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脳科学
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脳科学(のうかがく、英: brain science)とは、ヒトを含む動物の脳と、それが生み出す機能について研究する学問分野である。対象とする脳機能としては視覚認知、聴覚認知など感覚入力の処理に関するもの、記憶、学習、予測、思考、言語、問題解決など高次認知機能と呼ばれるもの、情動に関するものなどである。
以下のように様々な方法あるいは分野が存在し、それぞれ長所・短所を有している。2つ以上の分野を同時に行うこともある。
例:サルに報酬課題をさせているときのドパミン神経細胞の発火を細胞外電極で測定する(=計算論的神経科学+電気生理学)。これは有名なSchultzら(1993年)の実験。
次のように「脳科学」という語は学術分野において汎用されている。例えば、日本の公的な研究組織の名称として、次の組織に「脳科学」の語が使われている。
また、専門書と見なせる書籍で「脳科学」の用語が含まれているものとしては、「脳科学からみた機能の発達」、「分子脳科学」、「シリーズ脳科学」、「脳科学への招待」などがある。
理化学研究所 脳科学総合研究センター センター長の利根川進は、当センターの研究対象として「脳内の分子構造から神経回路、認知・記憶・学習の仕組み、健康と疾患等までを研究対象とし、工学や計算理論、心理学までも含めた多彩な学問分野を背景にして、学際的かつ融合的な研究を目指しています。近年では、分子や細胞といった微視的レベルを扱う神経生物学と、認知や計算論のような巨視的レベルとをつなぐものとして神経回路研究に焦点を当てています。」としている。
一方、「日本神経科学学会」の記述によると「日本神経科学学会は、脳・神経系に関する基礎、臨床及び応用研究を推進し、その成果を社会に還元、ひいては人類の福祉や文化の向上に貢献すべく、神経科学研究者が結集した学術団体です。」とある。神経科学の対象には脳も含まれるし、脳科学を研究するには神経の研究も必要である。あえて分類すれば、神経には脳神経以外も含まれるため、神経科学の方がより概念範囲が広い点が違いと言える。
「脳科学者」は日本のマスメディアに重宝され、テレビ番組に多数出演し、数多くの本を執筆している。
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脳科学
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「脳科学者」は日本のマスメディアに重宝され、テレビ番組に多数出演し、数多くの本を執筆している。
「脳科学者」の出版物には『脳内革命』や『脳を鍛える大人の計算ドリル』のようにベストセラーになったものも存在する。特に『脳を鍛える大人の計算ドリル』は『脳を鍛える大人のDSトレーニング』としてNintendo DSでゲーム化されDS初期の人気ソフトとなった。
五十音順。脳科学に関するメディア出演や執筆活動などを通じて知られた人物も含む。
東京大学・大学院薬学系研究科・教授
著書「進化しすぎた脳」「脳はなにかと言い訳する」など
東京大学名誉教授
著書「脳の設計図」など
早稲田大学理工学術院教授
著書「記憶のスイッチ、はいってますか-気ままな脳の生存戦略」「「脳が若い人」と「脳が老ける人」の習慣」 など
京都大学名誉教授
著書「性は生なり」「脳と性欲」など
東北大学加齢医学研究所教授
著書「現代人のための脳鍛錬」「さらば脳ブー-ム」など
慶應義塾大学名誉教授
著書「頭のよくなる本 大脳生理学的管理法」など
京都大学名誉教授
著書「手と脳」「ランニングと脳」など
東京大学総合文化研究科教授
著書「言語の脳科学」など
武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部教授
著書「知性の脳構造と進化 精神の生物学序説」「わがままな脳」など
日本医科大学教授
著書「脳とコンピューター」「意識と脳」
公立諏訪東京理科大学共通教育センター教授
著書「「すぐにやる脳」に変わる37の習慣」など
浜松医科大学名誉教授
著書「ストレスがもたらす病気のメカニズム」など
東京大学名誉教授
著書「記憶のメカニズム」「脳を育てる」など
法政大学名誉教授
著書「記憶の大脳生理学」など
日本精神医療センター脳研究所長
著書「ある脳研究者の履歴」「条件反射とはなにか」
東京大学名誉教授
著作「脳の話」「脳と人間」など
マサチューセッツ工科大学教授
著書「私の脳科学講義」など
カーネギーメロン大学サイラブフェロー
著書「洗脳原論」など
福井大学子どものこころの発達研究センター教授
著書「子どもの脳を傷つける親たち」など
東日本国際大学特任教授
著書「世界で通用する人がいつもやっていること」「脳科学からみた「祈り」」など
東京工業大学大学院非常講師、武蔵野学院大学客員研究員
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脳科学
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著作「脳の話」「脳と人間」など
マサチューセッツ工科大学教授
著書「私の脳科学講義」など
カーネギーメロン大学サイラブフェロー
著書「洗脳原論」など
福井大学子どものこころの発達研究センター教授
著書「子どもの脳を傷つける親たち」など
東日本国際大学特任教授
著書「世界で通用する人がいつもやっていること」「脳科学からみた「祈り」」など
東京工業大学大学院非常講師、武蔵野学院大学客員研究員
著書「あなたの世界をガラリと変える 認知バイアスの教科書」「80歳でも脳が老化しない人がやっていること」など
京都大学霊長類研究所教授
著作「音楽を愛でるサル」「ケータイを持ったサル」など
ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員
著書「脳と仮想」「今、ここからすべての場所へ」など
日本大学教授
著作「ゲーム脳の恐怖」など
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コンピュータ・アーキテクチャ
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コンピュータ・アーキテクチャ(英: computer architecture)は、コンピュータ(特にハードウェア)における基本設計や設計思想などを意味する。アーキテクチャ(建築)には、単に「建築物」以外に、設計や様式という意味があるが、それから転じて、コンピュータ分野においても使われるようになった。「設計思想」などと意訳されることもある。技術者や研究者の用語としては(企業ごとの用語の違いにもよるが)「方式」という語が使われることもある。
1964年のSystem/360で最初に使われた用語で、その際の意味としては、入出力インタフェースを含むコンピュータシステムのハードウェア全体(周辺機器自体は含まない)の、ユーザー(プログラマ、オペレーティングシステム (OS) を設計するプログラマも含む)から見たインタフェースの定義であり、具体的には使用できるレジスタの構成、命令セット、入出力(チャネルコントロールワード)などであり、実装は含まない。このアーキテクチャが同一のコンピュータ間や、上位互換のアーキテクチャを持つコンピュータへの移行や、上位互換の周辺機器への移行などは、ソフトウェアの互換性が原則として保証される。またハードウェアの内部設計や実装は、定義されたアーキテクチャを守る限り、技術の進歩に応じて自由に更新できる。この結果、コンピュータ・ファミリー(シリーズ)が形成可能となる。現在で言えばレイヤー定義であり仮想化の一種でもある。
また、システムアーキテクチャ、エンタープライズアーキテクチャ、ソフトウェアアーキテクチャ、ARMアーキテクチャなどの用語も増えている。
コンピュータ・アーキテクチャは少なくとも次の3つに分類される。
前者2つはプロセッサのアーキテクチャである。システム設計は、コンピュータにおけるプロセッサ以外についても含む。もともとのSystem/360の「厳密に定義された」アーキテクチャには、だいたい、ISAが含まれマイクロアーキテクチャが含まれず、システム設計のいくらかに相当するものが含まれるが、これは当時の大型コンピュータと現在のマイクロプロセッサベースのコンピュータとの、実装技術の変化やビジネスモデルの変化などのためによる、コンピュータ(周辺機器を含む)全体のレイヤの分けかたなどの構成法の変化などによる。
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コンピュータ・アーキテクチャ
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プロセッサ(CPU)設計(CPU設計)における、アーキテクチャの観点からの工程を説明する。
ISAとマイクロアーキテクチャが決定されると、実際のハードウェアが設計される。この設計工程を一般に「実装」と呼ぶ。実装はアーキテクチャ定義には通常含まれず、ハードウェア設計に含まれる。
実装はさらに以下の3段階に分けられる。
プロセッサだけではなく、コンピュータシステム全体の設計とアーキテクチャについて述べる。
コンピュータの設計においては、制約条件と目標を考慮して、どの部分を最適化するかを決定する。コンピュータ・アーキテクチャは一般に、標準規格、コスト、メモリ容量、レイテンシ、スループットなどのトレードオフで決まる。場合によっては、機能、大きさ、重さ、信頼性、拡張性、電力消費量といった要素も考慮される。
典型的な手法としては、どのボトルネックが最も性能を悪化させるかを注意深く見極める。理想的には、コンピュータの各部の性能向上とそれにかかるコストが比例すると考えられ、コストのかかる部品が全体の性能を決定すると考えられる。
一般に、システム要件や市場の状況によって設計前に製造コストが決定される。
コンピュータの性能は、クロック周波数(MHz や GHz)でよく表される。これはCPUのクロックが一秒間に何サイクルであるかを示したものである。しかし、クロック周波数の高いマシンが必ずしも性能が高いとは言えない。近年ではクロックの高速化は頭打ちになりつつあり、製造業者は別の指標で性能を示すようになりつつある。プロセッサが搭載するキャッシュ容量で性能を示すという手法もある。クロック周波数が自動車の最高速度だとすれば、キャッシュ容量は車線の数に対応する。自動車がどんなに速くても、渋滞になれば速く走ることはできない。CPUが高速動作でき、キャッシュが多ければ、プロセッサは実際に高速に動作できる。
最近のCPUはスーパースケーラ方式で1クロックサイクルで複数の命令を実行できる。これにより、プログラム実行性能は大幅に改善された。他にも性能に影響する要素として、実行ユニットとしてどういうものを何個持つか、バスの速度、利用可能なメモリ容量、プログラムとして実行しようとする命令の種類と順序などがある。
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コンピュータ・アーキテクチャ
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最近のCPUはスーパースケーラ方式で1クロックサイクルで複数の命令を実行できる。これにより、プログラム実行性能は大幅に改善された。他にも性能に影響する要素として、実行ユニットとしてどういうものを何個持つか、バスの速度、利用可能なメモリ容量、プログラムとして実行しようとする命令の種類と順序などがある。
速度を考える際に、レイテンシとスループットが重要である。レイテンシとは、ある処理が開始してから完了するまでの時間である。スループットは単位時間当たりに処理できる仕事の量である。割り込みレイテンシとは、ハードウェアのイベント(例えば、ディスクドライブの読み書きの完了)通知(割り込み)に対して、システムが応答するのにかかる時間である。性能は設計上の様々な選択によって影響される。例えば、キャッシュメモリを追加するとレイテンシは悪化するが、スループットは向上する。制御用のコンピュータでは、割り込みレイテンシの短縮が求められる。そのようなコンピュータはリアルタイム環境で運用され、所定の時間以内に処理が行われないと問題が発生する。例えばコンピュータ制御のアンチロックブレーキは、ブレーキが踏まれたら即座に制動をかけ始めなければならない。
コンピュータの性能は他の測定法によっても測定でき、用途によって様々な測定法がある。システムは用途によってボトルネックとなる部分が異なり、CPUバウンド(例えば数値計算など)、I/Oバウンド(Webサーバなど)、メモリバウンド(ビデオ編集など)に分けられる。サーバや携帯機器では電力消費量も重要な観点である。
ベンチマークは、一連の評価プログラムを実行し、それにかかる時間を計ることで、上述のあらゆる観点を考慮した性能を測定するものである。しかし、ベンチマークが役に立たない場合もある。ベンチマークが異なれば、示される性能も異なる。例えば、あるアプリケーションは高速に実行できても、別のアプリケーションでは遅いかもしれない。さらに、システム設計段階で、特定のベンチマークの結果向上のためにハードウェアやソフトウェアにそのベンチマークだけを高速化できる機能を加えることもある。この機能はそのベンチマークと類似のアプリケーションでは役に立たないことが多い。
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コンピュータ・アーキテクチャ
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電力消費は、最近のコンピュータ設計では重要性を増してきている。電力消費を抑えると、性能が低下したり、コストが増大したりすることが多い。チップの単位面積当たりのトランジスタ数が増大するにしたがって、電力効率が重要な観点となってきた。Intel Core 2 などの最近のプロセッサでは、電力効率の向上が重要な設計上の観点とされた。また、組み込み用プロセッサでは電力効率が性能と共に最重要観点となっている。
コンピュータ関連での「アーキテクチャ」という用語の使用は、1959年、IBMの研究所に所属していたライル・R・ジョンソンとフレデリック・ブルックスまで遡る。ジョンソンはStretchことIBM 7030について、研究報告を書いた。彼は、コンピュータについて詳細を省いてある水準の記述をしたものを、それまで使われていた「マシン構成」ではなく「システムアーキテクチャ」と称した。その後、Stretchの設計者の1人である ブルックスが、ある本で、「コンピュータ・アーキテクチャは他のアーキテクチャと同様、構造の利用者のニーズを決定する技法であり、それらニーズに合った経済的にも技術的にも可能な限り最適な設計を行うことである」と書いている。ブルックスは System/360 の開発でも大きな役割を果たし、そこで「アーキテクチャ」という用語は「ユーザーが知る必要のある詳細」という定義になっていった。その後、コンピュータ業界で「アーキテクチャ」という用語が様々に使われるようになった。
論文で初めて「アーキテクチャ」という用語が使われたのは、1964年の IBM System/360 に関するものであった。この論文ではアーキテクチャを「プログラマから見えるシステムの属性群。すなわち、概念的構造と機能的挙動であり、データフローや制御の構成、論理設計や物理的実装とは異なる」と定義した。この定義において、「プログラマ」から見たコンピュータの機能的挙動が鍵となっている。アーキテクチャに含まれる概念的構造は機能的挙動を理解するための補助的なものであり、ユースケースの範囲を拡大可能にする。
プロセッサ内部の処理方法やメモリアクセス方法(マイクロアーキテクチャ)がコンピュータ・アーキテクチャとされるようになったのは、もっと後のことである。
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世界の放送方式
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世界の放送方式(せかいのほうそうほうしき) 高精細度テレビジョン放送(HDTV:High Definition Television)に対して従来のテレビ放送の画質は標準テレビジョン放送(SDTV:Standard Definition Television)とも言われ、ここでは主に標準テレビに分類される方式について記述している。
アナログのカラーテレビ放送方式には大別してNTSC、PAL、SECAMの3方式がある。
1秒当たりの画面の更新回数である前述のコマ数は、開発した国家の交流の電源周波数が深く関わっている。
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脳機能イメージング
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脳機能イメージング(のうきのうイメージング)とは、生きている脳内の各部の生理学的な活性(機能)を様々な方法で測定し、それを画像化すること、あるいはそれに用いられる技術。脳で行われる様々な精神活動において、脳内の各部位がどのような機能を担っているのかを結びづける研究資料になる。また、正常の状態と比べることで、脳の病気の診断にも用いることができる。
脳の構造を画像化することは、診断や研究のために比較的古くから行われていたが、機能的な状態を画像化する試みは1980年代になって行われるようになった。
脳血流動態を観察する方法として、機能的磁気共鳴画像法 (fMRI)や、ポジトロン断層法 (PET) 、近赤外線分光法 (NIRS) 、内因性光計測法 (ISOI)などがある。また神経細胞の電気活動を可視化する方法として脳電図 (脳波)、脳磁図 (MEG)、膜電位感受性色素イメージング法 (VSDI)などがある。
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2月14日
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2月14日(にがつじゅうよっか、にがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から45日目にあたり、年末まであと320日(閏年では321日)ある。
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FMRI
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fMRI (functional magnetic resonance imaging) はMRI(核磁気共鳴も参照)を利用して、ヒトおよび動物の脳や脊髄の活動に関連した血流動態反応を視覚化する方法の一つである。最近のニューロイメージングの中でも最も発達した手法の一つである。
100年以上前から、脳の血流や酸素化の程度と神経活動には密接な関係があることが知られていた。神経細胞が活動するとき、局所の毛細血管の赤血球のヘモグロビンによって運ばれた酸素が消費される。酸素利用の局所の反応に伴い血流増加(血液量と血流量)が起きることが知られている。 毛細血管内で酸素交換が起こり、酸化ヘモグロビンが酸素を組織に渡すことで、一時的に脱酸化ヘモグロビンが増加する。さらに時間的に遅延して(1〜5秒程度)脳血流が増加することで、酸化ヘモグロビンが増加し脱酸化ヘモグロビンが減少する。この反応は6〜10秒程度で最大となる。
T2*強調画像法で主に脳血流動態を測定する場合、計測原理は形態画像によるMRIに、血流変化による信号変化を統計処理したマップを重ねる事で脳活動を画像化している。T2*強調画像法では、MRIのシーケンスを使用して、T2*信号の差違を検出する。安静時と比較して、賦活課題中の静脈からの信号の上昇が見込まれる。
毛細血管と静脈では、脳血流変化に対するT2*信号変化の機序が異なることが分っている。 ヘモグロビンは酸化されていると反磁性体であるが、脱酸化状態だと常磁性体となる。それ故、血液の核磁気共鳴信号は静脈では、反磁性体の酸化ヘモグロビンの変化には影響されにくく、常磁生体の脱酸化ヘモグロビンの変化に依存して変化しやすい。一方、毛細血管では、総ヘモグロビンあるいは血液量の変化にも依存し、必ずしも、常磁生体の脱酸化ヘモグロビンの変化と線形に比例して、信号変化が起こらない。
これら静脈に起こる信号増加のソースは、inflow効果(血液流入)、BOLD効果(脱酸化ヘモグロビンの減少)など様々な要因が関与すると説明されている。信号減少が起こった場合には、生理的説明が複雑化し、諸説分かれている。 一般には、高磁場の装置を用いても酸素交換の現場である毛細血管からの信号変化はT2*強調画像法で検出しにくいと考えられている。
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FMRI
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これら静脈に起こる信号増加のソースは、inflow効果(血液流入)、BOLD効果(脱酸化ヘモグロビンの減少)など様々な要因が関与すると説明されている。信号減少が起こった場合には、生理的説明が複雑化し、諸説分かれている。 一般には、高磁場の装置を用いても酸素交換の現場である毛細血管からの信号変化はT2*強調画像法で検出しにくいと考えられている。
T2*強調画像法によって計測することで、毛細血管と静脈のように血管径の大きさによって、信号が異なった変化をすることが、シミュレーションによっても、実計測によっても明らかになっている。毛細血管からの信号が静脈信号よりも小さいことは、1993年小川誠二らベル研究所とミネソタ大学の共同研究で報告されている。
また、時系列情報を持ったT2*強調画像法(A)では一般的にdistortionが生じやすく、他の画像法を用いた形態画像(B)との位置合わせのずれが指摘されているが、(A)自体に形態情報が存在している。しかし、(A)の画像が荒いため、他の画像法と位置合わせをして研究発表などに用いることが多い。
一般に、高磁場のもの程、高い空間分解能を持っている。例えばミネソタ大学(米国)の7テスラの装置を使ったデータでは、脳組織の信号よりも、表在静脈の信号が強く検出されることが示されている。理化学研究所の脳科学総合研究センターから、4テスラの装置を使った1mm未満の空間分解能の可能性を指摘する活脳図の報告もある。 また、神経活動が開始した後、明瞭な信号の時間変化が始まるまでに1〜3秒程度かかることが報告されている。すなわち、血液が毛細血管通過時間をすぎ、静脈相の時間帯でより信号変化が起こるので、神経活動とほぼ同時におこる酸素交換反応を高い時間分解能で得るのは難しいとされている。
行動経済学では合理的経済人と実際の人間の乖離を様々な実験的手法により取り扱うが、神経科学的に人間の意思決定プロセスを定量的に扱う神経経済学的手法に fMRI がしばしば用いられている。
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FMRI
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行動経済学では合理的経済人と実際の人間の乖離を様々な実験的手法により取り扱うが、神経科学的に人間の意思決定プロセスを定量的に扱う神経経済学的手法に fMRI がしばしば用いられている。
例として、FKF Applied Researchは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のAhmanson Lovelace Brain Mapping Centerの協力により、2006年と2007年のスーパーボウルにおける、広告効果を測定するために、fMRIを使用し視聴者の脳の活動を測定した。2007年のスーパーボウルにおいて、人々の脳に前向きな感情を引き出した最高のコマーシャルはコカ・コーラで、最低のコマーシャルはGM「Robot」だと結論付けた。
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バイオインフォマティクス
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バイオインフォマティクス(英語:bioinformatics)とは、生命科学と情報科学の融合分野のひとつであり、DNAやRNA、タンパク質をはじめとする、生命が持つ様々な「情報」を対象に、情報科学や統計学などのアルゴリズムを用いた方法論やソフトウェアを開発し、またそれらを用いた分析から生命現象を解き明かしていく(in silico 解析)ことを目的とした学問分野である。そのためバイオインフォマティクスは広義には、生物学、コンピュータサイエンス、情報工学、数学、統計学といった様々な学問分野が組み合わさった学際分野自体を指す。日本語では生命情報科学や生物情報学、情報生命科学などと表記される。
ゲノミクス研究の初期においては、遺伝子予測等のゲノミクスに関する分野がバイオインフォマティクスの主要な対象であった。近年ではゲノムを超えて、ゲノムからの転写物の総体であるトランスクリプトームや、トランスクリプトーム(の一部)が翻訳されたタンパク質の総体であるプロテオーム、タンパク質の二次産物として合成される糖鎖の総体であるグライコーム、更にはゲノムからの直接的に転写・翻訳された実体だけではなく、代謝ネットワーク(代謝マップ)によって生じた代謝産物をも含めた総体を考えるメタボローム、生物個体の表現形の総体であるフェノームなど、バイオインフォマティクスが対象とする研究分野は生物学全体に拡大・発展しつつある。
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バイオインフォマティクス
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ゲノムシーケンシング技術の登場と発展により、多くの生物を対象にゲノム解析プロジェクトが進められ、それに伴い大量のゲノム配列情報が得られるようになった。ところが、得られる大量の配列情報から人力で生物学的な意味を抽出することは極めて困難であり、情報処理による解析の必要性が高まっている。遺伝子情報は(A,T,C,Gという塩基で記述できる)核酸配列というデジタル情報に近い性格を持っているために、コンピュータとの親和性が高い。さらにマイクロアレイなどの網羅的な解析技術の発展に伴って、遺伝子発現のプロファイリングやクラスタリング、アノテーション、大量のデータを視覚的に表現する手法などが重要になってきている。これらの理由により、バイオインフォマティクスはその重要性が注目されるようになり、特に1990年代半ばのヒトゲノムプロジェクトやDNAシーケンステクノロジーの急速な進歩によって爆発的に成長し、発展してきた。
バイオインフォマティクスの主な研究対象としては、遺伝子予測、遺伝子機能予測、遺伝子分類、配列アラインメント、ゲノムアセンブリ、タンパク質構造アラインメント、タンパク質構造予測、遺伝子発現解析、タンパク質間相互作用の予測、進化モデリング、ドラッグデザイン、創薬、等の、様々なコンピュータープログラミングを使用した各種の生物学研究分野が挙げられる。また、特にゲノミクスの分野で繰り返し使用されるような特定の解析パイプラインを開発するといった、方法論の開発に関する研究も含まれる。バイオインフォマティクスを活用した研究の一例として、疾患の遺伝的根拠や生物の環境適応、(特に農業分野における)植物や動物の特性解析、個体群間の差異などをよりよく理解するための候補遺伝子や一塩基多型(SNP)の探索、などがある。 さらに、プロテオミクスと呼ばれるタンパク質を対象としたデータをゲノム配列と組み合わせたバイオインフォマティクス研究も進められている。
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バイオインフォマティクス
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データ解析を中心としたバイオインフォマティクスでは、ハイスループットな実験手法によって蓄積された大量のデータを目的に応じて加工・標準化し、データマイニングや可視化、その他統計的手法による分析などを通じて解析する、という流れをとることが多い。いずれの段階でもコンピュータは使用され、その形態はパーソナルコンピュータ (PC) を利用したスクリプトによる小規模なシーケンスデータ加工から、産業技術総合研究所生命情報工学研究センターなどによるIBM Blue Geneのような20TFlopsのスーパーコンピュータや大規模なコンピュータ・クラスター、グリッド・コンピューティング等を用いたタンパク質の立体構造解析(タンパク質構造予測)まで様々である。
今日、バイオインフォマティクスは、生物学の多くの分野で重要な役割を果たしている。例えば分子生物学研究では、画像処理や信号処理などのバイオインフォマティクス技術を利用して、大量の生データから有用な結果を抽出することが行われている。遺伝学の分野では、ゲノム配列や突然変異した配列の決定と注釈付け(アノテーション)に活用される。 生物学的文献のテキストマイニングや、生物学的な遺伝子オントロジーの開発を通じて、膨大に蓄積された生物学的データを利用しやすい形で整理する役割も果たしている。また、遺伝子やタンパク質の発現調節の解析にも、深く関与している。バイオインフォマティクスツールは、遺伝子やゲノムのデータ比較と分析、解釈を支援し、分子生物学の進化的な理解にも貢献している。より統合的なレベルでは、個々の遺伝子やタンパク質の解析から一歩進み、生命を遺伝子やタンパク質のネットワークとして捉え、その総体をシステムとして理解しようとする、システム生物学という分野も生まれている。バイオインフォマティクスは生物学的代謝経路とネットワークの分析やカタログ化に役立ち、システム生物学を支えている。構造生物学の分野においては、生体分子の相互作用だけでなく、DNA、RNA、タンパク質 等のシミュレーションとモデリングにも役立っている。また、機械学習による遺伝子領域予測や、タンパク質構造予測、次世代シーケンサーを利用したゲノム解析など、大きな計算能力を要求される課題が多く存在するため、スーパーコンピュータの重要な応用領域の一つとしても認識されている。
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バイオインフォマティクス
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バイオインフォマティクスという用語は、Paulien HogewegとBen Hesperによって、1970年に生物システムの情報処理の研究に言及するために作られた用語である。この定義では、生化学(生物学的システムにおける化学プロセスの研究)と平行した研究分野の概念としてバイオインフォマティクスを位置づけており、今日使われているものとは意味が異なっている。
1950年代初頭にフレデリック・サンガーがインスリンの配列を最初に決定して以来、タンパク質のアミノ酸配列を研究で利用することが可能になった。しかしながら、複数のシーケンスを手動で比較することは(過去は実際に行われていたが)実用的ではなく、コンピューターを用いた解析が分子生物学にも必要不可欠になった。この分野の先駆者はマーガレット・オークリーデイホフ(Margaret Belle Oakley Dayhoff)である。彼女は最初に、書籍の出版物 としてとして公開された最初のタンパク質配列データベースの1つを編集し、配列整列と分子進化の先駆的な方法を開発した。バイオインフォマティクスへのもう一つの初期の貢献は、1970年にエルウィン・A・カバット(Elvin A. Kabat) が抗体配列を包括的なボリュームで解析し、生物学的な配列解析の分野を開拓したことである。この一連の研究はTai Te Wuと共に1980年から1991年にかけて発表された。
生物学におけるバイオインフォマティクスの主な目的は、他の生物学派生分野と同様に、生物学的プロセスの理解をより深めることにある。ただし、他のアプローチとの違いは、より計算集約的な手法の開発と適用に重点を置いている点である。用いられる技術の例としては、パターン認識、データマイニング、機械学習アルゴリズム、などが挙げられる。また、例えば疾患研究の分野において、正常な細胞活動がさまざまな病状でどのように変化するかを明らかにするためには、生物学的データを組み合わせて、これらの活動の包括的な構造を理解する必要がある。そのため、さまざまなタイプのデータを組み合わせた分析と解釈を行えるように、バイオインフォマティクスの分野は進化してきた。これには、塩基およびアミノ酸配列の他、タンパク質ドメインやタンパク質構造が含まれる。
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バイオインフォマティクス
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データを分析および解釈する実際のプロセスは、計算生物学と呼ばれる。バイオインフォマティクスおよび計算生物学の重要な研究目標の一つに、大規模なデータセットにおいてメンバー間の関係を評価する新しいアルゴリズムと統計的尺度の開発がある。例えば、ゲノム配列内から遺伝子領域を予測したり、タンパク質の構造や機能を予測したり、タンパク質配列を関連配列のファミリーにクラスター化する方法など、に関する研究が進められている。また、さまざまな種類の生物学的情報リソースを整理し、管理し、効率的なアクセスと利用を可能にするコンピュータプログラムやシステムの開発と実装も、また重要な課題である。すなわちバイオインフォマティクスでは、データベースの作成と進歩、アルゴリズム、計算技術と統計技術、そして生物学的データの管理と分析から生じる形式的で実用的な問題を解決するための理論、が必要とされている。
過去数十年にわたり、ゲノムおよびその他の分子研究技術の急速な発展と情報技術の発展が相まって、分子生物学に関連する膨大な量の情報が生み出されている。バイオインフォマティクスは、生物学的プロセスの理解を深めるために使用されるこれらの数学的および計算機科学的なアプローチを表す言葉でもある。
バイオインフォマティクスは生物計算機学(biological computation)と一見似ているが、これは異なる科学分野である。生物計算機学は生物工学と生物学を使用して生物学的なコンピュータを設計することが主眼であるが、バイオインフォマティクスは逆にコンピュータを用いた計算を使用して生物学をよりよく理解することが主眼である。バイオインフォマティクスと生物計算機学の分野には共に、生物学的データ、特にDNA、RNA、タンパク質配列の分析が含まれる。
生物学的データを分析して意味のある情報を生成するには、グラフ理論、人工知能、ソフトコンピューティング、データマイニング、画像処理、コンピューターシミュレーション、等のアルゴリズムを使用するソフトウェアプログラム実行し、また必要に応じて作成する必要がある。またこのようなアルゴリズムは、離散数学、制御理論、システム理論、情報理論、統計などの理論的基盤に依存する。
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バイオインフォマティクス
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生物学的データを分析して意味のある情報を生成するには、グラフ理論、人工知能、ソフトコンピューティング、データマイニング、画像処理、コンピューターシミュレーション、等のアルゴリズムを使用するソフトウェアプログラム実行し、また必要に応じて作成する必要がある。またこのようなアルゴリズムは、離散数学、制御理論、システム理論、情報理論、統計などの理論的基盤に依存する。
ファージの一種であるPhage Φ-X174が1977年に配列決定されて以来、数千の生物のDNA配列が解読され、データベースに保存されている。この配列情報は、タンパク質、RNA遺伝子、調節配列、構造モチーフ、反復配列をコードする遺伝子を決定するために分析されている。例えば、種内や種間で遺伝子配列を比較することで、タンパク質機能間の類似性を評価したり、あるいは系統樹を構築することで種間の分子系統学的関係を示すことができる。 データ量の増加に伴い、DNA配列を手作業で分析することはすでに非現実的である。今日ではBLASTなどの相同性検索を行うコンピュータプログラムを用いて、例えばGenBankに登録された1600億以上のヌクレオチドを含む260,000を超える生物から配列を検索することが日常的に行われている(数字は2008年のもの)。これらのプログラムは、DNAシーケンスの変異(塩基の置換、欠失、挿入など)を補正して、類似するが同一ではない配列を検索できる。検索結果は、クローニングした遺伝子の部分情報から遺伝子全体の配列を予測したり、構造が未知のタンパク質の二次構造を予測したり、解読されたゲノムの中から遺伝子を検出してその機能を予測するなどの研究の基盤となる。また配列情報から由来する生物種の系統学的分類を推定するという問題を解くために、Krakenのような最新の k-merベースのソフトウェアも作成されており、アライメント手法では到達できない実行高速性を実現している。
DNAシーケンサーから出力される生データには多量のノイズや弱信号が含まれており、下流の解析に悪影響を与える可能性がある。さまざまな実験プロトコルや環境におけるDNAシーケンシングデータからの塩基決定(ベースコール)を行うアルゴリズムが開発されている。
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バイオインフォマティクス
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DNAシーケンサーから出力される生データには多量のノイズや弱信号が含まれており、下流の解析に悪影響を与える可能性がある。さまざまな実験プロトコルや環境におけるDNAシーケンシングデータからの塩基決定(ベースコール)を行うアルゴリズムが開発されている。
多くのDNAシーケンス技術は、短い配列フラグメントを生成する。そのため、完全な遺伝子や全ゲノム配列を取得するためには、この配列フラグメントをアセンブルして再構築する必要がある。ヒトゲノム計画では、ある配列断片から順番に配列を解読する手法が考えられていたが、クレイグ・ベンターらによるショットガン法により遥かに高効率で解読が進められるようになった。いわゆるショットガンシーケンステクニック(たとえば、Institute for Genomic Research (TIGR)による最初の細菌ゲノムHaemophilus influenzaeのゲノム決定でも使用された)は、ゲノム配列をバラバラな短い断片に分断してそれぞれを解読し(シーケンシング技術に応じて、35〜900ヌクレオチド長)、その後同一の配列を重複する領域として並べ替えることによってゲノム配列を再現する。これらのフラグメントの両端は重なり合っており、ゲノムアセンブリプログラムによって適切に整列されることで、完全なゲノムを再構築することができる(配列アセンブリング)。しかしながら、多くの断片がある中で正しい並び方を決定することはコンピュータの計算能力がなければ不可能である。そして、このフラグメントをアセンブルするタスクは、特に大きなゲノムにおいては非常に複雑になる可能性がある。例えばヒトゲノムは約3Gbのサイズがあるが、この程度のゲノムの場合、大容量メモリのマルチプロセッサコンピューターであってもショットガン配列をアセンブリするのには何日ものCPU時間を要する場合があり、また結果として生じるアセンブリには通常、多数のギャップが残っている。しかしながら、ショットガンシーケンスは事実上、あらゆる生物種の全ゲノムを決定する上で現実的に最適な方法となっている。そのため、高速・高性能なゲノムアセンブリアルゴリズムを開発することは、バイオインフォマティクスの重要な研究領域の一つとなっている。
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ゲノミクスの文脈においてアノテーションとは、DNA配列内の遺伝子領域やその機能、そしてその他の生物学的特徴をマークするプロセスである。ほとんどのゲノムは大きすぎるため、手動で注釈を付けることができない。そのため、このプロセスは自動化する必要がある。さらに次世代シーケンシング技術の登場によって大量のデータが高速に得られるようになっており、大量のゲノムに対して高速にアノテーションを付けたいという研究上の要望は高まっている。
包括的なゲノムアノテーションシステムは、自由生活生物である細菌Haemophilus influenzaeのゲノムの最初の完全な配列決定と分析を行ったThe Institute for Genomic Researchのチームによって、1995年に初めて報告された。Owen Whiteは、タンパク質をコードするすべての遺伝子とtRNA、rRNA、およびその他のサイトを特定し、またその生物学的機能を推定する初期のソフトウェアシステムを構築した。 現在でも、ほとんどのゲノムアノテーションシステムは当時と同様な機能を持っているが、例えばHaemophilus influenzaeでタンパク質をコードする遺伝子を見つけるために使用されたGeneMarkプログラムなどのように、ゲノムDNAの分析に利用される個々のプログラムの多くは常に更新されており、機能改善の模索が続けられている。
ヒトゲノムプロジェクトが2003年に完了したが、残された様々な課題や新たな目標の達成のために、アメリカ国立衛生研究所内の国立ヒトゲノム研究所によって新たにENCODEプロジェクトが発足した。このプロジェクトでは、次世代DNAシーケンス技術とゲノムタイリングアレイを使用して、ヒトゲノムの機能的な要素に関するデータを共同でコレクションすることが行われた。次世代シーケンシング技術は、塩基あたりのコストを大幅に削減して大量のデータを生成できる技術であり、しかも従来と同じ誤差精度(ベースコールエラー)と信頼性度(アセンブリエラー)を持っていることが特徴である。
進化生物学とは、種の起源と分化、そして系統の経時的な変化を明らかにする学問分野である。バイオインフォマティクスは進化生物学分野においても重要な役割を果たしている。
より複雑な課題としては、生命の木を再構築する研究も進められている。
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進化生物学とは、種の起源と分化、そして系統の経時的な変化を明らかにする学問分野である。バイオインフォマティクスは進化生物学分野においても重要な役割を果たしている。
より複雑な課題としては、生命の木を再構築する研究も進められている。
なお、遺伝的アルゴリズムを使用するコンピューターサイエンスの研究領域は、計算進化生物学と混同されることがあるが、この2つの領域は必ずしも関連しているわけではない。
比較ゲノム解析の目的の一つは、異なる生物における遺伝子(オルソログ遺伝子)や他のゲノム上の特徴の対応関係を明らかにすることである。また例えば、2つのゲノムが系統上で分岐した際の進化過程は、両ゲノム間の対応関係を取ることで、例えばどのゲノム領域が欠失したり重複したのかを明らかにし、進化過程を追跡することができる。 現実的には、様々な組織レベルで作用する多数の進化イベントが組み合わさって、ゲノム進化が形作られる。最も最小レベルでの変化は、個々のヌクレオチドが影響してくる点変異である。一方でより高いレベルでは、大きな染色体セグメントが複製、移動、逆位、転位、欠失、および挿入を受けることがある。最も大きなレベルでは、ゲノム全体のハイブリダイゼーションや倍数化、そして細胞内共生過程といったイベントに関与し、しばしば急速な種分化を引き起こす。このようなゲノム進化の複雑さは、数学モデルやアルゴリズム開発を行う上でもチャレンジングな課題となっている。そのため、正確なヒューリスティックやパラメーター固定、節約モデルに基づく問題の近似アルゴリズムや、確率モデルに基づくベイズ分析のためのマルコフチェーンモンテカルロアルゴリズムの利用に至るまで、アルゴリズム、統計、および数学的な様々な手法の利用が研究されている。これらの研究の多くにおいては、事前に遺伝子配列を配列相同性に基づいてタンパク質ファミリーに割り当てている。
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環境中には多様で大量の原核微生物系統が生息しており、その生理生態を理解することは、地球上の物質循環やその環境における生態系を理解する上で重要である。そのためには、どのような生理学的機能を持つ微生物が、どのような割合でそこに存在するのか、を理解することが必要である。メタゲノム解析は、環境中に存在する細菌叢サンプルからゲノムDNAを直接回収し、主にショットガンシーケンスを行ってバイオインフォマティクス解析を行うことで、それらに関して解析する、微生物学・ウイルス学の研究分野である。
パンゲノム解析(Pac Genomics)は2005年にTettelinとMediniによって導入された概念であり、特定の分類群において保持されている遺伝子の網羅的な遺伝子レパートリーを表す。最初は種レベルの近縁系統に適用されましたが、属や門といったより大きな分類群にも適用できる。パンゲノムはコアゲノムとフレキシブルゲノムの2つの群から構成されている。コアゲノムは全ゲノムに共通した遺伝子セットを指し、多くの場合、これらの遺伝子は生存に不可欠なハウスキーピング遺伝子である。一方でフレキシブルゲノム(Dispensable / Flexible Genome)は、1つ以上のゲノムにおいて存在しない一連の遺伝子を指す。例えばバイオインフォマティクスツールであるBPGAを使用して、細菌種のパンゲノムを特徴付けることができる。
次世代シーケンシングの登場により、不妊症 や乳がん、アルツハイマー病といった複雑な遺伝性疾患の関連遺伝子をマッピングする研究が進められている。ゲノムワイド関連研究(GWAS)は、このような複雑な疾患の原因となる変異を特定するための有用なアプローチである。これらの研究により、類似の疾患や形質に関連する何千ものDNA変異体が特定されている。さらに、遺伝子情報を予後の推定や診断、治療方針の決定に利用するための研究も進められている。そのために、使用する遺伝子を選択する手法や、疾患の存在または予後を予測するために遺伝子を使用することの問題点の両方について、多くの研究において議論がすすめられている。
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悪性腫瘍(癌)においては、癌細胞のゲノムは非常に複雑(予測不可能)な形で組み換えが起きることが知られている。大規模なシーケンシング研究により、癌細胞に見られるさまざまな遺伝子上の点突然変異の特定が進められてきた。このような研究においては、膨大な量の配列データを管理するための専用の自動化システムや新しいアルゴリズムとソフトウェアの作成を通じて、シーケンシングの結果をヒトゲノム配列や生殖系列多型のコレクションと比較するバイオインフォマティクス解析が進められている。また、染色体の増減を比較するオリゴヌクレオチドマイクロアレイ( 比較ゲノムハイブリダイゼーション)や、既知の点変異を検出する一塩基多型アレイなど、新しい物理的検出技術が採用されています。 これらの検出方法は、ゲノム全体で数十万のサイトを同時に測定することができ、ハイスループットで数千のサンプルを測定する場合、実験ごとに数テラバイトものデータを生成する。そのため、この膨大なデータ量を処理するための新しい手法に関する研究も進められている。また、データにはかなりの変動性またはノイズが含まれているため、実際のコピー数の変化を推測するために、隠れマルコフモデルに基づく変化点分析法が開発されている。また、エクソソームの突然変異の同定では、癌は遺伝子に蓄積された体細胞変異の疾患であり、がんには疾患発症に関係する(ドライバー)変異と無関係な(パッセンジャー)変異の区別される2種類が含まれている、という2つの重要な原則があり、生物情報学的解析を行う上でも重要になっている。
シーケンシング技術のさらなる進歩により、癌のゲノミクスは劇的に変化する可能性がある。新しい方法とソフトウェアにより、より多くの癌ゲノムをより迅速かつ手頃な価格でシーケンスできるようになれば、がんによるゲノム内変異の分析とがんの種類の分類がさらに発展する可能性がある。さらに、癌サンプルのシーケンスからがんの進行状況を追跡できるようになる可能性も指摘されている。
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シーケンシング技術のさらなる進歩により、癌のゲノミクスは劇的に変化する可能性がある。新しい方法とソフトウェアにより、より多くの癌ゲノムをより迅速かつ手頃な価格でシーケンスできるようになれば、がんによるゲノム内変異の分析とがんの種類の分類がさらに発展する可能性がある。さらに、癌サンプルのシーケンスからがんの進行状況を追跡できるようになる可能性も指摘されている。
多くの場合、遺伝子の発現はマイクロアレイ、発現cDNAシーケンスタグ(expressed cDNA sequence tag; EST)シーケンス、遺伝子発現連続分析(serial analysis of gene expression; SAGE)タグシーケンス、超並列シグネチャシーケンス (massively parallel signature sequencing; MPSS)、RNA-Seq(またはWhole Transcriptome Shotgun Sequencing; WTSS)、マルチプレックスin-situハイブリダイゼーション、などの手法でmRNAレベルを測定することで決定する。これらの手法はすべて、ノイズが非常に発生しやすく、生物学的な測定バイアスがかかってくるため、ハイスループットの遺伝子発現研究においてこのようなノイズを除去して信頼できる信号を分離する統計ツールの開発が計算生物学の研究分野で重要になっている。このような遺伝子発現研究は、疾患に関与する遺伝子を特定するためによく使用される。例えば癌性上皮細胞のマイクロアレイデータを非癌性細胞のデータと比較して、特定の癌細胞集団で発現上昇あるいは発現抑制される転写産物を決定することができる。
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タンパク質マイクロアレイとハイスループット(HT)質量分析(mass spectrometry; MS)は、生体サンプルに存在するタンパク質のスナップショットを提供する。得られるタンパク質マイクロアレイとHTMSデータの解析には、バイオインフォマティクスは重要である。前者のアプローチはmRNAをターゲットとするマイクロアレイと同様の問題に直面し、後者は大量の質量データをタンパク質配列データベースからの予測質量と照合し、不完全なペプチドを除くための複雑な統計分析が必要になる。組織における細胞タンパク質の空間局在は、免疫染色や組織マイクロアレイに基づいたアフィニティプロテオミクスによって解析することができる。
遺伝子転写調節は、ホルモンなどを含む細胞内外のシグナルによって、1つ以上のタンパク質の活性の増加・減少が駆動される、複雑な調節システムである。 このプロセスの各ステップを検証する、様々なバイオインフォマティクス技術が適用されている。たとえば、遺伝子発現は プロモーターのような、ゲノム内で遺伝子に近接した要素によって調節される。プロモーター分析ではまず、遺伝子コード領域に近接しているDNA配列中から、特定の配列モチーフを検出する。 これらのモチーフは、その領域がmRNAに転写される際に影響を与える。一方で、プロモーターから離れたエンハンサー要素は、3次元的な相互作用を通じて遺伝子発現を調節することもある。このような相互作用は、染色体コンフォメーションキャプチャ(Hi-C)法による実験と得られたデータのバイオインフォマティクス解析から決定される。
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また、遺伝子発現データから、遺伝子転写調節の要因を推測する研究もある。さまざまな状態の組織から得られたマイクロアレイデータを比較して、各状態に関与する遺伝子の挙動を推測することができる。例えば単細胞生物では、細胞周期の段階におけるストレス条件(熱ショック、飢餓など)を比較できる。 あるいはクラスタリングアルゴリズムを発現データに適用することで、遺伝子の共発現を解析できる。たとえば、共発現する遺伝子の上流領域(プロモーター)を探索することで、過剰発現を引き起こす調節要素を調べることができる。遺伝子クラスタリングに適用されるクラスタリングアルゴリズムの例には、k平均クラスタリング、自己組織化マップ (SOM)、階層的クラスタリング、コンセンサスクラスタリング、などの手法がある。
細胞内のオルガネラや遺伝子、タンパク質、およびその他のコンポーネントの位置を分析するために、様々なアプローチが開発されている。これらのコンポーネントの位置は細胞内のイベントに影響を与えるため、その分布や局在を調べることは生物系の挙動を予測するのに役立つ。遺伝子オントロジーのカテゴリーである「細胞コンパートメント(cellular compartment)」は、細胞内局在を捉えるために考案され、多くの生物学的データベースで採用されている。
顕微鏡写真から、オルガネラや分子を検出することができる。また、がんなどの異常な細胞と正常細胞を区別することにも利用される。
タンパク質の局在化は、そのタンパク質の役割を評価するのに役立つ。たとえば、タンパク質が核で見つかった場合、それは遺伝子調節やスプライシングに関与している可能性がある。対照的に、タンパク質がミトコンドリアで見つかった場合、それは呼吸や他の代謝プロセスに関与している可能性がある。したがって、タンパク質の局在化は、タンパク質機能を予測する上で重要な情報源となる。タンパク質の細胞内位置に関するデータベースや予測ツールといったリソースが構築されている。
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Hi-CやChIA-PETなどのハイスループット染色体コンフォメーションキャプチャー実験からのデータは、DNA遺伝子座の空間的近接性、すなわち核内で安定的に構造化されている立体的な折りたたみ構造によって、ゲノム配列上のどことどこの領域が近接して存在しているのか、に関する情報を提供する。そのためこれらの実験の分析から、クロマチンの三次元構造を決定することができると考えられる。ゲノムを3次元空間でまとめて構成されたトポロジカル関連ドメイン (TAD)といったドメイン分割に関する研究が、この分野のバイオインフォマティクスの課題となっている。
タンパク質のアミノ酸配列からその高次(2次、3次、及び4次)構造を予測することは、バイオインフォマティクスの大きな課題の一つである。タンパク質のアミノ酸配列(一次構造)は、それをコードする遺伝子の配列情報から、比較的簡単に決定できる。そして多くの場合、この1次構造は実際の細胞内における高次構造を一意に決定する。つまり、同じアミノ酸配列を持つタンパク質はずべて同じように細胞内でコンフォメーションをとて折りたたまれ、同じ2次構造や3次構造を立体構造を作り出す、ということである(ただし例外としては、牛海綿状脳症 (狂牛病)を引き起こすプリオンなどがある)。高次構造の知識は、タンパク質の機能を理解する上で不可欠である。しかしながら、一次配列からそのような高次構造を予測する一般的な手法は無く、未解決の問題となっている。現在までの多くのこれに関する研究は、ほとんどの場合、ヒューリスティックに焦点が向けられてきた。
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バイオインフォマティクスの重要なアイデアの1つは、「配列類似性」の概念である。バイオインフォマティクスのゲノム解析では、配列の類似性を利用して、その遺伝子の機能を予測する。具体的には、例えば機能がわかっている遺伝子Aの配列が、機能が不明な遺伝子Bの配列とある程度類似している場合、BがAの機能を共有することが予想される。バイオインフォマティクスの構造分野では、この配列類似性を使用して、タンパク質のどの部分が構造を作り、どの部分が他のタンパク質との相互作用に重要であるか、等を推測する。ホモロジーモデリングと呼ばれる手法では、配列的に類似なタンパク質の構造がわかっていれば、その情報を使用して任意のタンパク質の高次構造を予測する。この手法は、タンパク質構造を予測する有用な手法の一つである。この手法が効果的な例の一つは、ヒトのヘモグロビンと豆類のヘモグロビン(レグヘモグロビン)である。これらは同じタンパク質スーパーファミリーではあるが、遠い親戚関係のタンパク質である。どちらも生体内で酸素を輸送するという同じ目的を果たし、両者で完全に異なるアミノ酸配列を持っているが、構造的には実質的に同一であるため、ほぼ同一の目的を持り、かつ同一の祖先を共有していると考えられている。
タンパク質構造を予測するための他の手法としては、タンパク質のスレッディングや、物理学ベースでゼロからモデリングを行うde novoの手法が提案されている。
構造バイオインフォマティクスの別の側面としては、定量的な構造と活性の相関に関するモデルや、タンパク化学モデル(proteochemometric models; PCM)といった、仮想スクリーニングモデルへ利用することが挙げられる。さらに、タンパク質の結晶構造は、例えばリガンド結合研究のシミュレーションやインシリコ変異誘発研究に利用されている。
ネットワーク分析は、代謝ネットワークやタンパク質間相互作用ネットワークなどの生物学的ネットワークの関係を理解することを目的としている。生物学的ネットワークは単一のタイプの分子またはエンティティ(遺伝子など)から構築される。また、ネットワーク生物学においてはしばしば、タンパク質や小分子、遺伝子発現データなど、物理的・機能的に関連する様々な異なるデータタイプを統合的に解析することがある。
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ネットワーク分析は、代謝ネットワークやタンパク質間相互作用ネットワークなどの生物学的ネットワークの関係を理解することを目的としている。生物学的ネットワークは単一のタイプの分子またはエンティティ(遺伝子など)から構築される。また、ネットワーク生物学においてはしばしば、タンパク質や小分子、遺伝子発現データなど、物理的・機能的に関連する様々な異なるデータタイプを統合的に解析することがある。
システム生物学では、細胞内における複雑なプロセスの関係性を分析し視覚化するために、代謝プロセスを担う代謝産物や酵素のネットワークやシグナル伝達経路、遺伝子調節ネットワークといった細胞システムをコンピューターシミュレーションを用いて解析する研究が進められている。人工生命や仮想進化といった単純な(人工)生命体のコンピューターシミュレーションを介して、進化の過程を理解する試みもなされている。
2020年現在、数万を超えるタンパク質について、X線結晶学およびタンパク質核磁気共鳴分光法(タンパク質NMR)によって3次元構造が決定されている。構造バイオインフォマティクスの分野において、タンパク質間相互作用実験を行わずにこの3次元立体構造の情報からタンパク質間相互作用を予測することは、大きな課題となっている。タンパク質ドッキングを推測するさまざまな手法が開発され提唱されている。
また、タンパク質同士の相互作用を超えて、例えばタンパク質-リガンド(薬物を含む)やタンパク質-ペプチドの相互作用を予測することも重要な課題である。原子結合の回転を考慮した分子動力学シミュレーション(Molecular dynamic simulation)も広く行われており、これは分子相互作用を研究するためのドッキングアルゴリズムと呼ばれる計算アルゴリズムが基本原理となっている。
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また、タンパク質同士の相互作用を超えて、例えばタンパク質-リガンド(薬物を含む)やタンパク質-ペプチドの相互作用を予測することも重要な課題である。原子結合の回転を考慮した分子動力学シミュレーション(Molecular dynamic simulation)も広く行われており、これは分子相互作用を研究するためのドッキングアルゴリズムと呼ばれる計算アルゴリズムが基本原理となっている。
今日までに、膨大な数の学術論文が発表されてきており、その数はますます増加している。そのため、すべての論文を読むことは事実上不可能であり、研究の領域は細分化されていく傾向がある。計算言語学による文献分析では、計算と統計に基づく言語学的解析を通じて、増大するテキストリソースからマイニングすることを目的としている。例えば、略語認識(生物学用語の正式名称とその略語を特定する)、名前付きエンティティの認識(遺伝子名などの生物学的用語を認識して特定する)、タンパク質間相互作用(どのタンパク質がどのタンパク質と相互作用するかをテキストから特定する)、などに関して研究が進められている。
大量の情報量の多い生物医学画像の処理や定量化、分析を加速または完全に自動化するために計算技術を利用する研究も進められている。画像解析システムにおいては、大規模で複雑な画像セットから測定を行うための精度や客観性、そして処理速度の向上が重要になってくる。理想的には、分析システムの発達により、様々なケースにおいて人が画像や動画の判断をする必要がなくなる。このような画像処理システム自体は生物医学分野に固有のものではないが、例えば疾患の診断や研究においてはそれらの分野に特化した画像解析技術が重要になる。具体的な応用分野としては、以下のものが挙げられる。
バイオインフォマティクス研究には、それぞれの目的に応じたプログラムの作成が欠かせない。プログラミング言語としては一般的な科学分野と同じように、いわゆる「重い」計算(タンパク質の二次構造、三次構造の予測——タンパク質構造予測などはその一例)を行なうときにはC等の比較的低レベルな処理を書ける高級言語も用いられるが、塩基配列と言う巨大な「文字列」を扱う局面が多いため、テキスト処理を得意とする言語であるPerlの利用が盛んである。
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Perlは、正規表現等の強力な文字列処理機能を持っているため配列解析に有効なだけでなく、プログラミングのトレーニングを積んでいないことが多い生物学出身の研究者にも比較的容易に習得できるという長所を有する。更に、早い時期から生物学的データの加工に用いることのできるbioperlなどのライブラリが整備されたため、いっそう有用となった。ある配列の公開配列データベース(NCBI GenBank など)からの取得、GenBankフォーマットやEMBLフォーマットで記述されたファイルからの情報抽出、BLASTの自動化等はきわめて容易に行える環境が整っている。
研究用プログラムの開発に使われる言語としては他に以下のようなものがあげられる。これらの殆どにそれぞれバイオインフォマティクス用のライブラリが開発されている。
データベースは、バイオインフォマティクスの研究と応用に不可欠である。DNAやタンパク質の配列、分子構造、表現型、生物多様性など、さまざまな情報タイプをカバーする多くのデータベースが構築されている。データベースには、実験的に取得される実験データと、分析から取得される予測データの片方または両方が含まれる。データベースはしばしば、特定の生物や代謝経路、目的分子に特化して構築される。また一方で、他の複数のデータベースからコンパイルされたデータを組み込むこともある。バイオインフォマティクスで扱うデータは、一次元の文字列(シーケンス全般)から、三次元構造のマトリクス (PDB)、計算機科学におけるグラフ(ネットワークデータ全般)、遺伝子オントロジーのような有向非巡回グラフ (DAG; directed acyclic graph) といった非常に多岐にわたるデータ構造を持つ。各種のデータベースは、ファイル形式やアクセスメカニズム、パブリックかどうか、などの様々な点で差異がある。生物学研究に用いられる主なデータベースは、以下のようなものが挙げられる(カッコ内は具体例):
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データはフラットファイル(一般的なテキストファイル)に比較的単純な形で保存されているケースも多いが、研究が本格化してデータ量が増大してくると、より効率的な利用を図るために関係データベース管理システム (RDBMS) やXMLなどを利用したより高度な管理が図られることが多い。生物学の研究においては、複数の公共データベースからのデータを使ったデータマイニングが非常に重要度を増しているため、データの相互利用と言う観点からも、XML、Webサービスなどの標準的技術の利用は今後も進んで行くと思われる。この考えを更に進め、セマンティック・ウェブ関連の技術(RDFやOWLなど)を利用した、コンピュータによるデータの相互利用を模索する動きもあり、BioPax プロジェクトなどはその一例である。
バイオインフォマティクス用のソフトウェアツール(英語版:Software tools for bioinformatics)は、単純なコマンドラインツールから、さまざまなバイオインフォマティクス企業や公的機関が提供するより複雑なグラフィカルプログラム、スタンドアロンのWebサービスなど、多岐に渡り、非常に多くのバイオインフォマティクスソフトウェアが開発され公開されている。多くのソフトウェアがオープンソースとされており、研究者は自由に利用することができる場合が多いが、有償のものもある。データベースを基盤とするソフトウェアは、開発元がWebブラウザから利用できるウェブアプリケーションとして公開している場合も多い。
1980年代にバイオインフォマティクスが盛り上がって以来、多くのフリーでオープンソースのソフトウェアツールが開発され公開されている。新しいタイプの生物学的な成果を生み出すためには、新しいアルゴリズムを開発することが必要になることも多い。一方で、革新的なin silico実験から新たな知見を得られる可能性もある。そのため、ソフトウェアを自由に利用できるオープンコードで無料で公開することで、あらゆる研究グループがバイオインフォマティクスに貢献する文化が育まれている。オープンソースツールは、アイデアを生み出し育む器として機能し、商業的アプリケーションに組み込まれることもある。また、生体情報統合の課題を支援するための、事実上の標準化や共有オブジェクトモデルを提供することもある。
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オープンソース・ソフトウェア・パッケージには、Bioconductor、BioPerl、Biopython、BioJava、BioJS、BioRuby、Bioclipse、EMBOSS、.NET Bio、Orange、Apache Taverna、UGENE、GenoCAD、などのソフトウェア類が挙げられる。また、この伝統を維持し、さらなる機会を創出するために、非営利のOpen Bioinformatics Foundation は、2000年以来毎年開催されるBioinformatics Open Source Conference(BOSC)を支援してきている。
パブリックなバイオインフォマティクスデータベースを構築する方法としては、WikiOpener拡張機能を備えたMediaWikiエンジンを使用する方法もある。このシステムでは、その分野の研究者が各自でデータベースにアクセスして更新することができる。
SOAPおよびRESTベースのインターフェースが、さまざまなバイオインフォマティクスアプリケーション向けに開発されている。このようなシステムの元では、サーバー上に保管されているアルゴリズムやデータ、コンピューティングリソースに対して、世界中のコンピューター上からアクセスしてアプリケーションを実行することができる。エンドユーザーがソフトウェアやデータベースのメンテナンスのオーバーヘッドに対処する必要がないという利点がある。
基本的なバイオインフォマティクスサービスは、EBIによる3つのカテゴリに分類できる。シーケンス検索サービス(SSS)、シーケンスアライメント(MSA)、生物学的シーケンス分析(BSA)である。 これらのバイオインフォマティクスリソースの可用性は、Webベースのバイオインフォマティクスソリューションの適用性の広さを示している、このようなWebサービスは、スタンドアロンの各種ツール類から、統合型の分散型で拡張可能なバイオインフォマティクスのワークフロー管理システム(bioinformatics workflow management systems)まで、幅広く存在する。
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バイオインフォマティクス
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バイオインフォマティクスワークフロー管理システムは、バイオインフォマティクスアプリケーションにおける一連の計算やデータ操作のステップ、つまりワークフローを構成し実行するために設計された、ワークフロー管理システムの特殊な形式である。下記の様な特徴があり、例としてはGalaxy、Kepler、Taverna、UGENE、Anduril、HIVEなどが挙げられる。
2014年に米国食品医薬品局は、バイオインフォマティクスの再現性について議論する会議を主催し、国立衛生研究所のベセスダキャンパスで開催された。それから3年間に渡り、政府、業界、および学術団体の代表によるコンソーシアムが定期的に開かれ、BioComputeパラダイムについて話し合いが行われた。セッションリーダーは、FDAとNIHの研究所とセンターの多数の支部、Human Variome ProjectやEuropean Medical Federation for Medical Informaticsなどの非営利団体、Stanford、New York Genome Center、George Washington Universityなどの研究機関の代表であった。
この会議によりBioComputeは、バイオインフォマティクスプロトコルの再現性、複製、レビュー、再利用を可能にするデジタル「ラボノートブック」形式のパラダイムを決定した。これは、グループ間のアイデアの交換を促進しながら、通常の人員流動の過程で研究グループ内のより大きな継続性を可能にするために提案されて。
2016年、グループはベセスダのNIHで再招集し、BioComputeパラダイムの例であるBioComputeオブジェクトの可能性について議論をすすめた。 この成果は、'standard trial use'ドキュメントとbioRxivにアップロードされたプレプリント論文として発表された。BioComputeオブジェクトを使用すると、JSON化されたレコードを従業員、共同編集者、規制当局間で共有することができる。
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バイオインフォマティクス
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バイオインフォマティクスの概念と方法を教育するために、様々なプラットフォームが設計されている。たとえば、スイスのバイオインフォマティクス研究所トレーニングポータルを通じて提供される ROSALIND のオンラインコースが挙げられる。カナダのバイオインフォマティクスワークショップは、クリエイティブ・コモンズライセンスに基づいて、ウェブサイトのトレーニングワークショップのビデオとスライドを提供している。 4273πプロジェクト または4273piプロジェクト も、オープンソースの教育資料を無料で提供している。 このコースは低コストのRaspberry Piコンピュータを利用し、大人や学校の生徒を教えるために使用されている。4273πは、Raspberry Piコンピューターと4273πオペレーティングシステムを使用して、研究レベルのバイオインフォマティクスを利用している研究者や研究スタッフによるコンソーシアムによって積極的に開発されている。
バイオインフォマティクス分野の国内学会および国際学会として、日本バイオインフォマティクス学会およびInternational Society for Computational Biologyがある。
また国際会議として、Intelligent Systems for Molecular Biology (ISMB)、European Conference on Computational Biology (ECCB)、Research in Computational Molecular Biology (RECOMB)、International Conference on Genome Informatics (GIW)などがある。
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ゆうきまさみ
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ゆうき まさみ(本名:佐藤 修治、本名読み:さとう しゅうじ、1957年12月19日 - )は、日本の男性漫画家。北海道虻田郡倶知安町出身(札幌市生まれ)。北海道倶知安高等学校卒業。
1980年(昭和55年)『月刊OUT』(みのり書房)に掲載された「ざ・ライバル」でデビュー。当初はプロの漫画家になるつもりはなく、サラリーマン稼業の傍らでみのり書房やラポートの雑誌で活動する。退職後に「きまぐれサイキック」で『週刊少年サンデー』(小学館)での活動を開始し、以降主に同誌において活躍した。
代表作に『究極超人あ〜る』・『機動警察パトレイバー』・『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』など。
1957年(昭和32年)に北海道札幌市で生まれる。幼少期を東京都中野区や千葉県で過ごす。小学生の時に7歳年上の従兄がノートに漫画を描くのに影響を受け、石森章太郎の『マンガ家入門』で描き方を憶えて漫画を描きはじめる。
中学生の時に母親の故郷の北海道虻田郡倶知安町に移り、高校卒業まで過ごす。ちなみに、『究極超人あ〜る』の「生き霊少女」のエピソードは、高校時代の体験に基づいているという。
1975年(昭和50年)に高校を卒業し、上京して就職する。
1977年(昭和52年)の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』公開前後より、アニメや漫画の愛好者達の集い場となっていた江古田のまんが画廊に通うようになる。ここで『パロディ宇宙戦艦ヤマト』(水谷潤)という有名な同人誌を見て触発されて自身もパロディ要素を含んだ漫画を執筆し、これが仲間達から好評を得て執筆を続けるようになる。
また、川村万梨阿やとまとあきらとともに、架空のアニメの設定などをでっち上げる「企画ごっこ」という遊びを始め、これが後の『機動警察パトレイバー』へと繋がって行く。
まんが画廊でみのり書房がパロディ漫画を描ける人物を捜しているとの情報を得たゆうきは、同社を訪れてアイデアを見せ、OKが出たため漫画を執筆して持ち込む。『機動戦士ガンダム』のパロディ作品「ざ・ライバル」が『月刊OUT』1980年(昭和55年)4月号に掲載されて漫画家としてデビューする。ただし4ページの原稿のうち掲載されたのは1ページ目と4ページ目だけであった。
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ゆうきまさみ
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まんが画廊でみのり書房がパロディ漫画を描ける人物を捜しているとの情報を得たゆうきは、同社を訪れてアイデアを見せ、OKが出たため漫画を執筆して持ち込む。『機動戦士ガンダム』のパロディ作品「ざ・ライバル」が『月刊OUT』1980年(昭和55年)4月号に掲載されて漫画家としてデビューする。ただし4ページの原稿のうち掲載されたのは1ページ目と4ページ目だけであった。
その後も、同誌でコンスタントにアニパロ(アニメのパロディ)読切の発表を続け、1980年12月号から開始した「ど貴族物語」が初の連載作品となる。当初はプロの漫画家になるつもりはなく、サラリーマンを本業として続けながらの活動であった。
活動の場をラポートの『アニメック』やOUTの増刊として始まった『アニパロコミックス』と増やし、新谷かおるの元でのアシスタントを行うと漫画活動の幅を広げるが、漫画によって本業が疎かになっていく。そして勤務年数が退職金が出る年数に届き退職しても当面の生活には困らなくなったこともあり、勤務態度を注意されたことを機として6年勤めた会社を1982年(昭和57年)に退職。
同年には『アニメック』でアニパロではないオリジナル作品「マジカル ルシィ」を、翌年には『アニパロコミックス』と『月刊OUT』を跨ぐ形で古事記のヤマトタケルノミコト説話を漫画化した「ヤマトタケルの冒険」の連載をそれぞれ始める。
1982年ごろに出渕裕と知り合ったゆうきは意気投合して「企画ごっこ」のノートを見せ、これを気に入った出渕は構成として火浦功を加え『機動警察パトレイバー』として実際にアニメ化することを目指す。制作プロダクションへと企画を持ち込むが受け入れられず頓挫し、多忙となった火浦は企画から撤退する。
1983年(昭和58年)の『時をかける少女』の公開により、ゆうきの周りでは原田知世ブームが起こる。出渕裕・火浦功・美樹本晴彦・かがみあきら・とり・みき・河森正治・米田裕といった面々が原田について熱く語る日々を過ごし、エッセイ漫画などの形で仕事としても昇華していた。ゆうきも『OUT』で連載したパロディ作品「時をかける学園(ねらわれたしょうじょ)」などいくつかの漫画で原田を取り上げた他、原田に近づく機会が得られるかもしれないとの理由から角川書店のアニメ雑誌『月刊ニュータイプ』での連載を受諾している。
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ゆうきまさみ
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1985年(昭和60年)の同誌創刊号から連載を開始したエッセイ漫画「ゆうきまさみのはてしない物語」は四半世紀以上を経た2016年現在においても続いており、同誌最長の長寿連載となっている。
「KUNIE」の打ち切りによって仕事の無くなっていたゆうきに、『週刊ヤングサンデー』へと異動していた「じゃじゃ馬」時の担当が、『バーディー』を名指しで連載を持ちかけ、同誌で2003年(平成15年)より『鉄腕バーディー』のリメイク版の連載を開始する。
2008年(平成20年)には『鉄腕バーディー DECODE』としてアニメ化もされるが、アニメ放映中に『ヤングサンデー』が休刊し『週刊ビッグコミックスピリッツ』へと移籍。その後、1カ月程度の休載を挟んで「鉄腕バーディーEVOLUTION」と改題の上で連載を再開した。改題によって個別タイトルとしては「じゃじゃ馬」などより短くなっているが『EVOLUTION』は完全に話の繋がった続編であり、無印と『EVOLUTION』を合わせたリメイク版『鉄腕バーディー』全体では連載期間で10年以上、単行本では30巻を越えるゆうき最長の作品となっている。
2013年から2017年にかけては、現代に生きる吸血鬼をテーマにしたサスペンスミステリー作品『白暮のクロニクル』をビッグコミックスピリッツで連載。同時期に、ボーイズラブ作家をテーマにした『でぃす×こみ』を、月刊!スピリッツで不定期連載した。
2018年からは、伊勢新九郎(北条早雲)をモデルとした『新九郎、奔る!』を月刊!スピリッツにて連載開始(2020年よりビッグコミックスピリッツに移籍)。
2020年9月14日、画業40周年を記念した企画が、週刊ビッグコミックスピリッツ42・43合併号で告知された。同年12月に初の大規模となる展示イベント「ゆうきまさみ展」を東京・東京ドームシティ Gallery AaMoで開催。また、初の画集が発売されることも併せて発表した。イベントの詳細は随時特設サイト及び公式Twitterで告知される。
特記のない連載作品は『週刊少年サンデー』での連載。
漫画作品については連載作品のみを抜粋して記載する。詳細な漫画作品および単行本のリストはゆうきまさみの漫画作品一覧を参照。
アニメ『機動警察パトレイバー』の原作者集団。
ゆうきの元でアシスタント経験のある人物。
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バトルフィーバーJ
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『バトルフィーバーJ』(バトルフィーバージェイ)は、1979年2月3日から1980年1月26日まで、テレビ朝日系列で毎週土曜18:00 - 18:30(JST)に全52話が放送された、東映制作の特撮テレビドラマ、および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称である。「スーパー戦隊シリーズ」第3作目に当たる。
現在の「スーパー戦隊シリーズ」へと到る転機となった作品でもあり、昭和から平成初頭にかけてシリーズ第1作目として扱われていた。
前述の通り「スーパー戦隊シリーズ」第1作目として扱われていたこともある本作品であるが、これは本作品以前の『秘密戦隊ゴレンジャー』と『ジャッカー電撃隊』が石ノ森章太郎原作の「戦隊シリーズ」、本作品以降は原作者の名義が八手三郎の「スーパー戦隊シリーズ」、と区別されて認識されていたためでもある。現行のスーパー戦隊シリーズのベースは次作『電子戦隊デンジマン』からの要素が強く、その点においても本作品は少し異彩を放った作品となっている。
5人組のグループヒーローという骨子に加え、『ゴレンジャー』や『ジャッカー』では登場しなかった巨大ロボット(戦隊ロボ)バトルフィーバーロボやロボを輸送する巨大母艦バトルシャークの登場など、後のメカによるスーパー戦隊シリーズにおける基本的なフォーマットは本作品において確立された。当時、この巨大ロボと巨大母艦の組み合わせはコンビネーション・システムと呼ばれ、トミーから発売されて好調だった特撮アニメ作品『恐竜探険隊ボーンフリー』の「ボーンフリー合体セット」に対抗して発案されたものである。
作品タイトルのネーミングは、前年の1978年に公開されたアメリカ映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が大ヒットし、1979年日本で「フィーバー」が流行語となっていたことの反映である。「フィーバー」をタイトルに入れるアイデアは、当時東映テレビ部部長だった渡邊亮徳による。
後述する企画立ち上げの経緯から、本作品もマーベルのマルチバース(多元宇宙)(英語版)の一つとして位置付けられており、本作品の舞台は「アース-79203」と設定されている。
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バトルフィーバーJ
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後述する企画立ち上げの経緯から、本作品もマーベルのマルチバース(多元宇宙)(英語版)の一つとして位置付けられており、本作品の舞台は「アース-79203」と設定されている。
本作品はマーベル・コミック社と東映の業務提携によって、前年に制作した日本版『スパイダーマン』における視聴率や商品化収入の成功を引き継ぐ意味でも、マーベル社所有のキャラクター使用契約も視野に入れて企画された作品である。本作品の放映前の仮題は『キャプテンジャパン』で、その題名での新番組企画書が現存する。「アメリカ」「ジャパン」のように国名を背負ったキャラクターから発想を広げ、世界各国から集結した集団ヒーローという構想が生まれた。
やがて諸事情により吉川進が平山亨から本作品を引き継ぎ、企画の骨子「ダンスのリズムで細胞変化を起こし、変身する超人」も平山案からそのまま受け継がれた。ただし、高久進が第1話の脚本を執筆した段階で「踊りを武器に戦う」という骨子の部分はそれほど意識されず、初期企画はオープニング映像や作中描写の一部に残されるのみとなった。その理由として実際に映像を撮影してみると、アクションと踊りがうまく融合しなかったことと言われる。また、アメコミ色の強かったタイトルや名称に異論が出て、『バトルフィーバーJ』やバトルジャパンなどのように修正された。
正式に番組制作が決定したのは1978年10月のことであるが、翌年2月に放映開始するならば6月には作業を開始しているのが普通であり、スケジュールは逼迫した。そのうえ、『ゴレンジャー』や『ジャッカー』の撮影が行われた東映生田スタジオは既に閉鎖されており、特撮は東映東京撮影所で東映映像が制作していたところを、一般向けドラマが中心だった東映テレビプロダクションに移行したばかりで、スタッフにもヒーロー番組のノウハウがなく、苦労が多かった。このスケジュールの逼迫は番組開始以降も尾を引いており、従来の東映制作の特撮テレビドラマで行われてきた遠方ロケも、本作品では第21話・第22話での北陸・能登半島ロケのみに留まっている。
本作品に登場するキャラクターは、ミスアメリカ(Miss America)を除き、全て東映のオリジナルキャラクターである点が日本版『スパイダーマン』とは異なる。当初は「キャプテンジャパン」を中心としたチームだった。
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バトルフィーバーJ
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本作品に登場するキャラクターは、ミスアメリカ(Miss America)を除き、全て東映のオリジナルキャラクターである点が日本版『スパイダーマン』とは異なる。当初は「キャプテンジャパン」を中心としたチームだった。
だが、最初期段階でキャプテンジャパンのモチーフであるキャプテン・アメリカがマーベル側の事情で使用できなくなった。同じくマーベルのキャラクターであるミスアメリカが代案として提示され、これを元にデザイン作業が行われた。ミスアメリカ自身も大幅なアレンジが施され、引用されたのは胸の星条旗をアレンジしたマークデザインのみで、マスクやタイツという要素は別のキャラクター「ミズ・マーベル」からの影響が見られる。玩具においては、一部ミスアメリカだけ版権の問題で発売できないものがあり、乗用マシーンも制作が間に合わず劇中では市販の乗用車やバイクが使用されたため、商品化されなかった。
キャプテンアメリカという名称は、東映の公式設定においては名称・デザインともに一切使われていない。『マーチャンダイジングライツレポート』1978年12月号では、ミスアメリカはキャプテンアメリカという名前で掲載されている。また、当時の販売商品には「地球を守る5人のバトルマン」という表記もあり、商標としてのネーミングが1つに徹底されていない状況だったようである。バトルフィーバーロボや巨大ロボットバトルフィーバーといったロボの名称についても、同様である。
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バトルフィーバーJ
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『ジャッカー』までのマントに代わり、全員が白いマフラーをなびかせている。また、胸にはそれぞれの国を象徴したワッペンが付いているが、これは前述のミスアメリカの要素を継承したものである。放映時は「五色の戦士」というパターンも前面に出てはいなかったが、後年になって他のスーパー戦隊と設定を揃える意味で各員の「色」が設定されている。ただし、後付けの分類であるため、バトルコサックとバトルケニアの色の扱いには資料ごとに違いがある(後述)。ヒーローのスーツデザインにおいても、後のシリーズのようなデザイン上の統一された要素が少なく独自性が顕著だが、これはスーツのデザインがマーベルとの提携作品であるという面も含めて東映側の主導で決定している一方、ヒーローキャラクター自体の商品化を大きく意識していないためである。マスクはその後のスーパー戦隊シリーズで一般的なゴーグル調のデザインとは異なり、アメコミヒーローのような「目」を持つデザインである。ゴーグル型マスクの使用も検討されたが、髪の毛のあるミスアメリカのデザインと馴染まなかったため、本作品では不採用になった。
『スパイダーマン』で好評だった日本独自設定の巨大ロボットが、本作品でも引き続き採用されている。巨大ロボの導入はスポンサー側からの要請であったともされるが、村上克司は「成功した要素だから継承した」という安易な思想を否定し、新作を手がける際には他作品との差別化を追及する旨を語っている。バトルフィーバーロボを格納するバトルシャークに力が入っているのも、アニメ風の変形合体ロボからコンセプトを変えるためである。
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バトルフィーバーJ
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バトルフィーバーロボが本格的に登場したのは、第5話からである。当初の予定では第1話からロボが活躍するはずだったが、村上克司によるデザイン決定が遅れたことで着ぐるみ製作にもさらなる時間を要していた。特撮監督の矢島信男が松竹映画『夜叉ヶ池』の仕事に関わっていたこともあり、特撮場面の撮影スケジュールは第1話の放送に間に合わないことが早期に判明していたため、第1話から第4話までの脚本はロボが建造中という設定で制作された。第1話から第4話までにおける建造中の場面や、第5話・第6話におけるミニチュアや着ぐるみを駆使した戦闘場面の数々は円谷プロダクション出身の特撮監督である佐川和夫が矢島の描いた絵コンテを参考に演出しており、劇中では未使用に終わった場面もエンディング用の映像素材や後のエピソードなどにおいて流用された。
第7話から参加のアクション監督である金田治は、巨大ロボ戦の演出も同時に担当していた。ロボットだけを画面に収めても巨大さを実感しにくいため、画面下に小さなキャラクターを配置することで大きさを対比させる手法も、金田の発案による。森や岩と空の境など画面の切り合わせに使える線がある場所で等身大アクションの撮影を行い、そこに後から巨大ロボ戦を合成することで、奥行きのある画面を造った。第3クールからはジャパンが単独で巨大ロボ戦を挑みながら、残り4人が等身大のエゴス怪人と戦うという演出が披露された。
世界各地に様々な怪奇現象が起こる中、謎のコウモリ傘の美女の手により国防省幹部が次々と殺されていった。それを知った倉間鉄山将軍は、世界各国に派遣されていた4人の精鋭から成る対エゴスの秘密部隊バトルフィーバー隊にその調査を命じた。4人は、捜査途中に謎のコウモリ傘の美女そっくりの女性捜査官ダイアンと出会う。コウモリ傘の美女を影で操る秘密結社エゴスに父を殺されたダイアン・マーチンを加えた5人に、鉄山将軍はバトルスーツを与え、世界の混乱を目論むエゴスの討伐に向かわせていた。
巨大ロボット・バトルフィーバーロボの設計図の争奪戦が繰り広げられる中、エゴスも悪魔ロボットを完成させる。その第1号・バッファローロボをバトルフィーバー隊は完成したばかりのバトルフィーバーロボで迎え撃ち、勝利した。戦士たちの激しくも苦しい戦いは、始まったばかりである。
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バトルフィーバーJ
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巨大ロボット・バトルフィーバーロボの設計図の争奪戦が繰り広げられる中、エゴスも悪魔ロボットを完成させる。その第1号・バッファローロボをバトルフィーバー隊は完成したばかりのバトルフィーバーロボで迎え撃ち、勝利した。戦士たちの激しくも苦しい戦いは、始まったばかりである。
国防省とFBIからの精鋭を集めて結成されており、メンバー全員それぞれ世界各地のダンスを取り入れた戦闘スタイルを習得している秘密戦闘部隊。劇中では「バトルフィーバー」もしくは「バトルフィーバー隊」と呼ばれ、名乗りシーンにおいても全体としては「バトルフィーバー」と名乗ることが多いが、初期の回では「バトルフィーバーJ」と名乗っている。
「フィーバー!」の掛け声とともに、ダンスのようにくるっとターンすることで変身するが、本作品では変身の描写がさほど重視されておらず、「一瞬物陰に身を隠し、次に姿を現した時には変身している」など、場合によっては掛け声やターンも省略されることがある。決め技は、5人の武器を組み合わせて放つペンタフォース。メンバーの年齢は劇中ではマリアのみが19歳として明らかになっている。
当初はエゴスや一般人には正体を隠していたが、中盤でエゴスの作戦によって正体を知られることになる。
サタンエゴスを神と崇めるエゴス教を信仰する秘密結社。首領であるサタンエゴスの言葉は、神官を務めるヘッダー指揮官を通して一般構成員に伝えられる。現代科学の枠組みを超えた原始科学を崇拝し、様々な怪人を生み出す。主に親子の信頼関係を破壊したり、子供たちを怠け者にしたりするなど人間社会を混乱させる作戦を行い、人間の欲望を煽り、エゴス教の信者を増やして「呪われた科学の産物」である現代文明の破壊を目的とする。サタンエゴスを信じるようになった人間は額に赤いXの文字が浮かび、エゴスの忠実な下僕になる。
バトルフィーバーたちの正体に最初は気づいておらず、物語初期は一般市民を勧誘して悪用したり、毒入りの食べ物を撒いたりするなどの無差別的な攻撃や、新兵器や宝を所持する者(主に科学者)を誘拐・殺害して横取りするなどの作戦が多かった。物語中盤で全員の正体を知ってから(後述)は、毎回メンバーの誰か1人をつけ狙う作戦をよくとるようになった。
各キャラクターの身長・体重などの設定はない。
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バトルフィーバーJ
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バトルフィーバーたちの正体に最初は気づいておらず、物語初期は一般市民を勧誘して悪用したり、毒入りの食べ物を撒いたりするなどの無差別的な攻撃や、新兵器や宝を所持する者(主に科学者)を誘拐・殺害して横取りするなどの作戦が多かった。物語中盤で全員の正体を知ってから(後述)は、毎回メンバーの誰か1人をつけ狙う作戦をよくとるようになった。
各キャラクターの身長・体重などの設定はない。
初代バトルコサックには『ゴレンジャー』のミドレンジャー / 明日香健二を演じた伊藤武史、2代目バトルコサックには『人造人間キカイダー』のキカイダー / ジローなどを演じ、既に中堅俳優としてのキャリアも持っていた伴直弥が起用された。バトルコサックの交代は、伊藤武史が「結婚するので降板したい」と申し出たからだと吉川進は回想している。
その他の主演俳優も谷岡弘規は当時29歳、倉地雄平は当時27歳、伴直弥は当時32歳といった具合に、中堅層を揃えている。倉地は、オーディションではなく直接オファーであったと証言しており、吉川が『スパイダーマン』の出演者から選んだのだろうと推測している。
バトルケニア・曙四郎役にはスタントマンとして活躍してきたJACの大葉健二が起用され、変身前と変身後のスーツアクターを両方演じた。大葉は後楽園ゆうえんちで行われていたショーにも出演しており、「バトルケニアが敵に捕まってマスクを外される」という演出でテレビと同じ俳優であることを印象付けた。大葉は翌年の『デンジマン』でもスーツアクターを兼ねたレギュラー役、そして1982年には単独主人公役の『宇宙刑事ギャバン』へと抜擢された。
初代ミスアメリカ役は当時のアグネス・ラム人気にあやかって、モデルのダイアン・マーチン(役名同じ。オープニングでは「D.マーチン」と表記)が起用されたが、スケジュールの都合が次第につかなくなり、交代を余儀なくされた。マーチンは英語しか話せなかったので、変身後のスーツアクトレスである小牧リサがアフレコを担当した。
倉間鉄山将軍役としては東映時代劇の名優・東千代之介が招聘され、当時話題となった。吉川進と「東京放映」社長・香山新二郎は懇意であり、その東京放映に所属していた東千代之介とも交流があったため、声をかけやすかったという。
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バトルフィーバーJ
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倉間鉄山将軍役としては東映時代劇の名優・東千代之介が招聘され、当時話題となった。吉川進と「東京放映」社長・香山新二郎は懇意であり、その東京放映に所属していた東千代之介とも交流があったため、声をかけやすかったという。
後に声優業へと転身しアニメ番組『タッチ』にて一躍脚光を浴びることになる、日髙のり子こと伊東範子がレギュラー出演している。またビューティ・ペアとして活躍し、引退間もないころの元女子プロレスラー・マキ上田が悪役として途中からレギュラー入りしている。
開始当初は潮建志が敵幹部のヘッダー指揮官役を演じていたが、覚醒剤所持容疑で逮捕されたことにより降板となり、第4話でゲスト出演をしたばかりの石橋雅史が急遽その後を継ぐことになった。潮の逮捕は放送が開始されて間もない3月第1週だったことから、未放送・ネット開始前の地域も含まれた地方局への悪印象を防ぐ意味でも、過去に潮が演じた映像を可能な限り石橋の映像に差替え、保存用ネガを改変していた。初回放送時のフィルムは経年劣化が著しい上に所在が不明となっている。
例外的に潮による映像をそのまま用いているものとしては、第1話のラストシーンや第3話のエンディング、第5話の坂口(国防省高官)移送シーンなどの細かいカット、第4話と第6話の全編などが挙げられる。第4話の差し替えが行われなかったのは、石橋がゲストとして潮演じるヘッダーと同一の画面にいるため、第6話は、ヘッダーの出番がエゴス基地内に留まらず屋外ロケにまで及んでいることで、全カットの撮り直しが困難だったためである。
なお、初回放送時は以下の通りである。
※エゴス関係は放送リスト参照。
番組開始当初の技斗はビッグアクションが担当しており、ジャパン・アクション・クラブ (JAC)は『スパイダーマン』に携わっていた。バトルケニア役の大葉健二はJAC所属だが、あくまで一人の俳優としての参加であって、クラブ全体が『バトルフィーバーJ』に参与する予定はなかった。
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バトルフィーバーJ
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なお、初回放送時は以下の通りである。
※エゴス関係は放送リスト参照。
番組開始当初の技斗はビッグアクションが担当しており、ジャパン・アクション・クラブ (JAC)は『スパイダーマン』に携わっていた。バトルケニア役の大葉健二はJAC所属だが、あくまで一人の俳優としての参加であって、クラブ全体が『バトルフィーバーJ』に参与する予定はなかった。
しかし、JACの金田治が『スパイダーマン』終了とともに『バトルフィーバーJ』に移行し、第7話から技斗の担当となった。このときバトルコサックのスーツアクターもスパイダーマン役だった古賀弘文に交代した。ただ闇雲に人員を変更して視聴者に違和感を抱かせるのは金田の本意ではなかったので、他のスーツアクターは続演している。また、金田は高橋一俊によるキャラクター付けを高く評価しておりこれを引き継いでいる。
後にミスアメリカ役の小牧リサも交代しているが、これは負傷が理由である。なお、バトルフィーバーロボを鈴木弘道が演じたとする資料があるが、鈴木自身はこれを否定している。ミスアメリカのオートバイスタントは、タケシレーシングチーム所属の男性スタントマンが演じた。
第1話の初変身シーンは、変身前俳優の5人がスーツアクターを務めた。
本作品の劇伴曲は、シリーズでは初めてレコード化を前提としてステレオで録音された。楽曲は複数の曲を繋いで1トラックとする組曲形式で録音され、『組曲バトルフィーバーJ』のタイトルで発売された。曲がクロスフェードしている箇所もあり、単純に曲ごとに切り離しただけでは映像に合わせるのに不都合が生じてしまうため、映像では各トラックを曲ごとにトラックダウンし直し、モノラルに変換したものを使用している。ただし、組曲に含まれない曲は従来通りモノラルで録音されている。
組曲形式で録音する都合上、楽曲がトラックごとに一つの流れを作る形にしなければならないという作曲上の制約があり、そのため楽曲の絶対数が不足してしまうという事態が発生した。組曲に含まれない曲を加えても曲数の不足を補いきれず、また不足分を補うための追加録音も行われなかった。
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バトルフィーバーJ
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組曲形式で録音する都合上、楽曲がトラックごとに一つの流れを作る形にしなければならないという作曲上の制約があり、そのため楽曲の絶対数が不足してしまうという事態が発生した。組曲に含まれない曲を加えても曲数の不足を補いきれず、また不足分を補うための追加録音も行われなかった。
そのため、渡辺宙明が過去に作曲した楽曲を流用することで不足分を補っている。このようなケース自体は当時は珍しくなかったが、本作品ではペンタフォース(人造人間キカイダー M-51)やクロスフィーバー(五番目の刑事 M-25)、電光剣・唐竹割り(イナズマン M-12T2、同作品の予告編用楽曲)といった必殺技のテーマ曲がことごとく過去作品からの流用である点が特徴になっている。巨大ロボット戦の描写として『大鉄人17』からも多くが流用されている。
本作品の歌曲は、一部の曲に存在する別バージョンを除く全5曲とシリーズ中最少であり、また放送当時は作品単体でのアルバムには収録されなかったが、「明日の戦士たち」を除く挿入歌2曲は主題歌を含めたシングル盤として発売された。
また本作品より、大泉音映の前身である東映大泉撮影所録音部の阿部作二が効果技師として参加、以降20年以上にわたってスーパー戦隊シリーズの効果音を手掛けた。
いずれも東映ビデオより発売。
放送当時の雑誌展開は徳間書店の『テレビランド』が中心で、小学館の『てれびくん』では一切掲載されなかったが、次々作『太陽戦隊サンバルカン』が放送された1981年以降からは『てれびくん』でもブロマイド商品他などの写真が掲載されるようになった。
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みず谷なおき
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みず谷 なおき(みずたに なおき、1960年7月4日 - 1999年2月8日)は、日本の漫画家。愛知県出身、本名:水谷直樹。
望月三起也のアシスタントを経て、1983年、「ズーム・イン!」でデビュー。1980年代、『週刊少年サンデー増刊号』にて「人類ネコ科」、「ブラッディエンジェルズ」等のラブコメディを発表し人気を博す。1990年代には『月刊少年キャプテン』を舞台に移し、質の高いコメディを世に送り出すものの、病弱のため寡作だった。
作品にはほとんどで「腕っぷしの強いキャラ」が登場しており、そういったキャラを含めたアクションシーンも多い。初期の短編作品などからも本人の志向はアクション作品向きだったが、当時の一般少年誌の傾向や収録作品の都合もあってか連載作品はコメディが中心となったことが「人類ネコ科(少年サンデーコミックス版第1巻あとがき)」にて描かれている。1993年頃からはスランプに陥り、ほとんど活動していなかったが、1998年頃よりファンタジーアクション作品「バーバリアンズ」を執筆し、徐々に復帰を始める。しかし、中断していた「Hello! あんくる」最終回の執筆を開始するものの、1999年2月8日、就寝中に突然死(直接の死因は不明)。享年38。
アシスタントを使わず、あくまで自分一人で原稿を描くことにこだわったため、『週刊少年サンデー』での連載を断っていた(アシスタントの募集自体は雑誌上で実施したことはある)。
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まことちゃん
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『まことちゃん』は、楳図かずおによる日本のギャグ漫画で代表作のひとつである。
まことの祖父の沢田元太郎が主人公の『アゲイン』(『週刊少年サンデー』1971年38号から1972年5号まで連載)のスピンオフ読切作品が原型である。
その後連載が決定し、『週刊少年サンデー』1976年16号から1981年30号まで連載された。1980年にはアニメ映画化されている。
連載終了後しばらく経って、『週刊少年サンデー』1988年37号から1989年32号まで新たに連載された。こちらは単行本のカウントもリセットされているために「平成版」と呼ばれ、区別して扱われている。
聖秀幼稚園に通う幼稚園児の主人公・沢田まこと(まことちゃん)と沢田一家が巻き起こす「ビチグソ」等下ネタ・エロネタ満載のギャグ漫画。石器時代、江戸時代、未来のSFテイストの作品や、作者の得意とするホラーテイストのエピソードや、沢田家を恐竜(ティラノザウルス)に置き換えたストーリーもある。
作者の楳図かずおも、KAZZとして作中に登場する。後述する「グワシ」「サバラ」などのギャグと、「...なのら」「マッチョメ マッチョメ」「ゲゲッ」「ギョエー」「まこと虫」等のまことちゃん語は、連載当時流行した。
作品の中には、桑田佳祐や研ナオコ、山口百恵、イルカ、ベイシティローラーズのメンバーたちといった有名人も登場することが多く、連載中の1977年に死去したエルヴィス・プレスリーが主役として登場する回もある。
本作は、『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)に連載されていた山上たつひこの『がきデカ』や、『週刊少年ジャンプ』(集英社)に連載されていた小林よしのりの『東大一直線』と共に、1970年代後半の少年雑誌に掲載されたギャグ漫画の金字塔的作品であった。
単行本は小学館少年サンデーコミックスから刊行されており、全24巻。「平成版」の単行本は全4巻。いずれも絶版になっている。
その後、小学館文庫より全12巻が刊行された。その際、小学館の学年別学習雑誌や『幼稚園』に連載されていた作品が『まことちゃん小劇場』というタイトルで巻末に収録された。また、1995年から1996年にかけて「少年サンデーコミックス・セレクト」レーベルから全24巻が刊行された。文庫版及びセレクト版には「平成版」連載分も一部収録されている。
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まことちゃん
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その後、小学館文庫より全12巻が刊行された。その際、小学館の学年別学習雑誌や『幼稚園』に連載されていた作品が『まことちゃん小劇場』というタイトルで巻末に収録された。また、1995年から1996年にかけて「少年サンデーコミックス・セレクト」レーベルから全24巻が刊行された。文庫版及びセレクト版には「平成版」連載分も一部収録されている。
「平成版」は最終巻刊行後すぐに絶版になったため、IKKIコミックス(小学館)で『超!まことちゃん』全3巻として刊行されるまで日の目を見なかった。
1980年7月26日に東宝系で全国劇場公開された。上映時間は85分。同時上映は、相米慎二の監督デビュー作『翔んだカップル』。
併映作の『翔んだカップル』は山口百恵の引退記念映画『古都』と同時上映される予定だったが、『古都』が単独上映されることになったため、本作の同時上映として急遽製作された。当時の漫画・アニメとしてはリアルな背景は、漫画の背景をモノクロコピーしたものを、アニメ撮影用の背景の素材の一部として流用している。
原作者・楳図かずおが自ら主題歌を造って歌唱、そして声優として参加、また当時の人気漫才師・ツービートも出演した。
上映当時ポスターにて「製作費4億5千万円」「日本一のハリキリボーイがやってくる!!」と謳われた。
2007年3月にDVDソフト化。10年後の2017年には宝島社からDVD-BOOKとして発売された。
2019年11月20日より、YouTubeの「TMSアニメ55周年公式チャンネル」から、オープニングとエンディング、そして本編の一部が無料配信されている。
特別出演
※映画クレジット順
登場人物が披露する指サイン。手で物を掴む時の擬態語が語源とされている。指サインを形作り相手に向け「グワシッ!!」「グワ〜シ!!」等と叫ぶ。作者である楳図かずおもテレビ番組などの出演時に二代目グワシを披露するが、自分の指でこのサインを形作るのが難しいため、「グワシハンド」と呼ばれる紙製のグワシを使用して披露している。「グワシ」には、以下のように様々なバリエーションが存在する。
作者本人にはできないらしく、『マンガノゲンバ』出演時に実証している。
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まことちゃん
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作者本人にはできないらしく、『マンガノゲンバ』出演時に実証している。
グワシと同様に登場人物が披露する指サインで、中指と薬指を曲げるサイン。グワシ同様「サバラハンド」と呼ばれる紙製のサバラも存在する。作者の仕事場を訪ねてきた子供が、帰りがけに「さらば(さよなら)」と言おうとして「サバラ」と言ってしまったのが語源とされている。作者の楳図と同様にホラー漫画家の日野日出志のキャラクターはよくこれをやっている。
いずれも日本コロムビア(コロムビアミュージックエンタテインメント)からの発売。
1979年にエポック社からボードゲームシリーズ「まんがゲーム」第14弾として、「楳図かずおのまことちゃんゲーム」が発売された。同シリーズはそれまで漫画家オリジナルだったが、本ゲームからキャラクター路線を並行発売となった。
2007年に京楽産業.よりパチンコ機『CRぱちんこまことちゃん』が発売された。
初当たり確率が1/45.2と高く、いわゆる「ハネデジ」に分類される。スルーチャッカーを通過させると役物上のチューリップが開放(スルーチャッカーの入賞は4発まで貯留ができる)。チューリップに入賞でデジタル回転となる。デジタルはまことの目に表示される2ケタのLEDで、両方とも1 - 7の数字とまこと虫の計8種の図柄で、3, 5, 7かまこと虫が揃えば大当たりとなる。
ラウンドが3ラウンドしかなく出玉がかなり少なめな、ローリスクローリターンが特徴。すべての大当たり後、4回転の確変に入り、この時に当たりを引くと以後70回転の時短に入り、その間に当たりを引くとそこからまた70回転というチャンスタイム。また、まこと虫で当たると突確の2ラウンド大当たりとなり、出玉はないが4回転確変+70回のチャンスタイムに突入する。
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電子戦隊デンジマン
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『電子戦隊デンジマン』(でんしせんたいデンジマン)は、1980年2月2日から1981年1月31日まで、テレビ朝日系列で毎週土曜18:00 - 18:30(JST)に全51話が放送された、東映制作の特撮テレビドラマ、および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称。「スーパー戦隊シリーズ」第4作にあたる。
「○○戦隊」という呼称や、変身時のアイテムの使用、ヘルメットのデザインへのゴーグルの導入、色によるメンバーの区別、そして敵の怪人を必殺技で倒した直後に敵が巨大化して、メンバーが巨大ロボットに乗り込みロボットの繰り出す必殺技で再び倒すなど、以降のシリーズ作品で採り入れられている多くのスタイルは、本作品で確立された。高い人気を得た前作『バトルフィーバーJ』から、「5人のヒーローと巨大ロボットを中心としたメカニック」という基本要素を引継ぎつつも差別化のため、ヒーローが戦いのプロではなく元一般人であること、その出自が宇宙に由来すること、などの要素が導入されている。アクション面では、5人共同での連携攻撃が強調されている。
当時のSF映画ブームを受けて超科学で戦うというストーリーはSF色が強く打ち出されており、後の宇宙刑事シリーズに影響を与えたとされる。また、当時のファンタジー・SF映画ブームの翻訳処理は『南総里見八犬伝』を参考としており、8つの玉の代わりにデンジ星人の宿命が5人を集結させるほか、デンジ犬アイシーは同作品の八房をモデルとしており、『宇宙からのメッセージ』などの構築に見られた、東映の時代劇のノウハウに加えて、脚本家の上原正三の人格を重視した脚本姿勢によって、単なるSFではない日本的な宇宙伝奇ともいえる世界観となり、その独創性は善悪の攻防以外の要素が炙り出されるものとなった。初期企画書では冒頭に世界の怪奇現象を列挙するなど敵側の怪奇性が強調されていた。序盤では一般人が残酷に殺されたりなど怪奇色も強く、中盤以降でも一般人が利用されて(あるいは怪物になって)死ぬといった内容もある。そして終盤では、脚本の上原が後の作品でも用いた敵組織の内部抗争が描かれた。また、コメディタッチの描写(青梅の「あんパン好き」など)も随所にちりばめられている。
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電子戦隊デンジマン
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次作『太陽戦隊サンバルカン』は世界観のつながった続編にあたり、ヘドリアン女王が新組織ブラックマグマに参加する形でレギュラー出演するほか、ストーリーの中でデンジ星人の設定を引き継いだエピソードの回も存在する。また黄山純役の津山栄一によれば、「デンジマン役の5人がヘドリアン女王とすれ違い、彼女がいぶかしむ」という形でのゲスト出演が検討されたこともあったが、結局は実現しなかったとのことである。
企画段階での仮称は『電子マン・トリッガー』。実際の作品ではデンジ姫が担った「ベーダーに滅ぼされた異星の生き残り」という役が、ヒロインのクリスタル/トリッガー5にあてられていた。決定名称の『電子戦隊デンジマン』はプロデューサーの吉川進の提案によるもので、東映の渡邊亮徳常務から「電子もデンジも同じようなもんじゃないか」と反対されたが、村上克司が「電子と言った次に、より強いデンジという言葉を重ねるのです」と、似た言葉を連呼する意義を説明し、許可を得た。
キャラクターデザインは前作後半から参加した野口竜が担当。しかしデンジマンのデザインはポピーにより大幅に変更され、これが同社による初のヒーローデザインとなった。本作品からゴーグル型シールドが採用された理由は、レインボー造型企画創始者・前澤範がかねてより抱いていた「アクリル樹脂による1枚もののシールド造型」という構想が、素材やデザインなどの条件とちょうど合致した時期だったからである。この手法は覗き穴をなくし視界を広げるという利点があったが、デンジマンのマスクには本体とゴーグル部分との段差がないため、シールド接着面を2ミリメートルだけ削るという困難な作業が要求された。そのうえ、額のデンジメカ収納部もシールドになっているため、土台となるマスクの耐久性はとても低かった。ノウハウが蓄積された後年ではシールドと土台の接着面を可能な限り大きくするよう心がけており、2011年の『海賊戦隊ゴーカイジャー』制作の際にデンジマンのマスクを見たレインボー造型企画のスタッフは、「今これを作れといったら難儀だ」と述懐している。なお、アクション用マスクのゴーグルには従来どおり空気穴を兼ねたのぞき穴が空けられているが、これも本作品までとなった。
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電子戦隊デンジマン
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東映とマーベル・コミック・グループの提携作品であるが、マーベル色は曽我町子が演じたヘドリアン女王の衣裳デザインに「死の女神ヘラ」の名残を残す程度に抑えられた。マーベル・ヒーローのシルバーサーファーやハルクを用いた企画も存在したが、『バトルフィーバーJ』の後番組もチームヒーロー作品とすることは早くから決まっており、これら単体ヒーローの作品が実現することはなかった。
本作品では内容向上のため時間をかけて制作されており、スケジュールは遅れ気味であったとされる。そのため次作『サンバルカン』は早期に準備が行われ、初期数話は本作品とは別編成で撮影が行われた。
3000年前にデンジ星を滅ぼした異次元人で悪の一族ベーダー一族が地球に襲来、地球総ヘドロ化を企む。
しかし、デンジ星人の生き残りはベーダーに立ち向かうべく、科学力を結集して作った巨大宇宙船デンジランドをすでに地球に送り込んでいた。ベーダーの侵攻をキャッチしたデンジランドはシステムが起動し、覚醒したデンジ星の生き残りロボット犬アイシーは記憶装置に従って地球に移住したデンジ星人の末裔である5人の若者を選び出し、電子戦隊デンジマンを結成した。
デンジマンは地球を守るためにベーダー一族との戦いに挑む。
デンジマンの5人は、普段は同じアスレチッククラブでインストラクターとして働いており、また名字にそれぞれのパーソナルカラーを含んでいるという共通項を持つ。デンジマンであることは世間一般には秘密にしている一方、インターポールから依頼を受けることもあるなど、社会的には一定の信頼を得ている描写も散見される。またデンジ星にも先代の「電子戦隊」が存在していたことが、ベーダー側の台詞にて示唆されている。
デンジマンへの変身にはデンジリングと呼ばれる変身用の指輪を使用する。リングをかざして「デンジスパーク!」と発声し、合わせてリングから放出されるデンジ強化服を装着、変身プロセスを完了する。このリングも含め、各種アイテムに入っているロゴマークはアルファベットの「D」を、真ん中で二つに分割したものが用いられている。集合時の名乗りは「見よ、電子戦隊デンジマン!!」。
デンジマンが5人で放つ必殺技には、以下のものがある。発動は、リーダーであるレッドの号令により行われる。
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電子戦隊デンジマン
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デンジマンが5人で放つ必殺技には、以下のものがある。発動は、リーダーであるレッドの号令により行われる。
異次元宇宙に潜む好戦的な別世界の人類の種族。幹部全員が顔出し俳優による人間である。爆発によって故郷のベーダー星を失っている。一般の宇宙とは全く異なる美醜の感覚を持ち、人間が美しいと思うものを醜いと感じて嫌悪し、ヘドロなどの汚いものを美しく感じる。デンジ星を始めとする多くの星々を滅ぼしており、地球もガスやヘドロで渦巻く腐った世界に改造しようとする。異次元空間に浮かぶ巨大なベーダー魔城を本拠地にしている。怪人までがヘドリアン女王のカリスマ性に忠誠を誓い、歴代でも屈指の結束の固さを誇る敵組織だが、客将バンリキ魔王の参入以降大きく引っ掻き回されることとなる。名前はヘドリアン女王と元々ベーダーではないバンリキ魔王一派を除き、全て「○○ラー」で統一されている。
各キャラクターの身長・体重などの設定はない。
本作品では、シリーズで初めて第三勢力が登場した。
青梅大五郎/デンジブルー役には、前作『バトルフィーバーJ』で曙四郎/バトルケニアを演じた大葉健二がスピンオフとして出演している。
緑川達也/デンジグリーン役の内田直哉は、『バトルフィーバーJ』第16話にゲスト出演しており、同話数を演出した監督の竹本弘一からの推薦で、本作品に起用された。第26話ゲストの中尾隆聖は、当時内田とユニットフォーインワンとして活動していた縁から起用された。
※漢字表記は、ファンタスティックコレクションNo.39『電子戦隊デンジマン』朝日ソノラマ(1984年)、テレビマガジン特別編集『スーパー戦隊大全集』講談社(1988年)ISBN 4061784099に拠る。
ダイデンジン役として日下秀昭が初参加し、以後のシリーズでも戦隊ロボ役のスーツアクターとして定着した。デンジピンク役の竹田道弘も本作品で初めて女性キャラクターを担当した。
デンジグリーン役の村上潤は撮影中に膝を負傷し、代役を務めていた柴原孝典が後半を担当した。
上記の他、第34話において「母の背で覚えた子守唄」(歌:みなみらんぼう)が使用された。
いずれも発売元は東映ビデオ。
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坂口尚
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坂口 尚(さかぐち ひさし、男性、1946年5月5日 - 1995年12月22日)は、日本の漫画家、アニメーター。東京都出身。
1963年、うさぎのカットを3枚描いて入社試験に合格し、定時制高校在学中に虫プロに入社。学業との両立が困難となり、高校は自主退学。『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』で原画を担当。『リボンの騎士』で演出デビュー。最終話「シルバーランド幸せに」を含む8話分を担当した。
虫プロ時代より下駄履き。あえて下駄を履くことで服装や外見で判断する人物を見分けていた。自画像も下駄だった。
1969年「COM」9月号SERIES霧の中『おさらばしろ!』で漫画家デビュー し、「COM」の連載と並行して、1970年から1971年にかけて「ぼくらマガジン」に『ウルフガイ』を連載。『ウルフガイ』連載終了後は、アニメーションの仕事のほうが多くなり、漫画は年に数本のみとなった。
1978年、24時間テレビ 「愛は地球を救う」のスペシャルアニメ『100万年地球の旅 バンダーブック』で中心的役割を担う。スケジュールが切迫した制作現場では手塚治虫と対立することもあった。仲裁役は現手塚プロダクション社長の松谷孝征だった。
1979年、ニューウェーブの波の渦中で『たつまきを売る老人』をはじめとするシリーズ「午后の風」を発表、1980年より『12色物語』を連載。その詩的な作風から「短編の名手」「詩人」 と呼ばれた。
1983年、長編『石の花』連載開始。以後、長編を中心とした執筆活動に入り『石の花』『VERSION』『あっかんべェ一休』の長編3部作を発表。ユーゴスラビアの複雑な環境に世界の縮図をみいだした『石の花』は5度出版されるほどの代表作となった。
一部からは手塚治虫の後継者と目されるも『あっかんべェ一休』の最終話脱稿後、第4巻のカバー校了に立ち合った直後 の1995年12月22日に、自宅の浴室にて急性心不全のため死去した。49歳没。
没後の1996年、遺作となった『あっかんべェ一休』に日本漫画家協会賞優秀賞が贈られた。
アニメの遺作は『安達が原』(1991年)。
2023年には作品『石の花』に対してフランス・アングレーム国際漫画祭の「遺産賞」を贈られた 。
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坂口尚
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没後の1996年、遺作となった『あっかんべェ一休』に日本漫画家協会賞優秀賞が贈られた。
アニメの遺作は『安達が原』(1991年)。
2023年には作品『石の花』に対してフランス・アングレーム国際漫画祭の「遺産賞」を贈られた 。
アシスタントを使わずひとりで執筆していた。「どちらかというと風景が好きで、人物を描きたくない」という発言もある。坂口が描く風景は「現実以上に美しい山であり、川であり、道」「木々の木漏れ陽、地面に落ちた影」「めまいを覚えるような光と影の世界、空、海、雨、木々のざわめき」と高く評価された。『ウルフガイ』では土山よしき、細井雄二がアシスタントを担当し週刊連載を支えた。
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仮面ライダークウガ
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『仮面ライダークウガ』(かめんライダークウガ)は、2000年1月30日から2001年1月21日まで、テレビ朝日系列で毎週日曜8時から8時30分(JST)に全49話が放映された、東映制作の特撮テレビドラマ作品、および作中で主人公が変身するヒーローの名称。
キャッチコピーは「A New Hero. A New Legend.」(新しい英雄、新しい伝説)で、オープニング最後のタイトルで左上と右下に表示される。
テレビシリーズでは『仮面ライダーBLACK RX』終了から10年4ヶ月ぶり、テレビシリーズを除けば『仮面ライダーJ』から6年ぶりとなる『仮面ライダー』作品であり、同時に「平成仮面ライダーシリーズ」第1作目に当たる。「クウガ」(漢字表記では「空我」)の名は「漢字で書ける名前」という提案を受けて、石森プロ社長の小野寺章によりクワガタの語感から命名された。
昭和仮面ライダーシリーズ(以下、昭和ライダー)から世界観が一新されているが、一方で昭和ライダーへのオマージュも台詞や設定の随所に盛り込まれている。昭和ライダーとの大きな違いには「仮面ライダー、および敵対する怪人は改造人間」、「世界征服を企む悪の秘密結社」、「戦闘員」などの設定がなくなったこと、劇中で「仮面ライダー」という単語が用いられないことがある。特に「改造人間」に関しては、医療技術の進歩によって臓器移植手術などが多く行われるようになったことが考慮され、以前のように「改造人間」という表現を用いるのには抵抗があり、東映も「改造人間による影を持った主人公にしたくない」ということで撤廃され、以降の平成ライダーシリーズにも引き継がれることとなった。
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仮面ライダークウガ
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また、本作品には従来の特撮ヒーロー番組にはなかった新たな試みが随所に見られる。身近な恐怖を演出するための現実感と、特撮ヒーロー番組にありがちだった矛盾点を解消させるための整合性を重視し、「グロンギ族は独自の言語と文化を持つ」、「クウガと警察が協力する」、「技名を叫ばない」などの設定が生まれた。作劇においては、従来ではスポットの当たりにくかった「回を追うごとの周囲の人々の変化」や「社会におけるヒーローと悪の存在の認知の過程」が描かれるなど、ヒーロードラマの視点だけではなく、一般ドラマの視点も重視している。このため、1話30分以内では1エピソードを満足に描き切れないということで、基本的に前後編の「2話で1エピソード」というスタイルを取っている。このスタイルは以降の作品にも引き継がれた。
商業面では変身ベルトなどの人気で好成績を記録したが、ドラマ重視の作劇によって戦闘シーンが極めて短い回が多く、10月に発売されていたクウガの最終形態アルティメットフォームが、雄介の見た幻影を除き翌年1月の最終回直前まで作中に登場しない(出番もわずかだった)という展開となったほか、逆にスポンサーの玩具会社の担当者も知らなかった新形態(アメイジングマイティ)が登場し、急遽その商品が開発・発売されるなど、販促番組としても異例尽くめとなった。また、最終回(第49話)ではAパートとBパートの間にCMを挟まずにEDまで放送し、変身後の主役ヒーローの登場や戦闘シーンが存在せず、主人公・五代雄介の出番もわずかであった。
本作品以降、クロスプログラム(放送開始直前に挿入される映像)が頻繁に変更されるようになった。また、提供テロップのナレーションは出演者が交代で担当している。従来のシリーズとは異なり、ナレーションは次回予告と総集編のみに留まった。
西暦1999年7月18日。地中深くに埋没されていたものの、地殻変動によって地表に出現した長野県中央アルプスの九郎ヶ岳遺跡で発掘された石棺を開けたことで目覚めた謎の存在は、城南大学と信濃大学が共同で発掘調査に当たっていた夏目幸吉博士らの調査隊を全滅させ、さらに200体余りの仲間を蘇らせる。この事件の捜査を担当する長野県警刑事の一条薫は、現場にて五代雄介と名乗る冒険家の青年と出会う。雄介が遺跡で発掘されたベルトを目撃した際、超古代の戦士のイメージが脳裏に浮かび上がる。
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仮面ライダークウガ
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その後、長野県警を襲撃するズ・グムン・バに遭遇した雄介は、咄嗟の判断でベルトを装着して戦士クウガに変身しこれを退ける。そして、人々の笑顔を守るために蘇った怪人たちと戦うことを決意する。
以後、クウガと怪人たち=グロンギは「未確認生命体」と呼ばれ、人々に認知されていく。
本作品における敵。人間とは生物学上、同一の存在であり、極めて近い身体・血液成分を持つ、人類に極めて近い超古代の好戦的な先住人類(のちにその1体は人間と自分たちは等しいと述べている)。残忍かつ闘争心旺盛であり、超古代に戦士クウガによって封印されていた。九郎ヶ岳遺跡発掘に伴い、遺跡の東南にある滝付近の森にあった集団の墓のような場所から推定でも最低200体が現代に復活。警察や世間からは「未確認生命体」と呼ばれている。
普段の外見は人間と変わりないが、その肉体に動植物や昆虫の能力を宿しており、体のどこかに怪人体のもととなる動植物や昆虫のタトゥーがある。腹部にアマダムと同質の物体魔石・ゲブロンが埋め込まれており、人間を遥かに上回る運動能力と、拳銃の弾丸をも受け付けず強い衝撃にも耐える強靭な体を持ち、全員が動植物や昆虫の力を持った怪人体に変身する。クウガとグロンギは基本的に同じ力を有している。ゴ集団やズ・ゴオマ・グのように、より強力になるほど体が黒く変化していく。クウガの技で死亡する場合、ほとんどは体に打ち込まれた封印エネルギーが腹部の核に伝達することで「封印」のリント文字が体に浮かび上がり爆発する。
ン・ダグバ・ゼバを頂点とし、ゴ集団・メ集団・ズ集団の階級が存在し、階級ごとに怪人体時に装着しているベルト・ゲドルードのバックルやプロテクターなど、装飾品の色や種類が異なる。リント(現代人をリントの末裔と見なしている)を標的とする殺人ゲーム・ゲゲルを、進行役のラ集団のもとで行う。登場時期が後になるほど強さが増していき、ゴ集団の終盤の3体はクウガのフォームチェンジに当たる超変化が可能。強さはゲブロンの強さに比例し、爆発した際の被害も甚大になる。特にライジングマイティキックで倒すと、その衝撃は半径3キロメートルに及ぶ(ゴ・ガメゴ・レやゴ・バダー・バなど)。
他に、ダグバのゲドルードの修復など裏方仕事を担当していたヌ・ザジオ・レ(登場したのは人間体のみ)や、ゴ・ジャーザ・ギの台詞で存在が示唆されただけのベ集団もいた。
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仮面ライダークウガ
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他に、ダグバのゲドルードの修復など裏方仕事を担当していたヌ・ザジオ・レ(登場したのは人間体のみ)や、ゴ・ジャーザ・ギの台詞で存在が示唆されただけのベ集団もいた。
独自の言語「グロンギ語」を話し、位取り記数法として九進法を用いる。個体差はあるが日本語や自動車・バイクの運転、インターネットなどを短期間でマスターするほど知能は高い。ゴ集団の中には人類の文化・芸術に興味を示して熟達する者もいた。人類はあくまでもゲゲルの標的=リントであり、クウガすらゲゲルの難度を上げる障害物かやや強い標的としか見ていない。人間社会との文化の違いのためか、服装のセンスも一部の者を除いて通常の人類とは大きくかけ離れたものとなっている場合が多い。
倉庫・廃墟・植物園・水族館・飲食店など営業していない複数の施設をアジトとして使い、彼らの文化に合わせたかのようにマネキンや鎖などで個性的な装飾を施すか、最初から神秘的な内装をされている店内などを好んで使っている。
九郎ヶ岳遺跡のある長野県を皮切りに山形県から岐阜県まで広い範囲で行われたが、主に人口の多い東京都を中心とする関東地方周辺に集中していた。グロンギが関係すると思われる殺人・窃盗などの事件は「未確認生命体関連事件」として広域指定事件とされ、警視庁に置かれた合同捜査本部によって捜査される。
グロンギは毎回1体ずつ登場するということがなく、ストーリーの節目となる回ごとに数名がバルバのもとに人間体で現れ、自分がゲゲルを行う順番を待っていた。初登場から怪人体になるまで数週かかった者も多い。怪人体が出現した順に「未確認生命体第○号」と呼称されるが、前述した事情に加えて設定のみでテレビシリーズ未登場のグロンギも多いため、必ずしもテレビシリーズでの登場順とは一致しない。なお、人間体しか目撃されていていなくても未確認生命体と判断される場合は、「未確認生命体B群」として分類される。
名称の冒頭1文字は階級、末尾の語は、もとの生物の種別を表している。
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仮面ライダークウガ
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名称の冒頭1文字は階級、末尾の語は、もとの生物の種別を表している。
最強のグロンギに与えられるグロンギの最高位の階級で、「究極の闇をもたらす者」と呼ばれている。グロンギの中でも桁違いの戦闘力を持つ存在であり、身体能力は無論、特殊能力も他のグロンギと大きく差がある。頂点ゆえに、テレビシリーズに登場したのはダグバのみ。バックルの色は黄金であるほか、他の階級のグロンギよりも派手な形状となっている。
ゲゲルに参加資格を有する階級集団。すべてのグロンギが参加資格があるわけではなく、各集団の実力者が参加資格を有する。
ゲゲルに参加できないが裏方として、ゲゲルの運営を担当。ラ・ドルド・グはゴ・ガドル・バと互角に戦った。
定められた期間内に定められた人数の人間を殺すゲーム。ズ集団のゲゲルではバルバが制限時間と人数を定め、メ集団では自己申告で目標を決め、一定の殺害数カウント後の中間報告が義務付けられている。一度にゲゲルを行うムセギジャジャ(プレイヤー)は1名のみで、ムセギジャジャ(プレイヤー)以外のグロンギはゲゲル中は殺人を禁じられており、開始前に殺人を行った者や他のプレイヤーのゲゲル中に殺人を行った者は参加資格を永遠に剥奪されてしまう。ゲゲルの進行によっては下位集団のゲゲルが停止させられる場合もあり、それに不満を覚えた者が暴走・反抗に出たこともある。
殺害人数のカウントは、ドドゾ(ボード)とグセパ(腕輪)でそれぞれ行う。ドドゾが警察に押収されてからは、バグンダダが代用されている。
ゲゲルに成功した者は上位ランクに昇格する。劇中ではガルメがズ集団からメ集団に昇格。
ゴ集団が行うゲゲルで、意味は「セミファイナル・ゲーム(超古代語対訳版では黒き闇のゲーム)」。メ集団壊滅から1ヵ月後に開始された。通常のゲゲルと異なり、殺害方法に武器の使用が義務付けられ、各々が定めた条件を満たす相手だけを殺す。殺害人数のカウントも本人ではなくドルドが行う。
ゲリザギバス・ゲゲルに成功すれば、ダグバと1対1で戦うザギバス・ゲゲルに臨み、ダグバを倒せば彼の変身ベルトを受け継いで強大な力を手に入れ、「究極の闇」とよばれるリントの大量虐殺を実行する。
グロンギの人間体は、予算の都合からスーツでのアクションを減らすために考案された。その一方で、怪人のスーツはアップ用とアクション用の2種類が用意されている。
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ゲリザギバス・ゲゲルに成功すれば、ダグバと1対1で戦うザギバス・ゲゲルに臨み、ダグバを倒せば彼の変身ベルトを受け継いで強大な力を手に入れ、「究極の闇」とよばれるリントの大量虐殺を実行する。
グロンギの人間体は、予算の都合からスーツでのアクションを減らすために考案された。その一方で、怪人のスーツはアップ用とアクション用の2種類が用意されている。
ハイビジョン撮影ではスーツの材質や造りがそのまま映ってしまうため、従来とは異なる工夫がなされた。スーツにはゴム素材を用いており、スーツをスーツアクターに密着させることでしわをなくすため造型時には毎回スーツアクターのフィッティングを行っていた。腰布などの衣装は股関節などのシワになりやすい部分を隠すためにデザインされ、次作『仮面ライダーアギト』のアンノウンでも引き継がれている。
日中や屋内の撮影でも筋肉の隆起などのコントラストを強調するため、着色したラテックスを重ね塗りして陰影を表現している。
世間ではヒーロー像の固定観念ができあがっており、オーディション出場者の多くが、何かにつけて「ゴルゴムの仕業だ!」と力んでいた『仮面ライダーBLACK』の南光太郎のように大仰な芝居をしたため、主人公の五代雄介役の選出は難航した。その中で、最後のオーディションに出たオダギリジョーはまさにハマリ役だった。オダギリはイメージや価値観が凝り固まった特撮ヒーロー作品に強い抵抗感を抱いていたが、それを隠そうとしない裏表のなさがむしろ五代役に最適と判断された。オーディション終了後もオダギリは出演を断るつもりでいたが、プロデューサーの髙寺に「あの仮面ライダーではなく、むしろ違うものにしたいと思っているから、力を貸してほしい」と説得されて、引き受けることにしたという。
元々は、葛山が五代役をやる予定であったが、一条のキャラクター設定を読んだ葛山が一条に惚れ込んだことで、一条役に変更となった。
オダギリと一条を演じる葛山の人気は男性アイドル雑誌にも露出するなど異例の注目を集め、「イケメンヒーロー」と呼ばれる、従来特撮に関心がなかった層を新たに取り込んだムーブメントを生み出した。
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元々は、葛山が五代役をやる予定であったが、一条のキャラクター設定を読んだ葛山が一条に惚れ込んだことで、一条役に変更となった。
オダギリと一条を演じる葛山の人気は男性アイドル雑誌にも露出するなど異例の注目を集め、「イケメンヒーロー」と呼ばれる、従来特撮に関心がなかった層を新たに取り込んだムーブメントを生み出した。
スーパー戦隊シリーズでアクション監督を務めていた竹田道弘は、第1話・第2話で福沢博文が担当したズ・グムン・バの演技を高く評価しており、そのことが翌年『百獣戦隊ガオレンジャー』での福沢のガオレッド起用につながった。
プロデューサーの髙寺と付き合いが長いということで荒川稔久が前番組から続投、メインライターになり、前述のとおり井上敏樹がサブとして参加した。また髙寺の知己で、特撮雑誌『宇宙船』の編集者であり、また『TVチャンピオン』「TVヒーロー王選手権」の連続王者でもあった大石真司が文芸担当として迎えられ、緻密なヒーロー像やストーリーラインを構築した。
他にも、当時はまだ武蔵野美術大学の学生だった阿部卓也が企画検討段階からデザイナーとして抜擢されるなど、斬新なスタッフワークが採られた。阿部は完璧な意味を持つ古代文字を構築した他、グロンギ怪人のベースデザインを作った。阿部は学業との両立が困難になって途中から作品を離れるが、後をプレックスや石森プロに属する青木哲也や飯田浩司などの職人デザイナーたちが引き継ぎ、劇中最後の敵、ン・ダグバ・ゼバのデザイナーとして復帰した。
大石、阿部、そして特撮ヒーローを大胆に解釈した作風で、演劇ファンから人気があった劇作家・演出家のきだつよしら、本作品で実質、髙寺に「一本釣り」されたことで本格的に商業特撮作品に携わったスタッフたちは、後に同じ髙寺が手がけた『仮面ライダー響鬼』時にも招聘され、髙寺が同作品を去るまでの間深く関わっていくことになる。
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大石、阿部、そして特撮ヒーローを大胆に解釈した作風で、演劇ファンから人気があった劇作家・演出家のきだつよしら、本作品で実質、髙寺に「一本釣り」されたことで本格的に商業特撮作品に携わったスタッフたちは、後に同じ髙寺が手がけた『仮面ライダー響鬼』時にも招聘され、髙寺が同作品を去るまでの間深く関わっていくことになる。
演出陣では、石田秀範が初のメイン監督を担当した。また、戦隊サイドにいた渡辺勝也、長石多可男といった髙寺縁の演出家も集結している。ちなみに当初は石田がメインを務める予定ではなく、別の監督がパイロットを撮り石田は第3・4話を撮る予定であった。しかし髙寺とその監督の意見が衝突し監督が降板、急遽石田にパイロットのお鉢が回ってきたとのことである。その皺寄せがありハードスケジュールが祟ったせいか石田は撮影中に倒れてしまい、パイロット作品ではチーフ助監督の鈴村展弘が演出を代行した箇所もあるという。
劇中の音楽は佐橋俊彦が担当した。佐橋は髙寺からオーケストラ編成が基本のスーパー戦隊シリーズとは変えてほしいとの要望を受け、佐橋サウンドの持ち味だったオーケストラの使用を避け、アクションテーマはバンド編成による激しいロック、 怪人襲撃・暗躍を表現する音楽はシンセサイザーによる音色で、洋画ホラー物のような雰囲気を演出しており、それまでに佐橋が手掛けた作品とは全く異なる音楽世界を確立している。本人もインタビューなどで、普段の自分のスタイルとは違ったことを試みた、という主旨の発言をしている。
当初、最終回の音楽を完成したVTRマスターに合わせて録る話があったが、間に合わず結局不可能となった。これを実現していたならば、佐橋はスケジュールに追われて楽曲制作の質が落ちることを防ぐため、次作『仮面ライダーアギト』の音楽担当を辞退するつもりだったという。
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仮面ライダークウガ
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当初、最終回の音楽を完成したVTRマスターに合わせて録る話があったが、間に合わず結局不可能となった。これを実現していたならば、佐橋はスケジュールに追われて楽曲制作の質が落ちることを防ぐため、次作『仮面ライダーアギト』の音楽担当を辞退するつもりだったという。
「究極の闇」、「Love is my life」の2曲以外は全て放送時8cmシングルでそれぞれリリースされ、後に『仮面ライダークウガ ソングコレクション』『仮面ライダークウガ ソングコレクション2』に収録された(「究極の闇」、「Love is my life」は『仮面ライダークウガ ソングコレクション2』が初出)。「“t”」は、JOE ODAGIRI名義のアルバム「WHITE」には収録されたが、クウガ関連のアルバムには収録されていない。全曲とも作中未使用。
東映の鈴木武幸は、2 - 3クールで終わるような中途半端なライダーを作るべきではない、機が熟した時に再開すべきとして、復活の声はあったものの長いあいだ仮面ライダーテレビシリーズの再開を中断していた。仮面ライダーのテレビシリーズ再開は1996年ごろから企画が進められており、当初はウルトラシリーズを放映していた毎日放送制作、TBS系の土曜6時台での放送を目指していた時期もあった。初期タイトルは『仮面ライダーXV(クロスブイ)』と『仮面ライダーカワカミ』であり、ここで提示された複数の仮面ライダーを登場させる案が、人数を1人に集約することでフォームチェンジという発想につながっている。また別の企画タイトルの一つに『仮面ライダーガイア』があり、『ウルトラマンガイア』と競合したと言われている。
毎日放送での放送は決まりかけていたが、その後毎日放送がゾイドやウルトラマンのほうを選び断ったためTBS系での放送は実現に至らず、東映の特撮番組『燃えろ!!ロボコン』を放映中という縁で制作局をテレビ朝日に変更することとなった。しかしテレビシリーズが中断して久しい『仮面ライダー』は、当時の感覚からするとすでに過去のブランドであり、テレビ朝日も「ネタがないから」と渋々引き受けた風だった。
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毎日放送での放送は決まりかけていたが、その後毎日放送がゾイドやウルトラマンのほうを選び断ったためTBS系での放送は実現に至らず、東映の特撮番組『燃えろ!!ロボコン』を放映中という縁で制作局をテレビ朝日に変更することとなった。しかしテレビシリーズが中断して久しい『仮面ライダー』は、当時の感覚からするとすでに過去のブランドであり、テレビ朝日も「ネタがないから」と渋々引き受けた風だった。
追い風となったのは『せがた三四郎』である。『仮面ライダー』で本郷猛(仮面ライダー1号)を演じた藤岡弘、が演じる同キャラクターは仮面ライダーの人気再燃を盛り上げた。鈴木武幸によると、こうした盛り上がりが本作品の誕生につながったとのことである。またプロデューサーの髙寺成紀は、プライズゲームで仮面ライダーシリーズの景品が売上を伸ばしていたこともきっかけになったと証言している。当時は漠然と「好反応」とだけ認識されていたが、これはゲームセンターに来る年齢層がライダーに興味を示すようになった表れであり、旧作の視聴者が父親になって「親子2世代」ファンを形成する端緒であった。
髙寺成紀の企画案『仮面ライダーガーディアン』はヒーロー色の強い明快な作風で、雄介のキャラクター設定にその名残がある。この時点での髙寺は、関係各社の期待を裏切らないように従来のヒーロー番組の路線に沿ったものを構想していた。その後、石森プロが提出した企画案『仮面ライダーオーティス』がホラー色や悲劇性の強いものだったために方向性の再検討を求められ、髙寺は抜本的な見直しを決意した。なお他の仮題には、漢字での表記が提案された後の「王者」という案も存在した。
まったく新しい仮面ライダーを作ろうとする髙寺の意気込みは強かったが、初期案のファンタジックで型破りな主人公像を実現するには『インディ・ジョーンズ』並の予算が必要だとか、「地球人と宇宙人とのハーフ」という設定はライダーのイメージから離れすぎているという指摘を受けて、従来のライダーに新味を加えていく方法を模索することになった。
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まったく新しい仮面ライダーを作ろうとする髙寺の意気込みは強かったが、初期案のファンタジックで型破りな主人公像を実現するには『インディ・ジョーンズ』並の予算が必要だとか、「地球人と宇宙人とのハーフ」という設定はライダーのイメージから離れすぎているという指摘を受けて、従来のライダーに新味を加えていく方法を模索することになった。
髙寺が考えた「仮面ライダーらしさ」とは、ライダーという異形のヒーローの隣に滝和也や立花藤兵衛のような生身の人物が並び立つ「男と男」の構図だった。これは雄介と一条薫のバディという形で実際の作品に活かされている。一方、旧作の基本設定だった「改造人間」という要素は、必須のものではないと見なされて排除された。
この時期の仮面ライダーというブランドには「2世代ヒーロー」以外に売り込む要素がなかったため、新世代を意識した旧作との差別化が図られている。
制作には昭和ライダー以上に期間を設け、極力ご都合主義や設定破綻を避けるため、主に脚本づくりに時間をかけていた。特に本作品ではシリーズ構成や文芸部といった、東映作品としては珍しいポジションが設置されており、ストーリーや設定の統一がなされている。こうした手法に関し、髙寺はドキュメンタリー風のドラマ『ER緊急救命室』から受けた衝撃の大きさについて語っている。
全編がHDTV (HD1080/60i) 方式によるハイビジョンで撮影されており、当時としては異例の16:9の画面比率(ハイビジョン制作・レターボックスサイズ)で放映された。ただし、当時は撮影のみがハイビジョンで行われ、ポストプロダクション・完パケ・本放送はSDTVで行われた。そして、従来のアフレコ形式より同録形式に改められ、ビデオ撮影に対応した技術会社やクルーが参加することになった。しかし、長年に渡ってフィルムとアフレコ撮影で制作を続けてきた現場スタッフは、ビデオと同録での撮影方法に慣れていないことから現場の進行が滞り、撮影開始1週間でカメラクルーからスケジュール通りに予定カット数を撮影できないと苦情が発生。東映上層部で元のアフレコ撮影に戻そうという会議が行われたが、それを耳にした録音部のスタッフが撮影技師・いのくままさおに頭を下げて尽力することを訴え出たことで、スタッフ一丸となって同録が継続されるに至った。
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劇中のシーンが変わるごとに、劇中の時刻と場所を画面下に表示する形式になっている。登場する地名も実在するものに限られ、劇中の描写と時間の経過は整合性を重視するために綿密に計算されているが、交通機関でのシーンでは劇中の時間を現実の時刻表に合わせるための調整が必要になるなど、苦労も多かったという。
第2話の教会炎上シーンには莫大な予算がかかり、本作品の予算を逼迫させたとも伝えられているが、これについて髙寺は「こっちで勝手に盛り上がった。絶対に予算の許可は下りないと思ったんですね。でも制作担当は簡単に許可してくれた。多分『初めてパイロットを撮る石田秀範監督を男にしよう!』と思ってくれたんだと思う」と語っている。ただし、教会炎上については過剰に言われている部分もあり、髙寺は「教会よりも遺跡のシーンのほうが予算がかかっている」と述べている。2021年2月13日に行われたトークイベント「後夜祭『裏方』」で髙寺は、ビデオ撮影に変更したことで現像代やフィルム代などの諸経費が削減され、ミニチュア撮影にかかる費用も発生しなかったため、その分を教会や遺跡のセットなどの本編の美術費に回したことから贅沢な見心地になったと語っている。九郎ヶ岳遺跡のオープンセットは映画並みのスケールで、スタッフが洞窟に入るための橋を架ける必要があったほか、映像にまったく映らない玄室への通路までわざわざ作られていた。
リアリティ重視の路線を進んだ結果、設定や描写に生々しかったり過激な表現が盛り込まれているという意見もあり、純粋な子供向けのヒーロー番組を望む親を中心にクレームが多く寄せられるなど、物議を醸した。スポンサーからも、仮面ライダーの呼称が登場しないことや人間に近いグロンギのデザインなどにクレームがあり、東映内部からも2クール目から作風を変える指示も出されたが、髙寺成紀は決して譲らなかった。テレビ朝日プロデューサーの清水祐美や、急遽協力することとなった脚本の井上敏樹の尽力もあり、一貫した制作体制が維持された。
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結末の一つとして、雄介がグロンギの親玉であるン・ダグバ・ゼバとの激闘で命を落とす結末も考えられていたという。これは「人々を守るためとはいえ、彼も暴力を振るった責任を取らせるべき」という考えからだった。しかし、髙寺をはじめとするスタッフは「これからの厳しい時代を生きる子供たちに夢を与える番組で、その結末は残酷すぎる」という結論に至り、雄介が海外に旅立つ結末になったという。
オートバイスタントにトライアル元全日本チャンピオン・成田匠が参加。旧作では室町レーシングやスリーチェイスなどのカースタントチームが参加していたが、「本物のオートバイ競技のアクションを取り入れたらどうか」とのスタッフの意向で成田に打診された。トライアルのアクションを取り入れる動きは『仮面ライダーストロンガー』の時代にも試みられたが、事故で断念されており、25年ぶりの試みとなった。
車種の選定も成田によって行われ、初のスペイン車によるライダーマシンが完成した。成田の初登場となる第4話では様々な段差や障害物を越えて縦横無尽に駆け回る姿が描かれ、従来のアクションとは違うことが強調された。その後もウィリーによる「前輪パンチ」やジャックナイフによる「後輪キック」など、トライアル技の応用によるダイナミックなアクションが展開された。また、第31 - 33話で、成田匠の弟の成田亮がバイクを操る怪人ゴ・バダー・バを演じた。バダーのマシンであるバギブソンは、トライチェイサーと同じパンペーラを使用した。2人のプロ選手による湘南海岸での戦いは多くのトライアル技術が披露され、従来描かれていた土煙を上げて交錯するうちに敵が倒れていくオートバイ戦とはまったく違った画面が完成した。
本作品もヒーローと怪人の戦いを描いているが、同時に「怪人出現という事件の起きた時代を捉えたドキュメンタリー」の様相も帯びている。怪人への恐怖が社会に蔓延する中で「こんな時代に子供を産んでいいのか」という不安を抱く保育士、仕事に追われて息子の授業参観に行けず涙する研究者、TV批判を口にする教師など、ヒーロードラマという枠の内では解決しきれない問題を視聴者に投げかけている。30分番組の中で実社会を描くことには限界があるため、こうした個人の描写に社会の反応を集約させている。
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刑事ドラマとしての側面が強いが、これは『機動警察パトレイバー』から平成ガメラ、平成ウルトラマンシリーズ、さらに『踊る大捜査線』を経て発展してきた官僚機構としての警察を描く手法を取り入れたものである。
特撮作品にありがちな、超技術を保有しているのにやられ役を演じる防衛組織とは異なり、本作品での警察は連携する医師や研究者なども含めて超能力を持たない普通の人間であり、勇気と責任感で超常現象に立ち向かう。警察組織の描写のリアリティを追求するため、脚本の荒川稔久は「もし本当に怪人が出たら、どの部署が対応するのか」と埼玉県警察に問い合わせた。回答によれば「殺人課は人間の起こした犯罪事件を取り締まるものなので違う。出動するのはおそらく警備部の野生動物を管轄するところだろう」とのことであり、一条薫は長野県警警備部所属と設定された。ほかにも通信の場面で当初使われていた「本部より」を「本部から」に改めたり、パトカーの出入りに使う扉の方向を決めるなど、細かな事象でも現実の警察を意識している。ただし、すべてを現実に合わせているわけではない。たとえば「本部長」という呼称は実在しないが、対策本部の統率者と理解しやすいため劇中で使われている。
自衛隊の出動にまで至ると、パニック物という別ジャンルの作品になってしまうため、劇中での事件対処はあくまで警察の域に留まっている。
後の平成仮面ライダーシリーズ(以下、平成ライダー)に比べると、勧善懲悪的と言われる。劇中の悪はグロンギだけで、人間は善として描かれている。悪と言ってもグロンギは、ショッカーのようなピラミッド型の敵組織ではない。これは当時まだ1995年までにオウム真理教が引き起こした一連の事件の記憶が鮮明であり、それを連想させかねないようなモチーフを使えなかったことが一因である。また、元々は怪獣好きとして知られる髙寺が怪獣映画の人間サイズ版を志向したのだろうと、切通理作は推測している。普段の外見は人間と変わらない存在でありながら、まったく理解できない理由で殺人を繰り返すグロンギは「怪物ではなく人間、もしかしたら隣人こそが恐ろしい」という現実の社会の恐怖を、子供向けに翻訳したものであると虚淵玄は解釈している。
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放送当時に凶悪化していた未成年者の犯罪への対策が叫ばれ、加害少年を保護する少年法の改正案が国会に提出されたその時期に、第34・35話が制作された。ゴ・ジャラジ・ダ(人間体も少年)は快楽的に高校生を次々と惨殺、ジャラジに狙われて怯える生田和也少年に、雄介と一条はジャラジから守ることを誓う。そして、怒りに震えるクウガはジャラジに凄まじい暴力を振るってとどめを刺した。白倉伸一郎は「殺人者は未成年者であっても厳罰に処する」というメッセージを読み取っている。殺害事件と対比する形で、わかば保育園での社広之と寺島周斗の喧嘩が描かれている。広之から傲慢な態度を非難された周斗は素直にそれを認め、2人は和解した。雄介は「人間だからわかり合える」と信じていた。これを観た國分功一郎は、「懲悪の側に強く同一化した大人の作為というものを感じざるを得ませんでした」と語り、白倉に賛同している。
それに対し切通は、グロンギを同じ人間の中の異分子と捉える見方に異論を唱えている。切通は『クトゥルフ神話』が世代を超えて書き継がれるように、闇の恐怖や未知の怪物への畏敬を失うまいとする流れがあり、その怪人版がグロンギだったと解釈している。しかし、後の平成ライダーでは人間同士の争いにテーマが変遷したため、未知なる存在と人間の戦いを描いた本作品の感覚がわかりづらくなったのだろうとも述べている。
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それに対し切通は、グロンギを同じ人間の中の異分子と捉える見方に異論を唱えている。切通は『クトゥルフ神話』が世代を超えて書き継がれるように、闇の恐怖や未知の怪物への畏敬を失うまいとする流れがあり、その怪人版がグロンギだったと解釈している。しかし、後の平成ライダーでは人間同士の争いにテーマが変遷したため、未知なる存在と人間の戦いを描いた本作品の感覚がわかりづらくなったのだろうとも述べている。
ヒーローが担う正義について、管理秩序社会を志向していると白倉は指摘する。第25・26話ではゴ・ブウロ・グ出現と同時に、雄介の小学校時代の恩師・神崎昭二の現在の教え子である霧島拓が、栃木から1人で東京にやってきた。拓は未来に悩んだ末、昔よく遊んだ思い出の場所を訪れる。神崎から連絡を受けて拓を捜索した雄介は、拓に「もっと悩め」と激励する。白倉はこれを、「子供が規定された生活圏から逸脱するのは、ヒーローに出動が要請されるほどの大事なのだ」という感覚の発露としている。また、宇野常寛は「正義が虚構となった時代だからこそ、あえて正義を語るのだ」という物語回帰性を指摘、暴力の持つ欺瞞を「あえて」引き受け、さらに少年少女を教導する役も負う、市民道徳の体現者として主人公を見ている。この件についても切通は別解釈を提示しており、教師から相談された主人公が、ヒーローではなく1人の人間として少年に接し、問題を解決しようとする姿を描いたのだと捉えている。
海老原豊は、後半になって敵が強力になっていくほど、逆に戦闘描写が減少する傾向に注目し、暴力制止のために暴力を振るうという正義の矛盾に解を示さないまま、その矛盾を引き受けた主人公を画面からフェイドアウトさせることで、むしろ正義の困難性というメタメッセージを発信しているとする。
いずれにせよ、子供たちに正しい大人の生き方を示そうとする髙寺と、価値観の一元化こそが諸悪の根源とする白倉では、正義の考え方がまったく相容れないのは明白である。しかし、この2大プロデューサーの相克が、のちに続く平成ライダーを進化させていく原動力となったと、井上伸一郎は述べている。
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いずれにせよ、子供たちに正しい大人の生き方を示そうとする髙寺と、価値観の一元化こそが諸悪の根源とする白倉では、正義の考え方がまったく相容れないのは明白である。しかし、この2大プロデューサーの相克が、のちに続く平成ライダーを進化させていく原動力となったと、井上伸一郎は述べている。
仮面ライダー玩具の定番である変身ベルトは「ソニックウェーブDX変身ベルト」の商品名で発売された。バンダイの森安信一は本作の商品展開については、前年度の『燃えろ!!ロボコン』の成績が伸び悩んだことと、久々の仮面ライダーということで、今までになかったやり方をしようという意図があったと述べている。ひとつの商品で長く遊んでもらうためと、劇中のアークルが唯一無二の存在だったことから『仮面ライダーBLACK RX』のようにフォーム毎でベルトを変えるのは止め、多色発光によってフォームチェンジを表現している。しかし当時まだ多色LEDが普及していなかったため、赤色以外はムギ球で光らせている。ステレオ音声が一般的になったテレビ事情に合わせて、ベルトにも左右バックルに大型スピーカーを搭載し、左右で異なる音声が鳴ることで立体的な音響空間を創出している。開発陣はアクション監督の金田治、スーツアクターの富永研司とともにスイッチの操作方法がわざとらしくならないような変身ポーズを考案し、以後のシリーズでポーズと玩具ギミックが連動する流れを作る。
ドラゴンロッドなどの武器玩具もそれなりに売れたが、キックが決め技の仮面ライダーらしさを意識して合体武器路線を避け、『RX』の経験を生かして変身ベルトに被せる新たな効果音と発光を仕込んだ強化パーツ「ライジングパワーセット」を発売。以後の年末商戦における仕掛けの基本となった。
パーツを換装することでフォームチェンジを再現できるフィギュア「装着変身」シリーズも好評だったが、劇中での出番が多くないグロンギ怪人のソフビ人形まで売れたことはバンダイの想定外であり、商品化においては露出時間の長さではなくキャラクター性の強さが重要だという認識を促した。
最終回のバンダイ玩具CMでは、ファンに向けて「五代雄介と一条刑事をいつまでも忘れないでね」という特別メッセージが表示された。
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パーツを換装することでフォームチェンジを再現できるフィギュア「装着変身」シリーズも好評だったが、劇中での出番が多くないグロンギ怪人のソフビ人形まで売れたことはバンダイの想定外であり、商品化においては露出時間の長さではなくキャラクター性の強さが重要だという認識を促した。
最終回のバンダイ玩具CMでは、ファンに向けて「五代雄介と一条刑事をいつまでも忘れないでね」という特別メッセージが表示された。
全編通してサブタイトルは漢字2文字で統一、放送回数は「EPISODE」と表記。アバンタイトル前と各話終了時にはリント文字が表示され、終了時の背景には一部を除き、その回で活躍したフォームの色が使われるといった演出がなされている。
放送開始当初は視聴率が前作『燃えろ!!ロボコン』から低下しており、「やはり仮面ライダーは過去のものか」と思われていたが、2クールから脚本に参加した井上敏樹は、視聴率は悪くなくファンも付いていたと述べている。
支持者の年齢層は、前半は30代の男女が圧倒的に多く、次第に高校生前後の少年が増えていった。本作品は元々大人の視点を意識して作られているが、これは「父と子の2世代が一緒に視聴する」という意味である。しかし、実際にはオダギリをはじめとするイケメン俳優目当ての母親層や、雄介と一条の関係に着目する腐女子ファンまで流入した(オダギリ効果)。
インターネットが普及中だった時代に開設された公式ホームページに対する反響は大きく、最終回放映日のヒット数は27万に達した。
2002年に第33回『星雲賞』映画演劇部門・メディア部門を受賞した。特撮作品が同賞を受賞するのは『ウルトラマンティガ』に次いで2作目であり、仮面ライダーシリーズでは初の快挙となった。
平成仮面ライダーシリーズにおいて、劇場版が連年制作されるようになったのは『仮面ライダーアギト』以降のこととなるが、それ以前となる本作品でもテレビシリーズ放映当時から署名サイトが開設されるなど、映画化に向けた活発な署名・要望活動が行われていた。これに対し、番組終了後に発売された『超全集』最終巻でオダギリ・髙寺から映画化の約束のコメントが載るなど、当初はスタッフ・キャストも映画化に前向きな姿勢を見せていた。
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仮面ライダークウガ
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2001年、髙寺は大泉の東映撮影所に足を運び、坂上所長の元で『クウガ』の映画化に向けて準備をしていた。しかし成果は上がらないままで、企画が通らず出資者が集まらないらしいという噂が流れた。髙寺は、白倉伸一郎が主導する劇場版『アギト』の制作体制を懸念しており、「予算・スケジュール共に『クウガ』はしっかりした体制で作りたい」と高い要望を抱いていたが、結果を見れば慎重さよりもチャンスを逃さないことを選んだ白倉のほうが商業的成功を遂げた。資金集めは行き詰まり、2002年に髙寺が角川書店事業部長・井上伸一郎を訪ねたときも、出資依頼を切り出せずに帰ったという。そして2006年6月1日付で、髙寺により映画化に至らなかったことへの謝罪メッセージが公式サイトに掲載された。
劇場版『クウガ』こそ実現しなかったが、「仮面ライダークウガ」というキャラクター自体は2009年公開の『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』において、初めて映画作品へ登場している。
いずれの作品にも仮面ライダークウガが登場。前述の事情から、本作品単独での映画作品は存在しない。
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遺伝学
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遺伝学(いでんがく、英: genetics)は、生物の遺伝現象を研究する生物学の一分野である。遺伝とは世代を超えて形質が伝わっていくことであるが、遺伝子が生物の設計図的役割を果たすものであることが判明し、現在では生物学のあらゆる分野に深く関わるものとなっている。力学系などの数学諸分野との関わりについての研究も推進されている。
遺伝現象は、元来は世代を超えて生物の形質が伝えられることを指す。これは生物に見られる重要な特徴であり、例えば分類学や系統学もこれを基礎とするものである。この現象を扱う生物学の分野が遺伝学である。ただし、生物学の分野で実験が取り入れられた、という点ではこれは古いものである。これは品種改良などの形で現実世界でこれに近いことが行われてきたからでもあるだろう。その意味では、この分野はその初期から実用的側面が強く、それは育種学へと引き継がれる。
メンデルの得た法則はこの分野の進歩の基礎となったが、遺伝学の実質的な進歩はその法則の再発見からである。これによって遺伝子という概念が確立し、具体的に追求すべき対象が明らかにされた。しかも、それがその後すぐに染色体を介して細胞核に結びつけられることで、遺伝現象は単に世代を超えて何かを伝えるしくみではなく、生命の日常的活動をその基礎で支えるものと判明したことで、生物学の中心的な位置に出てくることになった。
ワトソンとクリックらによるDNAの二重らせん構造の発見後は、DNA上にある遺伝子の物質的な側面からの研究が発展し分子生物学とよばれる研究分野が開拓された。遺伝子の機能の解析は生物学のほとんどの分野と関係がある。特にグリフィスが発見した形質転換は生物の遺伝子を人為的に操作する方法へと道を開き、遺伝子工学へと発展した。
一方、個体群における遺伝子頻度の変化を、特に自然選択の視点から実験、観察、および数学的手法にもとづいて研究する分野は集団遺伝学と呼ばれる。
さらに、遺伝基盤のもとに成立する生物進化について実験的、理論的研究が今後期待される。
このように、遺伝学は遺伝子という生物の基本的な要素につながっているため、現在ではあらゆる分野に結びついている。
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遺伝学
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一方、個体群における遺伝子頻度の変化を、特に自然選択の視点から実験、観察、および数学的手法にもとづいて研究する分野は集団遺伝学と呼ばれる。
さらに、遺伝基盤のもとに成立する生物進化について実験的、理論的研究が今後期待される。
このように、遺伝学は遺伝子という生物の基本的な要素につながっているため、現在ではあらゆる分野に結びついている。
遺伝現象は古くから知られていたが、その理論付けは困難であった。古くはヒポクラテスがこれについて言及し、生物体の各部分が何らかの物質を作り、これが子孫に伝わって子を親の形に似せる、という、遺伝物質を想定したような表現をしている。アリストテレスはこの点についてははっきりとした表現をしていない。彼は優性を現象的には知っていたが、説明を持ち合わせなかった。彼は多くの生物が異種間の雑種として生まれたと考えていた。
他方、農業部門では雌雄異株の植物(イチジクなど)を通じて人工授粉の手法が古くから成立し、17世紀頃にはこれが交配に当たるとの認識が成り立った。植物で交雑実験を行ったのはドイツのヨーゼフ・ケールロイターとされる。彼は18世紀半ばに様々な交配実験を行い、雑種は中間の形質を示すこと、ただし片方に似ることもあること、両者の縁が遠い場合には不稔の雑種ができること、また時に両者より強い雑種を生じること(雑種強勢)などを認めた。それ以降19世紀までこれに追随する交配実験が行われた。1830年にはオランダの科学アカデミーが交雑によって新変種を作る研究の懸賞論文を出している。
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遺伝学
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このような中で、遺伝する形質(表現型)は交雑とともに混じりあっていくと考えられていた。これは、雑種がその両親の中間的な性質を示すことが多いことに基づく。しかし、たとえばトーマス・ナイトは純系の株同士の交配では片親の形質だけが子に現れることを報告している。ちなみに、彼が行ったエンドウの実験が、後のメンデルの実験の基礎となっている。他に、1824年にジョン・ゴスはやはりエンドウについて、一代目で見られなかった形質が二代目に出現することも見ている。カール・ゲルトナーは上記懸賞論文に応募して賞を得た。彼は想定された遺伝物質をエレメントと名付け、これはメンデルも採用したところである。チャールズ・ダーウィンも交配実験に取り組み、一代目が片親の形質を示すこと、二代目には両方の形質が現れることなどを見ている。ただし二代目の分離比が一定になる、というような観点を持たず、やはり体で作られる物質が子の体の各部に配分される、というような説にまとまっている。
メンデルはエンドウマメの形態に注目して1856年から交配実験を行い、その結果を分析し、それが三つの法則にまとめられると考えた。彼は1865年にブルノ自然研究会で口頭発表し、翌年には会誌に論文を発表した。彼によると、形態の遺伝は一対の遺伝粒子を仮定することで説明できる。それは親の体内では変化を被ることなく子に受け継がれる。また各個体は両親からこれを1個ずつ受け取り、子をなす際には自分の作る配偶子にこれを1個ずつ分配する。詳しくはメンデルの法則を参照。
彼の発表、および論文がある程度の範囲の専門家の耳に入っていたのは間違いないが、大きな評価を得ることはできず、1900年に再発見されるまで反響はなかった。他方でそれまでと同様に様々な交配実験が行われ、時にはその報告にメンデルの論文が引用された例もある。むしろ、この間に細胞や染色体に関する知見が正確化した点が大きいかもしれない。たとえば植物において花粉と卵子が受精することが判明し、また減数分裂の存在が予想されるようになっている。
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この時期、上記の流れとは別に、生物の多様性に注目した研究としてフランシス・ゴルトンによる生物統計学も創始されている。これは現代では非科学的な優生学を含んだものであったが、「継承されるもの」としての遺伝の性質を説明したメンデルの研究では捉えきれなかった、「集団内の連続的な多様性」を説明する遺伝の性質を捉えたものであった。これらの研究は、対象の過程を研究する中で統計学の発展と生物現象への統計解析の導入を促し、集団遺伝学が誕生する土壌となったと言える。
1900年に3人の研究者(ユーゴー・ド・フリース、カール・エーリヒ・コレンス、エーリヒ・フォン・チェルマク)がそれぞれ独自にメンデルの法則を再発見した。ちなみに、同年、ウィリアム・ベイトソンはたまたまメンデルの論文を入手して、その重要性に驚いて広く説いて回った。とりわけ、ベイトソンとカール・ピアソンの間では激しい論争が繰り広げられた。
このようにして遺伝子の論が広く知られると、1902年にはウォルター・S・サットンが染色体の観察から遺伝の染色体説を提唱した。染色体上に遺伝子があるとすると独立の法則が危うくなる(実際、ベイトソンや後述のモーガンがそれぞれスイートピーやショウジョウバエでこの法則が成立しないケースがあることを発見している)が、これを埋めたのが連鎖と組み換えの発見である。モーガンらは、ショウジョウバエを材料として突然変異を調べ、目が白いものを筆頭にいくつもの突然変異を見つけ、そのうちのいくつかは伴性遺伝をすることから、雌雄によって本数が違うX染色体上にこれがあるはずだが、突然変異の数だけX染色体があるわけではない(雌2本、雄1本)のでこれらの突然変異が何か一定の関係をもってX染色体に乗っていることが推察され、そこで染色体上の遺伝子が「乗り換える」という仮説を立て、2本の相同染色体が互いにその一部を交換すると仮定して分析をしたところ、各々の遺伝子は染色体上の一定の位置に規則正しく配列されているという結論に達した(これ以外に突然変異の起こる率が染色体の長さに比例することや、染色体の不分離現象からもこうしたことが確認された)。こうしたことを基に染色体説が証明され、ショウジョウバエなどでどこに何の遺伝子が乗っているかを調べる染色体地図(リンゲージ地図)という物が作成された。
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遺伝学
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さらに1933年のペインターによる双翅類の唾腺染色体(普通の染色体に比べて長さも幅も100倍以上ある)の遺伝子のあると思われる部分にアセトカーミンで染めた場合濃い帯の縞模様が出てくるが、これが熟練するとどこの部位かも分かるほど太さや間隔に規則性が見られ、染色体異常の個体の場合も異常が明瞭に観察できると報告し、モーガンの弟子のブリッジェスはこの研究を進めショウジョウバエの「唾腺染色体地図」という物を作成し、ショウジョウバエの研究に前述のリンゲージ地図と共に重要な役割をしたが、この「遺伝子は染色体上に一定の順序で並んでいる」というのはその後人間を含む高等生物からカビ・バクテリア・ファージといった微生物まで成立すると分かった。
また、この時代と平行して、集団遺伝学の成立、ハーマン・J・マラーのX線によるショウジョウバエの人工突然変異の誘発、テロメアの発見、自然選択説と遺伝学の統合を図るネオダーウィニズムの誕生、バーバラ・マクリントックによるトウモロコシにおけるトランスポゾンの発見も起こっている。
これ以降、セントラルドグマの時代までの研究は大きく2つの流れがある。一つは遺伝子の物質的な基礎の研究であり、もうひとつは遺伝子の形質発現のしくみの解明である。
染色体は DNA やタンパク質から構成されており、当時、遺伝子の正体はタンパク質であると考えられていた。しかしまず、1944年の肺炎双球菌の形質転換の研究や、1952年のハーシーらの実験により DNA が遺伝子の本体であることが明らかにされた。その立体構造については、1953年にワトソンとクリックが二重螺旋構造を提唱し、認められた。
フェニルケトン尿症などの研究から、遺伝子の発現が酵素の合成に関わるものであるとの予測はあった。ビードルとタータムはアカパンカビを用いて栄養要求株の研究を行い、遺伝子は特定の酵素の合成に与るもので、形質は酵素の働きの結果であるとする一遺伝子一酵素説を1941年に発表した。
DNAの立体構造決定以後、DNAが細胞にどのように作用するかという点が研究されていった。mRNA、tRNA、コドンの発見、機能解明から遺伝子発現の基礎的な仕組みが現在では分かっている。
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遺伝学
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DNAの立体構造決定以後、DNAが細胞にどのように作用するかという点が研究されていった。mRNA、tRNA、コドンの発見、機能解明から遺伝子発現の基礎的な仕組みが現在では分かっている。
技術的な発展としては、1977年に発表されたサンガー法が改良されたDNAシークエンシングや、80年代に発展したPCR法が標準的な手法となっている。
そして、2003年にはヒトゲノムが解読完了しており、今後はゲノムレベル、細胞レベルでの遺伝子の役割や、多様性が注目されていくだろうと言われている。
発生学は『蛙の子がカエルになる』のはなぜかを解き明かすという点で、遺伝学と裏表の関係にある。ただし対象が組織であったためにその発達は早かった。実験発生学は胚発生の仕組みとして誘導を発見したが、その原因要素の解明の段階で深い混迷に沈んだ。これに手が着くようになったのは1990年代以降で、胚発生の段階で部域特異的に発現する遺伝子やそれによって合成されるタンパク質群の機能を研究するような方法で進み始めた。そこでは遺伝子工学の方法が積極的に活用され、発生遺伝学といわれる分野を形成している。
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分子遺伝学
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分子遺伝学(ぶんしいでんがく、英語:molecular genetics)は生物学の研究分野であるが、二つの異なる分野を指す。塩基配列の比較から生物の進化を議論する分野と、遺伝現象の仕組みを分子のレベルで理解しようとする分野である。
遺伝情報として生物が有するDNAやRNAは、種の進化とともに変化する。この変化を観察することである生物種(やウイルス等の非生物も)がどのように分化したかを調べる。形態的な分類による古典的な分類学に対し、塩基配列や酵素多型と行った遺伝情報から分類する。
理論的な体系は、木村資生の中立進化説により確立された。現在でも中立説は遺伝子進化を解析する際に非常に重要な理論的基盤を提供している。
この分野は、分子進化学、あるいは分子系統学(系統学の一分野として)、分子分類学(分類学の一分野として)などとも呼ばれる。
遺伝情報を記述する遺伝子の化学的本体がDNAであり、その塩基配列によって蛋白質の構造が記述されていることが明らかとなっている今日では、遺伝学や分子生物学、あるいは遺伝子工学において用いられる基本的かつ重要な手法となっている。
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小林じんこ
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小林 じんこ(こばやし じんこ、2月6日 - )は、漫画家。茨城県土浦市出身。
1984年、『メジャーな巻尺』(「ヤングマガジン増刊号」)でデビュー。同年、『風呂上がりの夜空に』を発表しリリカルな感性とハイテンションなギャグで注目を集める。青年誌に少女マンガ的感性を持ち込んだ最初の作品とされる。1987年には同作品はテレビドラマ化もされた。2009年、月刊IKKI8月号より『JUNKIN' GAP CLASH』の連載を開始。単行本は第1巻まで発売されたが、休載中に掲載誌であるIKKIの休刊が決定。2014年発行の月刊IKKI10月号への掲載を最後に現在まで未完の状態となっている。
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1830年代
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1830年代(せんはっぴゃくさんじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1830年から1839年までの10年間を指す十年紀。
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2月1日
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2月1日(にがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から32日目にあたり、年末まであと333日(閏年では334日)ある。
翌年の春分の日および秋分の日をはじめとする日本の国民の祝日は、この日発行される官報によって発表される(発行されない日の場合は、この日以降最初に発行される日)。
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吾妻ひでお
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吾妻 ひでお(あづま ひでお、本名:吾妻 日出夫(読み同じ)、1950年〈昭和25年〉2月6日 - 2019年〈令和元年〉10月13日)は、日本の漫画家。
北海道・十勝郡浦幌町宝町出身。血液型はO型。
1969年、『月刊まんが王』(秋田書店)12月号掲載の『リングサイド・クレイジー』(吾妻日出夫名義)でデビュー。『週刊少年チャンピオン』で連載した『ふたりと5人』(1972年 - 1976年)のヒットで地位を確立する。以後、『不条理日記』、『ななこSOS』などSF・ナンセンス色の強い作風で人気をえる。1979年、日本初のロリコン同人誌『シベール』に同人作家として作品を発表する。
1985年ごろから低迷期に入り、自殺未遂事件や失踪事件を起こし、アルコール依存症治療のため精神病院に入院する。2005年に同時期の体験を描いた『失踪日記』を出版し、日本漫画家協会賞大賞や文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、イタリア・グラン・グイニージ賞を受賞し、日本の漫画家の作品として初めてイグナッツ賞にノミネートした。
幼少期は野山を元気に駆け回っていたが、5歳の頃に両親が離婚。父は後に再婚し、父と義母に育てられる。実母と引き離されたトラウマで後年まで閉所恐怖症に苦しむ。十二指腸潰瘍で入退院を繰り返していた。中学時代まで浦幌町で過ごした。本人曰く「あまり学校行ってないんでちょっと馬鹿です」とのこと。
石ノ森章太郎の『マンガ家入門』に触発され漫画家を志す。北海道浦幌高等学校在学中、『COM』主宰のマンガ愛好団体であるぐらこん北海道支部に参加。当時のぐらこん北海道支部には大和和紀や忠津陽子がいた。
1968年に高校を卒業し、漫画家志望の仲間たちと共に上京して凸版印刷に就職するが、1か月で退職。板井れんたろうのアシスタントに採用され、仕事のかたわら『週刊少年サンデー』(小学館)や『まんが王』(秋田書店)の読者欄などに無記名のカットやコママンガを描く。
1969年、『まんが王』12月号付録「プロレスなんでも百科」に「リングサイド・クレイジー」を発表。これが漫画家としてのデビュー作である。
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吾妻ひでお
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1968年に高校を卒業し、漫画家志望の仲間たちと共に上京して凸版印刷に就職するが、1か月で退職。板井れんたろうのアシスタントに採用され、仕事のかたわら『週刊少年サンデー』(小学館)や『まんが王』(秋田書店)の読者欄などに無記名のカットやコママンガを描く。
1969年、『まんが王』12月号付録「プロレスなんでも百科」に「リングサイド・クレイジー」を発表。これが漫画家としてのデビュー作である。
1970年、『まんが王』で連載を獲得し独立(『二日酔いダンディー』)。当時の作品は、軽いタッチのギャグ漫画にもかかわらず全体のノリは不条理で、ところどころにSFのエッセンスをちりばめ、アメリカン・ニューシネマの影響も感じさせるという作風であった。このころ、ページ内の1コマを1コママンガとして完結させるという試みを多く行っている。同年、『週刊少年サンデー』で、初の週刊誌連載となる『ざ・色っぷる』を連載するが、6回で連載終了。
1972年、『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)で、ハレンチコメディ路線で売ろうとした編集者の阿久津邦彦の熱心な介入のもとで『ふたりと5人』を連載し、大きな人気を得る。巨根が「ピカー」と光る東大生の先輩は読者に強烈な印象を残した。しかしこれは吾妻にとって不本意な作品であり、後年のインタビュー等で「あれは編集部主導のもので、あまり乗り気でなかった。出力20%程度で執筆していた。」「あーホント、描きなおしたいね、今からでも(笑)。」等の発言をしている。吾妻曰く。編集者は「ハダカ」(エロ)ばかり要求し、ギャグとSFには無関心だった。吾妻は自分本来の資質とのギャップに悩む。吾妻は連載終了を編集部に再三申し入れたが、人気がなくなるまで受け入れられなかった。
1973年に『プレイコミック』(秋田書店)、1974年には『月刊プリンセス』(同)で連載を開始、青年漫画誌や少女漫画誌へ活動の場を広げる。この時期には週刊連載・月刊連載含め月産130ページの原稿を執筆していた。
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吾妻ひでお
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1973年に『プレイコミック』(秋田書店)、1974年には『月刊プリンセス』(同)で連載を開始、青年漫画誌や少女漫画誌へ活動の場を広げる。この時期には週刊連載・月刊連載含め月産130ページの原稿を執筆していた。
私生活では1973年に結婚し、1980年に長女、1983年に長男をもうけている。妻は『ふたりと5人』連載初期までと、失踪後の執筆再開後に吾妻のアシスタントをつとめており、『うつうつひでお日記』などでは「アシスタントA」として登場、「アシスタントB」は長女、「アシスタントC」は長男である。妻は漫画家夫人による4コマ漫画を掲載する「奥様漫画」という企画に4コマ漫画2本を寄稿、商業誌デビュー。吾妻作品に先駆けて長男を漫画デビューさせた。
1976年に『ふたりと5人』が連載終了。『プレイコミック』連載の『やけくそ天使』、『チャンピオン』連載の『みだれモコ』『チョッキン』などに不条理・SFテイストを復活させはじめる。
1978年には『月刊OUT』(みのり書房)で初の特集記事「吾妻ひでおのメロウな世界」が組まれ、同年に創刊した『Peke』(同)などの漫画マニア向け新興誌に執筆する機会が増える。同年12月『別冊奇想天外No.6 SFマンガ大全集Part2』(奇想天外社)に執筆した『不条理日記』はSF小説のパロディをふんだんに用い、翌1979年の第18回日本SF大会の星雲賞コミック部門を受賞した。同年には自販機本『劇画アリス』(アリス出版)に『不条理日記』の続編を連載して、「不条理漫画」というジャンルの開拓者とみなされている。1979年から不条理・SF系の作品を収録した単行本が続々と刊行され、1980年には『ぱふ』『リュウ』で特集が組まれる。1981年には『奇想天外』臨時増刊として『吾妻ひでお大全集』が発売されるなどブームは最高潮に達した。その半面、1979年末までに一般少年・少女誌での連載がすべて終了、執筆の場は青年誌とマニア誌へ完全に移行した。この時期、大友克洋、いしかわじゅんとともに、SFマンガのニューウェーブ御三家と呼ばれた。
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吾妻ひでお
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また1979年から沖由佳雄、蛭児神建らとともに日本初のロリコン同人誌『シベール』(無気力プロ)をコミックマーケットで販売。1980年からは川本耕次の依頼で自販機本『少女アリス』(アリス出版)に「純文学シリーズ」と題してロリコン漫画を発表する。これを嚆矢として、コミックマーケットではロリコン同人誌が大人気となる。当時、メジャー誌出身の漫画家が同人誌やエロ本に描くことはきわめて異例であった。メジャー誌出身の漫画家がポルノ誌に進出したことは周囲に衝撃を与え、吾妻は商業誌・同人誌ともに1980年代のロリコンブームの立役者とみなされている。
1977年から1979年にかけて『月刊プリンセス』(秋田書店)に連載された『オリンポスのポロン』は1982年に『おちゃ女神物語 コロコロポロン』としてアニメ化され、テレビアニメ放映と並行してコミカライズ版が『100てんコミック』に連載された。また1980年から1985年にかけて『ポップコーン』及び『ジャストコミック』に連載された『ななこSOS』も1983年にフジテレビ系列でアニメ化され、これが商業的には最も成功した作品となった。
1983年4月、『SF大会本』(虎馬書房刊)に発表した「冷たい汗」は、それまでのアニメ絵とは違った劇画的な絵で、その年のSF大会の様子を描いている。自分のホームグランドにすら違和感を覚え、声をかけられただけでギクリとしてしまう疲れ果てた作者の姿が描かれている。
1984年、連作『夜の魚』『笑わない魚』を『少年少女SFマンガ競作大全集』(東京三世社)に発表。「冷たい汗」の絵とも異なる暗い絵で、自分の生活をシュールリアリスティックに描いている。
この時期の吾妻の生活は、脚色を加えた上で『失踪日記』として作品化されている。
1980年代半ばから約8年にわたる沈黙期に入る。その間に2度長い失踪をしている。吾妻は従来より鬱病または躁鬱の傾向があったが、1990年代後半にはアルコール依存症となり入院している。
1990年代後半に再び漫画作品を発表し始める。ある出版社に持ち込みをしたとき、若い編集者は吾妻ひでおフォロワーの無名のマンガ家と思い、失礼な対応をしたという。
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1980年代半ばから約8年にわたる沈黙期に入る。その間に2度長い失踪をしている。吾妻は従来より鬱病または躁鬱の傾向があったが、1990年代後半にはアルコール依存症となり入院している。
1990年代後半に再び漫画作品を発表し始める。ある出版社に持ち込みをしたとき、若い編集者は吾妻ひでおフォロワーの無名のマンガ家と思い、失礼な対応をしたという。
1989年11月 - 1990年2月。一日中酒を飲んでは寝るという生活を繰り返しているうちにうつが重くなり、山で首つり自殺をしようとしたが失敗。そのまま埼玉県入間市の雑木林でホームレス生活を始める。初めは食糧にも困っていたが、やがて毎日大量の廃棄の食物が捨てられるスーパーのゴミ捨て場を知り、失踪前より太るほどの食事にありつけることとなった。深夜に駅前でシケモクを拾っていたとき、警官に発見・保護された。
1992年4月 - 1992年8月ごろ、大塚英志に『夜の魚』(太田出版)のあとがき『夜を歩く』(『失踪日記』の最初のエピソード)を宅配便で送ったその足で再び失踪する(西東京市東伏見または小金井公園近辺において)。同年8月ごろ、アル中の上森さん(仮称)にスカウトされて東京ガスの孫受け会社で配管工として働きはじめる。肉体労働をしていると芸術活動がしたくなり、社内報に四コマ漫画を投稿し採用された。しかし仮名の「東」がメジャー誌で連載していたことがある漫画家だとは誰にも気付かれなかったという。当時の東京ガスの広報誌では、「東英夫」という仮名で、本人のイラストと共に「雑誌や広告のさし絵など20年近くも描いてきたという」と紹介されている。
翌年春、「上森さん」に譲られ乗っていた自転車が盗難車(譲られた時に上森さんに防犯登録のシールを削るように唆されたが、吾妻はその時酒に酔っていたため判断が付かず従ってしまった)だったため、警察の職務質問を受けた際に逮捕され、家族に連絡される。その後も半年間配管工の仕事を続けている。
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吾妻ひでお
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翌年春、「上森さん」に譲られ乗っていた自転車が盗難車(譲られた時に上森さんに防犯登録のシールを削るように唆されたが、吾妻はその時酒に酔っていたため判断が付かず従ってしまった)だったため、警察の職務質問を受けた際に逮捕され、家族に連絡される。その後も半年間配管工の仕事を続けている。
1980年代半ばから盛んに飲酒し、「アル中」と自称していたが、吾妻の場合は2回の失踪を挟んだこともあって、一般的なアルコール依存症患者よりも症状の進行が遅かった。しかし1997年の暮れには手に震えが来るようになっており、1998年春までには重症のアルコール依存症、すなわち眠っている時以外は酒が手離せなくなるという「連続飲酒」状態になっていた。その状態が半年続き、しだいに奇行が多くなりまた自殺未遂なども行う様になり、同年12月25日、家族によって三鷹市の某病院に強制入院させられる。入院中は患者による自治会の役員に選出され、女性入院患者1人と共にレクレーション係を担当した。退院間際に自作の鉛筆デッサン画を中野ブロードウェイのまんだらけに買取に出した際はその買取金額の安さに「俺も落ちる所まで落ちたって感じ?」と逆にすがすがしい気分になったという。1999年春、3か月の治療プログラムを終了して退院。以後、断酒を続けた。
2005年3月、『失踪日記』を出版。1度目の失踪を描いた「夜を歩く」、2度目の失踪を描いた「街を歩く」、アルコール依存と治療の時期を描いた「アル中病棟」を収録している。出版とともに各メディアで話題となり、第34回日本漫画家協会賞大賞、第9回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、第10回手塚治虫文化賞マンガ大賞、第37回日本SF大会で星雲賞ノンフィクション部門を受賞した。なお、「漫画三賞」といわれる、日本漫画家協会賞大賞、文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、手塚治虫文化賞マンガ大賞を3賞とも受賞したのは、2007年時点で吾妻だけであった。
テーマの暗さにもかかわらずあっけらかんと描かれているが、吾妻は「自分を第三者の視点で見るのは、お笑いの基本ですからね」と片づけている。
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テーマの暗さにもかかわらずあっけらかんと描かれているが、吾妻は「自分を第三者の視点で見るのは、お笑いの基本ですからね」と片づけている。
『失踪日記』出版当時のインタビュー(『芸術新潮』2005年5月号)などで「仕事は来ないし、限界だし、自分を苦しめるだけなので、ギャグ漫画をやめる」と宣言、公式サイトには「今後は暗い漫画を描くつもり」と書いた。しかしその後も、雑誌連載、単行本のあとがき、公式サイトなどでギャグ要素の強い作品を発表し続けており、結局のところ、やめようとしてもやめられないとのことであるが、植田まさしのようなホームドラマを描いていきたいともしている。
2011年には明治大学博物館で展覧会が、2013年には西武百貨店池袋本店の西武ギャラリーで原画展が開かれた。
2012年、KAWADE夢ムック(編集:穴沢優子)で刊行された『吾妻ひでお〈総特集〉―美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』(河出書房新社)が、第43回日本SF大会で星雲賞ノンフィクション部門を受賞した。
2013年10月、アルコール依存症の入院経験を作品化した『失踪日記2 アル中病棟』を刊行。
2017年3月、食道癌が判明し、入院闘病中であることを、自らのツイッターで明かす。同年5月、手術を終え退院し、自宅療養中であると公表。食道を切除し胃を吊り上げる手術だった。
2019年10月13日、都内の病院で死去。69歳だった。
2019年11月30日、築地本願寺の第二伝道会館において「ファン葬」が行われ、長年にわたり吾妻と交友のあった人々が献花に訪れた。弔辞は萩尾望都などが務めた。
2020年、第40回日本SF大賞で功績賞を受賞。
吾妻ひでおが漫画界におけるロリコンブームの火付け役だったと主張する論客は、大塚英志をはじめ複数存在しており、吾妻が無視できない存在であることは間違いない。
エロ劇画誌の『劇画アリス』や自販機本の『少女アリス』(いずれもアリス出版刊)に作品を発表したことは、漫画の世界で表と裏の境界を低くする動きの始まりであり、また『少女アリス』に発表した「純文学シリーズ」は、後のロリコン漫画に直結する作品である。大塚英志は純文学シリーズを「最初の確信犯的な“ロリコンまんが”」と呼び、のちのロリコンまんがはこの再生産物にすぎないとまで述べている。
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エロ劇画誌の『劇画アリス』や自販機本の『少女アリス』(いずれもアリス出版刊)に作品を発表したことは、漫画の世界で表と裏の境界を低くする動きの始まりであり、また『少女アリス』に発表した「純文学シリーズ」は、後のロリコン漫画に直結する作品である。大塚英志は純文学シリーズを「最初の確信犯的な“ロリコンまんが”」と呼び、のちのロリコンまんがはこの再生産物にすぎないとまで述べている。
1983年『ななこSOS』がアニメ化放映される一方、このような成人向け雑誌出版社との交流を前後して、1970年代末から始まった写真家清岡純子、近藤昌良などの少女ヌード写真集と専門誌の流行が重なり、吾妻はそこにイラスト作品などを寄稿している。ロリコンブームの出版物大半は成人向け図書規制または自主規制を課していたが、尖鋭化する写真集や雑誌グラビアに対して1985年から1987年にかけて捜査当局からわいせつ判断が下され摘発と書類送検(ヘイ!バディーや清岡純子の項目参照)されるまで根本しのぶといった商業CMで活躍する子役モデルが起用されるほど社会的な禁忌意識は薄く、またロリコンと児童ポルノに対する風当たりが強くなる以前で世論は寛容もしくは無関心だったこと、吾妻の投稿した成人出版物は発行部数が少なく、裏の活動が広く知れわたることなく表裏ある執筆活動に一般から批判を寄せられることはなかった。
ちなみに、ロリコンブームの一躍を担った美少女コミック誌『レモンピープル』や『漫画ブリッコ』においては、吾妻とアシスタントたちが作った同人誌『シベール』の同人たちが多数起用されている(ただし『漫画ブリッコ』の編集者であった大塚英志は、単行本『夜の魚』に吾妻と『ブリッコ』では仕事依頼はしていないと記述している)。
1979年冬には業界最大手の自販機本専門出版社・アリス出版の看板雑誌『少女アリス』の川本耕次編集長(三流劇画ブーム・ロリコンブームの仕掛け人)から吾妻のもとに「ロリコン(美少女)ものを描いてください。純文学みたいなやつ」という依頼があり、商業誌初のロリコン漫画「純文学シリーズ」を1980年1月頃から1980年9月まで連載する(1981年7月に奇想天外社から『陽射し』として単行本化された)。
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吾妻ひでお
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1979年冬には業界最大手の自販機本専門出版社・アリス出版の看板雑誌『少女アリス』の川本耕次編集長(三流劇画ブーム・ロリコンブームの仕掛け人)から吾妻のもとに「ロリコン(美少女)ものを描いてください。純文学みたいなやつ」という依頼があり、商業誌初のロリコン漫画「純文学シリーズ」を1980年1月頃から1980年9月まで連載する(1981年7月に奇想天外社から『陽射し』として単行本化された)。
この連作は吾妻が得意とするギャグやSFを離れ、叙情的に描かれた美少女のエロティシズムを明確なテーマとしており、後のロリコン漫画〜美少女コミックに直結する最重要作品群とみなされている。大塚英志は著書において、
と評価している。
また大塚はメジャー少年誌で活動していた吾妻が突如としてアリス出版の自販機本にロリコン漫画を発表したことを「漫画の世界で表と裏の境界を低くする動きの始まりであった」と評価している。そのため大塚は吾妻のことを
と日本の漫画史におけるエポックメイキングな存在として位置づけている。
なお大塚が言うように、メジャー少年誌・少女誌で活動するプロの漫画家が、同人誌のみならず「最底辺のエロメディア」と呼ばれた自販機本に成人向け漫画を発表することは前代未聞のことであった(吾妻によれば、古巣の秋田書店から警告を受けていたが無視したという。このような経緯から吾妻ひでおは商業誌・同人誌ともにロリコン漫画の開拓者とみなされている。
『純文学シリーズ』は、吾妻ひでおが1980年1月頃から1980年9月まで自販機本『少女アリス』(アリス出版)に連載した一連の成人向け漫画作品の通称。いわゆるロリコン漫画のルーツとされる記念碑的作品群であり、おおこしたかのぶは「ロリコン漫画を文学的表現にまで高めた作品」「それはペダンチックなロリコンファンの趣向に合致し、ロリコンであることの後ろめたさへの免罪符の役割を果たした」と評している。
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吾妻ひでお
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『純文学シリーズ』は、吾妻ひでおが1980年1月頃から1980年9月まで自販機本『少女アリス』(アリス出版)に連載した一連の成人向け漫画作品の通称。いわゆるロリコン漫画のルーツとされる記念碑的作品群であり、おおこしたかのぶは「ロリコン漫画を文学的表現にまで高めた作品」「それはペダンチックなロリコンファンの趣向に合致し、ロリコンであることの後ろめたさへの免罪符の役割を果たした」と評している。
発表の場が自販機本になったのは、吾妻が海外SF小説を元ネタにしたマニアックなパロディ漫画『どーでもいんなーすぺーす』を連載していたニューウェーブ漫画雑誌『Peke』(みのり書房)の担当編集者であった川本耕次が自販機本出版専門のアリス出版に移籍したからで、自販機本に発表することに何らかの意図や目的があった訳ではないが、当時はメジャー少年誌出身の漫画家が成人向けの自販機本に、それも写真・文芸中心の非漫画誌『少女アリス』に執筆することは、それだけで「事件」であった。連載はアリス出版の分裂にともなう川本の退職(同社から派生した群雄社に移籍)とともに打ち切りとなるが、翌年7月の『少女アリス』廃刊にともない、吾妻は全8頁からなる短編『海から来た機械』を終刊号に寄稿している。
単行本はアリス出版から発行されず、1981年7月に奇想天外社から『陽射し』のタイトルで表題作含む「純文学シリーズ」8作品のほか『マンガ奇想天外 SFマンガ大全集』No.4(1981年1月)に掲載された「帰り道」と描き下ろしのイラスト集「妄想画廊」を加えて、漫画単行本としては大変珍しいB5判ハードカバーの装幀で単行本化された。
その後、同年7月26日に紀伊國屋書店新宿本店で行われた『陽差し』の刊行記念サイン会には多数のファンが集まり、時間内でサインが終わらず、会場を倉庫に変えて夜まで続行する事態となった。
吾妻ひでおは手塚治虫的なスター・システムを使ったことでも知られている。ただし、彼の使うスター的キャラクターは変態的、あるいは病的であり、それが特徴でもある。以下に代表的なものを挙げる。
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吾妻ひでお
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その後、同年7月26日に紀伊國屋書店新宿本店で行われた『陽差し』の刊行記念サイン会には多数のファンが集まり、時間内でサインが終わらず、会場を倉庫に変えて夜まで続行する事態となった。
吾妻ひでおは手塚治虫的なスター・システムを使ったことでも知られている。ただし、彼の使うスター的キャラクターは変態的、あるいは病的であり、それが特徴でもある。以下に代表的なものを挙げる。
なお、三蔵、不気味、ナハハは吾妻ひでおの三大変態キャラとも言われる。これが総出演したのが「ひでお童話集」の「3人の王子」で、そこではこの順に「上の王子は変態性欲、次の王子は変態の上に変な顔、下の王子はなんだかわからないもの」と称されている。
ほかにも、吾妻ファンであることを公言したことのある人物は、安彦良和、亀和田武、川又千秋、柴門ふみ、高橋留美子、山本直樹、諸星大二郎、まつもと泉、和田慎二などと、枚挙にいとまがない。
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銃士戦隊フランスファイブ
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『銃士戦隊フランスファイブ』(じゅうしせんたいフランスファイブ)は、日本の1980年代の同人作品『愛國戰隊大日本』に影響を受けてフランスで制作された自主制作映画および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称である。エピソード4以降、作品名は『新剣銃士フランスファイブ』(しんけんじゅうしフランスファイブ)に改題された。
『愛國戰隊大日本』だけでなく、東映のスーパー戦隊シリーズへの様々なオマージュが見られる。
フランスのBuki X-4 Productions製作で、オリジナル音声はフランス語である。公式サイトなどで作品が公開されている。また、製作スタッフと友好関係にある日本の同人サークルの手により、少数ながらビデオ化されている。ビデオの入手先は、同サークルがコミックマーケット等のイベントに出展する場合などに限られていたが、現在はYouTubeのフランスファイブ公式チャンネルで全エピソードとメイキング映像が無料公開されている。
自主制作としては完成度が高く、フランスを舞台にした独自のストーリーが巨大ロボットまで含めたスーパー戦隊シリーズのフォーマットで展開される。主題歌は、エピソード3までは第15作『鳥人戦隊ジェットマン』と第8作『超電子バイオマン』のリミックス曲に替え歌を乗せた物を付けていたが、エピソード4からは串田アキラが作詞・作曲・歌唱したオリジナル曲を使っている。これは、作品を見た串田の申し出によるそうである。作品中の音楽に関しても、エピソード2まではスーパー戦隊シリーズからの流用であったが、エピソード3からオリジナル曲を使用しており、以前のエピソードも差し替える予定だとしている。
エピソード1の公開は2000年。当初は1話限りの企画であったため、「戦隊ものドラマの中盤のエピソード」を感じさせる作りになっている。更に1年1話ペースで2004年のエピソード4まで制作・公開が続行され、2005年には完結編となるエピソードファイナルの撮影開始が告知された。その後、公式サイトの更新は2005年6月27日を最後に停止していたが、2012年5月12日、約7年ぶりの更新でエピソード5の完成が告知され、同年6月6日に公開となった。ただし、完結は当初の予定から変更されて先送りとなり、2013年4月29日公開のエピソード6にて改めて完結を迎えている。
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