子を特定の位置に局在化させることだからである(右図を参照)。ハイゼンベルクの不確定性原理を位置と運動量に対して使うと、位置の不確定性と運動量の不確定性の積は、ħ → 0に従ってゼロとなる。 ここでσ は観測量の偏差の二乗平均平方根であり、位置x と運動量px (y とz についても同様)がこの任意の精度で知られるのはこの極限においてでしかない、ということが示唆される。 シュレーディンガー方程式の一般式 はハミルトン-ヤコビ方程式 と密接に関連している。 ここでS は作用、H は古典力学におけるハミルトニアン関数(演算子ではない)。ハミルトン-ヤコビ方程式で使われる一般化座標系qi (i = 1,2,3) は、r = (q 1, q 2, q 3) = (x, y, z ) としてデカルト座標系の位置に置き換えられる。 代入式 ここで ρ(r , t ) はシュレーディンガー方程式に対する確率振幅である。この波動関数を代入した方程式で極限 ħ → 0を取り、ハミルトン-ヤコビ方程式を導く。 関わりあいは、
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シュレーディンガー方程式
代入式 ここで ρ(r , t ) はシュレーディンガー方程式に対する確率振幅である。この波動関数を代入した方程式で極限 ħ → 0を取り、ハミルトン-ヤコビ方程式を導く。 関わりあいは、 古典力学における運動方程式はニュートン力学の運動の第2法則であり、これと等価な式としてオイラー=ラグランジュ方程式や正準方程式(ハミルトン方程式)がある。これらの方程式は、力学系の運動を解き、初期条件や系の配置を指定した時に任意の時間に力学系がどのように振る舞うかを数学的に予測するために使われる。 他方で量子力学では、量子系(通常原子、分子、亜原子粒子のような自由か束縛されているか局在しているもの)のシュレーディンガー方程式が、古典力学における運動方程式に対応し、状態の時間発展を記述する。 ニュートンの運動の第2法則のように、シュレーディンガー方程式はヴェルナー・ハイゼンベルクの行列力学や、リチャード・P・ファインマンの経路積分のような等価な別の表現に書き換えることができる。 ニュートンの運動方程式と同じように、シュレーディンガー方程式における時間の扱いは、相対論的な記述にするには不都合である。この問題は行列力学では波動力学ほど深刻ではなく、経路積分の方法では全く問題にならない。 マックス・プランクの光の量子化(黒体輻射を参照)にしたがって、アルベルト・アインシュタインは、プランクの量子は光子(光の粒子)であると説明し、光子のエネルギーE はその振動数ν(または角周波数ω)に比例すると提案している(これが波動と粒子の二重性の最初の現れ)。 E = h ν = ħ ω . ( ħ = h 2 π ) {\displaystyle E=h\nu =\hbar \omega .\quad \left(\hbar ={\frac {h}{2\pi }}\right)} また、エネルギーと運動量は特殊相対性理論の角周波数と波数と同じ方法で関係しているから、光子の運動量p が波数k と比例関係にあることがわかる。
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シュレーディンガー方程式
E = h ν = ħ ω . ( ħ = h 2 π ) {\displaystyle E=h\nu =\hbar \omega .\quad \left(\hbar ={\frac {h}{2\pi }}\right)} また、エネルギーと運動量は特殊相対性理論の角周波数と波数と同じ方法で関係しているから、光子の運動量p が波数k と比例関係にあることがわかる。 ルイ・ド・ブロイは、粒子が電子のようなものでも、すべての粒子に対してこの式が正しいと仮説を立てた。 ド・ブロイは、物質波がそれと対応する粒子に伴って伝搬すると仮定すると、電子は定常波を形成する、つまり原子核のまわりで離散的な回転周波数のみが許されることを示した。 これらの量子化された軌道は不連続なエネルギー準位に対応し、ド・ブロイはボーアの原子模型がエネルギー準位を形成することを再現した。ボーアの原子模型は角運動量の量子化の仮定の上で成り立っている。 ド・ブロイによれば、電子は波で表現され、波長の数は電子の軌道の円周上にぴったり収まらねばならない。従って、 このアプローチは本質的に、電子の波を半径r の円周軌道に沿った一次元に限定して考えている。 1921年、ド・ブロイに先立ち、シカゴ大学のアーサー・C・ランが、今で言うド・ブロイの関係を導くために、相対性理論の四元運動量の完成を基にした同様の主張を使った。ド・ブロイと違って、ランはさらに進んで、現在シュレーディンガー方程式と呼ばれるところの微分方程式を定式化し、水素原子のエネルギーの固有値を解いた。不幸にもこの論文はフィジカル・レビューに却下されてしまった。Kamen はこの詳細を述べている。 ド・ブロイの理論が登場すると、物理学者ピーター・デバイは即座に、もし粒子が波として振る舞うなら、それらは何らかの形の波動方程式を満たすべきだと論評した。デバイの見解に刺激を受け、シュレーディンガーは電子の適切な 3 次元波動方程式を見つけようと決意した。シュレーディンガーは、光学と力学を結ぶウィリアム・ローワン・ハミルトンの類推に導かれた。それは、波長を 0 にする極限では光学系は力学系に似るという考え方である(ゼロ波長極限での光の経路は、フェルマーの原理に従った明確な軌跡を描く。光学におけるフェルマーの原理の力学における対応物は最小作用の原理である)。
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シュレーディンガー方程式
彼の論証を現代的な表現で以下に記述する。彼の発見した方程式は しかしそのとき既に、アルノルト・ゾンマーフェルトは相対論補正を使ってボーアの原子模型を改良していた。シュレーディンガーは相対性理論のエネルギーと運動量の関係を使って、現在ではクーロンポテンシャルにおけるクライン-ゴルドン方程式として知られるものを見つけようとした: 彼はこの相対論的方程式において定常波を発見したが、相対論補正はゾンマーフェルトの公式と一致しなかった。落胆して彼は計算をやめ、1925年12月、彼は人里離れた山小屋に引きこもってしまった。 山小屋でシュレーディンガーは、初期の非相対論的計算は発表に値する新しさがあると認め、将来にわたって相対論的修正の問題から手を引くことを決めた。水素原子におけるシュレーディンガー方程式の解の難しさ(後に彼は友人の数学者ヘルマン・ワイルに助けられている)にもかかわらず、シュレーディンガーは1926年に発表した論文で、彼の非相対論的な波動方程式は水素の正しいスペクトルのエネルギーを導出することを示している。 その方程式で、シュレーディンガーは水素原子の電子を波 Ψ(x , t ) として扱い、陽子によって作られるポテンシャルの井戸V の中で動くとした上で、水素スペクトル系列を計算した。この計算はボーアの原子模型のエネルギー準位を正確に再現した。論文でシュレーディンガーは自分でこの方程式を以下のように説明している。 この1926年の論文はアインシュタインに熱狂的に支持された。アインシュタインは物質波を自然の直感的な表し方として見ており、ハイゼンベルクの行列力学をあまりに形式的だと非難していた。
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シュレーディンガー方程式
この1926年の論文はアインシュタインに熱狂的に支持された。アインシュタインは物質波を自然の直感的な表し方として見ており、ハイゼンベルクの行列力学をあまりに形式的だと非難していた。 シュレーディンガー方程式は波動関数 Ψ の振舞いの詳細を述べるが、その本質について何も述べない。シュレーディンガーは 4 報目の論文で、これを電荷密度として理解しようとしたが、失敗した。1926年、シュレーディンガーの 4 報目かつ最後の論文が発表された数日後、マックス・ボルンは波動関数 Ψ を確率振幅(その絶対値の二乗 |Ψ| が確率密度に等しい)として解釈することに成功した。しかしシュレーディンガーは常に統計学的、確率的なアプローチと、それに関連した波動関数の崩壊を反対しており(アインシュタインのように、量子力学はその背後にある決定論に関する統計学的近似であると信じていた)、ついにコペンハーゲン解釈と和解することはなかった。 ド・ブロイは後年、比例係数によって複素関数と対応付けられる実数値波動関数を提唱し、ド・ブロイ=ボーム理論を生み出した。
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正準量子化
正準量子化(せいじゅんりょうしか、英: canonical quantization)とは、古典力学的な理論から量子力学的な理論を推測する手法(量子化)の一種である。具体的には、ハミルトン力学(ハミルトン形式の古典力学)での正準変数を、正準交換関係をみたすようなエルミート演算子に置き換える。この方法では、ハミルトン力学におけるポアソン括弧が、量子力学での交換関係に対応している。正準量子化により、古典力学では可換であった力学量(c-数、cはclassicalを表す)のなす代数は、量子力学では非可換な力学量(q-数、qはquantumを表す)のなす代数に移行する。 正準量子化とは、量子力学的な系を扱う際に、古典力学から量子力学での対応則を構成する手法である。その具体的な手続きは、以下のようにまとめられる。 2の操作を、より詳細に述べると以下のようになる。 古典的な正準変数 ( q , p ) {\displaystyle (q,\,p)} を、正準交換関係 [ q ^ , p ^ ] = i ħ {\displaystyle [{\hat {q}},{\hat {p}}]=i\hbar } をみたす演算子 ( q ^ , p ^ ) {\displaystyle ({\hat {q}},{\hat {p}})} に置き換える。 古典的な正準変数 ( q 1 , p 1 ; q 2 , p 2 ; ⋯ ; q N , p N ) {\displaystyle (q_{1},p_{1};q_{2},p_{2};\cdots ;q_{N},p_{N})} を、正準交換関係
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正準量子化
をみたす演算子 ( q ^ , p ^ ) {\displaystyle ({\hat {q}},{\hat {p}})} に置き換える。 古典的な正準変数 ( q 1 , p 1 ; q 2 , p 2 ; ⋯ ; q N , p N ) {\displaystyle (q_{1},p_{1};q_{2},p_{2};\cdots ;q_{N},p_{N})} を、正準交換関係 [ q ^ α , p ^ β ] = i ħ δ α β {\displaystyle [{\hat {q}}_{\alpha },{\hat {p}}_{\beta }]=i\hbar \delta _{\alpha \beta }} [ q ^ α , q ^ β ] = [ p ^ α , p ^ β ] = 0 α , β = 1 , ... , N {\displaystyle [{\hat {q}}_{\alpha },{\hat {q}}_{\beta }]=[{\hat {p}}_{\alpha },{\hat {p}}_{\beta }]=0\quad \alpha ,\beta =1,\dots ,N} をみたす演算子に置き換える。 正準量子化における演算子の不定性などの問題については、正準量子化における諸問題の項を参照のこと。 1次元の量子系を考え、波動関数の状態空間として、座標表示したものを選ぶ。すなわち、座標xと時間tの関数 ψ ( x , t ) {\displaystyle \psi (x,\,t)} のうち、自乗可積分なもの(座標表示の波動関数)全体が、系のヒルベルト空間をなす。ここで、座標 x {\displaystyle \,x} と正準共役運動量 p x {\displaystyle \,p_{x}} を、 x ^ ψ ( x , t ) = x ψ ( x , t ) {\displaystyle {\hat {x}}\psi (x,t)=x\psi (x,t)} p ^ x ψ ( x , t ) = − i ħ ∂ ∂ x ψ ( x , t ) {\displaystyle {\hat {p}}_{x}\psi (x,t)=-i\hbar {\frac {\partial }{\partial {}x}}\psi (x,t)}
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正準量子化
で定義される演算子 x ^ {\displaystyle {\hat {x}}} 、 p ^ x {\displaystyle {\hat {p}}_{x}} で置き換える。このとき、 [ x ^ , p ^ x ] ψ ( x , t ) = i ħ ψ ( x , t ) {\displaystyle [{\hat {x}},{\hat {p}}_{x}]\psi (x,t)=i\hbar \psi (x,t)} となり、 x ^ {\displaystyle {\hat {x}}} 、 p ^ x {\displaystyle {\hat {p}}_{x}} が正準交換関係をみたしていることがわかる。 つまり、座標表示では掛け算演算子としての x ^ {\displaystyle {\hat {x}}} と微分演算子としての p ^ x {\displaystyle {\hat {p}}_{x}} が、正準変数 x , p x {\displaystyle x,\,p_{x}} の正準量子化による量子力学的表現となる。 系の古典力学的なハミルトニアンが H ( x , p x ) = p x 2 2 m + V ( x ) {\displaystyle H(x,p_{x})={\frac {p_{x}^{\,2}}{2m}}+V(x)} で与えられるとすると、正準量子化により、量子力学的なハミルトニアンは H ^ = H ( x ^ , p ^ x ) = − ħ 2 2 m ∂ 2 ∂ x 2 + V ( x ) {\displaystyle {\hat {H}}=H({\hat {x}},{\hat {p}}_{x})=-{\frac {\hbar ^{2}}{2m}}{\frac {\partial ^{2}}{\partial x^{2}}}+V(x)} となる。 正準量子化の操作は、古典力学での「ポアソン括弧」と量子力学における「交換関係」の対応原理を考えると、より明確になる。
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正準量子化
となる。 正準量子化の操作は、古典力学での「ポアソン括弧」と量子力学における「交換関係」の対応原理を考えると、より明確になる。 { A , B } = ∑ α ( ∂ A ∂ q α ∂ B ∂ p α − ∂ B ∂ q α ∂ A ∂ p α ) ⇔ 1 i ħ [ A ^ , B ^ ] = 1 i ħ ( A ^ B ^ − B ^ A ^ ) {\displaystyle \{A,B\}=\sum _{\alpha }\left({\frac {\partial {}A}{\partial {}q_{\alpha }}}{\frac {\partial {}B}{\partial {}p_{\alpha }}}-{\frac {\partial {}B}{\partial {}q_{\alpha }}}{\frac {\partial {}A}{\partial {}p_{\alpha }}}\right)\Leftrightarrow {\frac {1}{i\hbar }}[{\hat {A}},{\hat {B}}]={\frac {1}{i\hbar }}\left({\hat {A}}{\hat {B}}-{\hat {B}}{\hat {A}}\right)} 実際、正準変数については、
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正準量子化
実際、正準変数については、 { q α , p β } = δ α β ⇔ [ q ^ α , p ^ β ] = i ħ δ α β {\displaystyle \{q_{\alpha },p_{\beta }\}=\delta _{\alpha \beta }\Leftrightarrow [{\hat {q}}_{\alpha },{\hat {p}}_{\beta }]=i\hbar \delta _{\alpha \beta }} { q α , q β } = { p α , p β } = 0 ⇔ [ q ^ α , q ^ β ] = [ p ^ α , p ^ β ] = 0 {\displaystyle \{q_{\alpha },q_{\beta }\}=\{p_{\alpha },p_{\beta }\}=0\Leftrightarrow [{\hat {q}}_{\alpha },{\hat {q}}_{\beta }]=[{\hat {p}}_{\alpha },{\hat {p}}_{\beta }]=0} の関係が成り立つ。力学量の時間発展についても、この対応原理から d A d t = { A , H } + ∂ A ∂ t ⇔ d A ^ d t = 1 i ħ [ A ^ , H ^ ] + ∂ A ^ ∂ t {\displaystyle {\frac {dA}{dt}}=\{A,H\}+{\frac {\partial A}{\partial t}}\Leftrightarrow {\frac {d{\hat {A}}}{dt}}={\frac {1}{i\hbar }}[{\hat {A}},{\hat {H}}]+{\frac {\partial {\hat {A}}}{\partial t}}}
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正準量子化
とハイゼンベルクの運動方程式が現れる。 言い換えれば、正準量子化では、ハミルトン力学における2つのc-数の力学量 A , B {\displaystyle A,\,B} の満たすポアソン括弧を、q-数(演算子)の力学量 A ^ , B ^ {\displaystyle {\hat {A}},\,{\hat {B}}} の満たす交換関係に対応させ、その関係を通じて量子力学的表現を得ているともいえる。これらの対応原理は1925年にディラックによって明らかにされた。 正準量子化は量子系に移行する一定の規則を与えるが、古典系におけるc-数は可換であるのに対し、量子系のq-数は一般に非可換となり、演算子の積については順序の不定性が残る。また、量子化後にエルミート演算子同士の積はエルミート演算子にはならない。こうした問題を回避する方法として、ワイルの対称化法(Weyl Calculus)や経路積分量子化等の方法が知られている。 また正準量子化をするには、その系に対応する正準形式の古典力学を知る必要がある。一方で経路積分量子化では、ラグランジアンが分かれば量子化することができる。 量子力学における正準量子化の方法は粒子に対する量子化を与えるが、場の量についても、正準量子化を適用することができる。場の量に対する正準量子化(第二量子化)では、場の演算子φ(t, x)と対応する正準運動量π(t, x)に対し、同時刻での正準交換関係 を課すことで行われる。
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鈴木慶一
鈴木 慶一(すずき けいいち、1951年8月28日 - )は、日本の音楽家、俳優。ムーンライダーズのボーカル、リーダー。東京都立羽田高等学校卒業。 父は俳優の鈴木昭生。弟は音楽家の鈴木博文。2023年、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。 新設当時の羽田高等学校卒業後、浪人して大学受験をするために予備校に通うも3日で辞める。職も探せば無かったわけではないので、何とかなるだろうと思ったという。 1970年に鈴木の母親が勤めていた会社でアルバイトをしていたあがた森魚と出会い本格的な音楽活動を開始。はっぴいえんどのバックバンドなどを経験した後、自らのグループはちみつぱいを結成。 1975年に実弟である鈴木博文らとムーンライダーズを結成した。翌年にアルバム『火の玉ボーイ』を発売。1986年から1991年のムーンライダーズ活動休止期間は、当時夫人であった鈴木さえ子のアルバム『緑の法則』(1985年)のプロデュースなどを手掛けた。 1981年には高橋幸宏とのコンビでTHE BEATNIKSを結成、断続的に活動し、2018年までに6枚のアルバムをリリース、ライブ活動を行う。実弟の鈴木博文とはユニット・THE SUZUKIでも断続的に活動。他にBeautiful Songs(矢野顕子・大貫妙子・奥田民生・宮沢和史)としてアルバム、秩父山バンド、No Lie-Sense(ケラリーノ・サンドロヴィッチとのユニット)としてシングルおよびアルバム、P.K.O.(Panta Keiichi Organizationの略、PANTAとのユニット)としてアルバム、Three Blind Moses(棚谷祐一、小谷和也とのユニット)としてシングルを発表。ライブのみではロウガンズ(泉谷しげる、どんと、高田渡)、大江戸兄弟(友田真吾)、野宮真貴とのユニットなど多数。 2008年、曽我部恵一のプロデュースによるソロ・アルバム『ヘイト船長とラヴ航海士』で第50回日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞した。
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鈴木慶一
2008年、曽我部恵一のプロデュースによるソロ・アルバム『ヘイト船長とラヴ航海士』で第50回日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞した。 2011年11月11日、ムーンライダーズの無期限活動休止を発表。その後も、メンバーのかしぶち哲郎の追悼ライブや鈴木自身の活動45周年記念ライブ、バンド結成40周年などの折に「活動休止の休止」を行ない、チューリップ、THE ALFEE、センチメンタル・シティ・ロマンスと共に長期間活動している。2013年7月、元カーネーションの矢部浩志らと新たにControversial Sparkを結成。11月にはKERAと結成したNo Lie-Senseの1stアルバムを発売。 映画音楽も手がけ、2003年公開の北野武監督の『座頭市』では、第36回シッチェス・カタロニア国際映画祭(スペイン)最優秀音楽賞、第27回日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞。「アウトレイジ 最終章」で第41回日本アカデミー賞。漫画雑誌『COMIC CUE』では漫画の原作を担当したこともある(作画:やまだないと)。 CM音楽では、代表曲として素人の出演者が正確に歌っているのに音痴に聞こえるメロディラインが話題を呼んだ「きいてアロエリーナ きいてマルゲリータ」(マンナンライフ)や、宮崎美子が着替えるシーンでブームを起こした「いまのキミはピカピカに光って」(作詞・糸井重里、歌・斉藤哲夫、ミノルタカメラ)などがある。 音楽プロデューサーとしてはPANTA & HAL、野宮真貴、杏里、糸井重里、藤真利子、クリス、原田知世、あがた森魚およびヴァージンVS、ハルメンズ、カーネーション、ISSAY、渡辺美奈代、桐島かれん(高橋幸宏と共同)、cali≠gari、高田渡、ceroなどのアルバムを手がけている。 他のアーティストへの楽曲提供も多く、坂本龍一、立花ハジメ、宮崎美子、チロリン、伊藤つかさ、安田成美、野田幹子、ザ・ぼんち、宮村優子、吉田拓郎、うどん兄弟他多数。 ゲームミュージックにおいては、糸井重里がプロデューサーを務めた任天堂発売の『MOTHER』及び続編の『MOTHER2 ギーグの逆襲』の楽曲を田中宏和と連名で手掛けた。前者で使用された「エイトメロディーズ」は音楽教科書に採用されたこともある。ゲーム音楽では『リアルサウンド 〜風のリグレット〜』も担当。
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鈴木慶一
ゲームミュージックにおいては、糸井重里がプロデューサーを務めた任天堂発売の『MOTHER』及び続編の『MOTHER2 ギーグの逆襲』の楽曲を田中宏和と連名で手掛けた。前者で使用された「エイトメロディーズ」は音楽教科書に採用されたこともある。ゲーム音楽では『リアルサウンド 〜風のリグレット〜』も担当。 音楽を作るモチベーションを上げるためには何でもやり、1990年代に入ってからはジャン・コクトーが描いた「ピカソのポートレート」のタトゥーをしている。 部屋が汚いことで有名で、CDや本、新聞が大量に積んである。奥に行くには数回飛ばなければならない。2階に行く階段も滅茶苦茶で、使ってないベッドも洋服が堆積している。親子連れに「おばけ屋敷」と言われたこともあり、帰れないこともあったという(「TOKYO FM「ナイトワープ Eno@Home」 1998年7月25日)。
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8月28日
8月28日(はちがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から240日目(閏年では241日目)にあたり、年末まであと125日ある。
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栽培品種
栽培品種(さいばいひんしゅ、英語: cultivar)とは、一般的には望ましい性質を選抜した増殖可能な植物の集合である。 選択・交雑・突然変異等により人為的(育種、品種改良)あるいは自然に生じ、他の栽培品種や原種と識別される特性を安定して有し、かつ、その特性を保持したまま殖やすことができる。遺伝的に均一か否かは問わない。 栽培品種は主に農業・園芸の分野で古くから利用され、園芸分野においては園芸品種(えんげいひんしゅ)の語が使われることがある。また、誤解の恐れがなければ単に品種と表記されることも多い。 尚、栽培品種は植物の分類の仕方の一つではあるが、国際藻類・菌類・植物命名規約(ICN)による分類階級やタクソンではない。すなわち、栽培品種名は学名と混同されることがあるが、それ自体は学名ではない。 栽培品種(cultivar 園芸品種とも。以下、栽培品種で統一)の命名に関する国際的な取り決めが国際栽培植物命名規約(英語版)(ICNCP)であり、第9版(2016年)が現行である。 以下は、第9版の栽培品種に関係する内容の抜粋である。 国際栽培品種登録機関(英語版)(ICRA、複数形:ICRAs)は、栽培品種名などの名称を登録し、管理する責任を負う機関である。栽培品種名や植物を法的に保護する機関ではない。国際園芸学会(英語版)(ISHS)の委員会により、管轄する分類群ごとに複数の機関が指定されている。 日本の組織としては、日本ハオルシア協会がハオルシア属・Astroloba属・Chortolirion属のICRAとして指定されている。
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栽培品種
日本の組織としては、日本ハオルシア協会がハオルシア属・Astroloba属・Chortolirion属のICRAとして指定されている。 植物の新品種の保護に関する国際条約(UPOV条約)における植物の品種(フランス語: variété)や、それに基づく各国の法令(日本においては種苗法など)における品種は、栽培品種(cultivar)の語句を使用せずに定義されていることがあるが、栽培品種を法的に定義した正確な同義語である。また、UPOV条約における品種の名称(dénomination de la variété)等の語句と栽培品種小名(cultivar epithet)もまた同等である(以下品種の語で統一)。 育成者権の点から品種を登録し全般について管理しているのは各国の行政機関(日本においては農林水産省)である。 尚、それらの法定の品種登録を行う機関にて正式に登録された品種名は国際栽培植物命名規約の品種名のルールに則っていない場合でも有効である。
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海(うみ、英: the sea または the ocean)は、地球上の陸地以外の部分で、海水に満たされたところ。 大小さまざまな広がり方があり、特に大きな広がり(だけ)は海洋(the ocean)とも言い、主な海洋としては太平洋、大西洋、インド洋などがある。一方、地中海や黒海も紛れもなく海であり、海峡で大西洋と繋がっており海水は行き来している。 海は地球の表面の約71.1%を占め、面積は約3億6282万kmで、陸地(約1億4724万km)の約2.46倍である。平均的な深さは3729m。海水の総量は約13億4993万立方キロメートルにのぼる。ほとんどの海面は大気に露出しているが、極地の一部では海水は氷(海氷や棚氷)の下にある。 海は微生物から大型の魚類やクジラ、海獣まで膨大な種類・数の生物が棲息する。水循環や漁業により、人類を含めた陸上の生き物を支える役割も果たしている。 天体の表面を覆う液体の層のことを「海」と呼ぶこともある。以下では主に、地球の海について述べる。 海水は、塩(ナトリウムイオンと塩化物イオン)を主成分とするミネラルなどが、おおむね濃度3%台で水に溶け込んでいる。ヒトの味覚では海水は「塩辛い」「しょっぱい」と感じられ、古来、海水を塩田などで濃縮して塩を得てきた。 このような塩の味がする水で満たされた区域を、日本では「“うみ”(海)」(英: sea)と呼び、塩味のしない真水(淡水)で満たされた区域は、面積が広くとも海と区別して“みずうみ”(<「みず・うみ」、湖)と呼ぶことは古くから行われてきた。 よって、日本海 (Japan Sea)、地中海 (Mediterranean Sea)、瀬戸内海 (Seto Inland Sea)といった各海域は、海と呼ばれている。 大きな塩湖も、古くから「海」と命名されている場合がある(例:カスピ海、死海)。探検・測量による世界地理の把握や地理学が進んだ近代以降、外海とつながっていない場合は“海”には含めず、広大な塩湖であっても“湖”に分類するようになった、ということである。
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大きな塩湖も、古くから「海」と命名されている場合がある(例:カスピ海、死海)。探検・測量による世界地理の把握や地理学が進んだ近代以降、外海とつながっていない場合は“海”には含めず、広大な塩湖であっても“湖”に分類するようになった、ということである。 英語での sea / oceanという分類法や、日本語での 海 / 洋 という分類法がある。特定のocean(洋)を指す名称としては太平洋(Pacific Ocean)、インド洋(Indian Ocean)などがある。特に広大な洋(海)は「大洋」(英: ocean)と呼んでいる。 「外海」/「内海」という分類法がある。外海とは周囲を陸地などに囲まれていない海(あるいは陸地から遠く離れた海)のことである。陸地に囲まれた海域のほうを内海と呼ぶ。外洋 / 近海という分類法もあり、海のなかでも陸地に近いあたり(領域)をおおまかに近海と分類する。 陸地に大きく入り込んだ海を湾、陸と陸に挟まれ海が狭くなった部分を海峡と呼ぶ。 水深による分類法として 浅海 / 深海 がある。一般に太陽光がほとんど届かない深度200m以上を深海と呼ぶ。 海は全てが互いに繋がっている。ただし、大洋間であっても水の交流は海水の性質が均一になるほど激しくはない。このため海面の高さや、塩分濃度、海水温などは海域による差がある。狭い海峡でしか外海とつながっていない閉鎖性海域は、特に水の入れ代わりが乏しい。 海水はその表面に波が立っていることが多く、これは主に風の作用である。温度は主として太陽によって温められ、低気圧を発生させる原因ともなる。また、海水は大きな流れをなしており、これを海流という。海水面の高さは毎日二回(年に数回、一日一回の日がある)、上下に変化する。こうした潮の満ち干を潮汐という。潮汐は天体運動を原因として起きるものであり、主に月と太陽の引力が大きな部分を占める。月のほうが地球に近いため、大きな潮汐力を及ぼす。
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海の水深は平均3,800mである。地上と同じように海底にも高低差はあり、海中の山脈である海嶺や、台地である海台、大洋底に広がる広大な平原である海盆や深海平原、海底でもさらに低い谷となっている海溝など、様々な地形が存在する。海底にも火山は存在し、それらの海底火山の中でも特に高いものはしばしば海上に顔を出して火山島となる。地球上の海底で最も深いのは太平洋にあるマリアナ海溝のチャレンジャー海淵(10,911m)である。また、大陸周辺に広がる浅い海(深さ約130mまで)を大陸棚と呼ぶ。 海の色は一般に青色と見られる。太陽からの可視光線のうち長波長(赤に近いもの)は表層2-3cmで海水によって吸収されるが、短波長(青に近いもの)は深くまで進み、水深50mでも1/5程度が届く。この青色光が水中で散乱され、水上に届いて青く見える。これに不純物が混ざると色調に変化が起こる。植物プランクトンが豊富な高緯度から極海にかけて海はやや緑色を帯びる。沿岸では砂泥の微粒子が河川水などから供給されたり、波や暴風雨で海底から巻き上げられたりするため、プランクトンと相まって黄緑から黄色・褐色・赤などに見える事もある。氷河に侵食された岩の粉末が流れ込むフィヨルドなどでは、乳白色になる場合もある。日本近海では植物プランクトンの増殖が主に春に盛んになる。これは「水の華」と呼ばれ、地域によっては「春とわり」「潮ぐされ」「草水」「厄水」「貝寄せ水」「三月にごり」などとも言い、沿岸漁業に影響を与える。 海は、太陽エネルギーを原動力とした水循環により、地球の気候にも大きな影響を及ぼしている。
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海は、太陽エネルギーを原動力とした水循環により、地球の気候にも大きな影響を及ぼしている。 海の影響を特に受ける気候は海洋性気候と呼ばれる。海洋の影響といっても様々であり、海から蒸発する水蒸気によって湿度は一般的に高いものの、それが降水量に比例するとは必ずしも言えない。海流のうち暖流が流れる地域や一般的な海域においては海からの水分や風が雨をもたらし降水量が多くなる傾向がある。寒流が流れる海岸部においては、上層の空気は暖かいのに対し、下層の空気は寒流によって冷やされるため、上昇気流が発生しない。雲は上昇気流によって発生し、雲から雨が降るため、雲が形成されないこういった海岸では降水量は非常に少ない。こうして形成された海岸砂漠は大陸の西岸に多いため、西岸砂漠とも呼ばれる。チリのアタカマ砂漠やペルー沿岸部、ナミビアのナミブ砂漠などはこういった地域である。ただし大気中の湿度は高いため、これらの海岸砂漠にはしばしば霧が発生し砂漠を覆う。 現在の地球表面に存在する水の総量は14億kmとされているが、その中で海水が断然多く約97.5%の13億5000万kmを占める。次に多いのは氷床で2500万kmと推定されている。海の深さは3000 - 6000mの範囲が最も広く、この範囲の面積は海洋の70%、地球の全表面積のほぼ半分を占めている。 赤道近くの海の表面は太陽の光を受けて温められ、温かい水の流れ(暖流)となって流れてゆくほか、大量の水蒸気を発生する。1年間に海から蒸発する水量は50.5万kmと見積もられており、台風の発生など地球の気象に大きな影響を及ぼしている。蒸発した水量の91%は直接海上に降水するが、残りの9%が陸地に雨や雪として降水し、河川や氷河、地下水を経由して最終的には海に戻る。 他方、海底の一部から海水が地球内部深くに吸収されており、その量を年間23億トンと推計し、約6億年後に地球の海が消失する可能性を予測する研究もある。
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他方、海底の一部から海水が地球内部深くに吸収されており、その量を年間23億トンと推計し、約6億年後に地球の海が消失する可能性を予測する研究もある。 海水は塩化ナトリウム(NaCl:いわゆる塩)を主成分とする塩分が含まれている。塩化ナトリウム以外にも各種のイオンが溶解しているが、海水中の総塩分濃度は周辺の影響によって異なる。例えば大河の河口近くや氷河が海に流れ込んでいる場所では塩分濃度(イオンの総量)は低く、逆に蒸発が盛んな海域では塩分濃度が高くなる。海氷が形成される時にも水分が選択的に凍るため、塩分に富んだ海水が分離される。グリーンランドや南極周辺で作られる冷たく塩分の濃い海水は比重が大きいため深く沈み込み、深層流となって地球全体を巡っている。 海水は塩分などが含まれるため淡水に比べて凍結しにくい性質を持つが、-1.9°C以下になると凍りはじめる。こうして作られた海氷は、北極海の大部分を覆っており、またより緯度の低いバルト海やオホーツク海、セントローレンス湾、ハドソン湾、ベーリング海などの海域でも冬季には凍結する海域がある。しかし、年間を通じて結氷したままなのは北極海のみであり、それも全域ではなく夏季には南部を中心にかなりの海域で解氷する。こうして形成された氷は冬季には南方の海域に押し寄せることがあり、これらは流氷と呼ばれる。また、これとは別に南極の棚氷や北半球の氷河といった陸氷から海に巨大な氷山が流れ出すことがある。 各イオン間の比率は全海洋でほぼ一定である。下記に塩分濃度を3.5%とした場合のイオン濃度を表にまとめた。 含まれる溶存物質のうち、77.74%が塩化ナトリウム、10.89%が塩化マグネシウム、硫酸マグネシウム・硫酸カルシウム・硫酸カリウムがそれぞれ4.74% 3.60% 2.46%、炭酸カルシウムが0.34%、臭化マグネシウムが0.23%である。 海水中に含まれる主な元素は
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各イオン間の比率は全海洋でほぼ一定である。下記に塩分濃度を3.5%とした場合のイオン濃度を表にまとめた。 含まれる溶存物質のうち、77.74%が塩化ナトリウム、10.89%が塩化マグネシウム、硫酸マグネシウム・硫酸カルシウム・硫酸カリウムがそれぞれ4.74% 3.60% 2.46%、炭酸カルシウムが0.34%、臭化マグネシウムが0.23%である。 海水中に含まれる主な元素は 海流とは、海の一定場所においてほぼ決まった方向に流れる幅広い海水の流れを言う。大洋の表面近くでは北太平洋、南太平洋、北大西洋、南大西洋などの海域ごとにまとまった強い流れが循環している。これらの海流はコリオリの力によって、北半球では時計回りに、南半球では反時計回りに循環している。即ち赤道付近で東から西向きに流れてきた温かい海流が、陸地近くで南北に分かれて大陸沿岸を北上(または南下)する。例えば日本周辺では暖流の黒潮がフィリピン近海から北上してきて四国沖で東に向きを変え、東海・関東地方沖を流れて、東北地方の東の海上で北から来た寒流の親潮と衝突し、東へ向かってゆく。暖流は熱帯近くの海で温められて水蒸気を蒸発させているため、高温で塩分濃度が高い。寒流は低温で塩分濃度は暖流より低いが、リン (P) などの栄養塩類に富んでおり、魚の餌となるプランクトンを大量に発生させて良好な漁場を作る。研究が進むにつれて世界の気候にも影響を与えていることが明らかになりつつある。 深層流とは、1000m以上の深海をゆっくり流れる、グリーンランド周辺で形成された冷たくて塩分濃度の高い海水である。この冷水は赤道を越え約1000年かけて南極まで流れ、南極大陸周辺を廻る。この間 南極の冷たい海からも低温高濃度の海水の供給を受けて混合される。この冷たい深層流はその後太平洋やインド洋へ北上して行き各所で湧昇流となって海面へ到達する。北太平洋東部の水深2000mの海域では約2000年前に深海に沈んだ海水が観測されている(放射性炭素を使った年代分析による)。太平洋やインド洋で海面へ上昇した深層流は、表層の海流の一部となってグリーンランド沖へ戻ってゆく。この循環のことを熱塩循環と呼ぶ。
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海底と大陸の基盤岩は、異なる岩石で構成されている。海底の基盤は比重の大きな玄武岩で出来ているのに対して、大陸の基盤は比重の軽い花崗岩が主体となっている。プレートテクトニクスによれば、海洋底を形成する岩盤(海洋プレートの上部)は中央海嶺で造られる。ここは地下深部からマントル物質が上昇して来る場所である。海嶺の地下にはマントル成分の一部が融解したマグマ溜まりがあり、マグマが順次冷却固化して玄武岩の岩盤が形成される。海洋プレートはその後海嶺から遠ざかるように動き、別の海洋プレートか大陸プレートに衝突して地殻の下に沈みこんでゆく。海嶺から他のプレートに衝突するまでの間は深い平坦な海底(深度3000-6000m)となっており、海洋底面積の大部分を占める。他のプレートと衝突して沈み込んでいる部分は、海溝やトラフと呼ばれる溝状の深い部分である。海洋底はプレート境界で地球内部に沈み込んでゆくため、その寿命は最も古いものでも2億年程度である。 海洋底はほとんど平坦であり陸から遠いため、陸を起源とする砂礫などは堆積しない。代わりに海洋に広く生息する珪藻・放散虫の死骸を含むチャートなどの岩石や、海水から化学的に析出するマンガン団塊などがゆっくり堆積してゆく。南太平洋には玄武岩質の火山島が点在しており、その周囲にはサンゴ礁が広がっている。火山島は噴火が終わると段々低くなって海に沈んでゆくが、サンゴ礁がある場合は島が沈む速度よりもサンゴの成長速度のほうが速いため、石灰岩の島が出来る。
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プレートを形成している海底岩盤は海溝で地下へ沈みこんでゆくが、岩盤の上に載ったこれらチャートや海底火山や石灰岩などの岩石類はプレート衝突の際に相手のプレートに乗り上げてしまうことがある。地下深く沈み込んだプレートの上側は、右図のように火山活動が活発な場所である。地下に沈んだ海洋プレートから搾り出された水が周囲のマントルを部分溶解して花崗岩質マグマを作り、大陸の基盤が形成されている場所である(すなわち大陸を構成する花崗岩は海洋プレートの沈み込みによって作られる)。地下に沈むプレートから離れて相手側のプレートに乗り上げた火山島やサンゴ礁は、その後の火山活動によって陸地に取り込まれてしまうが、これを「付加体」と呼んでいる。海洋起源の石灰岩の大きな山があったり、三葉虫やアンモナイトなどの海生生物の化石が地上で採取できたりするのは、そこが「付加体」だからである。大陸地殻は海洋地殻よりも軽いため、一旦形成された大陸は(侵食を受けながらも)地表に残り続ける。 大陸や大きな島の周辺には深さ130mより浅い平坦な海域が広がっている。大陸周辺の浅海は大陸棚と呼ばれ、島の周辺のものは島棚と呼ばれるが、これらの幅は0 - 1400kmである。大陸棚の地質は大陸と同じものである。太平洋周辺では大陸棚は顕著では無いが、大西洋では広い面積を有しており、石油などの鉱物資源が豊富である。大陸棚の外側はかなり急な斜面「大陸斜面」となって深さを増す。大陸斜面と海洋底の間にはやや平坦なコンチネンタルライズと呼ばれる地形がある。大陸棚と大陸斜面の境界の深さは南極やグリーンランドを除く全世界でほぼ一致しており(水深130m)、直近の氷期最盛期の海水面に相当する。 水を主成分とする海は地球誕生後まもなく形成され、現在まで継続している。海の主成分は水であるが、各時代で溶解塩類の構成や海水温は変動し、海に住む生物は進化を続けた。海の歴史を概説する。
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水を主成分とする海は地球誕生後まもなく形成され、現在まで継続している。海の主成分は水であるが、各時代で溶解塩類の構成や海水温は変動し、海に住む生物は進化を続けた。海の歴史を概説する。 地球は約46億年前、無数の微惑星が衝突によって融合して成長し、誕生した。誕生直後の地球の表面は、微惑星の衝突エネルギーによる熱で岩石が溶けたマグマの海(マグマオーシャン)に覆われていた。地表はマグマの熱と大気中に大量に存在した二酸化炭素による温室効果で非常な高温となっており、水は全て水蒸気(分厚い雲)として大気中にあった(この二つの物質は微惑星がぶつかった際に放出されたものと考えられる)。 その後、微惑星は原始惑星へ吸収されるなどして次第に数を減らし、微惑星が地球へ衝突する回数も徐々に減り始める。すると高温だった地球も温度が下がり、溶岩も冷え固まりだす。そして徐々に気温が下がると、水蒸気として上空に存在していた水が雨となって、大量に降り続けた結果、マグマオーシャンはそれらにさらに冷やされて固まり、海が誕生した(この頃に降った雨は気圧の関係で300度という非常に高温な熱湯の雨だった)。海が出来ると大気中の二酸化炭素が急速に海水に溶解し、温室効果が減って気温がさらに低下した(この時、同時に気圧も現在に近い所にまで下がって行った)。現在判明している海の最古の証拠はグリーンランドで発見された40億年前の火山岩で、海洋プレートの沈み込み場所に生成した花崗岩である。 今のところ発見されているもので最古の生命とされるのは、西オーストラリア州ピルバラで見つかった35億年前のバクテリアと思われる化石である。化石周辺の岩石の分析から、この生物が活動した場所は1000m以上の深い海底であったと考えられている。光合成を行う生物としては、西オーストラリア・フォーテスキュー層群の27億年前の地層からシアノバクテリアと思われるストロマトライトの化石が見つかっている。この時期に大規模な火山活動があり、初めて大陸と呼べる陸地が形成されたらしい。シアノバクテリアが光合成を行うためには光の届く浅い海底が必要であり、シアノバクテリアの誕生と大陸の形成とは関連があると考えられている。
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27億年前以後、シアノバクテリアによる光合成が盛んに行われる。光合成は二酸化炭素と水から有機物を合成する化学反応で、副産物として酸素分子を放出する。それまで海水中は酸素分子の存在しない還元的な雰囲気であったが、生命活動による酸素の生産が続いて海水成分の変化が始まった。まず当時海水に大量に溶解していた2価の鉄イオンが酸化され、水に溶解できなくなって海底に沈殿・堆積し始めた。この堆積は19億年前まで継続し、その堆積物が縞状鉄鉱床となった。これが現在世界中で採掘されている鉄鉱石鉱山の起源である。海中の鉄イオンの殆どが沈殿した後、酸素は気体として溜まり始め、大気中の酸素濃度が上昇し始める。またこのころ二酸化炭素の減少による温室効果の減退に起因する寒冷化が進み、それを反映した氷河時代があったとされる。 19億年前に、火山活動が非常に活発になって大きな大陸が形成され、同時に大気中の酸素濃度が上がり始めた。最初の真核生物が生まれたのもこの時期であり、環境の変化と生命の進化の相互関係について検討がなされている。 6億から8億年前、地球の全ての海洋が凍結する全球凍結が起こったと考えられている。またこの事件の直後の6億年前には最後の大規模な陸地形成が起こった。増加した大陸から大量のナトリウムやカルシウムが海中に供給され、塩分濃度の上昇や二酸化炭素の固定化(石灰石:炭酸カルシウムの形成)が進行した。全球凍結の少し前に発生していた多細胞生物は、氷河時代が終わった後に急速に進化した。約6.2億から5.5億年前のベンド紀には体長が1mにもなる生物の化石も見つかっている。この時代を代表する生物群としては、オーストラリアのエディアカラ丘陵で見つかったエディアカラ生物群が挙げられる。大きさは数cmから約1mに達するものまで多様な生物の化石が見つかっているが、何れも骨格や臓器が判明しないシート状の形態をしており、現生生物との系統的繋がりは判明していない。 ベント紀の次のカンブリア紀から、世界各地で生物化石がたくさん見つかるようになるので顕生代と呼ばれている。カンブリア紀には現在地球上で生息している動物種の門レベルが全て出揃ったと言われている。この時代はまだ生物は全て水中(海中)で生活していた。
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ベント紀の次のカンブリア紀から、世界各地で生物化石がたくさん見つかるようになるので顕生代と呼ばれている。カンブリア紀には現在地球上で生息している動物種の門レベルが全て出揃ったと言われている。この時代はまだ生物は全て水中(海中)で生活していた。 陸地への生物の進出は、次のオルドビス紀からコケ類などの上陸が始まり、シルル紀には節足動物の足跡などが確認されている。その後、各々の生物が海中や陸上で進化や絶滅を繰り返し、現在の動物まで続いている。そこでカンブリア紀以後は化石を基準として下記表に示した年代が設定されている。またカンブリア紀以後は海洋成分の大きな変化は無くなり、大気成分の激変も無くなった。全地球が凍結する全球凍結のような極端な気候変化は起こっていないが、大規模な火山活動や大きな隕石の衝突によって気候の変化が起こり、P-T境界やK-T境界などの大量絶滅が生起したと考えられている。 陸上でも海中でも、生命活動の基本となるのは植物による光合成である。海水中に太陽光が届く深さは200m程度までで、その範囲は海洋のごく表層に限られる。陸地周辺の数十mまでの浅い海では海底まで光が届くので海藻などの大型植物も繁茂できるが、大洋では植物プランクトンが光合成を行う。植物プランクトンの生命活動には太陽光以外にも栄養塩が必要である。地上の植物には肥料として窒素・燐酸・カリウムを施すが、海水中では窒素・燐酸とカリウムの代わりに珪素が必要となる。(陸地では珪素は地中に大量に存在するので肥料として施す必要は無い。逆に海洋ではカリウムは水中に大量にあるが珪素は少ない) 海中の食物連鎖は、海面近くで栄養塩を使って植物プランクトンが繁殖し、植物プランクトンは動物プランクトンに食べられ、動物プランクトンが魚に食べられるという形を取る。プランクトンや魚の死骸や糞は徐々に分解されながら海中に沈んでゆくので、栄養塩は海の表面近くでは枯渇気味となるが、水深200m以深の深海の海水(海洋深層水)に栄養塩は多く含まれる。
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海中の食物連鎖は、海面近くで栄養塩を使って植物プランクトンが繁殖し、植物プランクトンは動物プランクトンに食べられ、動物プランクトンが魚に食べられるという形を取る。プランクトンや魚の死骸や糞は徐々に分解されながら海中に沈んでゆくので、栄養塩は海の表面近くでは枯渇気味となるが、水深200m以深の深海の海水(海洋深層水)に栄養塩は多く含まれる。 一般に、黒潮などの暖流系の海流は栄養塩が少なく、親潮などの寒流系の海流は栄養塩が多い。また、日本の東北地方の三陸沖では、親潮の栄養塩に加えて、黒潮と親潮がぶつかり渦が発生して栄養豊富な深海の海水も表層に供給されることで、魚類の餌となる大量のプランクトンが発生し、日本有数の好漁場を形成している。 また、アメリカ大陸太平洋側のカリフォルニア州沿岸やペルー沿岸は海底地形の形状により深海の海水が湧昇する場所で、豊富な栄養供給により魚類の餌となる大量のプランクトンが繁殖して好漁場となっている。 また冬季に結氷するような寒冷な海では海面水温が低下して比重が高くなって沈み、海洋深層水の源となる。なお、海洋の表層を流れる暖流寒流の海流と水深200m以深の海洋深層水の海流は流れの方向が異なっている場合が多い。 陸地近くの浅い海は、河川や石、泥、生活工業排水、農業の肥料、畜産業の糞尿などの陸地からの栄養塩の供給が豊富にある上、海底が浅瀬から沖へ向かって緩やかに深くなっているため、潮汐や潮流によって攪拌されやすく、栄養塩やプランクトンが適度にかき混ざり(留まりにくいため)、一般に生物生産性の高い海域となる。イギリスの東にある北海のドッガーバンクは世界的に有名な漁場である。 ちなみに海の匂い、いわゆる磯臭さは藻類、植物プランクトンが作り出したジメチルスルホニオプロピオナートが分解されて生成されたジメチルスルフィドによるものである。 広義では各大洋の一部に属するものの、島を含む陸地に囲まれて独立した名称がついている海域を縁海(えんかい)と呼ぶ。 海岸での釣りや、漁船によるものを含む漁業は古来、人類が食料を得る重要な手段であった。現代では養殖も行われている。 海上を移動できる船は漁業のほか、移住や探検、さらに交易・貿易の手段として早くから使われてきた。海岸部には、船が発着する拠点として港が発展した。
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広義では各大洋の一部に属するものの、島を含む陸地に囲まれて独立した名称がついている海域を縁海(えんかい)と呼ぶ。 海岸での釣りや、漁船によるものを含む漁業は古来、人類が食料を得る重要な手段であった。現代では養殖も行われている。 海上を移動できる船は漁業のほか、移住や探検、さらに交易・貿易の手段として早くから使われてきた。海岸部には、船が発着する拠点として港が発展した。 現代では、海浜での行楽やマリンスポーツ、クルーズ客船による旅行といった観光も大きな経済波及効果をもたらしている。また海底油田・天然ガス田の開発も行われている。 一方で、海軍や海賊が他国の領土や船を攻撃したり、逆に海軍で自国の海域や海岸、船を守ったりすることも歴史上多く行われた。海で行われる戦闘を海戦、海を支配する力を制海権と呼ぶ。 世界の各海域には地理学的だけでなく、国際海洋法による区分が存在している。沿岸国の主権が強く及ぶの領海(領海基線の陸寄りは内水)、領土から離れるにつれ接続水域、排他的経済水域、大陸棚となる。海域区分の起点となる島などの領土問題、国際法解釈の違いから外交交渉や紛争に至ることもあり、各国は海洋権益の維持・拡大を重視している。 それ以外の公海でも、各国は各国は廃棄物の海洋投棄や漁業など環境関連の規制を受ける。 海は人類に多くの恵みや利便をもたらす一方で、海難事故や自然災害による被害も発生している。後者では高潮、台風などによる高波、海底地震などによる津波などが挙げられる。日本では気象庁が、陸上だけでなく船舶向けに海上についても各種の防災情報(天気予報や注意報、警報)を出している。防波堤や防潮堤が作られている海岸もある。 海をテーマとした神話・伝説、文学(詩歌や小説)、音楽、映画、ドキュメンタリー、漫画・アニメーションなどは無数にあり、下記はそのごく一部である。 海は人間の世界では一番大きく、また深いものである。往々にして母性の象徴とされる。また、一面に広がっているものに「海」の字をあてることがある。以下はその例である。 他にも以下のような例がある。 このほかSFでは比喩的に、宇宙空間を「海」、宇宙船による移動を「航海」と呼ぶ作品がある(『宇宙海賊キャプテンハーロック』『宇宙戦艦ヤマト』など)。
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海は人間の世界では一番大きく、また深いものである。往々にして母性の象徴とされる。また、一面に広がっているものに「海」の字をあてることがある。以下はその例である。 他にも以下のような例がある。 このほかSFでは比喩的に、宇宙空間を「海」、宇宙船による移動を「航海」と呼ぶ作品がある(『宇宙海賊キャプテンハーロック』『宇宙戦艦ヤマト』など)。 月は、ヨハネス・ケプラーによって観測された当時は、月の暗い部分は水を湛えた海であると信じられていた。また彼によって、ラテン語でマーレ(mare)と名づけられた。現在は、単にアルベドの低い地形、すなわち単に地球から暗く見える地面であることがわかっているが、「〜の海」「〜海」(Mare〜)という地名は残っている。 火星も同様にジョヴァンニ・スキアパレッリらによって海と名付けられた地名が数多く存在する。ただし、火星には地質時代には海があった可能性がある。 木星や土星の氷衛星のいくつかは、氷の地殻の下に液体の水の海があると推測されている。エウロパ、ガニメデ、カリスト、タイタン(水とアンモニア)、エンケラドゥスに海がある可能性が高い。なお、タイタンの表面には液体のメタンやエタンで覆われた地形があるが、これらは規模が小さいため「湖」と呼ばれる。 また、氷に富む太陽系外惑星が惑星系の内側に移動した場合、表層に厚い海を持った「海洋惑星」になる可能性が議論されている。
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8月16日
8月16日(はちがつじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から228日目(閏年では229日目)にあたり、年末まであと137日ある。
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京王電鉄
京王電鉄株式会社(けいおうでんてつ、英: Keio Corporation)は、東京都多摩市に本社を置く、東京都区部(23区)から多摩地域及び神奈川県北部に有する鉄道路線を運営する会社。日本の大手私鉄の一つである。略称は京王(けいおう)。京王グループの中核企業。日経225(日経平均株価)の構成銘柄の一社。 京王という名称の由来は、東京と八王子を結ぶ鉄道であることから。また、旧京王電気軌道と旧帝都電鉄(共に後述)の路線で発足した経緯から、1998年6月30日まで京王帝都電鉄(けいおうていとでんてつ、略称:京王帝都・京帝、英称:Keio Teito Electric Railway、英略称: KTR)という社名であった。パスネットの符丁はKO。 現在の京王電鉄は、京王線を営業していた旧京王電気軌道と、小田急電鉄系列の会社で井の頭線を営業していた旧帝都電鉄という元々資本の異なる会社が、第二次世界大戦時の陸上交通事業調整法による戦時統合を経て発足した経緯があるため、それぞれ個別に記述する。 現在の京王電鉄の歴史は、1905年(明治38年)12月12日に、日本電気鉄道株式会社が関係官庁に電気鉄道敷設を出願したことにまで遡る。この時出願した路線は、官設鉄道蒲田駅から調布町、府中町を経て甲武鉄道立川駅に至る路線と、府中で分岐して内籐新宿に至る路線の二つであった。 日本電気鉄道は1906年(明治39年)8月18日、武蔵電気軌道株式会社と改称し、新たに立川村内と府中 - 国分寺間の路線を出願するとともに既に出願していた鉄道路線計画を変更し、蒲田 - 立川間の調布以北と府中 - 新宿間を合体させ残る蒲田 - 調布間を国領で分岐して蒲田に至る路線として分離した。この時の経路が現在の京王線の基となっている。
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京王電鉄
日本電気鉄道は1906年(明治39年)8月18日、武蔵電気軌道株式会社と改称し、新たに立川村内と府中 - 国分寺間の路線を出願するとともに既に出願していた鉄道路線計画を変更し、蒲田 - 立川間の調布以北と府中 - 新宿間を合体させ残る蒲田 - 調布間を国領で分岐して蒲田に至る路線として分離した。この時の経路が現在の京王線の基となっている。 その後、別に武蔵電気鉄道株式会社という会社が現れたため、1910年(明治43年)4月12日に、武蔵電気軌道が京王電気軌道株式会社と改称し、9月21日に資本金125万円で設立され、鬼怒川水力電気取締役の川田鷹が取締役会長に、初代専務取締役(社長)に鬼怒川水力電気社長利光鶴松(小田急電鉄や帝都電鉄の創業者)の親族である利光丈平が就任した。しかし、まだ鉄道路線は有していないため、当初の営業は1911年(明治44年)7月4日に関係官庁より許可が出た電気供給事業のみ執り行っており、1912年(明治45年)8月から調布町・多磨村・府中町・西府村に電気供給を行っていた。 そして、1913年(大正2年)4月8日に、玉川電鉄と東京電燈から買った電力を笹塚変電所 (100kW) で受けて、4月15日に笹塚駅 - 調布駅間の12.2キロの電車営業と、電車の補助機関として新宿駅 - 笹塚駅間及び調布駅 - 国分寺駅間の乗合自動車営業(路線バス事業)を開始した。しかし、京王線の建設資金に窮し、森村財閥の融資系列に入り、富士瓦斯紡績の井上篤太郎(第3代専務)、藤井諸照(会長)が経営陣に参画することになる。その後は1914年(大正3年)11月19日の京王線の新町駅(現存せず) - 笹塚駅間の延伸を皮切りに、1915年(大正4年)5月30日には新宿追分駅(新宿3丁目付近にある追分交差点にあった駅 現・京王新宿三丁目ビルの位置) - 新町駅間が、1916年(大正5年)6月1日には調布駅 - 多摩川原駅(現・京王多摩川駅)間が、10月31日には調布駅 - 府中駅間が延伸開業した。また、1923年(大正12年)5月1日には新宿駅 - 府中駅間の全線複線化も行っている。このほか、1919年(大正8年)4月には多摩川原駅前での造園事業も行った。
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京王電鉄
また、電車運転の余力の売電も行い、1914年(大正3年)10月から国分寺村に、1915年(大正4年)8月から谷保村・立川村に、同年10月から小平村・田無村に、同年11月から保谷村に、1916年(大正5年)1月から拝島村に、同年2月から中神村他七カ村連合に、同年7月から神代村・和田堀内村・千歳村・高井戸村・松沢村に、1917年(大正6年)3月から三鷹村に、同年8月から砧村に、1919年(大正8年)4月から稲城村に供給した。1922年(大正11年)12月に東京電燈の立川変電所から500 kW の受電を開始し、1923年(大正12年)3月から狛江村への電気供給を開始した。 一方、府中駅 - 東八王子駅(現・京王八王子駅)間は、1922年(大正11年)に設立された京王の関連会社である玉南電気鉄道株式会社によって1925年(大正14年)3月24日に営業を開始した。これは国からの補助金を得るため、府中駅 - 東八王子駅間を軌道法に基づく京王電気軌道ではなく、新たに設立した地方鉄道法に基づく新会社(玉南電気鉄道株式会社)により敷設を行ったものである。しかしながら免許路線が官営の中央本線に並行していることを理由に、京王・玉南が当てにしていた補助金は認められなかった。 その後、1926年(大正15年)12月1日に京王電気軌道が玉南電気鉄道を合併し、資本金1290万円の会社となる。1927年(昭和2年)6月1日に玉南鉄道線(府中駅 - 東八王子駅間)を1,067 mm から1,372 mm へ改軌する工事が終了し、全線軌道法による直通運転を開始した。しかし、新宿駅から東八王子駅まで乗り換えなしでは行けない状況は1928年(昭和3年)5月22日のダイヤ改定まで続いた。 1931年(昭和6年)3月20日には、初の支線である御陵線(北野駅 - 御陵前駅間)が開通し、1932年(昭和7年)4月の高尾登山鉄道との連帯運輸の開始を皮切りに、帝都電鉄、省線電車などとも連帯運輸を行うこととなる。また、御陵線のライバル路線であった武蔵中央電気鉄道の軌道線も1938年(昭和13年)6月1日に買収し、一旦「京王電気軌道八王子線」(後に高尾線)としていたが、翌1939年(昭和14年)6月30日をもって休止、同年廃線にしている。
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後の1937年(昭和12年)2月に資本系列が森村財閥から大日本電力に移り同社専務の穴水熊雄が社長に就任、沿線の乗客誘致政策が積極化することとなる。具体的には駅名の改称であり、例を挙げるならば、京王車庫前駅 → 桜上水駅、上高井戸駅 → 芦花公園駅、多磨駅 → 多磨霊園駅、関戸駅 → 聖蹟桜ヶ丘駅、百草駅 → 百草園駅、高幡駅 → 高幡不動駅、多摩川原駅 → 京王多摩川駅など観光地であることを強調する駅名にしている。これらの駅名は、観光地駅としての地位についてはともかく、現在まで引き継がれ親しまれており、一定の先見の明があった施策といえる。 また、乗合自動車事業は1938年(昭和13年)3月の武蔵中央電気鉄道のバス事業(八王子市街地で運行)買収を皮切りに、高幡乗合自動車株式会社(高幡不動駅 - 立川駅間で運行)と由木乗合自動車株式会社(八王子駅 - 由木(現在の京王堀之内駅・南大沢駅周辺の地域名称) - 相模原駅間で運行)の買収を行っている。 他にも、新事業として1938年(昭和13年)11月に不動産事業を開始した。 しかし、第二次世界大戦の勃発で、1942年(昭和17年)前半には、陸上交通事業調整法に基づき、東京市内のバス路線を東京都へ譲渡したほか、配電統制令により電力供給事業を関東配電株式会社(東京電力の前身)に譲渡することとなり、経営に大打撃を被る。そして、1944年(昭和19年)5月31日には陸上交通事業調整法に基づき東京西南地区の私鉄は1つに統合されることとなり、大株主であった大日本電力は、長年京王電気軌道と競合関係にあった東京急行電鉄へ株式を譲渡することとなり、いわゆる大東急の一員となる。京王は東急に吸収合併され、京王電気軌道は法人としては解散・消滅した。この合併で、会長の井上篤太郎は東急相談役に、井上の片腕であった取締役の後藤正策(後に京王帝都電鉄取締役)と、社長の穴水熊雄の次男穴水清彦(後に相模鉄道社長・会長)は、東急取締役に就任した。 一方、井の頭線は、鬼怒川水力電気系列の帝都電鉄株式会社が同社の渋谷線として1933年(昭和8年)8月1日に渋谷駅 - 井の頭公園駅間を開業させ、1934年(昭和9年)4月1日に吉祥寺駅まで全通させたものである。
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一方、井の頭線は、鬼怒川水力電気系列の帝都電鉄株式会社が同社の渋谷線として1933年(昭和8年)8月1日に渋谷駅 - 井の頭公園駅間を開業させ、1934年(昭和9年)4月1日に吉祥寺駅まで全通させたものである。 元々、同社は1928年(昭和3年)9月24日に設立された鬼怒川水力電気系列の東京山手急行電鉄株式会社がそもそもの母体である。1930年(昭和5年)11月15日に東京郊外鉄道株式会社と社名を変更して、1931年(昭和6年)2月1日には1927年(昭和2年)7月に設立されていた渋谷急行電気鉄道株式会社を合併し、同社が計画中の渋谷線を継承した。そして、1933年(昭和8年)1月19日に帝都電鉄株式会社に改称した。理由は1932年(昭和7年)10月1日に沿線町村のほとんどが東京市に合併されたことにより、「郊外」の社名がふさわしくなくなったからとされている。 また、同社は1935年(昭和10年)には乗合自動車事業も開始したが、1940年(昭和15年)5月1日付けで同じ鬼怒川水力電気系列の小田原急行鉄道株式会社に合併され、小田原急行鉄道帝都線となる。さらに1941年(昭和16年)3月1日には親会社である鬼怒川水力電気が小田原急行鉄道を合併し、小田急電鉄株式会社に改称、小田急電鉄帝都線となる。そして1942年(昭和17年)5月1日には陸上交通事業調整法の趣旨に則り、小田急電鉄株式会社は京浜電気鉄道株式会社と共に東京横浜電鉄株式会社に合併し、東京急行電鉄株式会社(いわゆる大東急)の一員となり、小田急電鉄帝都線は、東急井の頭線に改称される。 なお、大東急になる前の小田急電鉄は、主軸の電力部門を電力国家管理政策に基づき国家へ取り上げられた上、中華民国の山東半島への鉱業進出が裏目に出て経営が悪化し、先行きが暗かった。加えて、経営者である利光鶴松が高齢を理由に、小田急の経営一切を自分が見込んだ東京横浜電鉄の五島慶太に託して引退。事実上同社に身売りした。当然この背後には陸上交通事業調整法に基づく戦時交通統制があるが、小田急電鉄の場合、京王電気軌道と異なり、あくまで自主的に統合に加わったのであった。 第二次世界大戦中、京王線も井の頭線も、大東急の路線となった。
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第二次世界大戦中、京王線も井の頭線も、大東急の路線となった。 京王線は、東京急行電鉄京王営業局(→京王管理部→京王支社)によって、井の頭線は東京急行電鉄新宿営業局(→新宿管理部→渋谷管理部→渋谷支社)によって、それぞれ営業が行われた。しかし、戦局が悪化する中、京王線・井の頭線ともに空襲などで様々な被害を受けた。とりわけ井の頭線は永福町車庫が被災して壊滅に近い状態となった。また、京王御陵線は「不要不急線」と判断され、営業休止(事実上の廃線)に追い込まれた。大東急時代に、空襲被災のため、陸軍工兵隊を動員したターミナル駅の京王新宿駅を新宿三丁目から西新宿へ移転したほか、軌道から地方鉄道への変更が行われ、中央本線八王子駅への乗り入れ計画など(実現せず)、京王線の体質改善が計画されたが、間もなく、大東急は分割再編成に向かう。 第二次世界大戦も終結し、京王線と井の頭線は、京王帝都電鉄株式会社の下で営業されることとなる。東京急行電鉄が、新たに新設した子会社・京王帝都電鉄に、事業と資産の一部を譲渡する分離方式が採られた。京王帝都電鉄は、分離の翌期に株式市場に上場して、金融機関などの他の株主資本が入ることで独立を果たした。 元来、京王電気軌道も、帝都電鉄も鬼怒川水力電気の利光鶴松が企図した事業であったが、その後の沿革が異なる両線が同一会社となったのは、京王線がまだ路面電車当時の設備のままで脆弱であったこと、また戦前の京王電気軌道のもう一つの主力であった配電事業が失われたこと、東都乗合自動車(現・国際興業バス)や藤沢自動車(現・神奈川中央交通)、中野乗合自動車(現・関東バス)などのバス会社や観光事業であった京王閣などの有力系列会社が傘下から離れていったことに起因する。 京王線は、京急線や小田急線とは違い、高速鉄道化が遅れ、車両や鉄道用地の規格が小さく、戦災による被災車両が発生しても、他線からの車両の融通や、新製車両の配備も行われなかった。また東急本社も、車両、線路、設備の改良や新規の投資も行う余裕がなく、京王線は東急合併のメリットを享受できなかった。いわば、戦前の経営を支えた付帯事業を失い、戦災被害を受けたままの鉄道事業のみで自立しなければならない現状であった。そのため、京王線のみの分離では戦前の京王電気軌道よりも経営基盤が弱くなり、独立が危ぶまれていたのである。
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実際に井の頭線を路線に加えるように推進したのは、当時の東急京王支社長の職にあった井上定雄(後の京王帝都電鉄社長)であり、五島慶太はむしろこの案にためらったと言われる。京王線と井の頭線は沿線が重複し、合体することで強固な経営基盤が築け、また井上は帝都電鉄出身であったため、自分の案なら古巣の井の頭線の連中も十分説得できると自信を持っていたとされる。井の頭線は駅の過半数が京王線以北にあることから、多くの沿線住民にとって京王の管轄の方が便利でもあった。 東急からの譲受価格は総額5115万2800円で、前述の事情から、鉄道事業の補填のため、東京横浜電鉄が戦前経営していた京王線以北の乗合バス路線も京王帝都電鉄が譲り受けた。このほか、初代社長に東急(目黒蒲田電鉄)生え抜きの三宮四郎が就任したこともあり(なお、新生小田急の初代社長は旧小田急出身の安藤楢六、京急初代社長は京浜電鉄出身の井田正一だった)、京王電気軌道の復活と言うよりは、新たな合併私鉄が誕生した趣きで再出発を期した。 当初の経営状況は不安定であった。1948年度は現在の「大手私鉄」の中でも収益は最下位で、1949年の『会社四季報』にも、「(東急系)四社の中で一番劣る」「前途は芳しくない」「労資関係も良くない」「発展性は薄い」などと酷評される有り様であった。 戦災復旧、設備の改良など、巨額の投資を余儀なくされた一方、国鉄下河原線の払い下げ出願(実現せず)、競馬場線の建設計画のほか、収支改善のために、バス事業など付帯事業の強化を推進し、1955年(昭和30年)の高尾自動車株式会社の買収を始めとしたバス事業に本腰を入れる様になると共に、1956年(昭和31年)の京王百花苑(現・京王フローラルガーデンANGE)の開園や1959年(昭和34年)の京王食品株式会社(現・京王ストア)、1961年(昭和36年)の京王百貨店の設立など、沿線価値を上げる事業も開始した。 また、1960年代には、新宿地下駅の営業開始など、軌道線イメージからの脱却にも力を入れた。またレジャー輸送を主にする競馬場線・動物園線・高尾線を開通させたほか、1970年代には多摩ニュータウンへのアクセス路線として相模原線を開業。1980年には東京都交通局(都営地下鉄)新宿線との相互直通乗り入れを開始するなど、発展の道を歩んだ。
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また、1960年代には、新宿地下駅の営業開始など、軌道線イメージからの脱却にも力を入れた。またレジャー輸送を主にする競馬場線・動物園線・高尾線を開通させたほか、1970年代には多摩ニュータウンへのアクセス路線として相模原線を開業。1980年には東京都交通局(都営地下鉄)新宿線との相互直通乗り入れを開始するなど、発展の道を歩んだ。 なお、1960年頃にはこの他にも数多くの路線を建設しようとしており、立川線(富士見ヶ丘駅 - 西国立駅)、三鷹線(富士見ヶ丘駅 - 三鷹駅)、両国線(新宿駅 - 神楽坂駅 - 飯田橋駅 - 九段下駅 - 東京駅 - 日本橋駅 - 浜町駅 - 両国駅)の3路線(路線名称は、いずれも計画時の仮称)を計画したが、いずれも実現しなかった。 1980年代にはそれほど健全な財務内容ではなかったが、第6代社長に京王帝都電鉄総合職1期生の桑山健一が就任し、経営の引き締めにつとめ、平成不況の過程で同業他社が不動産価格下落・流通不振・旅行低迷などに見舞われるのを尻目に、財務体質は強固なものに変わっていった。桑山は、京王帝都電鉄設立以来、会社のたゆまぬ経営努力にもかかわらず、常に財務状況が脆弱であったことを嘆き、財務体質の強化を志しての社長就任となった。桑山は、「リフレッシング京王」をスローガンに掲げ、京王グループ全体の経営改革と付加価値向上に努めた。後継社長には、財務のプロである住友信託銀行の西山廣一常務を招聘し、桑山の意を受けた西山は在任中、経営改革を成し遂げた。 1998年(平成10年)7月、京王帝都電鉄は、会社設立50周年記念として、京王電鉄株式会社へ改称した。 路線開通などはないものの、連続立体交差事業の推進を働きかけたり、パスネット、PASMOの導入に伴う積極的な機器の導入、待合室や新型ベンチの早期導入など、「乗客が利用しやすい鉄道」を目指している。 京王電鉄は大手私鉄の中でも優良な経営状況であったが、2020年以降は、新型コロナウイルス感染症で乗客が減るなどの影響を受け、2021年3月期決算は京王を含む首都圏大手私鉄5社全てが最終赤字となった。
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路線開通などはないものの、連続立体交差事業の推進を働きかけたり、パスネット、PASMOの導入に伴う積極的な機器の導入、待合室や新型ベンチの早期導入など、「乗客が利用しやすい鉄道」を目指している。 京王電鉄は大手私鉄の中でも優良な経営状況であったが、2020年以降は、新型コロナウイルス感染症で乗客が減るなどの影響を受け、2021年3月期決算は京王を含む首都圏大手私鉄5社全てが最終赤字となった。 京王電気軌道創立時は「K」、変更後は「京王」を図案化した社章を使用していた。大東急時代を経て京王帝都電鉄として独立した際に制定されたのが先代社章で、図案化した「京」と車輪を表す円を重ね、社員の協力体制を象徴していた。 現在の社章はコーポレートロゴマークとも呼ばれ、1989年(平成元年)に制定された。京王グループのシンボルマークも兼ねており、新しい“KEIO”を強く印象付けるため社名を前面に出した意匠を採用し、斜体にすることでスピード感やダイナミックさを表現している。デザインはカラーとモノクロの2種が設定されており、モノクロ版はカラー版の色が異なる部分を6本のストライプにすることでアクセントをつけている。 京王電鉄は、6路線84.7kmの鉄道路線を有するが、先述した通り、大きく分けて京王線系統と井の頭線の2つのグループから構成されている。 相模原線を延長開業させた1975年初頭時点で、当時の京王帝都電鉄の営業キロは75.8kmとなった。一方で、阪神電気鉄道が国道線の廃止を開始した1969年度初頭時点での営業キロは74.9kmあったものが、北大阪線・国道線・甲子園線を全廃した1975年5月6日に一挙に41.0kmとなった。阪神の営業キロは1969年に国道線西灘駅 - 東神戸駅間0.9kmを廃止した当時でも74.0kmであったのが、1973年の甲子園線の休止区間浜甲子園駅 - 中津浜駅間0.8km、1974年の国道線上甲子園駅 - 西灘駅間14.4kmの廃止で休止区間を含めても58.8kmとなった。1974年度初頭当時の京王の路線総延長は66.0kmであったため、同年10月の相模原線京王よみうりランド駅 - 京王多摩センター駅間9.8kmの延長開業および翌1975年の阪神国道線とその支線区の全線廃止を待たずに京王と阪神が逆転し、大手私鉄最短営業距離の座を阪神に譲ることとなった。
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京王線系統の軌間は1,372 mmのいわゆる「馬車軌間」である。これは京王線系統の元となった京王電気軌道が地方鉄道法ではなく軌道法によって建設されたことに起因する。つまり、京王線は路面電車由来の路線であり、これが都電荒川線や東急世田谷線といった軌道法に準拠して建設された路線と同様の軌間を持つ理由である。現在、大手私鉄の鉄道路線の中では唯一、1,372 mmの軌間が用いられており、全国的にも珍しい。 なお、この軌間を持った大手私鉄は過去には京成電鉄と京浜急行電鉄(当時は京浜電気鉄道)が存在した。これも軌道線を出自に持つ鉄道である。いずれにしても、これらは馬車軌間であった東京市電への乗り入れを考慮しての軌間の選択ということができる。ただし京王線と東京市電の接続はなかったが、戦時中に下高井戸駅で現東急世田谷線(当時は玉川線支線)と京王線を接続して物資輸送を行ったことがある。 1950年代になり、監督官庁からの要請や、都営新宿線乗り入れに向けて標準軌 (1,435 mm) に改軌することも検討され、1960年代に製作された5000系(初代)や2010系車両は、標準軌対応台車の採用など、標準軌への改軌を考慮した設計がされていた。しかし莫大な費用が掛かることや、長期の輸送力低下を要することから実現は困難とされ、都営新宿線を京王線に合わせて1,372 mm軌間で建設することになった。 帝都電鉄に由来する井の頭線の軌間は、狭軌の1,067 mmである。 以下は帝都電鉄時代に失効。 駅の管理は管区制を採用しており、7つの管区に分けて駅の運営を行っている。各管区の管理駅は以下の通りである(括弧内は管区長所在駅)。 かつては、現在よりも管区が細分化されていた。また、管区毎に色が設定されており、所属駅にはその色が壁などに線で表示されていた。また、旧管区長所在駅(吉祥寺駅、千歳烏山駅、府中駅、京王八王子駅、橋本駅など)には助役が配置されている。 2020年度は「1日の駅別乗降人員」(京王グループ公式サイト)より。それ以外は「関東交通広告協議会」、「東京都統計年鑑」、「神奈川県統計要覧」より。 は右欄の乗降人員と比較して増()、減()を表す。
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2020年度は「1日の駅別乗降人員」(京王グループ公式サイト)より。それ以外は「関東交通広告協議会」、「東京都統計年鑑」、「神奈川県統計要覧」より。 は右欄の乗降人員と比較して増()、減()を表す。 京王線・井の頭線とも通勤・通学輸送に特化している事情から、1948年の発足以来、導入車両は全てロングシート車のみであった。戦前、京王電軌時代にはクロスシート車として150形(後のデハ2150形)が運用されていたが、1938年にロングシートに改造された。また初代の5000系にも特急車両としての設備からボックス席を設ける構想が何度かあったが、ラッシュ対策で見送りになっている。所有車両が全車ロングシートなのは大手私鉄では京王電鉄だけであったが、京王グループの中期経営計画「京王グループ中期3カ年経営計画(2015-2017年度)〜向上と拡大に向けて〜」に有料座席列車導入の検討を行うことが盛り込まれ、この有料座席列車に使用する79年ぶりのクロスシート車両として5000系(2代目)が2017年9月29日より運用を開始した。
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現在の京王線と井の頭線では形式・車両デザインとも共通性が無いが、かつて一時期、共通性が発生したことがあった。井の頭線用の1700形・1710形・1800系の一部が1965年(昭和40年)頃から京王線に転用されたことがあるほか(現在は廃車)、1957年に登場した初の高性能車である井の頭線初代1000系と京王線2000系では外観のデザインが同一となった(こうした展開は他社では、現在でも阪急電鉄や近畿日本鉄道に見られる)。しかし次世代形式として登場した、1962年製造の井の頭線用3000系初期車は1000系・2000系とデザインの流れが似ており、1963年製造の京王線用初代5000系も1000系・2000系とデザイン(ドアや窓の配置)が似ていたものの、両開きドアやワイドボディに変更された3000系第3編成以降と5000系は全く別系統のデザインとなった。やがて京王線用の6000系など、さらに次世代形式が製造されると、両線でのデザインの隔たりはいっそう大きくなった。井の頭線用に1995年から製造された二代目1000系では、車両の仕様が京王線の8000系(1992年から製造)や9000系(2001年から製造)と近くなったものの、正面デザインや塗装においては、京王線と井の頭線はいまだ別系統の流れを歩んでいるといえる。 井の頭線は1962年という早い時期から3000系でステンレス車体を採用する一方、京王線は普通鋼車体という作り分けが長く続き、京王線でステンレス車体が採用されたのは1984年の7000系からである。こうした路線による車体鋼材の使い分けが長く行われた他の大手私鉄としては、南海電気鉄道(南海本線と高野線)が存在する。なお、保有車両は事業用車両を含めて全てステンレス車体で統一されており、関東大手私鉄では唯一、アルミ車両の導入実績がない。
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集電装置については、全車両がシングルアーム式パンタグラフであるが、総合高速検測車の検測用パンタグラフには下枠交差形が採用されている。1000系、3000系、8000系で長期に渡りシングルアーム形を試験搭載していた後、9000系から本格採用され、従来車に対してもシングルアーム式パンタグラフに換装した。過去には京王線系統での高速運転時の集電性向上を目的として、井の頭線3000系と京王線系統の車両でパンタグラフの換装が行われて、京王線系統はPT42形に統一してPS13形を井の頭線に集約したことがある。 京王線系統の車両は、乗り入れの都営車を含めて全先頭車に密着連結器と電気連結器を装備する。1967年(昭和42年)の高尾線開通に伴う分割特急開始時に5000系に装備したのが始まりである。井の頭線車両は密着自動連結器を装備する。 現在使用されている車両の運転台は、乗り入れ車を含め力行4段・常用制動7段のT型ワンハンドルマスコンに統一されており、ATS照査速度(低速域を除く)が速度計の周りに表示される。9000系、1000系11編成以降の新造車は高運転台構造となっている。 ATC導入以前は、動物園線・競馬場線列車を除き、営業列車の先頭に立つ運転台には原則としてTNS(トレインナビゲーション装置)というディスプレイ装置が設置されており、次の停車駅等を表示していた。この画面にはアナログ表示の時計も表示される(TNS導入の経緯については「京王8000系電車」の運転台の節を参照のこと)。なお、京王線は2011年10月、井の頭線は2013年3月にATCに切り替えたため、使用停止となり、順次撤去されている。 現在は、ATCの停車駅誤通過防止機能による列車種別・停車駅の表示器が設置されている。 空気笛(タイフォン)は、上りと下りで周波数が異なり(他社では東武鉄道でも同様)、下りの方が高くなっている。電気笛は京王線と井の頭線で異なるタイプを使用している。
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現在は、ATCの停車駅誤通過防止機能による列車種別・停車駅の表示器が設置されている。 空気笛(タイフォン)は、上りと下りで周波数が異なり(他社では東武鉄道でも同様)、下りの方が高くなっている。電気笛は京王線と井の頭線で異なるタイプを使用している。 かつては全線に渡って独自のATS(多変周式信号ATS)を採用していた。信号現示における速度制限は、絶対停止0km/h・警戒25km/h・注意45km/h・減速75km/h、進行の5種類で、制限速度はATCのように運転台の速度計の外周に表示される。絶対停止で停車した場合、確認スイッチを操作することで最高15km/hで走行が可能になる。この確認スイッチは絶対停止用のもので、前方の信号機の現示が上位しても地上子を通過するまでは照査する速度を変えることはできない。 運転保安度向上の一環として京三製作所製のATC(京王ATC)の導入が決定し、設置工事が行われ、2010年3月から相模原線で先行導入し、2011年10月から京王線系統(京王新線・競馬場線・動物園線・高尾線を含む)、2013年3月から井の頭線で使用されている。近隣の鉄道では同時期に東武鉄道も東武東上本線より順次ATC化される。 都営新宿線での(旧)ATC機器との干渉のため、インバータ制御車の新宿線への乗り入れはできなかったが、2005年5月のデジタルATC化に伴い解禁され、2006年3月よりそれまでの6000系(6030番台)8両編成、8両+2両の10両編成に加えて9000系(9030番台)の10両編成が直通運用に当たっている。 相模原線の若葉台駅、京王線の桜上水駅と高幡不動駅、井の頭線の富士見ヶ丘駅の4か所に車両基地が設けられており、桜上水駅以外のそれぞれに併設している検車区で管理・修繕を行っている。なお全般・重要部検査および大規模な修理や改修の業務は若葉台駅にある若葉台工場にて行っている。井の頭線車両についても富士見ヶ丘検車区内の若葉台工場富士見ヶ丘作業場で車両の機器を取り外して、車体等は富士見ヶ丘で、それ以外はトラックで陸送して若葉台で行われる。若葉台工場は京王電鉄内の事業子会社化に伴い、子会社の京王重機整備の施設としても稼動している。
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前照灯は現在では終日点灯である。急行系列車(京王では各停以外の種別を優等列車とは呼ばない)では、新宿線内も含め先頭車は通過標識灯(急行灯)を点灯させる。信号システム上は「普通列車」として運行する、急行系列車の各駅停車区間では通過標識灯を消灯する。また通過標識灯が上下分離している場合、窓上が通過標識灯、窓下が尾灯であることがほとんどだが、3000系と5000系までの京王は、窓上が尾灯で窓下が通過標識灯であった。上下逆になっていた大手鉄道は京王だけである。 2001年3月のダイヤ改定で車両の運用方針を変更するまでは各駅停車には7000系と2010系以前の車両が使用され、急行系列車には5000系・6000系・8000系が充当されていたが、現在では7000系も急行系の列車に充当されており、種別ごとに使用形式を限定していない。 8000系1次車まではシルバーシートと呼称され、位置も下り方(井の頭線は上り方)の車端部だった。5両編成以下は編成内1か所、6両編成以上は編成内2か所だったが、複数編成が組み合わさった場合はこの限りではなく、例えば6両編成と4両編成が合わさった10両編成は3か所となる。 8000系2次車より、各車両に設置されるようになった。この頃より、シルバーシートから優先席へと呼称が変更されている。同時に車外のステッカーも当該部分の窓上(7000系と8000系は車端部)から当該部分の戸袋とドアの間に変更されたため、サイズも小さくなっている。設置場所も現在と違って、奇数号車は上り方海側(下り列車の進行方向左手サイド)車端部、偶数号車は下り方山側(下り列車の進行方向右手サイド)車端部である。既存車も随時このパターンへと変更されたが、当然のことながら3両編成・5両編成ではパターンが異なる。 2000年8月より、優先席付近を携帯電話OFF区域とするのに合わせて、従来の優先席の向かいの座席も優先席となる(ステッカーは透明)。 2006年1月から優先席を先頭車の運転台部分を除く各車車端部に拡大し、同時に優先席付近一帯を「おもいやりぞーん」とした。合わせて吊輪のオレンジ色化、室内側の壁や窓にステッカー貼付、車外ステッカーの拡大と位置変更(戸袋あり車両は戸袋部に貼付)が行なわれている(ステッカー色は黄色)。
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2006年1月から優先席を先頭車の運転台部分を除く各車車端部に拡大し、同時に優先席付近一帯を「おもいやりぞーん」とした。合わせて吊輪のオレンジ色化、室内側の壁や窓にステッカー貼付、車外ステッカーの拡大と位置変更(戸袋あり車両は戸袋部に貼付)が行なわれている(ステッカー色は黄色)。 2015年10月からは、携帯電話の使用について「優先席付近では携帯電話の電源をお切りください」から「優先席付近では、混雑時には携帯電話の電源をお切りください」に変更した(ステッカー色は青、東京地下鉄(東京メトロ)や東急電鉄等で使用されているものと同タイプのステッカーを使用)。 5000系は他形式同様に車端部に優先席が設定されているが、京王ライナーとして運用する際にはこれらの座席も指定席として販売している関係上、京王永山駅、府中駅から先の無料開放区間においても優先席としての取り扱いは行わない。 中央線における「婦人子供専用車」の1973年の廃止以後で、全国に先駆け女性専用車両を復活させた。2000年12月7日に試行的に導入され、2001年3月27日のダイヤ改定以降本格的に導入された。新宿駅を23:00以降に発車する急行系の列車で実施されている。その後2005年5月9日からは平日の朝(京王線新宿駅と新線新宿駅に7:30 - 9:30に到着する準特急・急行・通勤快速)・夕方・夜(京王線新宿駅を18:00 - 22:40に発車する特急・準特急)・深夜(京王線新宿駅を22:50以降に発車する急行・通勤快速・快速)にも拡大されている(当面は試験導入)。その後、深夜帯に特急を走らせる様になってからは、下り列車においては急行以下の種別での設定を取りやめている。また、ダイヤ乱れによって8両編成が充当される場合や、京王ライナーでの設定も行っていない。 警視庁などからの要請により2011年2月28日から客室内に防犯カメラが設置された。日本の通勤用車両では埼京線の205系電車、横浜新都市交通2000形電車についで、3番目の事例である。防犯カメラは7000系電車の1編成の6号車に4機設置され、3月下旬からさらにもう1編成にも設置され、2編成で防犯カメラが運用されている。 2017年9月営業運転開始の新5000系電車には全車両に防犯カメラが1両につき4台設置されている。
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2017年9月営業運転開始の新5000系電車には全車両に防犯カメラが1両につき4台設置されている。 2022年2月1日、2021年10月31日に走行中の車内で起きた傷害事件(京王線刺傷事件)を受けて、リアルタイム伝送機能を持つ車内防犯カメラを、2023年度末を目途に全車両に設置予定だと発表した。 2017年度末時点で事業用車を除くと京王線用736両、井の頭線用145両、計881両を保有する。各系列の詳細、使用線区、運用などについてはそれぞれの記事を参照されたい。 2012年9月7日に、大手私鉄では初となる全営業車両のVVVFインバータ制御化を達成した。現在では事業用車両を含め所属する全ての車両がVVVFインバータ制御である。 営業用 事業用 地方私鉄への車両譲渡はあまり行われていなかったが、5000系や3000系の廃車が始まると、18m車体という手頃さから、譲渡が多数発生した。 営業用 事業用 電動車は運転台の有無に関わらず「デハ」を用いる。これは東京急行電鉄と合併した大東急時代に定められたもので、合併した他社もほぼ同様である。なお、制御車(制御付随車)は「クハ」、付随車は「サハ」を用いる。 十位と百位は1000系(初代)・2000系(2代目)以降、以下のように分類される。 系列によっては20番台や30番台が存在するが、それについては各系列記事を参照されたい。 京王電鉄ではダイヤ改正のことを2013年2月22日改定までは「ダイヤ改定」と呼んでいた(ただし、2001年3月27日のダイヤ改定まではパンフレットなど一部に「ダイヤ改正」の表記を使用していた)。改めたダイヤが利用者全てに正しいダイヤとは限らない等の理由からである。「ダイヤ改定」の呼称は、京王電鉄のほかに、2000年代の京阪電気鉄道でも見られた。 現在は京王線・井の頭線で同時にダイヤ改正が行われているが、1990年代までは別々に行われたことがしばしばあった。
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現在は京王線・井の頭線で同時にダイヤ改正が行われているが、1990年代までは別々に行われたことがしばしばあった。 2006年8月31日までのダイヤにおいて、平日ダイヤと土休日・祭日ダイヤのほかに土休日・祭日シーズンダイヤも存在した。シーズンダイヤは4 - 6月・9 - 11月に設定され、都内でも貴重な自然の残る高尾山への行楽客向けや、この時期にほぼ毎週GIレースが行われる東京競馬場への観戦客向けとして利用客を見越した時間帯に臨時列車を運行していた。現行の高尾線方面のダイヤでは、土休日の下り列車はほぼ終日で新宿方面から準特急として高尾山口駅まで運行する系統と、京王八王子駅行の特急(北野駅の同一ホームで各駅停車高尾山口駅行に接続)の交互の運転に、上り列車は早朝1本を除くほぼ終日で、高尾山口駅から準特急新宿駅行の系統と、各駅停車新宿駅行(北野駅で京王八王子駅発の特急に乗り換えることによって新宿方面に先着可能)を交互に運行するダイヤに改められている。競馬場線関係では、東京競馬開催時の一部時間帯に上下の特急と準特急を東府中駅に臨時停車させたり、メインレース終了後に府中競馬正門前駅発新線新宿駅行や飛田給駅行の臨時急行の運転を行ったりしている。 以前は休日ダイヤの下り特急・急行で高幡不動で切り離しが行なわれていたため、相互の行先の車両内を識別するため、吊り輪の色を白と緑の2色に分け、車内放送でも「前x両の白い吊り輪の車両が○○行、後y両の緑の吊り輪の車両が●●行です」とアナウンスしていた。 京王線系統では途中駅で種別変更を行う列車が存在する。発車時の種別で運行する区間での案内表示は、終着駅と発車時の種別を表示した上で、種別変更する駅名と変更後の種別を別に知らせるようになっている。2018年2月21日までは、発車時の種別で運行する区間の終点を行先として表示し、その駅に到着後に新しい種別・行先に変更していた。 保安装置がATS時代はTTCの関係で最大列車種別数の設定に制約があった(同時に6種別までの列車種別しか設定できなかった。2001年に準特急を設定した際には1992年に廃止した通勤急行の枠を使用して対処した)が、ATC化と同時にTTCも更新されたため、この制約は緩和され、2018年より後述の「京王ライナー」が設定され7種別体制となった。
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京王電鉄
保安装置がATS時代はTTCの関係で最大列車種別数の設定に制約があった(同時に6種別までの列車種別しか設定できなかった。2001年に準特急を設定した際には1992年に廃止した通勤急行の枠を使用して対処した)が、ATC化と同時にTTCも更新されたため、この制約は緩和され、2018年より後述の「京王ライナー」が設定され7種別体制となった。 各駅停車は過去には普通と称していたが、現在は正式な列車種別名を各駅停車に改めている。 京王電鉄は2015年の中期3カ年経営計画(2015年度〜2017年度)で、有料座席指定列車導入の検討を始めたことを発表しており、2016年3月16日には2018年春より5000系 (2代)を充当する形で、平日及び土休日の夜間帰宅時間帯に、京王線新宿発京王八王子行および橋本行のそれぞれ片道のみにおいて運行することが正式に発表された。 2017年4月27日から5月19日まで、この有料座席指定列車の愛称投票を実施し、京王電鉄の新サービスであることをシンプルに表現した「京王ライナー」、「smart(気の利いた)」サービスを表現した「京王スマートライナー」、「prime(最上の)」サービスを表現した「京王プライムライナー」、「luxury+express(贅沢な・急行列車)」からの造語である「Luxpress(ラクスプレス)」、「west+star(東京都西部を走行・人気)」からの造語である「WESTAR(ウェスター)」の5つの候補の中から、最多得票約6,300票(総数約2万4,000票)を獲得した「京王ライナー」に決定したことが2018年1月24日に発表された。同年2月22日のダイヤ改正より運行を開始している。 京王ライナーの送り込みは、平日は回送となっているが、休日は東京競馬場での中央競馬開催日(特に最も混雑する日本ダービー(東京優駿)等のGIレース開催日)と、中山競馬場での開催ながら東京競馬場での場外発売では最も来場者が多い有馬記念の開催時限定で、府中競馬正門前発京王線新宿行き臨時準特急(東府中駅臨時停車)となっている。 2018年11月には、高尾山観光客向けとして、京王ライナー用の5000系を使用し、臨時列車扱いで高尾山口発の座席指定列車「Mt.TAKAO号」京王線新宿行が運転されている。
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2018年11月には、高尾山観光客向けとして、京王ライナー用の5000系を使用し、臨時列車扱いで高尾山口発の座席指定列車「Mt.TAKAO号」京王線新宿行が運転されている。 2021年10月30日から、土休日のみ「Mt.TAKAO号」「京王ライナー」はともに明大前駅に停車する。なお、平日は通過(運転停車)する。 2022年3月12日に行われるダイヤ改正より、平日においても明大前駅が停車駅に追加された。また「Mt.TAKAO号」は通年運転となった。 京王線・高尾線・相模原線では通勤車による特急を運転しているが、特急料金は不要である。 かつては行楽特急列車に「高尾」(高尾山口行)と「陣馬」(京王八王子行)の愛称を付与していたが、現在はその愛称はない。これに代わって最近では「迎光EXPRESS かがやき」が年末年始の終夜運転時に運行されていた。京王ライナー運行開始後は、京王ライナー「迎光」号での運行となっている。 最高速度は京王線が1971年4月に95km/hから105km/hとなったのち、相模原線が1997年12月に、京王線調布駅 - 京王八王子駅間が2001年3月にそれぞれ110km/hに引き上げられている。 2012年8月19日の調布・布田・国領駅地下化に伴うダイヤ改定で、特急が休止されていたが、停車駅に分倍河原駅と北野駅を追加した上で2013年2月22日から運転を再開した。 2001年3月27日からは京王線・高尾線で(2015年から相模原線にも)「準特急」が運行されていたが、2022年3月12日のダイヤ改正で特急と統合されて廃止された。 大人普通旅客運賃。ICカード利用時は1円単位、切符の運賃は10円単位である(小児半額。端数はICカードの場合、1円未満の端数を切り捨て、切符の場合は10円未満の端数を10円単位に切り上げる)。2023年(令和5年)10月1日改定。
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2001年3月27日からは京王線・高尾線で(2015年から相模原線にも)「準特急」が運行されていたが、2022年3月12日のダイヤ改正で特急と統合されて廃止された。 大人普通旅客運賃。ICカード利用時は1円単位、切符の運賃は10円単位である(小児半額。端数はICカードの場合、1円未満の端数を切り捨て、切符の場合は10円未満の端数を10円単位に切り上げる)。2023年(令和5年)10月1日改定。 1997年12月28日、戦後初の運賃実質引き下げを行った。特定都市鉄道整備積立金による特定都市鉄道整備事業の完了のため、積立金分を取り崩して運賃を改定したことで、実質全区間で値下げとなった。積立金の還元は2007年12月28日まで行われ、制度の趣旨からは還元終了時に通常運賃に戻す値上げを行うことで帳尻を合わせる仕組みとなっているが、実際には期間経過後も2014年4月1日・2019年10月1日に消費税率引き上げ分を転嫁したのみで、2023年10月1日の改定までこの運賃水準を維持していた。 かつては相模原線京王多摩川 - 橋本間に加算運賃が設定されていたが、建設事業費の回収が進んだことにより2018年3月17日に1回目、2019年10月1日に2回目の引き下げが行われたのち、2023年10月1日の運賃改定に合わせて全廃された。 京王電鉄を中心に54社で構成され、鉄道・バス・タクシーの交通・運輸業、小売・流通業、不動産業、レジャー・サービス業などを展開する。グループ全体の売上高(連結決算)は約4162億円、従業員は約2万人。 京王電鉄本体はグループ戦略を立案・推進するほか、事業創造部といった新規事業を開発する部署がある。このため、民泊やサテライト・オフィス貸出(テレワーク)のように鉄道以外の事業に京王電鉄本体が進出し、運営や場所の提供をグループ会社が担う場合もある。 岐阜県高山市で2021年4月23日からMaaS事業を始めるなど、次世代の移動サービス開発・進出や関東以外の地方での事業展開を進めている。
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京王電鉄
京王電鉄本体はグループ戦略を立案・推進するほか、事業創造部といった新規事業を開発する部署がある。このため、民泊やサテライト・オフィス貸出(テレワーク)のように鉄道以外の事業に京王電鉄本体が進出し、運営や場所の提供をグループ会社が担う場合もある。 岐阜県高山市で2021年4月23日からMaaS事業を始めるなど、次世代の移動サービス開発・進出や関東以外の地方での事業展開を進めている。 京王では他の大手私鉄と異なり、ゲームソフトや列車前面展望映像などの商品化許諾は消極的だった。2017年7月以降は積極的になりにアネックから展望映像作品が、ビコムから「京王電鉄全線 前編 京王線・高尾線&競馬場線&動物園線 4K撮影」と「京王電鉄全線 後編 京王線・相模原線&井の頭線 4K撮影」が発売された。ただし、A列車で行こうシリーズでは京王の所有車両も収録されているゲームソフトもあり、2011年に京王アートマンが発売したDVD「カラフル!不滅の京王井の頭線3000系」には井の頭線の前面展望映像が、2013年にメディアックスの「京王電鉄完全データDVDBOOK」付録DVDには京王線の前面展望映像がそれぞれ収録されているので、許諾商品が全くない訳ではなかった。 なお、鉄道模型など、その他の鉄道グッズの商品化許諾は基本的に実施している。
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音楽に関する賞
音楽に関する賞(おんがくにかんするしょう)では、音楽の賞とコンクールについて記す。
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競馬
競馬(けいば、英: Horse racing)は、騎手が乗った馬により競われる競走競技、および、その着順を予想する賭博である。イギリスを発祥とする近代競馬は多くの国々で開催されており、その多くは勝馬投票券(馬券)の販売とセットの興行として行われている。 競馬は主に競馬場と呼ばれる専用の競技場で開催される。一つ一つの競い合いを「競走 (race)」と呼び、一日の競馬開催でいくつかの競走が行われる。競走の種類は主に、平坦なコースを走る平地競走、障害物の飛越を伴う障害競走、繋駕車と呼ばれる車を曳いて走る繋駕速歩競走の3つからなり、他に繋駕車を曳かない速歩競走やそりを曳くばんえい競走などがある。競走では一般には騎手が馬に騎乗して一定の距離を走り、正規に最も早く決勝線に到達した馬を勝者とする。決勝線への到達は、概ね馬の鼻の先が決勝線を通過したときをもって判定されるが、ばんえい競走に限っては馬が引っ張るソリの最後部が決勝線を通過したときをもって判定される。 用いられる競走馬は平地や障害、速歩競走ではサラブレッド、サラブレッド系種、アラブ、アングロアラブ、アラブ系種の軽種馬もしくはクォーターホース、スタンダードブレッド(アメリカントロッター)等の中間種が用いられ、ばんえい競走では重種馬が用いられる。 競馬の世界は優勝劣敗が大原則であり強い馬は強い馬同士、弱い馬は弱い馬同士での競走が基本である。だが、競走の出走メンバーのみを変更するには限界がある。そこで考え出された方法として強い馬には重い負担重量を、弱い馬には軽い負担重量となるように負担重量を変更することである程度幅のある競走を組むことができる。負担重量の決定方法としては馬齢戦、別定戦、定量戦、ハンデキャップ競走などもある。
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競馬
競馬の世界は優勝劣敗が大原則であり強い馬は強い馬同士、弱い馬は弱い馬同士での競走が基本である。だが、競走の出走メンバーのみを変更するには限界がある。そこで考え出された方法として強い馬には重い負担重量を、弱い馬には軽い負担重量となるように負担重量を変更することである程度幅のある競走を組むことができる。負担重量の決定方法としては馬齢戦、別定戦、定量戦、ハンデキャップ競走などもある。 競馬の競走には大多数の一般競走と賞金が高額で特別登録料が必要な特別競走が存在する。特別競走の中でも特に賞金が高額で歴史と伝統・競走内容等を考慮し、重要な意義を持つ競走として重賞が行われる。さらに各重賞競走の役割と重要性を広く認識してもらい生産界の指標としての重賞競走の位置づけを明確にするため、グループ制(日本を含む一部の国ではグレード制)によってG1、G2、G3に分類される。G1は競走体系上もっとも重要な意義をもつ根幹競走、G2はG1に次ぐ主要な競走でG1の勝ち馬も比較的容易に出走できる内容をもった競走である。G3についてはG1、G2以外の競走である。 G1競走(およびそれに類する格付けの競走)の中でも、3歳馬に対して行われる伝統のある競走をクラシックと呼ぶ。2010年現在、世界各地でクラシックと呼ばれる競走が行われているが多くの国が最初に始められたイギリスのクラシックレースを模範としている。イギリスのクラシックは全5競走であるがうち2競走は牝馬限定戦であり牡馬が出走可能な2000ギニー、ダービー、セントレジャーの3競走すべてに優勝した競走馬を三冠馬という。ただし生産上の意味合いが薄れ、また距離別の路線が体系化されたこともあって三冠の概念は形骸化している。なお、日本のクラシック競走はイギリスと同様に全5競走で、三歳牝馬路線の最終戦である秋華賞はクラシックには含まれていないが、三冠の概念は依然として重要視されている。 ウマの速さを競わせること自体は有史以前、ウマが家畜化された頃から行われていたと考えられている。
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競馬
ウマの速さを競わせること自体は有史以前、ウマが家畜化された頃から行われていたと考えられている。 競馬が初めて文献に現れるのは古代ギリシャの吟遊詩人ホメロスの『イリアス』第23歌における追悼式で行われた戦車競馬(戦車競走)である。古代ギリシャの戦車競馬は騎手が二輪の車両(チャリオット)を馬2頭に引かせて競うもので古代オリンピックの種目にもなっていた。これはのちに映画『ベン・ハー』の戦車競馬のシーンで有名になった(ただし、映画では時代設定が古代ローマ帝国になっており馬も4頭になっている)。なお、現在行われている繋駕速歩競走はこの伝統を引き継いだものである。戦車競走は古代ローマにも伝わり、パンとサーカスのフレーズにあるように民衆の人気を集めた。 一方、日本の平安時代の文献にも競馬(くらべうま)という表記があった。またユーラシア内陸部の遊牧民族の間では、現在でもモンゴル族などで行われているようなウマの競走が行われていた。紀元前12世紀のギリシャ競馬が最も古いとされている。 競走結果に金銭や名誉の譲与が絡む、賭博の対象としての近代競馬の基礎を築いたのは英国とされている。ピューリタン革命時には賭博の禁止がされたもののほとんど守られず、その後アン王女からも賭博の禁止がされたが、やはり競馬場では賭博が横行していた。 黎明期の競馬は貴族のみが関わるスポーツであり、その傾向は今日のイギリス競馬にも見られる。 イギリスでは馬上槍試合の人気が強かったが、十字軍の遠征をきっかけとして競馬が少しずつ人気を博し始めた。 ローマ人による支配の歴史を持つイギリスでは東方の馬の方が優秀であると伝えられており、1121年にはアラブ馬の輸入が始まっている。リチャード1世が王位を継承する以前の時期に書かれた「ロンドン市の描写」では、2頭立て数頭立ての騎乗馬競走が行われていたという記述が登場し、その20年ほど後にはリチャード1世が3マイル以上の高額賞金競走の開催を行っている。
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競馬
正式のルールに基づき専用の競技用施設(競馬場)において行われる競馬(近代競馬)は16世紀のイングランドに始まったとされ17世紀にはフランスやアイルランド、19世紀にはドイツやイタリアでも行われるようになった。また17世紀以降は、ヨーロッパ諸国の植民地であった国々を中心に、アメリカ、アジア、アフリカ、オセアニアなどの地域においても近代競馬が行われるようになった。 イギリスではリチャード2世がアランデル伯爵(のちのカンタベリー大司教、1353年 - 1414年)と所有の馬を用いてしばしば一騎打ちのレースを行っていた。1540年にはチェスター郊外のルーディーに初の常設の競馬場(チェスター競馬場)が完成。1666年には亡命先から帰還したチャールズ2世が競馬のレースに王室杯を贈呈している。競馬発祥の地イギリスでは、王侯貴族や有力者によって近代競馬が形創られた過程に鑑みて「スポーツ・オブ・キングス(Sport of Kings)」と形容する場面もある。 17世紀中期には、出馬登録や負担重量、検量、反則や失格といったルール作りがされるようになったと記録に残っている。 しかし、近代競馬の初期において競技運営は貴族の内輪内、18世紀初頭においても100以上の競技場で競技が行われる中思い思いのローカルルールで運営されていた。世界初の競馬統括組織、ジョッキークラブは1750年以前には存在していたとされるが、貴族やジェントルマンの利用するクラブという形であり、実際に統括組織としての側面を明確に見せるようになったのは1758年3月24日の検量に関する規定指示が最初と言え、これもニューマーケットの範囲での権威である。
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競馬
黎明期のレースは4から6マイル、中には8マイルのものもあり、競馬において用いられる競走馬についてはスタミナに秀でた馬が主流であった。しかし、17世紀後半から18世紀にかけてアラブ種やトルコ馬、バルブ馬などがイギリスへ輸入されて品種改良が行われ、やがてサラブレッドと呼ばれる品種が誕生することで、俊敏性や早熟性を持つ競走馬が増えていった。サラブレッドについては1791年にジェネラルスタッドブックと呼ばれる血統書が作成され、以後その生産において血統が重視されるようになった。そのような競馬の性質の変化を受け、1776年のセントレジャーステークス創設を始めとするクラシック路線の構築が始まった。イギリスクラシック路線の歴史の詳細についてはイギリスクラシック三冠を参照。 競走の施行形態については18世紀後半頃まではヒートレースやマッチレースが主体であったが、これらの方式は競馬が産業としての要素を持ち始めた頃から衰退し、多数の馬による一発勝負のステークス方式へと主流が移行した。競走の賞金も馬主同士の出資によるものから始まったが、現在ではスポンサーの出資と馬券の売上金の一部、および補助金や積立金から賄われている。 日本で初めての西洋式の競馬の開催は、江戸幕府の開港の翌年の1860年に、横浜・元町で行われたとされている。1866年には横浜の根岸に、初めての本格的な競馬場として根岸競馬場が造られた。 また岩倉具視の著述記録によれば、黒船来航時の殉国者と伏見戦争(戊辰戦争)の殉国者を併せて慰霊するため、1869年に招魂社(靖国神社の前身)が設立され、1870年からその境内に作られた競馬場で年3回の神事として競馬が催されるようになった。 1879年には、のちに日本赤十字社や大日本武徳会の総裁となった陸軍軍人の小松宮彰仁親王を社長とする「共同競馬会社」が設立された。その後に明治天皇から賞品が下賜されるようになったのが、天皇賞のルーツであるといわれている。 1906年には、軍馬の改良を目的とした行政機関の馬政局が設立し、農林省畜産局の設置まで競馬の方針を決定した。馬政局の指示で1908年より競馬倶楽部、1936年から日本競馬会が、1948年以降は日本中央競馬会(JRA)が中央競馬の運営をしている。
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競馬
1906年には、軍馬の改良を目的とした行政機関の馬政局が設立し、農林省畜産局の設置まで競馬の方針を決定した。馬政局の指示で1908年より競馬倶楽部、1936年から日本競馬会が、1948年以降は日本中央競馬会(JRA)が中央競馬の運営をしている。 競馬は競技者・関係者が行う「馬を競わせる」興行に対して、観戦者が勝馬を予想して金を賭ける「賭博」を指す意味でも用いられる。賭博が禁止されている国においても、賭博としての競馬はイスラム圏を除き例外的に認められている場合がある。 イギリスのブックメーカーが競馬場で発生して以来、競馬は賭博とのつながりが深く保たれている。しかし現在ではパリミュチュエル方式による主催者が胴元として統括する賭博が世界的な主流となっており、ブックメーカーを認可している地域はあまり多くない。日本においても洋式競馬が導入された19世紀から既に勝馬投票券(馬券)が発売された。 勝馬を予想する方法については、古くからさまざまな模索がなされてきた。競馬新聞や馬券予想会社など、金銭と引き換えに他人に自分たちの予想を教えることを商売とする業者もある。また、自分が考え出した予想の方法を新聞・雑誌に寄稿したり、著作として出版する場合もある(予想 (競馬)を参照)。 馬券の販売は、主に発売対象の競走を開催している競馬場(本場)、もしくは同主催者の他競馬場、「WINS」などの場外勝馬投票券発売所、および提携している他の主催者の競馬場などで購入できる。また電話投票会員となり、電話やインターネットを利用して投票することも可能である。特にノミ屋などの私設馬券販売を防止するために、在宅投票の拡大が推奨されている。 競馬の開催における馬券販売は各国の法律で規制されており、以下のように異なっている。 馬券の購入者は、各競走終了後の配当が大きくなることを期待する。配当が100倍を超える馬券、つまり100円あたりの払戻金が1万円を超える馬券のことを「万馬券」と言う。10万円(1000倍)を超えると10万馬券、100万円(1万倍)を超えると100万馬券、そして1000万円(10万倍)を超えると1000万馬券と言われ、記録的な高額配当の際には一般のニュースで報じられることさえある。
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競馬
馬券の購入者は、各競走終了後の配当が大きくなることを期待する。配当が100倍を超える馬券、つまり100円あたりの払戻金が1万円を超える馬券のことを「万馬券」と言う。10万円(1000倍)を超えると10万馬券、100万円(1万倍)を超えると100万馬券、そして1000万円(10万倍)を超えると1000万馬券と言われ、記録的な高額配当の際には一般のニュースで報じられることさえある。 100倍を超える配当はかつてはあまり目にすることのないものであったが、2002年(平成14年)に誕生した馬番号三連勝複式(3連複)や、2004年に誕生した三連勝単式(3連単)の登場によりその機会は飛躍的に増大し、逆に100倍を超えないことが稀となっている。 2005年(平成17年)4月9日には福島競馬場で初の1000万馬券が発生した。その1ヶ月後の5月13日には大井競馬場で史上2度目の1000万馬券が飛び出し、記録したばかりの最高配当記録が更新されるまでに至る。しかも的中したのは発売176157票中たったの1票(=100円)だけだった。さらに10月22日には東京競馬場で1846万馬券が誕生、2000万馬券も間近という大万馬券となり2010年(平成22年)4月6日には大井競馬場で史上初の2000万馬券が誕生している。 様々な理由により(理由が明確にならないことも多い)、何年も続けて高額配当となる競走がある。そのような競走のことを「荒れる競走」と呼ぶことがある。 右図に各国の競走数を示した(モンゴルのナーダム競馬、あるいは各種草競馬など国際競馬統括機関連盟が把握していないものは除く)。 競走形態は主に平地、障害、速歩に大別される。平地競走は最も広範に行われ施行国は100ヶ国を超えると見られる。一方、速歩競走の競走数も平地に並ぶほど多くフランス、イタリア、スウェーデン、カナダ等ではこちらの方が人気が高い。障害はイギリス、アイルランド、フランスで主に行われている。フィンランドのように繋駕速歩競走のみを施行している国もある。
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競馬
競走形態は主に平地、障害、速歩に大別される。平地競走は最も広範に行われ施行国は100ヶ国を超えると見られる。一方、速歩競走の競走数も平地に並ぶほど多くフランス、イタリア、スウェーデン、カナダ等ではこちらの方が人気が高い。障害はイギリス、アイルランド、フランスで主に行われている。フィンランドのように繋駕速歩競走のみを施行している国もある。 競馬の政策、運営上の規則を統一、情報経験の交換、相互援助、共同研究を目的として、国際競馬統括機関連盟(International Federation of Horseracing Authorities:IFHA 別名;パリ国際競馬会議)が、各国の競馬統括機関の事務局長クラスが集まって、運営されている。 下部組織として、国際格付番組企画諮問委員会(IRPAC)、馬の国際間移動に関する委員会(IMHC)などがある。 国際競馬に功績を残し、競馬発展に貢献をもたらした競馬関係者に国際功労賞を授与しているほか、年間の競走成績をもとに以下のものを発表している。 「パート」は各国競馬の状況を格付けしたもので、下記の分類は国際競馬統括機関連盟(IFHA)の国際格付番組企画諮問委員会(IRPAC)が維持する『国際セリ名簿基準書』におけるサラブレッドの平地競走の格付けによる。 競馬は馬を使役し、特に競走などで鞭を打つことから、動物虐待にあたるとして長らく動物愛護団体より非難の対象に挙げられている。それらの団体の多くは、馬の飼育環境や騎乗することそのものを馬の意思に反して行われている虐待行為であると主張している。このため、一部の国・団体では鞭の使用回数に制限を設けられており、例えばイギリスでは鞭の使用回数は1競走につき平地では7回、障害では8回までと制限され、制限よりも4回多く使うと失格となり騎手も28日間の騎乗停止処分が科せられる。また日本のJRAも鞭の使用回数の制限に動いており、2023年より競走中の連続使用は5回までとされた。 しかし批判の矛先は競馬のみならず、競走馬の生産や屠殺、馬肉の生産にまで及ぶ。 競走馬の屠殺については競馬業界関係者にも批判者がおり、アメリカでは2006年に競走馬の屠殺を全面禁止する法律が可決しているが、それに際して同国の関係者らからも賛成の声が上がっていた。
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競馬
しかし批判の矛先は競馬のみならず、競走馬の生産や屠殺、馬肉の生産にまで及ぶ。 競走馬の屠殺については競馬業界関係者にも批判者がおり、アメリカでは2006年に競走馬の屠殺を全面禁止する法律が可決しているが、それに際して同国の関係者らからも賛成の声が上がっていた。 娯楽が多様化するに従って競馬に対する大衆の関心は薄まっていったが、時折現れるアイドルホース(大衆的な人気を得る馬)によって大衆的な関心が再燃することがある。日本での代表的な例に、20世紀のハイセイコーやオグリキャップやトウカイテイオーやナリタブライアンなど、21世紀初頭のディープインパクト、オルフェーヴル、キタサンブラックなどがいる。 また、競馬は単なる賭博としてだけではなく、音楽や文学、絵画や彫刻などの創作活動の主題として取り上げられたり、社会制度にも入り込んで一連の馬事文化を形成してきた。特にイギリスでは活躍した名馬の肖像画も多く残されており、その姿を現代に伝えている。日本では寺山修司らによる競馬を主題とした文芸作品もある一方、競馬漫画や競馬ゲームといったサブカルチャー作品も多く発表されている。 競馬を題材にしたフィクションの作品において、ゲームは競馬ゲーム(けいばげーむ)、映画は競馬映画(けいばえいが)、漫画は競馬漫画(けいばまんが)と称される。競馬漫画はスポーツ漫画の一種として扱われることがある。
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太陽風
太陽風(たいようふう、英: solar wind)は、太陽から吹き出す極めて高温で電離した粒子(プラズマ)のことである。これと同様の現象はほとんどの恒星に見られ、「恒星風」と呼ばれる。なお、太陽風の荷電粒子が存在する領域は太陽圏と呼ばれ、それと恒星間領域の境界はヘリオポーズと呼ばれる。 大規模な太陽フレアが発生した際に太陽風が爆発的に放出され、地球上や人工衛星などに甚大な被害を及ぼす現象は、太陽嵐 (solar storm) とも呼ばれる。 太陽の表面には、コロナと呼ばれる100万度以上の密度の低い薄い大気がある。このような超高温では、気体が電子とイオンに電離したプラズマ状態になっており、太陽の重力でも、このコロナガスを繋ぎ止めることができず、イオンや電子が放出される。放出された電気を帯びた粒子(プラズマ)が太陽風と呼ばれる。 毎秒100万トンもの質量が太陽から放射されている。この流れが地球の公転軌道に達するときの速さは約300~900 km/s、平均約450 km/sであり、温度は10 Kに達することもある。地球磁場に影響を与え、オーロラの発生の原因の一つとなっている。高速の太陽風は、コロナホールや太陽フレアに伴って放出されていると考えられている。 太陽風の存在は、1958年にユージン・ニューマン・パーカーが提唱し、太陽風 (solar wind) の名称も、彼によって提案された。初の直接観測は、1962年打ち上げの金星探査機・マリナー2号によって行われた。 太陽系には、系外からの銀河宇宙放射線が流入しているが、その量は、太陽風を伴う太陽活動と相関があり、太陽活動極大期に銀河宇宙線量は最小になり、太陽活動極小期に銀河宇宙線量は最大になる。これは太陽風が、太陽系外から流入する銀河宇宙線をブロックするためと考えられている。銀河宇宙線のエネルギーは強大で、ほぼ真空の宇宙空間を飛翔する岩石結晶には、銀河宇宙線による細かい傷が見られる。太陽風によって、銀河宇宙線の地球に対する影響が抑えられている部分がある。米国のボイジャー探査機においては、太陽系を離れるにつれて次第に強い銀河宇宙線が検出されている。 太陽に接近して尾ができた彗星において、尾が常に太陽と反対方向に延びるのも、彗星表面から蒸発した物質が太陽風によって吹き流されるのがその一因である。
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太陽風
太陽に接近して尾ができた彗星において、尾が常に太陽と反対方向に延びるのも、彗星表面から蒸発した物質が太陽風によって吹き流されるのがその一因である。 太陽風は水素イオンが95%を占めており、残りはヘリウムとその同位体等の様々なイオン及び電子となっている。月などの大気や磁気のない天体表面にはそれらが堆積している。特に核融合燃料として有望なヘリウム3が月面に豊富に堆積している事が確認されており、その利用が月開発の目標の一つとなっている。
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