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Read only memory
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Read only memory(リードオンリーメモリ、ROM: ロム)は、記録されている情報を読み出すことのみ可能なメモリである。読み出し専用メモリともいう。
ROMは読み出し専用メモリであり、ROMに記録されている内容は本来の意味では書き換えできない。しかし、「RAM」が基本的にランダムアクセスで読み書きできるものを指すのに対し、それの対義語のように使われているため、EPROMの類など、何らかの条件の元一時的に書きこみできるものもROMと呼ばれるが通常は読み出し専用である。
原義的には対義語はRewritable memory(リライタブルメモリ、RWM)であるが上記の通りほとんど使われていない。
書き換えできないROMは、配線パターンによって(ICの製造過程の「マスク」から「マスクドROM」という)特定の情報を予め記録した状態で製造される。その他、読み出し専用・書き換え不可という動作や生産時に情報を記録しておくという性質が似ているCD-ROMなどのストレージメディア等を指す場合もある。
国内で販売されるスマートフォンのメーカー発表や通信キャリアのカタログ等では、書き換えのできる内部ストレージをRAMの対義語としてROMと表記していることがあるが、これは日本以外ではあまり使われていない。
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補助記憶装置
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補助記憶装置(ほじょきおくそうち、英:Auxiliary Memory Units)は、記憶装置の分類で、外部バスに接続され、CPUが入出力命令で操作する物を示す。
メインのバスに直接接続される主記憶装置(メインメモリ)と比較するとレイテンシやスループットは遅いが比較すると大容量である。二次記憶装置(にじきおくそうち、英:Secondary storage)などとも呼ばれる。
記録媒体の種類や記録方式、アクセス方式、設置場所、記録媒体が取り外せるか否か、書き換えられるか否か、等々といった分類がある。なお、以下のいくつかの属性は、「補助」記憶装置に関係なく、記憶装置一般の分類である。以下のリストは、網羅するものではない。
以下のリストは、網羅するものではない。
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日本電気
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日本電気株式会社(にっぽんでんき、英: NEC Corporation)は、東京都港区芝五丁目に本社を置く住友グループの電機メーカーである。日経平均株価およびTOPIX Large70の構成銘柄の一つ。
略称はNEC(エヌ・イー・シー)、日電(にちでん)。通称としては一般的に「NEC」が使われ、ロゴタイプや関連会社の名前などにも「NEC」が用いられている。
旧社名は住友通信工業株式会社(すみともつうしんこうぎょう)。住友電気工業と兄弟会社で、同社及び住友商事とともに住友新御三家の一角であるが、住友の象徴である井桁マークは使用していない。
ブランドステートメントは「Orchestrating a brighter world」である。
有線・無線通信機器(IP電話網、携帯電話基地局、テレビジョン放送設備、都市・交通無線、鉄道無線、船舶無線、航空無線、自動車通信等)、コンピュータ(IAサーバ、UNIXサーバからメインフレーム、スーパーコンピュータまで)およびITサービス(システムインテグレーションSI、デジタルトランスフォーメーションDX)を主力事業としている。また、政府機関向け人工衛星・宇宙探査機を開発・製造している。インフォメーション・テクノロジー (IT) とネットワーク (NW) 、ITとオペレーショナル・テクノロジー (OT) の融合を掲げ、サーバやミドルウェアなどのクラウドコンピューティング基盤、IoTのためのエッジコンピューティング基盤、NGNやSDNなどの通信ネットワーク、スマートグリッドなどのエネルギーネットワーク、社会ソリューション向け人工知能 (AI)、サイバーセキュリティやコンピュータ媒介現実 (AR/MR)、近年は電子政府、FinTech(ブロックチェーン開発)やモビリティサービス技術にも力を入れている。
日本のマイコン、パーソナルコンピュータ市場では黎明期より手がけ、1976年(昭和51年)のTK-80のリリースで、日本のマイコン市場の活性化に努めた。国内で「NEC」というブランドで親しまれているものにパーソナルコンピュータ (PC) があったが、2000年以降は個人消費者向け製品から法人向け製品や社会インフラ製品へ注力するよう事業改革が進められた。
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日本電気
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日本のマイコン、パーソナルコンピュータ市場では黎明期より手がけ、1976年(昭和51年)のTK-80のリリースで、日本のマイコン市場の活性化に努めた。国内で「NEC」というブランドで親しまれているものにパーソナルコンピュータ (PC) があったが、2000年以降は個人消費者向け製品から法人向け製品や社会インフラ製品へ注力するよう事業改革が進められた。
「海底から宇宙まで」、ICTを活用した社会インフラの高度化を掲げる国内外の社会インフラ事業では、局用交換機、衛星地上局、マイクロ波通信設備、光海底ケーブル、放送送信機などの通信装置や生体認証システムやNシステムのような監視システムなどのセキュリティシステムの構築実績を持つ。政府開発援助を活用し、新興国を中心にICTインフラの構築を手がけてきた。アフリカは1963年から取引があり、これまでアフリカ大陸の40カ国以上に、マイクロ波通信システムを納入した。また、アジアの主要空港向けに、生体認証技術を活用した安全で確実な出入国審査を実現する電子パスポートシステムを提供している。現地法人のある南アフリカでは、指紋認証による7千万人規模の国民IDシステムを構築した。
2019年現在、サーバ分野で富士通に次ぎ国内2位である。メインフレームは現存する国内3社、世界6社のうちの1社である。ベクトル型スーパーコンピュータを製造する世界で現存する唯一のメーカーである。通信設備では国内首位であり、通信衛星から光通信など様々な設備を販売している。PASOLINKブランドは、2000年代から2010年代前半にかけて小型の固定無線伝送装置で世界トップのシェアを持っていた。ネットワーク機器関連の製品ではUNIVERGEブランドが代表的な製品である。IoT/M2Mソリューションの製品にはCONNEXIVEがある。ITサービスでは、2016年時点で富士通とNTTデータに次ぐ、国内3位である。
人工衛星・宇宙探査機については、日本において国内シェア約7割に相当する50機以上の開発実績を持ち、ロケットを手掛ける三菱重工業、IHI、人工衛星を手掛ける三菱電機と共に、宇宙業界の通称「ビッグ4」の一角をなす。
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日本電気
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人工衛星・宇宙探査機については、日本において国内シェア約7割に相当する50機以上の開発実績を持ち、ロケットを手掛ける三菱重工業、IHI、人工衛星を手掛ける三菱電機と共に、宇宙業界の通称「ビッグ4」の一角をなす。
人工知能を活用した画像認識や自然言語認識技術に強みを持ち、顔認識システムNeoFaceは国立標準技術研究所が主催する顔認証ベンチマークにおいて4回連続でスピード・精度ともに世界一である。顔、虹彩、指紋・掌紋、指静脈、声、耳音響の6つの生体認証技術はBio-Idiomブランドでサービスを展開する。
これらの製品・サービスの国際市場への販売にも力を入れているとともに、海外メーカーなどの通信機器、コンピュータ、ソフトウェアも販売している。ただし、ハードウェア単体の販売や売り切りのSI受託開発から、継続的なサービスの販売や生体認証と人工知能をコアとしたITプラットフォームビジネスモデルへと構造改革を進めている。
1899年(明治32年)7月17日設立。岩垂邦彦と米国ウェスタン・エレクトリック(以下W.E.社、現在のアルカテル・ルーセントの前身)が54%を出資する日米合弁会社であった。W.E.社は当初沖電機工場(現・沖電気工業)を合弁先に交渉したが、沖電機工場の沖牙太郎との間で条件がまとまらず成立しなかった。このため、W.E.社の代理人として交渉に当たっていた岩垂が自ら会社を興して提携相手となった。これは日本最初の合弁企業の事例とされる。なお、1992年まで使用されていたNECのロゴタイプはW.E.社のロゴに由来している。1918年(大正7年)W.E.社は海外投資部門を分離し、インターナショナル・ウェスタン・エレクトリック(以下I.W.E.社)を設立。1925年(大正14年)にI.W.E.社は買収され、インターナショナル・スタンダード・エレクトニクス・コーポレーション(I.S.E.社)と改称。
戦前は、電話交換機などの通信機器の製造を主な事業としていた。1928年(昭和3年)に日本電気の丹羽保次郎、小林正次らが昭和天皇の即位大礼の写真のファクシミリ通信を成功させた業績で知られる。
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戦前は、電話交換機などの通信機器の製造を主な事業としていた。1928年(昭和3年)に日本電気の丹羽保次郎、小林正次らが昭和天皇の即位大礼の写真のファクシミリ通信を成功させた業績で知られる。
1932年(昭和7年)、I.S.E.社は経営を住友財閥に委託した。第二次世界大戦で日米関係が悪化すると、1941年(昭和16年)、I.S.E.社所有の株式が敵国資産として処分され住友グループ傘下となった。このため、1943年(昭和18年)2月から1945年(昭和20年)11月まで、住友通信工業株式会社と社名変更していた(住友電気工業が当時既に存在していたためこの社名になったようである)。大戦期は陸軍の無線機を一手に引き受け、電波警戒機の開発も行っていた。
1949年(昭和24年)に東京証券取引所に上場。
1951年(昭和26年)I.S.E.社と資本提携復活。
戦後は、通信関係や真空管や半導体など電子部品の製造のほか、1953年(昭和28年)に子会社「新日本電気」(のちの日本電気ホームエレクトロニクス、現在は清算)により家電・無線通信機器分野に進出した。また、1958年(昭和33年)のNEAC 1101からコンピュータの開発にも取り組み始めた。
1960年代から、マイクロ波通信装置を中心とする通信機器の海外輸出に積極的に取り組み始めた。
1963年(昭和38年)、茨城宇宙通信実験所の日本初の衛星通信地球局に高感度受信装置を納入。
1966年(昭和41年)、日本板硝子と共に世界最初期の自己収束型光ファイバー「セルフォック」を開発。1970年代にはマイクロ波通信や光ファイバー通信用の半導体レーザーの量産化でも世界をリードする。
1970年(昭和45年)には、日本初の人工衛星である「おおすみ」を製造し、運用に成功する。
1977年(昭和52年)に、当時会長であった小林宏治によって「コンピュータと通信の融合」をうたった「C&C」(Computer & Communicationの略)のスローガンが提唱され、新たな企業理念となる。これ以降、それまで「電電ファミリー」(例えば電話交換機では富士通と並び大手の一角と言われた)というイメージの強かったNECは、情報・通信系を中心とした総合電機メーカーへと変貌を遂げる。
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1977年(昭和52年)に、当時会長であった小林宏治によって「コンピュータと通信の融合」をうたった「C&C」(Computer & Communicationの略)のスローガンが提唱され、新たな企業理念となる。これ以降、それまで「電電ファミリー」(例えば電話交換機では富士通と並び大手の一角と言われた)というイメージの強かったNECは、情報・通信系を中心とした総合電機メーカーへと変貌を遂げる。
1982年(昭和57年)に発売された「PC-9800シリーズ」は、約15年間にわたって日本のパソコン市場を席巻し、全盛期には「国民機」とまで呼ばれるようになった。
C&Cの理念は小林の実質的な後継社長であった関本忠弘の時代にも引き継がれ、上記のPC-9800シリーズによる国内PCの圧倒的シェアに加え、1985年にはスーパーコンピュータSX-2が世界最速となり、1980年代後半には半導体生産で世界一位となるなど、日本を代表するエレクトロニクス企業へと成長した。コンピュータ系の事業部門においては、富士通の池田敏雄と並ぶ日本の情報処理分野の生みの父とされる水野幸男などが、汎用機や関本の好む大型技術案件だけに集中しがちなNEC自体の傾向を補正し、PCやUNIXなどの当時の次世代技術に他ベンダよりいち早く投資を続ける事により発展してきたという側面も大きい。
NECを含めた日本企業の国際半導体市場進出は、「日の丸半導体」と呼ばれ、日米半導体貿易摩擦問題として政治問題化するまでになった。プラザ合意(1985年)後の急速な円高や、1986年から1996年まで続いた「日米半導体協定」の影響により海外競争力は衰えることとなった。
1983年(昭和58年)に英文社名を現在のものに変更する。1990年(平成2年)には、創業以来の地に現在の本社ビルであるNECスーパータワーが建設された。建設中は森永製菓本社がある森永プラザビルを間借りした。1992年(平成4年)10月5日には、CI刷新により、現在の青色のNECロゴに変更した。このロゴの使用を開始した1992年(平成4年)以降、対外的には「NEC」を通称とするようになっている。
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1983年(昭和58年)に英文社名を現在のものに変更する。1990年(平成2年)には、創業以来の地に現在の本社ビルであるNECスーパータワーが建設された。建設中は森永製菓本社がある森永プラザビルを間借りした。1992年(平成4年)10月5日には、CI刷新により、現在の青色のNECロゴに変更した。このロゴの使用を開始した1992年(平成4年)以降、対外的には「NEC」を通称とするようになっている。
1990年代後半に至り、国内PC市場でのPC/AT互換機対応の遅れ、海外PC市場進出をめざし買収したパッカードベル社の不振、半導体市場での米国・韓国・台湾勢との競争激化といった要因により業績の勢いにかげりが見えた矢先、1998年(平成10年)には防衛庁調達における価格水増し疑惑が発覚し、企業イメージを損なうこととなった。この責任を取る形で関本は会長を退き、社長も金子尚志から西垣浩司へと交代した。
西垣社長体制下において、不採算事業のリストラとガバナンス強化施策に従い、家電分野から撤退した。1999年(平成11年)12月には、DRAM事業部門を分社化し、NEC日立メモリ(エルピーダメモリに改称後、会社更生法適用により、現・マイクロンメモリジャパン)を設立する。また、2000年(平成12年)4月には、社内カンパニーとしてNECソリューションズ・NECネットワークス・NECエレクトロンデバイスを設立したが、2002年(平成14年)11月に半導体関連部門のNECエレクトロンデバイスをNECエレクトロニクス(現・ルネサスエレクトロニクス)として分社化、カンパニー制自体も導入からわずか3年後の2003年(平成15年)4月に金杉社長体制において廃止された。総合電機メーカーとしての暖簾を下ろし、C&Cコンセプトに立ち戻り、コンピュータシステム及び通信を中心とした電機メーカーへ転換した。
2001年(平成13年)、創立100周年記念事業として、玉川事業場の一部を高層ビル群に建て替えた(NEC玉川ルネッサンスシティ)。年間の売上が5兆4097億円と過去最大に達した(2016年度の2倍以上)。
2002年(平成14年)には、「地球シミュレータ」を完成させ、日米スパコン貿易摩擦以降初めてスーパーコンピュータの世界最速を記録し、コンピュートニク・ショックとも呼ばれた。
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2001年(平成13年)、創立100周年記念事業として、玉川事業場の一部を高層ビル群に建て替えた(NEC玉川ルネッサンスシティ)。年間の売上が5兆4097億円と過去最大に達した(2016年度の2倍以上)。
2002年(平成14年)には、「地球シミュレータ」を完成させ、日米スパコン貿易摩擦以降初めてスーパーコンピュータの世界最速を記録し、コンピュートニク・ショックとも呼ばれた。
2004年(平成16年)11月、アビームコンサルティングと業務提携し、グループに加えることで、ビジネスコンサルティングとITサービスを強化する。
また、通信ネットワークのインターネット化・IP化を進め、次世代電話網のNGN(Next Generation Network)に関しては、IT/NW機器業界では一番早くから対応を進めている。
1988年よりNASDAQに米国預託証券(ADR)を上場していたが、米国の監査法人から求められていた保守・サポートサービスと製品が一体になった「複合契約」の収益分析が完了しなかったため、上場維持に必要なSECに対する2006年3月期の年次報告書を提出できず、2007年10月に上場を廃止した。その後、SECとの間では2008年6月に和解が成立した。また、この関連で2006年の中間決算より、日本国内向けの財務諸表の作成基準を従来の米国基準から日本基準に変更している。
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2007年(平成19年)4月、日産自動車とともに自動車アプリケーション用リチウムイオン電池の開発を行うオートモーティブエナジーサプライを設立した。2010年にはリチウムイオン電池専門のNECエナジーデバイスを設立。2012年(平成24年)4月には、社内にスマートエネルギー事業本部を設置した。2014年5月にはNECエナジーソリューションズを北米に設立した。しかし、2017年にオートモーティブエナジーサプライ・NECエナジーデバイスともに株式を売却する方針と発表、2019年3月に売却した。北米のNECエナジーソリューションズも2021年9月に売却した。このように、2000年代後半から2010年代にかけて注力した蓄電池等のスマートエネルギー関連事業は、2020年代には縮小した。2023年の時点で社長を務める森田隆之は、インタビューで2019年の売却を「失敗」と評し、「売らなければ今、花開いているであろう事業です」と述べた。
2009年3月期決算(2008年度)は、主に半導体分野などの不振が響き、営業損益で62億円、当期損益では2966億円の赤字となった。決算発表で社長の矢野薫は「不採算事業の撲滅」を掲げ、経費の見直しとともに人員削減にも取り組むと述べた。この方針の一環として、2009年度中に国内研究員の約15%(約150人)を製品開発や営業、SEなどの事業部門に異動させる方針と報じられた。
2010年(平成22年)、6月13日、NEC東芝スペースシステムが主製造業者として製造した「はやぶさ」が世界初の地球重力圏外にある天体からのサンプルリターンに成功して地球に帰還する。
同年、携帯電話事業を分社化し、NECカシオ モバイルコミュニケーションズ(後にNECモバイルコミュニケーションズに改称)を設立する。また半導体子会社のNECエレクトロニクスはルネサス テクノロジと合併しルネサス エレクトロニクスとなった。
2011年(平成23年)1月27日、1980年代から国内シェア首位のPC事業を分社化し、世界シェア4位のレノボとともに合弁会社を設立すると発表した。これにより国内最大手のPC事業グループが誕生した。
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2011年(平成23年)1月27日、1980年代から国内シェア首位のPC事業を分社化し、世界シェア4位のレノボとともに合弁会社を設立すると発表した。これにより国内最大手のPC事業グループが誕生した。
これらの統合による規模のメリットによって、パーソナルプロダクトのコストダウンやシェア拡大を目指す一方で、成長市場であるクラウドやスマートグリッドなどのビジネス・社会インフラ関係の分野での事業創出を図っている。
2012年3月期決算(2011年度)は、営業利益は737億円となったものの、最終当期損益は1103億円の赤字で2期連続の赤字となる。決算発表では、スマートフォンの伸び悩みやタイでの洪水によるサプライチェーンへの影響といった事業面での事情のほか、繰延税金資産の見直し、構造改革特別費用405億円の計上が赤字の要因として挙げられた。これに先立って同年1月には業績の下方修正とともに1万人の人員削減を含む事業構造改革の実施を発表していた。2013年3月決算期(2012年度)は304億円の当期利益に回復した。
2011年に、SDN(Software Defined Network)を実現するOpenFlow技術を世界で初めて製品化したUNIVERGE PFシリーズを発売する。2013年(平成25年)には、SDN戦略本部を設立し、世界で初めて通信キャリア向けネットワークのSDN仮想化ソリューションを発売するなど、SDNを新しい事業の柱として据える方針を打ち出した。しかし、SDNの先駆的な実用化に成功しながらシスコシステムズなどに市場の主導権を奪われたと、2017年の時点で指摘されている。
2010年代にはシンガポールにセキュリティ関連事業の拠点「グローバルセーフティ事業部(GSD)」を設置。
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2010年代にはシンガポールにセキュリティ関連事業の拠点「グローバルセーフティ事業部(GSD)」を設置。
携帯電話はフィーチャーフォンの時代には2001年から2004年までの4年間国内シェアトップを占めていたが、2011年には7位まで落ち込んだ。2011年発売のMEDIASによりスマートフォンに参入したものの、2013年7月に事業撤退を発表した。フィーチャーフォンの開発は継続するとしたが、パーソナル事業から社会インフラ事業へのシフトがますます鮮明となる。フィーチャーフォンのみとなった携帯電話事業は2016年3月に、NECモバイルコミュニケーションズを解散する形で再びNEC本体直轄となった。携帯電話事業の縮小をめぐっては、2012年に東京国税局の税務調査で、海外事業からの撤退に絡んで要求され支払った補償金などが交際費と認定され、約100億円分の所得隠しを指摘される事態も付随して起きた。
2010年代半ばからはビッグデータ、IoTや人工知能(AI)関連に注力するようになる。2014年4月にはビッグデータ戦略本部を新設した。2015年6月、ものづくりソリューションとして「NEC Industrial IoT」というサービスの提供を開始した。2016年6月には産業技術総合研究所と共同で「産総研‐NEC 人工知能連携研究室」を設立、7月には人工知能技術を集結した「NEC the Wise」ブランドを策定した。
2016年4月、FinTech事業開発室を新設した。また、大阪大学内に次世代コンピューターの基盤技術を開発する「NECブレイン・インスパイヤード・コンピューティング協働研究所」を設立した。
同月、2016年度(2017年3月決算期)の決算より、国際財務報告基準(IFRS)を適用することを発表した。
2016年12月、1960年代より開発で先行し、常にトップグループを走り続けてきたオフィスコンピュータの製造より撤退。同製品の市場規模の縮小により採算が悪くなった影響である。コンビニエンスストアやホテルなどの稼働中のバックオフィス用コンピュータは独占状態に近く、保守サポートは2023年まで継続する。
2016年12月、人工知能を活用したがん治療用ワクチンの開発を担う新会社「サイトリミック」を設立。2019年には医療分野への展開として、定款を変更し創薬事業に参入した。
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2016年12月、人工知能を活用したがん治療用ワクチンの開発を担う新会社「サイトリミック」を設立。2019年には医療分野への展開として、定款を変更し創薬事業に参入した。
2017年2月、公正取引委員会より、消防救急デジタル無線の入札において談合があったとして、他の3社(富士通ゼネラル・沖電気工業・日本無線)とともに排除措置と課徴金支払を命じられる。2017年3月決算期(2016年度)の決算は海外事業の不振などに加え、前記の公取委の課徴金の影響もあって減収減益となり、当時掲げていた中期計画(2019年3月決算期まで)を撤回する事態となった。公取委の談合認定に関してはその後、立ち入り検査を2016年に受けた日付(11月18日)を「NECコンプライアンスの日」として不正再発防止の啓発を社内で実施している。また、業績回復に向けた構造改革として、2018年(平成30年)1月30日に、2020中長期計画にて、国内の間接部門やハードウェア事業領域で希望退職を募るなどによる3000人の人員整理を発表した。
2010年代後半からは日本国外企業のM&Aを積極的に手がけるようになる。2018年1月、イギリスのITサービス会社ノースゲート・パブリック・サービシズの買収を発表。同年12月27日にはデンマーク最大のIT企業である「KMD」を買収すると発表した。この2件はいずれも海外セーフティ事業を強化が目的と報じられた。2020年12月23日には、スイスの大手金融ソフトウェア企業であるAvaloq Group AGの買収を完了。買収価格は20.5億スイス・フラン(約2360億円)。
2018年1月には、地球観測衛星「ASNARO-2」の打ち上げに向け人工衛星の運用を独自で行う施設を新設し、製造から打ち上げ後の運用まで自社で行う初の国内メーカーとなった。当「NEC衛星オペレーションセンター」における衛星の運用事業に加え、衛星画像データの販売事業にも参入する。
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2018年1月には、地球観測衛星「ASNARO-2」の打ち上げに向け人工衛星の運用を独自で行う施設を新設し、製造から打ち上げ後の運用まで自社で行う初の国内メーカーとなった。当「NEC衛星オペレーションセンター」における衛星の運用事業に加え、衛星画像データの販売事業にも参入する。
第5世代移動通信システム(5G)に向けては、2018年10月24日にサムスン電子と5G向け基地局の技術開発と営業で提携すると正式に発表した。2020年には、次世代通信規格5Gのインフラ整備でイギリス政府やNTTと協業を進める。5G投資の一環として、同年6月にはNTTとの資本業務提携を発表し、NTTはNECに約645億円を出資して4.8%の株式を取得した。2021年11月、大阪大学と共同で「NEC Beyond 5G協働研究所」を設置した。
量子コンピュータ分野では、2019年3月1日、産業技術総合研究所と共同の研究室「NEC―産総研 量子活用テクノロジー連携研究室」を設立した。さらに2020年6月には、量子アニーリングマシン分野で、D-Wave Systemsと協業を発表。量子暗号では、東芝や東京大学、NICT、野村ホールディングスなどと協業・共同検証を行っている。
2019年4月24日には新ブランド「NEC Smart Connectivity」を立ち上げ、ネットワーク技術やソリューションを、IoT化を迎える新たな領域におけるサービス事業を展開すると発表した。
2019年8月5日、新たな移動環境づくりを目指し、空飛ぶ車の試作機の浮上実験を公開した。
2020年3月決算期(2019年度)は、ビジネスPC特需などにより営業利益は前年比120%の1276億円となり、当期利益は過去最高を記録した。
2021年3月決算期(2020年度)は、新型コロナウイルス感染症流行の影響を受けながらも、5G基地局やGIGAスクールといった需要で補い、減収増益(調整後営業利益1782億円)だった。この決算発表と合わせて公表した2021年度(2022年3月決算期)の業績見込は成長投資などのため前年比減益としたが、株式市場では予想を下回ったとして「失望売り」が起きた。最終的に2022年3月期決算は、会社発表を上回った。
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2021年7月、「NEC都市OS」を提供開始。NECはこれまで、国内13の自治体にスマートシティ事業者として参画しており、日本政府のスーパーシティ構想に応募した全国31自治体のうち17自治体にNECが参画している。
2023年1月30日、同年6月の株主総会での承認を前提とした指名委員会等設置会社への移行決定を発表し、6月22日の株主総会での承認を経て正式に指名委員会等設置会社となった。
2018年以降はキャリア採用を大幅に増やしていると紹介されている。
※ 梶井剛の任期途中の1943年2月以降から社長を置く。それまでは専務がトップマネージメント。
主要な製品・サービスは、コンピュータ、ソフトウェアパッケージおよびネットワーク・通信機器の生産/販売、またそれらを組み合わせたITサービス(コンピュータシステムの構築・インテグレーション)の提供である。その他には、テレビ局向け放送機器や人工衛星の開発・製造を行っている。
2000年(平成12年)以降、事業の選択と集中が進み、半導体、パーソナルコンピュータの機器など、携帯電話、照明は分社化している。これらの製品は「#分社/子会社化した部門の製品」に記載する。
社内カンパニー制時代はNECソリューションズに属していた。
(旧・NEC東芝スペースシステム)
1956年(昭和31年)に東京大学にロケット用テレメトリ送受信装置を納入したのが始まり。2001年に東芝航空宇宙システム事業部と日本電気宇宙開発事業部が各社から分離し、NEC東芝スペースシステムとして統合された。2007年に日本電気に再び宇宙システム事業部が新設され、以降宇宙システム事業部は人工衛星および地上システムの開発・製造を担当し、NECスペーステクノロジー(旧NEC東芝スペースシステム)は主に搭載機器の開発や製造を担当している。人工衛星・宇宙探査機の開発実績は以下の通りである(「日本の宇宙機一覧」も参照)
ほか
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NECのパッケージソフトは、そのほとんどが企業システム向けである。特に、ミドルウェアに強い。下記ソフトウェア以外に業種(医療、製造業など)に特化したパッケージソフトの開発、販売も行っている。事業部ごとに企業向けパッケージソフトを販売しており、例えば医療ソリューション事業部では電子カルテの販売を行っている。
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ほか
NECのパッケージソフトは、そのほとんどが企業システム向けである。特に、ミドルウェアに強い。下記ソフトウェア以外に業種(医療、製造業など)に特化したパッケージソフトの開発、販売も行っている。事業部ごとに企業向けパッケージソフトを販売しており、例えば医療ソリューション事業部では電子カルテの販売を行っている。
大部分が社内カンパニー制時代はNECネットワークスの事業分野だが、AtermやスピークスなどはNECソリューションズの商品だった。
無線・通信関係に関しては、かつて日本陸軍の無線・通信設備を一手に引き受けていた。陸軍の無線機は電力供給がままならない状況を想定していたため、日本の低い工業技術力を背景にしながらある程度実用になったことで知られている(特に軍用機用)。一方で、日本無線が独占していた日本海軍の無線機は通じないことで有名だった。
超小型マイクロ波/ミリ波通信装置Pasolinkシリーズは、海外の主要オペレータを中心に販売を広げており、2007年度(平成19年度)から3年連続で世界シェア第1位を記録している。しかし2010年代半ばになると、中国の華為技術(ファーウェイ)が同様の製品で低価格攻勢をかけ、NECやスウェーデンのエリクソンのシェアは奪われている。
社内カンパニー制時代はNECネットワークスに属していた。
従来はテレビカメラからマスター機器、送信機器まで製作から送信まで一貫したラインナップを誇っていたが、現在は、テレビ局のテレビマスター装置(NECでは「APS装置」と呼ぶ)、CMバンクシステム、中継器及び送信機を製造しており、多くの放送局に納入実績がある。最近では、デジタル放送システムを納入している。また、ラジオマスター装置も製造している。
マスター装置の系列局・放送波毎の納入状況は次の通りである。
その他の放送局へのマスター納入状況は次の通りである。
ミリ波(60GHz帯)ブロードバンドトランシーバ(伝送装置):
市販製品や特注のハードウェア、ソフトウェアを組み合わせるシステムインテグレーションを行う。また、ロボットのシステムインテグレーション事業も行う。主に以下の業界向けのソリューションサービスを提供している。
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日本電気
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マスター装置の系列局・放送波毎の納入状況は次の通りである。
その他の放送局へのマスター納入状況は次の通りである。
ミリ波(60GHz帯)ブロードバンドトランシーバ(伝送装置):
市販製品や特注のハードウェア、ソフトウェアを組み合わせるシステムインテグレーションを行う。また、ロボットのシステムインテグレーション事業も行う。主に以下の業界向けのソリューションサービスを提供している。
NECは1947年からマイクロ波通信用の半導体レーザーの研究に着手していた。1958年には新しい事業として半導体開発部がスタートした。1960年代には集積回路(IC)の事業化へとこぎつけた。海外にも進出し、1983年には英国女王の臨席を得てNECスコットランドの開所式を行い、それに先立つ1978年には米国シリコンバレーでエレクトロニック・アレーズ9002(英語版)を開発したエレクトロニック・アレーズを買収、また、ブラジル、シンガポールにも進出した。1980年代には「日の丸半導体」の一角を担い、メモリ、プロセッサなどで世界上位にあり、多大な利益を上げていた(1985年から1991年まで売上世界首位)。
しかし、貿易摩擦や、東アジアにおいて日本製製造装置を輸入して完成品の半導体を製造するサムスンなどの韓国や台湾の半導体企業群の隆盛による価格下落の影響で利益を上げることが難しくなった。更に1990年代に入ると委託生産のため上記のアジア諸国メーカーへの積極的な技術供与も行われていて、先端品に近い半導体の製造技術まで流れることとなった。業況悪化を受け、まずメモリ部門を2000年に日立製作所との合弁という形でNEC日立メモリ(現・エルピーダ→マイクロンメモリジャパン)として、原点であるマイクロ波半導体を含む化合物半導体部門は2001年にNEC化合物デバイス(2006年に後述のNECエレクトロニクスと合併)として分社、続いて集積回路部門も2002年にNECエレクトロニクス(現・ルネサスエレクトロニクス)として分社化した。いずれの企業もその後、経営危機に伴う出資比率の変更に伴い、NECの関連会社から離れることになった。半導体事業が斜陽化した点については、選択と集中を進められなかったことが原因として指摘されている。
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日本電気
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2000年(平成12年)に日立製作所のメモリ関連事業部と統合し、新会社「エルピーダメモリ」に移行した。その後、エルピーダは外部から開発および工場更新の資金を調達し、三菱電機のメモリ事業部門を買収したため、NECの出資比率は日立などに次いで3位となった。こうして持分法の対象以下の比率となり、NECの関連会社からははずれることとなった。
2013年7月31日には、マイクロン・テクノロジーからの増資を受け、エルピーダはマイクロンの完全子会社となり、2014年2月28日に「マイクロンメモリジャパン」と名称変更された。
2001年(平成13年)1月に韓国のブラウン管メーカーサムスンSDI(旧・サムスンNEC)と合弁会社「サムスンNECモバイルディスプレイ」を同国に設立して、NECエレクトロンデバイスが保有するカラー有機ELディスプレイ技術と基本特許、日本内の事業拠点などを共有。NECは2004年(平成16年)に有機ELなどの次世代ディスプレイ事業から撤退を決め、有機EL特許と合弁会社の全株式をサムスンに譲渡している。元・合弁会社はその後「サムスンOLED」→「サムスンモバイルディスプレイ」となって、2012年からはサムスン電子のS-LCDと統合され「サムスンディスプレイ」の有機EL事業部になっている。
コンデンサ、リレー、RFIDタグ・リーダ/ライタ、各種センサ等のデバイス製品を生産しているNECの子会社だったが、2017年4月19日にKEMET Corporationへと売却された。
1989年(平成元年)に発足したカラー液晶推進開発本部(後に事業部)の分社型会社分割により、2003年(平成15年)4月1日にNEC液晶テクノロジーを設立する。この会社は液晶ディスプレイ事業を担う。2011年(平成23年)2月25日、NEC液晶テクノロジーの株式の70%を中国の液晶大手である天馬微電子のグループに売却すると発表した。
2011年(平成23年)7月1日、NECと深圳中航光電子との合弁企業となり、NLTテクノロジーへと商号を変更した。2016年(平成28年)には天馬微電子の完全子会社となり、2017年(平成29年)7月1日、Tianma Japanへと商号変更している。
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日本電気
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2011年(平成23年)7月1日、NECと深圳中航光電子との合弁企業となり、NLTテクノロジーへと商号を変更した。2016年(平成28年)には天馬微電子の完全子会社となり、2017年(平成29年)7月1日、Tianma Japanへと商号変更している。
2006年(平成18年)7月3日に、NECの一部門だったBIGLOBE事業本部をNECビッグローブとして分離、独立させた。
2014年3月末にNECは保有していた株式を日本産業パートナーズに売却し、4月1日付で当社はNECグループを離脱するとともに、社名を「ビッグローブ」に変更した。
1950年(昭和25年)に日本電気のラジオ事業部で蛍光ランプを試作したのが始まり、清算された日本電気ホームエレクトロニクスから引き継いだ事業。1970年代にはアメリカの管球・照明器具メーカー、シルバニア(現在はオスラム傘下)との合弁会社「日本電気シルバニア株式会社」が展開していた。現在ランプ類を製造している水口工場は全国でも有数の規模を誇る管球工場であり一般ユーザー向け商品(下記の2製品が代表例)のほか特殊用途向け蛍光ランプのOEM生産も比率が高くなっている。
2019年4月に日本みらいキャピタル(東京・千代田)が出資するホタルクスに事業を譲渡。
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日本電気
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2019年4月に日本みらいキャピタル(東京・千代田)が出資するホタルクスに事業を譲渡。
2011年(平成23年)1月27日、NECパーソナルプロダクツのPC事業を分社化し、レノボとともに「レノボNECホールディングス(Lenovo NEC Holding B.V.)」という持株会社を設立すると発表した。NEC 49%、レノボ 51%の出資比率で同年7月1日に発足し、その100%子会社として、NECパーソナルプロダクツのPC事業を分離した新会社NECパーソナルコンピュータおよび既存のレノボ・ジャパンが独立して設置された。こうして、長らくNECおよびその関連企業によって行われてきたPCの製造は、NECパーソナルコンピュータに移管された。ただし、国内市場では引き続きNECブランドのPCが製造販売され、個人向け(VALUESTAR・LaVie)および企業向け(Mate・VersaPro)についてはNECパーソナルコンピュータが製造、日本電気(NEC)本体が販売を担っている。レノボとともにNECのブランドも残る。しかしながらこの合弁は、NECにとっては実質的なパソコン事業の売却であるとも理解され、統合から5年後に、レノボ側が合弁会社の全株式取得権をNECの同意があれば行使できる事が明らかにされた。
その後、2014年10月7日にNECとレノボは事業統合契約を更新し、従来「2016年の時点でレノボが全株式取得が可能」とされていた点については、期限を2018年までに延長した上で以降は2026年まで自動更新されることとなり、かつレノボがNECの保有する株式を買い取って出資比率を66.6%まで引き上げる(NEC側は議決権を確保可能な33.4%)ことを可能とする条項が追加された。2016年7月1日、NECはこの条項に沿って自社の持つ普通株式の9割をレノボに譲渡し、代わりに新たに発行される劣後株式を引き受けることで、議決権確保可能な33.4%まで出資比率を引き下げることを発表した。この譲渡に伴いNECは200億円の売却益を2017年3月期に計上した。売却益は社会インフラ部門への投資に使われるのではないかと報じられている。
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日本電気
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2017年11月、富士通および富士通クライアントコンピューティングがレノボと合弁会社を立ち上げることを正式発表した際は同様の体制をとるNECとの競合を懸念する声があがったが、NECは「NECの強みである顔認証技術などで差別化できる」とする見解を示した。
ビジネスPC:
パソコン・タブレット:
NECのパソコン一覧も参照のこと。
社内カンパニー制時代はNECネットワークスに属していた。NECネットワークス唯一の一般向け事業分野でもあった。
ほとんどNTTドコモ向けだが、SoftBankにも旧・デジタルフォン・デジタルツーカー時代から端末を提供していた。また、かつてはツーカーグループ・DDIセルラーグループ(のちのau(KDDI / 沖縄セルラー電話))にも供給していたこともあった。日本における折たたみ(二つ折り)式端末のパイオニアで、2001年のNTTドコモ503iシリーズでN503iが流行したことから他社も折畳化するきっかけとなり、2000年代前半はトップシェアを誇った。
また、NECとパナソニック モバイルコミュニケーションズ(松下通信工業)は、第三世代携帯電話向けの端末・技術を共同で開発していた。
なお、ドコモ向けのデータ通信用端末は日本電気本体が手がけていたが、ウィルコムとイー・モバイル向けデータ通信用端末はNECインフロンティアが、UQコミュニケーションズ向けデータ通信用端末はNECアクセステクニカがそれぞれ手がけている。
2010年(平成22年)より、カシオ計算機と日立製作所の合弁会社カシオ日立モバイルコミュニケーションズと経営統合し、携帯電話端末事業はNECカシオ モバイルコミュニケーションズとして統合された(実際の移行スキームは、NEC本体からの部門譲受が同年5月1日付、次いで同年6月1日付でカシオ日立を吸収合併し、以降のカシオブランド端末の販売開始と同時に、日立ブランドを含む保守部門を継承)。統合後もNECブランドとして携帯電話を供給する。
2013年7月に、スマートフォンの新規開発を中止し在庫分のみを以って販売を終了した。ただし、スマートフォンの修理等の保守業務、およびフィーチャーフォン(従来型携帯電話)の開発、製造、販売は継続している。
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日本電気
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2013年7月に、スマートフォンの新規開発を中止し在庫分のみを以って販売を終了した。ただし、スマートフォンの修理等の保守業務、およびフィーチャーフォン(従来型携帯電話)の開発、製造、販売は継続している。
さらに2013年12月には、カシオと日立が保有する全株式をNECが買い取ることが発表され、NECの完全子会社に戻った。2014年10月1日にNECモバイルコミュニケーションズに商号変更している。
しかし2015年12月25日、同社の携帯電話端末事業を2016年3月1日付で親会社のNECに事業譲渡することを発表した。これまでの同事業の段階的縮小に伴い「独立会社として運営するには非効率な事業規模となった」ことを踏まえての決定と説明している。
そして2016年2月29日、NECはNECモバイルコミュニケーションズを同年3月24日付で解散・NEC本体に回帰するとともに同社に対する1012億円の債権を放棄することを発表した。
これらの製品はすべて生産終了している。
NECの組織は論理的にはビジネスユニット-事業本部-事業部の階層構造をとっている(研究所はビジネスユニット上の階層をR&Dユニットと位置づけている)。これとは別に、物理的な所在地として下記の事業場・研究所がある。
チーム、選手や大会スポンサード以外でのスポーツとの関わりとして、オートポリス(大分県)を1993年から1995年まで運営した株式会社大分阿蘇レーシングパークの出資者(4社の1つ)だったことがある。
男性だけでなく、女性や高齢者を含めた一般の人々にNECのパソコン・ワープロを訴求する手段として、1991年11月から、佐藤雅彦考案のCMキャラクター「バザールでござーる」を用いた。また、CMキャラクターとしてデジタル所さんを起用したこともある。
2011年4月から2014年6月までは、CM最後のサウンドロゴに当社製のロボット・PaPeRoと子役女優の谷花音を登場させた。
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日本電気
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男性だけでなく、女性や高齢者を含めた一般の人々にNECのパソコン・ワープロを訴求する手段として、1991年11月から、佐藤雅彦考案のCMキャラクター「バザールでござーる」を用いた。また、CMキャラクターとしてデジタル所さんを起用したこともある。
2011年4月から2014年6月までは、CM最後のサウンドロゴに当社製のロボット・PaPeRoと子役女優の谷花音を登場させた。
提供クレジットは、少なくとも1991年ごろまで「NEC日本電気グループ」(家電製品のCMを提供するときには「新日本電気」(のちに「日本電気ホームエレクトロニクス」。現在は業態ごとに分社化(テレビ、家庭パソコンなど一部撤退あり))としたものがある)としていたが、CIを一新した1992年以後は正式社名を略した「NEC(グループ)」で統一している。2020年4月以降は全国ネットでのテレビ番組でレギュラー提供をおこなっていないため、特別番組での提供のみとなる。
ほか
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氷
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氷(冰、こおり)とは、固体の状態にある水のこと。
なお、天文学では宇宙空間に存在する一酸化炭素や二酸化炭素、メタンなど水以外の低分子物質の固体をも氷(誤解を避けるためには「○○の氷」)と呼ぶこともある。また惑星科学では、天王星や海王星の内部に存在する高温高密度の水や、アンモニアの液体のことを氷と呼ぶことがある。さらに日常語でも、固体の二酸化炭素をドライアイスと呼ぶ。
この記事では、水の固体を扱う。
氷には、河川や湖水の冬季に氷結した物を切り出して保存・利用する「天然氷」と、機械によって製造される「人造氷」とがある。 長らく人類は天然氷のみを利用してきたが、19世紀、科学技術の発達により人造氷が現れると、衛生面・コストの点で天然氷の利用は主流ではなくなった。
我々は打ち水をすれば気温が下がることを知っているが、これは水が気化する際に熱を奪う(気化熱)ことによって起こる。機械による製氷も気化熱による冷却と同様の原理が利用される。
1748年、手回し式の減圧装置を用いることによるジエチルエーテルの気化熱を利用した製氷をスコットランドのウィリアム・カレンが行ったのが人造氷のはじまりとされる
1834年には、エーテルを利用したコンプレッサー式製氷機の特許がアメリカのジェイコブ・パーキンスによって取られている
日本では、明治以降に外国人居留地で小規模な製氷が行われるようになり、1883年(明治16年)東京製氷株式会社が設立されている(当初の製氷能力は、一日当たり6t)。
氷は冷却剤として以下の優れた性質を持っている。
以上の性質から主に使い捨ての冷却剤として、極めて広範な用途で使用されている。
人為的に冷却効果を得る技術が登場するまで、氷自身が唯一の冷却材であったため、冬季や寒冷地にて得られた天然氷を融かさないよう保管する努力が講じられた。保管方法として、地下や洞窟の奥などに空間を作り、冷却効果を得ようと大量に氷を保管した。また、断熱効果を得るためオガクズなども用いられた。
日本ではこれを氷室(ひむろ)、英語ではアイスハウスと呼ぶ。歴史的には紀元前1780年頃のメソポタミア北部のテルカで使われた記録がある。
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氷
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日本ではこれを氷室(ひむろ)、英語ではアイスハウスと呼ぶ。歴史的には紀元前1780年頃のメソポタミア北部のテルカで使われた記録がある。
昨今では、冬に降った大量の氷雪を保管しておいて夏期の冷房に利用しようとする試みや、気温が低く電力需要も少ない(そのため電力料金も安くなる)夜間に製氷しておき、昼間の冷房に役立てようとするサービスなどが普及しつつある。
日本において、冬以外に氷で冷やした飲み物が飲めるようになるのは、明治になってからになる。中川嘉兵衛という実業家が、明治4年、北海道・函館市で初めて天然氷の採氷事業に成功したことに始まる。嘉兵衛はまず、富士山の山麓に500坪の採氷池を掘り、そこから約2000個の天然氷を得ることに成功する。しかしこの氷は、江尻港(静岡市)までの8里(約31km)は馬で、その後は帆船を借りて一般貨物の2倍の運賃で横浜まで運んだものの、横浜到着時には全て溶けて水になってしまっていた。この後2年間休業したのち、諏訪湖、日光、釜山、青森からと、毎年場所を変えて氷を採り、横浜へと運搬したがいずれも失敗に終わった。しかし、嘉兵衛は諦めることなく、函館に渡り、6回目の採氷に挑戦した。この年は温暖であったため、僅かな氷しか採れず、250トンの氷を横浜に輸送することが出来たものの、採算は取れなかった。しかしこれに手応えを感じ、明治2年、函館の五稜郭の外濠を借り受け、亀田川の水を引き入れて7回目の採氷を行った。この7度目の挑戦にしてやっと事業が成功。明治5年(1872年)の『新聞雑誌』には、「製氷界の恩人――中川嘉兵衛」の見出しで、
と述べられ、その事業が称賛されている。これまで簡単に手に入れられなかった夏場の氷が、安く手に入るようになり、人々が夏場に冷たいものにふれる始まりになった。また明治7年(1874年)の『東京日日新聞』においても、函館の天然氷採取が取り上げられ、功績が称賛されている。
製氷事業は病人の熱さましとして、また暑い夏の飲食用として、人々に歓迎された。
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氷
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と述べられ、その事業が称賛されている。これまで簡単に手に入れられなかった夏場の氷が、安く手に入るようになり、人々が夏場に冷たいものにふれる始まりになった。また明治7年(1874年)の『東京日日新聞』においても、函館の天然氷採取が取り上げられ、功績が称賛されている。
製氷事業は病人の熱さましとして、また暑い夏の飲食用として、人々に歓迎された。
1980年代から1990年代にかけて、飲食店で業務用の自動製氷機が普及したため、食用氷純氷を扱う業者は販売不振に陥っていた。しかし、2013年にコンビニエンスストアの挽きたてコーヒーが登場したことによって、再び食用氷の需要が上昇している。 近年のかき氷ブームによる需要でふわふわ感が楽しめる氷として、またウイスキーをオン・ザ・ロックで飲む際に用いられる、高品質でほとんど無味無臭の氷として、製氷工場で作られた純氷が求められるようになってきた。
1気圧の環境では、氷は0°C以上で溶解して水になり、水は0°C以下で凝固して氷になる。611.657Pa以下の気圧では、温度が上昇すると氷が水蒸気に昇華する。
氷、水、水蒸気は、611.657Paの圧力、273.16K(0.01°C)の三重点で共存することができる。
加圧下の多くの液体は、圧力が分子を固定することから高温でも凝固する。しかし、下図の100MPa周辺の水の場合は強い水素結合によって0°C以下で溶けている。この高圧下での氷の融解は、氷河の移動に寄与すると考えられている。
氷の結晶構造は、2021年現在20種の多形と、様々な密度の非晶質氷(英語版)が判明している。
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フィクション
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フィクション(英語: fiction)とは、作り事、虚構のこと。あるいは、作り話。作話。創作。
英語の「fiction」は、ラテン語のfictio(「作られたもの」)を語源としている。「fiction フィクション」は、一般には「事実でないことを事実らしく作り上げること」を意味している。
実際の用例でみるとフィクションは多義的な概念とされている。
まず、フィクションは「虚偽」や「嘘」の同義語であるが、このような意味のフィクションを論じる場合には真理や虚偽を問題にすれば足り、「虚偽」や「嘘」と置き換えることもでき、あえて「フィクション」という言葉を持ち出す必要はない。しかし「フィクション」の持つ一群の意味として「対応する事物が存在しない概念」と総括できるような事象の意味で用いられることがあり、例えばベンサムの人権に関するフィクション論などがある。
これらと関連しながらも、基本的に異なるフィクション概念として文学作品の一群も意味している。Oxford Dictionaryは「fiction」の解説の1番目に「散文形式で書かれた作品で、特に想像上の出来事や人々を描いたもの」を挙げ、2番目に「でっちあげられたもの、あるいは本当ではないこと」を挙げている。
文学用語(文学研究用語)としての「fiction フィクション」は、「架空の出来事を想像的に描いた物語。特に散文で書かれた小説の類を総称する語で、同様に想像的要素の多い詩や劇とは区別するならわしである。」とされている。
フィクションは大まかには小説の別称ともとれるが、小説とみなされる作品の中には「ノンフィクション小説」と呼ばれる「フィクション小説」と区別されるものを含むため同義ではない。「フィクション」には、虚構ではない実際の出来事の物語を「ノンフィクション」と呼ぶことで、「フィクション」をそれと対照的に扱う用法もある。
また形式も、小説だけがフィクションとは見なされておらず、ふつう小説とは別ジャンルとされる叙事詩や劇作品なども「フィクション」として扱わりており、「フィクション」は小説とは一致せず小説以外の作品群も含む意味で使われている。
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X1 (コンピュータ)
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パソコンテレビX1(エックスワン)は、シャープテレビ事業部が製造していたパソコンの名称である。型名はCZ-800 シリーズ。
先行してシャープ電子機器事業部がMZシリーズを製造しており、社内的には矢板(テレビ事業部)と大和郡山(電子機器事業部)の2つの部門で全く別の製品として展開した。
X1の初代機は、1982年11月に発売された。
X1の発売当時、シャープからは部品事業部・情報システム事業部が開発したMZシリーズが既に発売されていた。また情報システム事業部では、業務用のミニコン・オフコンも開発していた。X1はそれらとは異なり、栃木県矢板市のテレビ事業部が企画した製品である。そのため、当時の一般的なパソコンとは一線を画するものになった。
「パソコンテレビ」と銘打ち、専用のディスプレイテレビまたはオプションのデジタルテロッパーと組み合わせることで、テレビ画面とパソコン画面の重ね合わせ(スーパーインポーズ)を実現した。また、パソコンのサブ電源を切っていても、80C48省電力チップ制御によりキーボードやプログラムからテレビのチャンネルや音量を操作可能で、有線リモコンのように使用できた。
本体のIPL-ROM (Initial Program Loader) にテレビタイマーエディタがあり、チャンネル指定や曜日指定、毎時指定などテレビのオン/オフタイマーやチャンネルの切り替えを7件までプログラムできる。本体前面のサブ電源スイッチをオフにしていても内蔵マイコンによる制御で動作した。
初代機は赤/白/銀の3色のカラーバリエーションが用意された。また、AV機器のように積み重ねて使用することを想定して、本体、キーボード、ディスプレイテレビ、FDDやテロッパなどコンポーネントの横幅が39cmに統一されていた。X1Gでは本体縦置きも可能で、そのときは高さと専用ディスプレイの高さが一致するなど純正の組み合わせでは統一したデザインになる。
なお、横幅については一部オプションやX1Cシリーズ、X1G、X1twin、turboZ以降の専用ディスプレイTVは上記とは異なる。
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X1 (コンピュータ)
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なお、横幅については一部オプションやX1Cシリーズ、X1G、X1twin、turboZ以降の専用ディスプレイTVは上記とは異なる。
同時期の汎用的なパソコンと異なり、基本仕様は前述のテレビとの連携も含めホビー要素に特化されたものとなっている。CPU速度、解像度など、基本性能としては各社横並びの性能であったが、これらの要因や機能によりホビー用途、特にゲームに強みを発揮したと言える。
テキスト画面のフォントがソフトウェア的に再定義可能なPCGになっており、ピクセルごとに任意の色が指定可能な8×8ピクセルで256種類のパターンを定義し表示可能である。また、テキストとグラフィック(B/R/Gの3面それぞれ)について優先度を任意に設定できる。これによって、フォントの書き換えタイミングに制限はあるものの、PCGを背景に利用することによりキャラクタを描画する演算のみで背景の上を動くキャラクターを表示できる。ソフトウェア的に合成が必要な競合機種と比べ、カラフルな画面構成のソフトウェアが多く発売された。なお、CRTC(画面描画LSI)は汎用のHD46505を使用していた。
明確にホビー用途の機種以外は搭載されないかオプションとされることの多かった時期に、3重和音8オクターブのPSG機能を標準で搭載していた。しかしX1シリーズは周期的な割り込み機能が1秒単位のものしかなく、安定した曲の再生をするにはミリ秒単位での周期的なPSG操作が必要であるため、CPUクロックを計算したプログラムを記述するか、定期的に映像同期信号の変化を監視する必要がある。この問題はFM音源ボードを始めとするCTCを搭載した拡張ボードを増設するか、あるいはCTCを標準搭載したX1turbo以降で改善されることになる。
ジョイスティックポートとしてD-sub9ピン台形のコネクタを2ポート標準搭載し、PSGのレジスタを介して各々8ビットの入出力ポートとして使用することが可能である。コネクタ形状並びにGNDの位置はATARI仕様の物と同一になっており、カタログ上はATARI仕様準拠になっている。8ビットのI/Oがそのまま接続されていることから電源ピンが存在せず、電源供給を必要とする連射付きジョイスティックなどの使用には別途電源が必要になる。
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X1 (コンピュータ)
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当時のパソコンゲームはアクションゲームなどであってもキーボードで操作するものが多かったが、X1を含め多くの機種では、複数キーの同時押しなどに一定の制限があった。X1では電波新聞社がゼビウスを発売した時にジョイスティック(XE-1)をセットにしたパッケージが用意され、他にもMSXなどで普及した規格のジョイスティックの多くが利用できた。X1Gではファミコンのコントローラーに使用感の近いもの(CZ-8NJ1)が標準添付された。
Z80は、8080では8ビットだったI/O空間を16ビットの空間として利用できるように仕様が拡張された。X1シリーズではこの仕様を利用し、メインメモリをバンク切り替えなどによってVRAMに割り当てる当時の一般的な実装ではなく、I/O空間に直接VRAMをマッピングした。
この実装は同じくZ80を採用したSONYのSMC-70やSMC-777などでも用いられており、メインメモリー空間のバンク切り替えを用いることなく常に64KBのメインメモリー空間と48KBのVRAM空間にアクセス可能なメリットがあった。また、初代X1と同世代であるPC-8801では、テキストVRAMをメインメモリに置きDMACにより転送することから、バス調停によるメモリアクセスウェイトが存在したため、相対的にX1はメインメモリのアクセスが高速でもあった。
その反面、直交性の低い当時のCISC CPUではI/O空間へのアドレス指定に煩雑な面が存在し、またメモリー空間と比較して読み書きに要するステート数が多いといったデメリットも存在した。加えてVRAMの配列が特殊な並びになっていることによるアドレス計算の煩雑さなどから、グラフィックス制御そのものは扱いやすいとは言い難かったが、サイクルスチール回路の導入や独立したテキストVRAM回路の設計など、システム速度の足を引っ張らない工夫がされていた。
同じパターンが書き込まれてしまうため実質画面クリアにしか利用できないものの、全3プレーン同時アクセスも可能になっている。
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X1 (コンピュータ)
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同じパターンが書き込まれてしまうため実質画面クリアにしか利用できないものの、全3プレーン同時アクセスも可能になっている。
電源投入直後、最初にIPL (Initial Program Loader) が起動し、FDD、拡張ROMボード、CMTの順にブートを試みる。それらの応答がない場合やユーザー操作によるキャンセルによりメニュー画面に切り替わり、ブートするデバイス3つとテレビタイマーのエディタの計4つから選択する画面へと遷移する。
基本設計は同社のMZシリーズ同様、本体にROMでシステムプログラムを直接を持たない、クリーン設計になっている。MZとよく似た仕組みでありながら、X1のIPLでは読み込み時はROM、書き込み時はRAMにCPUがアクセスするようにし、Z80のメインメモリのフルサイズである64KiBのデータを一度にRAMへ書き込む事を可能にしている。
初期の本体に標準搭載された二次記憶装置はデータレコーダのみであり、標準の構成では当時の一般的なシステムであったBASICの起動まで数分を要するというデメリットがあった。しかし、FDDとDISK-BASIC (CZ-8FB01) の利用や、拡張ボードとしてあらかじめBASICの書き込まれたROMを搭載したCZ-8RB01等の利用により、その時間を短縮することが可能だった。ROMボードを用いた場合でも直接メモリ空間にマッピングされるのではなく、IPLによってボード上のデータがRAMに展開されてから起動した。
本体内蔵のデータレコーダーの速度は2700bpsで、同時期の競合製品の2〜3倍という転送速度を誇り、同社MZシリーズの一部に由来する電磁制御の可能なデッキはプログラムで頭出しやデッキオープンなどの制御が可能になっている。これらの機能を活かすことで、競合機種ではFD版のみで提供されたソフトが、X1では廉価なテープ版でも提供されることが多い傾向にあった。但し、フロッピーディスクと比較した場合高速とは言いがたいシーケンシャルデバイスのテープ版のゲームがFD版と同様の快適さで遊べるかどうかは別問題であり、テープ版ではデータを減らすために仕様が異なる実装のゲームもあった。
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X1 (コンピュータ)
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比較的初期のX1D(第3世代)に標準搭載された3インチフロッピーディスクが国際的にも(8インチFDに代わり)大幅にシェアを伸ばした5.25インチミニフロッピーディスクに押され、X1D及び外付け3インチFDDは廃止、X1turboの登場時に5インチFDDを採用するといった紆余曲折や、純正FDDの価格が高価だったことなどの要因があり、FDによるソフトウェア資産が出そろうのを遅らせ、カセットテープとFDで分散、あるいは両方の媒体で提供されることとなった。
これらはMZシリーズでも同様の傾向があり、標準搭載のデバイスがデータレコーダの時期が長く、割高なFDDへの移行は緩やかなものとなっていた。
X1turbo発売以前のX1シリーズには、NMIリセットボタンのみしか装備されていなかった。NMI (Non Maskable Interrupt) リセットは、Z80 CPUに強制割り込み信号を送り特定のアドレスにジャンプさせるもので、ホットリセットを行う目的がある。X1ではそれを積極的にリセットスイッチとして利用した。しかし、ジャンプ先アドレスはZ80の仕様として0x0066番地で固定されており、市販のソフトウェアでNMIリセットを行うと、リセットを想定していないソフトウェアではフリーズしてしまうなど意図しない動作を起こす。これを逆手に取り、NMIリセットのジャンプ先に故意に裏技となるものを仕込んでおくゲームも見られた。
X1turbo及びX1Fより、IPLリセットボタンが追加された。これは電源投入時とほぼ同じ挙動をさせ、IPLを呼び出す再起動用のリセットボタンである。リセット時に明示的にメモリがクリアされることは無いため、起動時に利用されない空間の内容については保持されている。
CPUにはZ80A(クロック4MHz)を採用し、割り込みは強力なモード2を使用した。ただし内部割込みはキー入力のみで、タイマ割り込みなどはなかった。
サブCPUとして80C49を搭載し、キーボード内の80C48との通信やデータレコーダの制御などに使用した。シリアル通信を採用したことに関連し、設計上キーマトリクスの取得ができず、Shiftなどを除きキーの同時押しは検知できなかった。キーボード分離型では接続コネクタに3.5mmの3極ミニフォーンプラグを使用していた。
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X1 (コンピュータ)
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サブCPUとして80C49を搭載し、キーボード内の80C48との通信やデータレコーダの制御などに使用した。シリアル通信を採用したことに関連し、設計上キーマトリクスの取得ができず、Shiftなどを除きキーの同時押しは検知できなかった。キーボード分離型では接続コネクタに3.5mmの3極ミニフォーンプラグを使用していた。
シャープとハドソンの共同開発による Hu-BASIC が標準添付された。当時の水準では柔軟な記述を許容するなど、扱いやすく高機能なものだった。しかし、塗りつぶしなど一部の描画ルーチンの最適化が甘かったためグラフィック描画の遅さが目立ち、またFD版でなくとも毎回テープから起動する必要があったことと相まって、「X1は遅い」という誤解を招くことになった。ただし、塗りつぶし処理以外は当時の水準程度またはそれ以上の性能を備えていた。
一方、X1Fとともに登場した NEW BASIC (Hu-BASIC V2.0) は、X1turboの開発時に得たノウハウをフィードバックし、グラフィック描画性能を大幅に向上させ、漢字も扱いやすくなっていた。そして、クリーン設計ゆえにこの新しいBASICは初代X1までさかのぼって使用が可能であり、これをもって「Xシリーズは5年間その基本設計を変えない」(互換性を維持し、製品を販売する)とする販売姿勢の証左とされた。
X1シリーズはモデルチェンジを重ねつつも、基本仕様はオプションの標準装備化を進めた程度で上位互換性を保ち、オプションを追加しさえすれば初代機のX1でも長期間現役機として使用することができた。しかし、初代発売の2年後(1984年11月)に上位互換のX1turboが発売され、1987年後半頃には新規発売されるソフトウェア、とくにゲームはturboシリーズのみ対応のものが大半になった。このように、実際の市場動向としては、初代のX1(あるいはX1シリーズ)が5年間完全に現役でいられたわけでも、コンシューマーゲーム機のように単一プラットフォームとして機能していたわけでもない。
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X1 (コンピュータ)
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X1C以降、C, D, F, Gと連番のようになっているが、Eは抜けている。なお、turbo発売時の、Oh!MZには、X1Es,X1Ekなる性能強化機種の噂情報が載っている。この記事に関係して混乱を避けるためにEを飛ばしたか、あるいはturbo自体が「E」にあたる可能性もある。
X1turbo(エックスワン ターボ)は、X1の上位機種として1984年10月に発売された。
X1シリーズとソフトウェア・ハードウェアともモード切替を必要としない完全上位互換を維持しながら、機能の改善、並びに拡張が行なわれ、Z80ファミリのCTC・DMA・SIOが揃って搭載されていた。
赤、シルバー、ホワイトを基調に展開されてきた同シリーズであるが、1985年11月に登場したX1turbo IIにはX1発売3周年の特別限定色として黒色が設定され、それが好評であったため、この機種以降は黒色がX1/turboシリーズの標準色となった。
高い互換性を持つ上位機種であるX1turboは、下位機種のX1の性能が比較的優れたものだったことから、専用のソフトウェアがなかなか出揃わないというジレンマも抱えることとなった。また、X1twinに至るまでノーマルX1シリーズの販売は続き、末期になるとturbo専用が中心となったにもかかわらずノーマルX1が併売されるという新たなジレンマとなった。
パソコンとしての基本性能を下記の様に向上させてはいるが、ホビーマシンに重視されるオーディオ・ビジュアルの面での標準搭載による進化が他機種に比べ少なかった。X1turbo登場後、ライバル機がモデルチェンジを重ね、FM音源搭載やその拡張による音響表現の強化やアナログRGB搭載による多色表示化を進める中で、X1シリーズでこれらが標準で搭載されるのはX1turboZ発売まで待たなければならなかった。これは、X1が発売当初からホビー指向でオーディオ・ビジュアル面での基本性能が初めからある程度高かったことに甘んじた結果と言えるが、このことがホビー指向を強化してきた他機種に水をあけられる要因の一つとなっている。
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X1 (コンピュータ)
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X1turboのturboは、自動車のターボをふまえたものであるが、tはtailored machineでユーザに合ったマシン、uはup versionでこれからの成長、rはresolutionで高解像度、boはbussiness orientedでビジネス向きという、別の意味が含まれている。
X1turboシリーズでは、従来の表示モードに加え、640×400ドット・8色のグラフィック機能を搭載した。垂直400ライン表示が追加されたことで水平同期周波数は従来の15kHzに加え、24kHzモードが追加された。24kHz動作時は専用モニタに「ハイレゾモード」ランプが点灯する。また、24kHzモードの200ライン表示時も可能であった。ただしデジタルRGB出力のままであり、色数は8色だった。
ハードウェア制御のタイミングも改善され、垂直帰線期間にしかできなかったPCGなどへのフォントデータへのアクセスを水平帰線期間にも可能になった。
しかし、各プレーンに対し同時書き込みが可能な機能をX1から継承したものの、I/O空間にVRAMがありアドレスの計算が煩雑な配置になっていること、描画支援をハードウェア的に持っていないことは、競合機種に対してG-RAMに対するアクセス速度の点で大きく差を付けられる原因となった。
水平同期周波数24KHzモードのサポートと共に、ハードウェア的にROM上の日本語フォントをテキスト画面と同様に扱い、画面上に展開する漢字テキストVRAMを搭載。40×25行の高速漢字表示を実現した。グラフィックス画面にソフトウェアでフォントを展開・合成する処理に比べ、キャラクタコードの書き込みのみで日本語表示が可能であったため、8ビット機でありながら16ビットパソコンにも比肩しうる日本語処理を可能にしていた。この実装は構造上、CG-ROMにフォントを持つ必要があり、初期はJIS第1水準漢字ROMのみ搭載されていたが、JIS第2水準漢字ROMの発売を経てこちらも標準搭載されるようになった。
キーボード横にスライドスイッチが設けられ、「A/Bモード」切り替えが追加された。Aモードは従来互換のものである。Bモードはカナ入力がJIS配列から50音配列に変わるほか、マニュアルには記載されていないが従来不可能だった同時キー入力が可能になっている。
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X1 (コンピュータ)
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キーボード横にスライドスイッチが設けられ、「A/Bモード」切り替えが追加された。Aモードは従来互換のものである。Bモードはカナ入力がJIS配列から50音配列に変わるほか、マニュアルには記載されていないが従来不可能だった同時キー入力が可能になっている。
また、タイマなどの割り込み要因を増加させ、DMAの追加によってCPU自体の仕事量を軽減し、VRAMやFDDへのアクセスが並行して出来るようになった。
メモリについても、Z80の制限である64KiBを超える空間を取り扱うためバンクメモリがサポートされた。しかし、グラフィックスVRAMはI/O空間に据え置かれたため、メモリ空間に置かれることのメリットであるアドレッシングモードの豊富さ、自由度、アクセス速度は享受できないという制限は同様であった。
X1シリーズはクリーン設計の基、本体にBIOSを持たず、起動時にIPLによって読み込まれるようになっていた。シャープはIPLによって読み込まれるBIOSをIOCSと呼んでいたが、X1turboシリーズでは本体にローレベルな処理を定義したBIOS ROMを搭載し、呼称もBIOSに改められた。IOCSとBIOSに完全な互換性はなく、BIOSコールを使用するアプリケーションはX1turboシリーズ専用となる。
なお、これによりturbo BASICではIPL・BIOSのワークエリアが拡張されたため、BASICと機械語を併用したプログラムでは機械語部分のアドレスがこのワークエリアにかかるものはturbo BASIC上では動かない。その場合はX1のBASICを用いる事で動作させることが可能である。
1986年12月には、わずか1カ月前に登場した turbo III にAV機能を強化したX1の最上位シリーズであるX1turboZ(エックスワン ターボ ゼット)がX68000と同時に発表された。これ以降turboシリーズはturboZシリーズに集約されることとなった。
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X1 (コンピュータ)
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1986年12月には、わずか1カ月前に登場した turbo III にAV機能を強化したX1の最上位シリーズであるX1turboZ(エックスワン ターボ ゼット)がX68000と同時に発表された。これ以降turboシリーズはturboZシリーズに集約されることとなった。
従来デジタル8色の出力のみであった表示機能が強化され、4096色同時表示可能なグラフィック機能とアナログRGBパレット(コネクタはD-Sub15ピン)、ハードウェアスクロール、ビデオキャプチャやモザイク機能などを追加した。但し、他の機種がVRAMの制御に専用のコントローラやサブプロセッサによる描画のサポートをさせたり、ALUなどによってVRAMへのアクセス処理そのものの軽減を周辺チップによってはかったのに対し、turboZでもそれらの仕組みは導入されなかった。そのため、多色描画が可能である反面、4096色モードでは1ピクセルの描画に実に12回ものアクセスが必要という処理量の増加が見られた。デジタイズされた画像の表示など用途によっては表現力の向上があったものの、動きを要するような処理には多色モードは利用しにくかった。
サウンドはオプションであったステレオ8チャンネルのFM音源であるYM2151を標準搭載。入力クロックはチップ規定の値ではなくCPUクロックと同じ4MHzが使われているため、チップの本来の設計とは若干異なる波形を生成する。従来機種では内蔵音源であるPSGとのミキシングがサポートされていなかったが、本機で内蔵されることにより、標準状態でミキシングされた出力を得られるようになった。
また、マウスが標準装備となっている。X1turboZIIおよびZIIIでは、CRTCが上位互換のMB89321Bに変更されている。
X1turboZII以降にはZ-BASICが標準添付され(X1turboZでは別売)、これらの機能はBASICからも利用が可能になっていた。
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X1 (コンピュータ)
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また、マウスが標準装備となっている。X1turboZIIおよびZIIIでは、CRTCが上位互換のMB89321Bに変更されている。
X1turboZII以降にはZ-BASICが標準添付され(X1turboZでは別売)、これらの機能はBASICからも利用が可能になっていた。
turboZシリーズに標準搭載されたFM音源やアナログRGBは後発だっただけに、いくつかの点で競合する他機種よりカタログスペック上は優れていた。しかし、こうしたAV機能の進化が他機種に比べて遅れ気味だったこと、CPUクロックが据え置きであり処理を軽減する仕組みが導入されなかったこと等により、その機能をフルに使った専用アプリケーションはほぼ発売されなかった。また他機種より優れていたがゆえに互換性が低い問題があった。これはソフトウェア移植の障害となり、移植されてもそれらの機能が十分活用されないことにもなった。オプションだった機能を引き継いだFM音源はYs2の様に左右に音を振るなどのステレオ対応がされたほか、後期のソフトウェアでパッケージやマニュアルに記載されていないものの、非公式でturboZシリーズで実行した際はアナログパレットを使用するユーフォリーなどのソフトウェアはあったものの、機能の活用は限定的であった。
こうしてX1がturboZとなりいかに機能改善を図ろうとも、X68000の圧倒的性能の前には存在感が霞んでしまい、X1turboZ専用ソフトはほとんど発売されないまま、X1シリーズの流れはX68000シリーズへ継承されていった。
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はっぴいえんど
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はっぴいえんど (英語: HAPPY END) は、日本のロックバンド。細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂によって結成された。日本語ロック史の草創期に活動したグループの一つ。
バンドの作詞担当だった松本隆が、ダブルミーニング等の技法を歌詞に取り入れて日本語ロックを構築した。第2回全日本フォークジャンボリー、第3回全日本フォークジャンボリーにも出演した。
松本は後年、ジャックスの楽曲「からっぽの世界」の歌詞に影響を受けたことを公言し「この曲がなければ『はっぴいえんど』はなかったかもしれない」という趣旨の発言をしている。
細野晴臣は、メンバーは宮沢賢治に影響を受けており、その世界観がバンドの音楽性にも影響を与えていると述べている。
サウンド面においては、アメリカのバッファロー・スプリングフィールドなどの影響を受けていた。もっとも1960年代末から1970年代初頭には、日本でもすでにハードロックやプログレッシブ・ロックが注目されていたが、1970年の洋楽専門雑誌では特集で彼らが回顧されていた。しかし、ブリティッシュロックが人気だった当時の日本でフォークソングやフォークロックの音楽性を標榜したのは、「日本のロック」を作るためにはアメリカのロックをやらなければならないという考えがあったためで、また細野がアメリカ音楽の影響を強く受けていたこともある。当初大瀧詠一と細野晴臣は音楽性を重視していたため、ロックに日本語の歌詞を付けるという松本の提案に反対した。
はっぴいえんどが取った方向性やその音楽性は、後に続く日本のロックバンドに大きな影響を与え、乱魔堂、センチメンタル・シティ・ロマンス等の後継者を生んだ。また松本が長らく作詞を担当した松田聖子の曲は大瀧・細野・鈴木が作曲した曲が数多くあり、はっぴいえんどの方向性や音楽性は松田にも受け継がれている。
遠藤賢司、岡林信康、加川良、高田渡、小坂忠らのバックバンドとしても、コンサートやスタジオ録音等を行っている。
代表曲の「風をあつめて」は、2003年のアメリカ映画『ロスト・イン・トランスレーション』と2009年の日本映画『おと・な・り』の他、漫画『うみべの女の子』でそれぞれ取り上げられた。
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はっぴいえんど
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遠藤賢司、岡林信康、加川良、高田渡、小坂忠らのバックバンドとしても、コンサートやスタジオ録音等を行っている。
代表曲の「風をあつめて」は、2003年のアメリカ映画『ロスト・イン・トランスレーション』と2009年の日本映画『おと・な・り』の他、漫画『うみべの女の子』でそれぞれ取り上げられた。
2013年12月30日、メンバーだった大瀧詠一が自宅で夕食後、リンゴを食べている最中に倒れ、解離性動脈瘤により死去。葬儀には細野、鈴木、松本が参列し、出棺時は三人が棺を担ぎ、大瀧を弔った。
2021年11月5日・6日、松本隆 作詞活動50周年記念オフィシャル・プロジェクト『風街オデッセイ2021』と冠したコンサートが日本武道館にて開催され、細野、松本、鈴木の三人が36年ぶりに“はっぴいえんど”として出演。「花いちもんめ」「12月の雨の日」「風をあつめて」の3曲を演奏した。
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MOS 6502
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MOS 6502はアメリカのモステクノロジーが1975年に発表した8ビット MPU (CPU) である。
1977年に発売されたApple II に搭載されて一躍有名になり、その後PET 2001(1977年1月発表、10月発売)、CBM3032、VIC-1001等、主にコモドール社の製品で採用されていた。日本ではパソコン用のCPUとしての採用例は比較的少ないほうだが、互換CPUがファミリーコンピュータやPCエンジンに採用されている。
モトローラのMC6800をモデルに、レジスタセットの簡素化をはかり、多彩なアドレッシングモードと良く練られたパイプライン機構を持ち、同時期に設計された同一程度動作クロックの他CPU (MPU) 群に比べて格段に高速に演算処理を実行できた。レジスタを小さく、少なくし、ハードウェア規模を減らして高速化を図ったのではないかと見られる節がある一方で、以下のような特徴を持つ。
当時の競合製品と比較して破格の安値がつけられたことでアメリカのホビーストの間ではポピュラーな存在となった。設計はMC6800によく似ていて、バスが互換のほか、ピン配置も一部を除いて揃っている(完全ではないのは後述の訴訟の影響による)。68系と同様に「MPU」と呼称されることがあるが、MC6800シリーズと違ってバイトオーダはリトルエンディアンである。KIM-1にも搭載された初期バージョンのチップでは、ROR 命令に不具合がありドキュメントに同命令を掲載していなかった。
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MOS 6502
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モステクノロジーはモトローラからスピンアウトしたチームで、当初に発表したMCS6501で起こったモトローラとの特許係争(ピン配列が完全互換だった問題)もあって、1976年に資金難から、コモドール傘下のコモドールSemiconductor Group (CSG) となっていたが、ICのマーキングにはMOSブランドがしばらく使用されていた。同社は1994年にコモドールごと倒産した(モステクノロジー社はMostek社とは別の会社である)。セカンドソースは多社にわたるが、ロックウェル・インターナショナル (Rockwell international) 社やウェスタンデザインセンター(Western Design Center、1977年にモステクノロジーのメンバーがスピンアウトした会社)、Synertek、GTEなどがあり、モステクノロジーの後を引き継ぐ形になっている。
最初、NMOSプロセスで生産されたが、後にロックウェルとウエスタンデザインセンターからCMOS版の65C02が登場した。65C02では、STZ(値$00のストア)やBRA(無条件相対分岐)といった命令が追加され、6502にあったバグが修正されたが、つくられた65C02の拡張命令のコードは両者で異なっていた。
周辺チップ(英語版)としては、6502用のタイミングにあわせた6521(6821互換)PIAや6522、6551 (ACIA) などが用意されていた。
ただし、nには16進1桁の数値を指定する。
6502の割り込み処理は三種類ある。それぞれの割り込みにつき、所定のアドレスに割り込み処理ルーチンの先頭アドレスが記載されており、割り込みが入るとそこへ制御を移す。割り込み処理ルーチンを終了して元のルーチンに復帰するにはRTI 命令 (0x40) を使用する。
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MOS 6502
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ただし、nには16進1桁の数値を指定する。
6502の割り込み処理は三種類ある。それぞれの割り込みにつき、所定のアドレスに割り込み処理ルーチンの先頭アドレスが記載されており、割り込みが入るとそこへ制御を移す。割り込み処理ルーチンを終了して元のルーチンに復帰するにはRTI 命令 (0x40) を使用する。
なお、ARM (Acorn RISC Machine) の設計は6502を参考に行われたとされることがあるが、設計者らは6502を参考に設計を行ったわけではない。ARMの命令セットを設計したソフィー・ウィルソンは、6502とARMにはほとんど共通点がないと述べている。別のインタビューでは、(メインメモリをVRAMとしても使っている当時のパソコンの設計では)メモリアクセスが比較的に高性能であり、6502はそれを利用するバランスがすぐれていた、という事のみ言及している。
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液晶ディスプレイ
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液晶ディスプレイ(えきしょうディスプレイ、liquid crystal display、LCD)は、光源等の表面に、液晶の光学特性を利用した複数のシャッターを配置し、様々なパターンでシャッターを開閉することによって図画等を表示する装置である。
液晶ディスプレイはデジタル化された電子機器の普及に伴いごく一般的な表示装置となっている。特に、数値や機器動作状態等の情報表示装置、映像などの画像表示装置として多様な電子機器において利用されている。
液晶ディスプレイには、「液晶モジュール」と呼ばれる部品が含まれており、その液晶モジュールは、主に「液晶パネル」と呼ばれる液晶を含む板状の部品と、液晶パネルに対して電気信号を供給するための駆動回路とを含んで構成されている。
液晶ディスプレイの典型例には、液晶テレビやコンピュータ・ディスプレイがある。液晶モジュールは、これら以外にも、携帯電話端末、携帯型ゲーム機、電卓、時計などの表示部として使われている。
つまり、単に「液晶ディスプレイ」と呼ばれた場合であっても、製品全体を指す場合と製品の表示部だけを指す場合がある。本記事では、便宜上、製品全体を指す場合には液晶ディスプレイと呼び、製品の表示部だけを指すには液晶モジュールや液晶パネルと呼ぶ。テレビ、PCなどの表示装置の製品としての「液晶ディスプレイ」と、携帯電話やデジタルカメラなどに組み込まれる製品の一部の部品としての「液晶パネル」と「液晶モジュール」について、それぞれを分けて記述する。また、本項目では液晶プロジェクタは扱わない。
単体装置としての液晶ディスプレイは、光源、駆動回路や電源回路、接続コネクタ、ケース等を除けば主要部分が液晶パネルと呼ばれる薄い板状部品で構成されている。
電卓や時計の液晶は、あらかじめ「絵」の形に電極を配置して液晶に電圧を加える反射型の液晶が使用されることが多い。カラーの画像や映像を表示するものでは、格子状に配列したサブ画素 (Sub-pixel, sub-dot) を用いる。
液晶パネルは、外光や、フロントライト、バックライト等の光源により発せられた光を部分的に遮ったり透過させたりすることによって表示を行う。一般的な透過型液晶パネルを例として表示原理を説明する。
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液晶ディスプレイ
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液晶パネルは、外光や、フロントライト、バックライト等の光源により発せられた光を部分的に遮ったり透過させたりすることによって表示を行う。一般的な透過型液晶パネルを例として表示原理を説明する。
このように液晶層を表裏2枚の配向層がはさみ、さらに2枚の偏光フィルタとその外側に電極が位置する。表側の偏光フィルタを透過する光が多い場合に表示が明るくなり、少ない場合には表示は暗くなる。
こうして光学的なシャッターを実現し、このような微細なシャッター1つを1つのサブ画素とする多数のサブ画素によって望む画像を表示する。このシャッターは光の透過と遮断だけを行うので多様な色は、概ね3原色を備えた色フィルタで実現される。
2枚の電極に挟まれた各画素での表示には偏光フィルムの配置方向に応じて、2種の表示モードが存在する。
液晶パネルは、大きくは表裏2枚の基板とその間の液晶材料から構成される。
液晶パネル(表面より順に示す。カッコ内は厚みの例)
上記に加えて基板の周囲に「封止剤」が使われる。
液晶パネルは、油状の透明な液晶組成物(液晶材料)が2枚の透明な基板の間にサンドイッチされ、周囲が封止剤によってシールされていて、液晶材料が漏れ出すことなくまた液晶材料が清浄に保たれるようになっている。セルギャップという基板同士の間隔を一定に保つためのスペーサやギャップ材として、粒の大きさが揃ったプラスチック球が少しだけ液晶層に散布されていたり、カラーフィルタ基板に柱状のスペーサが作り込まれている。カラーフィルタ基板よりもアレイ基板の方が周囲の接続端子などの分だけ大きくなる。
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液晶ディスプレイ
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2枚の基板は表側にカラーフィルタ基板、裏側にアレイ基板が配置される。アレイ基板は液晶側にTFTなどのアクティブ素子とサブ画素となる電極がアレイ(配列)状に作り込まれている。カラーフィルタ基板の液晶側には、ブラック・マトリックス (BM) やR(赤)、G(緑)、B(青)というカラーフィルタを配列し、さらに透明電極による共通電極またはコモン電極と呼ばれるものが基板全面に作られる。これらの基板は光をできるだけ無駄なく透過させるために、ガラス基板が用いられることが多い。耐衝撃性、フレキシブル性などの点からプラスチック基板を用いることもある。透明電極の材料としては、電気抵抗が低くパターン加工の容易なインジウムとスズの酸化物であるITO (Indium-tin-oxide) が広く用いられている。また、透明電極に印加される電圧は、アレイ基板ではTFTなどのアクティブ素子を通じて外部から印加されるが、外部からサブ画素までの配線として金属配線もアレイ基板の内面に配置されている。アレイ基板の端部には、配線電極の接続部が露出しており、ここに駆動回路が接続されて電気的に実装される。表裏2面の透明電極のそれぞれの内側には、ポリイミド材料の配向膜が配置されて、液晶材料を所望の配向状態になるようにしている。
液晶パネルでは、液晶を封入した表裏の透明基板のさらに外側に、1組の偏光フィルタ(偏光板、Polarizer)を設ける形式が主流である。透過型の液晶パネルでは、裏側の光源(バックライト)から出た光は、光源⇒偏光フィルタ⇒アレイ基板⇒サブ画素の透明電極⇒配向膜⇒液晶⇒配向膜⇒共通透明電極⇒カラーフィルタ基板⇒偏光フィルタ、という順に各要素を通過して観察者の目に届く。ごく安価な表示用途で使われる簡易な反射型の液晶パネルでは、散乱性の反射板を液晶パネルの背面(裏面)に配置してそれ自体には光源を設けず、周囲の光(外光)によって表示する。 アレイ基板からカラーフィルタ基板の共通電極へ接続するのはトランスファ (Transfer) と呼ばれ、またこの接続材はコモン転移材 (Common transfer material) と呼ばれ、一般に銀ペーストやカーボン・ペーストといった導電ペーストが使用される。
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液晶ディスプレイ
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実際の製品ではこういった基本構造の他にも、視野角特性を改良するための光学フィルム(視野角補償フィルム)などが偏光フィルタとガラス基板との間に追加して挿入される場合がある。また、バックライトシステムの一部にも、視野角や輝度を向上させるための光学フィルム(輝度上昇フィルム)を用いる場合もある。
カラーフィルタは、サブ画素に対応させて、赤色 (R)・緑色 (G)・青色 (B) の光を透過させる着色層やブラック・マトリックス (BM) を基板上に配置し、保護膜で覆ったものである。この着色層は、液晶をはさむ2枚の基板の表側のカラーフィルタ基板に微細パターンで塗り付けられる「着色材」、又は「着色膜」であり、顔料系、又は染色料系のものが用いられる。BM層によって黒色表示時の光漏れと隣り合う着色材同士の混色を防ぎ、TFTへの光照射による光電流の発生も防止する。着色材の定着に感光材を用いるものは、着色材に混ぜられてそのまま定着する。0.1μm程の薄いBM層は金属クロムが多く、他にもカーボン、チタン、ニッケルの使用が試みられている。BM層の間には1.2μm程のBM層よりは厚みのある3色の着色層が一定のパターンで配置される。高精細の画面では着色層のパターンはストライプ配置が多いが、低精細度の画面ではデルタ配置が良好な画質の印象となる。
カラーフィルタは色素の吸収を利用して各サブ画素の通過光をR、G、Bの3つの基本色にして、加法混合方式で混色を作り出すことで中間色を含むカラー表示が実現する。各サブ画素の印加電圧を制御して画素ごとの混色による発色が可能になり、透過光を遮ることで黒を表現する。これがカラー液晶パネルの仕組みである。
カラーフィルタには高色純度と高透過性、耐光性や耐熱性、耐薬品性、平滑性、加工寸法の精度が求められる。180°Cで1時間といった配向膜の焼成工程や低抵抗性ITOの成膜工程等での高温に耐える必要がある。同じく配向膜やITOの加工中での溶剤や洗浄剤に対する耐性が求められる。突起などがあるとセルギャップが一定に保てず、表示品質が悪くなる。カラーフィルタだけでも光の70%程度が失われて主に熱となり、残る約30%だけが通過できる。
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液晶ディスプレイ
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簡易な表示で済む電卓の表示部のようなものを除けば、多数のサブ画素を格子状に配列したドットマトリクスによる表示が液晶パネルの主流となっており、これによって変化に富んだ画像表示が行える。ドットマトリクス表示の多数のサブ画素ごとの電極に個別の配線を行うと、基板周縁部は配線で埋まり現実的ではなくなることから、縦横の2次元的な配線の交点でサブ画素の電極を制御するマトリクス配線方式が採られている。マトリクス配線では、基本的に液晶パネル外との配線数が縦線と横線の合計数で済む。
マトリクス配線で使用される2種類の信号線を以下に示す。
マトリクス配線には「単純マトリクス駆動方式」と「アクティブ・マトリクス駆動方式」がある。
TFT等のアクティブ素子を用いる液晶パネルは、1990年代末頃から生産技術の発展とともに低価格化し、2000年代に入ると高品質の表示が必要なテレビ受像機やコンピュータ・モニタ、携帯電話の表示部として広く普及しており、STN型の単純マトリクスを使った液晶パネルは減少傾向にある。
TFTを構成する半導体の組成には、普及したアモルファス・シリコンと、開発が進んで実用化段階にあるポリ・シリコンがある。画面サイズの比較的小さな液晶パネルでは、開口率を上げるために絶縁膜を挟んで隣のゲート線上との間にコンデンサを作る「付加容量型」が多い。
ここでは一般的なアクティブ・マトリクス駆動方式の中でも、実用とされている駆動技術の代表的なものについて説明する。液晶分子が移動・回転する速度は、一般的には印加された電圧の二乗に比例するため、高速で表示を変えるためには印加電圧を高くする必要がある。
液晶表示では直流駆動すると寿命が短くなるため、交流電圧を加えることで駆動する交流電圧駆動が行われている。この交流の印加方式にいくつか種類があるが、いずれもフレームごとに反転させる。
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液晶ディスプレイ
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液晶表示では直流駆動すると寿命が短くなるため、交流電圧を加えることで駆動する交流電圧駆動が行われている。この交流の印加方式にいくつか種類があるが、いずれもフレームごとに反転させる。
画面が高精細となりサブ画素数が増えると動画表示のためにはXドライバの駆動周波数が100MHzを超えて一般的なICでは動作速度が満たせなくなる。このため、画面を例えば4分割するなどして駆動周波数を抑える工夫を行うのが普通であり、これを分割駆動 (Multiplexing drive) という。分割によってOLB (Outer Lead Bonding) による接続とデータドライバ / アドレスドライバ用ICは増えるが、高い周波数での設計は避けられる。例えば、3,200×2,400画素のQUXGAでは駆動周波数が575MHzとなって普通のICでは対応できなくなる。これを4画面にすれば約72MHzに低減できる。分割駆動では、XとYのドライバ(データドライバとアドレスドライバ)のICモジュールとそれらとの接続を増やすだけでなくタイミング・コントローラも対応しなければならない。画面を複数の領域に分けた分割駆動とすることで、一般的な半導体技術で作られた駆動ICを使用しながら画素数の増加を可能にした。
フレーム反転方式での液晶駆動では、カラーフィルタ基板側の透明電極である共通電極(コモン電極、対向電極)の電位の掛け方の違いで2方式に分けられる。
動きの激しい動画表示では、移動する物体の輪郭部が不鮮明に見えることがある。これは液晶画素が印加電圧を一定に保つホールド型駆動で構成されているために起こるが、これを避けるために、1つのフレーム内で画面を一度、全面真っ暗にすることで印加電圧をフレームごとに独立にするインパルス型駆動にする方法を採る。これがブラック挿入法である。液晶の表示時間は短くなり高い応答速度も求められ駆動データも高速化が必要だが、動くものの表示が鮮明にできる。
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画素の明暗が急速に変化する場合に、液晶分子の動きが遅いために追従できないことがある。この場合に印加電圧を変化初期の短時間だけ10-20%程度大きめや小さめのプリエンファシス信号として与えることで液晶分子を早く駆動することができる。液晶の反応速度は印加電圧の2乗に反比例するので波形の立ち上がりと立下りだけ電圧を振ることで早い応答が得られる。
ブラック挿入法と同様に動く物体の表示を鮮明にするために、走査のタイミングを合わせてバックライトを消灯する。
倍速駆動や120Hz駆動と呼ばれる液晶パネルの駆動方式では、ほとんどの場合、毎秒60枚のフレームを表示していたものを120枚表示することを指す。表示枚数を増やすことによって激しい動きを伴う動画での残像感を小さくしようというものである。1秒間に60枚あった元の画像の間に、前後の画像情報から中間の画像を作り出して合わせて120枚にされる。4倍速の製品も登場している。
ショートリング (Short ring) は静電気破壊からパネルを保護する回路技術である。アレイ基板とカラーフィルタ基板はそのままでは大きなコンデンサとして働いて、人体などの静電気を蓄えて内部回路のTFT素子をショートさせる恐れがある。これを防ぐために、データ信号/アドレス信号の接続パッドごとに薄膜トランジスタ相当を抵抗として接続して、もう一方を共通接続する。このような抵抗を「作りこみ抵抗」や「負荷抵抗」と呼ぶ。
単純マトリクス駆動による液晶パネルには、以下の方式がある。
TN型(Twisted Nematic型、ねじれネマティック型)は初期に量産された最も基本的であり、2010年現在でも主流の表示方式である。
この方式では、電圧が無印加の状態でネマティック液晶と呼ばれる液晶分子の配向を90度ねじれるように配列している。表裏2枚の基板間で90度ねじれるように、各基板表面の配向膜に配向処理が施される。このねじれによって液晶を通過する光の偏光成分がほぼ90度回転する。これは旋光と呼ばれる現象である。また、正しく電圧が印加されると、分極している液晶分子は電界方向、つまり画面に垂直方向に揃って並び、光は偏光変換を受けずに液晶層を通過するため、光源側の偏光フィルムを透過した光の偏光状態がそのまま保たれて逆側の偏光フィルムにそのまま届くようになる。
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STN (Super Twisted Nematic) 型は、単純マトリクス駆動方式での代表的な形式であり、現在でも比較的簡易な表示装置では使用されている。TN型が無印加時において液晶分子の並びのねじれ角が、両面の基板の間で90度であるのに対し、STN型では、180-270度となるように作製される。これにより印加電圧の僅かな差によって大きな配向変化を実現し、TN型では難しいハイデューティでの単純マトリクス駆動を可能にする。このため、TFT等のアクティブ素子を用いずに画素数の多い表示が可能となっている。TN型と同様にNBモードとNWモードがあり、NBモードでは黒と黄色、NWモードでは白と青の表示になる。初期のSTN型では光の波長によって明暗が一致せず、着色が避けられなかったため、いくつかの派生型が開発された。
STN型の派生型には以下のものがある。
アクティブ・マトリクス駆動による液晶パネルには、以下の方式がある。
単純マトリクス駆動と同様に、アクティブ・マトリクス駆動と組み合わせても多く利用されている。生産技術が確立され比較的安価である。また、特別な工夫をしなくても高い開口率が得られるため表示が明るくなり、同じ表示輝度であればバックライトの消費電力を削減できる。応答速度も8-15ms程度とそれほど遅くはない。短所は、視野角が狭く色度変位が大きい。画質よりコストや低消費電力を重視する用途に用いられる。2000年代頃までは廉価なノートパソコン向けであったが、2010年頃からは画質も向上し、ほとんどのノートパソコンでTN型となっている。また、視野角の狭さが簡易なプライバシーフィルターの効果を持つことから、上位機種でも積極的に採用するメーカーもある。
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IPS型(In-Plane Switching型、インプレイン・スイッチング型)では、電極は一方の基板の面内方向に配置している。電圧を無印加の状態では液晶分子はねじれずに基板面に対して一定の水平方向を向いている。電圧の印加時には電界が面内方向に掛かるたて液晶分子が90度水平に回って電極に沿って並ぶ。無印加と印加で液晶分子が面内方向で90度回ることで、2枚の偏光フィルムとの間で透過、遮蔽を作り出す。液晶分子同士が並んだままで回転できるため反応が速く、特に中間調の応答が良い。見る角度にあまり影響されず視野角が広いという特徴がある。回転は、電極をくし型に配置することで実現されるため、半導体技術を用いるアクティブ・マトリクス駆動でのみ用いられる。液晶配向が基板に対して垂直方向に立ち上がることがないため、視野角が広い。視野角特性が良好なためTV用途で多く用いられるが、反面、開口率を上げにくく表示が暗くなり易い、正面表示でのコントラストを高めにくいといった課題もある。
VA型(Vertical Alignment型、 垂直配向型)では、負の誘電率異方性を持った液晶分子と垂直配向膜との組み合せで、無印加時には液晶分子が画面に対して垂直になり、印加時には液晶分子が画面に対して水平な配置となる。見る角度にかかわらず比較的良好な視野角と高いコントラストが得られる。8-15ms程度の応答速度になる。
OCB (Optically Compensated Bend, Optically Compensated Birefringence) 型は、無電界時には液晶が弓状に配列し、電圧印加時にはほぼ直線状に並ぶ。弓状から直線状に変化することで発生する液晶の流れと液晶分子の配向の変化が互いを阻害することがなく配向の変化が液晶の流れを加速するように働くため3-8msといった高速応答性を持つ。光学補償フィルムを必要とする。視野角も広く、-20°Cといった低温環境でも応答性がそれほど損なわれないがまだコストに課題があり、放送機器用や車載用での採用が多く、大画面は存在しない。
液晶分子は直径が0.4nm、長さが2nm程度の細長い有機分子である。
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液晶分子は直径が0.4nm、長さが2nm程度の細長い有機分子である。
マザーガラスはマザーガラス基板とも呼ばれ、アレイ基板やカラーフィルタ基板の元となる素材である。これらの基板上に成膜するプロセスでは生産性向上のためにマザーガラスを切らずにそのままの大きさで製造工程を進め、終わりに近い工程で各基板ごとの大きさに切断してゆく。マザーガラスは以後の工程で障害とならないように、反り、塵、汚れ、傷、泡、欠けがないように求められる。 1枚のマザーガラスから取れる基板数は「面取り数」と呼ばれ、面取り数を増やすためにマザーガラスは拡大されてきた。マザーガラスの大きさとその月間や年間の処理可能枚数で、液晶ディスプレイ工場の生産能力が表現される。
マザーガラスは、主にその表面に構築される電極や回路の処理工程の最高温度によって使用できる種類が限定される。STN型のような単純マトリックス駆動では低価格のソーダガラスが使用できるが、TFT型のようなアクティブ・マトリックス駆動では高温処理が求められるため、高温ポリシリコン処理での1,000°C以上に耐えられる高価な石英ガラスや低温ポリシリコンでの600°C弱まで耐える無アルカリガラスが使用される。
ガラス厚も薄くなっており、カラーTFT液晶ディスプレイの開発当初は1.1mmであったものが0.7mmになり、特にノートパソコン用などでは0.63mmから0.6mmとなり、携帯電話用では0.4mmの製品が出ている。
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ガラス厚も薄くなっており、カラーTFT液晶ディスプレイの開発当初は1.1mmであったものが0.7mmになり、特にノートパソコン用などでは0.63mmから0.6mmとなり、携帯電話用では0.4mmの製品が出ている。
配向膜にはポリイミドが使われることが多い。可溶性を高めるためのN-メチル-2-ピロリドン (NMP) などのアミド系極性溶媒と塗布性を高めるためのセロソルブアセテートなどの溶媒にポリアミック酸を溶解させたものが使用される。これを基板に塗布後、250°C以上に加熱処理してポリアミック酸を熱重合によりイミド化させて配向膜を形成する。基板上で熱重合するのではなくあらかじめ液体状態でイミド化させた可溶性ポリイミドも使用される。可溶性ポリイミドを使えば、基板上への塗布後の加熱温度が180°C以下となり、乾燥させる程度の処理となる。このため、加熱温度を高められないカラーフィルタ基板を用いる場合の配向膜として都合が良い。ポリイミド製の配向膜は、材質を選べば透明であり、300°C程度にも耐える高い耐熱性があり、液晶の配向を安定させることが可能であり、ガラス基板や電極膜への塗布性や密着性が良いという特徴がある。
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偏光フィルムは、一般的な透過型パネル用では、偏光素子が入った偏光基材とこれを両面で挟むベース基板、そして片面には保護フィルムともう片面にはガラス基板に貼り付けるための離型フィルムから構成される。反射型パネルの裏面用は保護フィルムの代わりに粘着層を介して反射板が付けられる。 偏光フィルムは偏光板とも呼ばれるが「板」のような堅いものではなく、多ければ10層ほど積層されても0.12-0.4mm程度の薄いものであり、液晶パネルへ貼り付けられるまではテープ状に巻かれている。偏光素子が入った偏光基材とは、ヨウ素や二色性染料が偏光素子でありこれが偏光効果を起こす。偏光基材はポリビニルアルコール (PVA, Poly Vinyle Alcohol) が使われ、偏光素子がこの媒体内に含まれる。偏光基材を保護する役割のベース基板にはトリアセチルセルロース (TAC, Triacetyl cellulose, Cellulose triacetate) が使われる。ベース基板も「板」と呼ばれるがフィルムである。離型フィルムにはベース基板側に粘着層が塗布されており、ガラス基板に貼り付ける段階で剥離され、粘着層によってガラス基板に貼り付けられる。
偏光フィルムの単体での光学特性は、透過軸方向に平行方向の透過率:T1 と透過軸方向に直交方向の透過率:T2で表され、T1 は"1"に近く、T2は"0"に近くなるように偏光素子や偏光基材が調整される。1枚の偏光フィルムの単体透過率は T で表され、T1 とT2の平均で表される。 2枚使用時の光学特性は、透過軸方向が互いに平行な平行透過率:T ‖ {\displaystyle \|} と透過軸方向が互いに直交な直交透過率:T ⊥ {\displaystyle \perp } があり、平行透過率:T ‖ {\displaystyle \|} はT2とT1のそれぞれの2乗の和の平均で、直交透過率:T ⊥ {\displaystyle \perp } はT2とT1の積で表される。 また、偏光度 P は以下の式で表される。
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実際の製品として使われている偏光フィルムでは、単体透過率 T は38-48%程度、偏光度 P は75-99.9%程度である。可視光領域で透過率と偏光度が波長によって差があると液晶パネルにすると色付きするので、これらの特性に波長依存性がないことが求められる。
2009年現在一般には、透明電極としてITO (Indium-tin-oxide) が使用されているが、ITOは塗布後の定着工程で200-300°C程度の比較的低い温度で半結晶化されるため抵抗値が高く、また透過度も波長の短い光線では低くなるために完全な透明ではなく少し茶色や黄色がかった色味を持つ。インジウムが中国に偏在するレアメタルであり、電子機器による需要増で価格が高騰している。
ITOに代わるものとして、ZnO膜や金の微細な繊維を配合した高分子膜の研究が進められて成果が上がっており、早ければ数年の内には製品への採用が始まるとされている。
液晶モジュールは、主な構成部品として液晶パネルに駆動回路と駆動用プリント基板、必要ならばバックライトを取り付けたものである。駆動用プリント基板類は液晶パネルとの接続部が柔軟なため、パネルの裏側に折り込まれて無用な実装面積を省くのが普通である。また、駆動回路の主要部を低温ポリシリコンによるTFT回路で液晶パネル上に取り込むことで、液晶パネルへの接続は、電源部やタイミング・コントローラ回路、最低限の映像信号回路などを載せた小型のプリント基板だけになり、不良の原因となる接続部の大幅な削減によって液晶モジュールの信頼性の向上が実現できるが、額縁スペースが余分に必要となる。
説明を簡単にするため、TFTカラー液晶モジュールでの駆動例を示す。以下の周辺回路の多くは、TABによってアレイ基板に接続されるか、COGや低温ポリシリコンによってアレイ基板上に実装または構築される。低温ポリシリコンを採用している場合でもタイミング・コントローラや電源回路は、ポリシリコンによるTFT素子でD/Aコンバータ、メモリ、コントローラまで作り込むと消費電力が増すために、外付け回路基板上の専用ICが使用される事が多い。
まず製造工程の概要を示したのちに、詳しい説明を加える。
各工程の最後や出荷前にそれぞれ検査が行われる。
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まず製造工程の概要を示したのちに、詳しい説明を加える。
各工程の最後や出荷前にそれぞれ検査が行われる。
アレイ基板の製造工程の各段階中と工程の最後に検査が行われる。アレイ基板として使用されないマザーガラス上の空き領域にあらかじめテスト用回路を作り込んでおき、膜厚、膜質、電気的特性を計測するという手法も使われる。
画面の大きさは21世紀以降急速に拡大している。アスペクト比は、テレビ用では4:3や16:9のアスペクト比を考慮しており、パソコン用もほとんどはテレビと同様の比率を考慮して作られている。
表示する画面部分は「有効表示領域」や「表示領域」、「アクティブ領域」と呼ばれ、周囲は「額縁」と呼ばれる。この有効表示領域の大きさは画面の対角線の長さをインチで表し、日本では数詞として「型」を付けて表現される。一般に画像の精細度を表すには、1インチ (25.4mm) 当り何個のドットがあるかという意味で "dpi" (dot per inch) を使うことが多いが、カラー液晶では "RGB" 3色の点で1つの画素 (pixel) を構成するため無用な混乱を避ける意味で "ppi" (pixel per inch) が使われることが多い。精細度を表す別の方法として「画素ピッチ」がある。画素ピッチは画素が並ぶ間隔を表しており、例えば1,000ppiでは0.0254mmになる。TV画面の水平解像度では「TV本」という解像度の表し方もあり、白地に縦に引いた黒い線を最大何本まで判別できるかというもので、普通のTVでは350TV本である。
ブラウン管式ディスプレイでも、液晶ディスプレイと同様に画面の対角線の長さをインチで表した「○○型」と表記していたが、米国では液晶ディスプレイと同じく有効表示領域の大きさを計っていたのに対して日本ではガラス管の外側の大きさを表していたので、実際に表示される領域は1-2インチ程度小さかった。
液晶ディスプレイでの画素(ピクセル、Pixel)は、"RGB" を合わせて1画素と数えて、R、G、Bのそれぞれは「サブ画素」や「サブ・ドット」と呼ばれる。カラー液晶ではサブ画素ごとに輝度を制御しており画素ごとではない。画素とサブ画素を混同しないように注意が求められる。
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液晶ディスプレイでの画素(ピクセル、Pixel)は、"RGB" を合わせて1画素と数えて、R、G、Bのそれぞれは「サブ画素」や「サブ・ドット」と呼ばれる。カラー液晶ではサブ画素ごとに輝度を制御しており画素ごとではない。画素とサブ画素を混同しないように注意が求められる。
「ドット抜け」といった画素単位やサブ画素単位での不良は数個まで許容されるが、2013年現在では従来に比べて製造現場での環境整備が進み、ドット単位での不良はほとんどなくなる傾向にある。
安全性に関して留意すべきは、バックライトに冷陰極線管 (CCFL) を使用しているものでは、1,000V以上の高電圧を生じているので感電事故を起こさないように不用意にバックライトの電源部を触らないことである。陰極線管内には水銀が含まれるので、電気接続に使われるハンダの鉛やBM層のクロムと同様に人体には有毒であり、環境中にも放出されないよう留意する必要がある。液晶自身の毒性については, 急性経口毒性の指標であるLD50で表現するとほとんどが2,000以上であり、皮膚刺激性や吸入毒性でも「毒物および劇物取締り法」に抵触しない程度には基準を満たしているため、比較的安全であると考えられる。
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1888年オーストリアのF.ライニッツァー (Reinitzer) らにより、コレステロールと安息香酸のエステル化合物からなる結晶を加熱することで液体状となるサーモトロピック液晶が発見された。1964年には米国で最初の液晶表示装置が考案され、1968年には米RCA社のハイルマイヤー (R. Heilmeir) 達の手で最初のネマティック液晶を使用した表示装置が作られた。これ以降、多様な装置が作られたがいずれもモノクロのものであった。1973年には日本で電池駆動可能な電卓の表示装置として採用された。しばらくはTN型による低消費電力で薄く小型のものが主体となって、電卓や腕時計、ワープロ、電子手帳、携帯型ゲーム機など、そのころ登場しはじめたデジタル機器の表示部として普及した。また1976年には英国ハル大学のグレイ教授が安定な液晶材料(ビフェニール系)を発見し、それは現在のLCD材料の基礎となっている。1983年には日本のエプソンから世界最初のTFT型液晶カラーテレビ「ET-10」が発表され、翌年に発売された。1988年には14型のTFT型液晶カラーTVが発表された。
1990年代になるとそれまでのセグメント表示からドット・マトリクス表示に、モノクロ表示からカラー表示に変わり、TFTによるアクティブ・マトリクス駆動によって高精細な表示が可能になった。1990年代半ばに低温ポリシリコンによるTFT層が実用化された。用途も静止画だけのスチルカメラの表示部のようなものから、動画が扱えるデジタルビデオカメラの表示部へと広がり、ノートパソコンの表示や小型テレビ、カーナビへと広がった。20世紀末ごろにはブラウン管TVを駆逐する勢いで、大型平面TVでの採用が大きな広がりを見せてきた。1990年代に日本メーカーのそれまでの基礎研究や技術開発の実用化・製品化が進み、世界市場を開拓していった。1990年代半ばに韓国メーカーが、1990年代後半には台湾メーカーが世界市場に本格的に参入してきた。
2000年代になると、小型の表示器としては携帯電話やPDA、携帯音楽プレーヤー等の多様な携帯型電子機器に使用されるようになり、大型では大画面TVや普及型TVなど、広くTV用途で採用されている。2000年代には中国メーカーが世界市場に本格的に参入してきた。
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2000年代になると、小型の表示器としては携帯電話やPDA、携帯音楽プレーヤー等の多様な携帯型電子機器に使用されるようになり、大型では大画面TVや普及型TVなど、広くTV用途で採用されている。2000年代には中国メーカーが世界市場に本格的に参入してきた。
液晶ディスプレイに関係する産業には以下の会社群がある。
上記での液晶原材料とは、液晶材、配向膜、ターゲット材などがあり、液晶部材とはカラーフィルタ、偏光板、マザーガラスがある。 液晶パネルメーカーは液晶ディスプレイメーカーに対して液晶パネルを部品として供給するメーカーを指し、液晶ディスプレイメーカーは自社で液晶パネルを内製するものと社外から購入するものの両者を含む。液晶ディスプレイメーカーの中には内製した液晶パネルを外販する会社もある。液晶部材から半導体、液晶パネルを含めて内製する垂直統合型の液晶ディスプレイメーカーとして、韓国のサムスン電子、LGフィリップスと、日本のシャープ、パナソニック、ソニー、日立、東芝がある。欧州と台湾では水平分業型の専業メーカーがいくつかある。
液晶ディスプレイ産業は国際的な市場に向けた世界規模での開発・生産・販売が行われているが、生産拠点は比較的アジアに集中しており、また液晶部材の中でもマザーガラスのように巨大化を遂げた部品では長距離輸送に向かないため、地域的な偏在性を生む要因となっている。
液晶ディスプレイ産業は、特に大画面TVでの需要が急速に立ち上がっていることもあり、産業の中心は大型パネルの生産に比重が移っている。こういった大型パネルの生産では大きな設備投資が求められる割りに生産設備の陳腐化速度が速く、新たな技術の採用によって生産コスト削減や製品性能が大きく向上するなど、半導体産業に似た特徴を備えている。半導体産業での「シリコンサイクル」と同様に液晶ディスプレイ産業では「クリスタルサイクル」と呼ばれる需給バランスの長期的な変動を繰り返す傾向がある。また、中サイズのパネルではノートパソコンに組み込まれ、小画面パネルでは携帯機器や家庭電化製品、産業用機器などの広範な電気製品に対して組み込むために、多くが外販され一部が社内の別部署での機器生産に使用される。
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液晶ディスプレイメーカーの各社は同業同士での競争だけでなく、プラズマディスプレイや有機ELのような似た用途のディスプレイ技術へも競争が求められる。また、多くのメーカーは液晶技術だけに固執せずに新たな次世代ディスプレイ技術への模索も続けている。
2009年1月の10型以上のTFT液晶パネルの世界売上高が25億米ドルだったと発表した。これは前月2008年12月から10.7%減であり、前年同期比では63.3%も減ったことになる。枚数で云えば、2,380万枚であり、これは前月2008年12月から12.4%減、前年同期比では33.5%減ったことになる。
メーカー別の売上高シェアでは、1位が韓国サムスン電子 (Samsung Electronics) 社の27.9%、2位が韓国LG電子系列のLG Display社が27.8%だった。出荷枚数別では、1位がLG Display社が26.4%で逆転し、2位はサムスン電子の26.0%、3位が台湾奇美電子 (Chi Mei Optoelectronics) 社で13.8%だった。
液晶パネルには、形状的な特徴、電気的な特徴、並びに、光学的な特徴および構成部品数などの面で他の表示装置とは異なる特徴がある。
液晶パネルの形状的な最大の特徴は、薄型である点である。ガラス2枚と偏光フィルタ2枚、必要に応じてバックライトによって表示が行えるため、非常に広汎な製品に応用されている。
また、液晶パネルの電気的な面での最大の特徴は、液晶パネルそれ自体の電力消費が非常に小さいことである。数ボルト程度の電圧によって表示が書き換わり、電流はほとんど流れないためである。このため、ロジック系ICによって容易に駆動が可能であるなどの特徴から、用途の制限が少ない。ただし、液晶パネルの液晶部分は通常は交流駆動する必要があり、表示内容を書き換えなくても極性反転のために充放電電流が消費される。また、液晶パネルは自発光しないため、照明を設ける場合には、照明のために消費電力が大きくなるという課題がある。ただしこれはLEDなどにおいてある程度は低減できる。
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液晶ディスプレイの光学面での最大の特徴は、液晶それ自体が発光しないことである。表示には、バックライト、フロントライト、外光などの光源を必要とする。液晶ディスプレイでは、白色光のバックライトにカラーフィルタを用いた液晶パネルを組み合わせるカラー表示が主流である。
液晶パネルは、様々な利点を有する一方、表示原理に起因する技術課題(欠点)も有している。
液晶ディスプレイが多様な用途をカバーしてきた背景には、要求される光学的機能を実現するために、数多くの構成部品を組み合わせて液晶ディスプレイ自体が構成されてきた点を挙げることができる。
液晶ディスプレイは、多数の構成部品により構成される。この構成部品の多さのために、細かな需要に合せた多様なバリエーションが生み出されている。そればかりか、この構成部品の多様さは、液晶ディスプレイの性能の進歩に大きく寄与してきた。液晶パネルの液晶部分に全く変更がなくても全体性能の改良が実現されるからである。一例として、透過型液晶ディスプレイの構成部品であるバックライトを挙げると、バックライトの光源の進歩により、色再現範囲(色域、color gamut)が大幅に改善されたり、消費電力が低下するといった性能改善が実現される。このように、液晶そのものの改良がなくとも、構成部品の技術進歩が液晶ディスプレイの進歩に取り込まれている。
また、液晶ディスプレイを構成する部品を選択することによって表示特性を用途に適合させることも行なわれている。その典型例が、光沢(グレア)表示とノングレア(つや消し・マット)表示の選択である。この選択は、液晶ディスプレイの最もユーザー側に位置する部品(通常は偏光フィルム)の表面処理によって決定される。つまり、平滑な面を持ち光沢のある表面処理の偏光フィルムを採用すると光沢表示となり、散乱のある表面処理の偏光フィルムを採用するとノングレア表示となる。よって、写真画像や動画の鑑賞目的のために、色純度やコントラストの感覚的な品位を高めることができる光沢画面と、事務処理用に適する映り込みの少ないノングレア画面との用途別の作り分けが、偏光フィルムの選択のみにより行える。
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液晶パネルは、透過型液晶パネル、反射型液晶パネル、プロジェクター、フィールドシーケンシャルカラー表示、半透過型液晶ディスプレイといったさまざまな表示方式が実用化または創出されており、非常に柔軟な光学的構成で用いられ、構成部品の改良が技術的進歩に寄与している。
液晶パネルの光学的機能の多様性の一例を挙げるなら、液晶パネルでは、外光を利用することにより照明を設けずに低消費電力の表示を行うことも可能であるし、必要に応じて照明を設けて、自発光型の表示装置と類似の用途に用いることもできる点が好例である。それ自体が発光することはないため、光源との組合せの数だけ光学的機能にも多様性が生まれている。
液晶パネルに照明を設けない場合には、外光を反射板で反射させて往復で表示を行うことが多い(反射型液晶パネル)。反射型液晶パネルでは、多くの場合に裏側の偏光板の背面に適当な凹凸をもった金属などの反射板を配置する方式(セル外反射板方式)が主流で、安価な液晶表示部で背景が薄緑、表示が変化する部分がこの背景色と黒色との間で変化するものは主にこの方式である。一部には、裏面側には偏光板を設けず、液晶層の裏側の基板の液晶層側反射板を配置して、液晶層と反射板を近接させ手配置する方式(セル内反射板方式)も実用化されている。この場合、一枚の表側の偏光板にフィルム位相差板が併用され、液晶層を往復する光の偏光を制御することが多い。
また、液晶パネルに照明を設ける場合には、EL(エレクトロ・ルミネッセンス)、冷陰極管、発光ダイオードなどの光源によって背面から照明するバックライトによる透過光を観察する透過型液晶パネルや、表示面側からフロントライトと呼ばれる照明装置により照明して反射光を観察するフロントライト付き反射型液晶パネルがある。照明を設けるのは、多くの場合、カラー表示を行うカラーフィルタの吸収のために表示が暗くなる場合である。
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そして、照明を設ける液晶パネルと、照明を用いない液晶パネルとの組み合わせるようなもの、つまり、透過型と反射型を組み合わせることにより、外光を反射しつつ、バックライトの照明も利用する半透過型液晶パネルもしくは半(微)反射型液晶パネルと呼ばれるものもある。これにより、夜間の周囲が暗いときから日中の直射日光下まで表示内容が確認できるパネルが開発できるため、家庭用ビデオカメラ、ディジタルスチルカメラなどに利用されている。このように、発光ディスプレイに近い照明を用いた表示と外光を利用した反射ディスプレイとしての表示を1つの表示パネルで両立するものは液晶以外の表示方式では知られておらず、液晶パネルに用いることができる光学的機能の多様性を示す好例といえる。
誘電体である液晶物質は誘電分極という性質を持つ。スメクテック液晶でキラリティを持つ種類の物質は、長軸周りの分子回転の動きが束縛されるため永久双極子が並んだ状態となって電界がなくともが自発分極を起こす強誘電性を示すことがある。この代表的なものが、カイラル・スメクテックC相(又はキラル・スメクテックC相)と呼ばれる液晶である。
カイラル・スメクテックC相の液晶は通常は螺旋をとるが、2枚の基板間隔が縮められ螺旋ピッチ以下にまで狭くなると、螺旋構造がとれなくなり特定の2つの向きにのみダイレクタが揃う配列が許されるようになる。
このようなカイラル・スメクテックC相の液晶の層を1-2マイクロメートルの狭い幅の2枚の平行な電極基板で挟み込むと、正、又は負の電圧を電極間に加えることですべてのダイレクタの方向を揃えられ、さらに熱的揺らぎによっても容易には逆の方向まで変化しないので、電圧を加えなくとも配列状態が維持でき、無電力で表示が保存できる。
このような構造の液晶表示を表面安定化強誘電性液晶 (Surface Stabilized Ferroelectric Liquid Crystal, SSFLC) と呼び、一時期は実用化が進められたが、動作原理上、光の透過度で中間値が作れないことや狭い液晶層を大画面で作るのが容易ではなく、あまり利用は進まなかった。ただし、応答速度が他方式より2-3桁も早く、電界を切っても配列状態が残るので、フィールドシーケンシャルカラー表示や電子ペーパーとしての用途が見出されている。
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強誘電性液晶は明状態と暗状態のそれぞれにするためには特定の極性電圧を加える必要があり、これは直流駆動(DC駆動)しか許されないことになる。直流駆動では画質の低下が避けられないので、できれば交流駆動(AC駆動)が望まれた。
2枚の基板間隔が広がり、螺旋構造が復活しても自発分極は層ごとで互いに打ち消しあって外部には現れず、無電界ではダイレクタが層ごとに交互に異なる向きに並んでいる。2枚の偏光フィルムを直交で用い、1枚の偏光軸を片方のダイレクタに合わせると、無電界ではほとんど遮蔽されるが、電極の電圧を正でも負でも加えると光が通るようになる。
しきい値以上の正電圧ですべての層で1方向にダイレクタが揃い、正と負の領域でのしきい値以下の電圧で層ごとに交互に1方向ずつ異なる無形にダイレクタが揃い、しきい値以上の負電圧ですべての層で正電圧とは逆向きの1方向にダイレクタが揃う。これら3つの他に中間の状態は取れないので反応が早い。
また、これまでの強誘電性液晶や反強誘電性液晶ではヒステリシス特性があったが、中間調表示が可能な無しきい値反強誘電性液晶 (Threshold-less Anti-Ferroelectric Liquid Crystal, TL-AFLC) が開発されている。
反射型は液晶が表示器として使用され始めた頃からの比較的古い技術である。外光を反射することで表示を行う反射型液晶表示パネルは、透過型のようにバックライトを必要としないため、現在も簡易な表示に多用されている。最も代表的な反射型の液晶表示はセグメント表示によるデジタル時計である。反射型でも、フロントライトと呼ばれる光源を液晶表面より手前側に備えることで、外光の無い暗所でも見えるように工夫したものがある。
これに対し、半透過型は、反射・透過両用型、つまり、外光による反射光の表示と、背面のバックライトによる透過光による表示とを組み合わせるものである。反射型でのフロントライトと同様に、暗所ではバックライトを使い、明るい場所ではライトを消すことで電力消費を抑えることができる。
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液晶ディスプレイ
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これに対し、半透過型は、反射・透過両用型、つまり、外光による反射光の表示と、背面のバックライトによる透過光による表示とを組み合わせるものである。反射型でのフロントライトと同様に、暗所ではバックライトを使い、明るい場所ではライトを消すことで電力消費を抑えることができる。
反射型や半透過型は、外光が強い場合に視認性が低下するという透過型の欠点を解消できる利点がある。特に直射日光が差し込む環境などでの視認性は、その直射日光下の周囲の明るさに順応して観察者の目が明るさを感じにくくなることが影響する。透過型ではその観察者の目に表示面を明るく感じさせるためには強力なバックライトが必要になる。これに対し、外光に比例した反射光を利用する反射型および半透過型では、なんらエネルギー消費を増やさずとも、表示面を明るく感じさせることかでき、さらに外光に比例して反射光が増加するというある種の自動調整も実現する。
反射型と半透過型では液晶層の背面に反射板が置かれている。半透過型ではその反射板が半透過性の反射板とされたり、部分的に背面からの光を通過させる領域を設けて光透過性を示す反射板とされる。反射型と半透過型ともに、反射板の位置にはさらにバリエーションがあり、液晶層の背面側基板のさらに背面側のものと、前側(液晶側)のものとがある。旧来の反射型や半透過型は前者であるが、近年のアクティブ素子を利用するものでは後者も採用されている。後者は、背面側基板の厚みが表示に悪影響を及ぼさないため、高精細な表示が可能である。この場合、背面側基板はアレイ基板とされる。
特にアクティブ素子を利用する反射型や半透過型ではアレイ側の配線が不透明でも開口率に影響しにくい点で、透過型とは異なっている。つまり、反射型では、反射性の(サブ)画素電極を金属配線やアクティブ素子の上に形成した絶縁膜の上に構築することで金属配線やアクティブ素子などの非透過性要素が開口率に影響しないようにできる。また、半透過型でも、反射部分を非透過性要素に重ねて配置することが可能である。
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特にアクティブ素子を利用する反射型や半透過型ではアレイ側の配線が不透明でも開口率に影響しにくい点で、透過型とは異なっている。つまり、反射型では、反射性の(サブ)画素電極を金属配線やアクティブ素子の上に形成した絶縁膜の上に構築することで金属配線やアクティブ素子などの非透過性要素が開口率に影響しないようにできる。また、半透過型でも、反射部分を非透過性要素に重ねて配置することが可能である。
2000年頃には、携帯電話用としてカラー表示のできる反射型TFT液晶が多用された。ところが、表示コンテンツの多様化が進展すると画質に不満が生じた。2002年頃に携帯電話にカメラ付き機種が登場すると、特に表示画面の高画質化が求められ、反射型TFT液晶に代わり半透過型TFT液晶が採用されるようになった。それ以降、ワンセグや動画再生機能などに対応した機種などのさらなる高画質化要求に応じ、透過型TFTと半透過型TFTが使い分けられている。反射型は低消費電力であるため、電話機以外でも携帯用途での利用が再び進んでいる。
セグメント表示の身近な例では、電卓に多用されている8の字によって数字を表示する、7セグメントディスプレイが挙げられる。このように表示対象をいくつかの小さい領域である「セグメント」に分割し、その領域毎に外部から所望の電圧を印加するものを、セグメント表示と呼ぶ。
どのセグメントに電圧をかけるかを適宜制御すれば、数字の0 - 9等を表示し分けることができる。数字だけでなく擬似的なアルファベットも16セグメント程度で1文字を表すものがあり、各種電気機器の動作表示部などではピクトグラムのような簡単なマークもセグメントによって表される。セグメント数が少なければスタティック駆動されるが、電卓のようにセグメント数が多くなるとダイナミック駆動(人間の目で判断できないほど高速で表示を順番に切り替える方式)される。
セグメント表示の多くは中間調を持たず明暗の2つの状態で表示されているが、電池が消耗した電卓などで駆動電圧が不十分になると、表示が薄くなり、中間調のような表示が起きる。
液晶テレビでは、液晶パネルは製造原価の6割から7割を占める重要な部分である。
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X68000
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X68000(エックス ろくまんはっせん)は、1987年(昭和62年)3月28日にシャープが発売したパーソナルコンピュータである。なお以下では、その初代に引き続く、1987年発売のX68000(CZ-600)シリーズとして現在扱われている製品関連の他、1993年(平成5年)発売のX68030(CZ-500/CZ-300)シリーズについても述べる。
「パソコンテレビX1」を送り出したシャープのテレビ事業部による後継機である。略称はX68k、ペケロク、ロクハチ、ロッパー、ペケロッパなど。X68030シリーズと併せ、X680x0と表記されることもあった。メーカーのシャープは「パーソナルワークステーション」と称した。
最大6万5536色を表示できる高いグラフィックス性能とシンセサイザーに匹敵する音楽性能から、1980年代後半から1990年代前半にかけて、ホビーパソコンの一角を担った。日本のホビーパソコンCPUにモトローラのMC68000を採用した機種は、他に発売されなかった。販売台数は1991年9月の時点で13万台。
標準のオペレーティングシステム(以下OS)だったCUIのHuman68k、およびGUIのSX-Windowは、後にユーザーコミュニティに対してフリーで公開された。
2015年には、内部構造や回路図などを収録した「サービスマニュアル」が公開された。
初代機のX68000は、発売前年の1986年(昭和61年)に発表された。開発は、パソコンテレビ「X1」シリーズを開発した、シャープ栃木のテレビ事業部。ソフトウェア・ハードウェア共に「X1」シリーズとの互換性は一部の周辺機器を除いてないが、実質上の後継機種である。MZシリーズをリリースし、後のMebiusブランドパソコンの元となった産業機器事業部(奈良県大和郡山市)は関わっていない。
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X68000
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初代機のX68000は、発売前年の1986年(昭和61年)に発表された。開発は、パソコンテレビ「X1」シリーズを開発した、シャープ栃木のテレビ事業部。ソフトウェア・ハードウェア共に「X1」シリーズとの互換性は一部の周辺機器を除いてないが、実質上の後継機種である。MZシリーズをリリースし、後のMebiusブランドパソコンの元となった産業機器事業部(奈良県大和郡山市)は関わっていない。
初めて発表されたのは、1986年(昭和61年)10月2日 - 7日に開催されたエレクトロニクスショー'86(後のCEATEC JAPAN)。シャープブースの一角に展示され、デジタイズされた女性歌手荻野目洋子の6万5,536色画像と「グラデュース自走」と銘打たれた『グラディウス』の実動画面、そして画面切替によるチェス盤の上をあらかじめレイトレーシングされた玉が跳ねるといったデモンストレーションが行われた。展示画面には「新開発 16ビット パーソナルワークステーション X68000」と書かれた絵文字と南国をイメージした背景が表示されていた。
コンパニオンによるデモンストレーションは、「このパソコン、何と喋るんです」のナレーションに答えてX68000が「早く紹介して下さいよ」とADPCMで発声するもので、その後ハードウェアの特徴と構成が紹介されるというものだった。後述の「マンハッタンシェイプ」はこの時点で名称が確定しており、デモンストレーションでも紹介された。
当時、日本で68000系を採用したパーソナルコンピュータはほとんど前例がなく、業務用のEWSと誤解した人も多かったため、会場ではそれほど大きな注目は集めなかった。MC68000採用の理由は、メモリ空間が16MBと大きいことと、「OSがのっかりやすい」ことだった。当時、日本の電機メーカーの間で68000系MPUを採用する独自のEWSを開発・発売するのが一つの流行になっていた背景もあった。
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当時、日本で68000系を採用したパーソナルコンピュータはほとんど前例がなく、業務用のEWSと誤解した人も多かったため、会場ではそれほど大きな注目は集めなかった。MC68000採用の理由は、メモリ空間が16MBと大きいことと、「OSがのっかりやすい」ことだった。当時、日本の電機メーカーの間で68000系MPUを採用する独自のEWSを開発・発売するのが一つの流行になっていた背景もあった。
その後、『Oh!MZ』誌を始め、各パソコン雑誌にて取り上げられた事により認知が高まり、次いでシャープ市ヶ谷のエルムホールにて九十九電機と協賛したお披露目が行われた(全国各地で行われたという説もあるが、詳細は不明)。内容はラヴェルのボレロをFM音源で再生しつつ、デジタイズされた画面を次々と「X1」シリーズ用のHDDユニットより読み込んで表示させるというものだった。また、『グラディウス』のデモについてはビックバイパーだけがカーソルキーの操作に合わせて可動し画面内を飛んでいるというものに変わった。
発表から発売まで約5カ月空いたため、発売前から一部の店舗にデモ機が置かれた。この時点で『グラディウス』、アセンブラ、X68000のテーマ等の同梱ソフトウェアは揃っていたが、本当に発売できるのか、あるいは発表された価格を実現できるのかについて懐疑的に見る向きも多かった。実際に発売されたのは、1987年3月下旬である。出荷数は少なく、実際に購入者の元に初期ロットが届けられたのを見て、突発的に注文する顧客もいた。
その結果、シャープはバックオーダーを抱えることとなり、好調な滑り出しとなった。
当初はインテル系プロセッサを始め、様々なプロセッサの搭載が検討されていたとされるが、最終的にはMacintoshと同じMC68000が採用され、日本のメーカーによる最初にして最後の68000系個人向けパソコンとなった。
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X68000
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その結果、シャープはバックオーダーを抱えることとなり、好調な滑り出しとなった。
当初はインテル系プロセッサを始め、様々なプロセッサの搭載が検討されていたとされるが、最終的にはMacintoshと同じMC68000が採用され、日本のメーカーによる最初にして最後の68000系個人向けパソコンとなった。
当時としては大容量を誇るVRAMと強力なグラフィックコントローラ群によって実現された65,536色の多色グラフィックとスプライト機能、FM音源8チャンネル+ADPCM1チャンネル、1MBのメインメモリ(最大12MB)等の周辺回路により、総合的に競合製品を凌駕するホビーマシンとしての性能を備えていた。その象徴となるのが標準添付アプリケーションの一つでもある、当時はゲームコンソールでも多くの要素が省略されて移植されていた『グラディウス』の存在である。
価格は36万9000円で、購入資金を貯めるためアルバイトに励む学生ら若者も多かった。実売価格は40万円程度で発売された。
また、「5年間はハードの基本仕様を変えない」という方針が当初から決められていた。
これらの機能を実現するための膨大な回路の実装には積極的にカスタムLSIが採用された。初代機ではそれぞれビーナス1・ビーナス2(CRTコントロール)、VSOP(ビデオコントローラー)、シシリアン(I/Oコントローラー)、ET(メモリーコントローラー)、シンシア・シンシアJr.(スプライトコントロール)のコードネームが付けられていたものが使われた。試作機段階ではこれらの機能を全て標準ロジックICで実装したとされ、その容積は19インチラック1本分に上ったとされている。
こうした設計から、ホビー向けマシンとしてその機能を生かしたソフトウェアやハードウェアなどを自作するマニア層を中心に、当時としては安価なコンピュータグラフィックス(CG)制作機として映像作品を創作する者もいた。同様に、ゲームソフトウェアも多く作成され、アーケードゲームの移植も多数リリースされたことから、コアなゲームユーザーなどにも支持されていた。
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こうした設計から、ホビー向けマシンとしてその機能を生かしたソフトウェアやハードウェアなどを自作するマニア層を中心に、当時としては安価なコンピュータグラフィックス(CG)制作機として映像作品を創作する者もいた。同様に、ゲームソフトウェアも多く作成され、アーケードゲームの移植も多数リリースされたことから、コアなゲームユーザーなどにも支持されていた。
このように、ビジュアル的なパフォーマンスでは強烈なインパクトを示した機体だったが、実務面では既にPC-9800シリーズがビジネス向けパソコンの主流として納まっていた背景もあり、オフィス系(実務・応用)アプリケーションソフトへの対応状況などは比例して芳しくなかった。その一方で教育・組み込み向けなどへの営業展開もなされていた。一部のアーケード(業務)用ゲーム機の筐体に組み込まれたり、PROシリーズなどが業務用組込みシステムの開発用途に着目され、Forks社などからX68000での動作を前提にしたOS-9環境で動作するLANボードなどの周辺機器が発売されたこともある。通勤電車の行き先電光板の制御用として使われた実例もあった。教育分野では、ゲームクリエイターを育成するために、専門学校の実習機としても採用されていた。
プログラミング環境の整備に力が入れられており、専用のC言語コンパイラが安価な価格で提供された。標準で付属しているBASICであるX-BASICが、BASICとしては非常に独特の、C言語風味の言語仕様であり、X-BASICからC言語への変換ツールや、プログラミング上問題になりやすい差異について検出する構文検査ツールなどが提供されるなど、BASICからCへのユーザーの移行が考えられていた。また、システムコール及びハードウェア構成、それぞれのハードウェアへの機械語レベルでの直接アクセスの方法とそれぞれのペリフェラルが持つレジスタの意味と動作の全てが公開された。
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やがて、動作クロック16MHzの高速化機種であるX68000 XVI(エクシヴィ)発売を経て、X68030が発売された。実質的な最終機種である同機が発売された1993年頃には、DOS/VやMS-Windows 3.1などのOSが搭載されたPC/AT互換機やCD-ROMドライブユニットがそれぞれ普及し始めていた。しかし、本シリーズはソフトウェアのメディア供給が依然としてフロッピーディスクのみで、その大半が5.25インチの2HDだった。それを打開するため、SCSIのCD-ROMドライバがサードパーティーやフリーソフトで開発された。ただし、一部のCD-ROMドライブでは正常動作しないなど制約も多かった。X68000シリーズ対応のCD-ROMを媒体としたソフトウェアもわずかながら発売された。またこの頃には、国産機としては初めてMPEG(MPEG-1)による動画再生(MPEGエンコーダボードを拡張スロットに装着し、OSはOS-9/X68030にてVideo CDの視聴)を実現している。
キャッチコピーは「夢を超えた」(初代)、「アートの領域へ」(ACE)、「夢の続きを語ろう」(EXPERT / PRO)、「父のパソコンを越えろ」(XVI)、「夢の、頂きへ」(X68030)など。イメージキャラクターはツタンカーメン(X68000)、火の鳥(X68030)など。
なお、当時のシャープ顧問だった宮永好道によると、シャープが本機を出す際に一番気にしていたのは、「他のやらない事をする」社風のソニーの出方だったという。これは杞憂に終わったが、後にソニーはVAIOシリーズでその持ち味を出して来た、と自著で語っている。
X68000の筐体は「マンハッタンシェイプ」と称する樹脂製の左右分割ツインタワー型デザインとなっており、片側には主にオートイジェクトが可能な5.25インチ2HD対応のフロッピーディスクドライブ(FDD)2基と電源ユニットを搭載。ACE以降の機種では、更にハードディスクドライブ(HDD)の取り付けスペースが設けられており、HDD搭載モデルではそこに取付金具とともに搭載されている。反対側のタワーにはメインボードと共に拡張I/Oスロットを2基搭載した。2つのタワーの間にはポップアップハンドルを内蔵し、底部が連結されてそこに各種I/Oポートが実装されるサブ基板が搭載されていた。
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この特徴的なCZ-600CEのデザインは純正のセットで1987年度のグッドデザイン賞に選ばれている。このデザインは初代から、後継機のACE・EXPERT (II)・SUPERに受け継がれた。高速化されたXVI、X68030では基本的なシルエットはそのままに、縦置きの10MHz機よりも角の強調されたデザインとなっている。
マンハッタンシェイプという名前は、当時アメリカ合衆国ニューヨーク市のマンハッタン島に存在したワールドトレードセンターのツインタワーの景観を連想させる事から名付けられた。なお、このツインタワーは、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件において倒壊している。
付属の専用マウスは上部の蓋を外すとトラックボールとしても使用可能。マウス端子は本体に1つ、専用キーボードに2つあった。PROシリーズはこれとは異なるPC然とした横置き筐体で、他モデルとデザインの異なる専用キーボード及びX1turboZ付属のものと同じマウスが付属し、拡張I/Oスロットを4基搭載したものとなっている。価格も縦置きのものと比較し安価に抑えられ、拡張性を強化した廉価版としての側面を持っていたが、従来の縦置きシリーズとは回路設計がやや異なる部分があり、SCSIボードの「Mach-2」など、非対応とされたハードウェアも少なからずあった。
XVI並びにX68030でラインナップされたCompactシリーズはオートイジェクトが可能な3.5インチFDDを搭載、プラスチック製で縦置きであるが非ツインタワー型で、専用キーボードはテンキーを省いたもの、マウスはPROと同じものが付属した。
ボディ色はグレーまたはブラック、SUPER以降はチタンブラックのみとなった。「X68000」のバッジは金色、Compactでは白色印刷、「X68030」のバッジは赤。
特徴ある外観の為、2016年公開のアニメーション映画『君の名は。』に描かれていることをシャープ公式ツイッターがツイート。その後、新海誠監督本人も劇中の画像付きで該当シーンをツイートしている。
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X68000
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ボディ色はグレーまたはブラック、SUPER以降はチタンブラックのみとなった。「X68000」のバッジは金色、Compactでは白色印刷、「X68030」のバッジは赤。
特徴ある外観の為、2016年公開のアニメーション映画『君の名は。』に描かれていることをシャープ公式ツイッターがツイート。その後、新海誠監督本人も劇中の画像付きで該当シーンをツイートしている。
CPUには当時のMacintoshなどと同じモトローラのMC68000を採用した。動作クロック周波数は10MHzで、無印、ACE、EXPERT、SUPERまではセカンドソースの日立製作所製HD68HC000が使用された。当時CMOS版のMC68000を生産していたのは日立だけだった。
搭載されたMC68000は、外部データバスが16ビット幅だったためモトローラは16ビットCPUと位置付けていたが、内部設計は32ビットであり、直交性の高い命令セットを特徴とした、同時代のCPUとしてはアセンブリ言語が扱いやすいアーキテクチャーだった。
X68000にはFPUとしてMC68881が使用可能であり、拡張スロットに装着するものが純正品としてシャープから発売されていた。
毎年高速化されていく他機種を横目に、4年を経てようやく、基本性能はそのままでクロック周波数が高速化されたXVIが登場した。このXVIと次のCompact XVIではモトローラ社製のMC68000が使用され、クロック周波数が16/10MHzの選択式になった。またFPUはメイン基板に専用ソケットが搭載された。
なおXVIの発売をきっかけとして従来の10MHz機やXVI・Compact XVIのクロック周波数を高速化する改造がBBSや雑誌で公開され、ユーザーの間で流行した。
MPUは、Compact以外はソケットに実装されていたため交換が容易で、HD68HC000搭載機ではモトローラ純正MC68000に交換も行われた。さらに、変換基板を自作してのMC68020搭載を試みた者もいた他、製品としても、倍速ボード、MC68EC030アクセラレータなどもリリースされている。
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MPUは、Compact以外はソケットに実装されていたため交換が容易で、HD68HC000搭載機ではモトローラ純正MC68000に交換も行われた。さらに、変換基板を自作してのMC68020搭載を試みた者もいた他、製品としても、倍速ボード、MC68EC030アクセラレータなどもリリースされている。
メモリー空間は、MC68000が利用可能な16MBのうち、主記憶空間として12MBを使用することができた。この主記憶領域はリニアアドレシングが可能であり、また、領域を指定しスーパーバイザー領域とする事で、アプリケーション側からアクセス禁止にすることも可能だった。
標準では、初代・ACE・PRO・PRO IIは1MB、その他は2MBを搭載していた。シャープからは拡張スロットに差すタイプの4MBの拡張メモリーボードが発売されていたが、後に他社から8MB以上のメモリーを装備したものが発売された。X68000のメインメモリーは拡張スロットを介したものを含め、すべてノーウェイトアクセスであるが、動作クロックの上昇したXVI・Compact XVI以降の機種では、10MHz動作の汎用拡張スロット経由でのノーウェイトアクセスは不可能だったため、本体内部に8MBまで増設可能なメモリーソケットも用意された。ただし、この場合12MBまで増設するには8MB以降は拡張スロットによる増設となるため、この4MBをアクセスする場合は多大なウェイトが挿入されることとなり、これによる速度低下を回避するため、この領域をRAMディスクとして使用するなどして、この範囲にコードが置かれることを回避する使用法もあった。
X68000は全機種でメモリーバックアップ機能を持つ16KBのSRAMを内蔵し、メモリースイッチの設定を保存するほか、RAMディスクとしての使用やSRAMからのシステム起動も可能だった。ただし、SRAM領域は通常は書き込み禁止に設定されており、プログラムの暴走など万一の事態でも書き換わる事はまず無いとされたが、PRO系の機種ではSRAM回りの設計に難があり、通常使用でもSRAMに書き込まれているデータが破損することがあった。一方、このSRAM領域を利用して潜伏・感染するコンピュータウイルスも存在した。
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グラフィック画面表示用のVRAM(フレームバッファ)は512KBを搭載している。これを使用して、256×256または512×512×最大16ビット(65,536色)、768×512×最大4ビット(16色)の表示が可能である。また、CRTCのレジスタを直接操作することにより、1,024×768×4ビットの表示や640×400に近い解像度、384×512などでの表示も可能である。
グラフィックVRAMへのアクセスには、領域として全2MB(1,024ドット×1,024ライン×16ビット)が予約されているが、実際に搭載されている512KBのVRAMは、画面モードによらず常に1ワード(16ビット)=1ピクセルとなるように512KB - 2MBのメモリ空間に配置される。すなわち、16色ならば、2MBのメモリ空間の下位4ビットが有効になり、256色表示ならば、1MBの領域の下位8ビット(残り1MBの領域は無効)、65,536色表示であれば先頭の512KBの領域で全16ビットが有効になるという仕組みである。これによりピクセル単位のカラー操作を容易なものとしていた反面、多数のピクセルを書き換える際にアクセス速度の点では不利だったが、のちにデータ転送時のみグラフィックVRAMの構成を切り換えて隙間なしでデータ転送するテクニックが登場した。
また、グラフィック画面だけで独立した面(プレーン)を最大4プレーン(512x512ドット 16色時)持つことができた。16色モード時には1,024×1,024ドット1プレーンまたは512×512ドット4プレーン、256色モード時には512×512ドット2プレーン、65,536色モード時には512×512ドット1プレーンという構成で、複数のプレーンを重ねあわせて表示することができる他、半透明機能があった。また、それぞれ独立に上下左右がつながった球面スクロールが可能となっている。
同時代のパーソナルコンピュータとして標準的な環境での解像度は640×400ドット16色であり、この表示に必要なVRAMは128KB弱であることからも、X68000の圧倒的な画像処理能力がうかがえる。X68000の65,536色は下表の形式の16ビットによって構成されており、RGB各5ビットによる32768色と輝度ビット(半段階の明るさ調整)によって実現されている。
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同時代のパーソナルコンピュータとして標準的な環境での解像度は640×400ドット16色であり、この表示に必要なVRAMは128KB弱であることからも、X68000の圧倒的な画像処理能力がうかがえる。X68000の65,536色は下表の形式の16ビットによって構成されており、RGB各5ビットによる32768色と輝度ビット(半段階の明るさ調整)によって実現されている。
(G:緑、R:赤、B:青、I:高輝度)
グラフィック画面は、上記の他、高速クリアなどの画面制御機能はあったものの、基本的にはMPUの直接制御によって図形描画が行われた。同時代の主な16ビット以上のパーソナルコンピュータで、グラフィックディスプレイコントローラーを採用しラインや多角形、塗り潰しなどの簡易的な描画機能が搭載されていた点とは対照的である。これは当時、安価なグラフィックディスプレイコントローラーのハードウェア描画機能がまだ貧弱であり、速度的にも充分なものでなく、かつ実装及びプログラミング上の制約が大きかったためと推測される。後にPC-9800シリーズでもこの問題から、グラフィックチャージャーと称してX68000同様のピクセル演算機能を実現して、性能の向上を図っている。
いわゆるキャラクタ単位のテキスト画面は用意されず、グラフィック面とは別に512KBのビットマップVRAMが用意されていた。
X68000のテキスト面はプレーンドピクセル方式のビットマッププレーンであり、同時代の標準的なパーソナルコンピュータのグラフィック画面に相当する情報量と表現力を持っていた。ビットマップによるテキスト表示は、その表現力と引き換えに、キャラクタ型VRAMと比較すると負荷が重い(遅い)ものであるが、X68000のテキストVRAMには同時プレーンアクセス機能やラスタコピー機能、ビットマスク機能などの画面制御機能が用意されており、CPUの処理を大幅に軽減することが可能となっていたため、十分な速度を得ることができた。
テキストVRAMは4プレーン存在するが、通常、そのうち2プレーンはマウスカーソルとソフトウェアキーボード、電卓の表示に使用されるため、テキスト表示は2プレーンで行われることが多い。
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テキストVRAMは4プレーン存在するが、通常、そのうち2プレーンはマウスカーソルとソフトウェアキーボード、電卓の表示に使用されるため、テキスト表示は2プレーンで行われることが多い。
テキスト表示用にフォントパターンをROMに搭載している。このCGROMに搭載されている文字種は、16×16ドットのJIS第1/2水準漢字に加え、24×24ドット、12×12ドットのJIS第1/2水準漢字(非漢字752文字、第1水準漢字3,008文字、第2水準漢字3,478文字)である。このほか、ビットマッププレーンを生かし、ユーザー定義のフォントを使用することも可能だった。
通常の16ドットフォントを使用した際のテキスト表示は半角で96文字×32行であるが、VRAM自体は1,024×1,024ドットの広さを持っており、これを利用してSX-Window Ver.3.xでは起動時オプションの指定で最大1,024×848(インターレース)での表示が(隠し機能的に)可能なほか、CRTCのレジスタ操作と入力周波数の物理的な変更により、1,024×1,024ドットのフルスクリーン表示なども実現されている。なお、インターレース表示での高解像度画面は、長残光CRTを使用しないかぎり、ちらつきが著しく実用に耐えない。そのため、X68000 Compact XVIやX68030ではSX-Windowの640×480表示用に追加搭載された50MHzのクロックオシレータをより高周波数のもの、具体的には80MHzや100MHzのものに交換し、高解像度対応のCRTと組み合わせてSX-Windowの高解像度表示を実用的なものとすることが『Oh!X』誌で紹介され、一部でこの改造が流行した。
このテキスト面は前述の画面制御機能が使用できるほか、1ワードで最大16ドット、ロングワードで32ドットの書き換えが可能となるため、用途によってはテキスト画面をグラフィック画面代わりに使用し、他機種からのゲーム等の移植にも使われた。ビジュアルシェルやSX-WindowもテキストVRAMで実現されている。
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このテキスト面は前述の画面制御機能が使用できるほか、1ワードで最大16ドット、ロングワードで32ドットの書き換えが可能となるため、用途によってはテキスト画面をグラフィック画面代わりに使用し、他機種からのゲーム等の移植にも使われた。ビジュアルシェルやSX-WindowもテキストVRAMで実現されている。
その他には、16ドット×16ラインで65,536色中16色、同時表示枚数128枚の「スプライト機能」と「BG面」を持っている。これは、特にアクションゲームやシューティングゲームの作成に非常に有効だった。スプライトとBGのパターンデータは共用であり、VRAMとは独立した16KBの高速SRAMを使用していた。
スプライト以外の、これらの全ての画面を合わせると、最大で7枚(グラフィック4枚+テキスト1枚+BG2枚)もの独立スクロール機能付きの画面をハードウェアで合成表示することが可能だった。
他には、パソコンとしては珍しく「走査線(ラスタ)割り込み」を可能としていた。なお、ライバルと目されたFM TOWNSは、HSYNC(水平同期信号)を検出することは可能だったが、それを割り込みトリガには出来なかったため、一般にラスター割り込みを使うエフェクトは、他の手段で再現していた。
また、専用端子へ接続するカラーイメージユニットを使用することにより、当時としては先進的な、ビデオ信号のキャプチャが可能だった。
X1のパソコンテレビの機能も受け継いでおり、テレビチューナー付の純正の専用モニタでは、チャンネル操作やスーパーインポーズなどのテレビコントロールも可能だった。
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また、専用端子へ接続するカラーイメージユニットを使用することにより、当時としては先進的な、ビデオ信号のキャプチャが可能だった。
X1のパソコンテレビの機能も受け継いでおり、テレビチューナー付の純正の専用モニタでは、チャンネル操作やスーパーインポーズなどのテレビコントロールも可能だった。
サウンド機能として、4オペレータ、ステレオ最大8音同時発声できるFM音源 (YM2151)とモノラル4bitで3.9、5.2、7.8、10.4、15.6kHzの周波数でサンプリングできるADPCM(沖電気製MSM6258)を標準で搭載した。YM2151の定格入力周波数は3.58MHzであるが、本機ではX1に合わせ4MHzが入力されており、CZ-8FB03(New Z-BASIC)のMMLでは容量を除きX-BASICのMMLと互換性があった。チップの定格と異なる為、アーケードゲームの移植の際、音程がずれたまま発売されている物もある。デモンストレーションでは「喋る」という形で音声の利用を前提とした留守番電話用のチップであるMSM6258はチップの出力はモノラルであったが、YM2151と合わせ、左、中央、右に出力を定位させることができた。
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ADPCM(適応的差分パルス符号変調)は、サンプリング周波数こそ変えられ、前述のように定位する場所は指定できたものの、出力音量は固定であり、音程と呼べるほどの音程の指定もできず、音質も楽音を前提としたチップと比較して高いとは言えなかった。ゲームソフトなどでは効果音などとしても使われることから始まり、シンセサイザ然としたFM音源を補う形で同期再生し、パーカッションなどとしての利用や、更にアタックを左右に振り、リリース部分を中央で再生することで5方向に定位して聞こえるような実装の工夫が行われた。また、ソフトウェア的な合成により発声数を増やす試みや、更にソフトウェア合成時に音程、音量を調整できるMPCM.Xや、同様の機能を追加したPCM8A.Xなど、個々にデータが必要だった音量、音程指定という弱点についても本体の高速化などもあり、ある程度の実用性をもって補われた。前述のとおり、MSM6258の出力はモノラルであるため、発声数を合成によって確保した場合には三か所のどこかに全ての出力が定位する形となる。また、ADPCM部のステレオ再生への試みとしては、左右への音声出力を高速にに切り替える手法、片方をADPCM、片方をOPMによる再現によって実現する手法などが発表されている。
リニアPCMを扱うことはできないが、ハードウェアとして扱えるようにしたボードや、FM音源に対し矩形波の近似波形を音色として設定しチップの応答速度限界付近の出力を制御し、DACとして利用することで、PCMとして利用するソフトウェア等も存在している。
同時期のPCの標準音源としてはリッチな部類であり、アーケードゲームで採用例の多かったYM2151とADPCMの構成はゲームソフトウェアでの高い再現性を実現すると共に、後述の音源ドライバの存在などによってユーザーも多くのデータを作成するに至った。またX1と異なり他の実装に近い(オクターブ指定など読み替えれば済む程度の)X-BASICのMMLは雑誌への音楽プログラムの投稿や掲載にも繋がっている。
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同時期のPCの標準音源としてはリッチな部類であり、アーケードゲームで採用例の多かったYM2151とADPCMの構成はゲームソフトウェアでの高い再現性を実現すると共に、後述の音源ドライバの存在などによってユーザーも多くのデータを作成するに至った。またX1と異なり他の実装に近い(オクターブ指定など読み替えれば済む程度の)X-BASICのMMLは雑誌への音楽プログラムの投稿や掲載にも繋がっている。
それ以外にも外部音源モジュールを制御するMIDIボードなども純正ハードウェアとして発売されており、ゲームソフトでは外部モジュールを使用したリッチなBGMを実現したものや、本体側の音源と同期演奏するようなものもあった。後述のようにそれらを活用するツールやドライバの類も充実することとなった。
他には本体の電源を制御する機能がついており、ソフト上から時間を指定して電源をON/OFFすることが出来た。このため、現在のPC/AT互換機でのATX/BTX筐体のように、前面の電源スイッチとは別に背面に主電源スイッチがあった(Compact / PRO / PRO IIを除く)。さらに正面電源スイッチのほかに背面にリモート電源端子があり、マグネットコイルリレーなどの外部スイッチより起動することも可能だった。また、4チャンネルのDMAも搭載していた。
キーボードは80C51を内蔵したシリアル制御で、キーボードの特定のキーに内蔵されたLEDをソフトウェア的に制御することも可能だった。
本体の背面には10MHz動作の汎用拡張スロットが用意され、各種拡張カードや増設メモリカードなどの搭載が可能だった。
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キーボードは80C51を内蔵したシリアル制御で、キーボードの特定のキーに内蔵されたLEDをソフトウェア的に制御することも可能だった。
本体の背面には10MHz動作の汎用拡張スロットが用意され、各種拡張カードや増設メモリカードなどの搭載が可能だった。
ジョイスティックポートは同時代に標準的となっていたD-sub9ピンのATARI規格準拠のものであり、電源ピンを持つ、MSXなどと同じピンアサインに変更された。このジョイスティックポートは縦型の機種では本体前面と背面に1ポートずつ、PRO系では前面に2ポート設置されていた。プリンターはセントロニクス仕様準拠のパラレルポートで、同時代の一般的なPC-9800シリーズのプリンターポートがそうだったように、入力はBusy信号のみの、事実上出力のみに特化した仕様のものが実装されていた。コネクタはX1同様のMIL-C-83503に準拠した俗に言うMILタイプ圧接コネクタだった。さらに、RS-232C上位規格のRS-232Eに準拠したシリアルポート、FDDの増設端子などのコネクタも標準搭載した。
また初代機からSASI相当のハードディスクドライブ(HDD)増設端子を備えており、純正のX1turbo用増設ドライブの他、PC-9801用のSASIハードディスクを流用できた他、後に有志が公開したドライバによってSCSIとして使用することもできた。
HDD増設端子はX68000 SUPERからはSCSI端子に変更された。ACE以降は本体内にHDDを内蔵するスペースがあり、マウンタ等は設置されていないものの、保守部品として別途入手し工作することで内蔵することが可能であった。また、拡張SCSIインターフェイスは内蔵インターフェイスとハードウェア的には別の実装になっていることから、ドライバなどを除けば直接ハードウェアを制御するソフトウェアは少なく、純正ボードと全く異なるハードウェアであるMach-2/Mach2pなども、ROM上のソフトウェアがその差異を吸収している。便宜上、拡張ボード、内蔵デバイスと検索されるため、拡張ボードを使用した場合は内蔵デバイスが無効になる。これらをソフトウェア側で別IDを与え、併用するTwoSCSIというソフトウェアも開発された。
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SCSI機器はSCSI端子を持つX68000に接続して利用できるはずだが、ある一時期に発売されたSCSI機器はX68000に接続しても認識できない問題が少なくなかった。この問題には、終端抵抗の有無(SCSI機器末端の終端抵抗を取り外すことで動作する機器も存在した)といった電気的特性の他、NECが発売していたPC-9801-55ボードや同時期のPC-9800シリーズ本体内蔵SCSIには1台目SCSI機器のベンダID先頭3文字がNECでないと起動しない制限、俗に言う「NECチェックの巻き添え」に起因するものがあり、パソコン通信を中心にSCSI機器動作確認情報の交換が行われていた。
初代機からX68000 XVI(PROを除く)までは立体視端子(STEREOSCOPIC端子)も装備されていたが、対応ソフトは電波新聞社から発売されたセガの『ファンタジーゾーン』のみで、利用するための専用ハードウェアが発売されることはなく、満開製作所がファミリーコンピュータ用「3D SYSTEM」をX68000の立体視端子に接続するためのアダプタセット(立体視端子を持たないPROやCompact、X68030にも対応)を発売するだけにとどまった。なお『ファンタジーゾーン』が発売された時には満開製作所のアダプタは発売されておらず、電波新聞社発行のマイコンBASICマガジン等でアダプターの自作が紹介された。
また、拡張カードを自作・試作するためのユニバーサルカードが、サンハヤト等から発売されていた。またX68000の拡張カードの仕様はPC-9801用の拡張カードの大きさと概ね寸法が近似していたため、X68000用のユニバーサルカードが入手が難しい場合には、PC-9800シリーズ用の物を電源及びグランドのパターンにパターンカットを施し、部品面 / 配線面を裏返しに用いることにより流用できた。
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また、拡張カードを自作・試作するためのユニバーサルカードが、サンハヤト等から発売されていた。またX68000の拡張カードの仕様はPC-9801用の拡張カードの大きさと概ね寸法が近似していたため、X68000用のユニバーサルカードが入手が難しい場合には、PC-9800シリーズ用の物を電源及びグランドのパターンにパターンカットを施し、部品面 / 配線面を裏返しに用いることにより流用できた。
本体内蔵のROM(容量512KB)には、CP/MのBDOSやMS-DOSのIO.SYS、MacintoshのToolBoxなどに相当する基本入出力システムIOCS (Input Output Control System) を搭載、これを活用する標準添付のオペレーティングシステム(OS)としては、ハドソンとSHARPがMS-DOSを参考に開発したCUIベースのHuman68kが標準添付されていた。このHuman68kは、単にユーザインタフェースのルック&フィールがMS-DOSに酷似しているだけではなく、システムコールのファンクションもMS-DOSとほぼ同等だった。
MC68000MPU特有の特権モード(スーパーバイザモード)を生かし、一部システム領域を、アプリケーションからのアクセスから保護する機能も有していたため、アプリケーションエラーを検出し、実行を停止させることもできたが、OSとして特権モードとユーザーモードの分離が十分でなく、その後システムに復帰できるかどうかは運頼みの側面もあった。
Human68k上で動作する独自のGUIを取り入れた簡易的なウインドウシステムであるビジュアルシェルが付属していたが、後により洗練されたウインドウシステムであるSX-Windowによって置き換えられ標準添付となった。
言語としては、BASICを独自にC言語ライクな構文表記に拡張したX-BASICなども付属していた。X-BASICで作られたプログラムはC言語に変換してコンパイルすることも可能である。
日本語入力ソフトとしてはASK68kというFEPが添付されていた。同時代の水準と比較してその変換精度にはやや難があったが、細部に目を移せば、ローマ字かな変換モードで「X」1文字で「ん」を入力できるといった操作体系や、あらかじめ日本語処理を意識して設計されたキーボード上の専用キーとの親和性は高かった。
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日本語入力ソフトとしてはASK68kというFEPが添付されていた。同時代の水準と比較してその変換精度にはやや難があったが、細部に目を移せば、ローマ字かな変換モードで「X」1文字で「ん」を入力できるといった操作体系や、あらかじめ日本語処理を意識して設計されたキーボード上の専用キーとの親和性は高かった。
X68000初代から日本語ワープロソフトwp.xが標準で添付されていた。機能的にシンプルでやや安定性に欠けていたものの、文書を書いて印刷するための最低限の機能は備えており、動作も軽いほか、メモリが許す限りファイルを同時に扱ったり、子プロセスを立ち上げられたりなどもできた。
SX-Windowでは、Ver.3.0以降wp.xに代わり、シャーペン.xというエディタが付属した。シャーペン.xは基本的にテキストエディタだが、各種フォント(書体倶楽部などのツァイト(Zeit)社製ベクトル/アウトラインフォントおよび書家万流など一部のシャープ製SX-Window用アプリケーショ同梱のアウトラインフォント)に対応するなどSX-Window Ver.3.0で拡張された機能をフルに生かすソフトとなっていた。また、多彩な表現力を備えるだけではなく、Human68kのCOMMAND.Xに相当するコマンドシェルを「コンソール」モードとして実装するなど、自在なカスタマイズの可能なものとなっていた。このシャーペン.xはSX-Window環境で標準添付あるいは市販されたものとしてはほぼ唯一のエディタ(後にフリーウェアとしてMuleなどが移植された)であり、他に選択肢が無かったこともあり、SX-Window上ではあらゆる用途で使用できるものとなっていた。
1993年3月に発売されたX68030(エックス ろくはちまるさんまる)シリーズ(型名はCZ-500 / CZ-300シリーズ)は25MHzのMC68EC030を搭載したX68000の後継機種。名実ともに32ビットパソコンとなった。5インチFDDを装備するX68030 (CZ-500) と、3.5インチFDDを装備するX68030 Compact (CZ-300) の2機種が発売された。
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1993年3月に発売されたX68030(エックス ろくはちまるさんまる)シリーズ(型名はCZ-500 / CZ-300シリーズ)は25MHzのMC68EC030を搭載したX68000の後継機種。名実ともに32ビットパソコンとなった。5インチFDDを装備するX68030 (CZ-500) と、3.5インチFDDを装備するX68030 Compact (CZ-300) の2機種が発売された。
X68000発売当初は、次のMC68020以上のMPUを積む32ビットパソコン化の際は、大幅なアーキテクチャの拡大と改良が予定された。そのために移植性に優れたCコンパイラが安価に提供され、うまく行けば、ユーザーは既存のプログラムを再コンパイルするだけで32ビットパソコンへとスマートに移行できるはずだった。アセンブラレベルであっても、互換性に優れた上位プロセッサの恩恵を受け、趣味としての充分な時間と労力の中で問題にならない程度の一部の書き換えで事は済むはずだった。しかし、MC68EC030の採用に留まり、かつ後述されるわずかな改良に留まった。旧X68000シリーズとのソフトウェア互換性も低く、実質はX68000のソフトウェアも動作可能である 68EC030パソコンであった。
主記憶は標準で4MBとなり、内蔵の専用メモリーソケットに12MBまで搭載可能だった。MC68030 / MC68EC030は4GBのメモリー空間を持つが、X68030ではX68000のアーキテクチャを引き継ぎ互換性の維持を優先した結果、このメモリー空間の12 - 16MBの領域にメモリーマップドI/OやVRAMが配置され分断された。このことにより、セグメントによる制限のないリニアアドレッシングが売りの68系コンピュータでありながら、インテルの86系16ビットコンピュータの「640KB / 768KBの壁」などと同様の状態を生み出すこととなった。
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なお、X68030シリーズでは通常のDRAMではなく、より高速にアクセス可能な日立製作所製スタティックカラムモードDRAMが採用された。これによってシステムタイミング上ではページ間をまたぐアクセス(1ウェイト挿入)以外については0ウェイトでのメモリーアクセスが可能であった。市販PCでこのメモリーを標準搭載したのは本シリーズが事実上唯一であった。FPUソケットも用意され、PLCC版のMC68881や、より高速なMC68882を追加できるようになっていた。MPU周辺回路の特徴を挙げると、内部標準搭載メモリーの動作クロック向上かつ 32ビットバスへの接続の結果、従来よりも高速なアクセスが可能となった。一部の周辺 I/Oなどが従来より高速動作可能となった点で性能改善が見られた。また、DMAコントローラーに従来よりも高速なものが使用されていた。
その他の、特にこのパソコンのセールスポイントとなるべきグラフィックス回路は、X68000のものを踏襲したままとなった。よって旧来の 16ビットバスで接続され、アクセス時にオーバーヘッドが発生しやすく、高速化された MPUに追従し切れていないアンバランスな設計となっていた。
内蔵ハードディスクはどちらのモデルにもSCSIの2.5インチタイプのものを使用するようになっていた。
XVIのような動作クロックの切り替えスイッチはなく、起動時にキーボードのXF3~ XF5キーを押したままとすることでMPUの動作速度を旧機種と相当する速度から最高速度までの3段階(XF-3=10 MHz、XF-4=16 MHz、XF-5=25 MHz)に変更できるようになっていた。
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内蔵ハードディスクはどちらのモデルにもSCSIの2.5インチタイプのものを使用するようになっていた。
XVIのような動作クロックの切り替えスイッチはなく、起動時にキーボードのXF3~ XF5キーを押したままとすることでMPUの動作速度を旧機種と相当する速度から最高速度までの3段階(XF-3=10 MHz、XF-4=16 MHz、XF-5=25 MHz)に変更できるようになっていた。
バンドルされるDOSのHuman68kは先述のデバイスタイプ定義に伴う内部的な仕様の変更や、ネットワーク対応などを前提としたファイルシステムの拡張が施されたバージョン3.0となった。さらに、SX-Windowもバージョン3.0となり、ベクトルフォント対応などの機能強化と内部処理の高速化、それにテキストエディタ「シャーペン.x」の添付などにより実用性の向上が計られた。なお、X68030では従来のX68000用ソフトとの互換性維持のため、Fライン例外処理を行っている部分をAライン例外処理へ変更するなどの修正を実施した、Human68kバージョン2.15がROMに内蔵されており、上述のXFnキーとの組み合わせでフロッピーディスクから起動される、市販された全ての旧バージョンのHuman68kを自動判別して、ロード時に68030対応のHuman.sysと動的に差し替えると同時にCPUキャッシュの機能を停止するいう互換性向上機能が実装されている。
MC68EC030はソケットによって実装されており、ユーザがより高速な33MHz版のMPUに差し替えたり、MMUを内蔵するMC68030に換装することが可能となっており、交換された場合、起動時にMMUの存在が認識、表示されるようになっている。後に、MC68040や、MC68060を搭載するためのアクセラレータが他社から発売された。クロック変更のためのパターンが基板上に記されている、起動時の POST表示にてで定格よりも高速な動作クロック周波数や標準では搭載されていないMMUの有無が自動判別されて表示される機能も組み込まれ入れていた。専門誌である『Oh!X』では発売と同時により高速な速度で駆動させるための改造記事が公開されていた。
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FPUが通常のPGA版ではなくPLCC版とされたのは、当時このタイプのMC68882がMacintosh LCシリーズなどでサポートされており、店頭での入手が容易だったことに配慮されたためだったという。もっとも、このFPUは標準OSであるHuman68k上ではソフトウェアによる浮動小数点演算ドライバであるfloat2.xと共通のAPIでアクセスするfloat4.x経由でのアクセスとなったためオーバーヘッドがあった。
後に、16MB以上の空間にSIMMメモリを増設するボードが他社から発売され、これとMC68030のMMUを活用しハイメモリ空間にメインメモリを配置することも可能となった。なお、Human68kバージョン3.0でのプログラミングでは16MB以上のメモリー空間は、予約済み領域とされアドレスの上位1バイトはゼロで埋めることが要求されている。これは、将来16MBを超えるメモリー空間を利用する際に互換性を確保するためであった。
FPUのオーバーヘッドの問題も FPUを直接使用するようにプログラムされたプログラムが発表されるようになって、その問題は解決されていった。
5インチモデルの筐体のマウンタの取り付け位置はXVIなどと共通になっているため、XVI用のマウンタを保守パーツで購入するか、X68030用のものは穴を開けることで3.5インチのHDDも固定することが可能である。ただし、電源や、信号ケーブルのピッチなどが異なるため、別途変換するなどして配線する必要がある。
SCSIインターフェイスは電気的にはSCSI 1規格準拠のままだったが、CCS (Common Command Set) の制定によりソフトウェアレベルでの互換性確保が可能となり、またデバイスタイプが明確に定義されたことから、従来はデバイスタイプをドライブの側でHDD互換としなければブートできなかった、光磁気ディスクドライブなどのリムーバブルメディアからのOSブートがサポートされた。
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SCSIインターフェイスは電気的にはSCSI 1規格準拠のままだったが、CCS (Common Command Set) の制定によりソフトウェアレベルでの互換性確保が可能となり、またデバイスタイプが明確に定義されたことから、従来はデバイスタイプをドライブの側でHDD互換としなければブートできなかった、光磁気ディスクドライブなどのリムーバブルメディアからのOSブートがサポートされた。
従来機との互換性については前述の互換機能をもってしても起動すらままならなかったり、動作中に異常終了するなど正常に動作しなかったりして、パッチ適用など大幅な修正が必要なソフトが多く、この機種を購入するユーザーはたいていは旧機種である X68000を所有していたことから、わざわざ互換性の乏しいこの機種で X68000用のソフトウェアを実行させるよりも、本来のX68000で実行する、というケースがほとんどだった。
また、このパソコンのMPUをMC68030に差し替えることでMC68030が内蔵するMMUにより本格的な仮想記憶に対応したNetBSD等のUNIX互換OSも有志の手で移植された。
このようにある程度の盛り上がりを見せたが、当時既に68000系プロセッサの優位性は、MIPSアーキテクチャなど高性能なRISCの台頭で失われており、さらに80386から始まったインテル製の32ビットプロセッサファミリーとの競合でも不利になり始めていた。実際に、かつて68000系MPUを採用したEWS等では80386や80486との差別化をより決定的にできるRISCプロセッサへの移行が進んでおり、AppleのMacintoshなど68000系のMPUを採用する機種では、前月にMMU内蔵のMC68030 25MHzと4MBのRAM・HDDを搭載したMacintosh LC IIIがより安く発売されたり、本体基本価格をかなり高く設定できる業務用の上位機種には、より高速なMC68040が搭載されていた。つまり個人がホビー用途として購入できる価格帯に、メーカー標準出荷状態で68000系MPUの最新のものを搭載することはコストの問題から事実上不可能だった。最終的にはきわめて特殊なパソコンとなり、価格も高価であったことから販売が振るわず、X68000シリーズは終焉を迎えることとなった。
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1988年、マルチタスクリアルタイムオペレーティングシステム(OS)としてMicroware社のOS-9/X68000が発売された。OS-9/68Kの単一機種売り上げでは世界記録を樹立するが、当時poor man's UNIX(プアマンズ・ユニックス、貧者のUNIX)とまで言われた、個人所有可能なUnix系環境としては当時ほぼ唯一と言ってよかったOS-9自体や、OS-9上で主流を占めるUnix系由来のツール環境に馴染むユーザーの絶対数が少なく、X68000ユーザーの間で広く普及することはなかった。その後、Ver.2.4が発売された。そして、X68030の登場とともに1993年にはMicroware社よりOS-9/X68030及びX11R5 for OS-9/X68030が発売された。Microware社から発売された OS-9/X680X0用X Window は X680X0シリーズ向け、動作環境としてメモリ8MB以上、ハードディスク80MB以上で、価格3万円。
1989年にはニューウェイブからCP/M-68Kが発売されている。
また商用ソフトウェアのOSの他にも、X68030、またはアクセラレータ基板併用によりMPUをMC68030やMC68040などに換装したX68000では、MINIXなども移植された。さらにX68030ではユーザーモードでもX Window Systemが使用できるよう、VRAMなどへのアクセスを可能とするためにMPUソケットの一部のピンを非接触とする加工をした上で、MPUをMMU内蔵のMC68030・MC68040・MC68060(アクセラレータ基板併用を含む)に交換する必要があったが、アマチュア有志によりNetBSDが移植された。
パワーユーザー(ヘビーユーザー)による拡張ボード開発の歴史は古く、極初期にはMacintosh互換ボードが一部のユーザーの間で開発された。これはSCSI拡張ポートやAppleTalk (RS422) ポートなどを含んだ本格的な物で、Macintosh用の多くのソフトウェアが動作したが、ROMを実機からコピーして流用するなど著作権上の問題があり、本格的に発売、流通されることはなかった。その後、『Oh!X』が休刊した1995年頃から、ユーザーが拡張ハードを自主製作することが本格的に行なわれるようになった。
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Mercury Unitの作者が、『美少女戦士セーラームーン』の登場人物であるセーラーマーキュリー役声優の久川綾の声を高音質で録音・再生することを目的としてMercury Unit(まーきゅりーゆにっと)と命名したことに由来し、慣習的に、各セーラー戦士の守護星とされる太陽系の惑星の名称が付けられることが多くみられた。
などが実際に作られ、040turboが計測技研から、一部変更が加えられたMercury Unit(Version4)が「まーきゅりーゆにっと」として満開製作所から、製品として販売されている。
本体を作ろうとする試みもあったが結局、完成には至っていない。
発売元がシャープ、開発は別のソフトハウスというものも多い。
SHARP販売 / SPS開発のもの。以下、発売順。
X68000 / X68030向けのゲームソフトを精力的に開発し提供してきたゲームソフトメーカーを列記する。
電波新聞社販売 / マイコンソフト開発 全13組18作
国内では全くパソコンに採用されなかった68000系列のパソコンであるが故の宿命から、オフィススイート等の実用ソフトを初めとしてパッケージソフトウェアに恵まれず、かつ圧倒的なPC-9801のシェアに押されていたことが、逆に独自の豊かなフリーウェア文化が花開く土壌を形成し、ユーザー有志の手により様々なソフトウェアが作られ、パソコン通信や書籍などを通じて配布された。市場占有率から勘案されるユーザーの絶対数に比して、その数と充実ぶりには目を見張るものがあり、日本のパソコン文化とは異なるヨーロッパのパソコン文化を思わせる流儀と実績を残した。特に主な標準ソフトウェアには、機能を強化した、リバースエンジニアリングによるパッチまたは互換プログラムが存在した。またGNUプロジェクトのツール環境の多くもHuman68k環境に移植された。パソコン市場で主流だったMS-DOS環境から孤立していたX68000の世界では、プロプライエタリなソフトウェアの供給を期待することがほぼ不可能といった事情などを受け、ユーザーの間、および専門誌『Oh!X』誌上では、しばしば「無ければ作る」(欲しいソフトが存在しないならば自分たちの手で作る、の意)という合言葉が使われた。
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SHARPから発売されたXCコンパイラはC言語の標準であるK&Rに非準拠であり、数々の制限があった。一方、有志の手により1988年初頭にはGNU C Compiler(以下GCC)が移植され、X68000への最適化も行われた。その後、GNU C++ (g++) も移植されるとともにライブラリも整備され、これらの開発環境の整備により多くのフリーソフトウェアを生み出した。これらは当時のパーソナルコンピュータとしては比較的大規模なソフトウェアであり、MS-DOS環境と比較して、X68000の持つリニアで巨大なメモリー空間を生かしたソフトウェア(移植)であると言える。
音楽ドライバー・サウンドドライバー。Z-MUSICはVersion1系の後継であるVersion2系と、機能強化を図ったVersion3系の2系統があるが、Version2系の方が広く使われた。後述のMXDRVに比べると後発にあたり、処理速度の向上、機能の追加等が図られている。MXDRVとは直接の互換性はない。
X68000の内蔵音源であるFM音源8声とADPCM1声(Version2系はPCM8.Xを使用することにより8声まで、Version3系はMPCM.X ©Wachomanを使用することにより16声まで)、MIDIボードが接続されていればMIDI楽器も同時にコントロールすることが出来る。MIDI出力はRS-MIDIアダプタ各種、POLYPHONボード等にも対応している。
一般の音楽制御ドライバーでは1台のMIDI楽器をコンピュータの外部音源という位置付けで扱っていたが、Z-MUSICではX68000をホストコンピュータに複数のMIDI楽器をコントロールすることができるように設計されている。
Z-MUSICは、ゲームに組み込んで使うことも考慮して設計されており、一部の市販ゲームや同人ゲームで実際に採用された。また、第三者によって、他ドライバーからのデータ変換、ビジュアルプレイヤーやミュージックセレクター、データ制作や開発支援、ADPCMユーティリティーなど様々なツールが作られた。
なお、Z-MUSICのZは、作者の名前である西川善司 (Nishikawa Zenji) から採ったものである。
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なお、Z-MUSICのZは、作者の名前である西川善司 (Nishikawa Zenji) から採ったものである。
最も広く使われた音楽ドライバー。パソコン通信等で普及した。FM音源とADPCM音源を制御する事が出来る。前身にMUDRVがある。対応するのはMDXファイル(演奏データ、拡張子.mdx)とPDXファイル(ADPCMデータ、拡張子.pdx)。複数人で頻繁に改良が加えられたために数多くのバージョンが存在し、ADPCMを擬似的に多重発音出来るPCM8・PCM8Aに対応しているバージョンも有る。パソコン通信等ではコピー曲やオリジナル曲などのMDXファイルが数多く流通した。MMDSP、MDXSのように演奏をビジュアル表示する再生ソフトも数多く作られた。MXDRVは後にPC-9800シリーズとFM TOWNSにも移植され、音源チップの差からパート数や音色などが不完全ながらもMDX再生が出来た。Microsoft WindowsでもFM音源YM2151をエミュレートするDLLドライバーと組み合わせてMDXファイルを演奏する事が出来るアプリケーションが幾つか存在する。
本体のみでは、FM8音/ADPCM16音を制御する事が出来るFM音源ドライバー。MIDI制御にこそ対応していないものの、満開製作所製MK-MU1Oがあれば搭載されているYMF288を同時に利用でき、FM20音、PSG6音、チップ内蔵リズム音源2セット、ソフトウェア合成によるADPCM16音の最大54音を同時に制御することが可能。更に、YMF288の効果音モードでオペレータごとの制御を可能にしているため、サイン波として扱った場合、FM音源のパートを最大26音制御することが可能になっている。
ADPCMについては、江藤啓作のリアルタイムADPCM多重再生ドライバーPCM8.X (PCM8A.X, PCM8SB.X) を使用することにより、ソフトウェアレベルでPCMを合成し、見かけ上最大8チャンネルでの再生が可能である。別人によりPCM16.Xが試作された。
X68000登場当初、そのグラフィック性能を生かしてパソコン通信経由であらかじめ決められた構文に従って相手側のパソコンに簡易なグラフィックとテキストを表示させつつ音楽を演奏させるソフトウェアが作成され、「あきら」と命名された。
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X68000登場当初、そのグラフィック性能を生かしてパソコン通信経由であらかじめ決められた構文に従って相手側のパソコンに簡易なグラフィックとテキストを表示させつつ音楽を演奏させるソフトウェアが作成され、「あきら」と命名された。
X68000では65,536色の表現が可能なことから、イラストレーションなどの表現で従来のベクターグラフィックからZ's Staff Pro 68k等のグラフィックツールによって作成されたラスター形式のグラフィックが主流になっていった。その中で一番の問題はその画像を保管するにあたり外部記憶装置の容量が絶対的に不足していたことであり、それを解決するべくPIC形式の画像圧縮フォーマットが考案された。これはX68000シリーズで画像を保管する際のスタンダードなフォーマットとなった。
電脳倶楽部は、満開製作所が発行していたX68000用ディスクマガジン。内容は読者投稿が大半を占めていた。『月刊電脳倶楽部』は1988年5月に創刊され、12年間に亘って発行された。初代編集長は三上之彦(祝一平)だった。Vol.140から媒体がCD-ROMに変更された。同社がX68000関連事業から撤退した2000年8月発行のVol.148で廃刊。
その間に別冊も数多く発行され、『電脳倶楽部別冊』が壱號から拾六号まで、CD-ROMによる『すてきな電脳倶楽部』(すて電)、『すごい電脳倶楽部』(すご電)、『激光電脳倶楽部』がVol.1からVol.7まで発行。
フロッピーディスクで発行されたVol.1からVol.139までは、『月刊電脳倶楽部パーフェクトコレクションVol.1~50』『月刊電脳倶楽部パーフェクトコレクションVol.51~100』および『月刊電脳倶楽部パーフェクトコレクション1997年度版』(Vol.101 - 115)、『月刊電脳倶楽部パーフェクトコレクション1998年度版 / 1999年度版』(Vol.116 - 139) としてCD-ROMにまとめられた。別冊も『電脳倶楽部別冊・完全保存版』としてCD-ROM化されている。
DoGAは、大阪大学コンピュータクラブや京大マイコンクラブの有志が集まり、共同研究プロジェクト「PROJECT TEAM DoGA」として1985年に設立された。
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X68000
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DoGAは、大阪大学コンピュータクラブや京大マイコンクラブの有志が集まり、共同研究プロジェクト「PROJECT TEAM DoGA」として1985年に設立された。
さらに1993年には、子会社として株式会社ドーガを設立し、法人としてDoGAの活動をサポートしている。
DoGAは、シャープと提携し、X68000上で動くCG制作ソフト「DoGA CGAシステム」を開発。この活動にアスキー社(後のKADOKAWA/アスキー・メディアワークス)が関心を示し、『月刊ASCII』に開発状況を連載した。その後、ソフトバンク(後のSBクリエイティブ)の『Oh!X』に連載が引き継がれた。
当時パソコン上でCGアニメを動画として見ることができるのは画期的な事であり、「DoGA CGAシステム」は、国産ソフトとしては日本初の試みだった。
X68000と異なる内部構成を持つ 32bit後継機のプロトタイプも検討された。密かに各方面の有力関係者に予定しているスペックを提案した上で、商業的に成功するかどうかヒヤリングが行われた。内容的にはビデオ編集を自在に行えるパフォーマンスを備えた、当時としてはきわめて高スペックな仕様であったという。しかしながら予定価格が X68030の倍近くになると予測されていた。ちょうど時代はPC/AT互換機が DOS/Vを伴って日本で普及し始め、Microsoft Windowsも軌道に乗り始めていた時期である。結果、商業的には絶望的であるとの判断が下された模様である。加えて、シャープでもパソコン事業の2事業部制を改め、一事業部に統一して PC/AT互換機に社内リソースを集中させる方針を決定した。これにより、「真の意味での」 32bit後継機は日の目を見ることは無く、Xシリーズは必然的にその歴史にピリオドを打つことになった。
X68030はX1から続いたXシリーズの最終機となった。Xシリーズ販売終了後、シャープはパソコン事業をPC/AT互換機であるMebiusブランドに集約した。このMebiusブランドを展開している部署は、Xシリーズを展開していた部署とはまったく異なる。Xシリーズを展開したテレビ事業部は、後年の組織変更により別の事業部(AVシステム事業本部)となった。
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X68030はX1から続いたXシリーズの最終機となった。Xシリーズ販売終了後、シャープはパソコン事業をPC/AT互換機であるMebiusブランドに集約した。このMebiusブランドを展開している部署は、Xシリーズを展開していた部署とはまったく異なる。Xシリーズを展開したテレビ事業部は、後年の組織変更により別の事業部(AVシステム事業本部)となった。
『Oh!X』誌も、Windows 95の発売の年でもあった1995年末の12月号をもって休刊。1998年にムック形態で復刊したが、2001年春号以降、続刊は出ていない。またシリーズ発売終了後も周辺機器などを発売していた満開製作所は、創業者三上之彦が1999年4月2日に死去した後、2000年に事業撤退を表明して翌2001年には消滅した。
Xシリーズ販売終了後、Webに代表される新しいパソコンの使い方が広まるにつれ、世界的なパソコンアーキテクチャーの統一が進行し、ユーザーは徐々にMacintoshやMicrosoft Windowsなどへと移行して行った。しばらくは非公式にユーザー同士で拡張ハードを自主製作するなどの勢いは引き継がれたものの、時間と共にそれは衰退していった。その後のパソコンの性能向上によってEX68をはじめとするエミュレータも作成され、それは単行本としても発売された。その後も秋葉原などでユーザー主催のイベントが何回か開かれた。
2000年、OS、開発環境、BIOSなどがNIFTY-SERVEシャーププロダクツユーザーズフォーラムスタッフの尽力により、シャープ側の厚意もあって無償公開された。またZOOMなど一部のメーカーも自社製のアプリケーションソフトを無償で公開していたことがある。
X68000はゲームプログラミング入門に適した特性を持つため、2000年以降もしばらくはゲーム制作者もしくはコンピュータに関する専門学校で、職業訓練にX68000を採用したところも存在した。
Xシリーズは日本国内のみで販売された独自のアーキテクチャを持ったPCであるが、IOCSとDOS、エミュレーションソフトウェアがフリー形態で公開され、ネットワークによって世界に広まったため、日本国外でもXシリーズの認知度は比較的高い模様である。
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Xシリーズは日本国内のみで販売された独自のアーキテクチャを持ったPCであるが、IOCSとDOS、エミュレーションソフトウェアがフリー形態で公開され、ネットワークによって世界に広まったため、日本国外でもXシリーズの認知度は比較的高い模様である。
市場での流通終了から30年以上経過しているので、発売当初の状態で完全に動作する個体はほとんど存在しない。その原因として一番多いものは、電源ユニットの故障である。電源ユニットの大きさを小さくするため、採用された電解コンデンサの電解液に四級塩が使用されていた。これが経年劣化に弱く、リード線引き出し部分の密封用ゴムを侵して電解液の液漏れを起こし、結果的に回路ショートを起こす。
なお、メーカー公式の修理受付は既に終了している。ただし非公式で修理請負を営んでいる個人も実在するので、まったく修理不可能という訳ではない。電源ユニットそのものを取り外し、ACアダプタを使えるように改造した例も存在する。現在でも動作の可否を無視すれば、本体はネットオークションなどを通じて入手することができる。
また、その独特の筐体がもつフォルムもあって、好事家の中にはX68000の筐体を利用して内部にPC/AT互換機用パーツを組み込んだユーザーも多数実在する。中には5.25インチFDDの位置にスロットインタイプの光学(CD・DVD等)ドライブを取り付け、X68000特有の機能だったオートイジェクト機能をそのまま再現するなどの工夫が施されているものもある。2013年には、X68000の筐体をPCケースとして復刻するプロジェクトが発足、2015年1月に試作品が公開、5月には一般公開された。
2016年12月にはRaspberry Pi2/3用の中密度繊維板製のケースが発売された。2018年には後継製品として、素材が樹脂となりシャープの正式ライセンス品を受け樹脂パーツの他、機種やロゴなどがデカールで添付されたケースが先ずはX68000XVIモデルの(MONAC-002)が2月、X68000/ACE/ACE-HD/EXPERT/EXPERT-HDモデルの黒、グレーモデルが7月に発売されている。
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