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PC/AT互換機
このため、世界市場ではIBM PC XT、IBM PC ATをベースとした各社の互換機が発達して表示規格もVGAや更に各種のスーパーVGAが普及するなどハードウェアおよびソフトウェアの互換市場が形成されて低価格化が進展したが、日本では世界市場と日本国内では大多数のハードウェアやソフトウェアの互換性も低く、PC-9800がデファクト・スタンダードとなって「ガリバー」と呼ばれ、硬直的な価格設定が続き、大多数のアプリケーションソフトウェアの画面解像度は横640ビット・縦400ビット(テキストモードは16ドット日本語フォントで80文字・25行)であった。 日本でのIBM PC/AT互換機の本格的な普及は、1990年のDOS/V登場による。日本IBMはVGA搭載のPS/55ラップトップモデル(5535-S)用のオペレーティングシステムとして登場したが、このDOS/VがIBM PC/ATベースのノート型モデル(PS/55note 5523-S)にも搭載されると、PC/AT互換機でもソフトウェアのみで日本語化が実現できる事が当時のパソコン通信等のネットワーカー達により話題となり、多数の互換機での稼働報告や、価格性能比に優れた台湾製80486搭載パーソナルコンピュータの個人輸入などが拡大した。
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PC/AT互換機
日本IBMはDOS/V普及のためにOADGを組織し、日本語キーボードの標準化、開発者向けリファレンスガイド発行、ユーザー向けソフトウェアカタログ発行などの活動を行った。また1991年5月にPS/55ZエントリーモデルとしてATバス搭載のデスクトップ(5510-Z)を日本で初めて発売したが、当時このモデルは「IBMが発売したPC/AT互換機」として各社の稼働検証用にも使用された。更にIBM DOS/V(後のPC DOS/V)を他社に提供する他、当時のOS共同開発契約に基づきDOS/Vの日本語化部分をマイクロソフトに提供し、マイクロソフトからもマイクロソフト版のDOS/V(MS-DOS/V)を各社に提供した。富士通、東芝、AX参加各社もOADGに参加し、AX協議会は発展的に解消した。またコンパック等も日本市場に参入した。なお、当時日本では「PC」とはPC-9800シリーズを指すことがほとんどだったこと、日本IBMにはPS/55など別の日本語化規格のPCも併存していたこと、当時のPC/AT互換機は既に80386や80486、VGAやSVGAなどオリジナルのIBM PC/AT(80286、EGA)より拡張されていたことなどもあり、日本では「IBM PC互換機」「PC/AT互換機」よりも、「DOS/V機」「DOS/Vパソコン」などの呼称が普及した。 当時はWindows 3.0の時代で、アプリケーションも少なかったが、その間、ネットワーカーたちによって環境の整備やノウハウの蓄積が行なわれた。例えば、DOSの日本語拡張表示機能であるV-Textは、西川和久やLeptonらネットワーカーたちによって考案され、IBM公認の仕様となり、当時のDOS/Vブームを支えた。ブームに伴い、日本語変換入力ソフト、各著名アプリケーションがDOS/Vパソコンに移植されていった。
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PC/AT互換機
リリースが大幅に遅れた日本語版Windows 3.1は、1993年に発売されるとブームになり、パーソナルコンピューターを急速に普及させた。Windowsはパソコンのアーキテクチャの違いを埋め、異なるアーキテクチャのパソコン同士であっても、同一のパソコン操作環境を提供した。その過程で、安価で高性能、かつ内外多数のメーカーから機種を選択できるということで、PC/AT互換機は日本でも一般層に徐々に浸透していった。そして、日本での標準機であったPC-9801 シリーズを供給していたNECは、PC-9800シリーズアーキテクチャーの維持が価格競争上困難であると判断し、その供給を終了することになる。 世界標準のPC/AT互換機がそのまま日本語環境で使える事になったため、コモディティ化を招くことになった。海外、特にコスト面で競争力が強かった台湾製のPC/AT互換機が大量に流入するに至って、日本メーカーはNEC他、細々と独自のものを維持していたメーカーも、そのアーキテクチャーを放棄した。加えて、ほぼNECの寡占状態であったパーソナルコンピューター市場は、広く日本の他のメーカーにも開かれた形になり、それらのメーカーはPC/AT互換のプラットフォームの上で独自性を持たせる製品開発の方向へと進んだ。以後は、多くの日本メーカーも中国や台湾などのメーカーからOEM供給を受けてパーソナルコンピューターを販売するようになった。 いわゆる「PC/AT互換機」はオリジナルのIBM PCやIBM PC ATより、ハードウェア面では多くの機能が拡張されており、既にオリジナルと共通するハードウェア規格はほとんど無いが、しかしソフトウェアから見た基本的な後方互換性はほぼ保たれている。 IBM PC AT以降の詳細は下表も参照。
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2月16日
2月16日(にがつじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から47日目にあたり、年末まであと318日(閏年では319日)ある。
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OS/2
OS/2(オーエス・ツー)は、1987年にIBMとマイクロソフトが発売したパーソナルコンピュータ(パソコン)用の16ビットおよび32ビットのオペレーティングシステム (OS) である。OS/2はMS-DOSおよびPC DOSの後継として両社によって共同開発された。 正式な製品名は提供元により「IBM Operating System/2」(IBM オペレーティングシステム/2)または「Microsoft Operating System/2」(マイクロソフト オペレーティングシステム/2)である。製品名の最後の「2」は、従来のDOS (PC DOS, MS-DOS)に対して「次世代OS」の意味を持つ。なおIBM同時発表の新しいパーソナルコンピュータの名称は「IBM PS/2」である。 略称は「IBM OS/2」または「Microsoft OS/2」(「MS-DOS」のように「MS-OS/2」と略される場合もあるが正式ではない)。 IBMとマイクロソフトのOS共同開発契約により、PC DOSとMS-DOSと同様に、IBMからは「IBM OS/2」が、マイクロソフトからIBM以外のメーカーへのOEM供給版は「Microsoft OS/2」となった。ただしIBM版のみに拡張版 (EE) が存在した。 バージョン3.0以降はIBM版のみで、「OS/2 Warp」はバージョン3.0から付けられた名称である。 OS/2はIBM PS/2と同時に発表され、IBMとマイクロソフトにより供給され、当時はMS-DOSおよびPC DOSの後継とされた、16ビットおよび32ビットのパソコン向けOSである。 以下の特徴がある。 日本では日本電気、東芝、富士通、AX各社などにより採用され、DOS/Vに続きOADGの標準化にも採用された。 OS/2の主なバージョンは以下の通り。リリース年月はIBM OS/2英語版 。 日本語版の主なバージョンは以下の通り。 元来は、IBM PS/2のOSとして、IBMとマイクロソフトとの共同で開発されたものである。 最初のVer.1.0ではGUIは搭載されておらず、16ビットのOS/2コマンドプロンプトとDOS互換環境をキーボードでスイッチできた。OS/2コマンドプロンプト間は最初からプリエンプティブ・マルチタスクであった。
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OS/2
日本語版の主なバージョンは以下の通り。 元来は、IBM PS/2のOSとして、IBMとマイクロソフトとの共同で開発されたものである。 最初のVer.1.0ではGUIは搭載されておらず、16ビットのOS/2コマンドプロンプトとDOS互換環境をキーボードでスイッチできた。OS/2コマンドプロンプト間は最初からプリエンプティブ・マルチタスクであった。 次のVer.1.1でGUIとして、OS/2プレゼンテーションマネージャー (PM) が搭載された。外見はWindows 3.0とほぼ同一である(OS/2 PMもWindows 3.0も、IBM Systems Application ArchitectureのCUA'87準拠のため)。 Ver.1.2のリリース後、マイクロソフトはWindowsの開発に注力することになり、以降はIBMのみの開発となった。拡張版において、REXXを装備した。両社が袂を分かつことになった経緯について、一点目は両社の開発スタイルなどの企業文化に大きな違いがあったこと、二点目は当時マイクロソフトにとってIBMが最大顧客であったもののWindows 3.0の爆発的ヒットに伴いしだいに関係に変化が生じたことを指摘する声もある。 1990年、IBM単独開発で更に軽量化したOS/2 1.3を発売。このバージョンにおいて、基本版にもREXXを装備する。これ以降の開発は、OS/2 2.0を主にIBMが、OS/2 3.0を主にMicrosoftがそれぞれ分担することとなる。Windows 3.0発売時、当時開発中のOS/2 3.0(後にWindows NTと改名)の主要な拡張Windows APIや拡張OS/2 APIを置き換えると決め、IBMとの緊張を生むことになる。マイクロソフトはその後、IBMとの一切の共同開発から手を引きWindows NTの開発に専念するようになった。
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OS/2
1992年3月31日、IBMは世界初のパソコン用32ビットOSである、OS/2 2.00を発売。Windows 3.0互換環境 (WIN-OS/2)、複数のDOS互換環境 (MVDM) を持ち、統合プラットフォームとして一つの完成形を見る。また、ユーザインタフェースをがらりと変更し、オブジェクト指向のGUIであるワークプレース・シェル (Workplace Shell, WPS) を標準環境とした。 ワークプレース・シェルは、CORBA準拠のオブジェクト間通信技術、SOM (System Object Model) / DSOM (Distributed SOM) の上で構築されていた。SOMはオブジェクト指向ではないOSで、言語にほぼ依存せずにオブジェクト指向の機能を実現するオブジェクト管理用の開発環境である。また、ワークプレース・シェルは、操作のオブジェクト指向という点では、デスクトップに余計なもの(メニューなど)を表示させず、ユーザ側がアクションを起こしたときにしか表示されない(Warp 4以降は軌道修正でメニューバーが表示されるようになった)。 これらの技術背景により、オブジェクトの動的追跡などが可能というメリットがあるが、長期間使用していくとデスクトップが壊れたりファイル操作に時間がかかるといった問題も抱えることになった。 Ver.2.1ではWindows 3.1用のアプリケーションが動くようになった(WIN-OS/2がWindows 3.1相当になった)。386エンハンスドモードを要求するWindows 3.1用のアプリケーションも動作するようになった。(Ver.2.0ではスタンダードモードのみ対応) Ver.2.11からは、導入済みWindows 3.1環境に上書き導入することで、パッケージにWindows 3.1モジュール (WIN-OS/2) 及びそのライセンスを含まない低価格パッケージのJ2.11 for Windowsが追加され、以下の2パッケージとなった。 1993年9月、IBMとマイクロソフトのソースコードの相互公開契約が満了し、これ以降のOS/2とWindows NTは完全に分化し、それぞれ別の発展をすることとなる。
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OS/2
1993年9月、IBMとマイクロソフトのソースコードの相互公開契約が満了し、これ以降のOS/2とWindows NTは完全に分化し、それぞれ別の発展をすることとなる。 OS/2 2.11は、対抗商品となったWindows NT 3.1の完成度の低さと、Windows 3.x系との互換性の高さから、当時のパソコン用32ビットOSとしては比較的リソースを消費せず、Windows 3.1のソフトウェアがほぼ完全に動作することから「OSごと落ちない完全なマルチタスク可能なWindows 3.xマシン」として利用された。また、当時のパソコン雑誌『PC WAVE』1993年9月号と『DOS/Vマガジン』1993年10月号にOS/2 2.11のベータ版 (CD-ROM) が収録された(当時はCD-ROMは雑誌の付録として認可されておらず、引換券を出版元に送付することにより入手できた)。 1994年10月、IBMはモトローラとともにPowerPCを使ったプラットフォーム、PowerPC Reference Platform(PReP)を提唱。PReP向けにマイクロカーネル上で複数のOSを動作させる、Workplace OSの開発をIBMは表明したが、最終的には、OS/2 for PowerPCを作り上げるにとどまった。 またこのころから Apple Computerやノベルとともに、OpenDoc(マイクロソフトのOLEとほぼ同様の機能を、高機能・マルチプラットホーム化したもの)の開発にとりかかりWarp 4に搭載されたが、後年Javaの台頭により、普及には至らなかった。 1995年3月に発売されたVer.3.0(マイクロソフトが開発中で放棄したOS/2 3.0とは無関係)では32ビットCPU専用となり、開発コードWarp(ワープ)を製品名としてグループウェアのLotus Notesや日本語IMのWritingHeads/2等のアプリケーションを多数バンドルして発売された。ちなみに、開発コードのWarpは米国SF TVシリーズのスター・トレックに由来するもので、当時『新スタートレック』が放映中であったこともあり、バージョン4.0の開発コードがMerlinになるまで、スター・トレック関係の固有名詞が開発コードに使用されていた。
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OS/2
日本では、「DOSも走る、Windowsも走る。OS/2なら一緒に走る」(J2.11のテレビコマーシャル)「ワープを使え」という、山口智子のテレビコマーシャルが流された。IBMが家庭向けに販売していたパソコンであるAptivaシリーズにバンドルされるなど、個人ユーザー向けに最も積極的に普及のための活動が行われたのがこのころである。しかし、同年11月に発売を予定していたWindows 95の評価が固まるまで、双方の導入を見送ったユーザも多かった。 1996年9月、OS/2 Warp 4を発表。日本語版発売は同年12月であった。 OS/2 Warp 3に対して様々な改良・強化をしているが、対応デバイスが少ないという不満に対しては、「Device Driver Pak」が導入され、OS側ではOMNIプリンタードライバやGRADDなどの、ドライバを作りやすい工夫が盛り込まれた(これらの一部はWarp 3にもフィードバックされた)。また、ユーザのレベル別に内容を変えるオンラインヘルプのWarpGuideが導入されている。また、ワークプレース・シェルのUIを大幅に変更し、メニューバーの装備、WarpCenterなど、他のOSで採用されたメタファーを積極的に取り込んでいる。また、Java VMをカーネルレベルで取り込み、VoiceTypeをサポートしている。 1999年Warp Server for e-business (WSeB) を発表。 2001年OS/2 Warp 4.51を出荷(ベースはWSeB) 2002年OS/2 Warp 4.52を出荷 2005年7月にIBMは正式なサポート終了通告を発表し、2006年12月末をもって通常ルートのメンテナンスを完全に停止する事となった。 IBMは2002年リリースのWarp 4.52を最後にOS/2のバージョンアップを終了した。IBMは保守サポートにてAGP、USB、DVD±Rなどの技術や、新しいプリンターやCD-RW、DVDなどの周辺機器について対応した。2005年7月、IBMはOS/2 Warp4 および OS/2 Warp Server for e-business のサポート終了予定を発表、2006年12月31日にサポート終了した。以後はライセンスを受けたサードパーティーがサポートを続けている。
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OS/2
IBMからライセンス供給を受けた実質的なOS/2後継OSには以下がある。 OS/2は、IBMとマイクロソフトによるDOS(PC DOSおよびMS-DOS)後継の次世代OSとして共同開発され、DOSと同様に2社間でOS供給の役割分担が行われた。 Microsoft OS/2 は 2.1 で終了したが、IBM OS/2 2.1 よりIBM製品以外のPC/AT互換機もサポート対象に追加された。 日本では東芝はIBM OS/2 (Warp V3まで)、日本電気はIBM OS/2 (Warp 4まで)をサポート・販売した。この他、金融機関のATM、POS端末、森精機製作所(現・DMG森精機)のCNC旋盤、日立国際電気製の縦型拡散炉/減圧CVD装置VERTEXシリーズ、QuixAceシリーズ、ALDINNAシリーズで使用されている装置制御システムCX-3000シリーズなどの各種の産業機器や組み込み機器もOS/2を使用した。 主な商用のOS/2ネイティブ・アプリケーションには以下があった。 以下のDOS版・Windows版アプリケーションは、OS/2上のDOSやWindowsの互換環境で一時はサポートされていた。
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Intel 80286
Intel 80286(インテル はちまるにいはちろく)はインテルの16ビットマイクロプロセッサ (CPU)。IBMのPC/AT(日本ではPC-9800シリーズ)およびその互換機によって広く普及した、DOS時代の代表的なパーソナルコンピュータ (PC) 用プロセッサであった。 1982年2月1日に発表、1984年から6MHz版と8MHz版が出荷された。134,000個のトランジスタを集積した1.5μmのNMOSプロセス(インテルの呼称だとHMOS-III)で製造され、性能を大幅に増加させるパイプラインを構成する4つの独立したユニット(アドレスユニット、バスユニット、命令ユニットと実行ユニット)を持っていた。クロック周波数は6、8、10、12MHz があった。パッケージには68ピンPLCC、LCC、PGAがあった。 8086とソフトウェアの上位互換性を持ち、より高速に命令実行可能(同クロック8086比で約2.5倍)。また、物理メモリ空間が16MBに拡張され、1GBの仮想記憶やマルチタスク処理に対応している。 また、インテルはこのモデルまではセカンドソース推進戦略を採用したため、AMD、富士通、シーメンス、ハリス・コーポレーション(英語版)(以降、ハリスと表記)からもセカンドソース品が供給された。特にAMDとハリスは、ライセンスが受けられない80386に対抗するため、16、20MHz、ハリスは25MHz、といった、より高クロックの80286を市場に投入した。後述するようにDOSで動作させる限り、同一クロックの80386よりも高い実行速度が得られたからである。 インテル社のiAPX 286 Programmer's Reference Manualでは、CPUの80286と後述の周辺LSIの組み合わせがiAPX 286であるとしている。 8086や80186に対する上位互換性を持つリアルモードに加えて、プロセスやメモリを保護するプロテクトモードを追加し、これをサポートする命令が追加された。また、マルチタスクオペレーティングシステムを実装する際に必要な仕組みや命令群が拡張され、その後の32ビットCPUへ繋がる基礎ができあがった。4階層の特権レベル、仮想記憶機能、メモリ保護機能、TSS(Task state segment)を使用したタスクスイッチ機能などを持つ。
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Intel 80286
80286で、DOSやBIOSの資産を継承しつつ、更に仮想記憶機能を生かすためにはリアルモードとプロテクトモードの間を往復することが必要だが、80286にはプロテクトモードからリアルモードへの復帰命令が無く、復帰にはCPUのリセット信号線を有効にするしかなかった。そのため、80286搭載機では特定のI/Oポートを操作することによりCPUのリセットパルスを発生させるハードウェアを持っており、ソフトウェアからCPUのみのリセットを行うことができた。BIOSの初期化プログラムの中で通常のハードウェアリセット(電源ONまたはリセットスイッチ押下)と前述のソフトウェアリセットを区別し、初期化方法を切り替えるという処理が必要だった。これら一連の処理はオーバーヘッドが大きいため、結果的に80286を用いたリアル/プロテクトモード間のスイッチングは非効率的なものとなった。 なお後継の80386以降では、両モード間を任意に往復できる機能や仮想86モードなどを備えていた。 リアルモードへ戻るための方法はハードウェア独自のものとなっており、具体的な手順は以下のようにハードウェアによって異なる。 上記の通り80286はリアルモードとプロテクトモードを備えており、起動直後やMS-DOSでは基本的に8086や80186と互換性の高いリアルモードで動作する。 8086では1MiB(000000H - 0FFFFFH)のメモリ空間を持つが、本来16ビットのレジスタでは64KBまでのアドレス(00000H - 0FFFFH)しか表現できない。そこで16ビットレジスタを2つ用意し、まず1MB中のメモリ空間からアドレスの「原点」を10Hバイト単位で大雑把に指定し、もう1つのレジスタでそこから上位の64KBまでをアクセスできるようにしていた。したがって「原点」を示すセグメントレジスタを最大の0FFFFHに設定すれば、0FFFF0Hからさらに上位の64KBすなわち1MBを超える10FFEFHまでアドレスを表現できることになる。しかし8086ではアドレス線がA0 - A19の20本しか用意されていないため100000H - 10FFEFHのアドレスにはアクセスできず、桁あふれした部分は000000H - 0FFEFHにラップアラウンドしてアクセスすることになる。
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Intel 80286
80286ではこのようなラップアラウンドは起こらないため、インテル社のiAPX 286 Programmer's Reference Manualでは「もしリアルモードのプログラムがアドレス空間のラップアラウンドに依存している場合(例えばFFF0:0400 = 0000:0300)、上位アドレス4ビットをゼロにするために外部ハードウェアを使用すべきである」としている。 アドレス線を24本持つ80286を採用したシステム(PC/ATなど)では、ラップアラウンドを前提で作られたソフトウェアとの互換性を維持しつつ100000H以上のメモリにもアクセスできるように、21本目のアドレス線 (A20) の無効/有効を切り替えるハードウェアを持っていた。特定のI/Oポート(PC/ATではキーボードコントローラ)からA20を有効にするとリアルモードのままでも64Kバイト程度の上位メモリを参照することが可能になり、HMAと呼ばれた。 HMAは64Kバイト程度であるが640Kバイトの約10%にも相当し、メモリ枯渇に苦しむDOSユーザーにわずかな救いとなった。80386以降のプロセッサでもHMAは使用できる。 キャッシュを内蔵した80486以降のCPUではA20を無効にする機能を内蔵し、CPUにA20M#というピンを追加した。これは外部ハードウェアでA20を無効にしても80486がキャッシュに保存されたHMAにアクセスしてしまうためである。このA20M#を制御するのは、PC/ATではキーボードコントローラで変化していない。 なお、80286は16Mバイトの後ろの約64Kバイトにアクセスした場合、先頭の000000H番地にラップアラウンドにするが80386ではこのラップアラウンドは起こらない。このことが問題になる場合は、80386のページング機能を使用して16Mバイトの後ろの64Kバイトの領域を先頭の000000Hにマッピングすることで回避できる。 80286にはCPUID命令は無く、インテルはフラグレジスタを使ったCPUの判別方法を紹介している。
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Intel 80286
80286にはCPUID命令は無く、インテルはフラグレジスタを使ったCPUの判別方法を紹介している。 PUSHF/POPF命令で読み書きできる16ビット分のフラグのうち、上位4ビットは8086世代(V30、80186などを含む)では使われていない予約ビットとなっていた。実際はその部分が1111bとして読み出せたものの、変更はできなかった。80286ではこの部分がプロテクトモードで使われるようになったため、リアルモードではゼロクリアされた状態になった。さらに仮想86モードを持つ80386からはリアルモードにおいてもこのビットが変更可能な仕様になっている。すなわちリアルモードの時点 (BIOSやMS-DOS) において、フラグレジスタのbit15-12が1111bから変更できなければ8086世代、0000bから変更できなければ80286、そのどちらでもない、つまり一部でも変更可能であれば80386以降と判断できる。 8086から使用できる基本命令セットに加え、以下の命令セットが追加された。 80286で新たに追加された命令のうち11個の拡張命令セットは、後に発表された80186にも採用され、共通で使用できた。このほか既存の命令ではIMULとPUSHに即値(イミディエイト)が指定できるようになり、シフト・ローテイト命令ではCLレジスタを介さずに 1 以外の値を直接指定できるようになった。これらは80186でも同様である。 80286で追加されたシステム制御/プロセッサ制御の命令はいずれもプロテクトモードないしは80287関連の命令である。このほか既存命令としてはI/O(入出力)命令の類もシステム制御に使われる命令であり、プロテクトモードでは特権命令の扱いになった。HLTも特権レベルに依存するシステム命令となった。 SGDT, SIDT, SLDT, STR, SMSWは特権命令ではなく、アプリケーションプログラムからも実行可能である。このことは30年以上続いている。インテルは、CPUIDでUMIP(User-Mode Instruction Prevention)ビットがセットされているCPUではこれらの命令を特権命令にする機能を持つとしている。
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Intel 80286
SGDT, SIDT, SLDT, STR, SMSWは特権命令ではなく、アプリケーションプログラムからも実行可能である。このことは30年以上続いている。インテルは、CPUIDでUMIP(User-Mode Instruction Prevention)ビットがセットされているCPUではこれらの命令を特権命令にする機能を持つとしている。 80286ではPOP CS命令(オペコード 0F)は廃止された。80186/V30も同様である。このオペコードは、80286以降、拡張命令のプリフィックスとして使用された。80286で使われている0Fプリフィックスは、上記のシステム命令のうち、ARPL以外の15命令が該当する。 80286の非公開命令であるLOADALLを使用するとリアルモードのままで、プロテクトメモリを含む16Mバイトのメモリにアクセス可能となる。 80286はリアルモードにおいて8086や80186と高い互換性を持つものの、完全に等価というわけではない。異なる点としては、80286以降ではPUSH SP命令の挙動が変更されている。また既存命令の組み合わせであっても、プロテクトモード上では挙動の異なる場合がある。 このほか変更点として、シフト・ローテイト命令で指定できるCLレジスタの値や即値が31以下に限定されるようになった。指定できる値は8ビットだが、実際には下位5ビット分しか使われない。この変更は80186も同様だが、V30では適用されておらず、8086相当の挙動となる。例えばシフト命令で31(16進数で0x1F)を超える値を指定した場合、8086やV30では演算結果が必ずゼロになるが、80186/286以降では32で割った余剰の分だけシフト演算される。 8086ではFPU命令の実行中はWAIT命令でCPUを止めておく必要があったが、80186以降ではその必要が無くなった。また、LOCK命令はもともとあらゆる命令においてバスをロックできる仕様だったが、80286以降ではロックできる命令とできない命令が決められている。 GDTR (Global Descriptor Table Regsister) IDTR (Interrupt Descriptor Table Regsister)
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Intel 80286
GDTR (Global Descriptor Table Regsister) IDTR (Interrupt Descriptor Table Regsister) LDTR (Local Descriptor Table Regsister) TR (Task Register) 16bitあるフラグレジスタのうち、bit0からbit11までの12ビットは8086と同様のものが用意されている。前述の通り80186以前では上位4ビットが使われていなかったが、80286ではマルチタスクOSを想定した新たなフラグが追加されている。 なおbit15は予約ビットになっており、80286では不定(80386以降は0)とされている。 80286ではMSW (Machine status word) レジスタが追加された。MSWを読み書きするLMSW、SMSWという専用の命令が用意されている。MSWは16bit分あるが、80286で定義されているのは下位4ビット分だけである。80386以降では新たに設けられたコントロールレジスタに統合され、CR0レジスタの下位16ビットが該当するが、互換性のためMSWとしてもアクセスできる。 8086では割り込みは、割り込み4まで定義されており、80286では割り込み5以降が追加された。割り込み5から31まではインテル予約済みであったが、IBM PCでは割り込み8から15までを8259A経由の外部割込みに割り当てていた。プロテクトモードのOS/2などは8259Aの割り込み番号を別の値に変更する。 80286ではセグメントレジスタには可視部とディスクリプターキャッシュ部があり、プログラムから直接 ディスクリプターキャッシュ部の変更はできない。プロテクトモードでは、セグメントレジスタの値の変更時に、グローバルディスクリプターテーブル、またはローカルディスクリプターテーブルからディスクリプターキャッシュ部にアクセス権、ベースアドレス、セグメントリミットが読み込まれ、実際のメモリアクセスはディスクプターキャッシュ部が使われる。
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Intel 80286
リアルモードでは、セグメントレジスタの値の変更時に、セグメントレジスタの内容が16倍されたものがディスクリプターキャッシュ部のベースアドレスにロードされ、実際のメモリアクセスはディスクプターキャッシュ部が使われる。このためリアルモードからプロテクトモードに移行した直後、セグメントレジスタの値がプロテクトモードでは不正な値でもハングアップや例外は発生しない。 また、80286は電源ONまたはリセット後、コードセグメントのディスクリプタキャッシュ部は、ベースアドレスがFF0000Hに設定され、IPはFFF0に設定されるので、FFFFF0Hから実行が開始される特殊なリアルモードで始まる。この特殊な状態はCALL FAR, JMP FAR命令などでセグメントレジスタが更新されるまで続く。 80286システムはCPUアクセラレータ製品により、より上位のプロセッサが利用できる場合があった。その際、486相当の製品は起動後にソフトウエアでCPUキャッシュを有効にすることで高速化させる必要があった。80286システムは16ビットバスであるため、外部16ビットであるi386SXにピン互換のCyrix Cx486SLC登場後は、これを用いた80286用のCPUアクセラレータ製品が各社から登場した。特に日本で主流だったPC-9800シリーズおよびEPSON PC-286シリーズでは80286をソケット経由で実装した機種が多く、CPU交換が容易だった。結果的にV30や後のi386SXと比べてCPUのアップグレードパスに恵まれ、様々なバリエーションのCPUアクセラレータ製品を生んだ。
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日本DNAデータバンク
日本DNAデータバンク(英:DNA Data Bank of Japan、略称:DDBJ)は、日本の国立遺伝学研究所(静岡県三島市)が作成しているDNAの塩基配列の配列データベースである。 DDBJはInternational Nucleotide Sequence Database Collaboration (INSDC)のメンバである。アメリカ合衆国のNCBIが提供するGenBank、および、ヨーロッパのEBIが提供するEMBLとの密接な連携のもと、「DDBJ/EMBL/GenBank 国際塩基配列データベース」を構築している三大国際 DNAデータバンクのひとつである。 データはすべて無料で公開されており、データベースの検索は、テキスト全文検索や生物名や各項目に対象を分けてできる検索などのkey wordによる検索の他、BLASTによるDNA配列やアミノ酸配列に対する相同性検索が可能である。また、ClustalWによる系統樹の計算と作成ができるサービスも行っている。 近年は、同じ情報・システム整備のライフサイエンス統合データベースセンター(DBCLS)と連携してサービスを提供している。 DDBJを運営する生命情報・DDBJ 研究センターは、国立遺伝学研究所の教授、准教授、助教、アノテーターからなる。主要な構成員は以下の通り。
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Mac (コンピュータ)
Mac(マック)またはMacintosh(マッキントッシュ)は、Appleが開発および販売を行っているパーソナルコンピュータである。 Macintoshは、Appleの創業者の一人、スティーブ・ジョブズの陣頭指揮のもとに開発された。ジョブズの思想や夢、感性が設計思想に盛り込まれ、直感的で視覚的な操作インタフェース、画面に表示される文字フォントの細やかさや美しさ、画面と印刷物に表示される図像の精度(特にWYSIWYGの実現)、筺体の美しさなどが重視されている(#歴史)。 このような特徴から、MacintoshはDTPの道を切り開き一般化させた。そのうえで、各時代のデザイン関連の先端のソフトウェアを動かせる(かつては唯一の)プラットフォームとなった。現在でもグラフィックデザイン、イラストレーション、Webデザイン、書籍・雑誌などの組版業務で主流のプラットフォームである。 当初から、コンテンツ制作に有用なプラットフォームとして評価されている。デザインや組版に限らず、広く「表現」にかかわるアーティストの多くがプラットフォームにMacintoshを使用し高く評価した。それにより、音楽(デジタルミュージック、DAW)、映像(ノンリニア編集、VFX)等でも使われ続けている。また、個人のクリエイターだけでなく、Web系のIT企業でもコンテンツを作成する作業が多いため、多く採用されている。 21世紀には技術的な分野でも有用なプラットフォームとなっている。2001年にリリースされたMac OS X以降、Macに搭載されているオペレーティングシステム (OS) は、公式なライセンスを受けた正統派のUNIXである。正統派UNIXであることにより、入手しやすい市販のコンピュータでありながら、UNIX・Linux系のソフトウェアが問題なく利用できるプラットフォームとして重宝されている。理学、工学などの科学・エンジニアリングの分野や、物理学、天体物理学などの研究室で世界的に採用されている。アメリカ合衆国では初等教育から高等教育などでも広く採用されている。
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Mac (コンピュータ)
1970年代後半にMacintoshプロジェクトは始まった。1978年にAppleに入社したジェフ・ラスキンは、「使いやすく、安価で、一般の消費者が手に入れられるコンピュータを作りたい」というアイデアを持っていた。1979年3月、Apple Computerの3人の創業者の1人であるマイク・マークラにアイデアを提示した。1979年9月、後者から許可を得て、数人を雇用してApple社内に開発チームを立ち上げた。このプロジェクトは、ラスキンの好きなリンゴであるマッキントッシュ(McIntosh)にちなんで「Macintosh」と名付けられた。しかし、法律上の理由から、Hi-Fi機器のメーカーであるマッキントッシュ・ラボ(McIntosh Laboratory)に近すぎるため、名前の綴りを変更しなければならなかった。ラスキンは、このコンピュータのために考えたすべてのアイデアを『The Book of Macintosh』という本にまとめた。試作機を作る技術者を探していたラスキンは、Apple Lisaプロジェクトのビル・アトキンソンの推薦で、Apple IIのメンテナンス部門に属していたバレル・スミスを採用した。ラスキンは、Macintoshの成功の決め手となった2つの要素、Motorola 68000マイクロプロセッサとマウスの使用に反対した。ラスキンの「Macintosh」の設計案は、現在知られる「Macintosh」とは、基本的なコンセプトが大きく異なっており、テキストベースのインターフェースを持つマシン(ラスキンがApple退社後に開発したキヤノン・キャットに似たマシン)として構想されていた。ラスキンの思い描いていたコンピュータというのは低価格指向で、価格は1000ドル以下を想定し、それを実現するためにCPUは64キビオクテット以上のアドレスを指定できないMC6809(8ビットCPU)で済ませ、5インチディスプレイを備えたもので、インタフェースに関しても、テキストベースでありグラフィカルインターフェースを備えないもので、その後ジョブズが指揮をとり発売されることになったMacintoshとは別物である。Apple Lisaのプログラムの進化に興味を持ったMacintosh開発チームの責任者バド・トリブルは、バレル・スミスにLisaのMC68000をMacintoshに搭載しながら、できるだけコストを抑えてみる提案をした。スミスは1980年12月、MC68000の周波数を5メガヘルツ(MHz)から8メガヘルツ(MHz)に上げながら、MC68000を内蔵する回路基板を設計して、この挑戦に挑んだ。この回路では、RAMチップの数が少なくて済むため、価格も安くなった。1984年に発売された最終モデルは、64キロバイトの読み出し専用メモリと、64キロビットのチップを16個組み合わせた128キロバイトのRAMを搭載している。9インチの画面はモノクロで、512×342ピクセルを表示する仕様になっていた。
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Mac (コンピュータ)
1980年末、当時Apple Computerの最高経営責任者(CEO)だったマイケル・スコットは、会社のリストラを進め、創業者の1人であるスティーブ・ジョブズはLisaプロジェクトからの離脱を余儀なくされる。1980年12月12日の株式公開に向けて、スコットから代表として派遣されたが、経営者としての説得力はなかった。そこで、ジェフ・ラスキンのMacintoshプロジェクトに目を向けた。ジョブズは、Lisaプロジェクトから除外されたことへの復讐だと考えていた。ジョブズとラスキンは何度か対立しており、ラスキンはマウスを欲しがらず、逆にジョブズはマウスのないMacintoshを見たくないということで、マウスは意見が分かれた。スティーブ・ジョブズはこの対決で勝利を収めた。というのも、MacintoshはLisaで使われていたマウスとともにAppleから発売されたのである。このような度重なる対立と2人のキャラクタの大きなエゴにより、1984年1月のMacintoshの正式発売の約2年前の1982年3月1日、ジェフ・ラスキンはMacintoshプロジェクトとApple Computerから正式に離脱した。アンディ・ハーツフェルドによると、現在世間で知られているMacintosh 128Kは、ジェフ・ラスキンが『The Book of Macintosh』の中で想像していたコンピュータとはほとんど関係がないという。また、スティーブ・キャップスとの共著『Revolution in The Valley: The Insanely Great Story of How the Mac Was Made』では、スティーブ・ジョブズがジャン=ミシェル・フォロンを雇って、ブランドを代表するキャラクター「Mr. Macintosh」を作りたいと考えていたと述べている。
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Mac (コンピュータ)
1982年、レジス・マッケンナはMacintoshのマーケティングと発売のために招聘された。その後、レジス・マッケンナのチームには、ジェーン・アンダーソン、ケイティ・キャディガン、アンディ・カニンガムが加わり、最終的にはAppleを率いていた。カニンガムとアンダーソンは、Macintoshの主要な発売計画作者であった。Mactintoshの発売は、「マルチプルエクスクルーシブ」、イベントマーケティング(ペプシからコンセプトを持ち込んだジョン・スカリー氏による)、製品の神秘性の演出、製品の制作過程の紹介など、今日のテクノロジー製品の発売に用いられるさまざまな戦術の先駆けとなった。 Lisaの発表後、1983年2月にジョン・ドボルザークがAppleで謎の「MacIntosh」プロジェクトがあるという噂を取り上げた。1983年10月にはカリフォルニア州フリーモントにあるAppleの工場で製造された「Macintosh 128K」が発表され、12月には18ページのパンフレットが各種雑誌に同梱されていた。Macintoshは、150万米ドルのリドリー・スコットのテレビコマーシャル「1984」で紹介された。1984年1月22日に開催された第18回スーパーボウルの第3クォーターで放映されたこの広告は、現在では「分水嶺」「傑作」と評されている。マッケンナは、この広告を「Macそのものよりも成功している」と称した。「1984」では、コンピューター業界を支配しようとするIBM社の「適合性」から人類を救う手段として、無名のヒロインを使ってMacintosh(白いタンクトップにピカソ風のコンピューターの絵が描かれていることで示される)の登場を表現した。この広告は、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』を引用したもので、テレビで放映される「ビッグ・ブラザー」に支配されるディストピア的な未来を描いている。
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Mac (コンピュータ)
「1984」の放映から2日後の1月24日に発売された初代Macintoshには、そのインターフェースを見せるための「MacWrite」と「MacPaint」の2つのアプリケーションが同梱されていた。スティーブ・ジョブズの基調講演で初めて披露されたMacは、瞬く間に熱狂的な支持を集めたが、単なる「おもちゃ」との評価もあった。GUIを中心に設計されたOSであるため、既存のテキストモードやコマンド駆動のアプリケーションは、デザインを変更したり、プログラミングコードを書き換えたりする必要があった。これは時間のかかる作業であり、多くのソフトウェア開発者が敬遠したため、当初、新システム用のソフトウェアが不足していたとも考えられている。また、回復不能なシステムエラーが発生した時には爆弾マーク(英語版)が表示されるが、これは初代Macintoshから存在していた。1984年4月にはマイクロソフト社の「Microsoft Multiplan」が、1985年1月には「Microsoft Word」がMS-DOSから移行してきた。1985年、ロータス・ソフトウェアは、IBM PC用のLotus 1-2-3の成功を受けて、Macintosh用のLotus Jazzを発表したが、ほとんど失敗に終わった。同年、Appleは「レミングス」という広告でMacintosh Officeスイートを発表した。この広告は、自社の潜在的な顧客を侮辱したことで有名だが、成功しなかった。
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Mac (コンピュータ)
Appleは250万ドルを投じて、選挙後に発行されたニューズウィーク誌の39ページすべての広告を購入し、「Test Drive a Macintosh」というプロモーションを展開した。このプロモーションでは、クレジットカードを持った購入希望者が24時間Macintoshを持ち帰り、その後ディーラーに返却することができた。20万人が参加した一方で、販売店はこのプロモーションを嫌い、需要に対してコンピュータの供給が不足し、多くのコンピュータが販売できないほど悪い状態で返却された。このマーケティングキャンペーンにより、最高経営責任者(CEO)のジョン・スカリーは価格を1,995ドルから2,495ドル(2020年の6,000ドル相当)に引き上げた。それでも、この年の初めに出荷が開始されたIBM PCjrを上回る勢いで売れ、ある販売店では600台以上の注文が残ったという。1984年4月には5万台のMacintoshを販売し、5月初旬には7万台、年末には25万台近くを販売したいと考えていた。
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Mac (コンピュータ)
Apple IIの販売先は企業が中心だったが、IBM PCの登場により、中小企業や学校、一部の家庭がAppleの主要顧客となった。ジョブズは、Macintoshの発表時に「MacintoshがApple II、IBM PCに次ぐ第3の業界標準になると期待している」と述べている。他のすべてのコンピュータを凌駕し、ある販売店が「最初の2,500ドルの衝動買い」と表現するほどの魅力を持っていたMacintoshだが、最初の1年間は、特にビジネスユーザの間で期待に応えられなかった。MacWriteやMacPaintなど10種類ほどのアプリケーションしか普及していなかったが、多くのApple以外のソフトウェア開発者が導入に参加し、ロータス、デジタルリサーチ、アシュトンテイトなど79社が新しいコンピュータのために製品を作っていることをAppleは約束した。それぞれのコンピュータが1年後には、ワープロ1つ、データベース2つ、表計算ソフト1つなど、Macintoshのソフトウェアの品揃えはPCの4分の1にも満たなかったが、Appleは28万台のMacintoshを販売したのに対し、IBMの初年度のPC販売台数は10万台にも満たなかった。MacWriteがMacintoshに搭載されたことで、開発者は他のワープロソフトを作る意欲を失った。 Macintoshは、ソフトウェア開発者を熱狂させたが、グラフィカルユーザインタフェースを使用するソフトウェアの書き方を習得する必要があり、また販売当初にはMacintoshのソフトウェアを書くためにLisa 2やUnixシステムが必要だった。Infocom社は、Macの発売に合わせて、バグの多い初期のOSを独自の最小限の起動可能なゲームプラットフォームに置き換え、唯一のサードパーティゲームを開発していた。ソフトウェア開発にPascalを採用しているにもかかわらず、AppleはネイティブコードのPascalコンパイラをリリースしなかった。サードパーティ製のPascalコンパイラが登場するまでは、開発者は他の言語でソフトウェアを書きながら、「Inside Macintosh」と呼ばれるMacintoshのAPIやマシンアーキテクチャを解説した開発者向けマニュアルを理解できる程度のPascalを習得しなければならなかった。
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Mac (コンピュータ)
Apple Macintoshとして発売されたMacintosh 128Kは、Apple Macintoshパーソナルコンピュータの原型である。ベージュ色の筐体に9インチ(23cm)のブラウン管モニターを搭載し、キーボードとマウスが付属していた。筐体の上部はハンドル形状になっており、持ち運びが容易だった。これは、1984年にAppleが発表した象徴的なテレビ広告と同義であった。このモデルと同年9月に発売された512Kには、ハードプラスチックのカバーの内側にコアチームのサインが浮き彫りにされており、すぐにコレクターズアイテムとなった。 1985年、MacとAppleのLaserWriterプリンタ、そしてボストン・ソフトウェアのMacPublisherやAldusのPageMakerなどのMac専用ソフトウェアの組み合わせにより、テキストやグラフィックを含むページレイアウトをデザイン、プレビュー、印刷できるようになり、これがDTP(デスクトップパブリッシング)として知られるようになった。当初、デスクトップパブリッシングはMacintosh専用だったが、やがて他のプラットフォームでも利用できるようになった。その後、Aldus FreeHand、QuarkXPress、アドビのIllustratorやPhotoshopなどのアプリケーションが登場し、Macはグラフィックコンピュータとしての地位を確立し、デスクトップパブリッシング市場の拡大に貢献した。 1984年の初代MacintoshではOSの一部が64KBのROMに収容されていたため、メモリやストレージの負担が小さく128KBのメモリで多くの業務が可能であった。しかし一般的なアプリケーションではメモリが不足しており、フロッピーディスクをたびたび入れ替える必要があるなど実用性に問題があった。Macintoshが実用に耐えるマシンとなったのは、512KBのメモリと128KBのROMを搭載して1984年10月に3,195ドルで発売された「Fat Mac」と呼ばれた改良版のMacintosh 512Kである。2年後には、フロッピーディスクドライブは片面400KBから両面800KBのものになったMacintosh 512Keが発売された。
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Mac (コンピュータ)
1986年1月10日、Appleは「Macintosh Plus」を2,600ドルで発売した。RAMの容量は1メガバイト(1,024キロバイト)で、ソケット式のRAMボードを使えば4MBまで拡張できた。SCSIポートを装備し、ハードディスクやスキャナーなどの周辺機器を最大7台まで接続することができた。また、フロッピーディスクの容量も800KBに拡張された。Macintosh Plusはすぐに成功を収め、1990年10月15日まで変わらず生産された。4年10か月強にわたって販売されたMac Plusは、2013年12月19日に発売された第2世代のMac Proが2018年9月18日にこの記録を上回るまで、Apple史上最も長寿のMacintoshであった。 1987年には20MBのハードディスクを内蔵し1個の拡張スロットPDSを装備したMacintosh SEが2,900ドルで発売された(ハードディスク付きは3900ドル)。ジェリー・マノックとテリー・オヤマのオリジナルデザインを継承しつつ、スノーホワイトデザイン言語を採用したほか、数か月前にApple IIGSに搭載されたApple Desktop Bus(ADB)マウスとキーボードを採用していた。また、同年にAppleはモトローラの新技術を活用し、16MHzのMC68020プロセッサを搭載した「Macintosh II」を5500ドルで発売した。主な改良点は、マシンの心臓部であるグラフィックス言語をカラー化し、あらゆるディスプレイサイズ、24ビットの色深度、マルチモニタに対応できるなど、さまざまに工夫されていた。NuBus拡張スロットを備えたオープンアーキテクチャ、カラーグラフィックスと外部モニタのサポートなど、Macintosh SE同様にスノーホワイトデザイン言語を採用したMacintosh IIは新しい方向性の始まりだった。ハードディスクを内蔵し、ファン付きの電源を搭載していたため、当初は大きな音がしていた。あるサードパーティの開発者が、熱センサーでファンの回転数を調整する装置を販売したが、保証が無効になった。その後のMacintoshでは、電源やハードディスクの静音化が図られた。
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Mac (コンピュータ)
1987年、Appleはソフトウェア事業をクラリス社として独立させた。クラリスは、MacWrite、MacPaint、MacProjectなどのアプリケーションのコードと権利を与えられた。1980年代後半、クラリスはソフトウェアを刷新し、MacDraw Pro、MacWrite Pro、FileMaker Proなどの「Pro」シリーズを発表した。また、完全なオフィススイートを提供するために、Informixの表計算ソフト「Wingz」のMac版の権利を購入して「Claris Resolve」と改名し、新しいビジネス文書作成ソフト「クラリスインパクト(Claris Impact)」を追加した。1990年代初頭には、クラリスのアプリケーションは消費者レベルのMacintoshの大半に搭載され、非常に高い人気を得ていた。1991年、クラリスはClarisWorksをリリースし、すぐに同社の2番目のベストセラーアプリケーションとなった。1998年にクラリスがAppleに再統合された際、ClarisWorksはバージョン5.0からAppleWorksと改称された。 1988年、Appleはマイクロソフトとヒューレット・パッカードがAppleの著作権であるGUIを侵害しているとして、長方形で重なり合い、サイズ変更が可能なウィンドウを使用していることなどを理由に訴えた。4年後、この訴訟はAppleに不利な判決が下され、その後の控訴も同様だった。フリーソフトウェア財団は、AppleがGUIを独占しようとしていると感じ、7年間Macintosh用のGNUソフトウェアをボイコットした。
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Mac (コンピュータ)
同年にはモトローラのMC68030プロセッサを搭載したMacintosh IIxが登場したが、これはオンボードメモリ管理ユニットなどの内部改良が施されていた。1989年にはスロット数を減らしてよりコンパクトになったMacintosh IIcxと、16MHzのMC68030を搭載したMacintosh SEのバージョンであるMacintosh SE/30が発売された。同年末、持ち運び可能なバッテリーで駆動するMacintosh Portableを発表した。また、25MHzで動作するMacintosh IIciを発表し、Macとしては初めて「32ビットクリーン」を実現した。これにより、「32ビットダーティ」のROMを搭載していた従来の製品とは異なり、8MB以上のRAMをネイティブにサポートすることができた。System 7は、32ビットアドレスをサポートする最初のMacintosh用OSだった。翌年には、9,900ドルからのMacintosh IIfxが発表された。40MHzの高速プロセッサMC68030を搭載しただけでなく、メモリの高速化や入出力処理専用のApple II CPU(6502)を2個搭載するなど、内部のアーキテクチャを大幅に改善していた。 1990年5月に発売されたMicrosoft Windowsの第3弾、Windows 3.0は、MS-DOSをベースにしたグラフィカルなOSではあったが、高価なMacintoshと同等の機能と性能を備えた初めてのWindowsであった。当時、MacintoshはまだWindowsよりも優れていると考えられていたが、この時点でWindowsは「平均的なユーザにとっては十分な性能を持っていた」とされていた。また、前年にジャン=ルイ・ガセーがMacの利益率を下げることを断固として拒否していたことも追い討ちをかけた。さらに、1989年には急激に拡大したパソコン業界を揺るがす部品不足が発生し、Apple USAの責任者であるアラン・ローレンは値下げを余儀なくされ、Appleの利益率は低下した。
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Mac (コンピュータ)
これを受けて、Appleは1990年10月に比較的安価なMacを発売した。2001年初頭までは、Macintosh SEの廉価版であるMacintosh Classicが最も廉価なMacとして販売された。MC68020を搭載したMacintosh LCは、ピザ箱のような独特の筐体にカラーグラフィックを搭載し、512×384ピクセルの低価格カラーモニタを販売していた。また、Macintosh IIsiは、20MHzのMC68030で、拡張スロットを1つ付けただけのものであった。この3機種はいずれもよく売れたが、Appleの利益率はそれまでの機種に比べてかなり低かった。 1991年には、32ビットに書き換えられたMacintoshシステム「System 7」が発売され、カラーグラフィックスの性能向上(Truecolor対応)、仮想メモリの導入、ネットワーク、協調マルチタスクの標準化などが行われた。また、この時期、Macintoshは「スノーホワイト」デザインから少しづつ脱却し、Frogdesignに支払っていた高額なコンサルティング料も払わなくなっていた。Appleは、1989年にロバート・ブルーナーを雇ってデザインを内製化を進め、彼はApple Industrial Design Groupを設立し、すべてのApple製品の新しいデザインを担当することになった。同年10月にはMacintosh Classic II、Macintosh LC IIのほか、Appleの最上位機種であるMacintosh Quadra(700、900)と、Macintosh Portableに比べて現在のノートパソコンに近いPowerBook(100、140、170)の2つのコンピュータファミリーが発売された。ソニーがAppleのために開発・製造したPowerBook 100と、Apple社内で開発されたPowerBook 140, 170は、キーボードをスクリーンに近づけて配置し、手前にトラックボールとパームレストのためのスペースを確保するなど、後に標準となる斬新なデザインを採用している。
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Mac (コンピュータ)
1993年、Appleはさらに広い市場を開拓するために、PerformaとQuadraの間に位置し、その名の通りAppleの製品群の中心となるMacintosh Centrisを発売した。1994年に、Appleは新たな入力デバイスとして、PowerBook 500シリーズからトラックパッドへ移行した。また、モトローラのMC680x0アーキテクチャの採用が中止され、1991年にApple、IBM、モトローラの3社で結成されたAIM連合が設計したRISCアーキテクチャであるPowerPCが採用された。この新しいプロセッサファミリーは、Macintoshの新しいファミリーであるPower Macintosh(後にPower Macと略される)を生み出した。1995年1月、生産開始から1年も経たないうちに、Appleは100万台の販売を発表し、相対的な成功を示した。 しかし、このような努力にもかかわらず、インテルのマイクロプロセッサとMicrosoft Windowsシステムを搭載したPC互換機に押され、Appleのシェアはますます低下していった。この傾向は、新しいIntel Pentium搭載のコンピュータやWindows 95の発売により、ますます強まっていった。後者は、PCのマルチメディア機能を向上させ、WindowsのインターフェースをMacのシステムにどんどん近づけていった。これを受け、AppleはOSのライセンスプログラムを開始し、他社がSystem 7.5を搭載したMacintosh互換機を販売できるようにした。これらのマシンは「クローン」と呼ばれている。しかし、これらのクローンのシェアは、主にAppleのMacintoshのシェアを侵食しただけで、その目的は達成されなかった。 スティーブ・ジョブズの復帰直前の1997年5月に、Appleの20周年を記念し、12,000台の「Twentieth Anniversary Macintosh」が発売された。しかし高価格に見合わない低性能で、販売はふるわず、大幅値下げで在庫処分された。この機種は、当時PowerBook 3400c搭載のものと同サイズの液晶デシスプレイを搭載しているのが特徴で、Appleのデスクトップパソコンとしては初の試みだった。
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Mac (コンピュータ)
1997年7月、ジョブズがAppleで復権した後、廃止されたCoplandプロジェクトに代わって、System 7.7がMac OS 8と改称された。AppleはSystem 7.xのみをサードパーティメーカにライセンスしていたため、クローン製品の販売に終止符を打つことができた。 1998年、スティーブ・ジョブズが暫定最高経営責任者(iCEO)に復帰した後、Appleは新しいオールインワン・コンピュータ「iMac」を発売した。15インチのスクリーンとロジックボードは同じ半透明プラスチックケースに収められており、最初はボンダイブルーのみだったが、後に他のカラーバリエーションが追加された。他のMacintoshとは一線を画すデザインであることに加え、ADB端子とSCSI端子とシリアルポートが廃止され、2つのUSB端子が採用された。内蔵フロッピーディスクドライブもなくなり、リムーバブルメディアはCD-ROMドライブになった。1998年8月15日に発売されてから年末まで、Appleは80万台以上を販売した。この売上とPower Macintosh G3により、Appleは1995年以来の黒字を達成した。1999年には、ホワイトとブルーの半透明プラスチックケースのPower Macintosh G3 (Blue & White)と、新製品であるAppleのコンシューマ向けノートパソコン「iBook」が発売された。前年のiMacと同様、iBookも成功を収め、1999年の最終四半期にはアメリカで最も売れたノートパソコンとなった。同年秋、AppleはPowerPC G4プロセッサを搭載したPower Mac G4の最初のバージョンを発売した。 iMacやiBookで様々な色を採用してきたAppleは、コンシューマー向けマシンでは白いポリカーボネートを採用した。2001年に発売された新しいiBook、2002年に発売されたiMac G4とeMacは白いポリカーボネートを採用しているが、プロ向けのマシンには、PowerBook G4にはチタン合金、Xserveにはアルミニウム合金というように、金属製のケースを採用した。
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Mac (コンピュータ)
その後、PowerPC G4は、2003年のPowerPC G5にその座を譲り、Power Mac G5、そして2004年のiMacに搭載された。PowerPC G5はエネルギー消費量と発熱量が多すぎ、Appleはノートパソコンに搭載できなかった。2005年1月、AppleはMac miniを発表した。これは、同社が販売するMacの中で最も安価なもので、発売時の価格は499ドルだった。Mac OS 8のリリース後、Mac OSは最終的に9.2.2までアップデートを続けた。バージョン8.1ではHFS+ファイルシステムのサポート、バージョン8.5ではPowerPCプロセッサのみへの対応、バージョン8.6ではナノカーネルの登場など、様々な改良が加えられた。Coplandプロジェクトが頓挫したAppleは、1996年12月にNeXTを買収し、NEXTSTEPオペレーティングシステムを新しいMacオペレーティングシステム「Mac OS X」のベースにすることにした。後者は、XNUカーネルに実装されたMachカーネルをベースにしており、どちらもNEXTSTEPで使用され、BSDからのコードで強化されてMac OS XのコアであるDarwinに含まれている。最初のパブリックベータ版は2000年9月に30ドルでリリースされ(日本語対応パブリックベータ版は同年10月に3,500円で販売)、新システムのプレビューや、バグの報告が可能となっていた。Mac OS Xの最初のバージョンである10.0(コードネーム:Cheetah)は、2001年3月24日に発売された。前のバージョンのMac OS用に設計されたアプリケーションを実行するための、Classic環境が含まれる。その後、10.1 Puma(2001年)、10.2 Jaguar(2002年)、10.3 Panther(2003年)、10.4 Tiger(2005年)と次々とMac OS Xのメジャーアップデートをリリースし機能の充実を計った。
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2005年6月6日、WWDCの基調講演において、1年後以降の消費電力あたりの性能向上が著しいことを理由に、2006年半ばよりCPUをPowerPCからインテルX86系のものへと順次切り替えていくとAppleより発表された。これは、特に熱に弱いノートパソコン向けに、インテルの低消費電力チップ「Core Duo」と歩調を合わせ、同社のコンピュータをより現代的なものにするために行ったものである。 2006年8月7日のMac Pro発表で、すべてのMacにインテル製のX86プロセッサが採用され、それに伴って一部のMacの名称が変更された。Mac OS X 10.6以下(10.7以降はサポート終了)のインテルベースのMacでは、PowerPC用に開発された既存のソフトウェアをRosettaという動的コード変換プログラムを使って動かすことが可能だったが、ネイティブプログラムに比べて明らかに速度が遅かった。しかも、インテルのアーキテクチャでは、Classic環境を利用することができなかった。インテルMacの登場により、Virtual PCなどのエミュレーションソフトを使わずに、Appleのハードウェア上でMicrosoft Windowsをネイティブに動作させることが可能になった。2006年4月5日、Appleは、インテルベースのMacにWindows XPをインストールするためのソフトウェア「Boot Camp」のパブリックベータ版の提供を発表した。Mac OS X 10.5ではClassic環境が廃止され、Boot CampはインテルベースのMacの標準機能となった。
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Mac (コンピュータ)
2006年以降、Appleのインダストリアルデザインはアルミニウムにシフトし、初代MacBook Proの筐体にもアルミニウムが使用された。2008年には、MacBook Proの高精細ユニボディ化に伴い、ガラスが採用された。これらの素材は環境にやさしいとされている。2022年現在、Mac Pro、iMac、MacBook Pro、MacBook Air、Mac miniの各シリーズは、すべてアルミニウム合金の塊から削り出したユニボディ筐体を採用している。当時のチーフデザイナージョナサン・アイブは、ノートパソコンのバッテリ交換を廃止するなど、製品をミニマルでシンプルなものにした。また、iPhoneで採用されているマルチタッチジェスチャーをMacでも採用し、ノートパソコンではマルチタッチトラックパッド、デスクトップパソコンではMagic MouseとMagic Trackpadを採用している。これにより、3本指や4本指などでの操作もできるよう改良され、スクロールのほか、画像の拡大・縮小や回転、Exposéの利用やアプリケーションの切り替えなどの機能が追加された。 2011年2月24日、Appleは、インテルと共同開発した新しいI/OインターフェースであるThunderbolt(コードネーム:Light Peak)を採用したコンピュータを初めて市場に投入した。Mini DisplayPortと同じ物理インターフェースを採用し、同規格との下位互換性を持つThunderboltは、双方向で10Gbit/sの転送速度を誇る。 2012年6月12日、初のRetinaディスプレイを搭載したMacBook Proを発表。 2015年、IBMが自社に最大20万台のMacを順次導入すると発表し、Mac@IBMプログラムで自社へ大規模導入した経験 を元にAppleとの提携の一環として、IBM Managed Mobility Services for Mac を開始した。日本でも2016年5月より開始している。
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Mac (コンピュータ)
2012年6月12日、初のRetinaディスプレイを搭載したMacBook Proを発表。 2015年、IBMが自社に最大20万台のMacを順次導入すると発表し、Mac@IBMプログラムで自社へ大規模導入した経験 を元にAppleとの提携の一環として、IBM Managed Mobility Services for Mac を開始した。日本でも2016年5月より開始している。 第4世代のMacBook Proは、2016年10月に開催されたApple Special Eventで発表されたもので、デザインの薄型化、ヘッドフォンジャックを除くすべてのポートがUSB Type-Cポートに変更され、MacBookに搭載されていたバタフライキーボード、P3広色域ディスプレイ、そしてMacBook Proの一部モデルでファンクションキーとEscキーに代わるタッチスクリーンの有機ELディスプレイ「Touch Bar」が搭載され、使用するアプリケーションに応じて変化・適応するUIが採用された。また、Touch Bar搭載モデルでは、電源ボタンをTouch IDセンサーに置き換えた。Apple T1チップも搭載しており、インテルのCPUを採用したまま、アーキテクチャは刷新され、Touch BarやTouch IDを含むハードウェアを制御しセキュリティを司るbridgeOSが採用されている。発売後の評価は賛否両論だった。また、USB-Cポートは、多くのユーザ、特にMacBook Proのプロフェッショナル層にとって不満の種となっており、USB Type-AやSDメモリーカードを接続するためのアダプタなどを購入する必要があった。 数か月後、MacBookおよびMacBook Proに搭載されているバタフライキーボードが動作しなくなるという報告が多くのユーザから寄せられた。この問題は、キーボードの下に砂や食べかすなどの小さな異物やほこりが入り込み、キーボードが詰まってしまったため、Apple Storeまたは正規サービスセンターに持ち込んで修理してもらうことになった。
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Mac (コンピュータ)
数か月後、MacBookおよびMacBook Proに搭載されているバタフライキーボードが動作しなくなるという報告が多くのユーザから寄せられた。この問題は、キーボードの下に砂や食べかすなどの小さな異物やほこりが入り込み、キーボードが詰まってしまったため、Apple Storeまたは正規サービスセンターに持ち込んで修理してもらうことになった。 2013年のMac Proがアップデートを受けることなく数年が経過した後、マーケティング担当上級副社長のフィリップ・シラーとソフトウェアエンジニアリング担当上級副社長のクレイグ・フェデリギは2017年に現行のMac Proが期待に応えられていないことを認めた。iMac Proは、WWDC 2017でジョン・ターナスハードウェアエンジニアリング担当副社長によって、 最大18コアのIntel XeonプロセッサとRadeon Pro Vega GPUを搭載して発表された。次世代Mac Proが登場するまでのプロユーザ向けの応急処置という側面もあった。 2018年、Appleはより高速なプロセッサと第3世代のバタフライキーボードを搭載したMacBook Proを更新し、同年に発売されたRetinaディスプレイ搭載のMacBook Airのデザインを一新して、キーボードに埃や小さな物体の侵入を防ぐシリコンガスケットを追加し、影響を受けたキーボードを無償で修理するプログラムを開始したが、ユーザは引き続きキーボード問題に悩まされていた。
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Mac (コンピュータ)
2018年、Appleはより高速なプロセッサと第3世代のバタフライキーボードを搭載したMacBook Proを更新し、同年に発売されたRetinaディスプレイ搭載のMacBook Airのデザインを一新して、キーボードに埃や小さな物体の侵入を防ぐシリコンガスケットを追加し、影響を受けたキーボードを無償で修理するプログラムを開始したが、ユーザは引き続きキーボード問題に悩まされていた。 2019年のMacBook ProとMacBook Airの刷新では、いずれもバタフライキーボードが廃止され、Appleが「Magic Keyboard」と呼ぶ、2016年以前のMacBookで採用されていたシザースイッチ機構の改良版に変更された。また、Touch BarとTouch IDがすべてのMacBook Proに標準装備され、Touch ID・電源ボタンが分離されてより右側に移動し、Escキーも物理的になりTouch Barから切り離された。WWDC 2019で、ジョン・ターナスが発表した新しいMac Proは、従来の円筒形デザインよりも前のMac Proに近いように見えるが全く新しい設計の筐体デザインで、Apple独自のカスタムデザインのPCI Express拡張スロット「MPX Module」によるアップグレード性が格段に向上しており、AMDグラフィックスカードなどの標準的なPCI Expressも動作する仕様になった。ほとんどの部品がユーザによる交換が可能で、iFixitによる修理可能性の評価は9/10となっている。レビューでは、モジュール化やアップグレード性、静音性などが評価され、前世代のMac Proに不満を持っていたプロの要望にも応えていると評価された。」 2018年4月、ブルームバーグは、Appleがインテル製プロセッサの搭載を中止し、同社のiPhoneに使われているようなARMプロセッサに置き換えるつもりであるとする噂を掲載し、インテルの株価は6%下落した。この噂についてコメントしたザ・ヴァージは、インテルがラインナップの大幅な改善に失敗しており、ARMチップとバッテリ駆動時間で競争できないことから、このような決定は理にかなっていると述べた。
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Mac (コンピュータ)
2018年4月、ブルームバーグは、Appleがインテル製プロセッサの搭載を中止し、同社のiPhoneに使われているようなARMプロセッサに置き換えるつもりであるとする噂を掲載し、インテルの株価は6%下落した。この噂についてコメントしたザ・ヴァージは、インテルがラインナップの大幅な改善に失敗しており、ARMチップとバッテリ駆動時間で競争できないことから、このような決定は理にかなっていると述べた。 2020年6月22日のWWDCの基調講演において、AppleはMacに搭載するCPUを今まで採用してきたインテル製のものからARMアーキテクチャをベースにした自社設計のAppleシリコン(SoC)に今後2年間で切り替えると発表した。2005年に発表されたPowerPCからインテルへの移行時と同様に、Appleシリコンを搭載したMacは、Rosetta 2と呼ばれる動的コード変換プログラムを使用し、インテル用に設計されたソフトウェアを実行することが可能になっている。Appleは、開発者に対し、1年後に返却することを条件にDeveloper Transition Kit(DTK)を500ドルで提供した。DTKは、2020年モデルのiPad Proと同じA12Z Bionicチップを搭載したMac miniで、ARMアーキテクチャ搭載の次期Macにアプリケーションを最適化するためのものだった。
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Mac (コンピュータ)
2020年11月10日、Appleシリコンを搭載して出荷する最初のMacとして、MacBook Air、Mac mini、13インチMacBook Proを発表した。いずれも、これまでAppleが製造してきたどのAシリーズプロセッサよりも高速で、4つの高性能コアと4つの低電力コアを備えたカスタムデザインのApple M1を搭載し、MacBook Airでは7コアのGPUオプション、上位モデルでは8コアのGPUを搭載し、Proとminiでは標準装備となっている。さらに、16コアのNeural Engineを搭載し、機械学習のパフォーマンスが最大11倍に向上していると発表された。これらのチップは電力消費量が大幅に少ないため、MacBook Pro 13インチのバッテリ駆動時間は最大20時間となっている。発売されてからの評価は非常に好評で、ほとんどのレビュアーが「前世代で使われていたインテルのチップよりも、バッテリ駆動時間が長く、発熱がずっと少なく、ずっと速い」と評価している。また、Rosetta 2は、ほとんどのインテル製アプリケーションで動作し、パフォーマンスの低下もさほどなく、WindowsやマイクロソフトのSurface Pro Xよりも高速なパフォーマンスと採用を実現したと評価されている。 2021年4月20日、7つの新色とApple M1チップを搭載した新しい24インチiMacが発表された。筐体全体が100%再生アルミニウム合金製となり、11.5mmの薄さになった。スクリーンは21.5インチ4Kから24インチ4.5K Retinaディスプレイにアップグレードされ、画面の縁がより薄くなった。 2021年10月19日、AppleのMedia Engineを備えたApple M1 ProとApple M1 Maxを搭載しデザインを刷新した14インチと16インチのMacBook Proが発表された。2020年発売のApple M1搭載13インチMacBook Proは据え置きになり、新たなラインナップとして14インチが追加された。プロセッサがアップデートされ、XDRディスプレイとしてミニLEDバックライトでHDR対応となりProMotionに対応するなど、刷新された。
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Mac (コンピュータ)
2022年3月9日、Apple M1 Maxの隠されていた機能である「UltraFusion」を使った別のM1 Maxへの接続により新型SoCであるApple M1 UltraもしくはM1 Maxを搭載した新しいMac Studioが発表された。M1 UltraによりCPUの性能は16コアIntel Xeonを搭載しているMac Proよりも5.3倍の処理性能を持つ。さらに同イベント内で新しいMacディスプレイのStudio Displayも発表された。 2023年1月17日、Apple M2とM2 Proを搭載したMac mini発表。MacBook Pro 14、16インチモデルもM2 ProとM2 Maxを搭載した機種へ更新された。 2023年6月5日、Mac StudioとともにApple M2 Ultraを搭載したMac Proを発表し、全てのApple製品のAppleシリコンへの移行を完了させた。同時にMacBook Air初の15インチモデルを追加している。 PowerPC G3搭載機の発売以降、機種の絞り込みが続いており、デスクトップとノートブックにそれぞれ上位機種と下位機種を1機種ずつ(合計4機種)提供することが基本になっている。2023年1月時点ではデスクトップ4機種とノートブック4機種(合計8機種)に集約されている。 2023年1月時点で販売されている機種は、インテル製のマルチコアプロセッサ及びAppleの独自開発SoC(Appleシリコン)が搭載された機種となっている。macOSがインストールされており、インテル製プロセッサを搭載するMacに限り、別売りのWindows 10やLinux、ChromeOSなど他のOSをインストールすれば、切り替えて利用することが可能になっている。また、Appleシリコン搭載機種でもARM向けにビルドしたMicrosoft Windows 11を動作させることは技術的に可能であるが、現時点でマイクロソフトはARM向けWindows 11のライセンス供給はプリインストールPCのみとしており、ライセンス上は使用不可。Appleの関係者はマイクロソフト次第としている。
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Mac (コンピュータ)
Appleは、フォックスコンやPegatronなどのアジアの相手先商標製品メーカにハードウェアの製造を委託し、最終製品に対する高度なコントロールを維持している。対照的に、マイクロソフトを含む他の多くの企業は、デル、HP Inc.、ヒューレット・パッカード、コンパック、レノボなど、さまざまなサードパーティが製造するハードウェア上で実行可能なソフトウェアを作成している。そのため、Macの購入者は、マイクロソフトの購入者と比較して、選択肢は比較的少ないものの、優れた統合性を有している。
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Mac (コンピュータ)
2023年のMac製品群のほとんどは、Appleが設計したAppleシリコンが採用されている。Mac Proのみ、Intel X86-64プロセッサを採用したものが残されている。Appleは、10年前のMC68000アーキテクチャからの移行時と同様に、PowerPCチップからの移行時にもRosettaと呼ばれる動的コード変換プログラムを導入した。Macは、新しいCPU設計への移行を成功させた唯一のメインストリームコンピュータプラットフォームであり、その移行は2度にわたって行われた。現行のすべてのMacモデルには、最低8ギガバイトのRAMが標準で搭載されており、Appleが設計したGPUが内蔵されている。かつてのMacには、AppleがSuperDriveと呼ぶ、DVD/CDの2つの機能を持つ光学メディアドライブが搭載されていたが、現在SuperDriveを内蔵したMacを出荷していない。現在のMacには、USBとThunderboltの2つの標準的なデータ転送ポートが搭載されている。また、MacBook Pro、iMac、MacBook Air、Mac miniには、Appleによれば最大で毎秒40ギガビットの速度でデータを転送できるThunderbolt 4ポートが搭載されている。USBは1998年のiMac G3に搭載され、当時FireWireは主にハードディスクやビデオカメラなどの高性能な機器に限られていた。2005年10月に発売されたiMac G5を皮切りに、iSightカメラを内蔵したモデルや、Apple Remoteやキーボードで操作してコンピュータに保存されているメディアを閲覧できるFront Row機能を搭載したモデルなどがある。しかし、2011年現在、Front Rowは廃止され、Apple RemoteもMacには同梱されていない。
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Mac (コンピュータ)
Appleは当初、複数のボタンやスクロールホイールを備えたマウスの採用には消極的であり、ワンボタンマウスは、Macintosh独特のインターフェースとして知られていた。1984年に初代Macintoshに搭載されたワンボタンマウスは、Macの「使いやすさ」を実現するための中心的存在だった。2001年にMac OS Xが登場するまで、Macはサードパーティ製であっても複数のボタンを持つポインティングデバイスをネイティブにサポートしていなかった。2005年8月にMighty Mouseを発売するまで、Appleはワンボタンマウスのみを販売していた。Mighty Mouseは機械的には従来のワンボタンマウスのように1つのボタンがマウス全体を覆ったような形をしているが、実際には「副クリック」を含む4つのボタンと、X軸とY軸を独立して動かすことができるスクロールボールを備えていた。2006年7月にはBluetooth対応の無線タイプも発売された。2009年10月、Appleは物理的なスクロールホイールやボールの代わりに、iPhoneと同様のマルチタッチジェスチャー認識を採用した無線タイプのみのMagic Mouseを発表した。有線タイプのMighty MouseはApple Mouseとして再ブランド化し、2017年に製造中止になるまで代替品として販売されていた。また、2010年以降、AppleはMacのデスクトップパソコンをノートパソコンと同様の方法で操作する手段としてMagic Trackpadを販売している。 初代Macintoshは、コマンドラインを使わないグラフィカルユーザインタフェースを採用した最初の成功したパーソナルコンピュータである。デスクトップメタファーと呼ばれる、書類やゴミ箱などの現実世界のオブジェクトをアイコンとして画面に表示する方式を採用している。1984年に初代Macintoshとともに登場したシステムソフトウェアは、1997年に「Mac OS」と改称され、バージョン9.2.2まで進化を続けてきたが、現在ではClassic Mac OSとして知られている。日本市場では「漢字Talk」と呼ばれていた。過去にAppleは、A/UX、MkLinuxなどのOSも開発していた。また、Apple製以外ではBeOS、BSDなどが実行できた。
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Mac (コンピュータ)
インテル搭載のMacが発売された後、Parallels Desktop、VMware Fusion、VirtualBoxなどのサードパーティ製プラットフォーム仮想化ソフトウェアが登場した。これらのソフトウェアは、Microsoft Windowsや従来のWindows専用ソフトウェアを、ネイティブに近い速度でMac上で動作させることができる。また、Windows XP、Vista、7、8、10をインストールし、Mac OS XとWindowsをネイティブにデュアルブートするためのBoot CampやMac専用Windowsドライバーもリリースされた。Boot Campやその他の仮想化のワークアラウンドを使って、Linuxを実行することも可能である。 Mac OS Xはバージョン10.9で「OS X」と改称された。バージョン10.12以降、OS Xは「macOS」となり、AppleのOS(iOS、tvOS、watchOS)の名称を統一することにした。また、2001年から続いたバージョン10.xシリーズ(Mac OS X CheetahからmacOS Catalina)は2020年に終止符が打たれ、同年にバージョン11(macOS Big Sur)、翌年にはバージョン12(macOS Monterey)とバージョン数のパターンが変更された。
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Mac (コンピュータ)
1970年代から1980年代前半にかけて、コンピュータ関連の広告は、ほとんどインサイダー(アーリーアダプタなど)、企業、政府、大学などの視聴者に向けたものだった。IBMのPCと同様に、Appleは「1984」のCMを、視聴者数が9,000万人を超える米国最大のテレビイベント「第18回スーパーボウル」にて放送するなど、大規模なキャンペーンを展開し、初代Macintoshを一般の人々に広めた。1984年に成功したAppleは、翌年にもMacintosh Officeの広告である「レミングス」を放送したが、これは潜在的な購入者を不満にしたため失敗に終わった。Macintoshの広告が再びスーパーボウルに現れたのは、1999年、HALがデイビットにMacintoshはY2K問題フリーだと発表してからだった。このような広告に加え、AppleはMacintosh Plus、Performa、Quadra、さらにはPowerBookなど、より一般的な広告を報道機関で行っている。後者については、新聞やテレビで「What's on your PowerBook」というスローガンを掲げたキャンペーンが行われている。Microsoft Windows 95が発売されると、Appleはこれに対抗し、マイクロソフトのシステムを否定するキャンペーンを行った。プレスリリースに掲載されたAppleの広告には、「想像してみてください、書類を捨てても戻せるゴミ箱付きのデスクトップを!」と書かれていた。この機能は、11年前に発売されたMacintoshに搭載されていたものである。テレビ広告でも同じような内容のものが放送された。ある講演者が、Windows 95でプレゼンテーションを開始するのは不可能だと突きつけられ、観客からは理解しにくいコードの行を指摘される。簡単に使えるパソコンを探しているなら、解決策は一つしかないというナレーションが流れ、会場から「Macintoshを買おう!(Buy a Macintosh!)」という声が聞こえるという内容だった。
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Mac (コンピュータ)
スティーブ・ジョブズが最高経営責任者に復帰した直後の1997年、Appleは「Think different」キャンペーンを展開し、1990年代半ばの会社の衰退によって損なわれたイメージを回復させようとした。CM、都市部でのポスター、プレス広告などを加えたこのキャンペーンは成功し、1998年には広告部門で初のエミー賞を受賞した。「Think Different」は、2002年に「Switch」キャンペーンに引き継がれるまで、Appleのスローガンとなった。「Switch」キャンペーンでは、Macに「乗り換えた」一般ユーザーが、PCの問題点を語っていた。Appleは2006年から「Get a Mac」キャンペーンを実施し、Macの普及に努めてきた。この広告には、Mac OS X(現macOS)とWindowsを搭載したマシンを擬人化した「Mac」と「PC」というキャラクタが登場しており、主人公2人の短い議論を通して、Macの長所とライバル(Windows)の短所が強調されている。 従来の広告に加えて、Appleはカンファレンスを開催し、Macをはじめとする新製品の発表とプロモーションを行っている。これらの会議は、Macworld Conference & Expo、Apple Expo、Worldwide Developers Conferenceなどの展示会の枠組みの中で、あるいはApple Eventと呼ばれるシンプルな記者会見の中で開催されていた。基調講演は、スティーブ・ジョブズが復帰してから2011年10月5日に逝去した後も、聴衆の前で行われることが多く、その様子は全てではないがインターネットで中継されている。 Macintoshは、マット・グレイニングが制作した『フューチュラマ』や『ザ・シンプソンズ』などのアニメシリーズの制作者にも影響を与えており、いくつかのエピソードに登場するコンピュータは、Macintoshの特定のモデルに大きく影響を受けている。
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PowerPC
PowerPC(パワーピーシー、英: Performance optimization with enhanced RISC - Performance Computing)は1991年にApple Computer、IBM、モトローラの提携(AIM連合)によって開発された、RISCタイプのマイクロプロセッサである。 PowerPCはIBMのPOWERアーキテクチャをベースに開発され、AppleのMacintoshやIBMのRS/6000などで採用された。ゲーム機をはじめとした組み込みシステム、スーパーコンピュータで広く使われている。POWER3以降は、POWERファミリ自体がPowerPCアーキテクチャに準拠している。 アーキテクチャとして、動作のベースとなる命令セットや基本的なレジスタセット、メモリアドレッシング、キャッシュモデルなどを規定しているが、それらをどのように実装すべきかまでは規定していない。 そのため実際に製造されるモデルは高速化のためにアーキテクチャレベルでは規定されていない機構(L2、L3キャッシュや関連レジスタなど)を備えているのが普通である。 性能の割に低消費電力でダイサイズも小さいという特性から、ゲーム機やハイエンドのルーターなどのネットワーク機器、レーザープリンターなどの分野で広く使われており、高性能な組み込みシステム向けプロセッサとしてよく使われる。FPGA用のIPコアとして提供されているものもある。もともとはAIMプラットフォームのCPUという意味で開発されたものだが、CPU以外は開発されなかったため、今日まで残る同プロジェクト唯一の成果物でもある。 デスクトップコンピュータ用としては、AppleのPower MacintoshおよびPower Macに採用されていたほか、IBMの一部のワークステーション、サーバやBlueGene/Lをはじめとするスーパーコンピュータにも採用されている。その他、2005年 - 2006年に発売された主要据え置き型ゲーム機三機種(Wii、PLAYSTATION 3、Xbox 360)は、いずれもPowerPCアーキテクチャを採用している。
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PowerPC
現在、PowerPCプロセッサはモトローラから半導体部門を分離して設立されたフリースケール・セミコンダクタ(現在はNXP)とIBMが開発・製造を行っており、PowerPC派生品種のCellプロセッサはIBMと東芝セミコンダクターが設計・製造している。また、4xxのシリーズ(組込み系CPUコア)はAMCCに売却されている。しかし実際は4xxシリーズでもハイエンドクラスの製造はIBMしか行えないため、開発の中心はIBMのままである。 PowerPCはRISCの思想で作られており、スーパースカラ方式で命令を実行する。 ベースにしたPOWERの特徴に、さらにいくつかの変更を加えた。 1998年のPOWER3以降は、POWERも64ビットPowerPC仕様に準拠したアーキテクチャを採用している。 PowerPC の歴史は70年代後半のジョン・コックのRISCアイデアを使用した米 IBMの801プロトタイプ・チップで始まった。801を基にしたコアは数々のIBM製組み込み用製品に採用され、最終的には16本のレジスタを持つROMPプロセッサ、IBM RTにまで発展した。しかし、RTプロセッサの性能は十分とは言えなかったため、IBMは「アメリカ・プロジェクト」と呼ばれる、市場で最も高速なプロセッサを開発する計画を始動させた。その結果開発されたのがPOWERアーキテクチャであり、1990年初頭にRISC System/6000と共に発表された。 本来のPOWERマイクロプロセッサは、スーパースケーラを実現した最初のプロセッサの一つであり、高性能でマルチプロセッサに対応していた。IBMがRS/6000の製品群をローエンド向けからハイエンド向け製品にまで拡大するにあたって、POWERプロセッサからいくつかの機構を取り除き、シングルチップ・プロセッサにする必要が生じたため、IBMはRISC Single Chip(RSC)の開発に着手した。RSCは開発の初期段階から、工業向けに幅広く使える可能性を秘めた高機能なプロセッサになるであろうと考えられていた。
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PowerPC
1991年、IBMはAppleに接近し、共同でPOWERアーキテクチャをベースとしたシングルチップ・マイクロプロセッサの開発を行なう事で合意した。その直後、当時据え置き型コンピュータ用プロセッサに関してモトローラ社最大の顧客であったApple Computerは、長年の協力関係を考慮して、モトローラにマイクロプロセッサ開発に加わるよう打診した。モトローラには、マイクロプロセッサ開発における豊富な経験の活用と、セカンドソースとしての役割が期待された。こうしてIBM、Apple、モトローラはAIM連合と呼ばれる協力関係を組織するに至った。 1991年、PowerPCはAIM連合における最大要素の一つとなった。当時のパーソナルコンピュータ市場ではマイクロソフトがWindowsを開発中であり、インテル製プロセッサはその支配を強めつつあった。また、CISCアーキテクチャのインテル80386及び80486が大半のコンピュータに採用されており、後継のPentiumプロセッサの開発も順調に進んでいた。PowerPCプロセッサは冒険的な要素を含んでいたものの、拡大するマイクロソフトとインテルによる支配に対抗するため、開発が進められた。 モトローラにとって、POWER系プロセッサの開発に加わる事は、またとないチャンスであった。この時点でモトローラは既に自社製のRISCプロセッサMC88000を市場に投入していた。しかし、このプロセッサは貧弱な設計手法と製造上の問題により市場での評価は低く、販売は低迷していた。このためモトローラは、MIPSやSPARCといった競合製品に市場で並ぶ機会を失いつつあった。しかし、新型POWER系プロセッサの開発に参加すれば、キャッシュ部分を設計するだけで、広くテストされた高性能RISCプロセッサを販売する事が可能になるため、RISCプロセッサ市場での巻き返しが期待された。また、68000系以来の重要な顧客であるAppleとの関係の改善や、IBMに簡略化バージョンを供給できる可能性もあった。
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PowerPC
その低評価の一方で、MC88000プロセッサは既に生産されており、Appleは既にこのプロセッサを利用したプロトタイプのコンピュータを動作させていた。このため、開発中のPOWERアーキテクチャ・シングルチップのバスにハードウェアの段階でMC88000のバスとの互換性を持たせれば、ロジックボードを再設計する事なく、より迅速に新型プロセッサを市場に投入する事が可能であった。最終的に、新型プロセッサPowerPCはこういった要求を含んだ設計となった。 PowerPCが市場に投入される直前、大きな動きがあった。Apple Computerに加えてIBMとモトローラの両社は、PowerPCプロセッサに対応したシステムを提案した。マイクロソフトはモトローラのPowerPCサーバ向けのWindows NT 3.51を発表、サン・マイクロシステムズもSolarisのPowerPC版を発表した。またIBMは、自社のAIXを移植し、OS/2の移植も計画していた。1994年には組込み用途向けに PowerPC 403 を発表、後継のPowerPC 401、440などは機器制御用途やネットワーク機器を中心に広く普及した。また同年にPowerPCの64ビット版であるPowerPC 620が完成、同チップは出荷されず普及はしなかったが、その設計はPOWER3以降のPOWERファミリの礎となった。 1994年にはPowerPCをベースとしたコンピュータの仕様であるPReP、1995年には後継のCHRPが発表された。また1994年にはPowerPC搭載のMacintosh (Power Macintosh) が登場した。
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PowerPC
1994年にはPowerPCをベースとしたコンピュータの仕様であるPReP、1995年には後継のCHRPが発表された。また1994年にはPowerPC搭載のMacintosh (Power Macintosh) が登場した。 しかしこれらの動きはわずかな期間で終わり、結局PowerPCという新型アーキテクチャに期待されていた理想が実現する事はなかった。Windows、OS/2、そしてサンの顧客はPowerPC用ソフトウェアの不足を理由に、PowerPCプロセッサはほとんど顧みなかった。これらのOSの後継が市場に投入される事はなく、PowerPCから完全に離れていった。またBeOSも最初のバージョンはPowerPC向けに開発されたが、その後x86系プロセッサに移行していった。最終的にはPowerPC向けの商用のデスクトップOSは、AppleのClassic Mac OSとMac OS Xのほかは、AmigaOSなどのみが残った。 1990年代中頃、PowerPCプロセッサはベンチマークにおいて、最速のx86系プロセッサと同等または凌駕する性能を発揮した。90年代末に登場したG4ではAltiVecを搭載し、当時の他のCPUに比較して大幅に高速なSIMD処理を実現した。PowerPCは高性能でありながら低コスト・低消費電力といった特徴をもち、AppleはPowerPC603およびG3・G4を採用することによって、同時期のPC/AT互換ノートパソコンの性能を凌駕するPowerBookや、ファンレスのiMac、Power Mac G4 Cubeといった独創的な製品を作ることが可能になった。しかしPowerPCの性能あたりの消費電力の低さは、組み込み向けとしては高く評価されたものの、デスクトップで勢力を拡大するための決め手にはならなかった。 2002年にはPOWER4をベースとした64ビットのPowerPC 970 (G5)が登場、高性能化に伴いG4から大幅に消費電力が増大したものの、同時期のPentium 4と比較するとほぼ同等の性能でありながら低消費電力であり、IBM・Appleのサーバ製品のほか、Power Mac G5・iMac G5で採用された。
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PowerPC
2002年にはPOWER4をベースとした64ビットのPowerPC 970 (G5)が登場、高性能化に伴いG4から大幅に消費電力が増大したものの、同時期のPentium 4と比較するとほぼ同等の性能でありながら低消費電力であり、IBM・Appleのサーバ製品のほか、Power Mac G5・iMac G5で採用された。 2004年はPowerPC系CPUにとって激動の年になった。まず、モトローラが、半導体部門をスピンオフし、『フリースケール・セミコンダクタ』を設立。次に、2005年度のE3において発表された各社の次世代(第7世代)ゲーム機であるレボリューション(コードネーム、現在のWii)、PLAYSTATION 3、Xbox 360のCPUがすべてPowerPC系アーキテクチャのものになった。一方で、これまでPowerPCを採用していたAppleのMacintoshが、2006年からインテルのCPUに全面的に切り替えていく事が発表された。2006年中にAppleのハードウェアは完全にインテルアーキテクチャへの切り替えが完了し、Apple社内でPowerPC向けチップセットの開発を行っていた設計チームはApple A4の開発に転じた。2009年にはセキュリティアップデートを除いてPowerPC向けソフトウェアの開発も終了した。 ゲーム機においてはWiiの後継機種である2012年発売のWii Uが引き続きPowerPC系のアーキテクチャを採用したものの、2013年発売のPlayStation 4、XBOX Oneの両陣営はx86系のプロセッサを採用し、Wii Uの実質的な後継機種である2017年発売のNintendo SwitchはArm系のプロセッサを採用したため2019年現在は使われていない。 現在ではサーバやスーパーコンピュータに採用されている。プリンター・ルータ・ネットワークスイッチ等の組み込み用途にも積極的に採用されていたが、より省電力かつ低コストなARM系プロセッサの台頭により2019年現在は新規採用されるケースは減っている。 PowerPCファミリを立ち上げる為に、IBMの既存のPOWERプロセッサをベースに設計された。その為、正式にはPowerPCのジェネレーション・ナンバーを持っていない。1994年代より流通。
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PowerPC
PowerPCファミリを立ち上げる為に、IBMの既存のPOWERプロセッサをベースに設計された。その為、正式にはPowerPCのジェネレーション・ナンバーを持っていない。1994年代より流通。 アルミ配線の603、604がG2第1世代。第2世代については、IBMによる銅配線の603eと604e全てが該当するとする文献と、同シリーズで250MHz以上のものとする文献が散見され、はっきりしない。どちらも完全バス互換であったため、区別が重要でなかったこともその理由である。PowerPC 603は大変消費電力が少なく、デスクトップと同様の仕様のチップがノートパソコンに搭載されたほか、組み込み向けに広く使われた。PowerPC 604は4つの演算ユニットを並列動作させることができ、パーソナルコンピュータ向けとしては当時最高レベルの演算性能を持っていた。浮動小数点演算は特に強力であった。 Appleが出資していたExponential Technologyによるバイポーラトランジスタ型の論理回路を使う消費電力の大きなハイパフォーマンスなCPUとして発表された、1996年当時の他のCPUに比べ大幅な高速クロック動作を実現するとしていたPowerPCアーキテクチャの予定製品であった。試作品が搭載された次期Power Macintoshプロトタイプが展示会でAppleによって公開された。しかし、1997年5月のWWDC時、安価なPowerPC 750やPowerPC 604evとの性能差がないとして、Power Macintoshへの採用が中止された為にX704は量産化されずに終った。 G3(第3世代)以降は、PowerPC採用の代表的製品であるPower MacintoshシリーズでAppleがジェネレーション・ナンバーを前面に押し出したため、PowerPCの世代区分が一般に明確となった。性能比での消費電力が低いことが特徴で、現在では主に組み込み用途に用いられる。なお、パイプラインは浅く、603と変わらない4段にすぎない。
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G3(第3世代)以降は、PowerPC採用の代表的製品であるPower MacintoshシリーズでAppleがジェネレーション・ナンバーを前面に押し出したため、PowerPCの世代区分が一般に明確となった。性能比での消費電力が低いことが特徴で、現在では主に組み込み用途に用いられる。なお、パイプラインは浅く、603と変わらない4段にすぎない。 G3をベースに浮動小数点演算機能を強化、SIMDと対称型マルチプロセッサ機能を追加したもの。CPUバスは従来の60xバスに加え、より高度な制御機能をもったMPXバスにも対応している。MPC 7450 でマイクロアーキテクチャを刷新したため、MPC 745x・MPC 744x は、G4+とも呼ばれる。 64ビットPowerPCアーキテクチャに準拠し、設計を全面的に刷新している。 IBMがAppleと共同開発し、POWER4ベースに設計。G5と呼ばれる。 90nmプロセス、高速化。省電力機能「PowerTune」を搭載。 デュアルコア、各コアにL2キャッシュ1MB内蔵。最高2.5GHz。 PowerPC 970FXの後継モデルで、970MP同等の性能でシングルコア・省電力を実現した。最高2.5GHz。 P.A. Semi(2008年にAppleに買収された)が設計した、64ビット対応のG5互換製品。 PowerPC Processor Elementの略称、SCE・ソニー・IBM・東芝の4社連合によって開発。PowerPC互換ではあるが、どのベースにも属さないフロムスクラッチ。Cell/B.E.およびPowerXCell 8iに使用されている。 Xbox 360用にIBMがマイクロソフトと共同開発した64ビットのPowerPC互換プロセッサ。XCPUと呼ばれる。後にGPU「Xenos」を統合したXCGPU、更にeDRAMを統合したObanに発展した。 最初から組込み向けとしてIBMが開発。現在はAMCCが権利を持つ。単体のマイクロプロセッサとしてではなく、ASICのCPUコアとして組み込まれることが多い。2005年頃より流通。
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PowerPC
Xbox 360用にIBMがマイクロソフトと共同開発した64ビットのPowerPC互換プロセッサ。XCPUと呼ばれる。後にGPU「Xenos」を統合したXCGPU、更にeDRAMを統合したObanに発展した。 最初から組込み向けとしてIBMが開発。現在はAMCCが権利を持つ。単体のマイクロプロセッサとしてではなく、ASICのCPUコアとして組み込まれることが多い。2005年頃より流通。 2009年9月24日に発表された470シリーズは、それまでの400シリーズと比較して性能を2倍以上に引上げた。ソフトウェアは400シリーズと共通であるが、464FPと比較してパイプラインが7段から9段へ増えており、out-of-order、倍精度浮動小数点数演算対応SIMDと、PowerPC G3 (PowerPC750) シリーズの後継シリーズとしての位置づけとなっている。 2010年2月9日にISSCC2010で発表されたプロセッサ。1コアあたり4スレッドで16コア1チップで構成されている。L1キャッシュ16KB+16KB。L2キャッシュ2MB。1.6GHz時55W、204.8Gflops。最高2.3GHz、65Wで稼動する。スーパーコンピュータBlue Gene/Q(ブルージーンQ)のコアCPUに採用されている。
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2月17日
2月17日(にがつじゅうななにち、にがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から48日目にあたり、年末まであと317日(閏年では318日)ある。
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MacOS
macOS(マックオーエス)は、Appleが開発・販売するMacのオペレーティングシステムである。当初の名称はMac OS X(マックオーエステン)で、のちにOS X(オーエステン)に改められていた(後述)。 技術的には直系ではないが、Classic Mac OS(Mac OS、System)の後継として、新たにBSD系UNIXをベースに開発された。 NeXTのOPENSTEPの技術をベースに開発されたMacintosh専用オペレーティングシステムである。オープンソースのオペレーティングシステム「Darwin」をベースとし、POSIXに準拠したUNIXである。 旧来のMac OSに比べて非常に安定しており、オープンな標準規格の採用を基本としている。macOS独自のユーザインタフェースで構築されたウインドウシステムを搭載し、macOSの特徴である直感的かつ柔軟な操作を実現している。開かれているオープンソースの強みと、Macintoshが初めから持っていた「閉じていること」の強みを併せ持ち、一貫したデザイン、操作方法が統一された「GUI」、UNIXの利便性、堅固さが共存している特徴がある。UNIXベースとなり、比較的容易な移植でBSDやLinuxなど他のUnix系オペレーティングシステムで開発されたソフトウェア資産を、macOSのインタフェース上で使うことができるようになった。統一感のある外観を持つX.orgベースのX Window System「X11」(XQuartz)を導入できる。X11がmacOS上で動作することにより、互換性のないアプリケーション間のコピーアンドペーストのような純粋なX11ではサポートされていない動作が可能である。 2001年に最初の製品版が発売された時の名称は「Mac OS X(マック オーエス テン)」であった。2012年にリリースされたOS X Mountain Lionで正式名称から「Mac」が外され、「OS X(オーエス テン)」と称した。さらに、2016年にリリースされたmacOS Sierraから、iOSやwatchOS、tvOSなどのAppleの他のOSの名前との親和性を図るため、「OS X」から「macOS」へと改称された。
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10.8までのコードネームはネコ科の動物に由来している。10.9以降はカリフォルニア州の地名からコードネームがとられている。 1994年からMac向け次世代オペレーティングシステムとして計画・開発されていたCoplandプロジェクトが挫折に終わり、1996年8月、Appleは完全な自社開発をあきらめ、他社の技術を導入することに決定した。一時はBeOSやSolaris、Windows NTさえ検討対象にあがり交渉が行われた。外部ではBeOSが最有力と見られたが、最終的にはスティーブ・ジョブズが創業しCEOを務めていたNeXT社を買収してそのオペレーティングシステムOPENSTEPをもとにMac OSの使い勝手を導入したオペレーティングシステムを開発することとなった。開発を主導したのは共に元NeXTの、アビー・テバニアン(元ソフトウェア担当最高技術責任者、v10.2まで)とその後継者のバートランド・サーレイ(元ソフトウェア担当上級副社長、v10.4まで)、スコット・フォーストール(元ソフトウェア担当上級副社長、v10.5まで)であった。2011年3月からは、やはり元NeXTのクレイグ・フェデリギソフトウェアエンジニアリング担当上級副社長が開発担当責任者である。 アプリケーションからRhapsodyの機能を生かすには、Cocoaの前身であるYellow Boxでアプリケーション プログラムを一から書き直さなければならなかったので、従来からの開発者の支持を得ることができなかった。そのため、従来のMacintoshのAPIであるToolboxをベースにCarbon (API)を開発し、これをNeXT由来の技術と統合した「Mac OS X」への移行が宣言される。Rhapsodyを元にサーバ向けのMac OS X Server 1.0としてリリースされた後、Mac OS Xがリリースされた。
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2001年にリリースされたMac OS Xは、Mac OSともOPENSTEPとも異なる新たなインタフェース「Aqua」をまとって登場。従来のMac OSとは全く異なる、堅牢なマルチタスクのオペレーティングシステムで、Coplandプロジェクトが目指していたものを遥かに超えるものを実現した。初期の版では動作の遅さが指摘されたが、改版ごとにオペレーティングシステム内部の最適化が進み、Quartz Extreme、Core Image, Core Animationなどの新技術により解決された。 2010年10月21日、スペシャルイベントで「Back to the Mac」としてiLife'11とMac OS X Lionと新型MacBook Airと同時にMac App Storeを発表した。翌年、2011年1月6日から1000本ものアプリケーションを販売開始した。macOSのインストーラやアップデータもMac App Storeを通して配布されている。 付属アプリケーションが充実しており、日本語フォントとしてヒラギノが3種13書体が標準搭載され、游書体のうち游明朝体/游ゴシック体/游教科書体、フォントワークスの筑紫A丸ゴシック/筑紫B丸ゴシック/クレー、凸版印刷の凸版文久明朝/凸版文久ゴシック/凸版見出し明朝/凸版見出しゴシックが追加インストールされる。Mac OS X v10.5には、小学館の国語および英和・和英辞典が標準で付属している。OS X v10.8では Oxford Dictionary of Englishやウィズダム英和・和英、スーパー大辞林など12種類の辞書が装備されている。Mac OS X v10.1の時代から、FreeBSD由来のsmbfsを利用し、Windowsネットワーク環境でのファイル共有やドメイン参加など、Windows機との共存が可能である。SMBサーバの機能は、Snow LeopardまではSambaをベースにしていたが、Mac OS X Lion以降は独自実装となっている。
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Mac OS X v10.4までは Classic環境と呼ばれるMac OS互換機能を持っていた。Mac OS 9.2.2を一種の仮想マシンとして動作させるもので、Mac OSアプリケーションは旧バージョンのプラチナアピアランスで動作した。68K・PowerPCの別を問わず、旧来のアプリケーションの多くをMac OS X上で動作させることができ互換性は高かったが、完全な互換性があるわけではなく、オーディオ関係のアプリケーションなど特にリアルタイム性が求められるものについてはメーカーがサポートしていない場合があった。Mac OS X v10.5およびインテル版のMac OS X v10.4からこの機能はなくなった。2005年のWorldwide Developers ConferenceでPowerPCに代わりインテル製プロセッサの採用が発表されたが、Mac OS Xは開発当初からCPUに依存しない抽象化を示すためにx86版との並行開発をしており、すべてのバージョンの Mac OS Xでインテル版が存在していたという。これはMac OS Xの前身である Rhapsodyが当初からPowerPC版とインテル製プロセッサ版が計画されており、BlueBoxはPowerPC版でしか採用しないと発表しており、8年かけて計画を完遂させたと言えなくもない。 macOS Big Sur以降において、Appleシリコン搭載Macでは、一部を除いてiOS, iPadOSアプリをネイティブ動作させられる。 2000年9月13日、AppleはMac OS X Public Betaをリリースした。日本では同年10月21日から、より新しいビルドを(税別3,500円で)販売した。Aquaインタフェースの美しい見た目がMacintoshの利用者に衝撃を与えたが、 使い勝手が大きく変化したことについては戸惑いの声があがった。
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2000年9月13日、AppleはMac OS X Public Betaをリリースした。日本では同年10月21日から、より新しいビルドを(税別3,500円で)販売した。Aquaインタフェースの美しい見た目がMacintoshの利用者に衝撃を与えたが、 使い勝手が大きく変化したことについては戸惑いの声があがった。 2001年3月24日、AppleはMac OS X v10.0(税別14,800円)を発売した。従来のMac OSと比較すると劇的に安定性が向上しており、パブリック・ベータからさらに改良されていたが、当初はDVD再生機能などがなく、対応機器も限られており速度も非常に遅く、まだ完成度は低かった。Mac OS 9と切り替えて使うなど、メインのオペレーティングシステムとして日常的に使う利用者は少なかった。 2001年9月25日、Mac OS X v10.1(税別14,800円)がリリースされ、10.0のユーザへの無償更新サービスが行われた。10.0に欠けていた多くの機能が追加され、システムの性能が向上し、実用的に使える初めての版といわれる。ユーザインタフェースにも手直しがなされ、日本語入力の変換精度が大幅に向上したことえり 3を搭載。マイクロソフトやアドビなどから対応ソフトがリリースされた。
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2001年9月25日、Mac OS X v10.1(税別14,800円)がリリースされ、10.0のユーザへの無償更新サービスが行われた。10.0に欠けていた多くの機能が追加され、システムの性能が向上し、実用的に使える初めての版といわれる。ユーザインタフェースにも手直しがなされ、日本語入力の変換精度が大幅に向上したことえり 3を搭載。マイクロソフトやアドビなどから対応ソフトがリリースされた。 2002年8月24日、Mac OS X v10.2(税別14,800円)が発売された。日本では商標の問題でJaguarは製品名には付けられなかった。スプリングローデッドフォルダ機能が復活するなど、Finderの使い勝手に改良が施される。動作速度が上がり対応機器が増えて、Mac OS Xを業務用途で使う利用者にも受け入れられるようになったほか、UNIX利用者の間でも Mac OS Xを愛用する人が増えた。ビデオチップの幾何演算ユニットを使ってCPUの負荷を軽減する「Quartz Extreme」、ネットワーク機能「Rendezvous」(現:Bonjour)、手書き文字認識「Inkwell」などの新機能を実装。10.2.3版からジャーナリングファイルシステムが実装された。2003年にはウェブブラウザとしてSafariが登場し、Mac OS 9が起動しないMac OS XのみをサポートするMacintoshが販売されるようになった。ファイアウォール機能が標準で付属し、IPsec・IPv6にデフォルトで対応したのもこの版である。
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2003年10月24日にMac OS X v10.3 Panther(税別14,800円)が発売された。標準でUSBポートを備えたマシン以外のサポートを打ち切り、初代iMac以降の機種への対応となった。日本での発売イベントはApple Store銀座ができる前だったこともあり、アップルコンピュータ株式会社があった東京オペラシティ1階広場ガレリアで行われた。開発者向けにはコントローラレイヤ「Cocoa Binding」が導入された。システムの安定性がさらに向上したほか、処理速度も向上し、低クロックのG3マシンでも比較的快適に動作する。Finder はiTunesのインタフェースを取り入れた2ペイン形式での表示も可能になり、フォルダに色を付けるラベル機能も復活した。ウインドウ一覧表示機能「Exposé」、ホームフォルダの暗号化機能「FileVault」が追加され、ことえりがバージョン4になり予測変換などの機能が追加された。Mac OS Xでも大手印刷会社への入稿受け入れが整ったため、遅れていたデザイン、出版分野への導入が徐々に進み始める。ライセンス使用料の追加がないクライアント無制限の「Mac OS X Server」搭載の1Uサーバ「Xserve」とNetBootが評価され、東京大学、東京女子大学に大量導入された。
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2005年4月29日、Mac OS X v10.4 Tiger(税込14,800円)が発売された。この版からメディアがDVD-ROMの1枚になった。動作環境をFireWire(IEEE 1394)ポートを標準搭載したMacintoshとされ、初期のiMacならびに初期のiBookは対応外となった。新規にリアルタイムイメージングインタフェース「Core Image」および「Core Video」、64ビットオーディオインタフェース「Core Audio」、モデルレイヤ「Core Data」が導入された。さらにlaunchdが従来のinitなどのUNIX デーモン群を置き換え、カーネル・プログラミング・インタフェース(KPI)やUTIが実装されるなどシステム内部が大きく刷新されたが、以前のバージョンとの互換性は概ね維持されている。システムに統合されたメタデータ検索機能「Spotlight」、WebKit ベースのアプリケーション実行環境「Dashboard」のほか、200 以上の新機能を搭載した。仮想メモリの暗号化まで含めたセキュリティ機能の充実により、あおぞら銀行が2006年にかけて2,500台という規模でTiger搭載iMac G5の導入を決めている。WWDC 2005においてOSはTigerのまま2006年からMacintoshのCPUをインテル製に移行することが発表され、2006年以降の新製品には、インテル対応版Mac OS Xが搭載された。 インテル対応版Mac OS X Tigerは単体で販売されておらず、インテル製プロセッサを載せたMacintoshではClassic環境を利用することができない。
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インテル対応版Mac OS X Tigerは単体で販売されておらず、インテル製プロセッサを載せたMacintoshではClassic環境を利用することができない。 Mac OS X v10.5 Leopard(レパード)は、発表当初は2007年春のリリースを目指して開発されていたが、2007年4月12日(現地時間)に、6月発売のiPhoneプロジェクトへ一時的に開発リソースを集中させる目的でリリース延期が表明され、2007年10月26日にシングルユーザライセンス14,800円(税込)、ファミリーパック(家庭内5人分のユーザライセンス)22,800円(税込)で発売された。この版のみUniversal Binaryとなり、メディアが2層DVD-ROMの1枚になった。2006年8月7日のWorldwide Developers Conferenceで機能の一部が発表されている。64ビットに対応したCocoa、容易なプログラミングでアニメーションを実現する「Core Animation」、Core Data 2.0、解像度非依存のユーザインタフェース、仮想デスクトップ環境「Spaces」、バックアップツール「Time Machine」、Windows XPまたはWindows Vistaとのデュアルブート環境を実現する「Boot Camp」、改良強化された Spotlight、Dashboardウィジェットを容易に作成できるDashcodeなど多数の機能が搭載される。2007年6月11日 、WWDCの基調講演で新しいFinderとDock、Quick Lookが披露された。JIS X 0213:2004対応フォント搭載。Tigerまでは搭載されていたレガシーな機能が排除されたのも特徴であり、Classic環境が利用できなくなった。 UNIXの商標を管理する団体である「The Open Group」から「Single UNIX Specification」の認証を受け、正式なUNIXとなった。
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UNIXの商標を管理する団体である「The Open Group」から「Single UNIX Specification」の認証を受け、正式なUNIXとなった。 2009年8月28日にシングルユーザライセンス3,300円(税込)、ファミリーパック(家庭内5人分のユーザライセンス)5,600円(税込)と大幅な値下げが実施され発売された。この版からインテル製プロセッサを搭載したMacintosh専用となり、PowerPCプロセッサを搭載した Macintoshでは使用できなくなり、HFSフォーマットは読み込みのみ可能となった。2008年6月9日(現地時間午前)に開催されたWWDC 2008での基調講演で開発が発表され、2009年6月8日に開催されたWWDC 2009で詳細と発売予定時期があらためて発表された。主にパフォーマンスと安定性に注力し、オペレーティングシステム全体が大幅に小さくなった。DockとExposéの機能が拡張され、Microsoft Exchange 2007を標準でサポート。FinderとQuickTime(QuickTime X)がCocoaベースに作り直されたほか、ほとんどのシステム付属アプリケーションが64ビット化、Grand Central Dispatch(GCD)とOpenCLにより並行演算機能が大幅に強化された。 2010年10月21日に発表。正式名称はMac OS X Lionであったものの、マーケティング上、Macの名称を外してOS X Lionと呼称された。シングルユーザライセンス、ダウンロード版2,600円(税込)、USBメモリ版6,100円(税込)。
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2010年10月21日に発表。正式名称はMac OS X Lionであったものの、マーケティング上、Macの名称を外してOS X Lionと呼称された。シングルユーザライセンス、ダウンロード版2,600円(税込)、USBメモリ版6,100円(税込)。 Exposé・Dashboard・Spacesの各機能に統合されたアクセスを提供する Mission Controlを搭載するほか、ソフトウェア販売サービスMac App Storeやフルスクリーンのウインドウ表示、アプリケーションランチャLaunchPadなどiPhone OSに由来する機能等を搭載。Mac OS X v10.5 Leopard以来の大幅な機能とインタフェースの刷新が施された。2011年2月24日には、公式サイトにさらなる新機能の説明が追加された。LaunchPadやAirDropなどを含む250を越える新機能を追加し、64ビット・マルチコアCPUのみをサポートする。7月20日にMac App Storeでダウンロード販売を開始した。8月17日にはUSBメモリ版も発売された。 2012年2月16日に発表され、デベロッパプレビューも同時に公開。正式名称もOS Xとなり、7月25日にMac App Storeでダウンロード販売(発売時は1,700円、2022年4月現在2,440円)を開始した。この版から64ビットカーネル起動のみとなり、インテル製32ビットプロセッサを搭載したMacおよび32ビットカーネルのMacでの直接インストールができなくなった。100以上の新たな機能が追加され、メッセージングサービスiMessage、リマインダー、通知センター、メモ、Game Centerなど、iOS 5で提供されたアプリケーションや新機能がMacintoshでも利用可能となった。Mac OS X Lionに引き続き、iOSに由来する機能が搭載された。Mountain LionとはPuma、Cougarの別名である。
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2013年6月10日に開催されたWWDC 2013で発表され、デベロッパプレビューも同時に公開された。200以上の新機能が追加され、一般向けには2013年10月22日にリリースされた。また、このバージョンから無償となった。Finderにタブ機能が追加され、iOSで提供されているマップやiBooksが搭載される。このバージョンからコードネームがカリフォルニア州の地名になった。Mavericksとはカリフォルニア州の海岸の名前である。 2014年6月2日のWWDCで発表、同年10月17日にリリースされた。iOS 7で刷新されたデザインを採用しつつ、Finderやマルチタスクなど、デスクトップOSとしての機能がさらに洗練された。10.5以降に採用された3D Dockは廃止され、その結果としてGUIの雰囲気は10.4以前のGUIに似ていた。 2015年6月9日のWWDC 2015の基調講演で発表、同年9月30日にリリースされた。Macのエクスペリエンスの洗練とパフォーマンスの向上、システム整合性保護などセキュリティ対策強化、フルスクリーンでアプリケーションを同時に二つ表示できるスクリーンスプリット機能、システムフォントの追加など。Spotlightがより口語的な検索に対しても結果を示すようになる。ライブ変換機能の追加でよりスムーズな入力ができるようになる。 2016年6月13日のWWDC 2016の基調講演で発表、同年9月20日にリリースされた。この版からHFSフォーマットが廃止され、Late 2009モデルより前のMacでの直接インストールが不可となった。新たにSiriの導入や、iOSやwatchOSとのより多くの連携機能の導入が進む。本バージョンからiOSやwatchOS、tvOSなどのAppleのOSとの名前の親和性を図るために従来のOS XからmacOSへ名称が変更された。 2017年6月5日のWWDC 2017の基調講演で発表、同年9月25日にリリースされた。APFSやVRテクノロジーへの対応、日本語入力の改善などが発表された。純正のみサポートされたNVMeがサードパーティー製にも対応し、Apple T2チップ搭載Mac以外のRAIDディスクへのインストールおよび起動が不可となった。
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2017年6月5日のWWDC 2017の基調講演で発表、同年9月25日にリリースされた。APFSやVRテクノロジーへの対応、日本語入力の改善などが発表された。純正のみサポートされたNVMeがサードパーティー製にも対応し、Apple T2チップ搭載Mac以外のRAIDディスクへのインストールおよび起動が不可となった。 2018年6月5日のWWDC 2018の基調講演で発表、同年9月25日にリリースされた。ダークモードの採用や、Mac App Storeの大幅リニューアルなどが実装された。 2019年6月3日のWWDC 2019の基調講演で発表、同年10月8日にリリースされた。iPadOSからのアプリの移植を容易に行えるProject Catalystが採用された。システムボリュームにはAPFSを必須とし、HFS Plusでの起動ができなくなった。32ビットバイナリが取り除かれ、32ビットアプリケーションなどが起動しなくなるので注意が必要である。 2020年6月22日のWWDC 2020の基調講演で発表、同年11月13日にリリースされた。同時に移行が発表されたAppleシリコンを搭載したMacにおいて、Rosetta 2で従来のIntel Mac向けソフトウェアの大半が動作する。また最新のXcodeでAppleシリコン、Intel CPU両方に対応するUniversal 2としてコンパイルが可能となっている。バージョンナンバーは最初にリリースされた開発版では10.16であったが、Mac OS 9からMac OS Xに移行して以来、約20年ぶりにメジャーバージョンを上げ11.0とすると発表した。 2021年6月7日のWWDC 2021の基調講演で発表、同年10月25日にリリースされた。 2022年6月7日のWWDC 2022の基調講演で発表、2022年10月25日にリリースされた。 2023年6月5日のWWDC 2023の基調講演で発表、2023年9月26日にリリースされた。
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2021年6月7日のWWDC 2021の基調講演で発表、同年10月25日にリリースされた。 2022年6月7日のWWDC 2022の基調講演で発表、2022年10月25日にリリースされた。 2023年6月5日のWWDC 2023の基調講演で発表、2023年9月26日にリリースされた。 Mac OS X v10.0からMac OS X v10.6までは、最大プロセス数が532、そのうちユーザプロセス数は半分の266であった。Mac OS X v10.7からmacOS Mojave 10.14では、メモリを3GB以上積んだ場合は、1064へ拡大され、ユーザプロセス数は709である。macOS Catalinaからは1044の倍数(最大16、よって16704)となる。確認するコマンドなどについては、sysctl(3)のマニュアルで参照できる。 なお、Mac OS X Serverではv10.5以前から最大プロセス数が2500であり、64ビット化されたMac OS X Server v10.6からはメモリ量に応じて自動で増えるが、上限は30000である。macOS Serverでは、強制的にパフォーマンスモードを有効にすることで、最大プロセス数を増やすこともできる。 以前のMac OSにおいては、OSパッケージが各言語ごとにローカライズされたほか、ラテン文字以外の文字で表記する言語を扱うために必要なフォント・インプットメソッド・スクリプト書類などをセットにした「Language Kit」が用意された。System(漢字Talk)7.1から Mac OS 8.6までの時期には個別にパッケージ販売され、Mac OS 8.5から Mac OS 8.6ではインプットメソッドを除くMultilingual Internet Accessが添付された。Mac OS 9ではすべての版でLanguage Kitが標準添付となり、必要な場合カスタムインストールする形をとった。
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これに対し、macOSはサポートする言語の入力・表示に必要なコンポーネントをすべて標準でインストールした上で、優先順位を切り替えて任意の言語環境で使うことができる多言語インタフェースのOSになっている。Mac OS X v10.5では18種の言語環境が内包されている。そのため提供されているインストーラの内容は全世界共通である。従って、日本国外で入手したmacOSやMacintosh本体でも、日本で流通しているものと全く同様の環境に仕立てることが可能である。 字体としては65,000以上ものグリフを扱うことができ、日本語についてはグリフセットAdobe-Japan1-5以降に対応したOpenTypeフォントを備えているため、森鷗外や草彅剛などの正確な表記もそのまま表示・入力できるようになった。ただしすべてのグリフを扱うにはアプリケーション側の対応が必要となる。入力メソッドはシステム言語の文字に加えてタイ文字、デーヴァナーガリー文字、アラビア文字、ヘブライ文字など多数用意されている。v10.3からはことえりがアイヌ語の表記に使う仮名文字に対応している。またファイルやフォルダ(ディレクトリ階層)にもシステムが対応している任意の言語で名前を付けることが可能で、複数言語の混在もできる。v10.7からは絵文字にも対応し、他の文字と同じように扱うことができるようになった。 Finderや付属のアプリケーションソフトで、メニュー・ダイアログなどが地域対応された下記の言語環境が歴代のバージョンで追加されている。 macOS に搭載されているJava 実行環境のバージョンおよびオラクルから直接提供されるバージョンの対応状況を記す。 初期のMac OS Xのアイコンは新規のものと、NeXT時代にKeith Ohlfsがデザインしたものが混在していたが、最後まで残されていたアイコンGrabがmacOS Mojaveで消えた。
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2000年
2000年(2000 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる閏年。平成12年。 400年ぶりの世紀末閏年(20世紀最後の年)である。ミレニアムとも呼ばれ、Y2Kと表記されることもある。 この項目では、国際的な視点に基づいた2000年について記載する。 日付は本国公開日。
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1999年
1999年(1999 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。平成11年。 西暦1000年代、1900年代、1990年代最後の年である。この項目では、国際的な視点に基づいた1999年について記載する。 ,
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セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん
『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』(セクシーコマンドーがいでん すごいよ マサルさん)は、うすた京介による日本の漫画作品。 謎の格闘技「セクシーコマンドー」を操る高校生・花中島マサルと、奇妙で癖のあるセクシーコマンドー部の部員たちを中心に展開されるギャグ漫画。『週刊少年ジャンプ』(集英社)において、1995年から1997年まで連載された。全79話。 うすたの連載デビュー作であり、代表作でもある。本伝が無いにもかかわらず、「セクシーコマンドー外伝」というタイトルであるなど、独特の視点から支離滅裂なギャグを展開していくストーリーが人気を博した。 話数カウントは「コマンドー○○」。サブタイトルは、当初「マサルと○○」という形だったが、第33話の「マサルの放課後個人授業」、第40話の「フーミンとネコの達人」で崩れ始め、その直後の第41話以降は、ほとんど「マサルと○○」というフォーマットを無視したサブタイトルばかりになる。 作者のうすたが強い関心を持つセガやCMに関するパロディが散見される。特にセガが発売していたピッチングマシン型玩具『ロボピッチャ』の知名度は、この漫画で再び上がったほどである。また1980年代の芸能人やテレビ番組(『お笑いマンガ道場』など)、漫画(『キン肉マン』『北斗の拳』『聖闘士星矢』など)のパロディも多い。 当時、『週刊少年ジャンプ』誌上にてバトル要素のある漫画の主人公は、強豪たちが集う大会に出場することがほぼ定番化していた。本作においてもセクシーコマンドー部が大会に出場するが、最終的に決勝戦を棄権して終わる。また、最終回では唐突に「第2部・地獄校長編」が開始され、たった1話のみで完結する。これらの点は、漫画における定番的な流れを破壊することでギャグ性を生じさせた。 『マサル』の影響で同方向のナンセンスギャグを追い求める漫画家志望者が増加したため、「マネもほどほどに...」という見出しで『ジャンプ』本誌の新人賞募集ページに注意書きが掲載されたことがある。 グッズ展開はほぼ無かったが、主人公のマサルと並んで人気が高かった「メソ」はゲームセンターの景品として、ぬいぐるみやキーホルダーなどが作られている。
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セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん
『マサル』の影響で同方向のナンセンスギャグを追い求める漫画家志望者が増加したため、「マネもほどほどに...」という見出しで『ジャンプ』本誌の新人賞募集ページに注意書きが掲載されたことがある。 グッズ展開はほぼ無かったが、主人公のマサルと並んで人気が高かった「メソ」はゲームセンターの景品として、ぬいぐるみやキーホルダーなどが作られている。 韓国では1997年より『멋지다!!마사루(すごいよ!!マサルさん)』のタイトルで『週刊少年チャンプ』(大元)に掲載され、単行本もチャンプコミックスより全巻刊行された。「セクシーコマンドー」が「チャーミングコマンドー(애교코만도)」に改変されるなど、当時の韓国の倫理観に合わせた若干のローカライズが行われた以外は意味不明なギャグがほとんどそのまま翻訳されたが、例えば額に「肉」を描くシーンでは「へのつっぱりはいらない人にそっくりだーっ」のセリフが「精肉屋の肉にそっくりだーっ」に改変されるなど、韓国人読者になじみのないパロディは『チャンプ』編集部によってセリフが改変され、完全に意味不明となったため、かえってカルト的人気を博す。日本と同様、韓国の漫画家志望者にも大きな影響を与え、『チャンプ』の投稿作品はしばらく『マサル』の亜流ギャグ漫画だらけとなった。また、2003年に映画『オールド・ボーイ』で第57回カンヌ国際映画祭のグランプリを獲得したパク・チャヌク監督は、「本当は『マサル』を映画化したかったが原作を超える自信がなかったので仕方なく『オールド・ボーイ』にした」とコメントしている。 2000年代前半に韓国のインターネットで流行した「ビョーキ(ko:병맛)」ムーブメントの始祖とされ、「ウォンチュウ(ko:원츄)」は2000年代前半の韓国のインターネットにおける流行語になった。
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セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん
2000年代前半に韓国のインターネットで流行した「ビョーキ(ko:병맛)」ムーブメントの始祖とされ、「ウォンチュウ(ko:원츄)」は2000年代前半の韓国のインターネットにおける流行語になった。 2009年2月13日に放送された『世界を変える100人の日本人! JAPAN☆ALLSTARS』によれば、ニューヨークアポロ・シアターに出演し総合優勝した上野隆博はこの作品の「ダバダバ」をヒントにしたダンスを踊った。さらに、この動きは米歌手マドンナの目にとまり、2009年9月発表の曲「Celebration」プロモーションビデオ(With Fun Ver)中でも「ダバダバ」を披露している(PV中2分35秒頃)。また、実在する音楽ユニットちめいどはその名前を本作のギャグから取っている。 『週刊少年ジャンプ』購読層と、それ以外の世代にも絶大な人気を誇りアニメ化も決定したが、唐突な形で結末を迎える(アニメ放送は連載終了後)。 連載終了を決めた理由として、うすたは連載前まで半年に1回しかネームを描いていなかったために週刊連載のペースについていけなかったこと、および原稿の締め切りや読者からの評価・期待などのプレッシャーから連載に対する自信をなくしていったことを挙げている。実際、連載末期は絵柄が乱雑になっていき、原稿を落としたりなどした。このような経緯から、原稿を放り出して逃げ出そうと考えるまでになっていた。 周りから「やめたら後悔するよ」と諭されたが、「ここでやめないと二度と立ち直れなくなる」と感じたため、約1年8か月の連載を終了するに至った。連載終了後、うすたは「今でも後悔することもあるが、決断が間違っていたとは思っていない。『マサル』という作品は79話で終わる運命だった」と振り返っている。 「声 - 」の表記は、テレビアニメにおける担当声優。 劇中では校長の策略で、モエモエを除く全員が2回留年している。 マサルの家族。自宅は布で覆われており、マサルの自室には「ソドップ」「もっちゃん」などの怪しい言葉だけを録音したカセットテープがある。 謎の発明集団。マサルのチャームポイントで髪が伸びることを西友で目撃して知り、それを毛生え薬の原材料にすることを目論む。毛生え薬で増毛した後は4人でお笑いグループを結成し、自分の髪型と同じカツラを被って笑いのネタにする算段であった。
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セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん
マサルの家族。自宅は布で覆われており、マサルの自室には「ソドップ」「もっちゃん」などの怪しい言葉だけを録音したカセットテープがある。 謎の発明集団。マサルのチャームポイントで髪が伸びることを西友で目撃して知り、それを毛生え薬の原材料にすることを目論む。毛生え薬で増毛した後は4人でお笑いグループを結成し、自分の髪型と同じカツラを被って笑いのネタにする算段であった。 「男宿」は「おとこじゅく」と読む。セクシーコマンドー部が全国大会の優勝景品である温泉旅行のチケットを使い、冬休みに訪れた伊豆の温泉宿。モットーは「親切・丁寧・狂気」。宿に行く道中、紐を首に巻いて地面に付けないように男らしく3km走らなければならない。一方で女は女らしく補助輪付きの自転車に乗る。 本作に登場する架空の格闘技。一部では幻の格闘技と言われ、格闘技に精通した者にも「マニアックなもの」程度にしか思われていない。一般にはほとんど知られておらず、セクシーコマンドー協会(略称「セ協」)の会員は全国で200人程度らしい。 他の格闘技との決定的な違いは、相手の隙を無理矢理引き出し、その隙を利用して攻撃するというスタイルである。意外性を武器にするため、柔軟な発想が求められるほか、いわゆる「セクシーな人」はちょっとした仕草だけで十分に隙を作れるため、やる意味がないとされる。 セクシーコマンドーをやる者のことをセクシーメイトと言い、ほぼ毎年セクシーメイトによる競技会が開かれている。返事は「ラジャー」「ウォンチュウ」「クリンナップクリンミセス」「ラバーメン(ゴム人間)」、賞賛の掛け声は「ナイスセクシー」。 セクシーコマンドーの極意は、いかに相手の隙を誘うかにかかっている。そのため、最も重視されるのは対戦相手を呆然とさせる意外性である。前フリ技と呼ばれる型はあるものの、前フリ後の展開に関しては各々セクシーメイト次第であるため、使い手の技量が顕著に現れてくる。 なお、「隙を作るための動き」そのものがセクシーコマンドーであり、隙を作った後にどのような攻撃をするかは重要視されない。そのため、単純な攻撃力を求めるならば、マサルのように別の格闘技の心得を持っていた方が有利と言える。
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セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん
なお、「隙を作るための動き」そのものがセクシーコマンドーであり、隙を作った後にどのような攻撃をするかは重要視されない。そのため、単純な攻撃力を求めるならば、マサルのように別の格闘技の心得を持っていた方が有利と言える。 セクシーコマンドー協会による全国セクシーコマンドーフェスティバルが開催され、優勝商品を賭けて団体戦や年齢別制(団体戦や年齢別が導入されたのは1980年代半ば)で競技会が行われる。 第13回(昭和28年)から第18回(昭和33年)まで、この競技会の優勝者はさかきばらのぶゆきという人物で、7回出場して負けは1回のみという驚異的な成績を残している。また、1996年開催の「全国セクシーコマンドーフェスティバル'96」の高校団体戦では、さかきばらが校長を務める県立わかめ高校が準優勝している。他にセクシーコマンドー競技には階級試験も存在し、グローバルパートナーなどのクラスがある。 試合は、制限時間ありのポイント制で行われる。審判の「スタート」の掛け声により試合開始。セクシーコマンドーでは先制攻撃は不利になるため、先に技を出した方がファーストセクシーとして3万ポイント与えられる。これによって、お互いに技を出さないで様子を見たまま膠着する状況が無くなる。 審判はセクシーコマンドーの技によって生じた隙から、連続して入れた一撃にポイントを与える。攻撃が浅いと1億ポイント程度だが、攻撃がしっかりしたものと認められるとセクシー一本となり、審判の判定によって12億から15億ほどのポイントが入り試合は決着する。 攻撃の際に与えるダメージの大きさやスピードなどはポイントには関係なく、いかに隙を作り出すかと、それに繋がる攻撃の流れに重点が置かれる。小道具や薬物の使用も認められるが、複数の選手が試合に参加するのは禁止であり、反則負けとなる。また、この「隙」には自然発生したものや本人の自業自得によるものは認められず、あくまで技によって作り出された隙のみが認められる。 セクシーコマンドーの発祥は日本である。室町時代、「将軍の義持だか何だかが死に、次期将軍をくじ引きで決めたの決めてないの言ってるぐらいの頃」に成立したといわれる。当時農民により田楽などと共にうさ晴らしの遊びとして自然発生したという説があるが、そのような史実は無く俗説のようである。
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セクシーコマンドーの発祥は日本である。室町時代、「将軍の義持だか何だかが死に、次期将軍をくじ引きで決めたの決めてないの言ってるぐらいの頃」に成立したといわれる。当時農民により田楽などと共にうさ晴らしの遊びとして自然発生したという説があるが、そのような史実は無く俗説のようである。 下記のセクシーヒストリーにはせくしー斎と名乗る人物が生み出したと記載されている。せくしー斎が考案した際の名称は「せくしー小窓」であり、それが時の流れによって変化したようである。 本作に登場するアイテム・秘密兵器類を解説する。 全7巻。表紙は高校卒業後、旅人になったマサルが世界中のどこかを旅している風景となっている。 全5巻。「ウ元ハ王」は「完全」の文字を解体して別の文字にしたもの。ロゴは「完全」とも読めるようデザインされ、「ウゲンハオウ」とルビが振られている。第5巻に第3部「はじめまして宇宙人スリーです編」を1ページ書き下ろし。 以下に主な特徴を挙げる。 全5巻。第5巻に第3部「はじめまして宇宙人スリーです編」と文庫版あとがきを収録。カバーイラストは全巻うすたが新規に書き下ろしている。 1998年1月5日から同年4月2日まで、TBS系(一部地域を除く)の深夜番組『ワンダフル』内で放送。監督は大地丙太郎。1話約8分、全48話+総集編2話。原作単行本5巻までの内容がアニメ化され、アニメ版の最終回は「最終回」という事象そのものも題材に使われていた。 基本的には原作に忠実(脚本も存在せず、アニメの1話=原作の1話分となっている)。ただ、漫画でそのまま使われていた会社名などの固有名詞や、放送上問題のある言葉などは、アニメ化の際に修正されている場合があった。その他、原作をそのままアニメ化してしまうと尺が足りなくなってしまうという判断から、短編が集合した原作21話(コマンドー21)の一部や、「ウクレレ講座」などのミニコーナーが挿入されるなどした。 原作者であるうすたはアニメに関しては「当初断る気だったが、連載中いくら待ってもアニメ化の話が来なかったため、あっさり承認した」と述べている。また監督を務めた大地は、「タイトルを聞いて成人向け漫画と思ったが、原作を読んでみて面白かったから引き受けた」と語っている。
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セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん
原作者であるうすたはアニメに関しては「当初断る気だったが、連載中いくら待ってもアニメ化の話が来なかったため、あっさり承認した」と述べている。また監督を務めた大地は、「タイトルを聞いて成人向け漫画と思ったが、原作を読んでみて面白かったから引き受けた」と語っている。 オープニングの題字は、タイトルロゴが背後から現れる途中で破壊されて、西村知美による題字が正確なタイトルとして使われる体裁になっている。映像では大地が過去に手掛けた『ナースエンジェルりりかSOS』や同時期に監督していた『こどものおもちゃ』、『サザエさん』『サイボーグ009』『狼少年ケン』といった他アニメのオープニングのパロディが多く含まれ、終盤で唐突にPENICILLINの実写(主題歌『ロマンス』のプロモーションビデオ)が挿入される。大地が歌の尺に合わせてコンテを切っていたらカット数が足りなくなったらしく、PVを入れて急場をしのごうと考えた結果であることが、自身がパーソナリティを務める番組『アニメっていいよね』で語られた。結果タイアップ効果が高まり、『ロマンス』の大ヒットに繋がる一因にもなった。題字を担当した西村は本作の大ファンであることを公言しており、単行本を大量に買い込み、単行本にメモの内容を書き込んだ上に、ついでにこの漫画を読むよう書き残して、メモ用紙代わりにあちこちに置いていき、漫画の宣伝に努めたというエピソードがあった。 『ワンダフル』が一貫してネットされていなかった毎日放送(MBS)では、2001年2月3日から同年6月16日まで『アニメシャワー』枠内で30分に再編集されて放送された。その際、『ワンダフル』放送時に流れたマサルの最後の一言は省略され、その代わり最後にエンディングが追加された(ソフト版ではマサルの最後の一言とエンディングの両方が収録されている)。 『ワンダフル』を翌0:30飛び降りとしていたネット局・期間では本作品(というより、アニメコーナー自体)放送されていなかった。 韓国では2008年にウ元ハ王版(ko:오나전판)の刊行に合わせてCHAMP TVで放映され、コマンドー27のマサルが偽造サインボールを作るシーンで「ぶるうたす」の代わりにプロゲーマーのイム・ヨファンの名前を使うなど、原作同様当時の韓国に合わせた若干のローカライズが行われた以外はほとんどそのまま放送された。
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韓国では2008年にウ元ハ王版(ko:오나전판)の刊行に合わせてCHAMP TVで放映され、コマンドー27のマサルが偽造サインボールを作るシーンで「ぶるうたす」の代わりにプロゲーマーのイム・ヨファンの名前を使うなど、原作同様当時の韓国に合わせた若干のローカライズが行われた以外はほとんどそのまま放送された。 ナレーションは当時(1998年2月まで)TBSアナウンサーだった鈴木史朗(43話では齋藤彩夏、総集編では上田祐司・小西寛子)が担当。 いずれもバンダイビジュアルより発売。 イーストウエスト・ジャパンより1998年3月15日に発売。
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共通言語ランタイム
共通言語ランタイム (英: Common Language Runtime, CLR) とは、.NET Frameworkアプリケーションを実行するための仮想機械で、共通言語基盤 (CLI) のマイクロソフト自身による実装。 .NET Framework 1.x - 4.x で使用されている CLR は Windows 上のみで動作する。.NET CoreはMITライセンスのオープンソースになり、CoreCLRはWindows、macOS、Linux、FreeBSD で動作する。.NET 5以降は.NET Runtimeと呼ばれるようになり、.NET 6では実行環境としてAndroidやiOSのサポートも加わった。 CLRは、共通中間言語 (CIL) と呼ばれる、プログラミング言語や環境に依存しない中間言語(中間表現)を解釈する。CILは実行時にJITコンパイラによって機械語に変換され、実行される。.NET Framework 4.6 では64ビット版は RyuJIT という名称のJITコンパイラが搭載された。ただし.NET 4.6時点のRyuJITには多数の不具合があり、.NET 4.6.2にアップグレードするか、RyuJITを無効化する回避策が紹介されていた。RyuJITは.NET Coreでも利用されている。 そのほかのCLRの役割・機能には、メモリ管理(ガベージコレクション)、型とアセンブリの管理、スレッド管理、例外処理、セキュリティがある。
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1994年
1994年(1994 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。平成6年。 この項目では、国際的な視点に基づいた1994年について記載する。 ※主体暦は、朝鮮民主主義人民共和国で1997年に制定された。
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アーシア・アルジェント
アーシア・アルジェント(Asia Argento, 本名:Asia Aria Anna Maria Vittoria Rossa Argento、1975年9月20日 - )は、ローマ生まれのイタリア人女優、映画監督。 ホラー・シネマ界の巨匠、ダリオ・アルジェントと女優ダリア・ニコロディの間に生まれる。姉のフィオーレ・アルジェントも女優。日本贔屓の父ダリオが「何か日本にちなんだ名前を」と選んだため、人名としてはあまり使われない「アジア」になった(発音も「アジア」だとダリオや元彼らが証言している)。9歳にしてセルジョ・チッティ監督のテレビドラマ『Sogni e bisogni』で女優デビューを果たし、1986年にはダリオが製作・脚本を務めた『デモンズ2』で映画初出演。 1994年の『Perdiamoci di vista!』と1996年の『雨上がりの駅で』で、「イタリアのアカデミー賞」といわれるダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞の最優秀女優賞を二度受賞している。 父・ダリオの監督作では『トラウマ/鮮血の叫び』『スタンダール・シンドローム』『オペラ座の怪人』『サスペリア・テルザ 最後の魔女』に出演。1998年には、マイケル・ラドフォード監督によるイギリス映画『Bモンキー』で主人公ベアトリスを演じた。2002年の『トリプルX』でハリウッドに初進出し、その後は活動の場をアメリカにまで広げている。 1994年には、オムニバス映画『DeGenerazione』で初監督をこなし、2000年の『スカーレット・ディーバ』では脚本と出演も兼ねて長編初監督を果たした。2004年には長編では2作目となる『サラ、いつわりの祈り』で監督・脚本・出演をこなした。 私生活では、2001年にロック・ミュージシャンのマルコ・カストルディとの間にアンナ・ルーをもうける。2008年に映像作家のミケーレ・チヴェッタと結婚。同年9月にミケーレとの間の子であるニコラ・ジョヴァンニを出産。
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アーシア・アルジェント
私生活では、2001年にロック・ミュージシャンのマルコ・カストルディとの間にアンナ・ルーをもうける。2008年に映像作家のミケーレ・チヴェッタと結婚。同年9月にミケーレとの間の子であるニコラ・ジョヴァンニを出産。 2013年、カリフォルニア州のホテルで当時17歳だった俳優でミュージシャンのジミー・ベネットを性的暴行し、秘密裏に38万ドル(約4,200万円)の口止め料を支払っていたと報じられた。カリフォルニア州では性交同意年齢が18歳のため、17歳の者との性交は犯罪となる。アルジェントは2017年10月ハリウッドの大物プロデューサーだったハーヴェイ・ワインスタイン被告によるレイプを告発し、セクハラ告発運動「#MeToo」の中心人物の1人であった。アルジェントがワインスタインを告発した1カ月後の2017年11月、ベネット代理人弁護団は、ホテルでの性行為は「性的暴行」であり、「精神的苦痛、逸失賃金、脅迫と暴行を意図的に与えた」損害賠償として350万ドル(約3億8,000万円)を請求する訴訟を起こすとアルジェント側に通告していた。 こうしたベネットの主張について、父親のダリオ・アルジェントはこれを否定している。また、この事件はアーシアから告発されたワインスタインの報復であるとも主張しており、ベネットはワインスタインから金銭を受け取り、アーシアを告発したのだと語っている。
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古典落語
古典落語(こてんらくご)とは、落語の演目のうち、一般に江戸時代から明治時代・大正時代にかけて作られたものを指すことが多い。それよりも新しい時代に作られた演目は、「新作落語」と呼んで区別される。なお、「創作落語」は上方(大阪・京都)の落語家たちによる造語である。 古典落語は江戸時代以降、主として江戸と上方の都市に住む庶民に親しまれてきた笑いの伝統芸能であり、笑いのなかで独自の世界を作り上げる話芸には高度の芸術的表現力が必要である。 落語は、江戸時代、軽めの講談、辻咄(辻芸)として京都の露の五郎兵衛らによって始められたといわれる。当初は短い小話中心であったが、寄席芸能として三都に定着するにつれ次第に長くなり、幕末から明治にかけてほぼ今のようなスタイルになったといわれている。土地柄を反映して、あっさりとした味わいの江戸落語、派手で賑やかな上方落語とそれぞれに際だった特徴を有する。このような古典落語は、明治になって三遊亭圓朝によって大成され、都市化、筆記化とともに大衆文化として花開いた。この時代の頃までに骨格の出来上がった演目が、通常は古典落語と呼ばれている。 要するに「古典落語」とは、「現代からみて古典的なネタ(演目)」のことであり、落語演目のうち「新作落語(あるいは創作落語)でないもの」を称する。これについて、第二次世界大戦後、新作落語を多く手がけた5代目古今亭今輔はしばしば「古典落語も、できたときは新作でした」と述べている。これに対し、古典落語の多くは落語が生まれる以前の中国や日本の説話や伝承などから生まれたものであることに着目し、「古典落語の多くは、生まれた時から古典だった」とする見解もある。 上述のとおり、基本的には江戸時代から明治・大正期につくられた作品を通常は「古典」と称するが、昭和初期の作品でも漫画『のらくろ』の作者田河水泡の手による『猫と金魚』や今村信雄『試し酒』などは既に古典と呼びうるほどに多くの演者によって演じられてきた演目であり、古典と新作(創作)を厳密に分けることは難しい。 古典落語は長い間、庶民にとって身近な娯楽であり、大戦後は、ラジオ寄席、TV放映などを通して人気を維持したが、大衆レベルでの古典文化の喪失、名人と呼ばれた師匠が相次いで物故したこと、後継者のレベル低下、娯楽の多様化などから、人気の衰えた一時期を迎えた。
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古典落語
古典落語は長い間、庶民にとって身近な娯楽であり、大戦後は、ラジオ寄席、TV放映などを通して人気を維持したが、大衆レベルでの古典文化の喪失、名人と呼ばれた師匠が相次いで物故したこと、後継者のレベル低下、娯楽の多様化などから、人気の衰えた一時期を迎えた。 そうしたなかにあって、1995年(平成7年)、五代目柳家小さん(本名:小林盛夫)が落語家として初の重要無形文化財保持者(いわゆる「人間国宝」)に認定され、翌年には上方の3代目桂米朝(本名:中川清)が、2014年(平成26年)には10代目柳家小三治(本名:郡山剛藏)がそれぞれ人間国宝に認定された。また、2005年の『タイガー&ドラゴン』や2007年の『ちりとてちん』という古典落語を題材とした連続ドラマ(NHK連続テレビ小説『ちりとてちん』)の放送が、若い世代が落語を知る機会となり、新しいファンも増えてきている。 古典の演目の場合、噺そのものについて著作権が問題になることはほとんどない。しかしながら、プロの落語家にあっては、高座にかけるためには稽古をつけてくれた人からの許可が必要であり、独りで勝手に聞き覚えたものを高座にかけてはならないという不文律があり、そのような形で古典落語が継承されてきた。 弟子へ引き継がれず途絶えてしまった演目もあり、四代目桂文我は古書や高座の速記録、浮世絵に書き込まれた当時の小話などからの復元をライフワークとしており、師匠の二代目桂枝雀が転居時に捨てようとした資料をもらい受けたり、その師匠である三代目桂米朝に題名しかわからない演目を思い出して語ってもらったりして、『桂文我 上方落語全集』として刊行を進めている。 古典落語の演目は、その内容から、落とし噺と人情噺とに大別される。さらに落ちによって分類する方法もある。また、上方と江戸で別々に発展したため、以下のように東西によって落語の題名が違ったり、片方にしかない演目があったりする。
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1993年
1993年(1993 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。平成5年。 この項目では、国際的な視点に基づいた1993年について記載する。 ※主体暦は、朝鮮民主主義人民共和国で1997年に制定された。 ※この月に日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の制度(Jリーグ規約)が施行。
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ツインファミコン
ツインファミコン(twin famicom)は、1986年7月1日にシャープ株式会社が発売したファミリーコンピュータ互換機。 任天堂が発売したオリジナルのファミリーコンピュータ本体とディスクシステムの機能を兼ね備え、ロムカセットとディスクカードの両方のゲームをプレイすることができる互換機。 当時の価格は32,000円で、これはファミリーコンピュータ(14,800円)とディスクシステム(15,000円)の合計金額よりも高額だった。 ロムカセット差し込みスロットのそばに切替スイッチがあり、「カセット」にするとロムカセットのゲームを、「ディスク」にするとカセットスロットの蓋がロックされディスクカードのゲームをプレイできる。なお、切替スイッチはツインファミコン本体の電源を一旦切ってから行わないと、本体の故障やセーブデータ消失のおそれがある。 任天堂のファミリーコンピュータは映像出力がRF出力のみであるのに対して、ツインファミコンはRFコンバータ拡張端子に加え、AV出力端子も備えている。AV出力は一般の接続端子(RCAピンジャック)を搭載しているため、AV仕様ファミリーコンピュータ・スーパーファミコン・NINTENDO64等と異なり、専用ケーブルを必要とせず、市販品を使用できる。なお、ACアダプタはファミリーコンピュータともディスクシステムとも異なるDC7.6V 1.25Aの専用品 (UADP-0041CEZZ) を使用する。 ファミリーコンピュータの15ピン拡張コネクタにあたるエキスパンドコネクタはツインファミコンの拡張端子Aで、拡張端子BはRAMアダプタの通信用拡張ポートと同等の物である。底面にある拡張端子C・拡張端子Dは初めからケーブルで接続されており、使用しない。 製造時期などによって前期型と後期型に分けられ、本体のデザイン変更、電源スイッチ部に電源ランプが追加されたほか、後期型ではコントローラに連射機能が搭載された。(周辺機器を追加することなく、2コントローラにも連射機能が付与することになる為、前期型よりも割高感は払拭された。2人同時にプレイできるソフト(例:「ツインビー」など)においてはかなり有効な変更といえる)
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ツインファミコン
製造時期などによって前期型と後期型に分けられ、本体のデザイン変更、電源スイッチ部に電源ランプが追加されたほか、後期型ではコントローラに連射機能が搭載された。(周辺機器を追加することなく、2コントローラにも連射機能が付与することになる為、前期型よりも割高感は払拭された。2人同時にプレイできるソフト(例:「ツインビー」など)においてはかなり有効な変更といえる) 本体色は前期型・後期型ともに赤と黒の2色が用意された。ディスク使用時の起動画面においては、最初期の製品ではオリジナルのディスクシステムと同じBIOS(「Nintendo」表示)が用いられ、それ以降の製品は、それをベースに「FAMICOM」表示に書き替えただけの本機オリジナルBIOSが用いられている。 1988年以降に出荷された後期型には、同年に追加されたファミリーコンピュータのマークである「FF」マークが刻印されており、ノイズフィルターなどが追加されている。 ※特筆しない機能仕様は、ファミリーコンピュータ/ファミリーコンピュータ・ディスクシステムに準じる
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ダリオ・アルジェント
ダリオ・アルジェント(Dario Argento、1940年9月7日 - )は、イタリアの映画監督、映画プロデューサー、脚本家である。数々のホラー映画を手掛けていることで知られる。 1940年9月7日、ローマに生まれる。映画プロデューサーの父親と写真家の母親を両親に持つ。新聞『パエーゼ・セーラ』で映画批評を担当した。1968年の映画『ウエスタン』では、セルジオ・レオーネとベルナルド・ベルトルッチとともに原案を執筆した。 1970年、『歓びの毒牙』で映画監督デビューを果たす。同作は1971年の『わたしは目撃者』と『4匹の蝿』とともに「動物3部作」を成している。1975年に『サスペリアPART2』、1977年に『サスペリア』を監督した。その後、『インフェルノ』(1980年)、『シャドー』(1982年)、『フェノミナ』(1985年)、『オペラ座/血の喝采』(1987年)などを監督している。
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バーチャルボーイ
バーチャルボーイ(VIRTUAL BOY)は、任天堂が発売した3Dゲーム機。横井軍平が発案。略称「VB」。その外見から「赤い眼鏡」とも呼称された。1995年7月21日発売。希望小売価格15,000円。。 遊び方はスタンドに据え付けられたゴーグル型のディスプレイを覗き込むようにして行う。視差の概念を採り入れ、左右の画面に異なる映像を表示させることで立体画面を実現する。テレビに接続せず電池で駆動するが、視界を覆う専用ディスプレイが必要となるため、室内のデスクトップでのプレイが主となる。 1992年、任天堂にリフレクションテクノロジー社からLEDを使用したバーチャルディスプレイ技術の「プライベート・アイ」の売り込みがあり、当時、山内溥からバーチャル・リアリティをテーマにした商品開発を提案されていた横井軍平の下で、リフレクションテクノロジー社との共同開発が始まった。この技術は元々、航空機の整備士などが大きく扱いにくい整備マニュアルをヘッドアップディスプレイのように専用ゴーグルに投影して作業を効率化するために利用されていた。 十字キーを2つ搭載する。アナログスティックなどを除けば方向キーを2つ搭載した家庭用ゲーム機は他に無い。 バーチャルボーイ内部には、画像の縦解像度と同じ224個の赤色LEDを並べた1本のバーが配置され、対になった鏡が1枚装備されている。LEDバーは点滅を繰り返し、高速で振動する鏡がLEDバーの光と同期して光を反射することによって、鏡の上に画像を映し出す。この投影システムが、右目用と左目用に個別に用意され、左右の目の視差を利用した位置に配置されることによって、立体的な映像を作り出している。 CPUはPC-FXと同じNECのV810を採用している。カスタムチップのV810は20MHzで動作し、浮動小数点演算処理ユニットも搭載している。サウンドはゲームボーイのサウンドとほぼ同じ。波形メモリ音源で、波形を32バイトPCMで変更できる。これを利用して短い声をPCMで発音できた。画面の解像度は384×224でファミリーコンピュータと同程度である。色数は赤色LEDによる単色で、赤~黒の4階調と少ないが、画面の明るさを32段階で調整できる。
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バーチャルボーイ
なお、バーチャルボーイの名称はコピーライターの糸井重里が名付けたという噂が広まっていたが、『ほぼ日刊イトイ新聞』のコラム「今日のダーリン」2007年7月10日付にて糸井自身が「『ゲームボーイ』と『バーチャルボーイ』のネーミングは、ぼくじゃありません」と否定している。 型番などに見られるVUEは、Virtual Utopia Experienceの略で、バーチャルボーイのコードネームでもある。 全19タイトル。 PlayStationやセガサターンなど同世代ゲーム機らが市場の話題をさらう中で発売されて国内では15万程度、全世界中累計でも77万程度と販売台数を伸ばせなかった。 しかし山内はバーチャルボーイに関して、「TVゲームとは異なる娯楽を求める傾向に応えるもの」と述べている。 また本機を発案した横井はCPUやリアルさなどの最先端を求めた競争から脱却して、ゲームの本質に戻ったものを求めたため、同時期に開発されていたPlayStationやセガサターンと比較してロースペックとなっている。 さらに、宮本茂はバーチャルボーイについて以下のように語っている。 このように、任天堂関係者は本機をそもそもPlayStationやセガサターンなどのゲーム機と同じ土俵で争うものと捉えてはいなかった。 また糸井重里は本機のゴーグルで覗き込んで遊ぶ様子が格好良くなく、同社の他機種と比べて非日常的で違和感があったと指摘した。 視力に対する悪影響が懸念されていたことを受け、アメリカの科学者と研究を行ったところ、懸念とは対照的に視力に好影響を与えるという結果が出たという。 本機で展開された横井のゲームの本質を追求する思想は、これを受け継いだ岩田聡や宮本によって後にニンテンドーDSやWiiが生み出された。 また商業的に成功しなかった3Dゲーム機だったが、その後も任天堂は3Dに関する研究を続け、据置型ゲーム機では2001年に発売されたニンテンドーゲームキューブに3Dディスプレイ対応の回路を組み込み、携帯型ゲーム機では2011年2月26日発売のニンテンドー3DSで裸眼での3D映像に対応した。さらにバーチャルボーイのようなゴーグル型VRゲームとして、2019年4月12日に「Nintendo Labo Toy-Con 04: VR Kit」を発売した。
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スーパーマリオブラザーズ
『スーパーマリオブラザーズ』(SUPER MARIO BROS.) は、任天堂が発売したファミリーコンピュータ用ゲームソフト。日本での発売は1985年(昭和60年)9月13日。略称は「スーパーマリオ」、「スーマリ」、「マリオ」、「マリオ1」。通称は「スーパーマリオブラザーズ1」、「初代(元祖)スーパーマリオブラザーズ」などがある。横スクロール型のアクションゲームで、プレイ人数は1 - 2名。 ゲーム&ウオッチでも同名のゲームが1988年に発売された。なお日本ではディスクシステムのゲーム大会の景品として作られた。 世界で最も売れたゲームソフトとしてギネスにも認定されているアクションゲームの金字塔で、日本から世界へ大ブームを巻き起こし、ファミコン人気を不動のものとした。シリーズ化され数多くの続編が出ており、シリーズ以外にも多くの追随するゲームを生んだ(マリオシリーズを参照)。また、2005年には米国IGNで「Top 100 games of all time」において1位に選出されている。 敵に触れるとダメージを受ける、という従来のアクションゲームのフォーマットを突き崩し、踏むことが敵に対する攻撃方法として確立された。敵から逃げるだけではなく防御と攻撃の両面がシンプルなゲームとして集約され世界ナンバーワンヒットへと押し上げた。地上、地下、空中、水中といったステージ構成に、走る、ジャンプする、泳ぐといった豊富なアクションで、その後のゲームや開発者にも多大な影響を与えた。 発売20周年を迎えた2005年以降、5年毎の9月13日前後にハード・ソフトを問わない大規模なアニバーサリーイベントが行われるのが恒例となっている。2005年にはゲームボーイミクロやファミコンミニ再販版(後述)の発売、2010年にはスーパーマリオ25周年仕様Wiiや『スーパーマリオコレクション スペシャルパック』の発売、2015年には「スーパーマリオ30周年記念ライブ」の開催、2020年にはゲーム&ウオッチスーパーマリオブラザーズの販売などが行われた。 キャッチコピーは「奇想天外。夢の大冒険ゲーム!」「地上に地下に海に空に謎のキャラクタ出現!」。
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スーパーマリオブラザーズ
キャッチコピーは「奇想天外。夢の大冒険ゲーム!」「地上に地下に海に空に謎のキャラクタ出現!」。 「キノコ王国」がクッパ率いるカメ一族に侵略され、キノコ王国のお姫様ピーチはクッパにさらわれてしまった。配管工(大工)の兄弟マリオとルイージはピーチを助け出すため、クッパが率いる敵たちを倒して陸海空を突き進み、いざクッパがいる城へ向かう。 プレイヤーの目的は、ステージの中で敵や障害物を避け、また穴に落ちないように注意しつつ、制限時間内にゴールの旗へたどりつく(各ワールドの4面はボスのクッパを倒す)ことである。 2人でプレイする場合は、マリオが1プレイヤーキャラクター、ルイージが2プレイヤーキャラクターとなり、操作中のプレイヤーがミスした場合は、操作者が交代となる。それぞれのステージの進行度は独立しており、2名が協力して操作することはなく、相手を妨げることもない。 『マリオブラザーズ』は固定画面だったのに対し、本作ではマリオシリーズで初めて「横スクロールアクション」を導入し、後発の数多くのゲームに影響を及ぼした。マリオ(ルイージ)を右方向に進めるとそれに応じて背景画面も右方向にスクロールしていき、それまで通ってきた場所は画面の左側に消えるようになっている。なお、本作ではすべての面が右方向のみの一方方向スクロールであり、一度進んでから画面左端に行っても左側にはスクロールしないので後戻りすることはできない。 ステージは8つのワールドで構成され、それぞれのワールドには4つのコース(エリアとも呼ばれる)がある。各コースは地上、地下、海中、空中、吊り橋、城など多彩な構成となっている。
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スーパーマリオブラザーズ
ステージは8つのワールドで構成され、それぞれのワールドには4つのコース(エリアとも呼ばれる)がある。各コースは地上、地下、海中、空中、吊り橋、城など多彩な構成となっている。 ステージ1からステージ3は、ゴール地点にあるポール(旗)にしがみつく(触れる)ことでクリアとなる。このとき、ポールにしがみついた位置が高いほど高得点が入る。エリア4はステージ奥で待ちかまえるボスのクッパを倒すとクリアとなり、次のワールドに進める。このようにしてワールド8のステージ4に到達し、これをクリアするとエンディングを迎えることができる。なお、1-2、4-2のコースではゴールの他に「ワープゾーン」が設置されており、これを利用すると途中のコースを飛ばして先のワールドに進むことができ、プレイ時間を短縮することが可能である。具体的には1-2からは2-1、3-1、4-1に任意で好きなワールドに行くことが可能で、4-2はワープゾーンが2つあり、1つ目は5-1にワープすることができ、2つ目は6-1、7-1、8-1に任意で好きなワールドにワープすることができる。 一度エンディングを迎えた後は、タイトル画面でワールドの選択ができるようになるほか、再度ゲームを開始するとハードモードとなり、敵キャラクターの変更や移動速度の上昇、リフトの幅の短縮、障害物の追加など、全体に難易度が高くなる。これを通称「裏面」「2周目」などと呼ぶことがある。このモードは、電源を切るまで有効となっている。 各面にはTIME(時間制限)が設定されており、ステージが始まるとこの数値がカウントダウンし始める。設定TIMEは400または300で、カウントダウンのペースは秒よりもかなり速い(1カウントはおよそ0.4秒)。この数値が0になるまでに、エリアをクリアしなければならない。TIMEが100未満になるとそのことを示す警告音が流れ、BGMのテンポが速くなる。エリア1からエリア3をクリアしたときは、残りのTIMEの数値が得点に精算される。 ミスをした場合、ミスした地点からではなく、ステージの中間地点を過ぎていない場合はスタート地点から、過ぎている場合は中間地点から再スタートするようになっている。ただし、一部のコースでは中間地点が存在せず、ミスした地点に関係なくスタート地点からの再スタートとなる場合もある。
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ミスをした場合、ミスした地点からではなく、ステージの中間地点を過ぎていない場合はスタート地点から、過ぎている場合は中間地点から再スタートするようになっている。ただし、一部のコースでは中間地点が存在せず、ミスした地点に関係なくスタート地点からの再スタートとなる場合もある。 マリオが取るアクションは、通常は水平方向への移動とジャンプのみである。 十字キーの左右を押すことで左右に移動する。スーパーマリオやファイアマリオ(後述)のときに十字キーの下を押すとしゃがむことができる。また、Bボタンを押しながら移動すると十字キーを押した方向に走ることができる。この走る動作はBダッシュと呼ばれる。ダッシュ中は1マスの隙間なら落ちずに走り抜けることができる。一度ダッシュするとキーから指を離してもすぐには止まらず進むほか、スーパーマリオやファイアマリオのときにダッシュしたまましゃがむと、しゃがんだ状態で左右に滑る。これを利用してスーパーマリオやファイアマリオのときには通常では通ることができない高さ1マスの隙間に滑りこむことができる。 Aボタンを押すとジャンプできる。ボタンを押した長さによって高度が変わったり、ジャンプ中に左右に十字キーを押すことで飛ぶ軌道や着地点を操作できる、Bダッシュによって加速度をつけて遠くに跳べるなど、自由度の高い制御が可能である。空中に浮いているブロックなどに向かってジャンプすると、そのブロックを下から叩くことができる。また、ジャンプ中の左右への制御はマリオの後ろ側に利きやすいという特徴がある。このジャンプシステムは後の多くの作品にも模倣された。海中ステージではマリオは徐々に沈んでしまうため、Aボタンを押して水をかき、浮き上がるように調整しなくてはならない。 十字キーとAボタンを使い敵の真上に着地するとその敵を踏みつけることになる。本作ではこの方法で敵を踏みつけるのが最も基本的な攻撃方法となる。ただしこの方法で倒せない敵もある。また、ブロックの上にいる敵はそのブロックを下から叩くことで倒すことができる。
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十字キーとAボタンを使い敵の真上に着地するとその敵を踏みつけることになる。本作ではこの方法で敵を踏みつけるのが最も基本的な攻撃方法となる。ただしこの方法で倒せない敵もある。また、ブロックの上にいる敵はそのブロックを下から叩くことで倒すことができる。 マリオはアイテムを取ることによりスーパーマリオ、ファイアマリオへとパワーアップすることができる。スーパーマリオは身長が普通のマリオの2倍になり、レンガブロックを下からパンチして破壊することができるようになる。また、ファイアマリオはBボタンでファイアボールを投げることができ、ファイアボールを敵にぶつけると、踏めない敵や水中の敵でも倒すことができる。ただし、ファイアボールが効かない敵も存在する。 スーパーマリオからの対比で、普通のマリオ(初期状態)をチビマリオと称すことが多い。本稿においてはこの普通のマリオを便宜上チビマリオと記述し、単にマリオと表記する場合は、マリオのパワーアップに関係なくキャラクター個人として表記することを原則とする。 ノコノコとメットを踏みつけると気絶し、気絶中のノコノコやメットに触れると甲羅を前方に蹴飛ばすことができる。その甲羅が他の敵に当たれば、その敵を倒すこともできる。甲羅で連続して敵を倒すか、あるいは連続で敵や甲羅を踏みつけると得られる得点が増加していく。そして8000点が出るとその次以降は1UP、すなわちマリオの残り人数が1増えることとなる。ただし甲羅は障害物に当たると跳ね返って反対方向に進む。このシステムを応用して、階段状の地形で甲羅を踏み続けて1UPを続ける技術が「無限1UP(無限増殖、100人マリオとも)」である。 敵キャラクターや自分の蹴った甲羅などに横または下からぶつかるとダメージを受ける。水中面の敵や「踏めない敵」、ファイアバー、敵が放つ武器はどの方向からぶつかってもダメージとなる。ダメージを受けた場合、スーパーマリオかファイアマリオの場合はチビマリオに戻り、チビマリオの場合は1ミスとなり残り人数が1人減る。また、穴に落ちた場合やタイムアップになった場合は、パワーアップ状態の有無に関係なく即ミスとなる。
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敵キャラクターや自分の蹴った甲羅などに横または下からぶつかるとダメージを受ける。水中面の敵や「踏めない敵」、ファイアバー、敵が放つ武器はどの方向からぶつかってもダメージとなる。ダメージを受けた場合、スーパーマリオかファイアマリオの場合はチビマリオに戻り、チビマリオの場合は1ミスとなり残り人数が1人減る。また、穴に落ちた場合やタイムアップになった場合は、パワーアップ状態の有無に関係なく即ミスとなる。 ゲームスタート時の残り人数は3から始まり、残り人数が尽きる(1の状態でミスをする)とゲームオーバーになる。ゲームオーバーになるとワールド1からやり直しとなってしまうが、ゲームオーバー直後のタイトル画面でAボタンを押しながらスタートボタンを押すことで、ゲームオーバーとなったワールドの最初からやり直す事が出来るというコンティニューの裏技が存在する(得点は0に戻る)。 ファミコンのカラーパレットの都合上、一部の敵キャラの体色は出現するステージの床やブロックと同じ色になる。 コイン以外は画面内に1つまでしか出すことができず、2つ目を出すと前に出したアイテムは画面から消滅する。 空中に浮いており、足場に出来る。なお、ストーリー上はキノコ王国の住人がクッパの魔法によってレンガなどに姿を変えられてしまったとされており、マリオがアイテム入りのブロックを叩くことでパワーアップアイテムを得る事については、「レンガに変えられたり、消されたりしたキノコ」を見つけ出して助けることで彼らからパワーを貰うという設定になっている。 このゲームにおけるアンダーカバーとは、ソフトのバグ・イレギュラーな操作・改造により出現する、通常出現し得ないステージの事である。 1985年、『スーパーマリオブラザーズ』はワールド9まであるという噂が当時の小学生を中心に飛び交った。 ゲーム雑誌『ファミリーコンピュータMagazine』(以下『ファミマガ』)は、一般人からの「雷のショックでワールド9が出現した」と称する投稿写真を掲載。他の雑誌もワールド9の情報を相次いで掲載した。このワールド9は、「マリオが地上で泳ぐ、ブロックが珊瑚に変化している、土管の色が違う」など、他のステージではありえないことだらけであった。
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