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声優
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1941年(昭和16年)4月、国民学校令が施行されている。音声言語教育については、「話し方に於ては児童の自由なる発表より始め次第に之を醇正ならしめ併せて聴き方の練習を為すべし」と位置付けた。6月、情報局が監督する日本移動演劇連盟が結成されている。
さらに同月、NHKが東京放送劇団を設立している。ラジオドラマ専門の俳優を養成する東京中央放送局専属劇団俳優養成所の研究生を公募した。1943年(昭和18年)1月、NHKが『日本語アクセント辞典』を編纂し、5月には、養成を終えた東京放送劇団の第1期生がデビューを果たした。これが声優第2号とみなされ、「声優」という言葉はこのころから使われたとする資料もある。
1950年(昭和25年)、岸田國士が文学立体化運動を提唱し、雲の会を主宰する。会員の三島由紀夫は、「自由劇場以後の日本の新劇は、大ざつぱにいふと、築地小劇場の飜訳劇中心主義から、左翼演劇への移りゆきとともに、技術的基礎づけに誤差を生じ、また政治的偏向を生んだ」と指摘した。そして、築地小劇場論争以来の混迷を正常化する最初の機会として、今回の文壇、劇壇の連帯の意義を説いている。
1951年(昭和26年)、日本での民間放送が開始する。対日占領政策の転換から民放が解禁された結果、戦前からのNHK独占体制が崩れている。民放各局はNHKに倣う形で中部日本放送放送劇団など専属の放送劇団を設立して行く。
同年、雲の会の一箇年の活動を振り返る座談会が開催され、機関紙である『演劇』が掲載している。文壇側からは鉢の木会のメンバーでもあった神西清、中村光夫、大岡昇平、福田恆存、三島由紀夫が選出された。「劇壇に直言す」として、新劇独自の固定観念を指摘し、既成新劇への問い直しを求めている。劇壇側からは内村直也、田村秋子、千田是也、杉村春子、菅原卓が選出された。「『直言』に答う」として、反省する点を認める一方、俳優術による演劇表現のアカデミズム確立や現代劇の樹立を重視する意見が出されている。
これを受けて『演劇』は、会員の小林秀雄と福田恆存の対談を企画した。その中では声音メディアの未来への示唆も語られている。
小林 純粋な観念としては音楽だから。......一般に人間の耳っていうのは、よくないと思うんですよ。みんな悪いんです、耳っていうものは。
福田 ほかの感覚に比べて?
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これを受けて『演劇』は、会員の小林秀雄と福田恆存の対談を企画した。その中では声音メディアの未来への示唆も語られている。
小林 純粋な観念としては音楽だから。......一般に人間の耳っていうのは、よくないと思うんですよ。みんな悪いんです、耳っていうものは。
福田 ほかの感覚に比べて?
テレビ放送がなく、ラジオがマスメディアで主要な地位を占めていたラジオドラマ時代の声優は決して日陰の存在ではなく、二枚目の主役の声を多く演じた名古屋章には月に何十通ものファンレターが届いたという。1957年(昭和32年)に放送した連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』は当時の子供たちから絶大な支持を得た。ラジオドラマは全盛期を迎え、声優の紹介記事が新聞のラジオ欄に掲載されるようになると、声優へのファンレターと同時に声優に憧れ、声優志願者も急増した。
1953年(昭和28年)のNHK東京放送劇団の第5期生募集には、合格者が10名程度のところへ6,000名の応募が殺到したという。東京放送劇団出身の勝田久は、この時代を第1期声優黄金時代としている。日本でのテレビ放送が開始された1953年(昭和28年)2月当時、NHK専属の放送劇団員は、東京・大阪・名古屋・広島・福岡・仙台・札幌の7劇団で合計137名を数えた。
劇場アニメでは、1933年(昭和8年)には日本初のトーキーの短編アニメーション映画『力と女の世の中』が公開。アニメキャラクターに声をあてたのは、喜劇役者の古川ロッパをはじめとする映画俳優達だった。1942年(昭和17年)には中国の長編アニメーション映画『西遊記・鉄扇姫の巻(鉄扇公主)』が日本で公開され、活動弁士出身の徳川夢声、山野一郎などが声をあてた。第二次世界大戦後に発足した東映動画により日本でもコンスタントにアニメ映画が製作されるようになると、映画俳優、コメディアン、放送劇団員が使われた。
洋画の吹き替えでは、1931年の米映画『再生の港』が初の日本語吹き替え作品だが、起用された在米邦人の広島訛りが不評で後が続かなかったという。
1953年(昭和28年)、日本でのテレビ放送が開始する。
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洋画の吹き替えでは、1931年の米映画『再生の港』が初の日本語吹き替え作品だが、起用された在米邦人の広島訛りが不評で後が続かなかったという。
1953年(昭和28年)、日本でのテレビ放送が開始する。
1955年(昭和30年)、福田恆存が翻訳と演出を担当して、『ハムレット』を上演する。ハムレット役は芥川比呂志が担当した。当時の福田は文学座の文芸部員でもあり、幹事の岩田豊雄(獅子文六)が新劇が傾倒する近代劇の在り方に疑問を持つようになっていた事も上演を後援した。舞台芸術として最高度の文学性と演劇性を両立したという評価から、「シェイクスピアに還れ」とした基調は、後の新劇運動の方針にも反映された。また、札幌放送劇団に所属していた若山弦蔵はこの公演を観劇し、演技のヒントを得たことを明かしている。
6月、菊田一夫が『「大盗大助」の公演』を『放送文化』に発表する。今回の東京放送劇団の舞台公演で、脚本と演出を担当した経緯について解説した。NHKで『鐘の鳴る丘』や『君の名は』を手掛けるなど放送劇でも活躍していた菊田は、ラジオ俳優に舞台公演の必要があるかどうかという問題はかなり重要な事であると指摘し、「マイク前の声技にも、その演技の奥行を深め、幅をひろげる意味で、絶対に必要だからである」との見解を示している。その理由については、「私はラジオ・ドラマの稽古に立会っていて、いつも『君、君のセリフには動きがともなっていないよ』と、いう言葉で、声優を叱りつける」と述べており、責任上から実際の体験を提供したと説明を行った。
1956年(昭和31年)4月8日、日本テレビが海外テレビアニメ『テレビ坊やの冒険』の放送を開始する。録音方式の日本語吹き替え番組の第1号であり、番町スタジオの安井治兵衛に依頼して制作された。4月28日、TBSの前身であるKRTテレビが海外ドラマ『カウボーイGメン』を放送する。10月9日には、海外テレビアニメ『スーパーマン』を放送する。出演者の滝口順平、大平透は、いずれもラテ兼営の同局のラジオ東京放送劇団に所属する放送劇団員であった。これらKRTテレビでの吹き替え放送は生放送で行われている。
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民放テレビの草創期には、同年10月の五社協定でテレビ局への日本映画の供給停止が決まったことなどによるソフト不足から、海外ドラマやテレビ映画、洋画などのいわゆる外画の日本語吹き替え版が数多く放送された。テレビや映画の俳優は五社協定とギャラの問題で吹き替えをしなかったため、テレビでの吹き替えは、ラジオ時代からの放送劇団出身者や戦後の新劇ブームで増加した舞台役者やその研究生が多く行った。海外アニメにおいては、落語家や浅草出身のコメディアンなどもキャラクターの声をあてたという例がある。
吹き替えの開始当初は生放送でも行われ、後にテープレコーダーを利用した録音方式となるも、未だ編集は不可能であった。声優陣は狭いスタジオに存在する1つのスクリーンと1本のマイクに臨み、効果音や音楽も同時に録音していた。1ロール28分間の収録では、誰かが間違えて失敗すれば最初から録り直すという負担の大きいものであり、さらにせりふの悪訳も輪をかけ、「アテレコ調」の出現を招いている。
江崎プロダクションの創業者である江崎加子男は、舞台や映像で仕事がある役者がアテレコに好んで出演しなかった理由として、ギャラ問題の他にアテレコ調の存在を挙げている。「カラーフィルムにキズを付けないためにリハーサルは3回くらいしか見せられなかった。したがって不器用なものはなかなか口が合わない。“トチラズ” 口を合わせるために台詞が一本調子になる。当時言われた言葉がアテレコ調。」。
また、前述の若山弦蔵は当時の吹き替えに参入してきた新劇俳優について、「大部分の連中にとっては片手間の仕事でしかなかった」「日本語として不自然な台詞でも疑問も持たず、台本どおりにしか喋らない連中が多くて、僕はそれがすごく腹立たしかった」と語っている。当初、NHKは基本的に字幕スーパーで日本国外の作品を放送していたため、日本語吹き替え版は民放が中心となっていた。以後、日本国外の作品は1960年代前半をピークとして放送された。
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1957年(昭和32年)には早くも、大岡昇平が吹き替えの社会的影響を論考し、『藝術新潮』に発表している。築地小劇場の観劇歴を有する大岡は、テレビから流れるテレビドラマや舞台中継、海外ドラマなどに見られる「新劇調」の存在を指摘した。これは築地小劇場の翻訳体やそれに起因した悪癖であり、さらに固定された俳優達が今や指導する側に回ったことで、後進が不本意に継承している構図であるとも解説した。その上で、大勢の人の目に留まることによって、芸風が矯正されるチャンスになるのではないかと説き、若い世代には旧弊を壊すことを奨励している。
さらに10月には、福田恆存が新聞紙面上で論議が展開された吹き替えの是非を論考し、『CBCレポート』(発行:中部日本放送)に寄稿した。
1959年(昭和34年)、NHKが放送劇団員の専属制を解消している。各放送劇団は個人契約者の任意の団体に移行する。
労働環境や待遇は恵まれていなかったことから権利向上のために結束しようという動きがあり、久松保夫は清水昭の太平洋テレビジョンに参加するが同社で労働争議が発生。これを受けて1960年(昭和35年)には東京俳優生活協同組合(俳協)が誕生したが、前述の若山弦蔵のように所属せず独立した者もいた。のちに俳協から分かれて多くの声優プロダクションが結成された。
この時代にはまだ声優という言葉は一般には認知されておらず、別称として、吹き替えを主にしたことから吹き替えタレント、吹きかえ屋、声をあてることからアテ師、アテレコ・タレントというものがあった。また、アテレコ調が蔓延する状況から役者論、演技論を巡るアテレコ論争が展開されたのもこの時期であった。
1961年(昭和36年)、音声制作会社である東北新社が設立されている。1963年(昭和38年)には、グロービジョンが設立された。
同年、日本放送芸能家協会(現:日本俳優連合)が発足している。代表には徳川夢声が就任し、設立総会では「著作権制度と放送法の改正を前にして日本放送文化の向上という公益のために結成」した事を宣言した。
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1961年(昭和36年)、音声制作会社である東北新社が設立されている。1963年(昭和38年)には、グロービジョンが設立された。
同年、日本放送芸能家協会(現:日本俳優連合)が発足している。代表には徳川夢声が就任し、設立総会では「著作権制度と放送法の改正を前にして日本放送文化の向上という公益のために結成」した事を宣言した。
同年、国産初の30分テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』(主演声優:清水マリ)の放送が開始された。1958年(昭和33年)の『白蛇伝』(主演声優:森繁久彌)以来、劇場用アニメーション映画を手掛けて来た東映動画(現:東映アニメーション)も参入した。プレスコ方式が主流であった従来の劇場用アニメ市場とは異なる、アフレコ方式を採用したテレビアニメ市場が形成されて行く。
同年、文部省が公示した学習指導要領が実施され、高等学校課程に現代国語が創設されている。改定委員となった国語学者の時枝誠記の下で、経験主義から能力主義への転換が図られている。言語過程説を提唱した時枝は後述の福田の師に当たった。
同年、財団法人・現代演劇協会と劇団雲が設立されている。雲の会の会員であった福田恆存、芥川比呂志、小林秀雄、大岡昇平、中村光夫、今日出海らが役員に就任し、その継承を志向した。築地小劇場以来の新劇の亡霊を排し、日本における正統劇(せりふ劇)の確立を目指す事を謳った。また、同協会は設立趣旨の一つとして、役者に存在する「学校の違い」などの縄張り意識の追放を挙げている。
1964年(昭和39年)、日本テレビが『バークにまかせろ』の放送を開始する。翻訳は篠原慎、演出は左近允洋、主演は若山弦蔵が担当した。前述の勝田久の見解によると、アテレコ調からの脱却はこの番組の頃からであり、その路線は翌年の『0011ナポレオン・ソロ』にも踏襲されたとしている。後述の野沢那智も出演者の一人であった。
1966年(昭和41年)に『土曜洋画劇場』(現:『日曜洋画劇場』)の放送が始まり、この番組によってスターの声を特定の声優に固定する持ち役制(フィックス制度)が始まった。
1967年(昭和42年)、放芸協の常務理事・久松保夫が『テアトロ』に『俳優ユニオンの提唱--劇団経営の合理化を含めて』を寄稿する。
1968年(昭和43年)、文部省の外局として文化庁が設置されている。初代長官には今日出海が就任した。
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1967年(昭和42年)、放芸協の常務理事・久松保夫が『テアトロ』に『俳優ユニオンの提唱--劇団経営の合理化を含めて』を寄稿する。
1968年(昭和43年)、文部省の外局として文化庁が設置されている。初代長官には今日出海が就任した。
同年、読売テレビがテレビアニメ『巨人の星』(演出:長浜忠夫、主演:古谷徹)の放送を開始する。長浜は作品作りにおいて声優のディレクションを重要視した。その影響を受けた一人である富野由悠季は「人形劇をやっていらっしゃった方とは聞いていたが、ダイナミックに動き回り、アフレコ前のラッシュに自分で科白をあてて台本をチェックする監督なぞ、長浜監督をして初めて知った」と記している。
1969年(昭和44年)、声優に特化した俳優事務所として青二プロダクションが設立されている。俳協のマネージャー出身の久保進が、東映動画の要請を受け創業した。当時、アニメへの出演者は権利問題などを抱えていた事もあり、その出演交渉は困難な状況にあった。
1970年代になると、声優ブームの状況が出現した。ブームの中心人物はアラン・ドロンを持ち役とした野沢那智で、追っかけまでいたという。
1970年(昭和45年)、著作権法の全面改正が行われ、著作隣接権として実演家の権利が制定されている。
1971年(昭和46年)、日本俳優連合(日俳連)と、音声制作会社7社で構成された紫水会(現:日本音声製作者連盟)が結成される。また、この年には映画会社の五社協定も自然消滅を迎えている。
日本のテレビアニメの放送開始から8年後のこの年、大人向けアニメ番組への挑戦がなされ、『ルパン三世』が制作された。放送局は前述の読売テレビ、主演は山田康雄が担当した(なお、山田は声優の呼称を嫌った)。本放送時は失敗に終わったが再放送の度に評価が高まり、1977年(昭和52年)には、続編として第2シリーズが制作され、さらに本作の放送中には、劇場用アニメーションとして『ルパン三世 ルパンVS複製人間』、『ルパン三世 カリオストロの城』の2作品も公開されて、アニメブームを牽引した。
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1972年(昭和47年)、NHKが海外ドラマ『西部二人組』の放送を開始する。アテレコの世界のイメージを変えようという目論見があり、当時の若手俳優であった新克利、江守徹が起用された。日本語吹替版の製作は東北新社が担当している。さらに同時期、NHKは海外ドラマ『刑事コロンボ』も放送しているが、同作品のアテレコには『パパは何でも知っている』などへの出演歴がある俳優の小池朝雄が起用された。こちらの日本語吹替版の製作はグロービジョンが担当している。また、最初に認知されたアニメ声優として、当時子役ながらテレビアニメ『海のトリトン』(1972年)で主役を演じた塩屋翼が知られている。
1973年(昭和48年)、日俳連において、「外国映画日本語版の権利を護るための俳優集会」が開催された。吹き替えの仕事をする俳優全員の70%に当たる158名が参加し、さらに抗議団には187名が参加した。紫水会との間で交渉が行われ、業界の正常化と公正なルール確立のため、共同で対処する事が合意された。これにより出演料は平均3.14倍の増額となっている。
1974年(昭和49年)、読売テレビがテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』の放送を開始する。同作でヒーロー役の古代進を担当した富山敬は、後述の声優ブームにおいて、個人名義での音楽アルバム『富山敬ロマン』(1979年)を出した初の声優アーティストとなった。
1975年(昭和50年)、TBSが『刑事コジャック』の放送を開始する。翻訳は額田やえ子、演出は岡本知、主演は森山周一郎が担当した。額田は前述の『刑事コロンボ』も担当しており、翻訳面でも更なる進展が見られた。また、同番組のファンであったアニメ演出家の宮崎駿は、1992年(平成4年)に公開した『紅の豚』において森山を起用している。
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1975年(昭和50年)、TBSが『刑事コジャック』の放送を開始する。翻訳は額田やえ子、演出は岡本知、主演は森山周一郎が担当した。額田は前述の『刑事コロンボ』も担当しており、翻訳面でも更なる進展が見られた。また、同番組のファンであったアニメ演出家の宮崎駿は、1992年(平成4年)に公開した『紅の豚』において森山を起用している。
1976年(昭和51年)、『毎日新聞』が『テレビ洋画の吹替え〝声の主役たち〟』を掲載し、声の吹き替えの歴史について報じた。初期は説明調、弁士調であったが、やがて台本の翻訳に細かい注意が払われるようになり、現在はセリフに感情を乗せ、そして画面と口も合わせるまでに技術が高度化されたと解説した。また、声優の人選も拡大し、『日曜洋画劇場』放送の『野にかける白い馬のように』では、戦前から活躍する宇野重吉を起用している。英国俳優のジョン・ミルズを担当した宇野は、初の吹き替え出演の後、「作品のオリジナリティーを無視しては悪い、と思っていた。だから吹替えイコール説明だと考えていたんだが、この認識はすでに古いんだね」と自己批判を行った。
第二次声優ブームは1977年(昭和52年)に公開された劇場版『宇宙戦艦ヤマト』のヒットによるアニメブームと並行して起こった。
1978年(昭和53年)には、外画協定が締結されている。この当時、日俳連に加盟する約2500名の俳優のうち、外画・動画部会は530名を数えるまでになり、15年以上のキャリアを持つ200名を中心としていた。また、日本脚本家連盟も協定書を締結している。
この時代はアニメ雑誌が創刊され始めた時代でもあり、『アニメージュ』の創刊編集長である尾形英夫は、声優のアイドル化を編集方針のひとつとして打ち出した。『アニメージュ』以外のアニメ誌も同様に誌面に声優コーナーを設けて、定期的に声優の情報を発信した。
アニメブームに押される形で声優業と並行した音楽活動も盛んになり、神谷明、古谷徹、古川登志夫などのアニメの美男子キャラクターを持ち役とする人気声優によるバンド「スラップスティック」を結成してライブ活動を行ったほか、多くの声優がレコードを出すなどした。当時万単位のレコードを売り上げる声優として、潘恵子、戸田恵子、神谷明、水島裕、スラップスティックの名が挙げられている。
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アニメブームに押される形で声優業と並行した音楽活動も盛んになり、神谷明、古谷徹、古川登志夫などのアニメの美男子キャラクターを持ち役とする人気声優によるバンド「スラップスティック」を結成してライブ活動を行ったほか、多くの声優がレコードを出すなどした。当時万単位のレコードを売り上げる声優として、潘恵子、戸田恵子、神谷明、水島裕、スラップスティックの名が挙げられている。
また『宇宙戦艦ヤマト』で森雪を担当した麻上洋子(現:講談師・一龍斎春水)はアニメが好きで声優になりたくて声優になったことが知られ、声優養成所が輩出した初の声優とされるだけでなく、アイドル声優の始祖といえる存在で、その系譜が小山茉美、潘恵子へと続く。自身のアルバムを4枚出した潘恵子は元祖アイドルと呼ばれた。
1979年(昭和54年)に放送開始した『アニメトピア』など、アニメ声優がパーソナリティを務めるラジオ番組なども誕生。ラジオドラマでは声優人気を背景にした『夜のドラマハウス』があり、アマチュア声優コンテストも開催されていた。
同年、アニメ演出家の富野由悠季は『機動戦士ガンダム』の制作中、『ファンタスティックコレクション』から依頼されて、声優論を展開している。アニメ制作のスタッフの立場から、声優志望者に向けて声優観が表明された。
なぜ?なぜだろう?......そう。声一つとっても、肉体があるから、人格があるから、多種多様の声があるのだ。人格(人としての)のあらわれが声である。声だけで人間は存在しないということなのだ。これを、当たり前と感じた瞬間から、あなたは声優入門の第一歩を見失なうだろう。(中略)
1980年(昭和55年)、日俳連は通商産業省の認可を受けて、団体交渉権を有した協同組合へと改組している。同年、日本映画界の『男はつらいよ』シリーズが第25作『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』からオール同時録音方式を採用する。これにより出演俳優は基本的にアフレコ無しの制作環境に変容している。
1981年(昭和56年)2月、富野由悠季が『アニメ新世紀宣言』を提唱する。同年6月、福田恆存が『演劇入門』を編纂している。
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1981年(昭和56年)2月、富野由悠季が『アニメ新世紀宣言』を提唱する。同年6月、福田恆存が『演劇入門』を編纂している。
また同年9月には、日俳連の外画・動画部会の交渉委員であった永井一郎が『ガンダムセンチュリー』誌上で、アテレコ論争(1962年)への反論を行う。永井は『月刊OUT』(1977年創刊)の編集部から、声優と舞台の演技の違いについての寄稿を依頼され、声優論を展開した。序文においては、「でもはっきり断っておくけど、僕は、アイドル声優やタレントの仕事について書く気はない。そういう人たちがそれなりに生きていくことを僕は決して否定しない。だけど、ここでは本来の俳優、本来の声優の仕事についてまじめに書くつもりだ。アイドル声優になりたいと思っている人は、このへんで読むのをやめて下さい」とその経緯を説明している。
同年10月、動画協定が締結されている。文書による出演契約の明確化が実現し、業界ルールの健全化が進んだ。
1982年(昭和57年)、NHKが海外ドラマ『遥かなる西部 わが町センテニアル』の吹替放送を実施している。アメリカ建国200周年を記念して制作された全12話には、多彩な出演者が揃い踏みし、中尾彬、滝田裕介、今井和子、小林清志、里居正美、寺田農、樋浦勉、勝部演之、千葉耕市、福田豊土、瑳川哲朗、金内吉男、宍戸錠、天田俊明、鳳八千代、大塚周夫、小原乃梨子、内藤武敏、田口計、寺田路恵、中島葵、小林昭二などが参加している。
この時期のアニメブームも後期に突入すると、新たな人材の採用志向が強まり、レコード会社と歌手契約を結んだアーティスト、アイドルがアニメ声優として起用され、話題を呼んでいる。1982年(昭和57年)に放送された『超時空要塞マクロス』では飯島真理が、1983年(昭和58年)に放送された『魔法の天使クリィミーマミ』では太田貴子が、キャラクターソングなども担当した。
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この時期のアニメブームも後期に突入すると、新たな人材の採用志向が強まり、レコード会社と歌手契約を結んだアーティスト、アイドルがアニメ声優として起用され、話題を呼んでいる。1982年(昭和57年)に放送された『超時空要塞マクロス』では飯島真理が、1983年(昭和58年)に放送された『魔法の天使クリィミーマミ』では太田貴子が、キャラクターソングなども担当した。
「1983年春のアニメ映画興行戦争」と注目を集めるまでになった劇場用アニメーション映画では、テレビアニメとは趣向を変えた起用も見られるようになっている。角川映画がアニメに進出した『幻魔大戦』では、江守徹、美輪明宏、穂積隆信、林泰文、原田知世、白石加代子などが名を連ねた。また、『クラッシャージョウ』では、ハンフリー・ボガートのフィックス声優でもあった久米明が、さらに『宇宙戦艦ヤマト 完結編』では、仲代達矢、石田太郎などが起用されている。
1984年(昭和59年)、アニメブームの到達点として記録された劇場用アニメーション映画『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』、『風の谷のナウシカ』、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』の3作品が公開されている。各作品でヒロイン役を担当した平野文、島本須美、土井美加は、いずれも公開当時20代であり、大学の演劇科や劇団の演劇学校の出身者であった。同年、現代演劇協会が『ハムレット』を上演しているが、福田恆存が29年前と同じく演出をした本作品で、前述の土井美加はオフィーリア役を担当していた。
人材の供給・育成面では、声優専門プロダクションが分裂することによって次第に数が増え始める。1979年(昭和54年)には、ぷろだくしょんバオバブが、1981年(昭和56年)には、81プロデュースが、1984年(昭和59年)には、大沢事務所、賢プロダクション、アーツビジョンが設立された。同時に各プロダクションにより声優養成所が設けられた。1982年(昭和57年)には、青二塾が設立され、日俳連の副理事長でもあった久松保夫が初代塾長に就任した。久松は「優れた声優は、優れた俳優でもある」という理念の下で後進の育成に乗り出すが、その矢先に急逝する。
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これらにより、放送劇団出身者や舞台役者などの俳優活動の一環や余技としての声優業ではなく、最初からアニメ声優を目指した声優が登場し始めた。一連の声優ブームは、声優に特化した芸能事務所や声優養成所の伸長に繋がり、現在に至る声優像の多様化の原点となった。このブームはおおむね1980年代前半ごろまでとされている。
この時期はアニメブームの後に訪れたアニメ冬の時代で、OVAや劇場アニメでの進展が見られている。
1987年(昭和62年)、大手新聞社・テレビ局が製作した劇場用アニメーション映画『紫式部 源氏物語』が公開されている。登場人物の作画において、ライブアクションが採用された本作では、風間杜夫、梶三和子、田島令子、風吹ジュン、萩尾みどり、横山めぐみ、矢崎滋、津嘉山正種、大方斐紗子、大塚周夫、野沢那智、田村錦人、納谷悟朗、常田富士男、大原麗子らが声の出演をしている。
1988年(昭和63年)、OVAを中心に展開された『銀河英雄伝説』(1988年 - 2000年)が開始する。600名を超える登場人物を描き分ける困難から一人一役が採用され、当時の男性声優の大半が出演した。その後、会話劇が魅力の作品という事もあり、芝居に携わる人間が最適ではないかとの検討が行われる。これによりアニメとは疎遠気味であった、外画系で主役級を務める劇団出身者にまで人選が拡大した。
1980年代後半から「声優のアイドル化」あるいはアニメ・イベント(ショー)への出演による「顔出し」が一般的になった。例えば1980年代末のテレビアニメ『鎧伝サムライトルーパー』に出演した5人の男性声優で1989年に結成したユニット「NG5」が人気を集め、ニュース番組で取り上げられるほどであった。声優がマルチ活動をするようになった先駆け的グループであるとも言われている。1993年(平成5年)からのOVAシリーズ『アイドル防衛隊ハミングバード』以後に急速に見られるようになった、アニメ作中のキャラクターと実在の声優を様々な形で相互に連想させるようなメディア的な演出によって、表舞台に立つ存在になった。こうして、アイドル的なイメージ構築によるアイドルファンのアニメファンへの取り込みがなされるようになる。
そして、林原めぐみなどの女性声優がレコード会社と契約を行って歌手活動をする例が増えてくる。
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そして、林原めぐみなどの女性声優がレコード会社と契約を行って歌手活動をする例が増えてくる。
さらに、1990年代になって、吹き替え作品が、地上波放送のほかにも、DVDなどのパッケージやCS放送などさまざまな形態で発信されるようになると、同じ作品でも複数の吹き替えが作られる例が増加した。このため、従来の持ち役制度はほぼなくなったとする指摘もあるが、現在もトム・クルーズ本人からの公認で専属吹き替えを務めている森川智之(2001年以降。森川が担当する前は鈴置洋孝が多く担当していた)のように、同一の声優が同じ役者を吹き替え続ける慣習は残っている。
1991年(平成3年)、日俳連の外画動画部会は出演条件の改定交渉に臨み、合意書に調印している。これにより出演料は平均1.7倍の増額となっている。出演料の高騰は新人声優の登用など、この後の業界構造に影響を与えた。
同年、ウォルト・ディズニー・カンパニーが劇場用アニメーション映画『リトル・マーメイド』を日本で公開する。日本語吹替版の声優には、すずきまゆみ、井上和彦、大友大輔、上條恒彦、久米明、森公美子、森山周一郎らが起用された。また、この後のディズニー・ルネサンスにおいては、スタジオジブリとの事業提携も実施している(1996年)。
用語として、おおむね1990年代半ばから後半にかけて、頻繁に用いられていたが、明確な定義は存在していない。第一次、第二次という使い方も、この用語から逆算的に使用されたもので、こちらも明確な定義は存在していない。この時期の特徴として、「新人声優のデビューラッシュ」「声優の音声入りのテレビゲームやパソコンゲームの登場による仕事の増加」とともに、「声優のマルチ活動化や歌手活動への進出によるアイドル化」「声優がパーソナリティを務めるラジオ番組の普及」などが挙げられる。このことから、声の演技力のほかにも、特にアニメ・ゲームで活躍するには容姿のよさや歌唱力などといったようなことも声優に求められるようになったとされる。
1994年(平成6年)に初めての声優専門誌となる『声優グランプリ』と『ボイスアニメージュ』が相次いで創刊された。同年、ステージ制作業務を手掛けるネルケプランニングが設立され、アニメ作品のキャスティング業務にも参入している。
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1994年(平成6年)に初めての声優専門誌となる『声優グランプリ』と『ボイスアニメージュ』が相次いで創刊された。同年、ステージ制作業務を手掛けるネルケプランニングが設立され、アニメ作品のキャスティング業務にも参入している。
1995年(平成7年)には初の声優専門のテレビ番組『声♥遊倶楽部』が放送された。そして清水香里や坂本真綾などが、当時中学生でテレビアニメの主人公に抜擢される例もあり、アイドル的な注目を受けた。同年、東北新社が創立35周年記念事業として映像テクノアカデミアを開校し、映像翻訳や声優の教育事業を開始する。
1996年(平成8年)、NHKと東北新社は海外ドラマである『ER緊急救命室』の吹き替え放送に先立って、声優オーディションを開催している。文学座、円、昴、俳優座、青年座の各劇団に所属する俳優陣がごぞって参加し、その中から山像かおり、井上倫宏、平田広明、小山力也、野沢由香里が合格した。同作品は15年間に及び、全332話の出演者数は延べで約3200名を数えている。
1997年(平成9年)、大手出版社・テレビ局・広告代理店が製作した劇場用アニメーション映画である『もののけ姫』が公開されている。当時の日本映画の歴代興行収入第一位となった本作では、声の仕事を主戦場とはしない人間を中心に、松田洋治、石田ゆり子、田中裕子、小林薫、西村雅彦、上條恒彦、島本須美、渡辺哲、佐藤允、名古屋章、美輪明宏、森光子、森繁久彌らが声の出演をしている。
なお同年には、椎名へきるが声優として初めて日本武道館で単独コンサートを開催した。椎名は声優が必ずしもアニメや外国映画吹き替えなどの、映像中のキャラクターの影という声の代行者という役割ではなく、声優そのものがスター性を持った存在となり得ることを最初に示した先駆者とみられている。
1998年(平成10年)、アニメ演出家の庵野秀明は、『月刊ニュータイプ』(発行:角川書店)が企画した野田秀樹との対談において、自身の声優観に言及し、その変化を告白している。庵野は前述のアニメブーム以来、アニメ制作に携わっており、直近の監督作であったテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』と劇場版(1995年〜1997年)では、若手声優を数多く起用していた。
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1998年(平成10年)、アニメ演出家の庵野秀明は、『月刊ニュータイプ』(発行:角川書店)が企画した野田秀樹との対談において、自身の声優観に言及し、その変化を告白している。庵野は前述のアニメブーム以来、アニメ制作に携わっており、直近の監督作であったテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』と劇場版(1995年〜1997年)では、若手声優を数多く起用していた。
庵野 僕、声優さんの肉声ってアニメの中で、唯一生だと信じてたんですよ。でもある日突然逆じゃないかと思ったんです。声優さんのお芝居は技術なんですよ。
野田 とってもよくわかる。肉を使ってるはずなのに、肉じゃない。
庵野 ええ。そこにあるのは記号なんですよ。キャラクターを統一するための。人の声をした記号。
野田 肉じゃないものに合わせようとするんだからね。
庵野 そうなんです。それでアニメーションっていうものに、ガターっときたんです。だから実写や舞台がいいなぁって思ったんです。肉体と声がひとつだから。
野田 じゃぁ、声優を使わずに、最初に声をとってから、アニメをつくれば?
庵野 それが理想です。プレスコ(注2)っていう方法。高畑勲さんはやってるし、ディズニー、アメリカでは当たり前なのに、日本ではシステムの問題でなかなかできない。こんどのアニメ(『彼氏彼女の事情』)では声優オーディションをやるんです。型にはまってない役者さんがいいですね。
この時期、アニメ作品で声を担当した声優が舞台公演などでその担当したキャラクターを演じる例の先駆として、サクラ大戦シリーズ#歌謡ショウが始まる。これは1997年(平成9年)から2007年(平成19年)まで続くが、サクラ大戦帝国歌劇団花組のキャラクターの声を演じている声優が、実際に舞台上でそのキャラクターを演じるミュージカル仕立ての公演で、それまでアニメ原作の舞台では俳優が演じていたが、アニメとの声の違いを指摘した子供がいたことで、サクラ大戦シリーズの総合プロデューサーである広井王子は、キャラクターの担当声優を決める際に、舞台公演も視野に入れてキャスティングしていた。
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1990年代より活動していた水樹奈々、田村ゆかりや、舞台俳優から転向した宮野真守などの「声優アーティスト」としての成功や、2005年(平成17年)から開催されているAnimelo Summer Liveなどのアニメソング系の合同フェス的なライブの普及などにより、声優と歌手活動を両立させる声優がこの時期以降ますます増加するようになった。水樹は、声優として初のドームツアーやNHK紅白歌合戦への出場など、音楽活動の活躍も目立った。
2007年(平成19年)、同年、一般社団法人・日本声優事業社協議会が設立されている。
2010年代半ば以後、音楽活動に傾倒する声優の増加傾向が年々顕著になり、歌手としての日本武道館での単独公演を実現させる声優が、ほぼ毎年のように現れるようになっている(一例として、内田彩、東山奈央、内田真礼など。特に東山は、自身初めての単独公演が日本武道館での開催であった)。
2000年代後半ごろから、一部のマスコミで「第4次声優ブーム」という表現が用いられるようになった(ただし、明確な定義はない)。このころから、子どもの「なりたい職業ランキング」の上位に「声優」がランクインするようになった。
2000年代後半以降、深夜アニメの本数が急速に増加。これにより、いわゆる「アニメバブル」という状況が生まれ、新人声優デビューは増加の一途をたどる。資格制度があるわけではないので実数の把握は困難であるが、声優専門誌である『声優グランプリ』の声優名鑑に記載されている声優の人数は2001年版は370人だったのに対し、2022年版は21年前と比べて約4.5倍の1658人に増加していることからも窺える。こうして花澤香菜、 悠木碧、 神木隆之介、 日高里菜、 佐倉綾音、 瀬戸麻沙美、 小倉唯、 石原夏織、 諸星すみれ、 伊藤美来、 夏川椎菜、水瀬いのり、 富田美憂、林鼓子、楠木ともり、 近藤玲奈、 菱川花菜など当時10代でテレビアニメの主演を務める例も、以前よりみられるようになった。 なおこの当時の10代デビュー組のうち 大坪由佳、 MAKO、 矢作紗友里、 小見川千明、 福原遥、 黒沢ともよ、 田所あずさ、 伊波杏樹、 武藤志織、 茜屋日海夏、 片平美那、 松永あかね、 石橋陽彩、 増田里紅 らは、声優デビュー作で主役である。
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さらに、『ラブライブ!』や『アイドルマスター』『けいおん!』『BanG Dream!』『あんさんぶるスターズ!』など、ゲームやアニメ番組から派生した企画による声優ユニットが男女を問わず人気を博すことも多くなっていく。
特に『ラブライブ!』のμ'sは、東京ドーム公演やNHK紅白歌合戦への出場するなど人気を獲得した。このため、現在の声優は演技だけではなくアイドルのように、ルックス、歌唱力、ダンススキルが求められる例もある。逆に田野アサミ(元BOYSTYLE)や仲谷明香(元AKB48)、前島亜美(元SUPER☆GiRLS)など、アイドルから声優に転身する例も増えているとされている。
2010年代には小宮有紗、美山加恋、福原遥のように声優・俳優・歌手を兼業する者も目立った。
2010年代後半にはバーチャルなキャラクターを製作し、それに声優が声をあててYouTubeなど動画配信を利用して配信するVTuberが出現するが、このキャラクターを「声優」として、YTuberがほかのアニメ・ゲーム作品などに声をあてるという現象が開始されている(バーチャルYouTuber活動も参照)。
2023年10月から「インボイス制度」(正式名称:適格請求書等保存方式)が施行予定となり、声優業界に与えるインパクトを憂慮し、有志グループ「VOICTION」が発足し、本制度への反対運動を行なっている。同グループはアンケート調査を実施し、その結果によると72%は声優としての年収が300万円以下であると回答しており、同グループの一人甲斐田裕子によると、2022年時点での声優のギャラは20年前(2000年ごろ)から変わっていないという(経済環境も参照)。
2023年(令和5年)、日俳連が「生成系AI技術の活用に関する提言」を行う。
アニメ、オリジナルビデオアニメ(OVA)、ラジオドラマ、ドラマCD、ゲーム、テレビ、映画、洋画や海外ドラマの日本語吹き替え、ボイスドラマ、ナレーション、アナウンス、番組内の語り手、朗読などがある。
声による演技以外にも、出演作の関連イベントや宣伝など付随して顔出し出演があるが、事前契約はせずその都度の協議で決定することが多いなど、俳優とは出演料のシステムが異なる。
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アニメ、オリジナルビデオアニメ(OVA)、ラジオドラマ、ドラマCD、ゲーム、テレビ、映画、洋画や海外ドラマの日本語吹き替え、ボイスドラマ、ナレーション、アナウンス、番組内の語り手、朗読などがある。
声による演技以外にも、出演作の関連イベントや宣伝など付随して顔出し出演があるが、事前契約はせずその都度の協議で決定することが多いなど、俳優とは出演料のシステムが異なる。
仕事の取り方はオーディションによる選考、制作側による指名、出資によるキャスティング権の確保であるが、仕事の種類ごとに異なる。
画面を見ながら台詞を吹き込むアフレコと、事前に台詞を収録し、それに合わせて後から動画を制作するプレスコの2種類の方法がある。日本ではアフレコが主流である。近年のアニメ制作のデジタル化により、アフレコ後に絵を修正する例も多い。なお、声をあてることからアテレコとも言う。収録はスタジオに声優を集めて一度に行うのが主流だが、芸人や歌手などの非声優を起用する場合は、個別に別録りすることが多い。
出演料はランク制の適用を受ける。
役は原作者や制作サイドからイメージに適合した声(声質)や演技力を持つ人物が指名されることもあったり、昨今はアニメに対する出資会社によって出演枠を確保する方法がとられることもあり、オーディションによる出演ではない者も混在しているが、通常は選考オーディションを受けて得るというシステムが主流である。
オーディションについても、予定しているキャラクターの役柄に合うであろう声優を指名して受けてもらうケース(その結果で、別のキャラクターの配役になるケースもある)もあるが、通常は制作会社などから声優事務所の庶務にオーディションのお知らせが通達され、事務所は役柄に合うと判断した所属声優を数人選び、その選ばれた者だけがオーディションを受けられるというのが通例である。そのため大人数の声優を抱える大手事務所では、まず事務所内での競争を勝ち抜かないとオーディションを受ける機会すらない。そして、たとえオーディションを受けられたとしても、60本に1本受かればいいというほどの競争率と言われる。
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古川登志夫は『ポプテピピック』に出演した際、「大御所なんだから仕事選べ」という一部視聴者の声が出たことに対して「冗談ではない。アニメのキャラ声は本職だ。第一仕事を選べるほど偉い立場にない」「一本の仕事を取るのにマネージャーさんが何度頭を下げるかご存知か!」と反論している。
何人かで一緒にブースに入って実際に芝居をして、そのバランスを見て決められたりもある。このとき受けた役は落ちたが、他の役で決まることもある。これはオーディションで「このセリフを読んでください」と言われて別のキャラクターのセリフを読むこともあって、その役に決まるなどの他、あとから追加されるキャラクターの役をもらうこともある。
その他、『けんぷファー』のように原作で声優名が設定されていたので、アニメ化に際しても、一部の登場人物の声にその声優本人を起用している例もある。
公募形式とする例もあり、2005年(平成17年)の『SPEED GRAPHER』ではヒロイン役を公募オーディションとしたが、第1次・第2次審査で絞り込んでからウェブの一般投票も加味される形式で行われた(新人の真堂圭が選ばれた)。2013年(平成25年)にはテレビアニメ『ふたりはミルキィホームズ』の主人公役を決める公募オーディションが行われた(新人の伊藤彩沙が選ばれた)。2018年(平成30年)放送の『からくりサーカス』では主役の1人をプロアマ不問の公募オーディションにより決定すると発表したが、応募総数は2,500人超だったという(新人の植田千尋が選ばれた)。2021年(令和3年)の『ワッチャプリマジ!』では公募オーディションの審査を各段階で公開している。
#一般公募も参照。
CMやPV、パチンコのリーチアクションなどアニメ映像を使う場面でも、声優が声を担当している。
基本的に、かけ合いではなく一人ずつ個別に収録する。
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#一般公募も参照。
CMやPV、パチンコのリーチアクションなどアニメ映像を使う場面でも、声優が声を担当している。
基本的に、かけ合いではなく一人ずつ個別に収録する。
CD-ROMの普及し始めた1980年代末から増えた仕事である。1990年代に、PlayStationなどの家庭用ゲーム機器やパチンコなどの遊戯機器などで高性能なゲーム機が次々に登場し、ソフトウェアに既存作品にはないオリジナルストーリーを展開する作品の導入が可能となると、そのキャラクターに声を当てる声優が起用されることが一般的になった。そして『ときめきメモリアル』(1994年〈平成6年〉 - )から人気に火のついた男性向け恋愛ゲームは美少女ばかりが登場するゲームから「ギャルゲー」とも呼ばれ始め、他のジャンルにも美少女キャラクターとその担当声優が付くゲームが増加した。
出演料については、当初は明確な基準がなかったが、1998年(平成10年)に日本俳優連合(日俳連)と社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)の間で協議が持たれてからは、一般向けのゲームでは、アニメと同様にランク制が適用されるようになった。
アニメと同じく、オーディションや指名によって選出される。
アダルトゲーム(エロゲー)・アダルトアニメなどの年齢制限のある作品に声をあてる。この場合、声優名を非公表とするか、別の芸名を使うことがほとんどであるが、まれに普段使用している声優名のままでクレジットされていることもあり、石田彰や一条和矢、大野まりな、こおろぎさとみなど、一般作と同じ名義で出演する声優もいる。
ダイナマイト亜美や静木亜美、長崎みなみなど、アダルト作品を専門としている声優もおり、ゲームのアニメ化に合わせて一般作での活動を行なう例も多い。
ComicFestaアニメでは成人向けの描写をカットした一般向けと、すべての描写を入れた完全版の2種類を用意しており、それぞれ声優も異なっている。
特撮番組では、顔出し出演のほかにスーツアクターが演じる怪人などの声を担当するという仕事もある。『アクマイザー3』や『宇宙戦隊キュウレンジャー』、『機界戦隊ゼンカイジャー』など、着ぐるみが中心のヒーロー物など、また昨今のウルトラマンシリーズではウルトラマンが言葉を発するため、特に声を当てる声優が必要となる。
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特撮番組では、顔出し出演のほかにスーツアクターが演じる怪人などの声を担当するという仕事もある。『アクマイザー3』や『宇宙戦隊キュウレンジャー』、『機界戦隊ゼンカイジャー』など、着ぐるみが中心のヒーロー物など、また昨今のウルトラマンシリーズではウルトラマンが言葉を発するため、特に声を当てる声優が必要となる。
ヒーロー物番組ではさらに、変身などでの音声(かけ声など)を担当することも多い。
通常は、動きはスーツアクターが担当してそれに合わせて声を当てる作業であるが、中には声とアクターを兼任する場合もあり、愛川欽也による『おはよう!こどもショー』のロバくん、チョー(俳優)が担当する 『いないいないばあっ!』でのワンワン、大竹宏が担当していた『ママとあそぼう!ピンポンパン』のカッパのカータン、千葉繁が扮した『深夜秘宝館』Dr.シーゲル・バーチーらは、それぞれスーツアクターも兼任し直接声をあてていることが知られている。
鈴田美夜子のように公の場で顔出ししない手段として、着ぐるみを着ているというケースもある。
ほかに『ウルトラマン』でザラブ星人の声をあてることになった青野武はそれに飽き足らず、雰囲気をつかむため実際に着ぐるみの中に入ってザラブ星人を演じている、『ウルトラセブン誕生35周年“EVOLUTION”5部作』(2002年〈平成14年〉)に出演の関智一はガルド星人として声だけでなく、星人の普段の姿も演じている、上坂すみれは『ウルトラマントリガー』でカルミラの声あてとともに同キャラの地球人・人間態として本人出演をしている...などのケースがある。
人形劇はキャラクターの演技とタイミングを合わせながらセリフを言うか、事前に収録した映像を見ながらアフレコする。NHKの人形劇はプレスコ形式が多い。また1人で複数役を兼任するスタイルが多く、『連続人形活劇 新・三銃士』では30人近い役を7名で演じており、『人形劇 三国志』ではメインキャラクターを演じる役者は5名以上の役を兼任している。
着ぐるみショーでは上記#着ぐるみのアテレコにあるとおり生で声を合わせることもあるが、基本的には事前に声を収録してそれに合わせて着ぐるみの演者(スーツアクター)が演技を行う。
劇団飛行船の公演は「マスクプレイ」という、着ぐるみをきたアクターが声優によって吹き込まれた声に合わせて演じる手法をとっている。
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着ぐるみショーでは上記#着ぐるみのアテレコにあるとおり生で声を合わせることもあるが、基本的には事前に声を収録してそれに合わせて着ぐるみの演者(スーツアクター)が演技を行う。
劇団飛行船の公演は「マスクプレイ」という、着ぐるみをきたアクターが声優によって吹き込まれた声に合わせて演じる手法をとっている。
海外ドラマ・外国映画などの登場人物の声を俳優に代わって演じる。
フィックス制度により役が特定の声優に固定されていることもあるが、放送版とセル版では異なる声優となる例もある。
ニュースやドキュメンタリーなどのボイスオーバーの仕事もある。
アニメ同様、ランク制の対象となる。
アニメとは異なりオーディションはほとんど行われず、プロデューサーやディレクターなどが声優を指名して決めることがほとんどとされる。ただし、外画の場合でも録った声を本国に送って向こうのスタッフが判断して選ぶこともあったり、ディズニー作品、スティーヴン・スピルバーグ作品、ジョージ・ルーカス作品などでは指名ではなく、アニメ同様オーディションが行われるという。
ラジオドラマ・ドラマCDなど音声のみのドラマ作品でキャラクターの声を演じる。
ドラマCDの場合、売上を考慮して、すでに知名度のある声優を起用することが多いが、逆に新人やアマチュアをオーディションによって選ぶ例もある。
アニメ・ゲーム・ライトノベル・ラジオ番組のDJ・ドラマCD・玩具などメディアミックスが行われる作品でのアテレコ・アフレコ。作品CMがアニメドラマ形式でつくられ、そのアテレコを担当することもある。以前に出演していた媒体、例えばゲームが運よくアニメ化される、アニメの新しいシリーズが始まる、ドラマCDがアニメ化するなどの形で仕事が発生するなど、仕事の幅が意外にも広がるのである。
基本的には同一の声優が同じ役に固定されるが、諸事情により変わることもある。
語り手、朗読とは別に、声や語りかけるなどの音声作品をレコードやカセットテープ、コンパクトディスクなど音声記録媒体に記録してボイス集などとして販売するもので、2010年代からはさらに音響技術によりASMR作品・バイノーラル録音での音声作品が登場し、主にインターネットを通してダウンロード販売などがなされている。こうした音声作品のダウンロード販売に2020年代から名の知られる声優も続々と参入している。
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語り手、朗読とは別に、声や語りかけるなどの音声作品をレコードやカセットテープ、コンパクトディスクなど音声記録媒体に記録してボイス集などとして販売するもので、2010年代からはさらに音響技術によりASMR作品・バイノーラル録音での音声作品が登場し、主にインターネットを通してダウンロード販売などがなされている。こうした音声作品のダウンロード販売に2020年代から名の知られる声優も続々と参入している。
また、家電やイヤホンといった音響機器、パソコンソフトの起動や操作時など各種機器のシステム起動音などやボタン操作音などで音声を組み込み製造販売される際の声を担当するなどのケースもある。
この他に、自身の声を初音ミクといったバーチャルアイドルなどに代表される二次元媒体を中心とした架空キャラクターの声に、音源データとして活用される仕事などがある。VOCALOID初期から試みられてきたが、声優の声や表現を活用すべくAIの音声に声優の声を導入して提供するサービスが始められており、こうした声優の個性、表現や「声」そのものをコンテンツとして提供する仕事が生じている。
テレビ番組・テレビやラジオのCM・PRビデオ、解説ビデオなどの朗読、イベントのアナウンスやリングアナウンサー、番号案内の録音されたメッセージ、デパートやスーパーマーケットなどでの小売店舗の録音案内、駅や路線バスなどの公共交通機関のアナウンス(自動放送)など。
ナレーションやアナウンスもAI音声として、本職のナレーター、アナウンサーとそん色ないニュース原稿を読み上げる人造アナウンサーなども出現している。
ランク制の対象外の仕事で、ギャラはアニメ・日本語吹き替え・ゲームよりもはるかに高額とされ、特にテレビCMが高額とされている。ただし基本的に単発かつ不定期の仕事であり、安定した収入にはなりにくい。また本業のナレーターやアナウンサーとも競合する。
日本語吹き替え同様、オーディションはほとんど行われず、指名で決まることがほとんどとされる。
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ランク制の対象外の仕事で、ギャラはアニメ・日本語吹き替え・ゲームよりもはるかに高額とされ、特にテレビCMが高額とされている。ただし基本的に単発かつ不定期の仕事であり、安定した収入にはなりにくい。また本業のナレーターやアナウンサーとも競合する。
日本語吹き替え同様、オーディションはほとんど行われず、指名で決まることがほとんどとされる。
前述のように、舞台俳優が声優を兼ねる例は創成期から多い。松本忍、かぬか光明、松岡文雄、中村太亮のように劇団に所属していた、北島善紀、志賀克也、置鮎龍太郎など劇団に所属しながら並行して活動する者も多いが、野沢那智、坂口候一、関智一、緒方賢一、伊藤健太郎、菅谷勇、金光宣明、大西健晴、目黒光祐、大黒和広、関俊彦や中尾隆聖などのように劇団を創立したり主宰する者、筈見純のように演出家として活動する者もおり、声優で舞台公演に演者として出演するケースは多い。
劇団の中ではもともとテアトル・エコーは声の仕事に積極的なことで知られ、安原義人、小宮和枝、納谷悟朗、多田野曜平、雨蘭咲木子、竹若拓磨ら同劇団所属俳優らの多くが声優を兼ねているし、劇団21世紀FOXにも声優が多数所属していた。
#俳優・舞台役者も参照。
そして#第3次声優ブーム時のサクラ大戦歌謡ショウや、2000年以降には、漫画・アニメ・ゲームなどを原作・原案とした舞台芸術である2.5次元ミュージカルでは『テニスの王子様』『刀剣乱舞』など、声優が演者となって出演することが多い。
通常の舞台劇とは別に、台本を持って音読するスタイルで上演される朗読劇(リーディング)もあり、メディアミックスとしての上演もある。
映画やテレビドラマで俳優活動を行う者もおり、近年ではバラエティ番組などへの出演もある。
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通常の舞台劇とは別に、台本を持って音読するスタイルで上演される朗読劇(リーディング)もあり、メディアミックスとしての上演もある。
映画やテレビドラマで俳優活動を行う者もおり、近年ではバラエティ番組などへの出演もある。
戸田恵子が1998年の『ショムニ(テレビドラマ)』からテレビドラマやテレビCMに出演し始めていくが、2010年以降にはドラマ『満福少女ドラゴネット』(2010年)の久保ユリカ、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(2015年)NHK連続テレビ小説『あまちゃん』(2013年)の水瀬いのり、NHK大河ドラマ『真田丸』(2016年)の高木渉、NHK連続テレビ小説「エール」(2020年)の津田健次郎、「麒麟がくる」(2020年)の大塚明夫、『半沢直樹』(2020年)の宮野真守、『オー!マイ・ボス!恋は別冊で』(2021年)の花江夏樹、『青天を衝け』(2021年)の置鮎龍太郎、『リコカツ』(2021年)の三石琴乃の例がみられる。
2010年代後半から『声ガール!』(2018年)や『劇団スフィア』(2019年)、『声優探偵』(2021年)といった声優をテーマにして声優が俳優として出演する実写ドラマが制作されている。
映画出演についても『バトル・ロワイアル』(2000年)の宮村優子、『包帯クラブ』(2007年)の小野賢章、『モノクロームの少女』(2009年)の入野自由、『君がいなくちゃだめなんだ』(2015年)の花澤香菜、『小野寺の弟・小野寺の姉』(2014年)『-X-マイナス・カケル・マイナス』(2011年)の寿美菜子、『縁-enishi-』(2011年)の谷山紀章、『寄性獣医・鈴音 EVOLUTION』(2011年)『猫カフェ』(2018年)の久保ユリカ、『図書館戦争』(2013年)の鈴木達央らの例がある。
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このほか映画『第2写真部』(2009年)、実写『ヤッターマン』(2009年)、『腐女子彼女。』(2009年)、『私の優しくない先輩』(2010年)、『Wonderful World』(2010年)、『ライトノベルの楽しい書き方』(2010年)、『神☆ヴォイス 〜THE VOICE MAKES A MIRACLE〜』(2011年)、『死ガ二人ヲワカツマデ... 第一章 色ノナイ青』『死ガ二人ヲワカツマデ... 第二章 南瓜花-nananka-』(2012年)、特撮ドラマ『非公認戦隊アキバレンジャー』『非公認戦隊アキバレンジャー シーズン痛』(2012年 - 2013年)、『獣電戦隊キョウリュウジャー』(2013年 - 2014年)最終話やエンディングのダンス、『Green Flash』(2015年)など、声優が複数人が顔出しで出演している作品も多い。
水樹奈々、内田真礼、竹達彩奈などのように、CMで顔出し出演をする声優も増えている。CMは広告代理店担当者査定などに該当しランク制対象外である。
2010年代後半には、梶裕貴のようにニュース番組のコメンテーターとして出演する声優もいる。
この他にお笑い活動もあり、山寺宏一のようにものまね番組に出演してものまねを披露したり、2019年7月に「ラッシュスタイル」というコンビを組んでいた速水奨と野津山幸宏がM-1グランプリ2019にエントリーしている。
2010年代後半からは『ラフラフ!』『Warahibi!』といった声優×二次元芸人プロジェクトが進行している。その中でも『GET UP! GET LIVE!』は声優が芸人の役を演じるだけでなく、実際にイベントで漫才やコントのリーディングライブに挑戦。芸人役を演じている花江夏樹、西山宏太朗、阿座上洋平、熊谷健太郎らがイベントで実際に漫才やコントを披露している。
#声優による他分野での活動も参照。
音楽CDを発売したり、コンサートを開催したりするなど、歌手として活動をおこなう。逆に、アイドル歌手が声優に転身することもある。
アニメ・ゲームにおいては、出演声優が、個人またはユニットとして、その作品の主題歌を歌うことがある。また、キャラクターが歌っているという設定にして、声優本人の名義ではなく、キャラクター名義でキャラクターソングをリリースすることがある。
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#声優による他分野での活動も参照。
音楽CDを発売したり、コンサートを開催したりするなど、歌手として活動をおこなう。逆に、アイドル歌手が声優に転身することもある。
アニメ・ゲームにおいては、出演声優が、個人またはユニットとして、その作品の主題歌を歌うことがある。また、キャラクターが歌っているという設定にして、声優本人の名義ではなく、キャラクター名義でキャラクターソングをリリースすることがある。
林原めぐみが声優として初めてキングレコードスターチャイルドレーベルと専属契約を結んだ1991年(平成3年)3月以後、声優がレコード会社との専属契約を結び、本格的に歌手活動をする例が一般化している。
数名の声優が音楽ユニットを結成して、歌手(音楽)活動をすることもあり、これは声優ユニットと称されることが多い。『アイドルマスター』や『ラブライブ!』などのように、ドーム球場でライブを行う人気作品もある。
オリコンなどのヒットチャートにおいては、かつてアニメソングは児童向けの曲として別に集計されていた。また、アニメ専門店や家電量販店は集計の対象外だった。これらが修正された1990年代半ばごろから、声優の歌のCDがランキング上位になることが増えた。
1997年(平成9年)2月に椎名へきるが声優初となる日本武道館単独コンサートを開催したのを皮切りに、声優が武道館のような大きな会場で単独コンサートを開催するようになっていった。2011年12月には水樹奈々が声優初となる東京ドーム単独コンサートを開催した。
アニメソングが一般層にも浸透するにつれ、声優が音楽テレビ番組に出演して歌を歌うことも増えている。1997年(平成9年)には椎名へきるが「ミュージックステーション」に、2009年(平成21年)には、水樹奈々がNHK紅白歌合戦(第60回NHK紅白歌合戦)に、それぞれ声優として初めて出演している。
水樹奈々や茅原実里、蒼井翔太、柴本浩行のように、元来歌手を志望していた人物が声優となり、のちに歌手としてもデビューするということもある。
#アイドル声優と#声優アーティストも参照。
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水樹奈々や茅原実里、蒼井翔太、柴本浩行のように、元来歌手を志望していた人物が声優となり、のちに歌手としてもデビューするということもある。
#アイドル声優と#声優アーティストも参照。
声優によるラジオ番組のパーソナリティは、古くから存在するが、1990年代以降は文化放送やラジオ大阪、ラジオ関西がアニラジ専門の放送枠を設けるなど、番組数が急増した。そしてアニラジパーソナリティの一般公募などもあり、例えば井澤美香子は養成課程修了後、声優になりたいという夢のもとでアニラジのパーソナリティの一般公募へ応募したという。
2000年代以降は、地上波放送だけでなく、動画配信サイトを使ったインターネットラジオ番組も増えている。こうしたラジオ番組では声優個人の冠番組の他、現在進行系でテレビ放送中のアニメ番組に因んだラジオ番組が放送期間中設けられて、当該アニメ番組に出演する声優がパーソナリティを務めるなどがある。
2010年代後半からYouTuberが人気を博しはじめて、アニメファンや声優ファンの間ではバーチャルYouTuber(VTuber)も熱い支持を得ていく。キズナアイを筆頭とするバーチャルYouTuberたちが一大ジャンルとして着実に市民権を得ていくが、その中でも顔出しのYouTuberを凌ぐほどの人気を誇るバーチャルYouTuberたちも多い。
バーチャルYouTuberはYouTuberとして動画配信を行うCGキャラクターのことであるが、アバターを使って動画配信をする専用機器を装着した演者の表情や動きを読み取るモーションキャプチャー技術と3DCGで作られたキャラクターをアニメーション化して声をあてることで、キャラクターが実在しているかのように見せている。
そして#音声作品にあるキャラクターの声に活用するデータ音源の仕事とは違い、自身の喋りをリアルタイムで伝えており、このために"声での演技力"が求められるため、キャラクターに声をあてている人物は声優であることが多いことが知られる。かなりの割合でプロの声優がその演者として声や体の動きを担当しバーチャルな存在として活動していくが、VTuberはキャラクター自身が動画を投稿しているという設定となっており、声をあてている人に言及することはファンの間で一種タブー視もされている。
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VTuberには企業などの運営者と声優などの演者が関わっているため、声優がVTuberになる方法として、まず運営者から声優事務所に演者を募集するオーディションの話が来て、声優がそれを受ける。
ただし一般的に声が認知されていて人物が特定されるような人気声優が務めることは少数であるが、これはアニメのアフレコやナレーションなどの一般的な声優仕事よりも報酬が少ないためで、人気声優ではなく知名度でなくあまり売れていない声優やキャリアの少ない新人声優が起用されるケースが多い。個人がかろうじて食べていける金額にはなってもモーションアクターなど、通常の声優の仕事ではない業務を含むなど台本通りにキャラクターを演じる仕事ではなく、台本なしで自分の話をする配信者の役割を担うことなど、声優仕事の中では所属事務所が儲けを得るほどにはならない職ともいえる。
VTuberの演者への報酬は台詞の量にもよるが、その業界に相場が無いのでピンキリとされ、声優が行う仕事とは金額に大きな差があり報酬が合わず、VTuberの演者は声優の仕事よりも報酬が落ちるとされる。またそもそもVTuber自体が厳しいYouTubeの世界で生き残るのは難しいことも知られる。
長期シリーズを中心に、担当声優の引退や逝去・降板以外に、諸般の事情による交代も時折起こる。また同じく病気や産休・事故などによる療養や、海外留学などによる休業により「一時的に」別の声優が代役を担当する例も多く見られる。さらにメディアミックスの媒体ごとで声優が交代することは頻繁にある。
メディアミックスの場合、舞台公演などで身体的な負担が大きくなったため、他の作品への出演は続けるが、当該作品は降板するような場合もいくつかある。また『Fate/staynight』などメディアミックスや派生作品ごとキャラクターが数回変更になる作品もある。
また『ウマ娘 プリティーダービー』のように当初予定していた声優から大幅入れ替えした例もある。
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メディアミックスの場合、舞台公演などで身体的な負担が大きくなったため、他の作品への出演は続けるが、当該作品は降板するような場合もいくつかある。また『Fate/staynight』などメディアミックスや派生作品ごとキャラクターが数回変更になる作品もある。
また『ウマ娘 プリティーダービー』のように当初予定していた声優から大幅入れ替えした例もある。
このほかに『サザエさん』や『ドラえもん』(テレビ朝日版)など、長く続いているアニメで、世代交代的にメインキャストが交代するケースもある。声優交代には様々なパターンがあり、『ドラえもん』のように全面的に変えてしまうケース、『サザエさん』のように声優の死去・引退までなるべく同じ声優を維持し段階的にキャスト交代を実施するケース、『ルパン三世』や『サムライスピリッツ』など声優交代をしてみたが前任者らの演技イメージが強く結局次作制作時に前任者が起用されるケース、『天才バカボン』のバカボンのママのように他の声優が代わっても交代しないよう指名されているケースなどがある。同作では他作品の客演とメディアミックス発表の際に段階的に一部キャスト変更し、新シリーズの際にキャストが交代するという形となった。
年月を経てリメイクされるアニメ作品の場合、大半のキャストが変更される場合が多い。『銀河英雄伝説』『フルーツバスケット』『ヤッターマン』『ゲゲゲの鬼太郎』などや『るろうに剣心』や『うる星やつら』などの名作のリメイクで声優が交代したのを始め、『シャーマンキング』などは2001年のアニメ化後、20年後の2021年に再アニメ化の際に原作者の意向もあってキャストの大半が同じとなっているが、一部キャストはスケジュール上の都合や死去などの理由で変更されている。逆に原作者の要請により声優交代が求められた作品に『聖闘士星矢』があり、後に騒動となっている。また『SLAM DUNK』の2022年公開のアニメ映画『THE FIRST SLAM DUNK』でも従来のキャストを一新したことに賛否の声が挙がっている。
洋画吹き替えなどでは、担当俳優の声を当てる専属声優が時代と共に変更される例も多く、また映像ソフトに収録される場合の他、放送するテレビ局ごとに日本語版制作される際に声優が変更されることも多い。
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洋画吹き替えなどでは、担当俳優の声を当てる専属声優が時代と共に変更される例も多く、また映像ソフトに収録される場合の他、放送するテレビ局ごとに日本語版制作される際に声優が変更されることも多い。
技術の進歩から、AIが不祥事を起こした声優の仕事を代役として担当した例がある(中国で映画などの吹き替えを行った姜広涛(中国語版)のケースなど)。
交代の一例を以下に示す。
中でも冨永みーなは降板後の声優を担当することが多い。
なお交代と関連したケースとして、同一のキャラクターに演出上の意図で別の声優を起用するという事も多い。
演出上の意図で声優が複数割り当てられた作品もある。例えば『彼岸島X』においては、1話につき一人の声優がその回登場の全キャラクターを担当し、各話ごとそれぞれ声優が割り当てられた。『100万の命の上に俺は立っている』のテレビアニメ版においては、主要キャストは固定されたが、登場人物のゲームマスターについては各話登場毎に別べつの声優が当てられた。また、『ポプテピピック』に関してはメインキャラクターの声優が毎回異なる。
ほかに身分隠しの変装などで人相や人格が変わることを表現するためや、キャラクターで少年期と青年期以降で別声優が担当するケースなど、演出都合で作中の月日や時間が大きく進んで、特定のキャラクターが歳をとっていくことで別の声優を起用するケースは多い。これは下記のとおり男性キャラクターで少年期を女性声優が担当し、青年期以降は男性声優が担当するケースなどはよく知られる。ただし男性キャラクターでも孫悟空などのように少年期を演じた女性声優が青年期も演じることもあるし、また男性キャラクターでも『ジョジョの奇妙な冒険』のジョセフ・ジョースターは、少年期から青年期→中年期から老年期で男性声優で変更、女性キャラクターの場合でも、映画『秒速5センチメートル』の篠原明里など少女時代と大人時代で声優が変更となることはある。
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男性と女性とでは声質が違うため、通常は男性が女性の役(またはその逆)を演じることはないが、女性は基本的に地声が高いため、アニメのアフレコや洋画の吹き替えなどで、女性が男性(中学生くらいまでの少年。特に変声前の幼い男の子)の声を演じるという例はよくある。一方、男性は基本的に地声が低いため、特に変声前の子供を演じることは聞き手に違和感を感じさせるため難しく、子役以外の男性が子役を演じる例は石田彰や代永翼、梶裕貴など僅かである。また同様に、男性が女性(特に少女)の声を演じるという例は声優の地声が高くないと務まらないため極めて少なく、蒼井翔太や村瀬歩、山本和臣などごく僅かである。
日本で大人が子供の役を演じた最初例として、1954年(昭和29年)のNHKラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』が知られるが、子供の役に子役を起用するのは、演技指導などで難しい面があった。ただし少数ではあるが子役が台詞の多い主要キャラクターとして起用の例は、『ばらかもん』、『夢色パティシエール』、『クッキンアイドル アイ!マイ!まいん!』などがある。
ハリウッド映画で、子供が主人公の映画が流行した1980年代には、日本でも吹き替え版で少年役を子役に演じさせようとする傾向が多く見られた。当時児童劇団に所属していた者が子役の吹き替えを担当しており、浪川大輔のように声優になった者もいる。
日本以外では、子供の役は子供に担当させることが主流である。脚本家のブレイク・スナイダーは、8歳のころにTVプロデューサーだった父親の手伝いとして、スターリング・ホロウェイらとともに子供の役を演じていたが、変声により解雇されている。
諸外国では、日本のように専業の声優が確立している国は少ないとも言われる。ただ、アメリカでは代表的な人物だけでも200人以上おり、近年では日本アニメの吹き替えや音声入りゲームの増加により、声優業がメインの役者も増えている。
韓国では、放送局が放送劇団(声優劇会)を持っている。
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諸外国では、日本のように専業の声優が確立している国は少ないとも言われる。ただ、アメリカでは代表的な人物だけでも200人以上おり、近年では日本アニメの吹き替えや音声入りゲームの増加により、声優業がメインの役者も増えている。
韓国では、放送局が放送劇団(声優劇会)を持っている。
劉セイラ、ジェーニャ、Liyuuなどのように、日本国外出身の外国人であるため日本語が母語ではないが、一から日本語を習得して日本国内で声優として活動している例も僅かに存在する。外国人の場合は日本語の読み書きはもちろんのこと、大概は母語に由来する訛り(●●語訛り)が出てしまい視聴者に違和感を感じさせてしまうため、日本国内で声優として活動を続けることは非常にハードルが高い。ただし、日本のコンテンツであっても、外国人役としてであれば需要はある。
声優の経歴としては、以下のような例がある。
NHKと民放が組織した劇団で、局のアナウンサーとは別個に、芸能を担当するために放送局で養成され、おもにラジオドラマを担当した放送タレントであり、彼らを指す言葉として「声優」が生まれた。芸能事務所などの台頭で現在ではすべて解散している。
NHKの東京放送劇団からは、巖金四郎、加藤道子、中村紀子子、大木民夫など、NHK札幌放送劇団出身の若山弦蔵、NHK九州放送劇団出身の内海賢二など多数。
民放ではのちのTBSにあたるラジオ東京放送劇団からは大平透、中村正、滝口順平、田中信夫、朝戸鉄也、向井真理子など。
地方局では、CBC中部日本放送劇団出身の中江真司、RKB毎日放送劇団出身の八奈見乗児など。
地方局で活動していたのはラジオドラマの全盛期までのことで、テレビ時代になると海外作品の日本語吹き替えなどの声優の仕事は東京に集中していった。
声優プロダクション付属の声優養成所、声優になるためのレッスン指導を主とする養成所、声優関連の学校(声優養成学科がある専修学校)などの出身。
声優になることを目指すには、声優の養成所や専門学校に通うのがもっとも一般的である。養成期間はおおむね1年から3年で、養成期間修了後に行われる所属オーディションに合格するとプロダクション所属となる。この時点では「新人」「ジュニア」「仮所属」などと称される見習い期間となる。見習い期間が終了し、内部審査を経て、認められた者だけが正所属(正規に所属する)となる。
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声優になることを目指すには、声優の養成所や専門学校に通うのがもっとも一般的である。養成期間はおおむね1年から3年で、養成期間修了後に行われる所属オーディションに合格するとプロダクション所属となる。この時点では「新人」「ジュニア」「仮所属」などと称される見習い期間となる。見習い期間が終了し、内部審査を経て、認められた者だけが正所属(正規に所属する)となる。
学生時代のうちもしくは卒業してから養成所に通う人間もいれば、社会人になってから養成所に通う人間もいる。また、学生時代でも中高生から通うことができる養成所もあり、10代もしくは20代前半でデビューしている声優には、子役出身や一般公募の他に中高生から通っていた者が多くみられる。
多くは学生時代のうちもしくは卒業してからの例だが、上記の大平透もフリーのアナウンサー・制作プロデューサー・ディレクターをへてTBS劇団に所属したように、養成所から声優になった者にも、他業種を経てもしくは並行して養成所に通う例は多い。若本規夫、茅野愛衣、金田朋子などは社会人を経て養成所に通うようになり、その後に声優となった。なお若本は元警視庁機動隊員で除隊後、茅野はセラピストをしながら、金田は製菓会社から銀行員に転職してから、それぞれ通っていた。岸尾だいすけは学校卒業後就職した半導体工場で3交代勤務、デビュー後も付き人やアルバイト生活後、井上和彦はプロボウラーを目指して、ボウリング場に就職した後、三木眞一郎はパティシエ、三宅健太はデパートのパン屋勤務を経て、木村亜希子は大学卒業後、就職しながら、こおろぎさとみは幼稚園教諭を4年間勤めて後、高橋直純は寿司職人見習いとアイドルユニットを兼務の後に、小林裕介は大手家電メーカーをへて、山崎和佳奈は大手電子機器メーカー勤務と並行して、近藤孝行は関西の鉄道会社勤務の後、楠田敏之は石油会社をへて、高森奈津美は声優になるため養成所に通う以前はJR東日本の駅員、中井和哉、永塚拓馬、掛川裕彦、原由実らは公務員務めと並行して、養成所へ通っている。
三石琴乃、高山みなみ、中原麻衣、田中敦子、皆川純子、洲崎綾、ファイルーズあいらは就職してOL時代並行してもしくは退職後に養成所に通い声優へとなる。
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三石琴乃、高山みなみ、中原麻衣、田中敦子、皆川純子、洲崎綾、ファイルーズあいらは就職してOL時代並行してもしくは退職後に養成所に通い声優へとなる。
橘田いずみが養成所に通う前にはレースクイーンの経歴がある。原奈津子はローカルタレントをへて養成所に通った。生天目仁美などは声優の専門学校から劇団(東京乾電池)を経て養成所に通ってデビューしている。販売店員(無印良品)と併業での女優をしていた小原好美も養成の学校を出て当初芸能事務所に所属してのちに声優事務所に移籍し声優業に転じた。女優・歌手の神田沙也加は後に声優としても活動し始めるが、それ以前から声優の養成学校に通って準備をしていた。佐々木李子も歌手としてデビューしてから、声優の専門学校へ進学し、その後声優も始める。石上静香も既に漫画家として連載を抱えていたが、後に養成所に通うようになって声優となる。 稲田徹は養成所と並行してプロレスラー志望でもあったが、そちらは怪我により断念している。
地方で他キャリアを積んでから上京して養成所に通う例もあり、今野宏美は高校生のころに地元の北海道でラジオのパーソナリティーをへて上京して、田村ゆかりも地元声優学校在籍中には地元KBCラジオでの番組内アシスタントを担当と並行してサラリーマン生活を経て上京してというケースである。
異色の経緯に児童劇団にいたことや特待生オーディションを受けた経歴をもつ大原めぐみの場合がある。彼女はすでに結婚し子供も出産して専業主婦をしていたが、27歳のときに養成所に通い始めている。
81プロデュースや賢プロダクションなどのプロダクションによる、専門学校や養成所からだけでなく一般からも募集する一般公開形式のオーディションも開かれているが、こうしたオーデションのグランプリ受賞者は特待生として経営する養成スタジオでのレッスンのほか、デビューだけではなくその後の長期的な声優活動をバックアックもなされる場合がある。
日本大学芸術学部、桐朋学園芸術短期大学、玉川大学、大阪芸術大学などの大学教育機関の出身者。広川太一郎、柴田秀勝、平野文、榊原良子、かないみか、うえだゆうじ、潘めぐみなどがいる。小山力也などは別の大学を卒業してからこれらの大学に進学した。
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日本大学芸術学部、桐朋学園芸術短期大学、玉川大学、大阪芸術大学などの大学教育機関の出身者。広川太一郎、柴田秀勝、平野文、榊原良子、かないみか、うえだゆうじ、潘めぐみなどがいる。小山力也などは別の大学を卒業してからこれらの大学に進学した。
子役が進学した例としては冨永みーな、平野綾、宮本佳那子など、在学中または卒業後に声優養成所に通う例としては石田彰、川上とも子、宮村優子などがいる。
舞台演劇やミュージカルで活動する舞台役者が、その後声優として長く活動するようになる例は、声優という職業が成立する時期から多く存在しており、大塚明夫、納谷悟朗など#舞台劇で紹介されたような面々らがこれに該当する。
吹き替えを中心に、俳優として活動してきた役者が声優としても長く活動するようになる例もあり、津嘉山正種、磯部勉などがこれに該当する。日野聡も児童劇団から舞台俳優となり、吹き替えを多く担当していた。
劇団や舞台での経験が声優業にも良い影響を与えているという意見もある。 内田夕夜や各務立基は劇団俳優座、折笠愛は文芸座や劇団創演、島本須美は劇団青年座出身の舞台女優、折笠富美子もSET劇団員をへて、緒方恵美や玄田哲章、三森すずこなどミュージカル俳優をへて声優に、大川透も声優になる前に10年間舞台活動を行っている。
朴璐美のように劇団所属中に、オーディションで役を射止めて声の仕事を得た例もある。劇団HIROZに所属していた小松昌平、劇団青年座研究所に所属していた島形麻衣奈らは新人発掘オーディションにて、松本梨香も大衆演劇の舞台女優から、舞台で共演した名古屋章の勧めでアニメ『新・おそ松くん』のオーディションを受け、声優となった。劇団にいた天麻ゆうきは、東京ミュウミュウ にゅ〜♡の一般公募オーディションに合格した事をきっかけに、芸能事務所に所属している。
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社会人経験や他分野から舞台演劇の世界を経て声優として活動するケースもある。たとえば大塚周夫は、ダンサーから劇団をへている。麻生かほ里は、日本銀行勤務を経て舞台・ミュージカル女優から転進。一条和矢は、大学時代のアマチュア放送劇団、サラリーマンをしながら素人劇団に所属しボイスドラマの自主制作などの経歴がある。緒方賢一は、板前修行の傍らで喜劇役者を目指し、舞台出演していた。竹内順子は、アルバイトでの政治秘書と並行して劇団に所属してから、千葉繁は、電気会社工場勤務から劇団に所属後に転進しアクション俳優やスーツアクターもこなしていたという。矢島晶子は勤めていた和菓子屋退職後に、頼み込んで出演することになった舞台を見に来ていたたてかべ和也にスカウトされ、その後テレビアニメのオーディションで選ばれ声優デビューすることになった。
速水奨は貿易会社勤務の傍ら劇団四季の研究所などに所属していた。劇団四季出身声優には速水の他に江原正士、増山江威子、遠藤晴、内田莉紗、石毛翔弥らがおり、吹き替えを多く手がける石波義人は現役団員である。
タカラジェンヌ出身の声優には太田淑子、葛城七穂、水城レナ、涼風真世、七海ひろき、森なな子などがいる。
児童劇団などに所属する子役が、アテレコ・声優の仕事をするようになったことがきっかけで、そのまま声優業を中心に活躍する例は、声優という職業が成立する時期から多く存在している。池田秀一、古谷徹、古川登志夫、吉田理保子、玉川砂記子、三ツ矢雄二、塩屋浩三・翼兄弟、岩田光央、本名陽子、愛河里花子、などがこれに該当する。近年では、宮野真守、内山昂輝、木村良平、入野自由、三瓶由布子、木村昴、飯田里穂、悠木碧、喜多村英梨、小野賢章、豊永利行、花澤香菜、日高里菜、小倉唯、白石晴香、宮本侑芽、諸星すみれ、黒沢ともよなどがこれに該当する。
通常は児童劇団出身が大半であるが、千葉紗子や南里侑香、小林晃子、滝田樹里、中山理奈など南青山少女歌劇団や、キッズモデルから歌手活動を経て声優になった小林愛香、主に少女モデル業をしていて、事務所内で声優部門に移籍した上坂すみれのケースなどもある。春川芽生もニコモになって所属した事務所内で後に声優部へ移動している。
直接声優を募集するコンテストで入選したことがきっかけで、声優として活動するようになった例もある。
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直接声優を募集するコンテストで入選したことがきっかけで、声優として活動するようになった例もある。
声優志望者のオーディションでは、全国からオーディションで人材を集める。実際、声優事務所とアニメ制作会社や雑誌社が組んで行う、主役声優の一般公募、事務所独自で行うオーディションもある。
一般公募であれば、全国から人を集められるほか、オーディションに応募するというモチベーションが高い人材が集まることで、そこから優秀な人が出てくる確率がかなり高いとみている。
大橋歩夕、真堂圭、曽田光星、沢城みゆき、小坂井祐莉絵、今井麻美、井上麻里奈、佐々木未来、井口裕香、伊藤彩沙、後藤沙緒里、榊原ゆい、三澤紗千香、豊田萌絵、伊藤美来、斉藤朱夏、高本めぐみ、進藤あまねら、高校で演劇部や放送部などで鍛えておいて、または興味で直接公募された一般公募オーディションに出場して合格し声優になる例のほか、声優志望者からなる福岡県のローカルアイドルユニット小梅伍の経験があったが保育士から転じた阿澄佳奈は2005年(平成17年)での公開オーディションで、ジュニアアイドルの経験はあった水瀬いのりも公開オーディションであるソニー主催のアニストテレス入賞によって、声優になっている。アニストテレス出身者のうち、伊波杏樹は専門の学校出身者であるが、声優教育を受けていない楠木ともり、たけだまりこ(現・武田真理子)らは歌手志望でコンテストに臨んでいる。
種田梨沙は通っていた学校の都合もあって結果として養成所に通わず、なる足がかりとして『智一・美樹のラジオビッグバン』のアシスタント募集に一般応募し、アシスタントを1年間勤めた。その後、所属事務所が実施していた研修生オーディションを経て事務所に所属して、栗林みえは1996年にコナミが開催した『ときめきメモリアル』のイメージガールを決定する「ときめきティーンズコンテスト」で、鈴木みのりは2014年に行われたマクロスシリーズ新作テレビアニメの「新歌姫・声優オーディション」合格をきっかけに声優となる。
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ミュージックレイン所属で同事務所主催の公募オーディションで選出されたメンバーによる声優ユニットのうち、スフィアでは戸松遥以外は寿美菜子は子役や学校に、高垣彩陽は大学で声楽を専攻していた、豊崎愛生は高校時代から地元のTV番組やCMなどで芸能活動していたが、一方でTrySailの3名は、実績など無く同オーディションに応募し合格し声優となっている。
エイベックス と 81プロデュースが組んで、行われた「アニソン・ヴーカルオーディション」でメンバーを選んで結成した声優ユニットのうち、i☆Risでは山北早紀、芹澤優、若井友希らは養成所などに通っていたが、茜屋日海夏、久保田未夢、澁谷梓希らは養成所などを経ず上記オーディションでの選出。またWUGのうち、吉岡茉祐は子役の実績はあったが、他のメンバーら(永野愛理、田中美海、青山吉能、奥野香耶、山下七海、高木美佑)同様、養成所など経ず上記オーディションでの選出である。81プロデュースでは近年同事務所所属の人気声優は軒並み毎年一般公募で8月に開催されている81オーディションでデビューしている。2022年には81プロデュースは合格者は同プロダクションの所属とユニバーサルミュージックからのアーティストデビューが約束される、声優ガールズユニット発掘プロジェクト「SUN AUDITION」を実施。
スターダストに所属するサンドリオンのメンバーも黒木ほの香や劇団にいた小山百代の他は、事務所が主催したオーディションをへて事務所に所属してから演技経験を積んでいる。
2011年度の「第36回ホリプロタレントスカウトキャラバン 次世代声優アーティストオーディション」出身のうち、大橋彩香は子役経験があったが、高橋花林は遠藤ゆりか、花守ゆみり、加地綾乃らも輩出した「ぽにきゃん声たまグランプリ」、木戸衣吹は『天才てれびくんMAX』の視聴者参加型企画「全国声優オーディション こえたまごっ!」など複数の公募オーディションを経て、田所あずさ、Machico、山崎エリイに至っては他未経験での参加であった。富田美憂も未経験者の前田佳織里、夏吉ゆうこ、三浦千幸らも輩出した「声優アーティスト育成プログラムセレクション」や小田紗弓を輩出した「アニソンスター☆誕生!(アニ☆たん!)」などに応募し声優になっている。
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2017年に行われた声優アーティストオーディション「ANISONG STARS」ではアクターズスクール広島出身の吉武千颯のほかは熊田茜音、後本萌葉らを輩出。
声優アワード#新人発掘オーディション出身者では鴨池彩乃、拝師みほ、三川華月、織江珠生、岩川拓吾、土師亜文、青木瑠璃子らが直接である。
他にも「全日本アニソングランプリ」、国際声優育成協会主催のオーディション声優コンテスト『声優魂』、博報堂による声優オーディション企画「全日本美声女コンテスト」など、一般公募のコンテストが開催されている。こうしたコンテスト出場・入賞をきっかけに、養成所に入所する例や、出場がきっかけで直接プロダクションに所属する例もある。
花江夏樹は直接プロダクションにアプローチしたが、こうした例はレアケースとして知られる。ただし研音など事務所側で募集をしている場合も実際に存在する。他にスターダストプロモーションが声優オーディションを、大沢事務所が研究生募集のオーディションを手掛ける。
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子役や劇団所属の舞台俳優からの転身の他は、アイドル、グラビアアイドル、歌手、モデル、特撮番組系俳優、お笑いタレント、レポーター、コスプレイヤーなどといった経歴のタレントが、声優の仕事をするようになったことがきっかけで、もしくはオーディションで役を得て、そのまま声優業を中心に活躍する例がある。例えば養成所で芝居は学んでいる原田ひとみは歌手としてスカウトされ、当初は歌手活動をしていた。高槻かなこはアニソン歌手を目指して配信などの活動を経て歌手デビューし、後に声優デビューしている。仲村宗悟は声優アーティストになる前は音楽活動のみをしていた。桃井はるこはマニア向けのアイドル活動からラジオパーソナリティも行い始め、のち誘いを受けて声優の活動も開始していった。近藤玲奈は声優になるまではラブベリーナ、久保ユリカはニコモを経ており、久保はグラビアアイドルをしていた。飯田里穂も子役からグラビアアイドルを経ている。小林晃子はアニラジのがやオーディション、宮本佳那子は挿入歌の歌唱オーディションから、松井菜桜子、千葉千恵巳、落合祐里香、大野まりな、柚木涼香らもなるまでには映画女優、ヌードモデルなど、山本彩乃はグラビアアイドル、小林ゆうは高校時代の雑誌モデル、工藤晴香はファッション誌モデルであった。中島愛、明坂聡美、小松未可子らも選出オーディションはアイドルオーディションで、ゆりんはホリプロ時代はタレント業、MAKOはガールズバンドグループ活動休止の後、後藤友香里はAAAの追加メンバーから声優ユニット「Trefle」へ、飯島綾子や岩男潤子はアイドルから童謡歌手を経て、森田成一は俳優を経て2001年から、声優へと転進している。藤村知可は、レポーターなどのタレントをへて、2006年以降に声優業が中心になる。小岩井ことりは知人から頼まれてメイクのモデルをしたのをきっかけに声の仕事(ナレーション)を紹介され、その後声優になるきっかけを掴むために地元関西でテレビ番組やCMのナレーションなど様々な仕事をしていたし、立花理香は大学院在学中に芸能事務所にスカウトされて、声優になるまではタレント業を行っていた、儀武ゆう子は高校2年生の時から地元沖縄で戦隊ヒーローものの子供ショーの司会やまつりのアナウンスも担当し、上京後もイベントのMCや地方ケーブルテレビのリポーターなどの仕事をしていたという。
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アイドルから声優への転身は前述の飯島や岩男(いわお潤)、小松のほかは山本百合子、日髙のり子や佐久間レイ、岡谷章子(岡寛恵)、松本裕美(大野まりな)、宍戸留美、桜井智、千葉千恵巳、徳永愛、水野奈央子(水野愛日)、千葉紗子、高橋美佳子、平田裕香の例が知られるが、特に2010年代になって以後は、現役アイドルのまま声優としても活動する人間が登場、増加するようになっている。一例として、仲谷明香(元AKB48)、前島亜美(元SUPER☆GiRLS)、佐武宇綺(9nine)などが挙げられる。
一方で、声優になるための足がかりとして、アイドルをしていた例や、歌手(#声優アーティスト)になるための足がかりとして、声優を目指す例もみられる。福井裕佳梨は最初芸能事務所に所属して仕事を始めたので、キャリア初期にはものまねやグラビアアイドル活動などのアイドルタレント業を多くこなしていた。秦佐和子はアキバ関連を扱う雑誌に載っていたオーディションの募集だということで、SKE48になるのが声優への近道と思っていた。夜道雪は地元で10代の時にスカウトされたことをきっかけにローカルアイドルとして活動の傍ら、配信ゲームで声を当て、上京した後も養成所に通いながら独力でYouTube活動とコスプレーヤーをしながら声優への道に進んでいる。
異色の例に、郷田ほづみ、竹内幸輔のように芸人や、相羽あいなのように女子プロレスラーという異例の経歴をもって声優を行っている者なども知られる。また清水愛は声優界初の兼任女子プロレスラーとして知られる。
エリック・ケルソーは元々映像監督であったが、来日後にナレーター、英語吹き替え、ラジオパーソナリティと活動分野を広げアニメやゲームの声優としても活動している。
俳優・歌手・音楽家・アイドル・グラビアアイドル・モデル・お笑いタレント・スポーツ選手・著名人が、声優活動をすることや、作品によって声優に起用されることがある。
アニメーション作品においても、本人役という手段で作品に登場させ、本人にアテレコをさせる例は多い。
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俳優・歌手・音楽家・アイドル・グラビアアイドル・モデル・お笑いタレント・スポーツ選手・著名人が、声優活動をすることや、作品によって声優に起用されることがある。
アニメーション作品においても、本人役という手段で作品に登場させ、本人にアテレコをさせる例は多い。
もともと、専業の声優が確立されていなかった時代、東映動画の長編作品のころから、長編アニメーション映画において、ほかの芸能人・著名人などを声優に起用することは珍しくない。1990年代以降のスタジオジブリ制作作品、2000年代以降のスタジオ地図制作作品に至るまで、こうした傾向は現在でも続いている。スタジオジブリの鈴木敏夫はジブリが本職の声優ではない人物を使う理由について、『ジブリの教科書3 となりのトトロ』では、プロの声優について「『わたし、かわいいでしょ』みたいな」声への違和感、そしてプロの声優を使わないことについては『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』にて、『耳をすませば』で月島雫のお父さん役をつとめた立花隆との対談で、『となりのトトロ』のオーディションの際に声優であるとやっぱり普通のお父さんになってしまうため、おとうさんっぽくない感じを求めて糸井重里を、『耳をすませば』の雫のお父さんも同様の見解で立花を選出しており、声優の芝居はハレとケにわけると「ハレ」であるが、日常芝居が多いジブリ映画で実際にほしいのは「ケ」であるとしている。
なお、副業でできる声優としてオーディオブック、朗読のアルバイトなど、声で稼げる仕事として求人サイトやバイト情報、クラウドソーシングで募っていることがある。
第1次声優ブームに行われたアテレコ論争では、声優の地位問題が提議されている。アテレコの演技性を巡っては、俳優の起用は暫定的なものに過ぎず、「落語家でもアナウンサーでも、観光案内係でも、声を使う職業の人の中から選ばれてもよいことだ」という意見も示されている。
「吹き替え・アテレコ調」を「新劇調」「翻訳劇調」と並んで嫌う演劇家も存在する。
アニメ監督の高畑勲は、プレスコを採用した『平成狸合戦ぽんぽこ』で落語家の柳家小さん、アナウンサーの福澤朗などを起用している。
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「吹き替え・アテレコ調」を「新劇調」「翻訳劇調」と並んで嫌う演劇家も存在する。
アニメ監督の高畑勲は、プレスコを採用した『平成狸合戦ぽんぽこ』で落語家の柳家小さん、アナウンサーの福澤朗などを起用している。
ミッキーマウスの声優をつとめていた青柳隆志は、大学教授が本業であり声優は副業であった。小鳩くるみ時代役者や司会者であった鷲津名都江も大学教員となってからも自身が演じた『アタックNo.1』の鮎原こずえ 役やディズニー映画『白雪姫』の白雪姫 役の声をのちにゲーム機(CRぱちんこアタックNo.1(2007年)やキングダム ハーツ バース バイ スリープ(2010年)やKinect: ディズニーランド・アドベンチャーズ(2011年))でも声を担当した。
アニメ監督の宮崎駿は、「映画は実際時間のないところで作りますから、声優さんの器用さに頼ってるんです。でもやっぱり、どっかで欲求不満になるときがある。存在感のなさみたいなところにね。」という見解を示した事があり、『となりのトトロ』ではコピーライターの糸井重里を起用している。直近の長編作品である『風立ちぬ』においてもアニメ監督の庵野秀明を起用し、「逆に庵野(秀明)もスティーブン・アルパートも存在感だけです。かなり乱暴だったと思うんですけど、その方が僕は映画にぴったりだったと思いました。」とその意図を説明している。
劇中でテレビニュースが映る場合は、リアリティを重視して放送局に所属する本業のアナウンサーを起用する例があり、フリーアナウンサーの松澤千晶はアナウンサーやレポーター役としてのみ出演している。
なお、ナレーションやアナウンスも声優の仕事の一部であるが、フリーアナウンサーが声優という肩書きで活動することはない。黎明期には局のアナウンサーが声をあてた事例もあるが、現代では演技を行わないアナウンサーと声優は、別の職業としてとらえられている。
まれに制作スタッフや原作者などの関係者がエキストラやゲストキャラクター役の声優として起用されることもある(カメオ出演)。
劇中に楽曲、歌唱が重要な役に抜擢されることもある。
前述1980年代初頭のリン・ミンメイ役の飯島真理、『魔法の天使クリィミーマミ』の太田貴子のほか、『竜とそばかすの姫』の中村佳穂、『魔法のスターマジカルエミ』の小幡洋子などのケースがみられる。
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まれに制作スタッフや原作者などの関係者がエキストラやゲストキャラクター役の声優として起用されることもある(カメオ出演)。
劇中に楽曲、歌唱が重要な役に抜擢されることもある。
前述1980年代初頭のリン・ミンメイ役の飯島真理、『魔法の天使クリィミーマミ』の太田貴子のほか、『竜とそばかすの姫』の中村佳穂、『魔法のスターマジカルエミ』の小幡洋子などのケースがみられる。
ディズニー公式動画配信サービスの『ソウルフル・ワールド』ではグラミー賞アーティストが声優参加しており、日本語版も瑛人がストリートミュージシャン役の日本版声優としてカメオ出演する。
『とっとこハム太郎』のミニハムずや『ゾンビランドサガ』のホワイト竜のように、本人らをイメージしたキャラクターを当てる手段や、山崎ハコが『ちびまる子ちゃん』に本人役で出たケースもある。
『BanG Dream!』プロジェクトのバンドユニットのうち、RAISE A SUILENに参加するRaychell、夏芽は他グループのバックバンドもつとめていたミュージシャン、小原莉子は並行してバンド活動をしていた。Morfonicaに参加する西尾夕香もDJなどの音楽活動、mikaはドラマー、Ayasaはバイオリニストである。
役者ではないため本格的な声優業は無理という意見もあるため、歌唱シーンだけ歌手が担当するダブルキャスト方式もある。
ぴえろ魔法少女シリーズのように歌手に声優を担当させている作品など、1980年代前半には新人女性歌手をアニメとタイアップさせて主題歌を歌わせ、役も与えるという手法が派生していた。前述の飯島や太田らだけでなく、志賀真理子や宮里久美らも同時期に同様のスタンスでデビューを飾っており、このことがのちの#アイドル声優の先駆けとして紹介されることもある。1990年代でも当時歌手デビューしていた仲間由紀恵などが『HAUNTEDじゃんくしょん』出演をきっかけに「女子高生アイドル声優」という売り出し方をされていた。
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テレビ人形劇では声優の仕事が確立される以前から放送されたこともあり、俳優や劇団員が起用された。その後俳優が選ばれることが多く、2014年(平成26年)に放送された人形劇『シャーロック ホームズ』では俳優と声優が混在して起用された。海外ドラマの吹替においても、最初からアニメ声優を目指した声優を生み出し、声優に特化した芸能事務所や声優養成所の伸長に繋がっていた第二次声優ブーム以後も、前述のとおり1982年の海外ドラマ『遥かなる西部 わが町センテニアル』の吹替放や第三次声優ブーム期1996年『ER緊急救命室』吹き替え放送で劇団に所属する俳優の起用など、俳優が起用されるケースはいくつかみられた。
映画では、前述の『幻魔大戦』『紫式部 源氏物語』『もののけ姫』以後も、俳優が起用されることが多い。
俳優を多く起用するアニメ監督もおり、原恵一は他の芸能人や劇団の子役・俳優を声優に起用している。富野由悠季は、声優の演技は型にはまっていると批判したことがあり、主役に劇団出身者や新人声優を多く起用している。押井守は、存在感と新鮮さが声優に勝ることがあるとして、複数の作品に俳優の竹中直人を起用しており、『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』ではメインキャラクターに俳優を起用した。
テレビアニメ作品では『ムーミン』(1969年〈昭和44年〉)の岸田今日子、NHK版『スヌーピーとチャーリー・ブラウン』(1972年〈昭和47年〉)の谷啓やうつみみどりなどが選ばれ、フジテレビ「日生ファミリースペシャル」枠のアニメ『坊っちゃん』『姿三四郎』(1980年〈昭和55年〉)では西城秀樹がつとめた。長期にわたり放送された『まんが日本昔ばなし』では市原悦子と常田富士男が、『まんが世界昔ばなし』では宮城まり子と名古屋章らが声優を務めていた。
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その後も監督が抜擢するなどして、俳優が選ばれる例がある。『ノブナガ・ザ・フール』では原作・シリーズ構成の河森正治が宝塚歌劇団を取材した際、現役タカラジェンヌである七海ひろきの舞台を見て抜擢した。七海は宝塚退団後も俳優兼声優として活動している。『富豪刑事 Balance:UNLIMITED』では監督の伊藤智彦が有名声優を使うことよりも作品のオリジナリティを重視したことや、大富豪である主人公の存在感を際立たせるため、イメージに合う声としてダンサー兼俳優の大貫勇輔を抜擢した。『彼氏彼女の事情』で声優に起用された本谷有希子はのち劇団を主宰する舞台女優かつ劇作家、芥川賞作家である。
上述の俳優が声優に起用されることに関して、アニメを多く手がける脚本家の首藤剛志は「マイクの前で声を出しているだけの声優よりも、声優としての技量が劣っても、実際に観客の前で芝居をする俳優が買われているのではないか」と述べている。
俳優の納谷悟朗は舞台も声優も同じであるとし、その上でアテレコの難しさとは声を当てる対象が行う芝居の把握にあると説いている。声優を目指す者に対しては「基本でしょう。さっき言った、いわゆる舞台という演技の基本をきちんとしないとだめだっていうことですね」と述べている。
俳優の矢島正明は声だけで入ると己で役を肉体化する基本が抜け落ちるとし、声の仕事を目指す者に対しては「『声だけだから簡単だわい』、と思わないでほしいなということがまず第一です。声優を志すならば、やはり芝居から入ってほしいと思います」と説いている。また、後進たちに対しては「このごろの吹き替えの世界で、芝居の人たちが席巻してきているということは、声優として純粋に育ってきた人たちは何か危機感を感じなければならないと思うんですよね」とも述べている。
俳優の野沢那智はハリウッド映画の俳優・女優が百戦錬磨の役者である事を強調し、「だから、役者として必死に修行しないと、アテレコなんてやっちゃいけないんだと思うんだよね」と述べ、アテレコの心構えを彼らと同じだけの芝居ができるようになる事に求めている。
女優の戸田恵子は自身の声優観を「役者として怠っていることがなければ、それは声優としてもOKということ。私は『声優であるために』と思ってしていることは、一つもありません」とし、役者の仕事と何ら隔たりはないと述べている。
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女優の戸田恵子は自身の声優観を「役者として怠っていることがなければ、それは声優としてもOKということ。私は『声優であるために』と思ってしていることは、一つもありません」とし、役者の仕事と何ら隔たりはないと述べている。
声優の難波圭一は「いいですよね。ぼくは声優という小さな世界がなくなることを望んでいます」と肯定的な考えを持っている。
俳優などを多く起用するゲームシリーズ『龍が如く』では、ある有名俳優を起用したが事前準備もされずに収録に臨まれ、演技がなかなか上達せず横山昌義の指示で何度もリテイクが行われ、時間をかけてその場面の距離感や感情を説明して及第点といえるところまで収録できたが「同じ苦労をした別の役者に申し訳ない、妥協はしたくない」として仕方なく降板してもらったという事例もある。
女優の吉岡里帆は声優は完全に別職業であるとして、「今後、もし万が一『吉岡里帆の声でなくては成立しない』というような話があれば、それはとてもうれしいですし、ちゃんと勉強して挑みたいです」と述べている。
女優の夏木マリは声の仕事を音のテンポや高低や強弱など、いろいろなものを体をつけてやる全身運動だとする見解を示している。俳優として巡りあったことは非常にラッキーであり、「俳優さん、全員がやられたほうがいいと思うくらい、勉強になるいい仕事だと思います」と述べ、吉岡里帆にも勧めている。
東映の特撮変身ヒーロー作品、とりわけ「仮面ライダーシリーズ」の「昭和ライダー」最終作にあたる『仮面ライダーBLACK RX』および「スーパー戦隊シリーズ」では、『炎神戦隊ゴーオンジャー』に至るまで長きにわたりオールアフレコで制作されてきた。
いわゆる「平成ライダー」第1作にあたる『仮面ライダークウガ』および『侍戦隊シンケンジャー』から、俳優が顔出しで演じるシーンは基本的に一般的なドラマと同様の撮影同時録音方式に切り替えられたものの、現在でもスーツアクターが演じる変身後のシーンなど番組制作の各所でアフレコが多用されているため、特撮番組に出演経験のある俳優は、声優としての演技経験を事実上しているとも言える。特撮番組で出演経験のある俳優がアニメなどの声あてをすることもあり、中には松風雅也、土田大、中田譲治、市道真央など、声優を本業として転向した者もいる。
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特撮に登場する怪人など人間の姿ではないキャラクターの声には、最初から声優が起用されることもある。
曽我町子、内田直哉、西凜太朗、小川輝晃、岸祐二、菊地美香、五代高之、植村喜八郎、望月祐多、池田純矢、相葉裕樹など、特撮番組を経験した俳優には声優と両立する者が多い。
お笑い芸人としては、ルパン三世の物真似から山田康雄の死去に伴いルパン役の声優をやることになった栗田貫一、『アイシールド21』(2005年〈平成17年〉〜2008年〈平成20年〉)の田村淳、『天体戦士サンレッド』(2008年〈平成20年〉)の山田ルイ53世、アニメ版『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のコント赤信号の二人(ラサール石井や小宮孝泰)などが知られる。また、声優も務める山本高広などは、もともと声優を目指していた。アメリカザリガニの柳原哲也は、特徴的な声質を活かし、多くのアニメ作品で声優を務める。またこうした面々がコメディアンやお笑い芸人役で起用される例もある。
アニメ映画では俳優同様のゲスト出演が大半であるが、コメディアンは元々コントや漫才でさまざまな役柄を使い分けることもある。このため、俳優やタレントに比して優れた演技力を持つものが多く、違和感なくすんなり作品を楽しめることが多いという声もある。
声優と講談師を兼業する一龍斎貞友、六代桂文枝門下でラジオパーソナリティDJ・ナレーションを本業で声優業もこなす高杉’Jay’二郎(亭号は初代三枝亭二郎)、声優芸人という肩書きで活動する、元声優のよしもと芸人あつひろなども知られる。
金谷ヒデユキも漫談家と声優を並行している。
2010年代から歌い手のそらるがタイアップでいくつか起用されているほか、2018年(平成30年)にはバーチャルタレントを対象に、声優出演・アニメエンディング曲担当の権利をかけたオーディションを実施したTVアニメ『賢者の孫』ではオーディションを勝ち抜いた吉七味。が声優およびEDテーマを担当、また特別賞を受賞した雛乃木まやが声優として出演する。
『ジャヒー様はくじけない!』では動画配信者たちがキャスト出演や主題歌アーティストなどを務めている。
『100万の命の上に俺は立っている』に、にじさんじの樋口楓と静凛が出演し、さらに樋口楓がOPテーマ「Baddest」の歌唱に起用されている。
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『ジャヒー様はくじけない!』では動画配信者たちがキャスト出演や主題歌アーティストなどを務めている。
『100万の命の上に俺は立っている』に、にじさんじの樋口楓と静凛が出演し、さらに樋口楓がOPテーマ「Baddest」の歌唱に起用されている。
『ルパン三世PART6』や『邪神ちゃんドロップキック』の3期にもバーチャルYouTuber(VTuber)が声優として出演。
2020年(令和2年)以降、ホロライブなどに属するVTuberの声優業進出が盛んとなっている。
その他テレビアニメ『探偵はもう、死んでいる。』では白上フブキと夏色まつりがそのままの役としての出演を果たしている。こうしたアニメでの活躍もアニメキャラクターがまるで実在しているかのような設定で活動しているのではなく本人役でのアニメ出演は実在のタレントが本人役として登場する形に近い。基本的にVTuberは、バーチャルタレントであるライバーの姿そのものが本人という設定である。このため存在としては実在の声優やアーティスト、YouTuberに近い。
図式としては、すでにキャラクターを演じているVTuberが、アニメやゲームのキャラクターを演じることになる。VTuberというバーチャルタレントには中の人と呼ばれる演者(モーションキャプチャーなどの際)と声をあてる人物がおり、声優が行っている場合もある。
AI音声も2020年代には技術的により人に近い音声読み上げが実現可能になっており、上記のボイスドラマもすべてAIの音声合成技術を使用して実行する「オトシネマAI」シリーズ、さらに『れいぞうこのつけのすけ!』のように、テレビアニメとして初めて全キャラクターの声をAI(コエステーション)にした作品も出現、多くの声が必要なコンテンツにAIが利用されている。
映画では作品の質よりも話題性を狙って芸能人・著名人などを声優に起用するということも多いため、芸能人・著名人などの声優起用に批判が出ることもある。
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映画では作品の質よりも話題性を狙って芸能人・著名人などを声優に起用するということも多いため、芸能人・著名人などの声優起用に批判が出ることもある。
2007年公開のアニメ映画『ザ・シンプソンズ MOVIE』や2012年(平成24年)公開の映画『アベンジャーズ』などで、これまでのシリーズで日本語吹き替えを担当していた声優を、新作映画で俳優・タレントに交代する事態が発生しており、企業への批判が殺到した。『ザ・シンプソンズ MOVIE』『TAXi4』『エクリプス/トワイライト・サーガ』ではソフト化に伴い、劇場公開版に加え、もともと担当していた声優陣による新たな吹き替え版が同時収録された。しかし、ソフト化の際に劇場公開版のみが収録される作品が大半である。特に『アベンジャーズ』ではキャスティングの変更などに対する批判のコメントがAmazon.co.jpの本作品のレビュー欄に殺到する事態となった。2012年(平成24年)公開の映画『プロメテウス』の主人公エリザベス・ショウ役の吹き替えにタレントの剛力彩芽が起用された際、ソフト化に際して変更もなかったため『エイリアン』シリーズのファンなどから酷評され、Amazon.co.jpのレビューが炎上した。
劇場公開版では芸能人や芸人が吹き替えを担当した作品のうち、『じゃりン子チエ』のように、テレビアニメ化の際に一部キャストは声優に変更しているものや、『ターミネーター3』や『サイレントヒル: リベレーション3D』のように、ソフト版では声優に差し替えて収録する場合もある。また、『X-MEN:フューチャー&パスト』のように、新規バージョンをソフト化する際に収録し直す例もある。
2004年(平成16年)公開のアニメ映画『イノセンス』では、プロデューサーの鈴木敏夫が大物俳優の起用を立案し、草薙素子役を田中敦子から山口智子に変更しようとしていたが、スケジュールの都合に加えて「できあがっているイメージを変えるべきではない」と出演を固辞した山口と、監督や声優陣の反対により田中が続投したということがあった。
オリコンスタイルで「タレント(芸能人や著名人など)を声優に起用するべきか、それともしないべきか」というアンケート調査を2014年(平成26年)に行ったところ、ほぼ半々に意見が分かれた。
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オリコンスタイルで「タレント(芸能人や著名人など)を声優に起用するべきか、それともしないべきか」というアンケート調査を2014年(平成26年)に行ったところ、ほぼ半々に意見が分かれた。
2020年(令和2年)に大ヒットを記録した『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』では、新登場したキャラクターも含め全員を声優で固めているが、前述の『THE FIRST SLAM DUNK』も声優で固めており、これらがタレントを起用せずともヒットすることを示した。
2000年代以後、声優が歌手や俳優(特に舞台)など、ほかの分野での芸能活動をすることが特に顕著になった。
声優がほかの分野での芸能活動をする例のひとつとして、俳優活動が挙げられる。理由として「声優さんには『ああ、あの声の人だ』という知名度ならぬ『知声度』があるので、仮に顔がいまいちわからなくても、『声』がわかったときの感動や話題性があるから」が挙げられる。
ただし、キャラクターと声優の間に相関性を構築し、その結びつけをする役割を果たす媒介として、これまでは声が最も大きな役割を果たしてきたが、2007年(平成19年)のブシロードなど、後にメディアミックスを展開する企業も設立されて以降はさらに進んで、アニメやコンピュータゲーム作品そのもの単体で行われるのではなく、作品に関わるイベント出演(顔出し)やラジオなどの要素も色々用いて結びつけが行なわれていく。アニメの視聴者はキャラクターの声を演じる声優であるという認識をしていることが前提となることで、以降から声優とキャラクターを結びつける要素は声だけではなく、視覚的要素と特定の声優個人についての認識に依るものになっている。
他方、俳優活動の中でも、舞台での活動と両立する声優が少なくないが、理由として「舞台はやり直しができず、実際にその芝居や息づかいが観客に見られていることで、それが声の芝居に生きるから」などが挙げられている。
田中真弓は現在も舞台を手がけており、てらそままさきも俳優活動と並行して特撮キャラクターのアテレコを行っていたほか、中田譲司も元々俳優業に力を入れていた。
また、声優が歌手などの活動と両立させる例が、特に2000年代以後に顕著になっているが、これについては下記の節にて述べる。
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田中真弓は現在も舞台を手がけており、てらそままさきも俳優活動と並行して特撮キャラクターのアテレコを行っていたほか、中田譲司も元々俳優業に力を入れていた。
また、声優が歌手などの活動と両立させる例が、特に2000年代以後に顕著になっているが、これについては下記の節にて述べる。
2014年(平成26年)にはオスカープロモーションと青二プロダクションが共同で開催した容姿と声の2つの要素に ""「美しさ」を兼ね備えた女優・声優を発掘する"" 「第1回全日本美声女コンテスト」が開催された。おもな出身者に漫画家、アイドルとして活動する辻美優、花房里枝にピアニスト、ファッションモデルなどの活動をする入江麻衣子が挙げられる。
栗林みな実、桃井はるこ、牧野由依など、他の声優に楽曲を提供するソングライターをしている例、白壁爽子、伊藤しずなはグラビアアイドル活動と、榊原ゆいや能登有沙は振付師、モーションアクターとしても活躍している。
この他、野村道子、豊崎愛生や斉藤朱夏などが務めた、朝の情報番組でのお天気お姉さんというのもある。
また声優は#ナレーション・アナウンスにあるとおりCMの仕事も従来は当然ながら「声」を使ったものが主であったが、演者としての顔出し出演や白井悠介のようにダンスをするキャストとして起用されるなどの場合もある。
お笑い方面へは、声優としてデビューした後芸人に転向しつつ声優活動もこなす、こやまきみこ(お笑い芸人としてネタ見せをする際には「きみきみ」名義)の例があった。NSCに入学し、2010年(平成22年)には吉本興業に移籍するなどで2011年(平成23年)まで芸人活動を行なっていた。また六代目三遊亭円楽を父に持ち、落語家活動も行っているが青二プロに所属し声優業をする会一太郎(高座名は三遊亭一太郎)もおり、塩屋翼や木村昴も噺家の高座名を持っている。
声優もSNS活動の他、YouTuber活動として専用チャンネルを開設し配信を行っているものも幾人かある。例えば花江夏樹や杉田智和のチャンネルは登録者数も数百万人を超えているほど人気を博す。
歌手などの活動と両立させる声優について、「アイドル声優」あるいは「声優アーティスト」と表現する例が多い。
アイドル声優とは、第3次声優ブームと称されていた1990年代半ばごろから出てきた俗称。このころにはボイスアイドルとも呼ばれた。
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歌手などの活動と両立させる声優について、「アイドル声優」あるいは「声優アーティスト」と表現する例が多い。
アイドル声優とは、第3次声優ブームと称されていた1990年代半ばごろから出てきた俗称。このころにはボイスアイドルとも呼ばれた。
本業にとどまらず、歌を通してそのCDを発売、ライブを開催するなど歌手活動をする、声優専門誌や漫画雑誌などのグラビアに登場する、写真集やイメージビデオを発売しCMに出演する(これはいわゆる「Web CM」を含む)プロモーションビデオを制作するなどといったアイドル的活動を行う声優を指すことが多い。
戦前に遡るとラジオドラマで活躍した飯島綾子も流行歌・童謡などレコードを何枚か出していて、日本舞踊家でもあった。その後の横山智佐、氷上恭子、國府田マリ子、宮村優子など、1990年代にデビューしそうした活動を行う声優らも、その多くは前述の声優養成所で養成された声優が、それ以前にアイドルとしての活動経験/アイドルからの転進組などではない。しかし、こうした声優がマス・メディアに広く露出をしたことによって、1990年代の声優人気の受容は、それ以前の受容とは異なる状況を呈したが、特にこの時期から養成所を出たばかりの新人声優の報酬を安定させることを目的のひとつに声優の活動するメディアの拡大が計られ、その商業的な戦略のひとつとして様々な媒体を介した声優の顔出しがはじまったものとも推測されている。「VOICE Newtype」誌の吉本隆彦は、声優はキャラクターに声を吹き込むほかにキャラクターソングを歌うことになれば作品の顔となっており、必然的に声優も注目されうるが、こうした状況下でアイドル声優は90年代後半から2000年代にかけてブームという状態を経て、ひとつのジャンルとして確立されたとし、それは当時からオリコンチャート上位にもランクインする音楽シーンをみても明らかとしている。そしてこのことが時代のニーズに応えているとし、加えて何万人もの聴衆を魅了できるのも、キャラクターに声を吹き込む声優はエンターテナーとしての資質と、アーティストとしてのポテンシャルが高いためであるとしている。もとのブームからの傾向としては女性声優が台頭したが、流れで男性声優も女性ファンの心もつかんでいき人気になっていったとしている。
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2010年代半ば以後には宮野真守、平野綾、内田真礼、竹達彩奈、戸松遥、三森すずこ、佐倉綾音、逢田梨香子、斉藤朱夏、小倉唯などのように、マニア向けでない一般の漫画雑誌などでのグラビアに登場する、アイドルのような立ち位置で顔出しでCMに出演する例やバラエティ番組やクイズ番組のゲストとして出演する例が増加するようになっている。
さらには、アイドル主体のアニメ・ゲーム作品における担当アイドル(キャラクター。つまりアイドル役)を、そのまま実際のライブで再現する声優ユニットも登場し、専業のアイドルと比べても遜色のない例も存在する。例えば『きらりん☆レボリューション』の月島きらり starring 久住小春 (モーニング娘。)、アイドルマスターシリーズ(『THE IDOLM@STER』・『アイドルマスター シンデレラガールズ』・『アイドルマスター ミリオンライブ!』・『アイドルマスター SideM』)、ラブライブ!シリーズのμ's・Aqours、Wake Up, Girls!、プリパラのi☆Risなどがある。
特に「ラブライブ!」シリーズのキャストは歌唱力やダンス力を重視したオーディションにより、それまで声優経験が皆無であった(女優などの他業種出身のメンバーに加えて、芸能界での活動経験自体がなかったメンバーもいる。楠田亜衣奈、降幡愛などがこれに該当)起用者も多くいる。
実際、i☆Ris、Wake Up, Girls!のほかに22/7などのように、「声優とアイドルの両立を謳うグループ」が増加するようになっている。上智大学のミスコン優勝の鳥部万里子、ミス日本コンテスト2020・ミス着物に選ばれた青木胡杜音など、容姿に自身のある人物が声優を目指す例も増えた。
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実際、i☆Ris、Wake Up, Girls!のほかに22/7などのように、「声優とアイドルの両立を謳うグループ」が増加するようになっている。上智大学のミスコン優勝の鳥部万里子、ミス日本コンテスト2020・ミス着物に選ばれた青木胡杜音など、容姿に自身のある人物が声優を目指す例も増えた。
浅川悠が自身のブログで、アイドル化が進んでいるとも言われる声優界に苦言を呈し、関連して桑島法子は「アイドル声優は旬を過ぎたら使ってもらえなくなる」と述べているなど、演技とは関係の無い評価基準に疑問を呈す業界人も存在する。実際、1990年代から2000年代にかけての椎名へきるは歌手としての活動で人気を博し、相当数のコンサート公演を全国を巡業していたが、アフレコや吹き替えの仕事から遠ざける要因となり、アニメのレギュラー出演は年間で数本に過ぎない状況で、同業の職業声優を含むアニメ制作者の間でも声優として異端視されていたことが知られる。花守ゆみりなどはインタビューで自身についてアイドル声優に見られたくないと述べている。浅野真澄がパーソナリティを務めた「低俗霊DAYDREAM 深小姫のMIDNIGHT DREAM」ではしばしばアイドル声優に対する批判がなされていた。専門学校などでもそうしたアイドルを育成する的なニュアンスも押し出して生徒集めをしているところが少なからずみうけられるが、第一線で活躍している実際のアイドルたちは天分に恵まれた上で競争にももまれ、トレーニングを重ねており、こうしたアイドルたちと、学校に通ったくらいでの自分とライバルというのは、あまりにおこがましいと指摘されている。
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一方で、やまとなでしこ結成時のインタビューで堀江由衣は声優になってからアイドル的な仕事があって驚いたというが、アイドルについてはその人自身に魅力があるわけで見てるだけで楽しくなれる、元気になれる存在とし、「それを悪く言うのって、変だと思う。見る人の心を潤すための仕事をしていて、そうならない方が困るんじゃないかな」と見解を述べている。芹澤優のように声優であることにもアイドルであることにもプライドを持ち、両立していると自認している者もおり、中川亜紀子もデビュー当初アイドル的な売り方がなされており、彼女はこの事にはなにかと批判的であったが、「今となっては『なんて贅沢なことを!』と思いますけど」と当時を振り返っている。
声優アーティストとは、上記のアイドル声優に代わって2000年代半ばごろから出てきた俗称であり、おもに声優業と歌手業を両立させている声優を指すことが多い。
この名称は椎名へきるが1994年(平成6年)のラジオ番組の開始にあたって、「アーティストと声優をしている」と自己紹介をしている点や、彼女の出身養成機関の広告フレーズからうかがい知れ、マネージメントをする者を含む制作者の影響が強く表れている。
近年では歌手としての独立した活動までには至らずとも、アニメに出演する場合、主題歌などを担当したり、各種関連番組(アニラジ、ニコニコ生放送など)やイベントへの出演など、タレント活動を求められる例が一般的になっている。
TARAKO、坂本真綾、MoeMiのように並行してシンガーソングライターとして活動する者もおり、近年は沼倉愛美、鈴木みのり、早見沙織、楠木ともり、小岩井ことり、雨宮天ら自身の手による楽曲の作詞作曲を手掛ける声優アーティストも多くなった。小野友樹のミニアルバム「Winter Voice Friends」では自身の声優仲間らの楽曲提供により構成されている。
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TARAKO、坂本真綾、MoeMiのように並行してシンガーソングライターとして活動する者もおり、近年は沼倉愛美、鈴木みのり、早見沙織、楠木ともり、小岩井ことり、雨宮天ら自身の手による楽曲の作詞作曲を手掛ける声優アーティストも多くなった。小野友樹のミニアルバム「Winter Voice Friends」では自身の声優仲間らの楽曲提供により構成されている。
他にバンドを組んでいる者もおり、鈴木達央はOLDCODEXというバンド、近藤孝行と小野大輔は、テクノロジック・ヴォーカルユニット“TRD”、前述の小岩井ことりはメタルバンドDAW、田村ゆかりもメタルユニット120600mAh、谷山紀章は音楽ユニットのGRANRODEOで活動している。なお谷山はGRANRODEOではKISHOW名義で、同様のケースでは二ノ宮ゆいが声優時には二ノ宮ゆい、アーティスト時にはニノミヤユイと名義を分けて活動している。
『BanG Dream!』プロジェクトのバンドユニットのように、劇中で声を担当したキャラクターの音楽バンドを、実際においてもバンド活動を行うといったケースがあり、大塚紗英のようにシンガーソングライター活動がメインになっている者もいる。他にも女子高生ロックバンド漫画『ガールズフィスト!!!!』に登場するキャラクター4人と連動するかたちで活動中の、若手女性声優のロックバンドの南松本高校パンクロック同好会、会える声優ガールズロックバンドのHoneysComin'などがある。
ヒーラーガールズのようなコーラスユニットと謳ったグループもある。
「アイドル声優」「声優アーティスト」のいずれの場合も、女性声優に特に多いといわれる。声優の男女比率の反映に加えて女性声優が数人在籍するアイドルユニットや声優アーティストユニット自体生み出される数が男性のそれより非常に多い。さらに演じる女性声優も多数出演するタレントゲーム、恋愛シミュレーションゲームが非常に多く発売され、こうしたゲーム出演で多数の女性声優が歌手デビューやアイドル声優化する傾向も続いている。
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声優
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「アイドル声優」「声優アーティスト」のいずれであれ、声優の顔出しでの活動が増えた理由として、声優の社会的地位の向上のほかに、声優の役割やイメージの変化(「裏方的な仕事」とされてきたのが「ルックスや若さが重視される」ように変化した)が背景としてあると指摘されている。
声優も、現役で声優をしながら一方で芸能活動ではない他の仕事を持つ者もしばしばみられる。例として、養成所で講師をつとめたり、事務所を経営している者、音響監督などもしている声優は多い。
他には、以下のようなケースがある。
声優が所属するプロダクションには通常の芸能プロダクションの声優部門の他に、声優が多く所属する声優プロダクションとがある。
声優プロダクションは、声優から手数料を徴収し、音響制作会社や放送局などに対して、アニメ・日本語吹替・ナレーションなど得意分野ごとに配置されたマネージャーが営業活動や声優の売り込みなどを行う。専門の養成所を持ったり専門学校と提携して新人の育成も行う。
もともと制作会社の関連会社に位置していて連携の強いプロダクションが存在し、特に2000年代は特に新たに創業される例が見られたが、2010年代以降は制作会社の一部門として直営され、より連携が強固なプロダクションも存在する。特定の制作会社との連携が強くとも、ほかの制作会社が手がける仕事も請ける。また、もともと音楽系のプロダクションでも声優のマネージメントを行う例が近年あり、この場合は本業を生かして歌手活動も積極的に行われることが多い。他分野中心の芸能プロダクションが声優部門に力を入れるようになる例も見られる。
声優界は「『芸能界で最も古い体質』を今も残している」として当該業界への批判が相次いでいる問題もあり、その一部としてはプロデューサーなど役職の地位が高い人物からのセクハラを代表とするハラスメント行為が横行しているという点が挙げられ、過去には実際に関係事件で逮捕される事件も起きている。
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声優
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声優界は「『芸能界で最も古い体質』を今も残している」として当該業界への批判が相次いでいる問題もあり、その一部としてはプロデューサーなど役職の地位が高い人物からのセクハラを代表とするハラスメント行為が横行しているという点が挙げられ、過去には実際に関係事件で逮捕される事件も起きている。
声優は所属事務所からの基本給というものは存在せず、各人の仕事実績によるギャランティ(報酬金)が収入となる個人事業者である。所属事務所とは通常1年更新のマネジメント契約を締結し、売込みやマネジメントの対価として業界平均で出演料の約20%から30%を事務手数料として事務所へ支払い、源泉徴収も10%引かれ、この残りが声優の手取りの報酬となる。歌手や俳優などと同じくシステムの競争社会であり、経済的に自立できずに脱落していく者も多い。
日本語吹き替えが始まった1960年代には、声の仕事は顔出し出演の7割の出演料「顔出しの七掛け」とされ、低い位置にある仕事とみなされ、舞台俳優がアルバイトのような形でやっていた。舞台や実写の仕事と比較して、吹き替えの仕事は拘束時間が少なくかけ持ち出演が可能なため、数をこなせば収入を増やすこともでき、演技力を生かせることから不満に持つ者は少なかった。
声優の賃金待遇改善については、声優の多くが日本俳優連合(日俳連)に所属しており、日俳連は音響制作会社の集合体である日本音楽制作者連盟(音声連)、声優のマネージメントを行う事業者で組織する日本芸能マネージメント事業者協会(マネ協)と「三団体実務小委員会」を設けて、出演ルールの改定や待遇の改善を申し入れて来た。ときにはストライキ(1973年〈昭和48年〉8月8日)や街頭デモ活動を行うなどして、1973年(昭和48年)には報酬が約3倍アップ、1980年(昭和55年)には再放送での利用料の認定、1991年(平成3年)には報酬が約1.7倍上昇するなどの成果を勝ち取ってきた。
業界に対してのみならず、1973年(昭和48年)と2001年(平成13年)にはデモ行進、1988年(昭和63年)には永井一郎が『オール讀物』(文藝春秋)において『磯野波平ただいま年収164万円』と題して、アニメ出演料の安さを訴える記事を寄せて、世間一般への理解を求める行動を起こしている。
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声優
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業界に対してのみならず、1973年(昭和48年)と2001年(平成13年)にはデモ行進、1988年(昭和63年)には永井一郎が『オール讀物』(文藝春秋)において『磯野波平ただいま年収164万円』と題して、アニメ出演料の安さを訴える記事を寄せて、世間一般への理解を求める行動を起こしている。
日俳連・マネ協・音声連による協議の結果、外画動画出演規定・新人登録制度・CS番組に関する特別規定・ゲーム出演規定などを締結した。アニメでは、放送局と、アニメ制作会社で組織される日本動画製作者連盟も加わって、団体協約が締結されている。これにより、仕事1作品あたりの報酬は作品のジャンル・放送時間帯・放送回数・ソフト化などによる2次利用、そして経験実績などの条件によって受け取る額が算出される方法を取られており、音響制作会社の一方的な言い値で手取りを決定されるということはない。
以上の協定は、声優・マネジメント事業者・音声製作事業者がそれぞれの団体に所属しなければ縛られることはない。たとえば、石原裕次郎は映画『わが青春のアルカディア』の出演料が1,000万円だったと言われている。
日俳連では組織率を高めるために、音声連が製作する作品に出演する人数について「日俳連に属さない出演者の数は全体の20%以内」とし、日俳連に属さない出演者については加盟を推奨することが音声連には課せられている。逆にマネ協・日俳連側は、音声連に入っていない製作会社へ音声連への加盟を奨めることとなっている。
これらの協定を嫌う日本アドシステムズなどの製作者側もあり、日俳連に所属しない声優を起用する例が1990年代半ばより増加したが、東映アカデミーやラムズのように事業を停止した例もある。音声連に属していない事業者としては神南スタジオや脱退した音響映像システム(現・サンオンキョー)などがあり、マネ協に属していない事業者としてはネルケプランニングなどがある。
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声優
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これらの協定を嫌う日本アドシステムズなどの製作者側もあり、日俳連に所属しない声優を起用する例が1990年代半ばより増加したが、東映アカデミーやラムズのように事業を停止した例もある。音声連に属していない事業者としては神南スタジオや脱退した音響映像システム(現・サンオンキョー)などがあり、マネ協に属していない事業者としてはネルケプランニングなどがある。
日俳連に所属する声優が、アニメ・日本語吹き替え作品・社団法人コンピュータエンターテインメント協会(CESA)に加盟するゲーム会社の作品に声をあてる際の出演料についての規定で、この制度での報酬は「ランク」と呼ばれる出演料によって支払われることになっている。担当する内容や、台詞の多少は関係しない。ランクの設定は毎年4月に更新され、人気が上がったりキャリアを重ねると、マネ協や音声連との協議のうえでランクが上がっていき、またランクが上がるごとに出演料が高くなっていく。例外として、60歳以上の者はランクを上げることはできても下げることはできない。
1991年(平成3年)に出演料が約1.7倍アップしたこともあり、予算の限られたアニメや吹き替えにはランクの高い(出演料が高い)ベテラン声優が起用されなくなる弊害が生じるようになった。それにより、2001年(平成13年)から2年の期間限定でランク下げを認める特例期間が設けられた。
30分枠作品の最低ランクの出演料が1万5,000円で、最高ランクが4万5,000円、その上に上限なしのノーランクが設定されており、これが基本出演料となる。またその基本出演料に「目的使用料」として、アニメは1.8倍が加算され、吹き替えは1.7倍が加算される。予告編の台詞をやった場合、基本出演料のランクをもとにしたギャラが加算される。放送時間枠が60分や120分の場合は「時間割増」となり、その分のギャラが支払われる。出演作品がソフト化されたり再放送された場合、規定に基づいて「転用料(2次使用料)」が支払われる。これらの合計が声優の総出演料となるのだが、そこから事務手数料や税金などで約30%から40%引かれる。
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声優
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音声作品の報酬の相場は拘束時間もワード数によって数時間から数日までさまざまで、声優のランクにもよるが、だいたい数百ワードあたり2 - 3万円ぐらいとされ、有名声優がソーシャルゲームに出るときの単価などとは比べものにならない。
声優だけで安定収入を得るのはほんの一握りなのは売上の大半を事務所が持っていくこともあって、事務所声優でも声優業のみで生活できる人は少ない。しかしながらそれでも仕事を取るためには事務所に所属するのが基本で、イベント、コンサートやライブなどで収益を得る事務所声優が安定して仕事をすることになる。主役声優であればイベント出演で1回20 - 30万円程度もらえる他、物販で稼げるという。
声優学校や声優養成所を卒業して、日本芸能マネージメント事業者協会(マネ協)加盟の声優事務所のオーディションに合格した新人声優は、まず「預かり」という身分から声優業をスタートする。この時点ではまだ声優個人としての日本俳優連合(日俳連)への加盟はできない。預かりは声優業の最初のステップとして、ランク制の事実上の番外とでもいうべき存在である。預かり期間修了後はジュニア(新人)ランクとなり、ジュニアランクでいられる期間は3年間ないし所定の起用率に到達するまでで、それを終了したあとは日俳連へ加盟し通常のランクの声優になる。
出演料が安すぎるという理由で1990年(平成2年)に一度ジュニアランクを撤廃したことがあったが、1994年(平成6年)から新たな形で再び導入された。
預かりとジュニアランクの声優の出演料は1万5,000円で、ランクがついた声優とは違い、上述の「目的使用料」「予告編の台詞代」「時間割増料」「転用料」は支払われない。
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声優
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出演料が安すぎるという理由で1990年(平成2年)に一度ジュニアランクを撤廃したことがあったが、1994年(平成6年)から新たな形で再び導入された。
預かりとジュニアランクの声優の出演料は1万5,000円で、ランクがついた声優とは違い、上述の「目的使用料」「予告編の台詞代」「時間割増料」「転用料」は支払われない。
声優としてベテランになり日俳連のランク(出演料)が高くなっていくと、予算の関係からアニメ・ゲーム・吹き替えの仕事は自然と減る場合もあり、これを補うのにCMやテレビ番組などでのナレーションの仕事を行う場合もみられる。ナレーションは日俳連の協定によるランクの縛りがなく、また、ギャラはアニメ・ゲーム・吹き替えよりもはるかに高額とされる。新人・若手声優だったころはアニメに多く出演していたが、のちに中堅・ベテラン格になるにつれてアニメの仕事が徐々に減っていき、ナレーションが中心になるという傾向にある。なおベテラン声優を1回のみ登場、台詞が少ないなど収録時間が短い役に起用する例もあり、アニメやゲームの出演が無くなるわけではない。
ベテラン声優の中には前述のとおり本業の傍ら、声優事務所の経営、声優の養成所や専門学校の講師、カルチャースクールの喋り方教室の講師、音響監督などといった業を副業として、収入の少なさを補うためにしている者もいる。また、ベテランになると、経済的にはむしろそのような副業のほうが本業という声優も珍しくないといわれている。
声優を目指す人々は増加傾向にあるが、職業としての声優として第一線で活躍できる者は少ない。オーディションでほかの声優との競争に勝てず、仕事がもらえずに無名のまま脱落し、経済的に自立できずにわずかな期間でやめる、またはプロダクションから「今後、第一線級の声優として売れる見込みがない」と判断されて契約を解除されるという新人・若手声優が多いという。実際、一例として内田彩は、2015年(平成27年)9月のインタビューにて「声優の仕事一本で食べていけるようになる2、3年くらい前まで、声優の仕事が空いているときは派遣のアルバイトをやっていました」と打ち明けている。内山夕実のように(家の都合で)一度引退後に復帰する例もある。
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声優
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1996年(平成8年)発売のキネマ旬報刊『声優名鑑』には約2,400人の声優が掲載されていたが、この時代でも声優としての地位が確立されている者は約300人だけで、しかもそのうち声優業だけで食べていける者は約半数であるという。
ある程度の知名度、出演本数、活動年数があったにもかかわらず、声優業で生計を立てていくことが難しいという理由で引退した者も少なくなく、継続して仕事を維持するのも厳しい世界である。
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第一原理バンド計算
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第一原理バンド計算(だいいちげんりバンドけいさん)は、実験結果に依らないで(第一原理)計算が遂行されるバンド計算である。第一原理電子構造計算、第一原理電子状態計算、あるいは単にバンド計算とも言う。
第一原理バンド計算手法には、様々なものがある。主に、擬ポテンシャル+平面波基底によるものと、全電子による電子状態計算手法とがある。全電子手法には、LMTO法、APW法、線形化 APW 法(LAPW法)、KKR法とそのフルポテンシャル版などがある。
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ディジュリドゥ
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ディジュリドゥ / ディジリドゥ / ディジェリドゥ / ディジャリドゥ(Didgeridoo, Didjeridu)とは、オーストラリア大陸の先住民アボリジニの金管楽器である。木製ではあるが発音原理から木管楽器ではなく金管楽器に分類される。
シロアリに食われて筒状になったユーカリの木から作られる。複雑多岐に渡る演奏方法・使用目的がある。その名を出したり、楽器を見ることさえ禁じられており、特殊な儀礼に使われる特殊なディジュリドゥもある。
原材料のユーカリには数百種があり、その中でもシロアリが好んで食べるものは特定の数種に限られる。通常は自然の状態でシロアリに食べられたユーカリから作られる。アリの巣そのものにユーカリの木を刺し込み、少し穴の開いた木にシロアリを入れて口を塞いで強制的に食べさせるといった製法も存在している。その後、1mから2mに切り、表皮を削り口当ての部分に蜜蝋(ビーズ・ワックス)などを塗り、表面には岩を砕いた顔料でアボリジナル・ペインティングを施す。
太さ、管の内径、長さなどは不定で、部族やクラン(言語グループ)によってその形状と音色は異なっている。長さは80センチメートルから2メートルを超えるものまで幅広い。表面はウレタン樹脂などでコーティングしただけの木肌ままのものや、塗装が施されているものもある。吹き口は幹の細い方を蜜蝋で加工して作る。
現在では原材料も多種多様となり、竹、チーク、リュウゼツラン、PVC、FRPといったものも販売されている。また2017年には、静岡県沼津市戸田地区の地域おこし協力隊が、地元の特産品であるタカアシガニの殻を素材とした「タカアシガニリドゥ」という楽器を製作している。
音を出す方法は、管の一端に口を当てて唇の振動などを利用するもので、口当てに口を付け、息を吹き込みながら唇を震わせ、口や筒の中に共鳴させることで、音を発生させる。
金管楽器のトロンボーン、チューバ等にも似るが、その複雑な演奏方法は他に類を見ない。通常、循環呼吸が使われる。
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ディジュリドゥ
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音を出す方法は、管の一端に口を当てて唇の振動などを利用するもので、口当てに口を付け、息を吹き込みながら唇を震わせ、口や筒の中に共鳴させることで、音を発生させる。
金管楽器のトロンボーン、チューバ等にも似るが、その複雑な演奏方法は他に類を見ない。通常、循環呼吸が使われる。
アボリジニは1000年以上前にディジュリドゥを作ったとされ、実際には文献が存在しないので証明が不可能ながら「世界最古の管楽器」の一つではないかと言われる。主に宗教儀式やヒーリングのために演奏していたと考えられている。現在では様々な地域で演奏されるが、伝統的にディジュリドゥが伝わる地域はオーストラリアでも北部に集中しており、クイーンズランド州、西オーストラリア州の北部とノーザンテリトリーのアーネムランドのみである。
元々は、アボリジニが昔から精霊と交信するための祭儀で使用していたもので、神聖な楽器として大事に扱われていた。
ディジュリドゥという名は、オーストラリアに入植した白人がその音を聞いて「ディジュリドゥ」と聞こえたことによって付けられた。20世紀に入ってからのことである。アボリジナル自身はそれぞれの言語グループの言葉で、例えばアーネムランド内でも南西の方では「Mago(マゴ)」、北東では「Yidaki(イダキ)」、クィーンズランド州北部では「Yigi Yigi(イギイギ)」などと呼ぶ。ちなみに、日本に出回っているディジュリドゥの多くはイダキである。
また、アボリジニの間ではディジュリドゥは男性の楽器とされ、女性が演奏することはほとんどない。女性が吹くと妊娠するので吹いてはいけない、部族によっては反対に女性が吹くと不妊になるので吹いてはいけないという伝承がある。女性は触れてもいけないとする部族もある。
イギリスの音楽バンド「ジャミロクワイ」はバンドメンバーにディジュリドゥ奏者ウォリス・ブキャナンが在籍していた事があり、以下のアルバムはディジュリドゥを使用した楽曲を多数含んでいる。このうち「トラベリング・ウィズアウト・ムービング」は全世界で800万枚売上げ、世界一売れたファンクアルバムとしてギネス登録されている。
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第一原理
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第一原理(だいいちげんり、英語:first principles)とは、最初におかれる原理。他のものから推論することができない命題である。
アリストテレスは第一原因(不動の動者)という概念を用いた。これが後世の哲学にさまざまな影響を及ぼしている。
アリストテレスの第一原因という概念は、18世紀のドイツの哲学者イマヌエル・カントの哲学にも形を変えて継承され、アプリオリという概念として現れ、アポステリオリと対比される。アプリオリのほうは最初に置かれている命題や論理であり、アポステリオリはそれから導かれる命題や論理である。(英語版記事 en:A priori and a posterioriを参照)
形而上学は手を尽くして第一原理を見つけ出そうと試みた。考える人は自分の知識がちゃんと理にかなっているということを知りたがり、そのためには一般に認知される第一原理が必要だったのである。
論理学、幾何学、数学など形式科学における第一原理について解説すると、ユークリッド幾何学では、いくつかの定義、そして公理(自明と思われる命題)がはじめに与えられる。これらが第一原理で、これから何百もの命題が演繹される。アリストテレスはこのような原理が数学のみならず、世界そのものを記述しているということを証明しようとした。それはやがて形而上学と呼ばれるようになった。
バートランド・ラッセルはすべての数学的事実を論理の中に含めようと試みた。しかしクルト・ゲーデルが、無矛盾の論理系は不完全で、完全な系は自己無矛盾ではありえないことを証明した(ゲーデルの不完全性定理)。つまり第一原理は第一原理であることを論理の内部では証明できず、外から与えるしかないのである。ただし実際の不完全性定理が示したものは、数学用語の意味での「特定の形式体系Pにおいて決定不能な命題の存在」であり、一般的な意味での「不完全性」とは無関係である。すなわち不完全性定理以降の時代にも、数学上の意味で「完全」な理論は存在し続けているが、“不完全性定理は数学や理論の「不完全性」を証明した”というような誤解が一般社会・哲学・宗教・神学等によって広まり、誤用されている。
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第一原理
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互いに無矛盾な命題からなる形式論理系では、別の文を次々と推論(演繹)してゆくことができる。たとえば三段論法の有名な例として、「すべての人間は死ぬものである。ソクラテスは人間である。ゆえにソクラテスも死ぬものである。」というのがあるが、三つ目の文は前の二つから演繹されたものである。
自然科学での第一原理(first principles)は、近似や経験的なパラメータ等を含まない最も根本となる基本法則をさし、そのことを前提にすると自然現象を説明することができるものである。第一原理には運動量の保存や物質の二重性など様々なものがある。理論計算の分野における第一原理の解釈は人により様々で、「既存の実験結果(事実)を含めて経験的パラメーター等を一切用いない」という強いものから、「実験結果に依らない」とする比較的緩い解釈まである。代表的第一原理は、ニュートン力学のような決定論と、確率論の根源をなす等確率の原理や熱力学に大別されその中間的性質として以下のような量子論的方法論が展開される。
バンド計算においても、“第一原理”の意味は、何ら実験結果に依らないことが前提である。つまり計算対象となる系の各構成元素の原子番号と、その構造(対称性)のみを入力パラメータとし、それ以外の一切のパラメーター調整や、実験結果を参照しないで、その系の電子状態を求められることを意味する。実はこれは厳密には正しくない(実情に即していない)。現在の第一原理バンド計算手法では少なくとも、計算対象となる系を構成する各元素の平衡格子定数が正しく求められるかを、実験結果を参照することによって検証している。バンド計算を使った研究による論文では、ほとんど例外なく系(またはその構成元素)の理論計算による平衡格子定数と、実験によって求められた平衡格子定数とを比較する表が載っている。
一方、局所密度近似 (LDA) やGGAのような近似の導入が、果たして第一原理の枠内であるかどうかに対しても異論がある(普通、物理学者の多くは、LDA、GGAは第一原理の範疇の中に収まると思っている)。
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第一原理
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一方、局所密度近似 (LDA) やGGAのような近似の導入が、果たして第一原理の枠内であるかどうかに対しても異論がある(普通、物理学者の多くは、LDA、GGAは第一原理の範疇の中に収まると思っている)。
現実の第一原理バンド計算では、ゴーストバンドの問題や、基底関数の展開数の収束依存性、擬ポテンシャルにおけるトランスフェラビリティーの問題、局所密度近似の関数形の選択による結果への影響の差など、“恣意的”な調整と取られかねない部分が少なからず存在する。しかし、平衡格子定数のように実験としても既に“データブック”化したようなものでなく、実際に今行われている実験結果に合わせるようなパラメーター調整を、少なくとも第一原理バンド計算では行わない。
しかしながら、バンド計算を行うのも人であり、過去に実験側で非常に興味深い結果が発表された後に、その実験結果を支持する第一原理バンド計算の結果が複数発表される中、その拠って立つべき実験結果が実は誤りであったという例が存在する。
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大島弓子
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大島 弓子(おおしま ゆみこ、1947年〈昭和22年〉8月31日 - )は、日本の漫画家。女性。栃木県出身。萩尾望都・山岸凉子・竹宮惠子と並び、少女漫画界において「24年組」と呼ばれる一人である。
1947年(昭和22年)8月31日 、栃木県大田原市にて生まれる。栃木県立大田原女子高等学校卒業。 1968年、短期大学在学中に初めて持ち込みをした作品『ポーラの涙』が『週刊マーガレット』春休み増刊に掲載され、デビューを果たす。以降、『週刊マーガレット』や『週刊少女コミック』『別冊少女コミック』、『週刊セブンティーン』、『LaLa』『ASUKA』などで活動する。
漫画家になろうと思ったことは一度もなく、好きで描いているうちに独立した生活がそれで可能になっただけであるとのこと。学生時代は就職のことも考えており、教育実習にも行っている。実習生としては高校の男子生徒に英語を教えており、年齡の近い男子を相手にするのに苦労したという。たとえば、生徒たちは授業中は真面目であったが、帰りの電車で「先生」を連呼し、恥ずかしい思いをしている。2週間足らずの実習で英語教師の職業の妙味を会得するのは不可能で、知識としての日本語吹き替えのようなことをしたに留まり、自己嫌悪に陥り、観衆を熱狂させないエンターテイナーになりそうだったと当時のことを回想している。
猫好きでも知られる。1982年より一緒に暮らした愛猫サバが1995年10月6日に死去。その後、同じ年の冬に新たに迎えたアメリカンショートヘアにグーグーと名付け、日常を描いたエッセイ漫画『グーグーだって猫である』を発表。1997年7月にはもう1匹が仲間入りし、その後も増え続け、2007年5月時点で猫9匹、犬1匹という生活になり、1年後の2008年5月には更に増え、猫が13匹という多頭飼育となったことが同作品中で公表された。
1997年に癌を患い、同年12月に入院し手術・化学療法を受け、翌1998年7月に退院した。
2001年、24年間暮らした「吉祥寺駅徒歩5分、2DK、築33年(2001年当時)」のマンションから、「一坪ほどのささやかな庭がついた小さな一軒家」へ転居した。
2008年には漫画家デビュー40周年を迎えた。
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大島弓子
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1997年に癌を患い、同年12月に入院し手術・化学療法を受け、翌1998年7月に退院した。
2001年、24年間暮らした「吉祥寺駅徒歩5分、2DK、築33年(2001年当時)」のマンションから、「一坪ほどのささやかな庭がついた小さな一軒家」へ転居した。
2008年には漫画家デビュー40周年を迎えた。
デビュー以降は主に『週刊マーガレット』で執筆し、1972年より『少女コミック』に活動拠点を移した。1976年当時、その理由について「『少女コミック』はジャンルの規制をせず、自由な編集方針であったこと。また「用いてはならないことば」がなかったことを挙げ、その環境が今までとは異なるテーマと形式で描くことに自らを誘発した」と語った。また、『風車』『ジョカへ...』『雨の音がきこえる』『罪と罰』の執筆には自問自答を重ね、『つぐみの森』は道徳への自戒の念に幾分かられながらの執筆となったことを明かし、結果的には自身の視野の変革がもたらされたと説明した。
1999年当時、タイトルの付け方について、予告カットとタイトルの〆切の時点では作品の内容が出来上がっていないことが多いため、どのような展開になっても対応できるものを考えて提出すると語っている。
ストーリー漫画とエッセイ漫画の両方を執筆する。1974年から1980年頃までのエッセイ漫画では、『ユーミン』『ユーミンの不可思議な世界』『ユーミンおもちゃ箱』など当時の愛称「ユーミン」を表題に用いていた。
本人が主人公として登場する作品には、長く暮らした吉祥寺から近い井の頭自然文化園が頻繁に登場する。セーラー服におさげ姿で描かれる象のはな子はここで飼育されていた。
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後藤寿庵
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後藤 寿庵(ごとう じゅあん、天正5年(1577年)? - 寛永15年(1638年)?)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、キリスト教信者(キリシタン)。本名は岩淵又五郎。伊達氏の家臣。一説には葛西氏の旧臣。
陸奥国磐井郡藤沢城主・岩淵秀信の次男として誕生。
天正年間(1573年 - 1591年)、豊臣秀吉によって主家・葛西氏と共に岩淵氏滅びる。
慶長元年(1596年)、長崎に住みキリシタンとなるが、迫害によって五島列島宇久島に逃れ、ここで洗礼を受け、寿庵(洗礼者ヨハネの意)と名乗り、五島氏に改名する。
慶長16年(1611年)、京都の商人田中勝介と知り合い、その推薦によって、支倉常長を通じて陸奥国の戦国大名・伊達政宗に仕えた。慶長17年(1612年)、後藤信康の義弟として、見分村(現在の岩手県奥州市水沢福原)1,200石を給される。寿庵は原野だった見分村を開墾するため、大規模な用水路を造り、これが「寿庵堰」と呼ばれ現在も農業用水として胆沢平野を潤している。大坂冬の陣・夏の陣では、伊達政宗の配下として鉄砲隊の隊長を務めた。
一方で、寿庵は熱心なキリシタン領主であったため、天主堂・マリア堂などを建てた。家臣らのほとんどが信徒となり、全国から宣教師や信徒がその地に訪れたという。また元和7年(1621年)、奥羽信徒17名の筆頭として署名し、前年のローマ教皇パウルス5世の教書への返事を送った。
ところが、江戸幕府3代将軍・徳川家光の治世となると、キリスト教の禁止が厳しくなり、主君・政宗もその取り締まりを命ぜられた。寿庵を惜しんだ政宗は、布教をしない・宣教師を近づけないことを条件に信仰を許そうとしたが、寿庵はこの条件を拒否。堰の完成を待たずして陸奥南部藩に逃亡したとも、出羽秋田藩に渡って死去したとも伝えられる。その後、寿庵から用水土木技術を学んでいた弟子の千田左馬と遠藤大学の指導のもと、およそ17キロメートル分の工事が進められ、寿庵堰は寛永8年(1631年)に完成した。
大正13年(1924年)、治水の功により従五位が贈られた。昭和6年(1931年)には彼の館跡に寿庵廟堂が建てられ、毎年9月11日に寿庵祭が行なわれている。昭和26年(1951年)、宮城県登米市(東和町米川西上沢)で後藤寿庵の墓が発見されている。
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後藤寿庵
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大正13年(1924年)、治水の功により従五位が贈られた。昭和6年(1931年)には彼の館跡に寿庵廟堂が建てられ、毎年9月11日に寿庵祭が行なわれている。昭和26年(1951年)、宮城県登米市(東和町米川西上沢)で後藤寿庵の墓が発見されている。
元和8年(1620年)頃、陸奥仙台藩領から出羽秋田藩領内稲庭付近に厳中と名乗る男がやってきた。厳中によりこの地域に、日月崇拝を教義とした(と伝わる)宗教が伝わった。信者らは太陽と月を崇拝し、眼の紋の入った羽織を着用した。元々は畿内が発祥であったとされているが、当時仙北地方から内陸南部にかけて、秋田藩領の鉱夫の間に瞬く間に広がったこの宗教は「大眼宗(大岩宗、大願宗とも)」と呼ばれる。
秋田藩は大眼宗を、キリスト教と同義であるとして弾圧した。元和8年(1622年)に横手城の副城代格(搦手城代)であった伊達宣宗は、領内に住んでいた教祖厳中を横手城三の丸の屋敷に招き、捕縛した。教祖捕縛の報を受けた信者百人以上が屋敷に押しかけ、役人らの乱闘の末に教祖を奪い返されてしまい、そのまま教祖は逐電した。妹尾兼忠らが活躍し一揆は鎮圧され、藩主・佐竹義宣は宗徒らを処断しない方針であったが、横手城代の須田盛秀は宗徒を数十人、磔にしている。 また、教祖捕縛の失敗の責任を取り、宣宗は秋田藩を致仕し、江戸に移り住んで逼塞した。藩は数年後に佐竹南家出身の妻を持つ彼を呼びしたが、以降領内にやはり逼塞した。
この大眼宗一揆の主導者(教祖)の厳中が寿庵と同一人物である、とする説がある。
キリスト教と同一視されたこと、また、当時の鉱山とキリスト教(南蛮技術)との関連もあり、興味深い説ではあるが、厳中と寿庵は同一人物である、ないしは寿庵がこの宗派に何らかの関わりを持っていた、とする確実な史料的裏付けはない。
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コスタリカ
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コスタリカ共和国(コスタリカきょうわこく、スペイン語: República de Costa Rica)、通称コスタリカは、中央アメリカ南部に位置する共和制国家。北にニカラグア、南東にパナマと国境を接しており、南は太平洋、北はカリブ海に面している。首都はサンホセである。国土面積は51,060 kmで、人口は約500万人である。首都であり最大都市であるサンホセには推定333,980人が住んでおり、周辺の都市圏には約200万人が住んでいる。
中央アメリカにおいては数少ない、長年にわたり安定した民主主義政治を維持している国で、高い教育を受けた労働者が多いことでも知られている。教育予算が国家予算に占める割合は、世界平均が4.4%であるのに対し、同国はおよそ6.9%(2016年)である。かつては農業に大きく依存していたが、現在は金融、外資系企業向けサービス、製薬、エコツーリズムなど多角的な経済活動を行っている。コスタリカの自由貿易地域(FTZ)には、多くの外資系製造業やサービス業が進出しており、投資や税制上の優遇措置の恩恵を受けている。
コスタリカは16世紀にスペインの支配下に入るまで、先住民が住んでいた。その後、第一次メキシコ帝国の一部として独立し、中央アメリカ連邦共和国の一員となり1847年に正式に独立を宣言するまで帝国の周辺植民地として存続した。1948年の短期間のコスタリカ内戦の後、1949年に恒久的な機関としての陸軍を廃止し、常備軍を持たない数少ない主権国家の1つとなった。
人間開発指数(HDI)では常に良好な成績を収めており、2020年時点で世界第62位、ラテンアメリカ第5位。国連開発計画(UNDP)からも、同じ所得水準の他国よりもはるかに高い人間開発を達成しており、人間開発および不平等については地域の中央値よりも良い記録を持っていると引用されている。また民主主義の状態、報道の自由、主観的幸福度の比較でも良い成績を示している。報道自由度ランキングでは7位、世界の自由度指数では37位、世界幸福度報告では12位の幸福な国である。一方、中南米の多くの国と同様にカトリックの影響が強く、人工妊娠中絶は母親の健康や命を守る以外の場合に認められない国である。
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コスタリカ
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正式名称は、República de Costa Rica。通称、Costa Rica。公式の英語表記は、Republic of Costa Rica。通称、Costa Rica。
日本語の表記は、コスタリカ共和国。通称コスタリカ。国名のCosta Ricaが一綴りの単語ではないため、コスタ・リカや、コスタ・リーカと表記されることもある。
コスタリカとはスペイン語で「豊かな(Rica)海岸(Costa)」の意味であり、クリストファー・コロンブスがこの地に上陸した時に、遭遇したインディヘナが金細工の装飾品を身につけていたことからこの名前がついた。
紀元前900年から紀元前300年ごろの遺跡が確認されている。メソ・アメリカの一部であり、チブチャ系民族やナウアトル文化の交錯する地帯であった。13世紀までには神官を中心とする階級制社会が築かれていた。その後アステカ帝国に服属し、緩やかな支配を受ける形で中央アメリカと南アメリカの交易の仲介地点となった。また、カリブ人も定住していた。16世紀初めごろには約40万人の先住民が居住していたと推測されている。
1502年9月18日、クリストファー・コロンブスがリモン湾付近に上陸し、ヨーロッパ人としてはじめてこの地に渡来した。1524年、征服者フランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバにより、内陸部もスペインの支配下に入った。1538年にパナマ市のアウディエンシアの管轄下に置かれ、1542年にヌエバ・エスパーニャ副王領の下位行政組織だった、グアテマラ総督領の辺境の地として編入された。1564年に中央盆地にカルタゴが建設され、以降独立までコスタリカの政治と経済の中心となった。
征服の過程での疫病などにより、先住民人口は17世紀初頭には約1万人になり、労働力や金銀などの鉱物資源が足りなかったためにスペイン人入植者の数は少なく、コスタリカはスペイン植民地の最辺境の地として孤立した。カカオ・プランテーションが築かれ、時折海賊の襲撃があったものの、植民地時代に大きな変化はないまま時を過ごすことになる。また、時期は定かではないが、中央アメリカで最も早く19世紀初頭までには確実にコーヒーが持ち込まれていた。
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コスタリカ
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1789年にフランス革命が起こり、ヨーロッパの政情が不安定になるとその影響はインディアス植民地にも及んだ。1808年にナポレオンのフランス軍がスペイン本国に進駐、国王フェルナンド7世を退位させ、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトの兄ジョゼフ・ボナパルトがスペイン王ホセ1世に即位すると、スペインでは反フランス暴動がやがてスペイン独立戦争へと発展し、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否した。
その後、各地のクリオーリョ達がラテンアメリカ解放のために立ち上がり、メキシコでミゲル・イダルゴとホセ・マリア・モレーロスらによって、南米大陸でシモン・ボリーバルとホセ・デ・サン・マルティンらによって解放戦争が続けられ、多くの共和国が独立を果たすと、中米でも1821年9月15日にグアテマラ総監領は中央アメリカ連合州として独立した。この国家は1821年9月16日に独立したアグスティン・デ・イトゥルビデ皇帝の第一次メキシコ帝国により、1822年に他の中米諸国と共に併合された。
しかし、1823年のメキシコ帝国の崩壊に伴ってチアパス州を除く旧グアテマラ総監領の五州は再び中央アメリカ連邦として独立した。コスタリカ州代表だったフアン・モラ・フェルナンデス(スペイン語版、英語版)は連邦への積極的な加盟を勧めたが、この過程の中で、それまでコスタリカの中心だったカルタゴが内戦の末にサン・ホセ軍に敗れたため、以降サン・ホセがコスタリカの中心となった。連邦においてはエル・サルバドル出身のマヌエル・ホセ・アルセ(スペイン語版、英語版)が中米連邦初代大統領となるが、自由主義者のフランシスコ・モラサンをはじめとするエル・サルバドル派と、保守主義者のラファエル・カレーラをはじめとするグアテマラ派の内戦の末に、1838年に諸州が独立を宣言して中米連邦は崩壊した。
1839年にこの地もコスタリカ共和国として再独立を果たした。その後1842年にホンジュラス出身の元中米連邦大統領、フランシスコ・モラサンが大統領となり中米連邦再興のためにニカラグア侵攻を企てたが、同年にモラサンは暗殺された。
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コスタリカ
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1839年にこの地もコスタリカ共和国として再独立を果たした。その後1842年にホンジュラス出身の元中米連邦大統領、フランシスコ・モラサンが大統領となり中米連邦再興のためにニカラグア侵攻を企てたが、同年にモラサンは暗殺された。
1856年、隣国ニカラグアで アメリカ合衆国南部人の傭兵()隊長、ウィリアム・ウォーカーが大統領となった。中米四国はウォーカー排除を決意し、このウォーカーの率いるニカラグア軍との国民戦争(スペイン語版)において、コスタリカ軍は、反ウォーカー派だったイギリス、アメリカのヴァンダービルト財閥などの支援を得て中米連合軍の中で主要な役割を果たした。同年4月にはリバスの戦い(英語版、スペイン語版)でウォーカー軍を打ち破った。なお、この戦争で壮絶な戦死を遂げたムラートの鼓兵、フアン・サンタマリーア(スペイン語版、英語版)は現在も国民的英雄となっている。
国民戦争後、1870年に自由主義者のトマス・グアルディア(スペイン語版、英語版)将軍がクーデターで政権を握った。グアルディアの主導により、一院制議会と強い大統領権が認められた1871年憲法が制定された。以降1948年までのコスタリカは基本的にこの路線に沿って発展することになり、ラテンアメリカ全体でも特異なコスタリカの民主的な社会が成立する素地となった。
1882年にグアルディアが死去してからは、自由主義派の流れを継いでベルナルド・ソト(スペイン語版、英語版)の支配が続いたが、1889年にカトリック教会と結んだ保守派のホセ・ロドリゲス(スペイン語版、英語版)に選挙とデモによってソトが敗れ、自由主義政権が終焉()を迎えた。
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コスタリカ
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1882年にグアルディアが死去してからは、自由主義派の流れを継いでベルナルド・ソト(スペイン語版、英語版)の支配が続いたが、1889年にカトリック教会と結んだ保守派のホセ・ロドリゲス(スペイン語版、英語版)に選挙とデモによってソトが敗れ、自由主義政権が終焉()を迎えた。
1870年代から始まった自由主義の時代にそれまでと同様に主産業だったコーヒー・プランテーションが拡大され、コーヒーを基盤に経済が発展し、1890年には輸出の80%がコーヒーとなっていた。ただし、コスタリカの土地所有形態は植民地時代からの中小独立自営農民による中規模土地所有が主体であったため、他の中米諸国やブラジルのような大プランテーションは発達しなかった。また、コスタリカは中米で最も早くコーヒー栽培が開始されたため、コスタリカを通してグアテマラ、エルサルバドルにコーヒーの生産技術が伝播することとなった。この時期にブエノスアイレスやカラカスをはじめとする他のラテンアメリカの多くの国の首都がそうなったように、エリートによって首都サン・ホセはパリ風に改造され、カリブ・ヴィクトリア朝を真似た邸宅が建ち並んだ。
また、内陸部からのコーヒー輸送のためにアメリカ人のマイナー・C・キース(英語版)によって鉄道が建設され、積出し港としてカリブ海側のリモンが発展した。鉄道建設の負債を補うために1871年にパナマ地峡からバナナが導入され、キースはその後、熱帯雨林を切り開いた跡地でのバナナのプランテーション栽培に力を入れた。バナナはそれまでの主産業だったコーヒーを抜いて1905年ごろには輸出の60%を占めるに至り、1899年にキースにより設立されたユナイテッド・フルーツ社は中央アメリカの事実上の支配者となった。
20世紀に入ってもコスタリカはバナナとコーヒーのモノカルチャー経済の下で発展が続いたが、第一次世界大戦による輸出収入減により、1916年に所得税が導入されると、1917年にフェデリコ・ティノコ・グラナードス(スペイン語版、英語版)将軍がクーデターを起こすが、アメリカの圧力により1919年に独裁制は崩壊した。
1921年にはアメリカの支持の下、隣国パナマとコト戦争を起こし、パナマから領土を得た。
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コスタリカ
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20世紀に入ってもコスタリカはバナナとコーヒーのモノカルチャー経済の下で発展が続いたが、第一次世界大戦による輸出収入減により、1916年に所得税が導入されると、1917年にフェデリコ・ティノコ・グラナードス(スペイン語版、英語版)将軍がクーデターを起こすが、アメリカの圧力により1919年に独裁制は崩壊した。
1921年にはアメリカの支持の下、隣国パナマとコト戦争を起こし、パナマから領土を得た。
1929年の世界恐慌はコスタリカのモノカルチャー経済に大打撃を与え、コーヒー価格の低落のために社会が不安定化した。1936年の大統領選挙では国民共和党(PRN)からファシズムに傾倒したレオン・コルテスが大統領になった。
なお、1935年に堀義貴初代駐コスタリカ日本公使が着任し、日本との間で正式に外交関係が成立した。
1940年に行われた大統領選挙では社会民主主義のカルデロン・グアルディア(スペイン語版、英語版)政権が誕生し、グアルディア政権は内政では労働法の制定(1940年)や、社会保障の制度化、コスタリカ国立大学の創設など労働者や中間層よりの政策を進める一方で、外交では1941年の真珠湾攻撃により、太平洋戦争が勃発すると、合衆国に先駆けて枢軸国に宣戦布告し、敵性国民となったドイツ系地主の資産が接収された。
1944年の大統領選挙ではテオドロ・ピカード・ムチャイスキ(スペイン語版、英語版)が大統領に就任した。
1948年の大統領選挙は与党のカルデロンと野党のオティリオ・ウラテ(スペイン語版、英語版)の一騎討ちとなり、開票の結果ウラテの勝利が確定したが、与党はこの選挙結果を無効とした。こうした中で、グアテマラ大統領フアン・ホセ・アレバロの支援を受けた野党のホセ・フィゲーレス・フェレールによる反乱への準備が進んでいった。
1948年の大統領選挙の結果が不正であることが明らかになると、野党のホセ・フィゲーレス・フェレールが反乱を起こし、コスタリカ内戦(英語版)が勃発した。6週間の内戦の後にフィゲーレスは政府軍を破って勝利した。
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コスタリカ
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1948年の大統領選挙の結果が不正であることが明らかになると、野党のホセ・フィゲーレス・フェレールが反乱を起こし、コスタリカ内戦(英語版)が勃発した。6週間の内戦の後にフィゲーレスは政府軍を破って勝利した。
翌年、1949年憲法(英語版)が施行されるとカルデロン前大統領派が多数を占めていた常備軍は廃止され(第12条 常設的機関としての軍隊は禁止する。)、それまで軍の担っていた役割は警察に移管された。フィゲーレスは民兵や予備役兵を組織し、反攻を防いだ。また、女性や黒人の政治参加も認められた。この常備軍廃止により、コスタリカは以降他のラテンアメリカ諸国で繰り広げられたような軍事クーデターは起こらなくなった。1953年の大統領選挙ではフィゲーレスの国民解放党(PLN)が勝利し、フィゲーレス政権は「兵士の数だけ教師を」を合言葉に、軍事予算を教育予算に回し教育国家に転換した。
1955年1月、元コスタリカ大統領だったテオドロ・ピカード・ムチャイスキ(スペイン語版、英語版)の息子、ピカード2世が再びソモサに支援された傭兵軍(その中には軍服を脱いだニカラグア国家警備隊の隊員もいた)と共にニカラグアからコスタリカに侵攻してきた。陸空およそ1,000人程のピカード2世軍はいくつかの都市を攻略したものの、コスタリカ武装警察の反撃と、OASの仲介により同年2月に停戦し、侵攻軍は武装解除した。
このようにして国難を乗り越えると、1949年憲法による政治の安定が国家の成長を助け、コスタリカ経済はこの時期に伝統的なバナナ、コーヒーの輸出に加えて、外資による工業化をも達成することになった。1960年に中米共同市場が発足すると、コスタリカは中米四国に遅れて1962年にこれに加盟した。1965年4月にドミニカ共和国で内戦が起き、リンドン・ジョンソン大統領が反共を掲げてアメリカ海兵隊を主体とした軍をドミニカに派遣すると、コスタリカもブラジル軍を主体としたドミニカ占領軍に警備隊を派遣した。
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国家としては反共でありながらもこのような事情からニカラグアのソモサ王朝を嫌っていたコスタリカ人は、1978年にサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が全面蜂起するとこれを全面的に支援し、ニカラグア革命を支えた。その後サンディニスタ内での路線対立によりFSLNの司令官だったエデン・パストラが亡命すると、パストラを司令官にしてコントラの一派民主革命同盟(ARDE)が組織され、コスタリカはアメリカによる対ニカラグア作戦の基地となり、中立原則も一時揺らいだ。1983年にはルイス・アルベルト・モンへ(英語版)大統領が「コスタリカの永世的、積極的、非武装的中立に関する大統領宣言」を行っている。
ところが、1986年にモンヘ大統領を破り就任したアリアス大統領はアメリカの対ニカラグア強硬政策に追随することを良しとせず、アリアス大統領によって国内のARDEの基地は撤去され、さらに中米紛争そのものの解決のためにも尽力した。この中米和平実現のための努力に対して、アリアスには1987年ノーベル平和賞が与えられた。
1990年の大統領選挙によって、中道右派のキリスト教社会連合党(PUSC)からラファエル・アンヘル・カルデロン・フルニエルが大統領に就任した。
1994年の大統領選挙によって、中道左派の野党国民解放党(PLN)からホセ・フィゲーレス・フェレールの息子ホセ・マリア・フィゲーレス(スペイン語版、英語版)が大統領に就任した。
1998年2月の大統領選挙によって、PUSCのミゲル・アンヘル・ロドリゲスが大統領に就任したが、ロドリゲス大統領はメキシコの実業家カルロス・ハンク・ゴンサレスからの不正献金を受け取っていたことが1999年にスキャンダルとなった。2001年の9.11テロ後は、アメリカのアフガニスタン攻撃を支持した。
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1998年2月の大統領選挙によって、PUSCのミゲル・アンヘル・ロドリゲスが大統領に就任したが、ロドリゲス大統領はメキシコの実業家カルロス・ハンク・ゴンサレスからの不正献金を受け取っていたことが1999年にスキャンダルとなった。2001年の9.11テロ後は、アメリカのアフガニスタン攻撃を支持した。
2002年の大統領選挙によって、PUSCからアペル・パチェーコが大統領に就任した。パチェーコ大統領は、アフガニスタン攻撃に続いて2003年3月のイラク戦争開始に当たってアメリカのブッシュ政権を支持する声明に署名した。これは常備軍を廃止した同国の平和憲法の精神や国際法に違反していると、当時コスタリカ大学の学生が最高裁憲法法廷に提訴した。翌2004年12月に最高裁が大統領の声明を無効とし、支援国のリストから外れるように命じた。しかし政府は支援を停止することはしなかった。また、同年カルデロンとロドリゲスの二人の元大統領が汚職によって逮捕された。
2006年からは再任した(連続再任ではない)アリアス大統領が大統領職を務めた。
2010年2月7日、大統領選挙が行われ国民解放党(PLN)のラウラ・チンチージャ前副大統領が大差で当選しコスタリカで初の女性大統領となった。なお2位は市民行動党(PAC)のソリス候補、3位は自由主義運動(ML)のゲバラ候補と続いている。
コスタリカは大統領を元首とする共和制国家であり、行政権は大統領に属している。大統領は任期4年で、連続の再選は禁止されている(8年以上の期間が開いていれば可能)。立法権は一院制の立法議会に属し、議員定数は57人、任期は4年である。国会議員も連続再選禁止である。投票権が与えられるのは18歳からである。大統領選挙においては得票率が40%以下の場合は決選投票が行われる。司法権は最高裁判所に属している。現行憲法は1949年憲法である。
主要政党には国民解放党(PLN)、市民行動党(PAC)、自由主義運動(ML)、キリスト教社会連合党(PUSC)などがある。
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主要政党には国民解放党(PLN)、市民行動党(PAC)、自由主義運動(ML)、キリスト教社会連合党(PUSC)などがある。
コスタリカは19世紀以来大規模な軍縮を行っており、中米最大といわれたコスタリカ軍は内戦時にはわずか1個大隊にまで減少していた。1947年の内戦に勝利したホセ・フィゲーレス大統領は、1948年、憲法(英語版)により常設軍を廃止している。これはカルデロン前大統領の勢力復活を抑える効果があり、また政治勢力としての軍部の拡張や、隣国ニカラグアの策動を抑える効果があった。
しかし、この非武装政策は有事の際に国家および国民が外勢力からの侵略に対して無抵抗を甘受することを認めたものではない。コスタリカ共和国憲法第12条では「大陸間協定により、もしくは国防のためにのみ、軍隊を組織することができる。」とし、集団的自衛権の行使や自衛権の行使などの非常時には軍隊を組織し徴兵制を敷くことを認めている。しかし、有事となってから臨時に民間人を訓練して対応させることは、現代の高度に専門化された軍事においては事実上は不可能に等しく、このような手続きを厳密に守って創設された「正規軍」が国防の手段として機能することはほとんどないと言う意見もある。
2015年5月現在では、対外的な国防をもっぱらの目的とした組織は存在しない。国境紛争を抱えるニカラグアはコスタリカが「『軍』を展開している」としばしば非難している。
コスタリカは1983年に永世非武装中立をモンヘ大統領が宣言している。1980年代を通して繰り広げられた隣国のニカラグアの内戦のときに民兵部隊が組織されるなど非武装原則は一時揺らいだが、アリアス大統領によって立て直された。
一方で米州機構の加盟国であるため、地域内安保・外交的安保(集団的自衛権)両方で他加盟国と協調関係にあり、1965年にドミニカ共和国で起きたドミニカ内戦の時にはOAS平和維持軍の一員として武装警察を派遣している。反共の大義の下にアメリカ軍とブラジル軍の主導する占領軍に参加し(アメリカ軍によるドミニカ共和国占領_(1965年-1966年))、社会改革を求めたフアン・ボッシュ派(立憲派)の政権打倒に協力した。
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政治外交の基本方針はアメリカとの協調、および反共主義である。このため1941年の真珠湾攻撃に際してはアメリカに先駆けて枢軸国側に宣戦布告を行っている。レーガン政権によるニカラグアのサンディニスタ民族解放戦線政権に対する反政府組織コントラ(エデン・パストラの創設したARDE)の基地のコスタリカ内設置、およびパナマの政権打倒をめざす反政府武装組織の訓練基地の設置をコスタリカ内に認めた。モンヘ大統領の非武装中立宣言は、この実態に対する批判をかわす必要性から生じた、政治的なポーズであったとされる。その見返りとしてアメリカは潤沢な援助を与え、1983年から1985年の間、アメリカの対コスタリカ経済援助は、コスタリカ政府予算の1/3に達したとされる。後にモンへ大統領自身も当時コスタリカの実態は中立ではなかったと言明していたとされる。一方ではパレスチナ問題においてはおおむねパレスチナを支持する多数派に属しており、イスラエルを基本的に支持するアメリカとは立場が異なる。
また反共主義の観点から中国やキューバと国交を持っていなかったが、2007年6月に中国と国交樹立すると同時に台湾と断交した。これに関連して、アリアス大統領は地元のラジオで「1990年代以来、台湾の発展途上国に対する資金援助額が少ない状況が続いたので、中国との国交を開いた」と明言している。その後、中国がコスタリカの国債3億米ドル分を購入する覚書が交わされていたことが判明した。
1948年の内戦以降、ラテンアメリカからの多くの政治亡命者や民主主義活動家の避難所となった。代表的な人物としては軍政に追われていたベネズエラのロムロ・ベタンクール(民主行動党の設立者)や、ペルーのアヤ・デ・ラ・トーレ(アメリカ人民革命同盟の創設者)が挙げられ、エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(チェ・ゲバラ)や、フィデル・カストロも一時コスタリカに滞在していた。
一方でコスタリカ外交ではしばしば「中立政策」が国策としてあげられている。ただしコスタリカの中立政策はあくまで「民主主義の側につく」ものであり、非同盟政策とは異なる。2005年の年報では、外交原則を「平和と人権の促進」であると規定している。
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一方でコスタリカ外交ではしばしば「中立政策」が国策としてあげられている。ただしコスタリカの中立政策はあくまで「民主主義の側につく」ものであり、非同盟政策とは異なる。2005年の年報では、外交原則を「平和と人権の促進」であると規定している。
現在は中米諸国をはじめとするラテンアメリカ諸国からの外交官や研修生を養成している。また国際連合が平和構築のための専門人材を養成するために設立した研究機関、平和大学の本部もコスタリカに置かれている。
ニカラグアはコスタリカにとって唯一直接的な軍事的脅威となりうる国家であり、コスタリカ内戦時などしばしば侵攻を受けることもあった。現在でもサン・フアン川の河口にあるポルティージョ島(英語版)(ニカラグア名・ハーバーヘッド)の帰属をめぐる領土問題は解決していない。ニカラグアはコスタリカの武装警察を「軍」であると明言しており、しばしば非難を行っている。ただしこの地域の緊張は薄く、両国国民は国境を自由に往来している。
コスタリカは7つの州(Provincias)に分かれ、州はさらに合計81のカントン(cantones)に分かれる。
主要な都市にはサンホセ(首都)、リモンがある。
自然が豊かで、独立当初は国土の95%が密林に覆われていた。現在の森林面積は国土の40%以下となっている。
コスタリカは太平洋から大西洋まで、最も狭いところで119km、最も広いところでも226kmしか距離がなく、細長い国土だが、国土の中央をグアナカステ山脈、ティララン山脈、中央山脈、タラマンカ山脈が貫き、国土中央には標高2000mに達する中央盆地が存在する。国内最高峰はチリポ山(3901m)。
カリブ海岸の低地は熱帯性気候で雨が多い。
太平洋岸にはニコヤ半島や、ニコヤ湾があるグアナカステ低地と、オサ半島やドゥルセ湾のある低地があり、気候は太平洋岸の南北で異なる。
地球上すべての生物種のうち5%が生息すると言われ、「環境保護先進国」として名高い。国立公園・自然保護区の総面積は全国土の1/4を超える。
そして世界で1番昆虫が多い国として知られている。
IMFによると、2013年のコスタリカのGDPは約496億ドルであり、日本の愛媛県とほぼ同じ経済規模である。一人当たりのGDPは10,528ドルで、世界平均とほぼ同じ水準にある。
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地球上すべての生物種のうち5%が生息すると言われ、「環境保護先進国」として名高い。国立公園・自然保護区の総面積は全国土の1/4を超える。
そして世界で1番昆虫が多い国として知られている。
IMFによると、2013年のコスタリカのGDPは約496億ドルであり、日本の愛媛県とほぼ同じ経済規模である。一人当たりのGDPは10,528ドルで、世界平均とほぼ同じ水準にある。
植民地時代には世界でも最も貧しい地域の一つだったが、第二次世界大戦後からは「中米の優等生」と呼ばれ、19世紀以来のコーヒー・バナナの輸出を背景に、政治の安定とあいまって経済成長が続いた。1960年代以降外資導入による工業化が進み、現在では農業国から工業国となって中米でパナマの次に豊かな国となっている。しかし、1990年代以降は、南米大陸の麻薬が北米や欧州にわたる際の中継地点とされた影響で、麻薬の一大消費地となってしまっており(444万人の国民のうち、20万人以上がコカイン中毒者)、治安の悪化と社会の不安定化が進んでいる。
主な輸出品は、コーヒー、バナナ、サトウキビ、パイナップル、メロン、コンピュータ部品などである。コンピュータ部品は1990年代後半のインテル社の進出によるところが大きい。
2021年、OECDに加盟した。
主な国際空港としてはサンホセのフアン・サンタマリーア国際空港と、リベリアのダニエル・オドゥベール国際空港の二つがある。
19世紀にコーヒーやバナナの積み出しのためにアメリカ資本によって建設された鉄道は、現在観光用として残されているもの以外はほとんど廃線となっている。
1980年代から2008年あたりまではエコツアーの人気の高まりとともに観光客および観光収入が増加している。しかし、首都サンホセと周辺地域では麻薬がらみの犯罪(窃盗や強盗)が多発するなどの課題もある。
コスタリカ国民は自らをティコ Tico(男性)またはティカ Tica(女性)と呼ぶ。
コスタリカ国民は、他の中米諸国とは異なり白人の割合が多いとされ、人種構成は白人94%、黒人3%、インディヘナ1%、中国系(華人1%、その他1%)だとされている。独立後にイタリア人、ドイツ人、ユダヤ人、ポーランド人などの白人移民や、ジャマイカ黒人の移民があった。
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コスタリカ国民は自らをティコ Tico(男性)またはティカ Tica(女性)と呼ぶ。
コスタリカ国民は、他の中米諸国とは異なり白人の割合が多いとされ、人種構成は白人94%、黒人3%、インディヘナ1%、中国系(華人1%、その他1%)だとされている。独立後にイタリア人、ドイツ人、ユダヤ人、ポーランド人などの白人移民や、ジャマイカ黒人の移民があった。
しかし、植民地時代のコスタリカは人口希薄地帯である以前に、そもそもヨーロッパ人の入植者の絶対数が少なく、一度としてインディヘナや黒人の総数を上回ったことはなかった。つまりコスタリカの白人人口の多さに関しては、生活様式や言語がスペイン化したメスティーソやムラートが、ある時期に自らを白人であると認識するようになったと考えるのが妥当である。
19世紀半ばに鉄道建設のために、サトウキビから経済の転換を図ったジャマイカの黒人や、中国人が導入され、ジャマイカ黒人はカリブ海側のリモンに定住した。一方中国系(華僑)は台湾人、香港人をはじめとして現在もコスタリカ社会に流入し続け、都市での飲食店などにおける存在感は高い。しかし、コスタリカでの黄色人蔑視は強い。
インディヘナは居留地(保護区)が指定され、事実上の隔離政策が適用されているが、それでもコスタリカ社会に出てきている人も多い。インディヘナには1992年にようやく選挙権が付与された。
コスタリカは多くの難民を受け入れており、多くは隣国ニカラグアと、コロンビアからの難民である。特にニカラグアに関してはコスタリカ人口の10-15%を占めているとされている。近年はペルーやベネズエラからの難民が多い。また、1970年代から1980年代は軍政に苦しむチリやアルゼンチンからの難民も多かった。
独立時に65,000人ほどだった人口は、1892年時点でも240,000人ほどにすぎなかった。その後20世紀を通して順調に人口増が続き、1960年代には100万人を超え、1950年代以降の乳幼児死亡率の改善や、難民の流入などにより急速に人口が増加し、2003年3月時点で415万人。人口密度は80人/平方キロ。都市部への人口集中が進んでおり、約65%が都市に居住している。
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コスタリカ
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独立時に65,000人ほどだった人口は、1892年時点でも240,000人ほどにすぎなかった。その後20世紀を通して順調に人口増が続き、1960年代には100万人を超え、1950年代以降の乳幼児死亡率の改善や、難民の流入などにより急速に人口が増加し、2003年3月時点で415万人。人口密度は80人/平方キロ。都市部への人口集中が進んでおり、約65%が都市に居住している。
言語は、スペイン語が公用語である。コスタリカのスペイン語には標準コスタリカ方言とニコヤ方言の二つの方言があり、ニコヤ方言はニカラグアの方言とアクセントがとても似通っている。
19世紀にジャマイカから黒人が移民してきたカリブ海側には、ジャマイカ英語を話す人々もいる。
宗教は、カトリック教会が85%、プロテスタントが14%、その他が1%である。1949年憲法でカトリックが国教として保障された敬虔なカトリックの国で、未だにカトリック教会の政治力が強く、妊娠中絶の不可や、家族制度の問題、性教育の拒否などコスタリカ社会に大きな影響を与えている。
アジアや中東からの移民によって持ち込まれた仏教(40,000人近い中国系が持ち込んだ)や、イスラーム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教なども信仰されている。
末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)も1960年代から地道な拡大を続けており、中央アメリカに二つしかない教会の内の一つが、エレディア県のサン・アントニオ・デ・ベレンに存在する。
1-2年の就学前教育を終えた後、6年間の初等教育、3年間の前期中等教育があり、この9年間が無償の義務教育となっている。その後、後期中等教育は技術科と学術科に分岐し、技術科は3年、学術科は2年で修了する。学術科を卒業すると大学への進学の道が開ける。コスタリカは現行の1949年憲法で教育予算に国民総生産(GNP)の6%以上を充てることを義務付けており、国公立の教育機関での教育費は初等教育から高等教育に至るまで無料である。
国民の識字率は95.5%であり、アルゼンチンの97%、キューバの99%と並び、中南米を通じて非常に高い。
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コスタリカ
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国民の識字率は95.5%であり、アルゼンチンの97%、キューバの99%と並び、中南米を通じて非常に高い。
高等教育に関しては、最初の大学(コスタリカ大学)が設立されたのが1940年と遅かったため歴史は浅いが、それでも現在までにコスタリカ工科大学(1971年)や、ナシオナル大学(1973年)、国立遠隔大学(スペイン語版)(1977年)などの多くの大学が設立されている。
現在のところ目下の問題は教室の不足、教員への給料の遅配、教育とカトリック教会の関係などである。
「コスタリカ市民は命や平和や人権や環境を慈しむことの大切さを教える教育の成果で、人を思いやり尊重する意識、人を傷つけない意識が世界でトップレベルである。コスタリカは福祉や医療や治安のレベルが世界でトップレベルであり、戦争や犯罪や貧富の格差などの人間社会の問題は解決されて、市民の誰もが他人を蹴落として自分だけが勝つことを考える競争社会を無くし平和で幸せに暮らしている。」という考えも存在する。
だが、現実のコスタリカは第二次世界大戦後幾度かの戦争に巻き込まれ、1965年のドミニカ共和国の内戦では主体的に紛争に警備隊を派遣したこともあった。またコスタリカのジニ係数は国際連合の調査で0.499と決して低くはない。黒人や先住民、アジア系市民、ニカラグア人難民に対しての偏見や差別は未だに根強いとされ、保護区への隔離政策が取られたために1990年代まで先住民に公民権は存在しなかった。また、国家とカトリック教会の結びつきの強さや、そこから来る宗教的倫理の強さは間接的に 私生児の増加などの諸問題に影響している。これらはコスタリカにとって解決されるべき諸課題であるとの意見もある。
2018年、コスタリカの憲法裁判所は、同性婚を妨げる国内の法律は違憲であるとの判断を下した。これを受けて2020年5月26日、コスタリカ国内では同性婚が合法化された。中米で同性婚が認められたのは初めて。
司法警察が発表した犯罪統計によれば、コスタリカの主な罪種別は殺人446件、強盗12,009件、強姦471件、侵入盗(住宅)7,149件など依然として犯罪率が高い。
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コスタリカ
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2018年、コスタリカの憲法裁判所は、同性婚を妨げる国内の法律は違憲であるとの判断を下した。これを受けて2020年5月26日、コスタリカ国内では同性婚が合法化された。中米で同性婚が認められたのは初めて。
司法警察が発表した犯罪統計によれば、コスタリカの主な罪種別は殺人446件、強盗12,009件、強姦471件、侵入盗(住宅)7,149件など依然として犯罪率が高い。
常備軍を廃止した代わりに十分な警察力を有するコスタリカは一般に中南米地域の中では政治・経済とともに治安も安定した国とみられていたが、1990年代以降は不法滞在者の増加、組織犯罪グループの流入、銃所持者の増加、麻薬の蔓延などにより治安が悪化し、首都サン・ホセ市およびカリブ海沿いのリモン市を中心に犯罪が多発している。首都サン・ホセ市では犯罪者集団同士の銃撃戦が勃発しているほか、拳銃を利用した強盗が多発するなど、銃器が氾濫している。
コスタリカはコロンビアなど南米からの麻薬が欧州やアメリカに運ばれる際の中継地点であるだけでなく、麻薬の集積地および消費地にもなっている。特にコカイン押収量は年々増加の傾向を辿っており、一度に数百キログラム単位で押収される事も多い。麻薬組織が直接関与する犯罪のほか、麻薬の購入資金欲しさに起こる強盗や殺人の増加も問題になっている。
コスタリカ人はメソ・アメリカ文化と南アメリカ文化の結節点だったことからなる、自国の多様な文化を誇る。16世紀にスペインのコンキスタドールがやってきた時には、国土の北西のニコヤ半島がナウアトル文化の影響を受けており、国土の中央と南部はチブチャの影響を受けていた。しかし、インディヘナはスペイン人による疫病や酷使によりほとんどが死んでしまったため、近代においてコスタリカ文化に影響を与えたことは少なかった。
大西洋側には17世紀から18世紀を通して黒人奴隷が労働力として移入された。しかしながら、多くのアフリカ系コスタリカ人は19世紀に、カリブ海のリモンから中央盆地に向かう鉄道建設のため移入されたジャマイカ系黒人である。イタリア系と中国系の人々もこの時期に鉄道建設のためにやってきた。このような多様な人種により、コスタリカの文化は育まれた。
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コスタリカ
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大西洋側には17世紀から18世紀を通して黒人奴隷が労働力として移入された。しかしながら、多くのアフリカ系コスタリカ人は19世紀に、カリブ海のリモンから中央盆地に向かう鉄道建設のため移入されたジャマイカ系黒人である。イタリア系と中国系の人々もこの時期に鉄道建設のためにやってきた。このような多様な人種により、コスタリカの文化は育まれた。
また、1930年ごろに国内の密林で巨石球群が発見された。この巨石は、最大のものは直径が2.5m以上、重量が20トン以上あり、数個から40個ぐらいがまとまっていた。
トウモロコシ文化圏の国である。米、豆、トルティーヤなどが主に食べられている。
よく知られている「トリニダード島のカリプソ」とは違う土着の「カリプソ」が存在する。ロック、サルサ、ソカ、メレンゲ、クンビアなども人気である。
コスタリカ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された自然遺産が3件(うち1件はパナマと共有)、文化遺産が1件存在している(2016年の第40回世界遺産委員会終了時点)。
コスタリカ国内でも他のラテンアメリカ諸国同様、サッカーが圧倒的に1番人気のスポーツとなっており、1921年にプロリーグのプリメーラ・ディビシオンが創設された。主なクラブとしては、デポルティーボ・サプリサ、LDアラフエレンセ、CSエレディアーノなどが挙げられる。著名な選手としては、名門レアル・マドリードやパリ・サンジェルマンで100試合以上に出場したゴールキーパーのケイロル・ナバスが世界的に知られている。
コスタリカサッカー連盟(英語版)によって構成されるサッカーコスタリカ代表は、これまでFIFAワールドカップには5度の出場歴があり、1990年大会で初出場してグループリーグを突破しベスト16に進出した。2014年大会ではグループリーグで、コスタリカ以外の3カ国が優勝経験を持つ死の組に入ったものの見事突破し、ラウンド16でもギリシャ代表に勝利し過去最高位となるベスト8の成績を収めた。
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コスタリカ
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コスタリカサッカー連盟(英語版)によって構成されるサッカーコスタリカ代表は、これまでFIFAワールドカップには5度の出場歴があり、1990年大会で初出場してグループリーグを突破しベスト16に進出した。2014年大会ではグループリーグで、コスタリカ以外の3カ国が優勝経験を持つ死の組に入ったものの見事突破し、ラウンド16でもギリシャ代表に勝利し過去最高位となるベスト8の成績を収めた。
CONCACAFゴールドカップでは1963年大会、1969年大会、1989年大会とメキシコ代表やアメリカ代表に次ぐ3度の優勝を誇り、コパ・セントロアメリカーナでは大会最多8度の優勝を達成している。さらに南米選手権のコパ・アメリカには5回参加しており、2001年大会と2004年大会ではベスト8に進出するなど、北中米におけるサッカー強豪国として名高い。
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星里もちる
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星里 もちる(ほしさと もちる、1961年1月1日 - )は、日本の漫画家。福岡県北九州市出身。男性。左利き。
アニメーションの撮影助手、みなづき由宇のアシスタントなどを経て、1986年に『危険がウォーキング』でデビュー。1980年代は『プチアップルパイ』『少年キャプテン』など、徳間書店のマニア向け少年漫画誌で活動していた。
初期はロリコン漫画ブームの流れを汲むドタバタラブコメ作品を得意としていたが、青年向けホームドラマコメディ作品の『いきばた主夫ランブル』が小学館の編集者の目にとまる。1989年、『ビッグコミックスピリッツ』連載の『ハーフな分だけ』で本格的に青年誌へ転じ、1990年連載開始の『りびんぐゲーム』で人気を博す。以降は小学館『ビッグコミック』系青年誌を中心に活動し、1970年代の松木ひろし脚本作品を思わせるホームドラマコメディと内向的でリアルなドラマを往復、または両者が入り混じった作風が特徴となる。
代表作は『りびんぐゲーム』『夢かもしんない』『本気のしるし』『ルナハイツ』など。ラジオ番組「コサキン」のリスナーで、『いきばた主夫ランブル』などの初期作品内でコサキンネタを匂わせるようなシーンがある。また、『危険がウォーキング』の頃からアイドル女優とテレビドラマ好きを公言しており、デビュー当時は斉藤由貴や酒井法子のファンだった。
2005年と2006年に『ルナハイツ』が実写映画化され、2019年には『本気のしるし』もテレビドラマ化される。同作を再編集した『本気のしるし〈劇場版〉』は、第73回カンヌ国際映画祭「Official Selection 2020」に選出された。
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細野不二彦
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細野 不二彦(ほその ふじひこ、1959年12月2日 - )は、日本の漫画家。男性。東京都大田区出身。慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。
1995年、『ギャラリーフェイク』『太郎』にて第41回(平成7年度)小学館漫画賞青年一般部門を受賞。
大学時代からスタジオぬえで活動。大学在学中の1979年、『マンガ少年』(朝日ソノラマ刊)掲載の「クラッシャージョウ」(高千穂遙原作作品のコミック化)でデビュー。単発だったが好評のため継続した。
1980年に『恋のプリズナー』 で「週刊少年サンデー」に初掲載。1980年代前半は小学館系の新人漫画家として『さすがの猿飛』『どっきりドクター』『Gu-Guガンモ』など、美少女描写に長けたコメディ作品を発表。『さすがの猿飛』と『Gu-Guガンモ』はフジテレビ系列でテレビアニメ化され、日曜日のゴールデンタイムに全国放送された。
1980年代後半から青年漫画雑誌に執筆の場を移し、『愛しのバットマン』『太郎』『ギャラリーフェイク』『ダブル・フェイス』『電波の城』などのヒット作を発表している。作風が大きく変化し、かつての手塚治虫や石ノ森章太郎のようなストーリーテラーとしての性格が強くなったことから、漫画家として取り上げるジャンルは幅広く、同時連載もあって作品数・仕事量は非常に多い。
1991年には『ジャッジ』がOVA化、2005年には『ギャラリーフェイク』がテレビ東京系にてテレビアニメ化されている。また、1991年にはゲームソフト『ラグランジュポイント』(コナミ)、1997年には『グランドレッド』(バンプレスト)のキャラクターデザインも手がけた。
2012年3月14日、漫画家のインタビューネット配信番組「漫画元気発動計画」の第12回から第15回に出演し、漫画製作の裏話を語った。
2017年から2019年まで、初期の代表作である『さすがの猿飛』の33年ぶりの続編『さすがの猿飛G』を連載。
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細野不二彦
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2012年3月14日、漫画家のインタビューネット配信番組「漫画元気発動計画」の第12回から第15回に出演し、漫画製作の裏話を語った。
2017年から2019年まで、初期の代表作である『さすがの猿飛』の33年ぶりの続編『さすがの猿飛G』を連載。
慶応義塾高校時代は河森正治(メカニックデザイナー、アニメ監督)・美樹本晴彦(漫画家・キャラクターデザイナー)・大野木寛(脚本家)らとグループを組んで絵を描いていた。各々にイラストの得意分野があったが、細野は天才的な画力をもつ努力家で、なんでも描いていたという。当時の画風は石川賢に近かったが、プロになる前に絵柄を変えろと言われ徹底的に変えたという。そのため、プロデビューから1990年代前半までは端正な描線で美少女描写に長けた作家として評価されていたが、青年漫画誌のストーリーテラーとして定着した1990年代中盤以降は再び、荒々しい描線を活かした緊張感のある画風へ変化している。
1985年の『ダーティペア』アニメ版で、ユニフォームデザインを担当している。原作小説の設定および安彦良和による表紙や挿絵 をある程度参考にしている。
島本和彦の自伝的漫画『アオイホノオ』では、主人公ホノオが「カッコイイ絵柄でギャグをやる」という作風を思いついて喜ぶが、『週刊少年サンデー』に初登場した細野の『恋のプリズナー』を読んで衝撃を受けるというエピソードが描かれる。岡田斗司夫は「細野不二彦の登場以来、新人マンガ家の条件として『可愛い女の子が描けるかどうか?』はほぼ絶対の条件になった。」と解説している。
2021年には自身のデビュー当時を振り返る自伝的作品『1978年のまんが虫』を執筆した。作中では主人公を「細納(さいの)不二雄」と呼び、大学の仲間やスタジオぬえの先輩たちとの交流、漫画への情熱とプロになるための苦闘、実家の長男としての責任などを描いている。
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桑田乃梨子
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桑田 乃梨子(くわた のりこ、3月4日 - )は、日本の漫画家。新潟県長岡市出身。
1988年、『LaLa DX』春の号(白泉社)掲載の『ひみつの犬神くん』でデビュー。『花とゆめ』、『LaLa』などで活躍。代表作に『おそろしくて言えない』、『男の華園-A10大学男子新体操部』、『だめっこどうぶつ』(2005年キッズステーションでアニメ化)、『豪放ライラック』などがある。現在は白泉社を離れ、幻冬舎の漫画雑誌などで執筆をしている。
マンガチックな画風で、作品には学園コメディと動物ものが多いほか、頻繁にオカルトテーマが(明るく)からむ傾向がある。背景の書き文字による楽しい自己ツッコミと、脇役のキャラクターの強さ(相対的に主人公のキャラクターの弱さ)が特徴。また、オタク系キャラクター(制服マニアの先生とか)の登場が多い。
シャチが好きらしい。
好きなミュージシャンは佐野元春、布袋寅泰、稲葉浩志、山本正之。またPop Will Eat ItselfやProdigyやHardfloor、Human League、Depeche Mode、Duran Duran、Radiohead、Oasis、New Order、電気グルーヴ、ケン・イシイなどを愛聴している。女性アーティストで好きなミュージシャンはBlondieやガービッジ、Siouxsie & The Bansheesなどを挙げている。熱狂的というほどではないが好きらしい。
最近気になる有名人は、嵐の相葉雅紀らしい。
阿部川キネコが以前アシスタントをしていた。また、遠藤淑子と親交がある(『日々是敗北』にて本記事の記載に関する言及あり)。
PWEI好きを公言しており、「一にポッピーズ、二にポッピーズ。三、四がなくて、五にグレボ」と発言した。
愛猫の「にょろり」は後書き漫画によく登場するほか、『BE・LOVE』にて連載されていた『ねこしつじ』の「しつじ」としても登場している。
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ナス
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ナス(茄子、茄、ナスビ、学名:Solanum melongena)は、ナス科ナス属の植物。また、その果実のこと。別名ナスビともよばれる。インド原産で、淡色野菜として世界中で栽培されている。果実は黒紫色が多いが、色や形は様々で多数の品種がある。
クセのない味わいと火を通したときのなめらかな食感が特徴で、品種によって様々な調理法があり、料理のジャンルを問わず使えるため、定番の野菜として欠かさないものとなっている。栄養的にはさほど見るべきものはないが、東洋医学では体温を下げる効果があるとされている。また皮の色素ナスニンは抗酸化作用があるアントシアニンの一種である。
和名ナスの語源については諸説あり、実の味から「中酸実」(なかすみ)の略であるとする説、夏に実がなるので「夏実」(なつみ)と読んだが、それが訛って「なすび」(奈須比)と呼ばれたとする説がある。室町時代頃に宮廷の女官が女房言葉として「おなす」と呼び、その呼称が定着した。
英名はオーバァジーン(Aubergine)(主に英国)、またはエッグプラント(Eggplant)(主に北米)で、仏名はオーベルジーヌ(aubergine)、伊名はメランザーナ(melanzana)、中国植物名では茄(か)もしくは茄子(かし)の名で広く栽培される。「茄」は植物をさし、「茄子」は果実をさすともいわれている。
インドの原産。原産地など熱帯地域では多年草であるが、温帯地域では一年草として畑で栽培されている。
茎は黒紫色で、高さ60 - 100センチメートル (cm) になる。中には茎にトゲが見られるものがある。葉は互生し、葉身は卵状楕円形で、葉縁は波打ち、葉柄に近いところでは左右非対称になる。葉にはトゲがあり、毛が生えている。
花期は夏から秋で、葉腋と次の葉柄の途中に花柄を出して、紫色の花を下向きに1個から数個咲かせる。ひとつの花柄に複数の花が咲いても、基部の1個以外は結実しない。
果実は品種によって形も色も様々で、色はふつう紫色であるが、中には緑色、白色のものがある。果肉は密度が低くスポンジ状である。ヘタの部分にはトゲが生えているものがあり、鋭いトゲは鮮度を見分ける方法の目安となるが、収穫の作業性向上や実に傷がつくという理由から棘の無い品種も開発されている。
ナスは寒さや乾燥には弱く、日当たりがよくて水を好む性質がある。
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Subsets and Splits
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